2015.01 芸術の命には限りがない

わーくすてーしょんのあるくらし ( 263)

2015-01 大橋 克洋

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◯ 人の命には限りがあるが芸術の命には限りがない

年も明け2015年になりました。昨年暮れの TV 日曜美術館での言葉が心に残りました「自分の命には限りがあるが、芸術の命には限りがない。自分の命を芸術に映す」。ある木版画家の晩年の心境を表した言葉です。なーるほどね。たとえ紀元前の芸術品であろうとも、後世代々の人々を感動させ続けることができます。

私の場合、30年近く携わり日々開発を続けてきた「電子カルテ NOA」が命ではありますが、ソフトウエアはハードウエアやOSの上で息づくもの。ハードウエアやOSはどんどん新陳代謝を繰り返すものですから、残念ながら具体的なものとして後世に残ることはないはず。残念ですけど仕方ないでしょうね、「うたかたの夢」のようなもの。もし誰かが書き残してくれるなら「世の中で初めての電子カルテを開発し、日常診療で使ってきた人間」として後世に伝わる可能性はありますが、これも極めて低いでしょう。

先月書いたイタリアの車 Pagani のように、芸術家が心をこめて作り上げた名車などもいずれは消えてしまう部類に入りますが、車の場合、それに特別な思い入れをする人がビンテージ・カーとしてレストアしながら維持してもらえる可能性があります。そういえば私の尊敬するソフトウエア・クリエーター、加藤@サイバー・ラボさんが NeXT 上で創ったソフトウエアは Steve Jobs に高く評価され、米国のスミソニアン博物館に永久保存されています。しかしこのような例は極めて稀。

このように考えてみれば、人類誕生以来、人類史上に残るべきものを実現したにもかかわらず、その業績が後世に残ることなく雲散霧消してしまったものも山のように有るのでしょうね。エジプトの古墳の壁から意図的に削り取られたレリーフのように後世の人間から故意に末梢されたものを含めて。

◯ 今月の歩術

大晦日に夜更かししたため、今年も元旦には歩きにでませんでしたが、2日から早朝の歩きに出ました。今年の正月の気温は5度から1度くらいまで下がりましたが、暮れから正月にかけ珍しく風がなかったので、冬用スポーツシャツを軽く袖まくりしてダウンのベストだけでも大丈夫でした。手袋をしないので手先だけはちょっと冷たかったですけどね。

しかし日本海側は元旦から猛吹雪とのことで、さぞ大変だったことと思います。地元神社で氏神様に初詣をしてから軽く歩く。正月の朝はやはり行き交う人も少ないですね。昇ってくる朝日を浴び家々の松飾りを見ながら、清々しい気持ちで歩くことができました。今年もお節料理にお酒を傾けながら箱根駅伝を眺める。このような生活で年が明けた途端に体重が目に見えて増え始めました。それに伴い血圧も。これはヤバイぞ、正月が過ぎたらちょっとダイエットしなきゃと、、

箱根駅伝、数年前の柏原竜二@東洋大、箱根の上り坂をゴボウ抜きで登っていった勇姿は「山の神」の異名をとり今でも語り草となっていますが、今年の神野大地@青学は更にその記録を破りました。身長は165程度なのに体重が40数キロという体格が効いていると思います。ヒルクライム・レースに出場する車が軽量・大馬力なのと同じ理屈ですね。それにしても、あの箱根の上り道ほとんど日陰でいかにも気温は低そうですが、今年は風がなかったのも幸いしているのでしょう。神野による往路優勝を飾った青学、復路も区間記録を出す選手が何人もいたりして堂々の総合優勝を飾りました。

◯ 今月の脳トレ

電子カルテ NOA、今月に入って ML も静かで落ち着いています。現在のところ手持ちのアイデアもすべて実現してしまったので、ちょっと手持ち無沙汰。ということで、高校時代からの趣味「建築設計」、方眼紙に図面を引いています。以前使っていた建築設計用アプリが、MacOS のバージョン・アップに追従できなくなっており、他のアプリを探してみましたが、現状で存在するのはどれもプロ用のめちゃ高価なやつばかり。

「仕方がない。欲しいものは作っちゃえか」ということで、建築設計の三面図を引くアソフトを Web アプリで作ることにしました。NOA の作図ツールで会得したテクがあるので、それを使えば何とかなるかなと、、

2週間ほどで、ごく初歩的な図面を引くアプリができあがってきました。現状では色々な太さの線や矩形を引くだけのものですが、まあ一応の作図はできます。これに、ドアや窓、家具、植栽、床材などのパーツを追加していきたいと考えています。これらのツールについては初めての挑戦。パースの生成まではちょっと難しいかなと考えていますが、そのためのツールとしては無償で使える Google SketchUp があります。

