2009.03 日本の伝統

わーくすてーしょんのあるくらし ( 193 )

2009-3 大橋克洋

ここ数年、色々な地方で雛飾りを目にする機会があり、 この季節はお雛様を表紙にしています。 これは先月訪れた伊豆 落合楼の雛段。 人形の顔立ちも、最近はまず見られない精巧で気品あふれるものでした。 日本の伝統文化は素晴らしい。

ほとんどモノトーンに近い日本家屋の中だから良いのですよね。 現代のごちゃごちゃ色の中では引き立ち方もまったく違います。 昔の日本は否応なしにシンプル・ライフ。 その中で一点豪華主義の雛飾り。 それは格別のものだったと思います。 自然の中、空気で四季を感じ、メリハリのある生活。

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数年前の雛飾りの時にもちょっと書きましたが、 京都の雛飾りは内裏様の座る位置が左右反対なんですよね。 その理由に思い当たることがありました。

最近「武士道」に関する本にちょっとハマっています。 その中に面白いことが書いてありました。 「武士が外を歩く時、奥方は三歩下がって歩いた。 これは男尊女卑が理由ではない。 武士は常に戦場の心構えであり、 奥方が傍に居てはイザと言う時、刀を存分に振るえないからである。 一方、奥方は必ず風呂敷包みを手にしていた。 敵が襲ってきた時それを投げて夫を援護するためである」 「武家の女は、普段から家の中をとりしきる。 夫が戦場に出ている間も家を守る。留守中に押し入る者などあれば、 子女も家を守るため戦う。 そのため、常日頃から長刀などを習っていた」。

風呂敷包みについては「本当かなあ?」と 首を傾げるところもありますが、 奥方との接し方には、なるほどと思うことも色々ありました。 と、そんなことから、 内裏様の座る位置に思い当たることがあったのです。 京都は武士ではなくお公家さんです。 それで内裏様の座る位置が反対なのではないかと。 ただ、京都のように内裏様が向かって右側の方が、 いざと言う時、刀を抜きやすいようにも思えるのですが。 どうなんでしょう、、

○ 今月の歩術

ここ3年ほどコートを着るのは きっかり1月と2月のみだったのですが、 この3月は最近になく気温が低く、最初の1週目はコートを脱げませんでした。 2週目からようやくコート無しになりました。 それでも27日朝の外気温は、今冬の最低気温を3度上回る程度しかありません。 ほころびかけた桜も、首をすくめてしまいそう、、

最近は「身体の各部分をバラバラにして動かす」ことに 興味を持って歩いています。 その中で「股関節の感覚を高める」「股関節で動きを感知する」 という感覚を少し研究してみることにしました。 「身体の部品をバラバラにして歩く」ということは 「股関節を自由にする」ということ。 以前ここにも書いた「(自称)伸股法」にも通ずるところから、 このようなことに感心を持つようになったわけです。

私の考える理想的な歩きは 「靴をはいて板の間を急いで歩いても、殆んど音がしない歩き」 「猫のような歩き」です。しかし実際にはなかなか難しい。 余程意識して歩かないと、 うっかり体重を踵に載せ「どすん」と足を着いてしまいます。 理想の歩きに至るには「股関節を柔らかくし、 身体部品をばらばらに動かす」ことが必要と考えているわけです。

「電車の中で掴まらないで立つ」も、 以前は膝をやや曲げショックを吸収していましたが、 最近は膝をなるべく伸ばし股関節を柔軟にして、 ショックを股関節経由で両方の足へ均等に逃がすことを試みています。 ただし、かなり大きな揺れに対しては、 瞬時に膝を曲げ上体を沈み込ませ吸収します。

まだ、このような動きを ある程度意識して行っていますが、 理想的には意識せず身体が自然に反応するようになって欲しいものです。 先々月でしたか、股関節を使った歩きを意識してちょっと歩いたのが原因と思いますが、 その翌日あたりから右内腸骨筋と思われる強い筋肉痛に襲われました。 通常、筋肉痛はせいぜい3、4日で収まってくるのですが、 この時は10日近くとれませんでした。 普段まったく使っていない筋肉を使ったということなんでしょうね。 それにしても10日も続いたということは、 微細な筋肉の断裂やそれによる軽い炎症もあったのかな、と思います。 ほんの10分足らず使っただけだったのですが。 その後このような筋肉痛はまったく経験しないところをみると、 身体がうまく順応してくれたようです。

○ 昔の人は踵を浮かせて歩いていた?

