2008.11 遊び心が知能をそだてる

わーくすてーしょんのあるくらし ( 189 )

2008-11 大橋克洋

< 2008.10 iPhone の成長 | 2008.12 理屈ぬきで癒されるもの >

北九州だったと思いますが、 山の中、美しい自然の中の小学校のレポートをやっていました。 一見、山の中の分校に見えるのですが、最近作られた私立の小学校なのだそうです。 校長先生もまだ50才前に見える若い先生です。

そこでは、子供達に生活に即した事を実体験させながら、 関連したことを学ばせています。水田に稲を植え、 小学生達が収穫した稲を足踏みの脱穀機で脱穀します。 カップに入れた米粒を机の上にあけ、 1カップに何粒あるかを数えます。ここから算数の計算問題が発生します。 校庭の片隅に子供達が作ったカマドで米を炊き、食べてみます。

このような行程の中に、理科、社会、算数、国語、工作、家庭科、 その他、あらゆる教科が含まれてくるのです。 明るい日差し、綺麗な空気と緑の中で、 このような実体験をしながら伸び伸びと育った子供達は、 本当の意味で「頭の良い」つまり「賢く頭の働く」 「自然への思いやりある」人間へと 育って行くのでしょう。

私立の学校だからこそできる教育なのだろうと思います。 国としても、このような実体験に添った自然の教育を考えてゆくべきでしょうね。 もちろん、都会で同じことはできませんが、 都会には都会なりのやり方がいくらでもあるはずです。 どんどん「お馬鹿さん」になる教育(マスコミにも大いに責任あり) をやっている日本、 根本から健康的な教育へと変えて行って欲しいのですが、、

「さて、これは何という学校だろう」と、Web を 「自然 私立小学校 北九州」で検索してみました。 あった、あった。ひらおだい四季の丘小学校 というのが、それだと思います。 しかし、この Web site では本当の楽しさが伝わってきませんね。

○ 卒業54年目の同窓会

先月、小学校の同窓会に出席してきました。 同じクラスの同期会は最近毎年開かれているのですが、 今回は同学年合同の会です。われわれの頃は戦後間もなくで、 校舎が足らず近くの小山小学校を間借りして、 午前と午後で生徒を分ける2部授業という形で行われていました。 4年生の時に新しく平塚小学校が開校し、 皆でリヤカーに机や椅子をのせて引っ越しをした覚えがあります。

同窓会の前に平塚小学校に集まり見学会と記念撮影。 われわれの頃の初代校長先生の写真が飾ってあるとのことで、 校長室に入れて頂きました。その反対側の壁に、 初代PTA会長ということで私の父の名前と写真が掲げてあるのには、 大変ありがたく思いました。 その後、中華料理店に席を移して宴。 この小学校も区内生徒数の減少による統廃合ということで、 再来年の春で廃校になり 近くの平塚中学校と統合し、9年間一貫教育校になります。 今回はそういうことで、現校長先生にも出席して頂き、 半世紀以上前の生徒達の姿を見て頂きました。

人間50年以上を経ると、 まったく容貌が変わり誰かわからない人と、 年を経ても一目で誰とわかる人がいます。 わからなかった人も、 話をしているうちに昔の面影が蘇ってくるところも面白いですね。 皆60代半ば過ぎというわけですが、 この年齢になると出席者は 圧倒的に女の子(?)が多いのも面白いと思いました。 定年でガックリきてしまった男性と、 子育てから解放され元気溌剌の女性の違いなのでしょうか。 しかし、会を仕切るのは(元気に出席した)少数派男性陣というのも、 われわれ世代の特徴かもしれません。

○ 「遊び心」とは何ぞや

ここで言う「遊び」は、全身全霊で遊ぶことを言います。 勉強をさぼってゴロゴロしたり、 うだうだゲームをするのは遊びとは言いません。 極端に言えば「命がけでする」のが遊びです。 木登りも、川での魚穫りも、ある意味ではそうですね。 「暴走族」が後年、 普通に歳を経た人間よりずっとまともで前向きの人間になったりするのも、 そんな理屈かも知れません(ま、全てではないと思うので、 暴走を奨励する訳ではありません)。 仕事場にも絶対に遊び心は必要と思います。 古くは MIT メデイア・ラボや Apple、最近では Google など、 社内に遊び心があふれているようで、とてもうらやましい職場です。

