2015.07 ものを豊かにより心を豊かに

わーくすてーしょんのあるくらし ( 269)

2015-7 大橋 克洋

いつもの朝の散歩道

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◯ ものを豊かにより心を豊かに

すこし意訳ですが、これはミャンマーのアウンサン・スー・チーさんの言葉。ものの豊かな先進国や、それをめざす国の人々が肝に銘ずべき言葉と思います。一定の年齢を経ると物欲を抑えるのもそう難しくなくなります。しかし、ここで言われるのは若い世代を含めてのことでしょう。若いころの物欲はなかなか抑えがたいものがあり、修行僧のような禁欲は無理としても「不要なものはなるべく求めぬようにして、その分心を豊かにしましょう」ということだと思います。

世界を見渡しても特に上昇機運にあるアジア諸国には、限りなくモノを求めるが故に近隣諸国と問題を起こしたり、地球の資源を食い尽くさんとしているかの様相が見えます。かく言う日本も他人のことは言えないわけですが。スー・チーさんの言葉はこのような事象に対するものでしょう。これは個人としても深く考えるべき言葉です。

私の年代になると物欲を抑えることもさほど難しくなくなります。TVで世界各国の美しい景色や珍しい景色などを身近に見ることができるので、別に海外旅行に行きたいという強い欲求はありません。以前、米国西海岸へ行った時「なあんだ、いつもTV番組で見慣れた景色じゃないか」ということで違和感もありませんでした。強いて言えば周りがすべて日本語でなかったこと。当たり前ですね。TV番組のように字幕や吹き替えがないため、違和感というほどではありませんでしたが、そこだけちょっぴり「違うかな」と思ったところ。IT 化の進んだ現代では、バーチャルなものである程度満足できるものも多くなりました。

いろいろとやりたいことは沢山ありますが、この年令になるともう無理かなと思うことは「生まれ変わってからやれば良いさ」と思うことで何も葛藤はありません。そんなことで、物欲より心の豊かさというスー・チーさんの言葉にとても共感しました。これこそが「世界平和」「人類だけでなく地上の生き物たちの幸せ」のため、世界の誰もが心がけるべきことと強く思います。単に「戦争反対、平和、平和」と叫ぶのではなく、このように本質をとらえた発言こそが本当の幸せや平和のため大切なことではないでしょうか。

で、かく言う私、結構心豊かに暮らしていますが、長年の間に自分の部屋に沈殿したモノたちを処分しきれず悩んでいます。これを捨てるのも何かもったいないし、あれも何時か役に立つことがあるのではないかと、、捨て去るには結構時間がかかりそうです。

◯ チャレンジングな仕事が老後の脳を維持

現役時代、意思決定をハードに使う仕事に就いていた人は、老後の思考力や記憶力において、そうでなかった人の2倍の能力を維持するのだそうです。「仕事内容に決定権を持ち戦略構築や衝突を解決する管理職」「情報を判断し解釈する言語的な仕事」「注意深くデータを分析する流動的な仕事」などが高齢時の脳に有益で、管理職がもっとも効果が高いよし。

仕事上で既存のルールや命令に従いルーティンをこなすのではなく、自分自身で様々な問題解決をし、全体を俯瞰しながら日々決定をくだす仕事が最も脳の健康に良い影響を与えるそうです。仕事からリタイアしようとする人に「仕事をやめるとボケるよ」という言葉が投げられますが、その通りというわけですね。

もしそうだとすると、一国一城の主として長年診療所を自己責任のもとに取り仕切り、電子カルテ開発で日々工夫を重ねる生活は、老後の脳の健康維持に有益なのかも、、

◯ 私にお似合いの車は

facebook で「私にお似合いの車は」というテストを紹介され、やってみたら私にお似合いの車はどんな障害物も構わず突き進むハマーだそうです。

Hummer H1

もうちょっと優雅な車が当たるかと思ったのですが、こんなゴツイのが私の相性とは、、ううーん、でも先月も書いたように、ハズレてはいないかも。戦場で使われるハマーに魅力は感じますが、普段はそれほどゴツくないせめて SUV くらいにして欲しい、、

で、もう一回やってみた。今度は「ポルシェ」がお似合いと出た。そうこなくちゃね。しかし Hummer も Porsche も私の好きな車でよかった。いずれにせよ、どちらの車も自分のものにする気は毛頭ありませんが、こうして考えているだけでも心豊かになる。

免許証は今春返上しましたが「今、自分が持つとしたらどんな車?」と考えてみました(前にも同様のことを書いたような気がする)。昔乗っていた BMW も好きですが、かつて世界ラリー選手権で活躍したスバルにも興味がある。大好きなメーカー、ホンダには現在手元に置きたい車がない。昔から好きだった背の高い方の mini cooper も乗ってみたい。枯れた車ということで、シトロエンの 2CV あたりは良いなあ。同様の車として、もし復刻版があれば空冷水平2気筒のトヨタ・パブリカかな。パブリカは初めて持った車だったので、何のことはない原点回帰か、、などと、たわいのないことを考える、、

◯ 2015年は観測史上いちばん暑い夏に?