「江戸時代以前の人達は、現代人のように踵に体重を載せた歩き方をしなかった」 という話があります。その証拠のひとつとして、 当時は、後半分の無いワラジ、つまり踵部分のない半分の大きさのワラジがありました。 しかしそんな歩き方、難しいですよね、、 と、しばらくは思っていたのですが、最近ふと「そうか、、」と思い当たりました。 今のように舗装されていない不整地を、素足で歩いてみればわかります。 岩のゴロゴロした磯などでは、現代人でも踵を付けず歩きますよね。 そう、踵を付けると痛いからです。

舗装されていない道を素足に近い状態で歩いていたことを考えると、 昔の人が踵に体重を載せない歩き方をしていたというのは、 本当のことかも知れないと思うようになっています。 証拠のもうひとつとして、剣道の書物にわざわざ「踵にしっかり体重を載せるように」 と書いてあるものもあるそうです。 つまり、当時は踵に体重を載せないのが普通だったということでしょう。

ということは、先月書いた速歩術も、 そもそも そのような身体の使い方をベースに考えていかなければいけないな、 と思っています。さて、現代でどう生かすかは、 おいおい実験しつつ試行錯誤して行きましょう。

○ すべてをマニュアル化し、一律化しようとする現代

このように「環境が違うと思いもよらない生活がある」というのは面白いものですね。 ところが現代はこれを真っ向から否定しようとしています。 例を挙げれば枚挙にいとまがありません。ひとつの例を昨日の TV から、、

NHK が医療機関の情報公開を特集していました。 全国の医療機関の治療実績の数値や治療方法など を公開し共有することによって、 患者がより良い施設を選べ、医療機関のレベルアップをはかるために 非常に効果が大きい、という取り上げ方でした。 もちろん、そのような効果もあるでしょうが、 同時に医療を悪い方向へ持って行く面も かなり大きいと考えています。 ちょっと考えるだけでも、次のようなことが確実に起こるでしょう。

  • 医療にもっとも大切なのは「心ある医療」。 しかし昔からの医療を知らない これからの医師たちを数値重視の方向へ引っ張ってしまう。

  • 危険な手術や難治の疾病などは引き受けない方が、成績が良くなってしまう。

  • 人間という複雑なものを対象とする医療は、 状況により千変万化する。唯一ベストな医療というものはあり得ない。

  • 医療の一極集中が起こり、産科医療崩壊のドミノ現象を医療の全分野に広げてしまう。

もっと人間は賢く自分の頭で考えるようにしないと、 どんどん世の中は悪い方向へ向かってしまう。 なぜ、こんなシンプルなことを主張する人が居ないのか、 不思議で仕方がありません。

○ 領民を思いやった直江兼続

今年の大河ドラマ「天地人」の主人公、 直江兼続について知りたいと思い Wikipedia で眺めていましたら、面白い逸話が載っていました。 ちなみに、兼続の兜の前立ての「愛」の文字は、 現代人が想像する「愛」ではなく、 当時、神名や仏像を兜や旗などにあしらう事が広く行われていたことから、「愛染明王」または「愛宕権現」の信仰を表したものと推測されるそうです。

米沢への転封の際、上杉家は大変な財政難に陥ったが、兼続は「人こそ財産なり。来たい者はついてこい」と、召し放ちなど現代で言うリストラをしなかった。かつての領国の四分の一で、上杉家を待つのは厳しい暮らしであった。しかし兼続はここで家臣と家族3万人を養おうと、自ら質素な暮らしをしながら、国造りに取り組んだ。

このように部下や領民おもいの兼続ですが、大岡裁判に似た 次のような逸話もあります。「正直者が馬鹿をみない」 公正な世の中を作ることこそ、 本当に国を治める者のやるべきことでしょう。 昔のように首をはねる訳にはいきませんが、 現代の「公平、公平」と言って、 大きな逆差別を作っている人間とは比較にならない 高い人格と思います。

あるとき、兼続の家臣が下人(五助)を無礼討ちした。すると、五助の遺族たちが兼続に「あれの粗相は無礼討ちにされるほどのものではなかった」と訴え出た。調べてみると遺族の訴えの通りだったので、兼続は家臣に慰謝料を支払うよう命じた。しかし遺族たちは下人を返せと言って譲らない。兼続は「死人は生き返らないのだから、慰謝料で納得してくれないか」と言ったが、遺族たちはあくまでも下人を返せと言い張る。すると兼続は「よしわかった。下人を返して取らそう。だが、あの世に遣いにやれる者がおらぬゆえ、すまぬがそのほうたちが行ってくれぬか?」と言って遺族3人の首をはね、その首を河原に晒してその横に立て札を立て、そこに「この者どもを使いに出すから死人を返せ 慶長二年二月七日 直江山城守兼続判」と閻魔大王への嘆願書を書いたという。義や温情に厚い兼継ではあったが、主筋に無体な要求を繰り返す家臣を捨て置くことは出来なかったエピソードである。