私も本当は建築やデザインの世界に進みたかったのですが、 父の意向でやむなく医学部へ。 それでもインターンの頃、 夜学で「東京デザイン・カレッジ」(今は存在しない)に通っていたことがあります。 毎日の授業が楽しく「こんな面白いことをしていて良いんだろうか」 と思っていたら案の定、人生 夢のようなことはそう長続きするものではありません。 父が突然、脳溢血で倒れ、中退になってしまいました。 そんなことで、私がコンピュータにのめりこんだのも 「なら、仕事場に面白いものを持ち込んでしまえ」ということで、 世に先駆け医療の場にコンピュータを持ちこんだのが、 きっかけの一つでした。

人生の中で「夢のようなこと」が突然シャットダウンされる経験は、 その後もう一度経験していますが、それはともかく。 古くは 茶の湯の世界なども、 遊び心から発したものです。優れた芸術品、優れたソフトウエア、 皆そうです。電子カルテ NOA の開発にあたっても、 十分な「遊び心」を反映させたいと思っていますが、 ちょっと ここのところネタ切れ気味か、、

・・・

最近、十分歩ける歳の子が楽をしたいばかりの親に乳母車へ載せられ、 無気力な顔でぼやーっとしているのが、とても気になっています。 しかし、今日は久しぶりに良いものをみました。 舗装された広場で、凛々しくヘルメットに身を固めた5歳くらいの男の子が ミニ・マウンテンバイクに跨がり、まるで電気仕掛けのレーサーのように えらいスピードで走り回っているのに出会いました。 若いお父さんに見守られ、 兄弟らしい女の子もピンクの自転車にヘルメット姿でした。 子供はこうでなくちゃね、、そうでないと知能が発達しません。

○ オフィスアプリの未来はオンラインにあり

これは江島健太郎さん@infoteria の blog にあった言葉 「これについて議論の余地がない」 「オフィスアプリで作成する文章は、 最終的に自分以外に見せるため書くのだから」と書いています。 マイクロソフト社が Web アプリ版 Office を発表したことに対するコメントですが、 私も数年前から そのように感じてきました。

そんなことで、私の「電子カルテ NOA」も5年ほど前から Web アプリとしての開発に取り組み、この5月に実現したわけですが、 やってみると開発も結構快適です。 20数年来いろいろな OS や開発言語に移植を繰り返してきた 「給与計算」や「会計ソフト」など、 他のサイトへ公開するつもりなどまったくないアプリまで 「Web アプリにしてみようかな」と思うほどです。

電子カルテをファイアーウオール外へ公開するつもりは まったくありません。 患者さんが自宅から自分の健診情報などを見られるようサービスを したい気持ちはありますが、 外部に対し自力でセキュリティー確保の確信が 持てないためです。

それでも Web アプリならではの快適さを 十分味わっています。開発やちょっとした修正が楽なのもありますが、 インターネットの世界の色々なサービスと共存できるメリットが大きいのです。 まだ医療用 Web サービスは殆どありませんが、 そのうち増えてくるはずと思っています。 自分のアプリはインターネットへ公開していなくても、 公開されたアプリを LAN 内で利用することはできます。そして 「利用させて頂く以上は、 いずれ何らかの形でインターネットへのサービス提供もしたい」 とも思っています。東京都医師会の医療用 Web サービス「ほっとライン」も、 そのような流れから発生してきました。

電子カルテ NOA は、現状ではファイアーウオールの中、 プライベート LAN 内の利用に限定していますが、 それでも「これからは Web アプリの方が、必ずメリットが多いはず、、」 というインスピレーションを感じています。

