わーくすてーしょんのあるくらし ( 338 )

大橋 克洋

2021.04 散る桜のこる桜も散る桜

今年は桜の開花が早かったので4月には既にやや葉桜

◯ 散る桜 残る桜も 散る桜

これは良寛和尚の辞世の歌と云われています。特攻隊員が出撃前に遺す辞世の句としても使われた、ちょっと悲しい句ですが、桜大好きな私としては好きな句です。桜を詠った句を調べてみると案外、夜桜を詠んだ句が多いんですね。桜の句を幾つか、、

吉原や 雨の夜桜 蛇の目傘 (正岡子規)

夜桜の 一枝長き 水の上 (高野素十)

夜桜に しこたま冷えて 戻りけり (高澤良一)

桜花 何が不足で ちりいそぐ (小林一茶)

あの桜 消ゆれば 明日はただの山 (中尾杏子)

コロナ禍の中、大勢が密集する花見は避けるよういわれていますが、私はまだ殆ど人のいない早朝散歩で大好きな桜の花を存分楽しませてもらいました。中でも目黒川の川面を背景にした懸崖の桜は、散歩しながら鑑賞するにはなかなかよいものです。

◯ 今月の歩術

今月も1日平均8キロ少々で月間200キロの目標を達成。数年前のようにガンガンには歩けなくともマイペースの歩き、8キロ以下では物足らなく距離を延ばしています。

極力省エネの歩きにせざるを得ない状況の中から自然と歩術を工夫することになるのですが、それにより明確になってきたことは「歩法は一定ではなく、状況により変化する」。

以前も書いたように、歩きはじめは若い頃のように「両足をまっすぐ伸ばしスッスと歩く」、2,3キロも行くと「足底を水平にべったり着けるような歩き」、やがて疲れてきたり上り坂では「軸足はやや腰を沈め地面深く根を張る意念、水平に浮かした反対足を前方へ進め滑らかに着地」というのが、最近の歩き方となっています。

疲れてきてからは「意」と「気」を心に歩いています。「意」は「前進しようという意志」、「気」は「腹の底から発する気力」、これで疲れにメゲず歩き続けられます。一時は苦手になっていた上り坂も、最近ではまあまあになってきました。しかし、75歳以前のように「上りも下りも何の苦もなく」という具合にはいかなくなっています。

4月初め頃はスポーツシャツにベストでしたが、20日を過ぎるとベスト無しでも大丈夫になってきました。それでも早朝とあって歩き初めは肌寒さを感じます。数年前ならもっと前にベストを脱ぎ捨てていたのでしょうが、齢を重ね耐寒能力も落ちてきました。以前なら、もう半袖シャツなのに、、

長距離歩行については以前のような自信はありませんが、毎日の歩行距離に関しては、あの頃より延ばしています。以前は1日4,5キロが普段の歩きでしたからね。ああ、これにはコードレス・イヤフォンから流れる音楽の力があるかも。iPhone に設定したウオーキング用プレイリストではいつも同じ曲順を使っているので、流れている曲により現在ほぼ何キロ地点にいるかがわかるのです。

そろそろ羽衣ジャスミンの咲く季節。以前は花が見えぬうちから漂う香りで「あ、どこかで羽衣ジャスミンが咲いているな」と判ったものですが、最近は花に近づいても臭わない。うーむ、齢で嗅覚も落ちてきたんだなあ(いえ、コロナの症状ではありませんよ)。

日もかなり延びてきました。以前ならようやく空が白みはじめていた6時15分頃、今ではとっくに夜が明け明るくなっています。寒い時期は日の当たるところを選んで歩いていたのに、もう日陰を選んで歩いています。歩くには今が一番良い季節、もう一ヶ月もすると暑くなって、歩きも今ほど快適ではなくなるかもね。

◯ 国民性の違いはどこから

ロシアや中国、北朝鮮などで繰り返される大規模な粛清など、我々から見れば極めて残虐性の高いことが繰り返されることについて、なるほどそういう考えもあるのかという文章を読みました。興味深かったのでご紹介します。

日本やドイツは相続において不平等な「直系家族」であり、「人間は本質的に違うものである」という差異主義が植え付けられている。そのため指導者階級と非指導者階級の違いをすんなり受け入れることができる。徳川の日本の瓦解も、すんなり受け入れられた。

しかし「共同体家族」の中国ではそうはいかない。「王侯や将軍・宰相となるのに決まった家系などまったくない」「人間は本質的に同じである」という普遍主義が植え付けられている。そういった人達を抑えるのは簡単「暴力」になる。従って熾烈な粛清も中国史、ロシア史では当たり前ということになる。