○ 今月の iPhone

先月、私の常用している iPhone アプリについてご紹介しました。 今月はその中で最も愛用している「産經新聞」を紹介してみたいと思います。

必ず毎日愛用しているのが「産經新聞」です

これは優れものです。その日の産經新聞をフル・ページ見ることができます。 画面を指でダブル・タップする(2回叩く)と拡大され、 再度ダブル・タップすると更に拡大されます(上図はまだ まったく拡大されていない画像)。 指を画面上で滑らせて紙面を上下左右自由に移動できます。 片手で iPhone を持ったまま全ての操作ができ、とても使い勝手の良いものです。 レイアウトが新聞紙面そのままなので「ちょっと見にくいかな」とも思いましたが、 慣れてくると快適です。iPhone は明るいバックライトつきなので、 暗い所でも問題ありません。そういう意味では老眼の人にとっては、 むしろ本物の紙面より見やすいと思います。

「産經新聞もフルページ無料で提供してくれるなんて豪気だなあ」 と感心しています。産經新聞へ何らかのキックバックがあってしかるべきでしょう。 毎朝5時頃、目が覚めるとまず布団の中でこの産經新聞を読み、 それから起き出すのが日課となっています。 しかし5時前というのが微妙な時刻。 5時から当日版に切り替わるため、 5時前に見始めるとその前日の紙面ですが、 一旦アプリケーションを閉じ開きなおすと、 当日の紙面がダウンロードされてしまい、 もう昨日の記事を読むことはできません。

極めてシンプルな仕組みながら、とても快適に文書を読める経験から、 iPhone がこれから色々な文書の、 優れたビューアーとして機能してゆくであろうことが予想されます。

○ 今年の建築

そろそろ今年も家を建てたくなりました。 もちろん、本物の家を建てる財政的余裕は将来にわたって絶望的ですから、 縮尺 1/100 の割箸建築です。

割箸建築としては、これで4軒目になります。 最初の作品は かなり拙いものでしたが、 次第に要領も良くなって、今回は完成まで1週間もかかりませんでした。 前回の作品は1年くらい前かと思っていたのですが、 調べてみると2007年4月ですから、丁度2年ぶりになるんですね。

今回のものは別荘ほどの大きさの建物で、老後の晴耕雨読を想定したものになっています。 表のタタキは中国武術のトレーニング場所を想定していますが、 居間を兼ねた部屋も剣術の道場のように、丈夫な板張りとなっています。

居間・和室・浴室から眺められる坪庭があります。 ここに一本だけ木を植えたいのですが、 さて、一本だけとなると何が良いのでしょう。 やはり小振りの紅葉あたりかな、と思っているのですが。 過去の記述を読んでみると、いつも同じようなことを言ってますね。

戦国時代の武士の棲む庵のようなものをイメージしており、 以前のものよりかなりコンパクトに凝縮しました。 塚原卜伝の隠遁していた庵に比べれば、 これでも かなり贅沢かも、、

○ 春の強風

昨日は夜半から強い風が吹き荒れ、夜が明けても勢力の落ちることがありませんでした。 いつものように東側の窓を一杯に開け放ち、 上半身裸で早朝のトレーングをしていました。 羽田を離陸した航空機が、遠くのビルの影から浮き上がってくるのを見ながら 練習をするのが常なのですが、 昨日の朝は飛行機の上がり方が違いました。 離陸して行く飛行機へ向かって強い向かい風が吹くため、 飛行機の仰角より更に上昇度が大きいのです。 丁度、風に乗った凧が、面白いようにぐんぐん浮き上がっていく感じでした。

そして昼のニュースで、成田空港において貨物機が着陸時、 滑走路に向けてバウンドし裏返しにひっくり返って炎上、 操縦士と副操縦士の2名が亡くなったとのこと。 死亡事故は、成田空港開港以来はじめてのことでした。 不運に見舞われたパイロットも、よもやこのような状況は予想していなかったことでしょう。 本当に凄い風でした。

丁度この日は私の誕生日、67歳になりました。 ここのところしばらく、このコラムの更新が滞っていたのは、 プログラミング・モードになっていたからです。 Web 版電子カルテのメンテ・ツールがどうも気に入らないので、 サラから書き直しているところですが、 なかなか面白くハマってしまっています。 あと3年後の70歳になるのを楽しみにしています。 「還暦越えたプログラマー」なんてガキのようなもの。 次は「古稀を越えたプログラマー」なんちゃって、、

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館に入った珍しいお雛様、これも伊豆で目にしたもの

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です