わーくすてーしょんのあるくらし ( 341 )

大橋 克洋

katsuhiro.ohashi@gmail.com

2021.07 人生2度目の東京五輪

今月は人生2度目の東京五輪が開催される予定ですが、新型コロナの感染は昨年初期より下火になったとはいえ、変異株に置き換わることにより東京でも先月末から再び増加傾向にあり、7月に入っても果たして開催されるのかどうか不透明な状況です。

学生時代に初の東京五輪の感激を生で経験した私としては、まさか生きているうち もう一度見られるとは思っていなかったので、是非もう一度見たいと願うものですが、中止すべしという意見も少なくない。すべてはコロナ次第、はてさて、、

○ 感動的だった1964年の東京五輪

前回の東京五輪は私が大学5年生の時。当時は16歳で免許取得できたのですが、ずっとペーパードライバーだったのが父から買ってもらった TOYOTA Publica を運転し、軽井沢まで馬術部後輩達を載せ五輪の総合馬術競技を観戦に行きました。

広大な軽井沢の原野、林の中から朝霧に霞む人馬が現れ目の前を走り去ってゆく姿。ドイツ・チームのサポータが無線で連絡する姿は、TVで放映されていた戦争ドラマ「コンバット」のナチス軍を彷彿させるもの、とても格好良く思えました。

総合馬術の障害は馬場の障害とは異なり固定障害。本物の石垣やレンガ塀、直径1メートルはあるかと思われる丸太、馬1頭まるまる入ってしまう深い壕「こりゃあ、失敗したら死んじゃうな」と思えるものばかり。軍隊馬術から始まったからでしょう。

国立競技場で閉会式をナマで観ることもできました。大障害馬術のチケットを手に入れたのですが、当時、大障害は必ず閉会式前の競技場を使って行われたのです。目にも鮮やかなグリーンの芝生の上に、美しく塗装された障害物が並び、黒の乗馬服だけでなく、真っ赤な上着、カーキ色の軍服などをまとった選手たちが次々と高い障害をフワッと飛んでゆくさまをながめていました。馬術競技には男女の区別がなく、あの物凄い野外騎乗や大障害飛越で、外国の女性選手が何のハンディも感じさせず競技をこなしていく姿は、当時の日本ではちょっと眼をみはるものでした。

整然と入場する開会式とは打って変わって、閉会式では各国選手達が盛り上がりながら入場、盛大な音楽のもと照明にてらされ紙吹雪が舞う様子はとても感動的なものでした。

2021東京五輪を前にして思うこと

1940年開催予定だった東京五輪が戦争のため中止になったこともあり、1964年初めて日本で開催される東京五輪には日本中の誰もがワクワクし、誇りを感じていたものです。そして日本の選手たちは緊張感や重圧感とともに、そのような日本国民からの精神的バックアップを受け誇りとやる気を持って競技に臨むことができました。

しかし今回の東京五輪に出場する選手たちは、本当に気の毒に思います。そもそも「今の日本に五輪開催なんて必要ない」という意見もあった中、全く予想もしていなかったコロナ禍という地球規模の大変な事態が発生、コロナ対策という余計なものだけでなく「こんな状況で五輪を開催するのはけしからん」「五輪中止すべし」などの世論揺れ動く中、競技だけに集中しようとしても、何か後ろ髪引かれるような、この状況で五輪に参加することが後ろめたいような雰囲気も否めないのではないでしょうか。

特にメンタルが大きく左右する五輪の舞台で、彼らは過去に無かったコロナ対策や世論の反発などをも背負って戦わねばなりません。SNS などの新しいテクノロジーにより世の中の雑音が凄いスピードと広がりで浸透してゆく時代、過去に経験しなかった厳しい状況で戦わねばならない日本選手たちに私は心からのエールを送りたいと思います。

○ 東京五輪がはじまって思うこと

五輪開始前、マスコミは盛んにコロナ禍での五輪開催中止を煽る報道をしていました。そして五輪が始まると予想通り、当然のように連日の日本選手の活躍をネタにハシャギまくり。要するに視聴率を稼ぎ収益さえ上がれば良い、社会に対する責任などの考え全くない。これについてはネットでも言われていますが「他人のことはあげつらっても、自分はそんなことにはお構いなし」マスコミの下品さが曝け出され、とても嫌な感じ。こんなマスコミですから、五輪が終われば2度目の掌返し、再び「五輪が開催されたことへの弊害」を得意げに語るのでしょう。