2014年は地球史上最高に暑い夏だったそうですが、このままいくと今年はそれを更に塗り替えそうなのだそうです。私の体感的には、もっと暑い夏が数年前に何度かありましたが(夜になっても外気がフライパンの底状態だった夏)、観測的にはそうだったんですかね。今年の6月は観測史上最も暑い6月だったとか。そう言えば6月の上旬でしたか、ものすごく寝苦しい夜があり、真夏だけかける扇風機をかけて寝た記憶があります。私は寝室に冷房をかけるのが嫌いで、やむを得ない場合のみ扇風機で穏やかな風を送りながら寝ます。

外気温を示すデジタル気温計があり毎朝それを見るのですが、昨日の朝は30度あり、予想したようにその日の昼間は外を歩いてもそよぐ風は熱風のようでした。今年は珍しく梅雨らしい梅雨で雨がよく降り、その間は結構涼しかったのですが、梅雨明けとともに猛暑がはじまったようです。ここ3年ほど、朝の外気温を私の健康記録とともに記録していますが、検索してみるとそれが30度を超えたことは昨年には無く、一昨年に3日だけでした。

地球の温暖化が顕著なため、特にヨーロッパでは化石燃料で走る車の規制が少しずつ強化されることが決まっているそうです。トヨタなどが EV 車に力を入れているのは、今後ますます強化される化石燃料規制を見越してのこととか。

◯ 今月の歩術

ここのところやや体力が落ちたのか中国武術の練功がだいぶ少なくなっていますが、朝の歩きの方は相変わらず週に3,4日は続けています。朝6時になるともう朝日が結構昇っていて暑いのですが、今朝は早起きできて5時45分ころ家をでることができました。この時間ですと、夜はすっかり明けていてもまだ朝日が低いので、いつもより街の影の範囲が広いですね。

今朝の外気温は26度、この気温だと風もまだやや涼しく気持ち良く歩けます。それでも暑くなりそうなので、4 km 弱短めの経路を歩いてきました。それでも帰宅する頃には顔にびっしょり汗。洗面所で顔を洗うのが気持ち良い。

最近の歩きのポイントとしては、腰から下には力を入れず腰で歩く・足底をべったり地面に着け地面を感じて歩くなどでしょうか。巡航速度も以前と比べればちょっと上がってきています。

◯ 今月の脳トレ

電子カルテ NOA の開発ですが、最近は落ち着いたのかユーザさんからのリクエストも少なくなっているので、今月は少しソース内容の整理をしています。NeXT 譲りの Cocoa で NOA を作っていた頃は Framework という仕組みを使っていました。Web アプリになってからは php や javascript を勉強しながらということもあって、あの頃の綺麗に整理された構造が曖昧になっています。そこで少しずつ構造を整理しようと。

ウインドウや伝票形式のものを framework で統一するようにしました。手直しする部分は無数にありますが、MacOS の開発環境 Xcode を使うと、このような「藁の山から針を探して処理」するような作業も、かなり能率的に実行できます。そうしてひと通りの作業が済むと、他には案外 framework としてまとめる部分が見当たらないのに気が付きました。

さあて、次はどこをどのように整理し能率化するかなと、、

◯ Google photos

Apple 製品とともに最近は Google のサービスを使うことも多くなっていますが、最近 Google photos という写真蓄積サービスが始まったので使ってみました。おー、なるほど。Apple の「写真(以前は iPhoto だったかな)」と殆ど似たようなものですが、最近では写真の枚数が増えてきて Apple のクラウド上で果たして全部保持しきれるのかどうか心配になっていたところなので、google photos も併用することにしました。

どういうわけか最近 iPhone で撮った写真が自動的に Apple のクラウドに反映されないことが多くなったような気がするのですが、google photos も昨年以前の写真は何もせずに同期してくれているものの、最近の写真が同期されていません。その理由を色々と調べまくり試行錯誤した結果わかったこと。iPhone の google photos の「アシスタント」を開き「写真をバックアップ」を作動させることにより、クラウドと同期してくれるんですね。昨年以前の古い写真は明示的にこれをしないでも同期されていたのが、どういう理由によるものかはイマイチ判らないのですが、、

よく見ると「フォト」「アシスタント」の他に「コレクション」というのがある。ここには Picasa が google に吸収される前から作っていたアルバムも存在。「わーくすてーしょんのあるくらし」に掲載する写真は、このアルバムに載せたものの URL を指定して表示しているので、今後は便利になりそう。やってみると「フォト」の中の個々の写真の URL も取得できるので、これをこの Web に貼ってもよいのですが、「フォト」は整理する時に削除してしまったりする可能性もあるので、Web 掲載用のものは今まで通り「コレクション」の所定の場所にコピーしたものを使ったほうが安全そうですね。

