1988.02 編集環境について

わーくすてーしょんのあるくらし (14)

1988-02 大橋克洋

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プログラム開発にエデイタはなくてはならないものだが、 一旦慣れ親しんで手の内に入ってしまったエデイタを 他のものに変更するのはなかなか容易ではない。

最近、日本語ワープロの世界はどこのメーカーのものも 変換キーは大体スペースバーのあたりになてきたし、 OASYS などを別にすれば配列など使い勝手に大きな違いは なくなってきたような気がする。

そんな訳で最近 EPSON のワードバンクノートが 大変軽量コンパクトで使いやすそうなので出先で使うため 購入したが、一日くらい使ったら大体慣れてしまい重宝している。 話が横道へそれるが、出先でちょっとメモして家へ持ち帰り、 そのまま EPSON や NEC の純正プリンターで打ち出すこともできるし、 RS-232C で PC-98 へ転送して編集することもできる。

最大の特徴は A4 版の厚めの本くらいの大きさ重さで 価格も手ごろなことである。しかし私にとって住所録や 予定表、バイオリズムなどのプログラムはむしろ余計で、 ワープロの他にあると便利なのは時計と電卓くらいである。 住所録も予定表も結局どこかへ転記しなければならなくなるので、 以前ここで書いたようにワークステーションに載せておいて ハードコピーを手帳として持ち歩く方が便利だが、 この辺はその人なりの生活様式があるだろうから一概には言えない。

○ 慣れないエデイタの不自由さ

話を元へもどそう。しかしエデイタとなるとこうはいかない。 UCSD Pascal から UNIX 上の C 言語へ変わった時の vi の使い難かったこと、やたらコマンドは多いしああのシンプルな Pascal のエデイタがどんなに懐かしかったかわからないが、 UNIX 環境では vi を使うしかない。

最初はカーソル移動、挿入、削除などのコマンドを覚え、 たどたどしく使っているうちに次第に使えるコマンドの レパートリーも増え馴染んでくる。エデイタの使い方を覚えるには 実際にプログラムを書くのに使うのが一番で、 まさに靴の上から足を掻くようなまどろっこしさを我慢するうちに 何とかなってくる。

○ Emacs に感激

昨年 PDS(Public Domain Software)のエデイタである GNU Emacs を手に入れたものの、vi とはカーソル移動からして全く勝手が違う のに音を上げて使うところにならなかった。しかしついに一大決心をして とにかくどんな事があろうと一週間はじっと我慢の子で emacs を使うことにした。

emacs は vi と違ってコマンドモードという概念はなく、 コマンドを与えるには殆どの場合 CTRL キーか ESC キーと 他のキーを併用しなければならない。 SUN の ESC キーは左小指にとってややつらい位置にあるので、 両手をホームポジションに置いたまま完全なブラインドタッチ がしにくいような気がするが、これも慣れの問題かも知れない。

emacs を使い始めて一週間になるが最近はようやく慣れてきて、 まあまあイライラも少なくなってきた。 そうなるとさすが評判のエデイタだけあって、ファイルからファイル へ渡り歩くのは大変楽だし便利な機能も豊富で、 新しい機能を覚えるたびに感激している。

感激といえば最近あるところで BOSE のスピーカーに接することがあり、 その音の再現性の素晴らしいことに感激してイーサネットボードを 買うために貯めていた資金をはたいて衝動買いをしてしまった。 絵画・音楽・映画にせよ、ソフトにせよ美しいもの、素晴らしいもの、 自分より優れているものには素直に感激してしまう。

○ ソースを読むのが一番の勉強

この emacs は PDS なのでソースで提供されるが、 それはかなりのボリュームなのでネットワークを介して 取り寄せるのもためらわれ、カートリッジテープで手に入れた。 またそれを走らせようとしてもデイスクに余裕がないとおいそれと 走らせる訳には行かない。

現在開発中の「電子カルテシステム」は基本的には テキストエデイタなので、emacs の実現している機能は大変参考になり、 作りたくてもどう実現してよいかわからなかった部分を emacs のソースを読んで随分教えてもらった。 「UNIX を習うにはソースを読め」とはよく言われることだが、 私のような個人で購入する人間には大学のような特例はなく、 バイナリライセンスのみで残念ながら UNIX 自身のソースを 読んで勉強する機会はない。

C で書いたソースプログラムは沢山のプログラムから作られて いることが多いが、例えばそれらの中から画面スクロールに関する 部分を知りたいとすると、それを捜すのは大変手間がかかる。

こんな時 UNIX は便利で emacs のソースの入ったデイレクトリ の中で

% grep scroll*.c

とやると、沢山あるソースプログラムの中から scroll という 文字の入った行のみをリストアップしてくれ、 どのソースのどこにスクロールに関連して部分があるか簡単にわかる。

UNIX がこれほどまでに広がってきた理由はいくつかあるが、 ほかの OS にないものの一つに、大学関係には極めて安い価格で しかもソース付きで提供されたことがある。

メンテナンスサービスは行われなくても、ソースさえあれば マニアにとっては何とかなるし、さらに大きなメリットは いかようにも改良できるという点である。

○ GNU プロジェクト

Emacs の原作者である Richard Stallman は GNU プロジェクト と呼ばれる活動をしている。 彼の考え方を簡単に説明すると「誰でも役に立つ良質の ソフトウエアが空気や水のように全く自由に無料で使えるべきである」 ということで、私の知っている範囲では現在この GNU Emacs の他に、C-compiler を完成させすでに PDS として配付しており、 この C-compiler は emacs 同様かなり効率の良い質の高いものだ そうである。

そしてやがては、UNIX そのものを PDS として作り 配付すべく作業中であると聞く。 彼の考えでもうひとつ面白いのは「ソフトはいくらコピーしようと 他人に譲ろうと全く自由で無料だが、それに関して特定の メンテナンスやカスタマイズなどのサービスを行うことについては有料」という考え方である。

彼は現在このプロジェクトを進めるために、実際の労働力あるいは 機材、資金の形でのボランテイアを求めており、 私もこのプロジェクトには大変感激し機会あれば何らかの形で 貢献したいと思っている。

○ PDS への動き

彼のプロジェクトに刺激されたかどうか知らないが、 最近は本来であればかなり高価で販売するであろうツールや システムなどを、PDS やそれに近い形で提供する例が すこしずつみられるようになった。

PDS とすることによって不特定多数の人々に使われ 磨きがかかるとともに、広く普及することを最大のメリット と考えてのようだが、これは当然われわれユーザにとっても 大変歓迎すべきことである。 日本でも国産のウインドウシステムである CMW と wnn が PDS で提供されており評判も良い。これらは京都大学とメーカー との共同開発なので、GNU とはちょっと性格が異なる。

UNIX の世界以外で凄いのは Macintosh の PDS である。 私の知る範囲ではむしろ Mac の世界の方が本当に感激させられる 面白い PDS がザクザクあるように思える。 これらは私のサイトにもネットワークで流れてくるのでため込んで いるのだが、まだ走らせてみるところまで行っていない。

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