2018.03 人生はポジティブ思考で

わーくすてーしょんのあるくらし ( 301)

2018-3 大橋 克洋

常にポジティブ思考の竹内智香選手@五輪スノーボード女子パラレル大回転

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◯ 超ポジティブ思考の竹内智香選手

前回のソチ冬季オリンピック、スノーボード女子パラレル大回転で惜しくも銀メダルだった竹内智香選手をこのコラムでも取り上げました。彼女のガッツから今年の平昌冬季オリンピックでは「ぜひ金を」と期待していたのですが、残念ながら準々決勝で敗退。メダルには届きませんでしたが、何事もポジティブ思考の彼女のことですからメゲていないと思います。以下は竹内選手の紹介記事の要約です。

小学生でスノーボードを始めてから20年余り、今年34歳の彼女は5回目の五輪出場。23歳でナショナル・チームから外され拠点をスイスに移した「自分の中で諦めをつけようと思って。本場で強い選手と力の差を感じたら、悔いなく競技をやめられるんじゃないかと思って」。だが乗り込んでみたら「あまり差を感じなかった」。5年間スイス代表に同行し強豪の中でもまれたことで、世界のトップ選手へ成長。ナショナル・チームを切られたのはマイナス要素、でも、それが結果的にプラスに変わった。トレーナー曰く「金が獲れなかったらではなく、金が獲れたらどうしよう。それを一切疑わない心の強さがある」。

ソチ五輪で銀メダルに輝き、順調に見えた競技人生が暗転したのは2016年3月ドイツでのワールドカップ。試合中に転倒し左膝の前十字靭帯を断裂し、全治10ヶ月の診断。ただ、ここで「良いタイミングで怪我をした」と考えるのが竹内流。つらいはずのリハビリもどこ吹く風「次の五輪までの4年間はとにかく長いと感じていたが、短く感じさせてもらって良かった」「平昌五輪で金メダルを獲った時、良いストーリーになる」。術後3週間で自転車トレーニングが始まり、8週目で走れるようになった。「立てるようになって、走れるようになって、ジャンプできるようになった。赤ちゃんの成長みたいで意外と楽しい」。

竹内が口癖のように繰り返すのは「全て必然」「怪我や挫折、体調不良さえも、これが何かのプラスになると思えば、いつだって前向きになれる」「私、世の中にネガティブなものはないと考えているので」。今回破れても竹内は笑顔だった。「やっぱり金メダル獲って100点満点っていうのが一番のストーリー。でも、やってきたことに満足しているし、やりきれたっていう意味では100点満点」。彼女の原動力は超筋金入りのポジティブ思考だ。

私も竹内選手の「何事にもポジティブ思考」に大きく賛同します。たった一度の人生、ネガティブに考えるより、ポジティブに考えた方がずっと得じゃないですか。

私も楽天的なので、半年のうちに2度も入院生活を経験しても、初めての経験を楽しみ「リゾートに来たような生活」と思ったものでした。私の今までの人生で最大の試練、前の家内が突然の脳腫瘍で余命幾ばくもないと告げられ、脳出血で闘病中の父と心労でこれまた倒れた母。小学校入学したばかりの長女からオムツのとれない次男まで幼児4名。元気な大人は私一人ということになり考えたのは「これだけ最悪のことが起こったんだから、今度何か起こるならもっと良いことに違いない」。そして実際そうなったのでした。

◯ タイミングに乗れた人生・乗れなかった人生

平昌五輪が終了して息つく間もなく、スピードスケートW杯今季最終戦がベラルーシ・ミンスクで行われました。平昌で金・銀・銅メダルを獲得した高木美帆選手、五輪で持てるエネルギーの限りを使い尽くしたかと思われるのに、返す刀でこちらでも個人総合優勝と種目別女子1500メートル優勝の快挙を達成して帰国。超人的な素晴らしい結果を出してくれましたが、会見での発言は極めて謙虚なものだったのにも感動。

しかし考えてみると、おそらく高木選手の人生における最も良い時期に五輪やW杯が重なったということもあるのでしょう。

そこへ行くと、スキージャンプ・ワールドカップで53勝を挙げ、世界でも負け知らずと言われた女子スキージャンプの高梨沙羅選手、期待されたソチ五輪ではメダルを獲れず平昌五輪では銅メダルを獲得したものの、かつての負け知らずの姿は観られませんでした。このような例は他にも沢山あります。女子フィギュアの浅田真央なども、ロシア男子フィギュアの帝王と言われたプルシェンコはじめ名だたる世界の名選手達から高い評価と尊敬を集めながら、2度の五輪は彼女のピークのサイクルとうまく合致しませんでした。