○ 足りないものが足りない時代

これも 江島さんの blog タイトル。 ここのところ江島さんの考えていることと、 私の考えていることが共鳴しています。

「朝起きて、お爺さんは山へ芝刈りに、 お婆さんは川へ洗濯に行っていた時代には、 夕餉の支度をしたり風呂を焚いたりして 床につく時間になり、毎日が繰り返されていた」 「しかし今、先進国では何もかも全自動で便利になり、 やることがなくなった人間の脳みそだけが取り残され、 ロクでもないことを考えてグルグル空回りする。 もっとエキサイティングなもの、もっと頭を忙しくするものを求め、 どん欲に外の世界を求める。これが内に向かうと “心の病” を生む」 と書いています。

まさに私が常日頃感じていて、患者さんに話をしていることです。 ここ数年前から、診察室のドアを入る様子をみた途端 「あ、安定剤か何かを服用しているな」と思う方が 目に見えて多くなりました。 「能面のように表情のない顔」「リズムのない身体の動き」 「外界とコミュニケーションをとる気のない会話」。 もっと症状が進むと「とても気持ちの悪い容貌」になってしまいます。

こうなってしまうと、精神科でも心療内科でもない 私にはもう手を出せなくなってしまうのですが、 その兆候に気がついた方には そうなる前に、少し時間をとって お話をするようにしています。 「人間の心と身体は車の両輪」「精神がくたびれた時は、 肉体もくたびれるまで使うこと」、 そうすれば「車の轍は道を踏み外すことなく真直ぐ進む」 というような主旨。若い頃の自分の体験からの話でもあります。

そうした話をして数年後、 見違えるように普通の顔になった患者さんが入って来られた時には、 思わず嬉しくなり「やあ、元気になって良かったね」という言葉が 口をついてしまいます。

、、で、現在の私の毎日は「朝起きると、お爺さんは芝刈りに、 日が暮れてしばらくすれば床に就く」生活となっています。 以前 書いた「ロハスな暮らし」を目指して、、

○ 今月の iPhone

大橋です :On 2008/11/14, at 12:08, S... wrote: :S です。 : ::On 2008/11/14, at 10:26, 大橋 克洋 wrote: ::大橋です : ::例えば iPhone がそうですが、これは画期的に素晴しい道具ですが、 ::世間一般の人は単に物珍しさで騒いるだけで、本当の凄さに気づいた ::人はまだごく限られた人だけだろうと思います。 : :私もその一人です。凄いのでしょうけれど、「何が凄いのか」理解できておりません。 :シンクロしていてとても便利そうですが、購買まで辿り着きません。(^^;  何が凄いかというと、一杯ありますが、、 ・これは MacOSX で動く文字通りのモバイル・コンピュータ ・ユーザインタフェースは「シンプル・イズ・ベスト」の極み ・何と言っても「デザイン、ソフトウエア、そしてコンセプト」が美しい ・色々な人のアイデアによるアプリを後付けで追加できる  そして Jobs の創ったものに共通する「所持することへの満足感」 マイクロソフトには、世界がひっくり返っても無いものですね、、

以上はS君と交わしたメールの一部です。

・・・

iPhone アプリ Google mobile app がリリースされました。 音声で検索ができるとのことで、早速 down load。 マイクロフォンのアイコンを指でタップすると 音声入力スタンバイになります。

なるほど、まだ日本語には対応していないようですね。 日本語を喋ると トンでもないものに変換されます。 あれ? 英語でも認識されにくいな。 さすがに「iPhone」は、何度喋ってみても 正確に文字へ置換されます。 まだ識別能力は低いようですが、 識別エンジンは google 側にあるので、 次第に賢くなっていくのでしょう。期待しています。

 smule の Sonic Lighter という面白いアプリを教えてもらいました。 タバコに火をつけるライターを iPhone 上に再現したものです。 ギザギザのついたライターのノッチをカチッと回すと 「ぼっ」と火がつきます。ゆらゆらと燃える炎は iPhone を傾けると傾きますし、 指で炎を遮ると乱れチリチリと焦げる音がします。 マイクに息を吹きかけると、炎が乱れ、吹き消すこともできます。 非常にリアルです。

暖炉の炎と同様 これだけでも癒し系なのですが、 もっと面白いのは 炎が地球規模でシェアされることです。 アイコンをタップするとリアルな地球儀が現れ、 現時点でこのライターに灯っている炎が見えるのです。 地球儀は指先でくるくると回したり 拡大縮小できます。

