2010.02 機能維持に必要な適度のストレス

わーくすてーしょんのあるくらし ( 204 )

2010-2 大橋克洋

最近はめったに見られなくなった東京の雪

昨夜半うっすら積もり朝日で溶ける前 iPhone に収めました

誰もが思い描く理想は 「何の苦労もなく、楽しいことばかりして過ごす生活」でしょう。 しかし「待てよ?」と思うようになりました。 それって、きっと幸せではないよなあ、、 先日も TV で 100歳のお婆ちゃんが言っていました 「苦しいことが沢山あったから、今は天国だよ」 「苦しい思いをしなけりゃ、本当に楽しい思いなんてないんだよ」と、、

今月は、バンクーバーで冬季オリンピックが開催されます。 長い期間、辛い思いと我慢を重ね 人一倍ストレスにさらされた選手達が 大きなプレッシャーの下、 世界を相手に戦います。栄冠を手にした選手たちは 最高の「幸せ感」をつかむはず。 スランプだったフィギアースケートの真央ちゃん、 韓国で復調による優勝の感想として 「適度な緊張がよかった」と言っていました。

身体にせよ何にせよ 本来の機能を維持するには、 ストレスも必要と思うようになりました。 きっかけは後述のようなことです。 電子カルテ開発をしながら 「うーむ、すると、ソフトウエアにも適度なストレスが必要なのかな。 どんなストレス?」などとも思いました。

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○ 現代人の体温

「ここ数年忘れていた寒さの感覚を感ずるようになった」 「体温低下があるのだろう」と先月書いた原因が判明しました。 昨秋入院後の体力低下でやや自信喪失。 気温の低い日の外出 スーツの下に毛糸のベストを着用、 これまで なかったことです。 「もしかして、」と ベスト着用をやめたところ 「寒い」という感覚が消失しました。

ちなみに ここで言う「寒い」という感覚は、「背中がぞわーっとするような」感覚。 「寒い」という感覚がなくなっても 「冷たい」という感覚は存在します。

産科医は、いつ分娩が始まるかも知れぬ常時 臨戦態勢、 冬でも半袖の白衣。長年の習慣はお産をやめた今でも変わりません。 腕を出しても 躯幹だけは温めるようにしてきました。 しかし外出時はスーツやコートなどを着ます。ベストは余計だったのです。 肝臓や筋肉など熱生産器官が「これだけ暖かければ 熱生産を落としてよいだろう」と、体温も低下傾向にあったのでしょう。 やはりある程度、躯幹にもストレスを与える必要があるということでしょうか。

NHK で「現代人の体温低下」を取り上げていました。 電車の中で、毛糸のマフラーグルグル巻きに厚いコートで身を包んだ若者たち。 「よくあんな格好で暑くないなあ、、」「そうか、彼らの体温はきっと低いんだ」と、 前々から気になっていました。 番組では「低体温の解消にはどうしたら良いか」。 私に言わせれば、そんなこと極めて簡単 「栄養のバランスよく、しっかり食べること」「厚着しないこと」 「よく歩くこと」と、極めてシンプル。

案の定、彼らは ほとんど運動せず、食事もファーストフードなど。 もっといけないのは 「寒いからと言って厚着すること」「首、手首、足首に厚着し、背中にはカイロ」。 これでは熱生産器官が「稼動の必要なし」と判断し、 熱生産を落とすのは当たり前。耐寒能力はどんどん低下します。 身体のどこかは寒さにさらし、 適当なストレスを与えないと熱生産が起こりません。 熱生産効率を上げるには大きな筋肉を使うこと。 「やや速い速度で一定時間歩く」のがシンプルで効果的。 私は駅から8分ほどの徒歩だけでも、帰宅すると秋口でも汗ばむほど。

子供たちの体温も低下しているそうです。 普通、子供の体温は大人よりかなり高いもの、以前の子供達のように 動きまわれないからと思います。 ここでまた「歩ける子供を、ベビーカーに乗せる親達」を思い出してしまいました。 体温低下は「だるい」「身体の調子が悪い」などの症状とともに 「免疫力を落とす」ことが報じられていました。 がん細胞の発育なども低体温の方が多いはず。 やはり「日本はスポーツ立国にすべき」という私の考え、 もっと大声でいうべきかなと、、