ということで、コレクションにある画像の URL を取得して Web に貼ってみた。あれ?画像が出てこない。よく見ると長い URL の尻尾が途中でちょん切れているようだ。やはり駄目か。Picasa のページにある画像の URL を取得してみると、こちらは大丈夫のようです。やはり、このコラムの画像としては今まで通り Picasa を使う必要がありそうです。

◯ Apple Music

同様に最近始まったサービス Apple music を使ってみました。何かまだイマイチよく判らないのですが、Apple が勝手に薦めてくる楽曲やミュージシャンの曲を聴いてみています。いつも寝る前には iTunes の音楽を枕元の iPhone を充電しながら流し、仕掛けたタイマーで自動的に終了させるようにしているのですが、このような使い方をするのに Apple music は良いですね。

いつもは自分が手に入れ iPhone にダウンロードした楽曲を使うわけですが、Apple music を同じように使える。知らなかった曲を聴けるのでレパートリーが広がります。これが Apple の意図するところでもあるのでしょう、、

◯ シリコンバレー 多様性の欠如?

ある雑誌の「シリコンバレーは多様性で進歩が見られないのか?」というタイトルに目がとまりました。ここ数年シリコンバレーの多様性の欠如が大きく取りざたされているとか。で、何が書いてあるんだろうと読んでみると、要するに以下のようなことです。

活動家たちからのプレッシャーを受け、グーグル、フェイスブック、ツイッターなどの大手 IT 企業が社員構成についての統計を年1回のダイバーシティ報告書で開示。そこで確認されたのは、社員の大多数が白人男性で占められていたという事実。経営幹部でこの傾向は更に高く、グーグル 72%、フェイスブック 74% が白人。この数値は他の IT 企業でもおおむね似通っているとか。もっと多人種を参加させるべき、ということのようです。これを非難する活動家については書いてなかったのですが、クジラやイルカの捕獲へ闇雲に反対活動をしている某団体のようなものなんですかね。

これを読んで「それって普通じゃない、何でいけないの?」という素朴な疑問。多様性を求めるとするなら、母国以外の国で母国以外のスタッフの割合を多くした運営をするというのが自然なのでは。日本企業などは、そうやっているのではないでしょうか。

ちょっと前に、別の書物で「第二次大戦前までの欧米諸国の植民地主義により、ネイティブが虐げられる話。もっと昔、欧米諸国が銃と十字架をもって上陸、インカ帝国の絶滅、米大陸のインディアンやオーストラリアのアボリジニの大量虐などの話」を読んだばかりです。シリコンバレーの話はこれらへの反動なのかも知れませんが、何かとても違和感を感ずるのは私だけ?

◯ そもそもの日本人の感性

日本に帰化した「小泉八雲」を TV でやっていました。彼は日本人の奥さんをもらい、彼女に手伝ってもらいながら、日本に昔から伝わる「日本の昔ばなし」をまとめました。多くが怪談に属するものですが、現在では多数の言語に訳され世界中の人に読まれているそうです。人間の本質に伴うものなので、文化のまったく異なる国でも理解されているのだとか。

ここで紹介されたのが青柳のはなし。「若い武士が旅の途中の山里で、年老いた両親と暮らす青柳という名前の美しい女性にめぐりあい妻に迎える。さまざまなことを乗り越え、二人には子供が生まれ幸せな毎日を送るが、あるとき彼女は突然亡くなってしまう。実は彼女と両親は柳の化身であり、柳が切り倒されたため、彼女は武士の腕の中で着物と簪を残して消えてしまったのだ。山里を訪ねた武士が見たのは、切り倒された3つの柳の切り株だけだった」。他にも紹介された怪談がありましたが、どれも最後は悲しい話。

とても印象に残ったのが、この後のコメンテーターの「昔の日本人は、このようなことがあっても誰かを恨むとか非難するということなく、あるがままを受け入れながらその余韻を味わった」というような意見。もちろん、昔の日本人でも誰かを恨んだり非難することが全くなかったとは言えないでしょうが、農耕民族の特性というか、天から与えられた運命を素直に受け入れるというようなことはあったのかなと。

何かあれば、すぐ他人を恨んだり非難する傾向が日本人に顕著になったのは、戦後、欧米の考えが色濃くなってからのことでしょう。そして最近はそれがさらに顕著になっているようで、嫌な世の中になったと思っています。自然の中で素直に暮らしていた昔の日本人と、機械文明のなかで忙しく暮らす日本人、本当の幸せを感ずるのはどちら?

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散歩で見かける庚申尊

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です