2020.10 足るを知る

わーくすてーしょんのあるくらし ( 332)

2020-10 大橋 克洋

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◯ 足るを知る

幸せへの近道はまさにこの一言に尽きるのだと思います。

きりがない人間の欲望。せっかくひとつ幸せを手に入れても「あの人はもっといい暮らしをしている」「これがあればもっと幸せになれるのに」と足りないものばかりを探す。足りないと感じているものは本当に足りないものでしょうか? 「もう十分足りている」そう感じられた瞬間、ひとは幸せにひたることができます。

私も75歳を過ぎるとともに「足るを知る」の心境になってきました。むしろ「断捨離しなきゃ」の心境。それでも時々、多少の物欲が湧くのを抑えることはできませんが、それも若い頃に比べれば細やかなもの。幸いなことに「日々好日」となっております。

◯ 今月の歩術

8月に発症した目眩もようやく落ち着いてきて、朝の散歩も復活しています。昨年の今頃「梅雨の頃より雨が多いのではないか」と書きましたが、今年も雨の朝が多く散歩を省略する日が多くなって記録は伸びそうもありません。今月は100キロをちょっと越えるくらいかな。気象解説によると、やはり統計的にも梅雨の時期より秋の長雨の方が雨天は多くなっているのだそうです。

このコラム昨年今頃を読み返してみると「歩きはじめてしばらく大腿部の疲労感がある」と訴えています。しかし幸いこれは消失しています。どういうことなんですかね。この夏からの目眩で歩かなかった時期も長く、昨年同時期より筋力があがったということもなさそうなんですが、、

歩きも大分もとに戻っています。上り坂も以前ほど苦手ではなくなっていますが、後肢を軸足にゆっくり前肢を出すように、早足で上がらず比較的ゆっくり上がるようにしているのが良いのかも知れません。以前のコラムを読み返し、忘れていた「上下相随・身体をひとつにして歩く」の意念で歩いています。コードレス・イヤホンで音楽を流しながら、、

10月も上旬を過ぎると、かなり気温も下がり始め軽く北風が吹く日も。流石にTシャツ姿は無理。半袖シャツはスルーして、長袖シャツの袖を軽くまくりあげて歩くようになりました。以前のように薄手のシャツではなく、厚手シャツや薄手ハイネック姿になっています。早朝すれ違う人達はすでにジャンパー姿が多いですが、まだ気温が10度ちょっとあるのでシャツだけで大丈夫。気温が10度を切ってくるとベストを重ねるようになり、さらにはジャンパーにニット帽姿になるのでしょう。これは11月に入ってからかな。

◯ やっと FAX なくなるか

史上初の長期政権だった安倍総理が健康上の理由から総理を突然辞任、先月菅総理が誕生しました。菅総理は着任そうそう、携帯電話料金の低減など新しい政策を打ち出しました。これを好ましく思うと同時に、担当官僚は戸惑うこともあるんだろうなと、、

総理の気持、よく解ります。以前、私が東京都医師会理事に選任されるとすぐ、それ以前の医療情報委員の頃から温めてきた施策を直ちに実行しようと張り切ったものです。しかし、これは事務局の担当課長から「大橋先生、ちょっと待って下さい」ピシャリと押し止められました。考えてみれば「そうだよな、いきなり新任理事がきて新しいことを精力的に始めるのは、事務局的には困るんだろうな」。そこで1年ほどじっと大人しく慣熟を待ってから始めたところ、今度は担当課長も抗うことなく協力的に働いてくれました。

菅総理の意を体し、河野太郎・行政改革担当相が「行政手続き状の押印廃止」を進めるに次いで「FAX の廃止」を行うのではないかとの記事がありました。そうなれば、私としては「日本もやっと、そうなるか」と感慨深いものがあります。

33年前、このコラム第1回目 で「FAX など、いずれ e-mail に置き換わるに違いないと導入を拒んでいたが、とりあえず導入することにした」むね書きました。当時は e-mail もまだ一般には普及しておらず、先進的技術を試みる我々のような者しか使っていなかった時代。そして丁度4年前「ふと考えてみると、すでに欧米では FAX など使っておらず、使っているのは日本だけ?と、ネットで検索してみるとどうもそのようだ」と書きました。

河野大臣の意向が実現できれば、日本でもかなりの効率化・省エネがはかれると思うのですが、今だに FAX にしがみつくのは「容易には頭の切替のきかない人達」。お役人などその最たるもの。日本がそのような社会に移行できるまでどの位の年月かかるのか、私としては気が遠くなりそうな話でもあります。