それはそれとして、開幕とともに連日のように日本のメダル・ラッシュは嬉しい限り、沢山の感動を与えてくれました。私と同姓の大橋悠依は、池江璃花子が病気になる前、池江とともにぶっちぎりの勝利があったりして、とても注目していた選手。400mメドレーで優勝と、予想以上の活躍が見られとても嬉しいです、、と書いていたら、大橋選手200mメドレーでも優勝、女子水泳で初めて二冠の報に思わず拍手。

一方で私が高校の頃から大好きな体操競技、神様と言われた内村航平が鉄棒でまさかの落下で予選落ちなど、かつてのエースが期待された結果を出せなかった場面もありました。エースも時代とともに変遷していく、やむを得ないことではありますね。そして、そのエースを仰ぎ見て若い世代が育っている、これも嬉しいこと。

それにしても、コロナでどうなることかハラハラしていた東京五輪、紆余曲折ありながら、とにかく開催となり「人生2度目の東京五輪の実現」は、凄っごく嬉しい。

テレワークの光と影

フランスのニュースを観ていたら、こんな報告がありました。「人々はテレワークにより新しい働き方にめざめた」「しかし将来を考えると、これは彼らにとって嬉しいものではないかも知れない」というものです。

人々はテレワークにより、通勤などに無駄な時間や経費を費やすことなく、自宅で柔軟な形で働く快適さに気付いた。これは新しいワークスタイルを促進することになる。

しかし、これは地球上のどこからでも働けることでもある。中国やロシアなどには安い賃金で仕事をこなせる人材が膨大な数存在する。そうなれば企業は安い人材を国外に求めることになり、今まで働いていた人々の職を奪うことになるかも知れない。

なるほどねえ、そういうデメリットも考えられるわけか。テレワークにより国内の労働者がワリを食うことを防ぐ方策を考えなくてはいけませんね。かつては世界に誇った半導体をはじめとする日本の工業技術が、安い賃金がもとで中国などに流れてしまい、日本国内がスカスカになってしまったと同じような状況は何とか回避せねば、、

もっとも、日本語を主体とする我が国、英語圏ほどの脅威はないのかも知れませんが。

伊豆山に土石流の衝撃

近年、空梅雨もしばしばあったのですが、今年は梅雨前線が本州太平洋側にべったり張り付き、東京も久しぶりに梅雨らしい雨が続きます。このため早朝散歩のできない日が月初から5日も連続し、筋力低下が危ぶまれます。若い時ならどうってことないのですが、齢を重ねるとちょっとサボっただけですぐ筋肉の退縮がはじまるので、、

米国フロリダで深夜1時半ころ、突然マンションの半分ほどが崩落し1週間になりますが、まだ瓦礫に埋まった人がどのくらいあるのか判らない状態とか。

3日土曜、伊豆半島では2日間に1ヶ月半分の雨量となり、午前10時半ころ伊豆山の温泉街に突然猛烈な土石流襲来。Twitter にアップされた動画が盛んに放映されていました。日本で起こったとは思えない最近よく見る、まるで中国でのような映像。近年はネットの時代、この映像もおそらく速攻で地球上を駆け巡っているのでしょう。火山灰地層ゆえの黒い土を主体とした土砂が物凄い勢いで行く手の家屋を破壊し呑みつくしながら流れ行く様は、息をのむよう。20名ほどの行方不明者、海まで流され亡くなった2名の方が見つかったそうです。

地球温暖化に伴う異常気象は、今後ますます脅威を深めそうです。新型コロナもそうですが、もっと一人ひとりがそれを自覚し、少しでも温暖化を止めるべく配慮せねば

思い出したこと、これとは全く無関係な余談ですが、、

伊豆山には子供の頃、よく夏休みに両親・弟を含む一家4人で泊まった「桃李境」という懐かしい日本旅館がありました。建築家谷口吉郎設計の瀟洒な日本建築、著名な画家や作家も愛用したそうです。私達が泊まった時も、時代劇俳優高田浩吉と娘さんの高田美和さん一家も泊まっていると聞きました。芝生の庭を降りていくと綺麗なプールがあり、ほとんど貸切状態。私はここで水泳を覚えたようなもの。両親が新婚旅行で泊まった宿でしたが、数年前に売却され現在は東急ハーヴェストのVILAになっています。

今月の歩術

7月は初日から5日連続で朝は雨。散歩は休止となりました。その後、早朝散歩を再開しましたが、そろそろ蒸し暑くなる気配とともに、5日の休止がかなり響いたのかエンジンがかかりにくい。若い時とは違い70歳を過ぎると、ちょっとした休止が筋力低下を招くので油断なりません。従来ですとこの季節、暑さが始まると共に倦怠感が増してゆき、しっかり汗をかくようになるとスッキリするのが常です。しかし今年は余り期待できないのでは、と言う予感。歩き出す前も身体が重く「今日はちょっとだけ歩いて帰ってくるかな」と思っても、実際歩き出すと惰性で何とか予定より歩けるのですが、先月までのように1日10キロは到底無理そう。月初5日間の休みが効いてしまっただけでもなさそう。やはり歳のせいかな、、