ちょっとまだ腑に落ちないところもありますが、なるほどとも、、島国で鎖国も長かった日本では自然と直系家族が多くなったことは理解できます。そうなると長い歴史の中で家長制などが醸成され、「生まれつきの違いの存在」が受け入れられてきたのでしょう。従って暴力を使って無理やり従わせる必要も少なかったということですね。

もうひとつ別の方の書かれたもので、こんなものがありました。

西欧の民主主義から見ると、中国には民主主義がないと思われる。しかし、西欧的民主主義は個人主義に基づくもの、これに対し中国では全体主義に基づく。多くの中国人は生活がそれなりに回っている限り不満は余り感じない。従って習近平を敬う中国国民は多い。

なるほど、そんなものですかね、、現在のコロナ禍では、3密の原則に従わない例など散見され、注意すると逆ギレする例も。個人情報を巡っても見られることですが、現代日本では「個人の権利を履き違えている」のではないか。特にコロナでは「公衆衛生の面」から「集団のため、個人の権利をある程度がまんする必要がある」「本当に自分のためを思うなら、全体の中の自分として見ておかないと結局損をしますよ」ということ。理想的な民主主義は「自分の属する集団全体を見据えた個人主義」ということでしょうかね。

話を元に戻して、大きな災害などに直面した行動などをみると、日本式の方が文化度というか民度は高いと思うのですが、客観的にみて如何なものなんでしょうか、、

◯ FAX について再び

ニュースにこんな記事が載っていました。

河野太郎行政改革大臣は「霞ヶ関の各官庁で使用しているFAXがテレワークの阻害要因の一つになっている。結局FAXのあるところに担当者が来なければいけないという話があるが、メールに切り替えれば少なくともFAXが原因でテレワークができないという部署はなくなる。そろそろFAXをやめることを真剣に考えていかなければならない」と強調。また各国大使と面会した際「自国では博物館に置かれているファクシミリという機械を日本では現役で使っている」と皮肉られたエピソードも紹介した。

これについては、このコラムでも度々書いてきました。そもそもは1987年1月このコラム第1回で「一昨年から FAX を入れ大変便利をしている。 当時すでに UNIX を電話回線に接続し uucp とオートダイアルアップで 特定の場所とはメールが行き交っており、 FAX など入れてもいずれコンピュータに置き換わるからと導入を拒んでいたのだが、 途中で考えを変え少しでも早くその恩恵に浴した方がよいとのことで導入した」と書いています。つまり1985年頃から「FAXなどより、メールの方が便利」と思ってきました(当時、e-mail はまだ一般化する前でしたが)。

私が地元医師会の理事をしていた頃、医師会会員の殆どがメールなど使えない時代、医師会業務合理化のため会員にFAXを導入してもらうよう、かなり大きな努力と年月を要しました。ところが現在では、その医師会員たちがFAXからメールへの切替を拒んでいます。若い先生たちは別として。

ことほど左様に医師には保守的な方が多いのですが、しかし、これは悪いことではありません。医療では「過去長い時間をかけ安全が確立された技術を使う」のが安全。医師の多くが次から次へと新しいものに手をだすようでは危なくて仕方がないではないですか、、

当時は「今では酒屋でも八百屋でもFAXを導入しているところが多いんですよ」と医師会員を説得したことを覚えています。

そんなことで、現在でもFAXでないと連絡できない所が幾つかあって、とても不便をしています。河野大臣在任中に何とかなると嬉しいんだがなあ、、

ところでFAXって和製英語なんですね。FAXが日本に入ってきた頃、米国在住の先生とお話する機会がありFAXの話をしたところ「ファックスという言葉、米国では卑猥な言葉にとらえられます」とのこと、「ではあちらでは何と呼ぶんですか」と尋ねると「テレ・コピー」とおっしゃっていました。

◯ 池江璃花子選手への応援

競泳日本選手権で100mバタフライ・100m自由形・60mバタフライ・50m自由形の4冠を飾った池江璃花子選手、例によって日本国民が感激、マスコミがこぞって報道しています。こうなるといつも私が心配するのは「マスコミによる加熱報道で、折角の可能性が潰されはしないか」つまり「贔屓の引き倒しにならないか」。

ところが、私の心配は杞憂?こんな記事がありました。

番組中、アナウンサーの「池江さんを全力で応援したいという気持ちとメディアや皆が期待することが、池江さんの負担にならないかと気持ちが入り交じる時があるのですが、私達はどのように応援すれば池江さんにとって心地よいでしょう?」という質問に対し、池江選手は「私はプレッシャーがわからないタイプで、東京五輪を期待されていた時も絶対メダルを獲りたいという気持ちがあって声援や応援が自分の力になっていたと思いますが、病気をしてからプレッシャーを感じていたのだなとわかりました。ですが、今ここまで戻ってきて、応援されることでプレッシャーはないです。応援されていることが自分のパワーに全てなっていると考えてもらって大丈夫ですので、たくさん応戦してもらえばもらうほど、強くなっていくんじゃないかと思います」と微笑んだ。