明け方、ベッドの中でライターをつけてみると、 日本には2、3人しか点灯している人がいないのに、 米国やヨーロッパは まるで人工衛星からながめた夜景のように、 美しい灯のともっているのが眺められます。 とても癒してくれます。 だいぶ寒くなってきた早朝 これをちょっと眺めた後、 暖かい布団の中からエイやっと起床します。 Apple ユーザならではのアプリですねえ、、

Sonic Lighter の炎の密集度で、 世界への iPhone 普及度を見ることができそうです。 イギリスやフランスの密度が結構高く ロシアや中国はまだ広がっていないようですが、 南米やアフリカ突端まで ちらほら灯火のともっているのが見えます。 さすがに南極では見られませんが、 そのうち南極にも灯がともるかも、、

○ コアメンバーで技術討論合宿

MML: Medical Markup Language の新しい規格の検討について、 MedXML のコアメンバー達と伊豆修善寺のコテージで合宿をしてきました。 医療データを取り扱う規格として、 米国で主流の HL7 CDA、 欧州で盛り上がっている openEHR と ArcheType などの流れの中で、MML はどう対応すべきかという議論です。 最近の Google Health が示した CCR 形式は、 国内で主張されてきたような四角四面のものではなく ある面アバウトですが、非常に実戦的で理解しやすいものです。

一晩のディスカッションで、 明確な結論に収束した訳ではありませんが 「MML は、もう少しシンプルにすべき」 という方向でメンバーの意見が一致しました。 このような規格に関して「世界の動きは、まだ流動的」 「きちっと解析できる構造でさえあれば、 どのような規格を使おうと必要に応じ data mapping すなわちデータ様式の変換をしてしまえばよい」 という、前々からの私の考えに賛同を頂けたようです。

もう一つの収穫は「規格だけを云々しても、 結局それだけで終わってしまい普及しない」 「規格は使って何ぼのもの」 「実運用のモデルを示すことで、初めて理解が得られるのでは」 という共通認識を得られたことです。

このようなコンセプトに添って、 私も少しモデルを考えてみたいと思っています。 電子カルテ研究会( Seagaia meeting )を立ち上げてから13年、 メンバーの平均年齢もかなり上がってきました。 そんなことで、創設の頃の溌剌とした爆発するようなパワーには至りませんが、 窓の外の美しい自然を背景に、 じっくりと楽しい知的ディスカッションの2日間を過ごすことができました。

○ 伊豆の山中、冷たい空気の中で朝トレ

会議の後、皆で温泉の大浴場へ。 湯は ぬるめだったのですが、さすがは温泉、 湯から上がった後も結構身体が暖まっていました。 夕食はコテージでバーベキュー。 早寝の私も、 久しぶりに午前1時半まで楽しい話につきあってしまいました。

翌朝6時過ぎ 1人で布団を抜け出し、朝の散歩。今回は2日とも、 どんよりと鉛色の雲が空を覆い 時々小雨もパラつく天気です。 早朝の伊豆の山の空気は冷たいのですが、 それでも暖流の影響で他よりは暖かいのでしょう、 期待した紅葉はまだまだのようです。

本場中国では、早朝「自然の気」を吸いながらの 武術トレーニングがよく行われるようです。 散歩の途中、トトロの出てきそうな暗い森に続く遊歩道をみつけ、 ちょっとした草原で朝トレ。 今回初めて、そのような環境でトレーニングできました。 トレーニング相手を務めてくれる適当な立ち木もあり、 ごく短い時間ではありましたが、 奇麗な森の空気を吸いながらの朝トレに 大変満足して帰ってきました。

○ 初体験の異次元世界も結局同じ世界

私は創ることなら何でも好きな人間、デザイン、建築、文章、料理、組織、 システム、etc、etc 何でもウエルカムなのですが、音楽は不得意分野に入ります (加山雄三に触発され、大学の頃、幾編かの作詞作曲をしたことはありますが、 他人様にお披露目できるようなものではありません)。

