2014.05 電子カルテ NOA 25周年

わーくすてーしょんのあるくらし ( 255)

2014-5 大橋 克洋

5月初め早朝の散歩「さつき」の花が満開でした

< 2014.04 難問は分割せよ | 2014.06 歩々是道場 >

◯ 継続は力なり

今月で「電子カルテ」が大橋医院で稼働を始めて丁度25年目を迎えました「継続は力なり」。まだ「電子カルテ」という概念もなかった時代、当時は「電子カルテ WINE」というネーミングでした。これが日本で初めて、ということは世界でも初めて?電子カルテが臨床現場で稼働を始めた時と思います(20年近くインターネット上でこのように公表してきましたが、誰からの反論もなく、それ以前の電子カルテの記述を見たこともありません)。

あれから25年間、開発開始から数えれば29年ほど、たゆまず電子カルテの開発と現場での運用を続けてきました。当初からこのコラムでも予想したように「電子カルテは、まず小回りの効く診療所で草の根的に発祥し進化する。そして電子カルテの概念がほぼ固まる頃、大病院がその大資本を活かし電子カルテを積極的に運用するようになり、電子カルテという概念が世の中に広まる」という流れで進んできました。

さて、これからはどのような流れになるのでしょう。まずひとつは、かなり以前このコラムにも書いた「電子カルテは医療のカーナビ」になるだろうということ(このフレーズは、その後某大学の某先生にも引用されました)。「プロの運転手はカーナビの言うとおりには動かないが、彼らにとってカーナビはあると便利な道具」、同じように「電子カルテは医療秘書として色々なアドバイスや検索結果を示してくれるが、医師はそれを参考にして自分の判断で医療を行う」ということですね。機械も間違ったり嘘をつくことがありますから盲従は絶対駄目です。これからの流れ「ドローンの自動操縦」「推論思考」などに代表されるインテリジェンスを電子カルテも持つようになるはず。

私にとってこのようなことを考えるのはとても興味深いこと「さて、どのようなアイデアで、どのような方向にそれを伸ばしていこうか」、楽しく試行錯誤ならぬ思考錯誤を巡らせています。

◯ Dream come true ?

少年が紙や針金を使って作った Red Bull のマーク入りの精巧な F1 の模型を blog で公開したところ、思いがけず Red Bull からオファーがあり、本物の F1 の設計チームに雇用されることができたという動画を観ました。確かに根気と時間をかけて作られた精巧な模型。このようなものを作る情熱と能力を持った人間を採用するとは、とても柔軟な発想を持った大人たちだなと感心しました。日本ではあり得ないんじゃないでしょうかね。

別のニュースですが、現在日本ではアプリケーションを創る IT 技術者が枯渇しており、一人の技術者の獲得に7倍もの競争率とか。そうなんでしょうね、電子カルテ NOA を思い切ってオープン・ソースとして公開した理由のひとつに「もしかして、このプロジェクトを一緒に進めようとする仲間が見つかったら良いな」ということがありました。しかし、大分前から「自分でアプリケーションを作ろう」という人が、どんどん減少したように感じていましたが、やはりそのようですね。電子カルテを手がけようとする幾つかの業者さんから引き合いはあったものの、皆さん途中でメゲてしまったようです。

私は非常に良い時代に生まれました。車をいじりはじめた頃、ボンネットを開けてもエンジンルームはスカスカ、メカも簡潔でいじりやすかった。パーソナルコンピュータが世に出た頃も同様でハードもソフトも原始的、素人でもとっつきやすかった。なので、まったくの独学で数種類の開発言語を渡り歩き、電子カルテその他のアプリケーションを作ることができ、ここまで来ました。特に私がどっぷり浸かっていた NeXT マシーンの頃は NeXT 用にアプリを開発する会社もほとんどなくなって、否応なしに「欲しいものは自分で作ってしまえ」の精神で行くより仕方がなかったということも幸いしました。

IT 技術者がそんなに不足しているなら、私でも役に立て、やり甲斐のある仕事がありそうだなあと思いつつ、日本では私のような立場の人間を使おうなんて頭の柔らかい事業者はまずありそうもないなあと、、

◯ 劣悪な環境?