ということで、ちょっと安心しました。池江選手の強がりでなく、本当にそう思ってくれることを願って、、

最初の100mバタフライ、トップでゴールした池江選手の思わず咽び泣く姿から、彼女が白血病という重大な病気からの復帰で、どれだけ辛い練習を耐え忍んできたかが思われ、私もグッと来るものがありました。かつての東京五輪バレー・ボール「東洋の魔女」の優勝の時もそうでしたが、私はこういう「根性もの」にとても弱いんです。

「目標は4年後のパリ五輪、東京五輪は目標にしていない」と話していた池江選手ですが、今回の成績で2つの五輪出場権を得て、通過点としての東京も視野に入れるようです。

ところで、今度は全米ゴルフ:マスターズで松山英樹選手が日本人男性で初の優勝、どのチャンネルを回しても大きく報道されています。日本中が湧いているようですね。

私はゴルフには全く興味がなのであれなんですが、、

◯ 幸福度について

現代の日本人の幸福度は低いのだそうです。ある人の書いたものを読むと、、

ベトナムの若者に「今、一番欲しいものは?」と尋ねると:

250キロ離れた実家に帰るのに、仲間とバイクに二人乗りし運転を交代しながら帰っている。うちの親の夢でもあった車が欲しい。

より良い生活がしたいという欲求が、ベトナムの若者の強い意欲となり「国の活気」となっているように思う。同じ質問を日本の新卒一年目の社員にしてみると、、

Aさん:うーん特にないですね。あつもり(ゲーム:あつまれ動物の森)が欲しい。

Bさん:普通に暮らせるだけのお金と時間ですね。

車は欲しい?:

Cさん:電車で何処にでもいけますから、いらないです。

Dさん:維持費が無駄なので。どこか行く時だけレンタカーかカーシェア。

出世したい?

Eさん:まあ、どちらでも。給与が見合えばですね。

Fさん:生活に困らなければ仕事は楽な方がいいです。

ベトナムから見ると、日本はとても豊かで安全で幸せな国に見える。私の祖父の時代は、自動車を持つことに憧れ洗濯機や掃除機もない時代だったから、それを獲得していく過程はさぞ楽しかったと思います。最近サバイバル生活をやりました。木を切って家を作り、いろいろなものを自力で集め豊かになっていく過程はとても楽しい。これってアツモリと同じかも知れません。自分で工夫し努力したことが、豊かさの実感を伴い返ってくる。

私も生まれた頃から車があるのは当たり前、今の新卒の子はインターネットすら生まれた頃からある。過去には調達する必要のあった電気・水道・ガスも、今は初期設定。

始めからあれば、失うことの辛さはあっても、あることの幸せは感じられない。「ない」ことの辛さがあって、はじめて「ある」ことの幸せがしっかり感じられるのだと思います。

いつも私が書く「辛い思いを乗り越えてきたからこそ幸せはある」の原理。そこで、ふと思ったこと。

馬術部の納会などでよく学生に話すこと「自分が入部した頃は廃部寸前の状況。OBに寄付をもらいに行くと『試合に出ると敗けのお前らに出す金はない』と、ケンもホロロに追い返された」「チクショー!!と思って臥薪嘗胆、自分が上級生になった頃には大会で優勝。卒業数年後の我が部は関東学生大会で学習院と優勝を争うまで強くなった」という話をし、「試合は勝ってナンボ」という話をするのですが、何となく白けムードというか、若いOBは「試合では怪我なく、部生活は楽しく」。試合に敗けても、私達の頃のように地団駄踏んで悔しがるでもなく、「次は勝てるようがんばります」と言い訳のような話を長く明るく、、

これって、上記ベトナムと現代日本の話にリンクするものなのでしょうか、、

「別に苦労して勝たなくたって、それなりに楽しいからいいじゃん」という感じなんでしょうか。私達世代のような「臥薪嘗胆、苦しい思いを乗り越え掴んだ勝利の最高の味」を知らないから? 現代でも池江璃花子に代表されるような若者もいるんだけどなあ、、