○ 体温と言えば

昔の絵を見ると、江戸時代など昔の人、 特に平民は冬でも薄着ですよね。人間と言うのは、ある程度 環境に順応する能力を持っているからなのでしょう。 当然、今の私などよりずっと耐寒能力が高かったに違いありません。

2月7日:とても寒そうな北風の吹きすさぶ音が窓を揺るがす日曜の朝。 写真に撮ると霞んでしまいますが、空気の透明度が高いため 富士の山がいつもより格段に鮮やかに、 丹沢の山々の残雪を伴って望むことができました。

昨年の暮れに近い頃にも、すごく冷たそうな強風の吹き荒れる音で 何度も目が覚めた晩がありました。 朝起きてニュースを見ると、F1 レーサーだった片山右京が南極登山の予行演習で 富士山へ登り雪原へテントを張っていたところ、 夜中にスタッフ2名が強風でテントごと飛ばされ滑落。 2名が凍死という悲惨な遭難事故が報じられました。 昨夜の風の音から想像するに、富士山の寒さはさぞ厳しかったろうと、、

後から考えれば無謀な登山という見方もあるでしょうが、 多くの人が右京の心情を思いやってか、非難の声は余り聞かれなかったようです。 私にとってもうひとつ大きな関心ごとは、 凍死したスタッフ2名と右京との差です。 もともとの体力の差なのか、装備なのか、状況なのか。 おそらくは3番目なのだろうと思うのですが、、 非常に印象に残ったできごと。ここに書き留めておきます。

○ バンクーバー冬季五輪

日本選手のパワー、今回かなり盛り上がらなかったように思えるのは残念。 現在の日本の若者たちのおかれた状況、国力を表しているように思えます。 もちろん例外として、ガッツある若者も居ない訳ではありませんが、、

アルペン種目の滑降競技は凄いですね。 あの物凄いスピード感を制御して滑り切るのは、 日本人には向いていないのでしょうか 「いやいや、そんなこともないかも、」と思ったのでした。 太平洋戦争末期、とっておきの精鋭を集めた「343空」という紫電改による戦闘機部隊。 日本本土を襲う米国機動部隊の戦爆連合を迎え撃たんと、 生き残り練達の戦闘機乗りに周到な訓練をほどこした部隊でした。 そこで終戦わずか数週間前に戦死した「菅野 直」大尉を思い出しました。

高校生の頃、台風で増水し荒れ狂う川を友達と泳いで渡って登校。 さすがに帰りは友達が尻込み、彼だけ泳いで渡りきったという逸話もありますが、 海軍に入る前は文学にのめり込んだ青年だったそうです。 戦闘機乗りになってからの活躍めざましく、 難攻不落の B29 への攻撃方法を工夫し 正面上方から背面飛行で近づき 真っ逆さまに急降下一撃する方法を編み出しました。 「B29 編隊から雨あられの集中砲火もハンパじゃないけど、 相手も相当怖いはずだよ」と言っていたとか。 相手の搭乗員の顔が見えるほど近づいてから 射撃していたため、有効率も非常に高かったようです。 その菅野大尉であれば、アルペンの大滑降も命知らずのスピードで カッ飛んで行ったのではないかと、、

○ 浅田真央、背中に大きな「日の丸」

日本フィギュアスケート陣、男子は初の銅メダルでしたが、 何より期待の女子フィギュア陣。 練習状況やショート・プログラムの結果から 「浅田真央が韓国のキム・ヨナに勝つのは容易ではないな」。残念ながら案の定でした。 決戦フリー・プログラム出場を待つ真央とキム・ヨナ。 真央は白いイヤホン、懸命に雑念を払おうと見えましたが、 隣のキム・ヨナは何食わぬ顔で平然。 ここでもう勝負はあった ということだったのでしょう。 キム・ヨナには強い「気」、 真央は「柔らかさ」でした。しかし 勝負はやはり「気」です。緊張をほぐす「柔らかさ」に「気」が入った時こそ、 真央の真骨頂が発揮されるのだと思います。残念ですが4年後を待つしかありません。

試合直後のインタビュー、しばらく声も出せず、 彼女の大きな悔しさが胸に伝わってきました。 畳み掛けるアナウンサーに「もう、そっとしておいて」と言いたいところでした。 「キム・ヨナに負けた悔しさ」ではなく「自分に対する悔しさ」 だったに違いないと思ったものです。 後で本人の口からそのような言葉も聞かれました。 それが真央の素晴らしさ「芯の強さ」ということです。