ちなみに私が何故 NeXT という世に知られぬ少数民族、ある意味劣悪な環境のマシーンにしがみついていたかと言うと「NeXT の先進的なソフトウエアとハードウエア、そのセンス」に限りなく魅力を感じていたからです。同じ意志を持つ NeXT ユーザ会の仲間たちとの和気あいあい・前向き思考の流れも心地よかった。その NeXT の OS が進化して、現在の MacOS となり iOS へと育ってきたのには感慨深いものがあります、、

遂にサポートを打ち切った WindowsXP で使われていた Internet Explorer の幾つかのバージョンがハックされる危険性が非常に高く、米国や英国の政府が使用しないよう強く勧告しているそうです。MS 社も頑張っていることは認めますし Ajax 技術の開発など世の中に貢献したことは多々ありますが、IE だけは以前からイケません。私の電子カルテ NOA は Safari や Chrome あるいは FireFox では使えるのですが、IE だけは余りにも反則(他のブラウザーとはお作法が違うという意味)が多く面倒見切れないので、非対応としています。

もうひとつ私が Windows を使えない決定的な理由は、画面に表示される汚いフォントに代表されるセンスの無さ。MS 社ほどの技術を持っているのに、出来るのに、なぜまだこのような汚い画面を提供しているのか私には理解できないところ。これも NOA 非対応の理由のひとつかも知れません。悪口だけ言っていてはいけないと思いつつ時々「いくら何でも、もう治ったかな?」と思い、Windows を使ってみるのですが、いつまで経っても治っていないのは何故?

サポートを打ち切られた WindowsXP を使っているユーザのパーセンテージは世界的にもまだまだ多いとのこと。その劣悪な(?)環境にしがみついている理由は何?

◯ 今月の歩術:27.6km 踏破

私の家のすぐ近くを中原街道が走っており、都心に向かおうとすると、すぐ左手に旧中原街道への枝分かれがあります(写真はその旧道を入ったところ)。

徳川家康により東海道が整備されるまで、中原街道は東海道の一部としても機能していた古道だそうです。東海道整備後は、江戸の虎ノ門から神奈川県の平塚にあった中原御殿をつないでいたため中原街道の名前がついたよし。詳しい成り立ちはよくわかっておらず、かなり古い時代からあった道ではないかということだそうですが、後北条氏の時代に本格的整備をし、工事の際には狼煙をあげそれを目印に道を切り開いたため、比較的直線区間が多い。川崎の小杉御殿と平塚の中原御殿ができると、将軍の駿府との往復や鷹狩の際などに利用されたそうです。東海道が整備されると幹線道路としての役割は東海道に譲ったものの、江戸・平塚間をほぼ直線につなぎ、東海道の大名行列などを嫌う商人や庶民から農作物の運搬や旅の最短ルートとして利用されたとか。赤穂浪士も東海道を避け、中原街道で江戸入りしたと伝えられているそうです。

「そんな中原街道を一度極めて見たい」と前々から思っており、5月の GW がチャンスと決行することにしました。電車で平塚まで行って家まで帰ってくる方がモチベーションも上がるだろうということで、連休初日土曜の早朝に家を出発。家から平塚までは50km あります。行けるところまで歩いてメゲたら電車かタクシーで帰ってくればよいかと、、

平塚駅を7時出発。空は快晴、日差しは照りつけそうですが日陰に入ると涼風が心地よい。「せっかく平塚まで来たんだから、まず海を観なくちゃ」と、大周りになること覚悟で海岸まで。遠くに真っ白な雪を頂く富士山が霞んで見えました。自宅から見るよりずっと大きく見えますね。早朝なので空気が心地良い。まず相模川を渡り川に沿って寒川へ登ります。平塚から寒川まではすぐのはずでしたが、大周りしたせいかちょっと歩きでがありました。寒川を過ぎるといよいよ本格的に中原街道へ。