東京都医師会理事には音楽に堪能な方が多く、 理事バンドが年1、2回、 地区医師会職員の慰労を兼ねた忘年会などで 腕前を披露する機会があります。 ギター2組、ドラムス、キーボード、 最近はバイオリンも加わりました(これが実に素晴らしい)。 私もキーボードは得意ですが、言わずと知れたコンピュータのキーボードの方です。 コードを書くのは得意ですが、楽譜でなくソフトウエアのコード。 ということで、いつも舞台を免れていたのですが、 カラオケで唄ったのを聞きとがめられ、 ついにボーカルとして引きずりだされることになりました。

忘年会を前に、秋葉原の貸しスタジオで練習が行われました。 都医バンドのコーチをお願いしているプロのミュージシャンにも お出まし願うということで、いささか緊張が走らないでもありませんでした。 やがて現れたコーチはお一人かと思いきや、 大挙して4名も見えました(楽しみも兼ねての参加だったようです)。 私はこのような中に加わるのは生まれて初めて、 プロのミュージシャンの見守る中で いささか緊張が走らないでもありませんでしたが、 密室のスタジオに はじける大音響の身体にビリビリ響く体験も、 まんざらではありませんでした。

コーチ連が手慰みに昔のグループサウンズを披露

即興なのに、さすがノリのある素晴らしいものでした

さて4時間にわたる練習後の居酒屋がまた楽しかった。 コーチの川口さんが大変ノリの良いかたで、 皆でわいわいと楽しくよく呑み食べました。 コンピュータのユーザ会で学生さんなど若い連中との楽しい会話、 馬術部での盛り上がりなどと共通するものです。 やはり、共通するものに情熱をもつ仲間と過ごす時間は、 対象が何であれ同じなのでしょうね。 で、このミュージシャン達 いずれも中年を過ぎた方ばかり、やー、 ノリのある仲間と過ごす時間は実に素晴らしい、、 これから、ミュージシャンとワイワイやる機会も 是非欲しいなと思いました。 それにつけても音楽的素養のまったくない自分がとても残念。 サックスでも吹けるとよいのですが、、

○ 医療情報連合大会 in YOKOHAMA

今年の医療情報連合大会はパシフィコ横浜の会議センターで開催され、 23(日)、24(祭日)の2日間出席してきました。 この学会も昔は面白い演題も多かったのですが、 最近は魅力的演題が見当たりません。

印象に残ったのは「電子カルテユーザ・インタフェース」のセッション、 大阪大学の松村泰志先生の「多機能の入力テンプレートの開発」でした。 「電子カルテで分析や診断支援するには 構造化データとしての登録が必要で、テンプレート入力が実用的」、 私もまったく同意見。

  1. テンプレート入力されたデータは自然文表現でカルテ中に表示

  2. テンプレートは専用テーブルに格納

  3. テンプレートには、検査データを取り込んで表示したり

  4. 診断基準の判定ロジックも組み込み可能

  5. データはシンプルな専用テキスト・データとして収納

この中で4番目までは、私の電子カルテ NOA とまったく同じアイデア。 最後の項目だけ異なり、松村先生の場合はテンプレート入力されたデータは 専用の文字列フォーマットで格納され、電子カルテ中の表現とは異なるものです。 これに対し NOA では 「電子カルテ中の自然な表現がそのまま格納データそのもの。 テキストデータとテンプレートどちらにも相互変換できる仕組み」 というところだけが異なっています。 松村先生の成果を拝聴したのは、もう5年振り以上になると思います。 お互いに無接触で進化しながら、ほとんど同じアイデアに至っているところが とても面白いなあ、と感動。

もうひとつ「うん、なるほど、その考えもうまく生かせば、 良いかも」と思ったのは、富山大学の中川肇先生の発表。 「病院の医師たちは、なかなか約束処方を作ってくれない。 そこで、電子カルテで処方された薬剤の組み合わせを、 医師・診療科・患者単位で新たな DB へ記憶。ある薬剤が選択されると、 それを含む薬剤グループとしての処方がリストアップされ、そこから選択する。 リアルタイムに更新されるため、例外的組み合わせは淘汰され最新化」。 つまり、約束処方の自動生成のようです。他科の処方も知りたいという要望もあるとか。 病院のように複数医師の処方が集まる場合に、メリットがあるということなんでしょうけれど。