◯ ねがえば叶う

1987年1月、このコラム1回目では「すべてをひとつのメディアに」というタイトルで、こんなことを書いています。

一昨年から FAX を入れて大変便利をしている。 当時すでに UNIX を電話回線に接続し uucp とオートダイアルアップで 特定の場所とはメールが行き交っており、 FAX など入れてもいずれコンピュータに置き換わるからと導入を拒んでいたのだが、 途中で考えを変え少しでも早くその恩恵に浴した方がよいとのことで導入した。

結論として、それでよかったと思っているが、 今後ファクシミリ、イメージスキャナ、レーザプリンター (これらは1つの機器としてまとめられてしまうだろうが)、 電話機、ボイスレコーダー、CD、VTR など すべてのメディアがコンピュータの周辺機器として比較的安価に、 しかもプリンターやフロッピーディスクドライブをつなぐように 簡単に接続して使えるようになることを切望している。

これは今から33年前に書いたことですが、当時の私の願いが現在では全て余すことなく実現されています。これがこのコラムのコンセプト「可能か不可能かなど考えではいけません。何としてもこれがやりたいぞーと叫ぶことです。神はかならず授けてくださるでしょう」ということ。

そして世の中は私が考えることより、もっと進歩しています(単に私の頭の速度が経年変化で落ちたということなんでしょうけど)。今では、書類ペラ1枚なら、身につけた iPhone で速攻スキャン、クラウドに保存したりメール添付して相手に送ることができます。FAX よりずっと便利。ところが今だにメール受け取れなかったり、届いても読まないヒトがいるんだよなあ、、これが為に私も FAX を廃棄できない。

メール添付の綺麗な画像にくらべ、あの FAX の汚い画像は本当にイヤだ、、

◯ 今月のコロナ

東京におけるコロナ第2波の山は第1波を大幅に上回りましたが、夏を過ぎるとともに緩やかに終わりつつあるように見えます。それでも東京の1日感染者数はようやく200名を下まわるかどうか、政府は海外からの入国者をビジネスや就学などに限り認めるとか、大規模イベントの規制を緩める、GoTo Travel に続き GoTo Eat を始めるなど方針を明らかにし、まだまだ第2波がこのまま収束するかどうか楽観は許せません。

世界第1の感染者数・死者数を誇る米国、来月初めの大統領選を目前に先月末トランプ大統領のコロナ感染が発覚。コロナ発生初期からコロナを軽視する姿勢を顕にしていたトランプ大統領、自分が感染後も強引に病院を退院するとか、マスク軽視・ソーシャルディスタンス軽視、マスク着用しない密集イベントなど、あっという間に側近達にコロナ感染が広がり、クラスターを発生させました。

強引に退院して帰ったホワイトハウスでの感染拡大により、今後の成り行きが憂慮される事態になっています。マスクなしソーシャルディスタンス軽視の大統領につきあわされる側近やシークレットサービスは迷惑もよいところに違いありません。

国のコロナ蔓延は、その国の代表者の態度にそのままリンクしています。米国のトランプ大統領、ブラジルのボルソナーロ大統領は、いずれも感染初期からコロナを過小評価してきました。英国のジョンソン首相も最初同様の態度を示していましたが、自分がコロナ感染し大変な思いをした後は、コロナに対する態度も謙虚になりました。しかしトランプ大統領においては、間近に控えた大統領選もあり感染後もその態度は変わりません。国の代表者がこの態度では、米国のコロナ蔓延は今後も広がること間違いなしでしょう。

このような内容は現在誰もが知るところですが、このコラムは時代の記録という意味もあり、世の流れをここに書き残しています。

◯ 歌は人を幸せにする

春頃から芸能人の自死が頻発しています。ふと頭に浮かんだのは「そう言えば、歌手には自死を聞かないみたい」。心のなかにうつうつとしたものがあっても、腹の底から声を出し心情を発散することにより、溜まったものを吐き出せるからではないかと考えました。

そして、どうやらその考えは的を得ていたようです。NHK の「チコちゃんに叱られる」で「歌は人を幸せにする」という解説があり、「なるほど、やはり鬱々とした時は歌をうたうことで救われるんだ」と思ったわけ。ネット検索してみると「歌は人をしあわせにする」という本もあるようですが、残念ながらその要約までは見ることができませんでした。

私もこれまでの人生で2度ほど「何となく得体のしれない不安」を感ずる時期があり、しばらくして気付いたのは「あっ、これはウツかも知れない」。当時このコラムにも書きましたが、そのような時の私の対処法は「風に吹かれても逆らうことなく、そよそよなびく吹き流しのように」「不安感の去来をあるがままに受け入れ、右から左へ流れてゆくに任せる」、あるいは「明日はきっと何か良いことがあるぞと目を輝かせましょう」ということでした。要するに、鬱々としたものを心に溜めてはいけない。発散・放散する方向に向けるということではないかと思います。