表彰台に登った3人が国旗を背中にはおってウイニングラン、 背中の大きな日の丸の旗はとても真央に似合っていました。 日本でも星条旗やユニオンジャックの服装など よく見かけますが、日の丸の絵柄は見ることがありません。 右翼と見られるからでしょう。これはとても悲しいことだと思います。 真央の背中の大きな美しい日の丸をみながら、 普段の生活で自分の国旗を胸を張って見せびらかせない という文化は何なんだろうと思いました。

○ 今月の歩術

うちのマンションも築28年とあって、 エレベータのケーブルとモータの交換工事がありました。 その間10日近くにもわたってエレベータがまったく使えません。 午前中の外来と午後の都医出勤とで、 13階まで階段を2往復しました。 私自身はどうということはないのですが、このマンション結構お年寄りも少なくないので、 さぞ大変だったことでしょう。

7年以上前になりますが、歩いていてつま先がつっかるようになり 「これは、まずいぞ」と思い、毎日1度は13階まで階段を登るようにしていた時期がありました。 1年以上続けたのですが、その割には余り効果がないように思えてやめてしまいました。 最初の頃13階へ到着すると、 息が切れていて電話がかかってきても 即答できなかったのですが、 次第に息切れの回復が早くなってきました。それなりの効果はあったようです。

エレベータの箱自体は交換しなかったのですが、 システムが新しくなったことは明白に感じられます。 アナログ表示だった階数表示がデジタルになるとともに、 音も無くスムースな動きになりました。 28年前に比べ 加速度のコントロール技術が加わったためと思います。 とても気持ちが良いですね。

○ 15 年ぶりの NeXus 同窓会

昔、非常に活発な活動をしていた NeXus(日本 NeXT ユーザ会)の すずきひろのぶ さんから「NeXus 同窓会をやりましょう」と 本当に久しぶりのメールを頂きました。会場は東京ミッドタウンにある 森川さんの Cisco 社会議室。 集まったメンバーは 森川、稲垣、鈴木(ひろのぶ)、大橋、植田、下、八谷、塩谷の8名。 ほぼ15年ぶりの再会で、ヒゲを剃った ひろのぶさん、 大分昔のイメージとは違ってしまって、 最初「あれ?誰だったかな」という感じもありました。 塩谷さんなど当時のイメージと寸分違わない人もいたりして、 とても懐かしく話が弾みました。

自己紹介を兼ねた近況報告で、 関連する色々な IT 話に盛り上がりました。 話が一段落したところで、森川さんの会社の TV 会議室の見学。 二手に分かれて別々の会議室へ、写真のような会議が行えます。 高解像度の画面はサクサク自然に動きますし、 相手の位置が会議机の向こう側に実寸大で見える、 自然な画像をもたらす間接照明、 音声が話し手の居る位置から聞こえるなど、 とても自然な感じで素晴らしいものでした。

相手の画面下に表示されるプレゼンなど 「うーん、使い易く、うまく考えられているな」。 下さんからも「IT 技術者が考えると、正面スクリーンの横に表示するとこですけどね」 との意見。そうですよねえ。もうひとつ素晴らしいことは、 このシステムが事務機器として販売され、 オペレータ・レスであること。日本医師会の TV 会議システムもかなり使い易くなりましたが、 音声で苦労したりして、お守りする専任スタッフを必要とします。

この設備の価格は現在1千万ほどだそうですが、 海外など遠方との会議より むしろ同じ都内など近い位置同士の支社との定例会議などを ターゲットにしているとか。複数の支社を統合するだけでも 通常かなりの費用がかかることを考えると、 往来の時間その他を考えてもペイする可能性が高いとのことでした。 30年以上前、東芝本社の大会議室の見学で、 各テーブルのマイクや大画面に投影されるプレゼンなどに 驚き感激しましたが、あれ以来です。 感動の元は「すべてが自然な感じ」というところでしょうか。 将来は自宅に居ても、こんな感じで遠方の人と話ができるようになるのでしょうね。

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自宅から見える夜明け この景色も隣のビル建設で

前面にそびえ立つ大きな壁面となり

今月をもって永久に見えなくなってしまった

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です