そんなことで、今月このコラムの更新は大分滞っています。

◯ データ・ベースで初めてのトラブル

午前中の外来診療では何の問題もなく電子カルテが使えていたのに、午後の診療を始めようとすると、やたらレスポンスが遅い。昼休みの間、別のアプリ開発はやっていたが、電子カルテのサーバはまったくいじっていません。

どうしたのだろう、と原因を探ってみました。どうも DB へ投げる SQL でエラーを吐いている模様。何故だろう、電子カルテの方はソースをいじっていないし、MySQL が自動的にアップデートされることもないはず。午後の診療中シャカリキになって原因を探ったり MySQL 操作のソースに手を加えたりしてみましたが、どうにもラチがあきません。

幸い外は冷たい雨のせいか、午後の来院者は1名だけだったので助かりました。診療を終え腰を落ち着けて探ってみると、何と DB のテーブルの一部がクラッシュとのメッセージが。「ええー、そういうことってありかあ、、」。MacOS のタイムマシーン機能でその日の朝のデータからリカバリーして、その時点までにはデータが戻りました。当日のデータについては、電子カルテ NOA がバックアップのため MML データとして吐き出していますので、このデータから DB を復旧。やれ、やれ、、しかし何故こういうことが起こるんだろう。

開発者の私だから良いが、一般ユーザさんのところで DB クラッシュなどが起こったら悲惨なことに。DB を使い始めて20年ほどになりますが、DB 自体のトラブルが初めてだっただけに、何か原因もわからないのは気持ちが悪いなあ、、と

◯ 9.11テロに耐えたペンタゴン

ディスカバリー・チャンネルで 9.11 のテロで旅客機が突っ込んだペンタゴンを取り上げていました。世界貿易センタービルの被害の大きさに比べ、ペンタゴンの被害はそれほど大きくはなかったようなのが不思議に思っていました。あの建物の中も、かなり人口密集度は高いと思われるからです。

番組を見てその理由がわかりました。

1)ペンタゴンは1941年頃の建築だが、梁や柱の作りが現代建築より頑丈だった。

設計当時、ペンタゴンの建物は永い間使われるとは考えられず「いずれは書類の倉庫にでも使うか」という考えで、書類の重量を支えられるよう梁や柱の鉄筋が強化され、柱の数も多い作りだった。このため高速で1階に突っ込んだ旅客機は複数の柱により細かく裁断され、飛散は限られた区域内に留まった。

2)巨大な建物を幾つかの区域に分け、その境に寒暖の差を吸収する隙間があった。

火と煙の中を手探りで逃げた人の話では、床と床の間の大きなひび割れを越えて逃げたという証言がある。これはこの建物の幾つかの区域の境界に、よく鉄橋にあるような寒暖の差を吸収するための緩衝帯があったことを示す。突入・破壊された区域は1時間ほど持ちこたえたのち崩落するが、この緩衝帯がなければ他の区域を巻き添えにしたはず。

3)猛烈な勢の爆発はペンタゴンをめぐる回廊に吹き抜け勢力が吸収された。

ペンタゴンをめぐる廊下の巾はかなり廣いため、ここで爆風の勢力が吸収された。これがなければ、破壊はもっと建物内部まで及んだはず。

4)外に面した窓ガラスが防爆ガラスだった。

爆発により航空燃料が霧状になって瞬時に飛散、複数の爆発と火災を発生させた。監視カメラの映像によると突入直後の火炎の塊は建物の2倍くらいまで吹き上がっているが、防爆ガラスのお陰で外からの火炎や爆風が建物内に入るのは完全に防がれた。もしこれが通常のガラスなら、爆風・火炎・煙によりもっと多数の死者がでたはず。

5)たまたまテロ突入の前年あたり、スプリンクラーが強化されていた。

飛行機が突入した真上の2階にいて助かった人もいるが、瞬時に室温が上がり、霧状に噴霧された航空燃料や爆発・火災による煙にかなり苦しめられた。もしスプリンクラーから噴出される水がなかったらかなりの人が助からなかっただろう。

6)突入の隣の区域はたまたま工事中で、ここの職員は仮事務所へ移っていた。

もしここに人がいたなら、煙や火災により、ペンタゴンの被害者数は国際貿易センターを上回っていただろう。

このようなことから、ペンタゴンはさすが米国の軍用建物と言う前に、かなりの幸運に恵まれた結果といえそうです。

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正月の碑文谷神社にあった言葉

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です