振り返れば「中原」のバス停

予想していたように両側は畑が多く、のどかな景色、汚穢の匂いが臭ってきそうですが、今はそんなことはないでしょうね。現在は車が多いです。巾 30cm もあるかという狭い歩道を淡々と歩きます。新幹線の高架の下を斜めにくぐる頃、歩き始めてまだ 10km を過ぎたばかりの頃から早くも足底がじりじりし始めました。4日ほど前にも散歩で 14km 歩き何ともなかったのに。いつもの散歩と違って歩度が早いのかなあ、用心のため靴下2枚を重ね履きしてきたんですけどね。

横浜駅ホームの自販機で仕入れたポカリスエットを、時々、用心して一口ずつ口に含む。脱水に気をつけるとともに、年齡とともに近くなった小用を用心して。何せこの頃は用を足すところがなかなかないので苦労する(途中公園は幾つもありましたが、トイレ無し。最近は防犯のためトイレを設置しないんでしょうね)。ちょっと一休みした方が良いだろうと、何か食べる店があったらと思うのですが、まだ朝ということでどこも「準備中」の札。

陸上自衛隊厚木航空基地の脇を通る。近年まで米軍基地だった広い芝生の中の道を車が結構のスピードで走っています。終戦直前にはここから「雷電」など局地戦闘機が飛び立ち B29 の空襲を迎え撃っていたんだなあ、終戦直後も厚木基地では終戦を受け入れようとしない軍人の反乱があったとか。私の今までの歩行最長記録はほぼ 20km ですが、この辺りで 20km を越えました。基地を過ぎたところでようやく11時半を過ぎサイゼリア開店。もう両足の裏には思い切り豆ができていそうですが、ここらでがっつりエネルギー補給をしなくてはと、ハンバーグとサラダを注文。さすがにいつものビールは控えました。これで払ったのは 598円。ファミレス安っ!!

中原街道にまつわる石碑

三ツ境から1時間ほど歩いたところに「長坂谷公園」という、広々とした緑の公園がありました。この広大で立派な公園ならトイレもあるだろう、トイレのあるうちに用を済ませておこうかとも思ったのですが、まだ歩き始めて間もないし、広い公園の中を歩いて時間をつぶすのも勿体無いと無視して通過。丘陵のてっぺんにある公園を過ぎると、右手地平線上のかなり遠方に高層ビルの林立が見えます。あれが武蔵小杉のビル群だなと。

仲町台駅でほぼ 10km、前回は 10km 過ぎたあたりから足底がじんじんし始めたのですが、さすがに今回は大丈夫。かかとが少しそんな感じかなということもありましたが、まあ、大丈夫でしょう。なるべく足底や股関節に衝撃を与えないような歩法を心がける。どこかの店で一休みしなければと思うのですが、まだ朝の8時過ぎとあってどこも開いていません。やむなく、そのまま歩き続ける。

前回リタイアした三ツ境駅を6:30出発。五月晴れの早朝の空気は気持ち良い。それでも朝日を避け日陰側を歩きました。中原街道の脇には里山や大きな竹藪などあり、そこからホトトギスの「ホー、ホケキョ」という澄んだ声。以前「みなとみらい」から 20km 歩いて帰る時も、延々と続く第1京浜国道の丘陵を登ったり下ったりしましたが、中原街道でも同じ。長い登り坂を淡々と登り、そして下る。第1京浜より緑もあり、のどかな風景が救い。

そろそろ暑くなりそうなので、残りは今秋にでも片付けようと思っていたのですが、5月に入ってもまだ行けそうな陽気。その2週間後、残りの行程に挑戦することにしました。

今回の敗因は豆でした。反省としては「歩度が適当でなかったのかな」「10km ごとくらいに小休止かな」と思っています。それと事前のトレーニング「歩き込み」ですね、今年は大分歩きをさぼってきましたから、、

◯ 今月の歩術:残り27.9km を制覇

リタイアは残念でしたが、予定のほぼ半分近く歩けました。機会があれば三ツ境から自宅まで残り半分に挑戦したいと思っています。日差しはそろそろ強くなりはじめても日陰の風は心地よかったのですが、これからかなり暑くなるはずですから、今度挑戦するとしたら秋でしょうね。