それでも何とか1日6キロから8キロ歩いています。最小限のエネルギーで歩く、省エネの歩きが身に付いてきた成果。ポイントは姿勢を正しく、平に抜いた足を惰性で前へ出し前方に着地、後肢は僅かに沈める感じでしっかり踏み締める。ここで姿勢は大事です。身体が前や後ろに少しでも曲がっていると、それを支えるため余計な力を使ってしまう。特に長距離歩くには姿勢を正しくすること必須。全身にまっすぐ芯を通すことですが「気をつけ」の姿勢のように背を張り全身をコチコチにするのとは真逆。上体が正しく骨盤の上に乗り、無駄な力がかからないことが肝要。曲芸師が垂直に立てた竿の下端を手のひらに乗せ歩くようなもの。こうすれば力を抜いても自然と正しい姿勢になる。無駄な力を入れぬ身のこなしは武術の基本。

数ヶ月前書いた「後肢をゆっくり沈めるように体重を支え、前肢をそっと前に出す歩き」は最近ではしていません。非常に疲れたり、きつい坂を登る場合には必要と思います。3、4キロ歩くうち、頭がぼーっとしてくるのは、マスクのせい。いやいや、それもあるが酸素供給の不足だなと、マスクの中で少し呼吸を大きくすると頭がはっきりしてくる。呼吸法の研究も必要がありそう、、

早朝散歩していたら、明日の五輪開会式を控え居酒屋の前に旭日旗を掲げる作業中の店員さん。最近、韓国から目の敵にされている旭日旗(私の中では大好きな軍艦旗ですが)、店員さんに good job の親指を立てウインクでもしたいところでしたが、道の向こう側だったのでそのまま通り過ぎました。

○ 割箸建築

今月割箸建築、ぼけ防止をかね作製しました。起工から竣工まで9日間ほど。ホビー用クランプなど、製作用工具も少し増えました。

冬の陽光を取り込むため、南側は広いガラス面になっています。2階間口全幅のバルコニーを考えましたが、室内に取り込む陽光をなるべく妨げないよう右側に小さなバルコニーのみとしました。ここは2階浴室の風呂釜設置場所ともなります。夏場は2階窓全面に遮光用ネットを張り1階デッキ上面をも覆う。このファサード、とても気に入っています。

2階部分:北側に個室3室。東側には洗面所とトイレ・浴室。個室の屋根裏ロフトに荷物を収納できます。2階は1階の暖気があるので暖房機は不要のはず。

1階部分:北側中央にキッチン、そこに接し6畳の小上がりがあり、右側のシンクがコタツ式食卓を兼ねる。キッチン東側の食品庫には冷蔵庫の他、洗濯機や洗濯用シンクなどあり、家事室を兼ねる。そのは、トイレ、玄関、靴や外套などのウオークインクローゼット(家族用内玄関となる)。西側壁全面に収納棚。黒い部分は炎の見えるガス暖炉。これは、どちらかというと揺れる炎を眺めるためのもので、メインは床暖房。天気の良い日は豊富に差込む陽光だけでもかなり暖かいはず。南側と北側は大きく解放でき、ここから空気が抜け、ロフトの換気口から熱気を逃す。南側デッキの先は芝生か浅い水盤、ここに水を張れば帰化熱による涼しい空気が入ってきて、これだけでかなり涼しいはず。それで足りない場合は、ロフトに設置した空調1台で屋内全体の冷房をまかなう

廊下や階段はかなりスペースを喰うものですが、この設計では極力それらの無駄を無くしました。もう一つ心掛けることは、全体の設計やデザインを出来るだけシンプルかつ機能的とすること。ワンルームに近い構造とし、将来のリフォームを容易にすること。また省エネに配慮し、外気に接する壁面やガラス面などの断熱を十分にしたいと思います。

今月のコロナ

東京では、インドの感染急拡大で発生したとみられるデルタ株が急速にこれまでの株と置き換わりつつあり、一旦収まりつつあった感染者数が再び上昇に向かい第5波に入ってきたと考えて良いでしょう。デルタ株はこれまでより格段に感染力が強く、これまで言われてきた3密ではなく1密でも感染する可能性が高いと言われます。それにも拘らず、東京の人流は増えることはあっても減少することはありません。