このように人生には波があり、人生をめぐる環境にも波があります。それを運・不運と思うか、「そんなこともあるさ」と軽く受け流し淡々と生きるか、ここでも前述の竹内智香選手のポジティブ思考が思い起こされます。

しかし、このようなものを超越する例として、女子レスリング個人で世界大会16連覇、個人戦206連勝を記録する吉田沙保里選手のような凄い人もいます。タイミングや人生の波など力で撃破してしまう人ですね。しかし「良いところで辞めないと」とハラハラ見守ってきたのですが、最近の彼女の姿を観ていると流石にそろそろ身を引くのかな、、

、、、それから数日した3月24日、ドイツで行われたノルディック・スキーのワールドカップ.女子ジャンプで高梨沙羅が通算54勝目を挙げ、男女を通じてW杯歴代単独最多となりました。沙羅ちゃん、オリンピックは駄目だったけど、世界最高を獲れてよかったね。本当におめでとう!!

◯ 今月の歩術

今月も相変わらず1日平均6キロ強歩いていますが、これだけ歩きを絶やさないにもかかわらず、ちょっと脚力の低下を禁じ得ないのは年齢のせいなのでしょう、ああ、やだなあ。それでもまあ平地は自信があるのですが、先日の登山で階段状の大きく脚を上げる登りに明らかな能力低下を認めたので、今月はなるべく横断歩道橋の階段のある経路を通るようにしています。

東京都医師会理事をしていた頃は、毎日のように地下鉄神保町のホームからエスカレーターを使わず階段で地上まであがり、会館まで絶え間なく続くダラダラ坂を上がって、会館入口の守衛さんに挨拶したらエレベータを横目に階段を6階まで上がっていました。あの頃なら、今回の登山ももう少しいけたのだろうなあと、、

最近、意念していることは、骨盤周囲をなるべく柔らかくすること。昨年引退したフィギュアスケートの浅田真央ちゃんがトーク番組で、なぜあのような動きが簡単にできるのかと問われ「自分は身体が柔らかいからだと思います」と答えているのを観ていて、「そうだよなあ、身体を柔らかくすることはとても大切」と考えたことから。これは今に始まった話ではなく、このコラムに何度も書いてきたこと。しかし、ともすると、以前考えていた「やるべきこと」を忘れている自分に気が付き、再び気を引き締めるのでした。

◯ 今月の脳トレ

昨年6月で診療を辞め、電子カルテ NOA のユーザさんからのリクエストやコメントなどもしばらく途絶え、ずっと電子カルテ開発から離れていたのですが、NOA へ追加機能の要望を頂いて、久しぶりに NOA の改良にいどみました。ほぼ1年近く開発作業から離れていたので、勘を取り戻すのに結構かかるかなと思っていたのですが、1,2日程度でほぼ元の開発モードに戻る事ができました。

今月23日で76歳になるということで、そろそろ開発能力の低下を心配していたのですが、まだまだ大丈夫そうです。久しぶりの開発モードに没入。診療を辞めてから、早朝散歩で1日平均6キロほど歩くのを除けば毎日が日曜状態、結局昼間は前夜録画した TV 番組を見たりして過ごすことが多かったので、頭の運動もしなくちゃなと思っていたところです。

一旦開発モードに入ると問題解決を見るまで、それが楽しくて一気呵成にあっという間に時間が過ぎてしまうのは若い頃と変わりません。今まで TV 漬けだったのが、開発モードになると一変して没入し TV を見る暇もなくなります。それでも何か物寂しいのか、開発をしながら iTunes で音楽を流すようになりました。面白いものですね「ながら族」の習慣。

開発ネタが思いつくうちはこれで良いのですが、昨年のように開発しつくしてしまって全くネタの思い浮かばない時はどうしようもありません。これを商売にしなくて良かったとつくづく思うものです。医者の卵になりかかる頃、夜学でデザイン学校に通っていました「こんな面白いことやっていて良いのだろうか」という楽しい時間でしたが、その時ふと思ったことは「しかしこれを商売にすると、ネタが思い浮かばない時は塗炭の苦しみだろうな」ということでした。クリエイティブなことは趣味・道楽でやっている分には良いのですが、商売となると無理やりアイデアをひねり出さねばならないのは、かなりの苦痛。

そう考えてみると良い芸術作品というのは、それを生業とするのでなく、あくまで趣味・道楽でやるのが正道なのではないかなと思います。以前このコラムに書いたことがあるのに名前は忘れましたが、有名な陶芸家でそのような方がおられたはず、、

、、で、このページから「陶芸家」で検索をかけてみたら出てきました。2015年3月号、川喜田半泥子 (1878-1963)、日本の陶芸家・実業家・政治家。当初は陶工に作らせていたものの納得がいかず、50歳を過ぎてから本格的に自分で作陶するようになった。半泥子は自分が素人であることを誇りに思い、素人こそ優れたものを作れるという自信を持っていた「玄人は欲せざるに作り、素人は欲して初めて作る」。まさに、私の心境ですねえ、、