エネルギー補給したので、しばらく行けるかなと思ったのは甘かった。歩き出すと足の裏がじんじん痛む。自宅まであと 25km 歩けば両足の裏はべろべろに剥けること必定。それでも頑張って、せめて横浜線の中山まで行きたいと思ったのですが、その手前の相模鉄道「三ツ境」駅でリタイアすることにしました。中原街道もこの辺りは流しのタクシーなど一台も見かけません。何とか線路までたどりつくしかないが、中山までは 10km ほど。リタイア決意から三ツ境までの 2.8km の長かったこと、いつもなら 2.8km なんて屁でもないのにね。両足に思いっきりできた大きな豆と、さすがにくたびれた脚でたどたどしく歩くしかなかったのです。そう考えると、豆ができてから 10km 位よく歩いたものだ。

全行程11時間ほど日が暮れる頃に帰り着く予定が、途中でリタイアとあって午後2時半には自宅へ帰着。本日の行程は 27.6km、食事時間を抜いて5時間半でした。

左は iPhone アプリ RunKeeper で記録した歩きの軌跡。さすがにこれだけ GPS を働かせっぱなしだとバッテリーがどんどん減って行きます。歩きながら1回、食事をしながら1回、補助バッテリーから充電しました。

ジョギング用の靴の広告を見ていたら、地下足袋のように足底が非常に薄いシューズが発売されたようです。広告にあるような派手派手カラフルな靴は好みませんが、グレーのものもあるようなので、どこかで購入できたら試してみたいですね。

◯ それにしても昔の人はすごい

そんな訳で出発前の意気込みの割には「最低限この位は歩かなきゃ」という最低限を何とか確保するに終わりました。今までの経験から云うと 30km は行ってよいはずと思うのですが、コンディションがそこまで行かなかったのでしょう(コンディションって難しいですよね。その日その日によって微妙に違う。オリンピック選手は大変だろうなと)。

「昔の人はもっと歩いたはず」と、wikipedia でまず「東海道五十三次」を見てみました。宿場間の距離は平均三里前後(ということは 12km くらい)。一番長いところが小田原宿と箱根宿との間で四里八丁(20km 近く)、さらに箱根宿と三島宿間が三里二十八丁、やはり東海道ではここが一番きついですね。山道がありますから。なるほどそういう事もあって「箱根は難所、天下の険」ということか。

で「一日にどのくらい歩いたの?」と調べてみました。江戸時代の普通の旅人は1日8里: 32km から10里: 40km 歩いたそうです。60km から 80km という説もあります。本当だとすると、うへー、私の 27km なんて子供でも楽々こなす距離。予想通り宿場を1つか2つはパスして歩いた訳だ。夜明け前4時ころ出発し最初になるべく多く歩いてしまう、夕方の5時頃に次の宿へというのが旅のパターンだった。日が暮れると危険なので歩かなかったそうです。クッションの効いた靴なんてものはなく草鞋だったわけだし、そもそも足底がかなり頑丈になっていたんでしょうね。

そのように昔の人は日常的に自分の足でかなりの距離を歩いていた訳ですが、現代では都会の人間よりむしろ田舎の人間の方が歩かないようですね。TV  番組「路線バスの旅」などを見ていても、農村地帯のお年寄りも最近は「寄合いタクシー」なるものを使って病院へ行くようになり、どんどん路線バスが廃止されているとか。そのような地域で車は必需品ということでしょう。まるで米国の広大な土地に住む人達のように。

「もっと精進して昔の人のように歩けるよう、先祖返りしたいなあ」などと考えております。80歳で世界最高峰を踏破した三浦雄一郎さんほどのスケールは無理としても、私の年齡でもまだ頑張れば、もうちょっと行けるはず、、

◯ そして現代にも凄い人はいる

TED という番組をご存知でしょうか。Web を探せば見ることができますが、最近は TV でもスーパー・プレゼンテーションというタイトルでやっています。ここにも "Never Ever Give up" を唱える凄い女性がいました。Diana Nyad は60歳を越え残りの人生の方が少なくなってきたことを悟った時、夢を抱きそれを達成することに生き甲斐をみつけたそうです。彼女はキューバからフロリダの遠泳に20代の頃から挑戦し未だ達成できなかったそうです。

