1989.02 ワークステーションと目玉の動き

わーくすてーしょんのあるくらし (26)

1989-02 大橋克洋

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今月は、一見ワークステーションとは余り関係なさそうなところからアプロー チを始めてみよう。

○ 縦書・横書論

私共の業界の会報編集を担当するようになって、今月で丁度6年目になる。 この会報は日本全国の産婦人科医師に配られるもので毎月1回発行であるが、 従来は官報のように味もそっけもない体裁だったので、編集メンバーに加わる に当たって、これを何とかして欲しい、と同時に、縦組みの紙面は古いので、 これからは横組みにするべきだというような意見を述べた。

この連載を度々お読みいただいている方はおわかりのように我々の業界とい うのは産婦人科医の業界で、役員などはかなり年配のメンバーで占められるこ とが多い。従って、縦組みの紙面というのは年配の先生方の趣味であって、今 後は横組みを指向して行くべきだと主張したのである。

そうして6年の編集経験を経た結果はと言うと、現在では何と「縦組論者」 に転向してしまっている。決してシャクブクさてしまったのではなく、これに はちゃんとした理由がある。

○ 目玉は左右より上下に動きやすい

その大きな理由は単純に、「ものを細かく目で追うには、左右より上下の方 がラク」ということである。

私は眼科の専門医でも人間工学の専門科でもないのだが、人間の目はご存知 のように左右に1つずつ付いているので、視野は左右に広い。これが、一見横 書き文字の方が読みやすいという印象を与える(後で述べるように、書くには 横の方が能率が良いこともある)。

ところが、実際に文字などを目で追うとなると、話は違ってくる。なぜかと いうと、眼球を横に移動して物を追う場合、実際には左右どちらかの目がまず それを追い、残りの目がそれに追従して、その結果左右の視野の中心近くにター ゲットを固定するよう眼球の運動を微調整している訳である。

一見瞬時にそれを行っているようでも、コンピュータのプログラミングで経 験するように、このサーボ機能を実現するには、かなり大変な作業を高速で繰 り返し行っているに違いない。

○ 眼球の動きはなるべく少なく

それ故に、長時間頻繁かつ精密な眼球の横運動を繰り返すということはかな りの疲労に結び付く。 それでは、縦書き文字を追う場合はというと、左右眼球の左右角はほぼ一定 に固定し、上下運動は単純に左右連動すれば良いので、細かいサーボ機能は余 り働いていないはずである。

これに反して、文字を書く場合は縦書きよりも横書きの方が能率がよい。こ れはもう説明の必要もないと思うが、文字を書く作業は横書きであれば肘を中 心として左右に振るだけで済むが、縦書きの場合だと肘をも移動しなければな らず、そこにサーボ機能も必要になってくる。 という訳で、横組みより縦組みの紙面の方が人間工学的に優れているという 結論になるのだが、この利点を生かすためには、段組みの中で一段に余り沢山 の文字を入れてしまうと意味がなくなってしまう。

逆を言えば、横組みでも段組みの中の桁数を少なくすれば、そう読み難くも ないということでもある。ただし、ここで言っているのは、あくまでも文字の ような近距離の細かいものを正確に目で追う場合の話であって、アフリカの大 草原で右から左に走り抜けるチータを目で追うような話ではない。このような 場合は首や身体全体の動きが加わるし、遠距離では眼球の左右角の調整もおお まかで良いはずだからである。

横書きのテキストを縦の段組みにするフィルターなんてものを作ったら面白 いかななどと考えているが、そういえばJUNETあたりにそのようなものを ポストしていた人があったような気もする。

○ ワークステーションの中での目の動き

さて、この辺で本題のワークステーションの話に入ろう。この「ものを目で 追うには横より縦の方が能率的」という原理がワークステーションの中でちゃ んと生かされているのである。いやいや、DTPやワープロの話ではない。

それは、プルダウンメニューである。私はUCSD Pascalのエデイ ターの影響もあって、アプリケーションを作る場合、「メニューバー」と称し てメニューを画面の一番上に一行で表示する方法をとることが多かった。いつ も同じメニューが表示されていて、どの辺に何のコマンドがあるかわかってし まうと問題は余り無いのだが、新しいメニューが次々と表示されるような場合 は、結構これを目で確認するには注意力を要する。

ところが、プルダウンメニューでは余り眼球を動かさず、一目で全体を把握 できる。すなわち疲れが少ないのである(余り長いメニューだとその効果も怪 しくなるが、少なくともメニューバーよりは一目で多くのコマンドを認識でき る)。勿論、この場合でも文字は横書きなのだが、さっき述べたように段組み の一行分の長さが短いので、左右への眼球の動きは殆ど無い。

これもXEROXパロアルト研究所の成果の一つである。ワープロや日本語 フロントエンドの中には、変換候補を最下行にずらずらっと表示して、その中 から候補を選ぶタイプがよくあるが、急いでいる時は結構見つけ難く、見落す 経験をされた方は多いと思うが、いかに人間の目は横方向に細かいものを追う のが得意ではないかという例のひとつで、これもプルダウンメニューのような 形式だと、かなり違うはずである。

○ OpenLookに期待する

「UNIX上にMacの環境を」というのが私にとって長年の念願だったが、 OpenLookにによって間もなく実現されそうな気配になってきた。そう 目新しい機能は付加されていないようだが、ユーザにとって新しいものを覚え なければならないことが極力避けられるという点で、それはそれで良いことで あろう。

現在開発中の「電子カルテ」では、ネットワーク上のマルチユーザ環境を安 価に実現したいというコンセプトで、UNIXにPCー98などを端末として 接続し、ポップアップメニューやプルダウンメニュー、ダイアログボックスな どがキャラクターベースで使えるようにしてある。文字そのものの入力を除い て操作の殆どはテンキーを用いてマウスと同様の機能を実現した。 これについてもいずれまた書いてみたいが、いずれ、OpenLookが使 えるようになった時点でそちらに移行したいと思っている。

○ 快適な使い勝手は健康のもと

一見、たいした違いはないと軽視していた事でも、これに気付いて取り入れ るか入れないかでワークステーションの使い勝手は格段に違って来る。そんな 事どっちでも良いじゃないかと気にしないでいても、人間工学的に無理のある ものは、使っている内に自然とイライラがたまってくるものである。テクノス トレスの多くの部分がここから発生してくるものと思う。 ま、たまにはお医者さんらしく、今月号はちょっとメデイカルの香りを添え てみました。

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