そういう意味で「カラオケ」は心身に良いと思うのですが、残念ながら毎月の呑み会で必ずカラオケに誘ってくれた幼友達が昨年急逝してしまい、「一人カラオケ」するしかなくなってしまいました。仕事を辞めて3年、ひとと話すことが少なくなったのと年齢のせいで、最近は急に話そうとすると喉が錆びつきシワガレ声になってしまうのももどかしい、、

・・・

と書いていたら、女性ロックバンド「赤い公園」で作詞・作曲を担当していたメンバーの自死が報道されました。SMAP などにも楽曲を提供していたそうです。これで上記の仮説は成り立たなくなりました。またこれが負の連鎖とならぬよう願っています。

◯ 境目の年齢

TV で久しぶりに小林旭の歌う姿を見ました。かなり太ってしまったのは大分前からのことですが、最初の印象では顔も大分変わってしまったように見えました。

彼は番組の中で「宍戸錠、二谷英明、裕ちゃん、菅原文太、そして梅宮辰夫も皆死んじまって、生き残ってるのは俺だけだよ」と言っていました。確かに、、

ネットで調べると小林旭は81歳、私の3つ上でしかありません。大学や中高の同窓会を考えてみるとまだ元気な同年代も沢山いますが、かつて一緒に過ごした仲間が何人も既にあっちへ行っています。このマンション居住者でも年齢は上の方になってしまっているし、色々な会合で最年長者の部類に入ってしまい壇上での挨拶を振られることも、、

今月も大学同窓生2名、都医師会の元理事仲間で呑み仲間だった小松先生の訃報が届きました。日本人の平均寿命は現在、男性81歳、女性87歳。私もそろそろ、あちらとこちらの境目の年齢になったんだなあと、、(いえ、別に現在ウツ状態ではありません)。

◯ iPhone12 シリーズ

今年はコロナの影響でちょっと時期が遅れましたが、恒例の iPhone グレード・アップがありました。今回発表になったのは iPhone12, iPhone12Pro, iPhone12ProMax そして新たに加わった iPhone12mini の4機種。これに先立ち発表になった iPhoneSE を加えれば5機種。Apple は、似たような機種数をもっと整理すべきとの意見は今まで何度も述べてきたので、ここでは重ねて言いますまい( Apple 凋落の兆候と思っていますが)。

Jobs 健在なりし頃は新機種発表ごと更新していた iPhone ですが、最近はなるべく更新期間を延ばすようにしています。今回も iPhone7Plus を使い続けてきたのですが、3年目になるのでそろそろ更新しても良いかなと、、

それにしても、たった3年の間に7から12までステップアップしてしまったのには驚き。途中スキップした番号もありましたが。その割に機能的にはそう大きく変わっていないのも何だかなあ。Jobs のいた頃、新機種発表には必ず胸をときめかせるものがありましたが、亡き後の Apple は予想通りふやけてしまっています。

今回の新機種の仕様をチェックしてみると、iPhone12mini から iPhone12ProMax まで異なるのはサイズとカメラ性能ぐらい、CPU 含めあとは殆ど変わらないのはエライ!! ここ久しく褒めたことのない Apple をちょっと褒めておきましょう。

現在使っている iPhone7Plus は「一度、デカイ機種を試してみよう」との理由で選んだもの。感想としては「画面が大きいのは良いけれど、やはりデカイ機種は胸ポケットに負担が大きい」。今後はもっと小さな機種で十分と思います。

古い iPhone5 を引っ張り出し切れたバッテリーを充電して画面を見てみました「うーん、小さい画面でも文字はくっきりしているし、これでも十分我慢できるなあ」。サイズをチェックすると iPhone12mini は iPhone5 より僅かに大きいし、カメラを除けば性能は最上位機種の iPhone12Pro と殆ど変わらない。

そうなると今度選ぶ機種は iPhone12mini で十分なのですが、散歩での撮影に望遠はどうしても欲しいという理由から「高値が泣きだが iPhone12Pro かなあ」と、、

< 2020.09 考えるな感じろ | 2020.11 至上の処世術は適応すること >

書斎コンピュータのカメラで撮った近影

もっと晴ればれとした表情でいれば良いものをと思いますが

8月の目眩発作の影響が完全には消えやらず

頭の中やや混沌としているのが反映してるのかな

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です