今回の成果はこれだけと言ってよいのですが、 それでも私の脳へは充分な刺激となりました。 また新しい電子カルテへのアイデアが ふつふつと湧き上がる思いで帰ってきました。

それにしても、その他の演題では 「えっ、大学病院の電子カルテでも、まだこんな低レベル原始的段階なの?」 という印象が強く残りました。「医事会計はがっちり出来上がっているが、 電子カルテから必要なものを思うように検索できない」など、耳を疑うような、 思わず「それって、電子カルテかい?」と言いたくなってしまいます。 私の電子カルテでさえ、もう10年以上前に実現していたのに。 単にレセコンにオーダリングをくっつけただけ、 と言ったレベルに思えました。 大病院の電子カルテ開発を担う大手ベンダーの 開発能力の停滞振りをまざまざと目の当たりにしました。 いいお金とるんでしょうにね、、

○ 今月の脳トレ

そんなことで、学会そのものは最近かなり停滞した感じで 面白そうな演題も殆どありません。 参加メンバーも知っている顔は余り多くなく、 医療情報学会も世代替わりが進んでいる気配を感じた今大会でした。 1日目は午前中「地域連携パス」などのセッションを聞いた後、 鈴木君と昼飯を食べに行き、 そのままホテルへチェック・インして、2人でミニ・プログラマーズ・キャンプ。 PHP と Javascript などに関する意見交換を行いました。

今回宿泊したナビオス横浜の周辺には食べるところが殆どありません。 中華街まで歩いても20分程度の距離ですが、 気温も下がってきたことでもあり、 晩は鈴木君と運河を渡って馬車道まで中華を食べに。 さすが横浜、ありふれた小さな店ながら、ここの中華もなかなかの美味でした。 街の飾りつけも、そろそろクリスマス気分、、

一人になってからも、 NOA のアイデアについて構想をめぐらすことができました。 今月は NOA については 細かい部分の改良程度に留まっていますが、 データの持ち方などについて大改装を行いたいと考えており、 これについては少しじっくりアイデアを練ろうかと、

○ マスコミも何でこんなことがわからないかな

墨東病院の妊婦救急搬送問題で東京都は揺れています。 マスコミも産科医療の仕組みをだいぶ理解してきたようですが、 まだ本質をわかってない(わかっているのに 触れないのであれば、それはマスコミの義務違反。詐欺罪のようなもの)。 今回の問題には、産科特有の問題(生命の誕生は自然界でも最も危険率が高い、 にもかかわらず世の中は結果として 神の領域100%でなければ満足しない)などもありますが、 そのベースには医療全体にかかわる重大な危機的問題があるのです。

そのひとつが「医療運営が成り立たないほど極端に削減された医療費」です。 小泉内閣の頃から著明になった「極端な医療費削減」により、医療機関を正常に 機能・維持させるべき収支がまったく成り立ちません (小泉首相の「医療をぶっ壊す」ですね)。 「医師不足」が認識されるようになりましたが、それは当たり前のこと。 医師も家族を養わねばなりません。その中で踏みとどまっている医師の多くが 大なり小なり「家庭崩壊」の危機を背負っているはず、、 どのような企業にあっても「勤労に見合う給与や待遇なくして、必要な 技術者の確保困難」なことは自明の理です。

このような中で、二階経産相の「政治の立場で申し上げるなら、 何よりも医者のモラルの問題だと 思いますよ。 忙しいだの、人が足りないだのというのは言い訳にす ぎない」との発言は 大ヒンシュクを買い、国会の場で 商務情報政策局長に文書を代読させ撤回となりました。

このような現場をまったく知らない人間が国務を取り仕切ることにより、 わが国の色々な現場が本来負うべきでないものを背負い、 無駄なマンパワー、血税が浪費されているんだなあ、と実感するところです。

話題を賑わしている国民への「定額給付金」、いわゆる 「バラまき問題」ですが、お年玉程度(以下?)の給付金の支給に 費やされる経費はかなりのはずです。 しかもこの程度の金額は、支給されても ほとんどの場合、いや間違いなく、 アブク銭として浪費されるでしょう。こういうのを「本末転倒」と言うんですね。 まとまった金額なら、国民のため役立てることができるでしょうに。 麻生さんが口癖のように言っていた「まず、やらねばならないのは景気対策」というのは コレのこと? まさか、冗談でしょ、、 「国は金がないから医療費削減は断行するんだ」と言っていたのは何?