2012年、60歳になって4回目の挑戦。夜になると透明で見えなくなる猛毒をもったハコクラゲに刺され、命の危険にさらされリタイア。そして更に5回目の挑戦、ハコクラゲ対策の特製フェースマスクをつけ53時間かけ、遂に念願のフロリダに到達しました。この海域はメキシコ湾流の潮の流れが速く北へ泳いでいるつもりでも東に流されたり、ハコクラゲやサメの生息地でもあり、幾つもの危険をはらむ。彼女の支援のため30名のチームが5隻のボートで伴走、医療はもちろん、サメの専門家その他諸々のスペシャリスト達。

泳いでいる間は船に触ってもいけないというルールで、チームから飲料など手渡しで受けたそうです。明かりをめがけクラゲやサメが集まるので夜も無灯火。チームは彼女の泳ぐ水音を頼りに伴走。一方彼女は頭の中で色々な曲を歌ったり、ホーキング博士の語る果てしない宇宙について想いをめぐらせたそうです。それにしても凄いですよね 160km 以上、53時間も夜となく昼となく泳ぎ続けた。半分寝ながら泳いだ時もあったのでしょうね。時速3kmほどと歩きの半分の速度ですが、それにしても休まず53時間はすごい。

これに備えて周到な準備とトレーニング。トレーニングでは15時間くらい泳ぐのはざらだったようで、ここが今月の私の挑戦で最も見習うべきこと。夜明け前、船上のチームメイトから水平線の明かりを告げられ、それがフロリダの街の灯で、あと15kmと告げられても「15kmなんていつも軽く泳いでいる距離だもんね」と思ったそうです(TED の会場から笑い)。「人生には必ず障害、痛みや苦しみが待っている」という彼女の言葉、そして彼女がトレーニング中に想い出したというセオドア・ルーズベルトの言葉が印象的でした。

それから数日後、毎年恒例の医歯薬学生馬術連盟の試合の応援に、馬事公苑まで往復 15km ほど歩きました。復路で、やはり足の裏が少しじんじんしてきたので思い当たるところがありました。中原街道、平塚からの第1日目がこの靴だったのです。三ツ境からの第2日目では普段散歩に使っている靴。両方ともウオーキング専用にデザインされた靴なのですが、前者は靴の中でやや遊びがあったりするのが靴擦れの原因ではないかと。しかしこの靴も 15km 以下の歩きでは問題ありません。ということで、長距離歩行用の靴の見極めは結構難しそうです。そう何度も 20km の歩きを試してみるわけにもいかないので、、

歩き終えた感想としては「20km が一つの壁」ここを過ぎるとかなりきつくなります。次は「30km は苦もなく歩く」を目標に、、

前回 iPhone のバッテリーを2回も充電しながら歩きましたが、今回は充電なしで帰着。使ったのは Google Maps や RunKeeper など同じアプリなのですが、どうした違いなのかな。携帯の基地局の配置などの関係でしょうか。今回も日差しはかなりのもので、日陰を選んで歩きましたが、湿度が低めで時々涼やかな風に癒されながら絶好のウオーキング日和でした。

ほぼ 1km ごとに現れる「丸子橋まで ◯km」という道路標識を楽しみに歩く。丸子橋ちょっと手前「武蔵中原」駅、20km を越えるあたりからちょっときつくなってきました。しかし前回のように足底に豆のできることもなく、きついのは股関節のあたり。なるべく股関節に負担を掛けぬよう、惰性で足を出すよう、ただ淡々と歩く。

ついに丸子橋到着。一昨日も診療前に自宅から丸子橋まで往復したばかりなので、ここまでくれば自分の庭のようなもの。とは言え、やはり 20km を越えると一昨日は何でもなかった行程も結構難儀でした。11:40自宅到着。距離は奇しくもほぼ前回と同様、27.9km でしたが、20分ほど短縮しました。前回の「両足に豆」の有無の違いでしょうね。