この調子だと、着々と軍備拡張しながら領土拡張しようと袖まくりしている中国共産党がやってきたら、すんなり敗けちゃうぞ、、その危機感もないんだろうなあ、、


◯ 参ったな、モバイル・スイカが使えなくなったぞ

ある日突然 Suica にチャージできなくなりました「あれ?何でだろう」、そこから試行錯誤・悪戦苦闘の泥沼にハマることに、、

いろいろ試行錯誤ののち iPhone から Suica を一旦削除し、再インストールしても駄目。mobile suica で設定している VISA カードのためかなと、VISA の設定を試したりと、、

どうも VISA と Suica との接続の問題のようなので、VISA に問い合わせると「不正アクセス対応のため使えない設定にしていましたが、申し出により復旧しました」との返事。色々試行錯誤を繰返したので、それが「不正アクセスの可能性あり」と判断され接続を切られていたようです。「アクセス遮断された時は、メッセージくらい出ないんですか?」と尋ねると「通常は電話でお知らせするのですが、携帯番号が登録されていないので」ということでした(ちなみに自宅電話は登録してあるのですが、こちらはオレオレ詐欺対策として常時 留守番電話に設定してあるんです)。早速、携帯電話も登録することにしました。

一方 Suica の方も試行錯誤ののち、ログインさえできなくなりました。パスワードを訊かれるので、以前設定したはずのパスワードを入れても受け付けられず「この Suica は使えません」と言ってくる始末。さんざん格闘した結果、Suica のサポートセンターを頼ることに。「電話での回答はいたしません」とあり、web site の問い合わせフォームで Suica が使えない状況を伝えると、2日ほどして回答のメールが来ました。「Suica が使えない状況になっていたので、使えるようにしました」との返答。こちらも VISA カード同様、不正アクセスの可能性ありと判断されていたのでしょう。

ということで、悪戦苦闘2日を経て、ようやく mobile suica 復活。やれやれ、ホッとしました。これが使えないとホントに不便なんだよね。コンビニ、スーパー、電車、タクシー、自販機、すべて Suica に頼る生活になってるもんで、、

教訓として「Suica などのトラブル対応では、あまりいじくり回していると不正アクセスと認識されてしまうので注意」。40年以上コンピュータと付き合ってきて、トラブった時は極力自力で試行錯誤のバトルをめげることなく続けることにより解決してきた経験が、必ずしも正しい対処法ではなくなった時代に入ったことを悟りました。それって、自分にとって結構難しいことなんだよね、長年の慣習を変えることだから、、

◯ 今月のコロナ

これまでは東京の感染者数が国内で常にトップを占めてきましたが、阪神で変異株ウイルスの報道があるとともに大阪での感染者数がダントツに増加し始めました。感染者数増加をある程度抑えられている東京を尻目に、大阪の感染者数増加が医療崩壊を起こすレベルになってきているようです。東京もいずれ大阪レベルになることが予想されます。

感染者数の急速な増加が止まらない状況を受け、大阪に次いで東京にも三回目の緊急事態宣言が発出されました。大きな打撃を受ける居酒屋などから反発もないではありませんが、緊急事態宣言も三度目ともなると世の中の人々の対応はイマイチ鈍いのがとても気になります。テレワーク、公共交通機関利用者の減少、街中の人の減少など、一時のように目立った変化になっていません。この調子では、感染の抑え込みは叶わないでしょう。

私自身は、もう今生でやるべきことはやったので何時おさらばしても一向気にしません(もし次の人生があるなら、やりたいことは沢山あります)が、経済低迷・生活困窮を一刻も早く改善したいなら、人と人との接触を避ける「三密」を国民全員が心にして対応、文句を云わず耐え忍ぶべきです。ウイルスは人から人へと感染するのですから。

変異株ウイルスによる急速な感染拡大による医療逼迫に対し、入院ベッド増床なども云われますが、それより何より「何としても感染拡大を抑える」ことがキモ。世の中の人達、もっと気を入れてやって欲しい。私が外に出るのは、病院受診・たまに近所スーパーで買物程度、散歩は毎日欠かしませんが早朝とあって行き交う人は極めて少なく近接しない。

世界でもやや遅れをとっている日本のコロナワクチン接種が、今月からようやく始まりだしたのですが、国民全体に行き渡るには少なくも今年一杯はかかるのではないでしょうか。ワクチン接種により多少のリスクはあっても、私は家族への感染防止のため摂取を受けるつもりです。しかし困ったのは、卵アレルギーはじめ各種アレルギーをもち、結構重大なアレルギー反応を何度も起こしたことのある家内は摂取を受けることが難しいこと。

ワクチン接種が行き渡るようになっても、インフルエンザ予防接種がそうであるように毎年摂取する必要があると思われます。いやあ〜、地球も大変な時代に入りました。これが単なる回顧話になるには、あと何年くらいかかるんでしょうかねえ、、

書斎にて79歳の近影