そんなことを書いていたら、 国民年金に深くかかわっていた厚生省元次官やその家族が 相次いで刺されるという事件発生。 世の中、どんどん、おかしな人間が増加しつつあります。

○ 迷走する日本

十四大都市医師会連絡協議会で、 お茶の水女子大の藤原先生(「国家の品格」の著者) の講演を拝聴する機会がありました。 印象に残ったことを、断片的ですが書き留めて置きたいと思います。 正確な文言は覚えていないので、多少 私の脚色が入るかもしれません。

  • 世界に抜きん出ていた日本の凋落

    • むかし「民度」は、国民がどのくらい文字を読めるか、すなわち識字率で表せた。 わが国は明治以前から、ヨーロッパを遥かに凌ぐ識字率を持っていた。 ヨーロッパでも識字率2割に満たない頃、日本は5割前後の識字率があった。 あちらでは貴族しか文字を読めないのに、日本では平民がまったく当たり前のように 文字を読み書きすることに、外国人のびっくりした報告がある。

  • なぜ、こうなってしまったのか

    • 終戦とともに米国 GHQ が日本の危険な種を絶やそうとした。 その作戦は大成功で GHQ が退いた後も、 その方針を何と日教組が受け継いだ(まったく同感、 私なら これにマスコミを加えます)。

  • 市場経済主義が世の中をどんどん悪くした

    • 市場経済主義、すなわち「金儲けが一番の目標」との考えが、 米国に発し、日本をも蝕んだ。小泉内閣は、その極み。 企業のトップの思惑が政策を決めるに当たり、 大きな影響力を持っているため。 小学生に株を教えるなど、何を考えているのか。

  • 国を司るものの能力低下

    • 最近、国は「改革、改革、、」と称して、 従来のシステムを模様替えするのが流行だが、 「改革」の後には必ず「改悪」がついてくる。良くなった試しがない (これには、強く同意しますねえ、、)。 「現在の日本を駄目にしているのは結局、国民自身である」 国民がもっと賢くならなければならない。 日本国民の民度は国際的にも低下してきている。

  • 日本の教育は今、何をやるべきか

    • それは「読み書き・ソロバン」。 小学生の教科に英語を入れるなど、とんでもない。基礎学力としての 日本語がしっかり話せず、どうして英語を話せるのか。 同様に算数も基礎として重要(ちなみに藤原先生は数学が本業)。 教師や親が言うことを聞かない子供をひっぱたくのは教育上 当たり前、 (中学生になると、こちらが負ける可能性があるので)小学生のうちに、 しっかり 引っぱたいておく(笑)。

私が常々考えていることを、より過激にズバッと言われ、 胸がすっきりする思い。私なら読み書き・ソロバンに「体育」を加えます (私自身は子供の頃、体育の授業が苦手でしたが)。 講演が終わった後の、 会場からの拍手は、いつもより長かったように思います。 数日後「国家の品格」を購入しました。 面白いですね、一気に読めそうです。 今回の講演内容は「国家の品格」のサマリーと言えそうです。

ニュースを賑わせていた 麻生首相の頻回にわたる漢字の読み違いなども 遡上に上がるかと思っていましたが、それはありませんでした。 数日後も、首相の「社会常識の欠けた医者が多い」発言などもありました。 一国の宰相が、こうも母国語を粗雑に扱うのは悲しいですね。