心地よい椅子に座って他人を批判したり傍観するのもよいが、勇気あるものは実際に参加し、傷つき、泥まみれになって幾度となく失敗しても、恐れず迷わず勇敢に生きるものだ。

彼女の勇気と根性には心から感心する一方で、考えてみるとこのような勇気を奮った人達の中には命を失った人も少なからずあったはず。それをどう考えるかは、客観的立場・主観的立場でみても人により色々なんでしょうね。自分ならうまく行かなくても、それなりの達成感というか「やったぜ」という満足感はあると思いますが、、

一人雪山のマッキンリーに入り、今だに行方不明の冒険家 植村直己さんを思い出しました。クレパスに落ちたのだろうと言われています。植村さんはほぼ私と同じ年齢でした。

◯ 愛犬きたる

昨年9月に家族で可愛がっていた愛犬「ゆい」が17歳で他界しました。家内や末娘はやはり犬を飼いたくなったようで、二人で色々と物色していたようですが、4月に「飼う犬を決めてきた」と帰ってきました。まだ生まれたばかりなので連れてくるのは5月3日だそうです。「ゆい」は雑種ですが、今度はトイ・プードルだそうです。父が犬好きで私が子供の頃から何代も犬を飼ってきたのですが、私は洋犬より日本犬の血の入った雑種が好みです。

丁度私が平塚から歩いて帰ってきた日、子犬はわが家にやってきました。生まれてまだ3ヶ月ほど、ちょっとした縫ぐるみより更にちっちゃな感じです。茶色の巻き毛に包まれた子犬で、これが実に人懐こいのです。こちらの両足の間を8の字を描いてくるくると走り回ります。常に家族3人の誰かの足にまとわりつくので、うっかり踏まないよう気を使わねばなりません。一時もじっとしていないので、このページに載せるためポートレートを撮ろうと思うのですが、まったく撮れません。機嫌よく子羊のように跳ね回っていたかと思うと、しばらく爆睡の繰り返し。そんな健康いっぱいの子犬なので、たった1週間しか経たないというのに、来た時より丸々としてきたような気がします。

一時もじっとしていることなく、やっと撮れたのがこの写真

このマンションは、原則としては動物を飼うことを容認されていないので、エレベータに乗せ散歩に連れてゆくのにも気が引けていたのですが、今度は小さいので前ほどは引け目を感じないかなと。雑種を主張していた私も、この元気一杯で愛くるしい姿を見てしまうと、前言取り消しですね。名前の方には私の希望も入れてもらい「まい」になりました。

◯ 某一企業の OS 限定の行政 Web アプリ・サービス

前々から非常にケシカランと思っていること。それは多くの Web アプリが「使える環境はウインドウズのみ」としていることです。それでも企業のサービスなら、多少おおらかな目で見ることができるのですが、行政までが某一社の OS しかサポートしないことを唱っているのは、少なからぬ税金を収めている側として、ちょっと許しがたいものがあります。

税務署の近くでは「eTax を使って納税を」という PR 看板をかなり前から見かけます。私も payEasy の使える場合は、それを使って便利に納税していますが、それが使えない納付書もよく送ってきます。先日も納付書に「ダイレクト納付を是非ご利用ください。詳しくは eTax ホームページをご覧ください」という説明書が入っていました。「よしよし、ようやく eTax で納付できるようになったか」と、いそいそと Web site を見に行きました。すると、ガーン!!やはり「使えるのはウインドウズのみ」という注意書き。

これで「ダイレクト納付を是非ご利用ください」とは良く言えるよ。「ウインドウズの方はダイレクト納付を是非ご利用ください」というのが人をダマさない正確な表現でしょう。で、IE 使って Virus に思いっきり感染したりして、、より安全な MacOS を除外するとは。

行政は国民に公平なサービスを提供するのが大原則、このような某一企業の OS しかサポートしないとは非常にケシカランと思います。企業との癒着を勘ぐりたくもなりますよね。行政サービスを請け負う業者の技術レベルの問題で某一社に傾く事情はわかるのですが、国民への行政サービスなのですから、もっと公平で安全なサービスへと迅速に対応すべし。Web アプリを開発している立場から云えば、納税アプリはそう複雑なものではないので、MacOS などに対応するのは何も大変な仕事ではない。より正確に言えば OS と言うより IE 以外のブラウザへの対応。