政府が再び発出した緊急事態宣言に対し、街頭インタビューでの「余り意味ない」「もっと国民の声を聴いてから决めるべき」などの声が取り上げられています。一方で感染拡大の危機を唱えながら、それに反する声を主体に紹介するとは、マスコミは何考えているんだか。

今もっとも大事なことを一言で述べれば「人流を抑える」に尽きると思っています。「人と人とが接することが少なければ感染は抑制される」というシンプルな原理なのに、、

東京都医師会の尾崎会長が述べていた「東京五輪については、これを機会に自宅で五輪を楽しみ人流を減らす良い機会としましょう」という言葉はちょっと良かったかな。

何かあるとすぐ「犯人さがし」の風潮について考える

東京五輪開会式のオープニングに使われる楽曲を担当する小山田圭吾氏が、過去のインタビューでいじめや虐待行為を自慢げに語っていた経緯がわかったということで問題になり、開会3日前の土壇場で本人から辞退との話題がマスコミ中心に駆け巡っています。

このようなことがあると最近は、すぐ始まるのが「犯人探し」。大会の組織委員会の誰が、どんな考え、どんな経緯で彼の採用を決めたのかとか、誰に責任があるのかとか、こと細かに、あーでもない、こーでもないを延々とやっている。

もちろん、掘り下げれば言われるようなことがあることは判るのですが、ここで大切なことは「犯人探し」よりも「ではこれからは、どうやって同じ事態の発生を防ぐべきか」のはず。米国の航空機事故調査などでは、そのようなポリシーで原因調査が行われています。

いわゆる犯人は話題になった段階で十分報いを受けているはず。そこに寄って集って石を投げる現代の風潮にはとても違和感を感じます。対象がいかに悪人であろうと、こちらは安全な立場から、そうでない人間に寄って集って石を投げるのはとても卑怯。それこそいじめ・虐待そのものではないかと、、

本当に現代人の度量は小さくなってしまったなあ、、

俯瞰力をもつことが大事

上記「犯人さがし」について書いていたら、こんな 記事 を読みました。

残念ながら、いまの日本社会には、目立つ個人を徹底的にバッシングする傾向があります。「みんなと一緒でいたい」という潜在的な不安感からなのかもしれません。

人を貶しめることで溜飲を下げ、自身の心の奥底の不安感をなぐさめる。そんな風潮が蔓延していくと、社会はどんどん狭量な生きづらい場所になっていきます。

だからこそ、良識ある人は、偏った考え方や価値観にとらわれずに、社会や集団から外れた人たちを受け入れることができる「俯瞰力」を持つ必要があります。

なるほどね、今の日本人(今とは限らないと思いますが)は「みんなと一緒にいたい」という潜在的不安感から「目立つ個人を徹底的にバッシングする傾向がある」ということですか。小せぇなあ、、

All good things

私の大好きだった Steve Jobs が亡くなってから、早くも今年10月で10年目になろうとしています。Jobs が亡くなる前年、奥さんと娘さんを伴い訪れたことのある京都の寿司屋に「All good things」と書かれた Jobs のサインが壁にかかっているそうです。

その5年後訪れたジョン・スカリー(かつて、Jobs が設立した Apple の社長として Jobs に招かれ、最後には意見が合わなくなって結局 Jobs を Apple から追い出すことになった人)がこの額を見て、請われてもサインなど滅多にすることのない Jobs のサインに驚くとともに「今では彼も自分も第一線をリタイアして、彼の好きな店で、彼の好きな寿司を食べながら、いい話ができ、いい時間を送れたかもしれない。でも彼はもう天国へ行ってしまい、もういない」と嘆いたそうです。

ところで、これは「All good things must come to an end. 」すなわち「良いことはいつまでも続かない」という意味。Jobs は自分の死期を悟っており、全てを書かずに、この言葉だけを残したのだそうです。禅に陶酔した Jobs らしいですね。この寿司屋を去るとき「是非また来てください」と言われ、「実は京都にはもう来られないかもしれない。僕は大きな病気をしていて体調も良くない。だからもしかしたら、京都に来るのはこれが最後になるかもしれない」と言い残し、それが彼の最後の京都訪問になったそうです。

私も今までの人生で2度ほど「それはそれは天国のように素晴らしい想いだったけれど、そういう時間はあっという間に消えてしまうものだなあ」という経験がありました。

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東京五輪開会式を祝うブルーインパルスが自宅上空へ飛来。この後、国立競技場上空で描いた五輪マークは、残念ながら雲に妨げられよく見えませんでした。左下の雲の延長線上が競技場。