○ 今月の歩術

今まで余り深い興味を持たなかった「載氏心意拳」に興味を持つようになりました。 YouTube の画像の中の中国女性のトレーニングで かなり威力のありそうな突きの動作を見つけました。 これは「形意拳」のトレーニングですが、 躯体の動きはどう見ても載氏心意拳だなあと思いました (もともと、載氏心意拳と形意拳は同源だそうです)。

載氏心意拳の特徴は、独特な躯体の動きです。 まず背中を丸めて蓄勁します。嘔吐する時 反射的に背中を丸める、 あの感じです(凄くぶざまな姿勢なので、以前はまったく魅力を感じませんでした)。 そのような姿勢から、一気に身体を伸ばし発勁します。 その動きは大きくありませんが、 丹田に溜め込んだパワーが一気に爆発するため、 相手に当たった拳や躯体からの威力は凄まじいものとなりそうです。

中国武術に限らず武術の動きは、ローリング、ピッチング、ヨーイングの動きです。 ところが極限すれば、載氏心意拳はピッチングだけと言えばわかりやすいでしょうか (ちなみに船で言うと、ローリングは前後軸を中心として左右に回転する揺れ、 ピッチングは左右軸を中心として船首を上下に振る揺れ、 ヨーイングは上下軸を中心として左右に船首を振る揺れとなります)。

中国武術は一般にそうですが、足音なく一気に相手との間合いを詰めます。 載氏心意拳の達人は砂の上を歩いても足跡が残らないほど、 静かな歩法で相手に接近し一気に打つとか。 その基礎トレーニングに「片足を胸につけるほど引きつけ、 降ろす時は反対足を十分伸ばし、頭を天に向かって伸ばす」というものがありました。 やってみると、なるほどほとんど足音がしません。 これは基礎トレーニングであって、実際にはこのコツを身につけた後、 5m ほどの距離を音もなく瞬間的、風のように移動して敵を打つことになります。

街中でこのままの歩法は やたら目立ちますので、 そのような「つもり」で歩いてみました。 おお、なるほどこの縦方向の動きで歩くと、疲れも随分少ないようです。 しばらく、この要領を会得するよう歩いてみようと思います。 西欧人のようなスマートな歩きではありません。

○ 東京も久しぶり澄み切った空気

比較的どんよりと曇り空の多かった今秋。 11月中旬を過ぎ朝は気温10度を切り、 一点の雲もない秋晴れがみられるようになりました。 日本海側では降雪の報も聞かれ、福井県では早くも除雪車の出動も。

写真は11月20日、13F自宅から見た夕焼けの富士山。 この後すぐに日は落ち、外を眺めていた末娘が呟きました 「箱根の山を走っている車のヘッドライトが見えるんだよねえ」 家内が「ウソでしょ !」。 私も窓ガラスに額をつけ、暗い山裾を眺めてみました。 しばらく眺めても、それらしきものは見えません。 「あ、あそこ、また見えた」娘の言う山裾を見ると、 確かに思ったより明るく大きな光が見えて消えました。 しばらくすると少し移動したあたりで、またチラッと。

へえー、箱根の山を走る車のヘッドライトが、 あんなに大きく明るく見えるとは。住んでもう25年にもなりますが、 初めて知りました。娘は、大分以前から気がついていたそうです。 晴れた夕空に光る金星くらいの光。 そうなると、このように空気の澄んだ頃には、 もし富士山の上でもヘッドライトをこちらに向ければ、同じように見えるのでしょう。 新しい発見に、心躍った夕闇でした。

3方 高層マンションに囲まれ、 視界の開けているのはこちら側だけになりました。 ここも、真下の平塚小学校が、平塚中学校へ移り小中一貫校となります。 またと得られない広い敷地、 木を植えて森林公園にすべきと思っていますが、 ここに高層ビルでも建ってしまうとすると最悪。

映画で、第二次大戦中の軍艦が探照灯(サーチライト)のシャッターを開閉し、 光で信号を送り合っているのを見て 「格好良いなあ」と思った覚えがあります。 富士山頂に別荘でもあれば、 自宅の居間との間でサーチライトによる 信号の送受信ができるということです、ふーむ、、

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石垣を覆うビロードのような苔(修善寺)

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です