◯ やはり思いつくのは同じ方法か、、

UUCP (UNIX to UNIX Copy) を使って、世の中の一般の人々より早くもう30年近く、知人達との連絡やメッセージ交換にメールを便利に使ってきました。そこで前々からふと思っていたこと。生涯の終焉が何時くるのかは予想できない場合が多いはず、で、そんな時、お世話になった方々や仲の良かった仲間に「生前はお世話になりました」みたいなメールが送れると面白いなと、、

で、それを実現するにはどんな方法でやれば良い?と考えました。メール・サーバにそのようなメールを毎日一定時刻に発信するよう仕掛けておきます。そして毎日「そのメールを発信して良いですか?」の問合せを自分宛てにさせ、発信をストップする。もし、発信ストップの動作がなければメッセージを自動発信させるという仕組みです。

しかし何らかの事情でストップを忘れたり、ストップ出来なかったりすると、メールが発信されてしまう可能性があり、実際にそのような仕掛けをする勇気はありません。

と思っていたら、海外でそれを現実に行っている Dead Man's Switch というクラウド・サービスがあることを知りました。やはり世の中には同じことを考える人が必ず居るんだなあと。大抵そのような場合は海外なのが残念ですが。しかも、その実現方法まで私が考えていたのとそっくり同じなんですね。他のアイデアなら参考になったんですが、、

そこに登録したユーザにはサーバから定期的に「生存確認メール」が届き、返信がなくなった時点でユーザは死んだと判断され、あらかじめ予約していたメールを送信。生存確認メールへの返信期限は30日以内だそうですが、何らかの事情でメールが届かない可能性も否定できません。例えばメールが迷惑メールに分類されユーザに届かないとか、色々ありそうです。このサービスで現実にそのようなエラーがあったかどうかが知りたいところ。

◯ WindowShadeX の後継

MacOSX になる前の Mac OS にはウインドーシェイドという機能が標準でありました。元々はサードパーティーのアプリで、それを Apple が OS の標準機能として取り込んだもの。ウインドー・タイトルをダブルクリックすると「シュッ」という音とともに、ウインドーが収縮しタイトルだけになります。沢山ウインドーを開いている場合、これはとても便利で、例えば「電子カルテの脇にテキスト・エディターを開き原稿を書いている時、患者さんがみえると、エディターをシュッと閉じて診療を行う」などというワザができました。

Apple 社が NeXT 社を Jobs 付きで買収し、現在の MacOSX になってからその機能が無くなり非常に不便をしています。NeXT 社買収直後の NeXT OS ほとんどそのまま載せたテスト段階とも云える MacOSX Serverと呼ぶ OS にはちゃんとウインドーシェイド機能がついていて便利だったのに。MacOSX が正式に立ち上がってからは WindowShadeX というアプリを提供するソフトウエア・ハウスが出てきて、これを便利に使ってきました。このコラムにも書いてきましたが、このアプリ OS バージョンアップの度に対応にしばし待たされるのが難点でしたが、しばらく前から凍りついたまま。遂に Web site も閉鎖されたそうです。

それに代わるアプリを探していたところ見つけたのが WindowMizer というアプリ。WindowShadeX にかなり近い機能を実現していましたが、まだちょっとトロかったり、イマイチのところがありました。「使い始めてから大分経つので、そう言えばバージョンアップしているかも」と提供元の Web site を訪ねてみると、バージョンが2つも上がっていました。早速使ってみると、トロさもかなり改善され WindowShadeX に近づいています。早速新しいバージョンを購入しました。使ってみると、いま一歩というところもあるのですが、かなり満足して使えそうです。

< 2014.04 難問は分割せよ | 2014.06 歩々是道場 >

わが家に来た「まい」休みなく動き回り、カメラを見ると跳んでくるので遊び疲れた写真しか撮れません

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です