◯ AI について

最近は AI:人工知能 という言葉をよく聴きます。東京都医師会主催の「医療と IT シンポジウム」に参加してきました。かつて私が都医理事をしていた頃、主幹していた年1回のシンポジウム。今年のテーマは医療連携ですが、キーノートスピーチに AI の話がありました。

この中で「AI が有効に機能するためには正確なデータが必要」という話がありました。ここで私の中で敏感に反応するものがあったのですが、ディスカッションの時間にあえて手を挙げ発言することはしませんでした。シンポジウムの進行が、演者達への発言を求める時間に多く割かれ、フロアーから意見を延べる時間が極めて少なかったこともあります。

今からおよそ30年位前にも、人工知能という文言が世の中で盛んにもてはやされた時代がありました。会場の多くの人は知らないことかも知れません。あの頃も「医療に人工知能を使うとしても、肝心の元データが新患受付時のかなり大雑把なものから始まるので正確な解析は難しい」という話がありました。当時も「人工知能で自動診断」という話が主だったのですが、私が強く思ったことは「人工知能を使ってまずやらねばならないことは、新患受付の問診やカルテ記述作業の正確化へのサポートではないか」ということでした。

そして、これは現代でもまったく同じに言えることです。人工知能の活用というと殆どの人は「高度なことに使ってこそ意味がある」と思いがちですが、私は「もっと低レベルなところをしっかり固めるために活用してこそ、その先がある」と確信するものです。

◯ 巨大 IT 企業の功罪を考えていく時代に

米国の IT 企業 Google, Facebook, Apple 3社を合わせた財政規模は、日本の国家予算に匹敵するそうです。凄いですね。恐らく Amazon などもそれに続くのでしょう。

WWW いわゆる Web が今月、誕生から29年目を迎えたことを祝って WWW の発明者 Tim Berners-Lee が書簡を公開したそうです。当時知る人も少なかった NeXT コンピュータに私が思いっきりハマり、世に先駆けて電子カルテを作っていた頃、彼も NeXT を使って Web を創り出したのでした。以下はその書簡の要約です。

Berners-Lee は「何年も前に多くの人々が接続していた Web、かつてはプログやウエブサイトが豊富に揃っていたが、今では幾つかの支配的プラットフォームの強力な力によってそれが圧迫されている」「こうした権力の集中は、新たな門番たちを生み出した。そして一握りのプラットフォームが、人々に閲覧され共有される考えや意見を選別することが可能になっている」と述べている。また彼は女性や貧困層、農村地域や低所得国で生活する人々のデジタル格差をなくすことについても意見を述べた。

情報だけでなく物品販売その他のサービスにおいて、今や巨大企業が世の中を席巻しつつあります。これには「良質のサービスを安価でスピーディーに提供する」という面で、私自身も大きな恩恵に浴しているわけですが、一方で Berners-Lee が危惧するような面もあることは事実です。このような大量物販システムにより、私の周りでも街から文房具店・書店・写真屋・化粧品店・魚屋・八百屋などが消えていってしまいました。

かつての Apple のテレビコマーシャル。1984年スーパーボールに合わせリドリー・スコット監督が作成した「全体主義的社会を称賛するビッグ・ブラザーの演説を黙って聞いている灰色の聴衆達。会場に走り込んできた赤いパンツの女性がハンマーをビッグブラザーの画面に投げつけ一瞬にして世界が変わる」というもの。今から見るとちょっと皮肉かもね。

Berners-Lee の創った Web を初めて見た時、思ったことは「これからはマスコミなど限られたものだけが情報発信するのではなく、個人でも世の中に向け情報発信ができる時代」「Web により極めて便利な世の中が来る。これは多くの人達が情報を発信してくれるから。自分もできる範囲でよいから情報発信をして恩返しすべき」「今まではマスコミなど情報の発信者に情報の良し悪しの責任があったが、これからは清濁合わせたインターネットの中で情報の受信者にこそ情報の良し悪しを判断する責任がある」「清濁合わせ受け入れるインターネットにこそ、一部の権力者による弾圧などに対抗する力が生まれる」などなど、、

しかし当時私が期待した「受信者にこそ情報の良し悪しを見分ける責任がある」などの精神は、従来と変わらぬ「他者依存」の抜けきらぬ一般世論によりなし崩しになり「インターネットに悪い情報を流す者が悪い。規制すべし」となり、国によっては「一部権力者による情報の独占的コントロール」が行われつつあります。嘆きは Berners-Lee と同じですね。

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これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です