2017.01 「わーくすてーしょんのあるくらし」も30周年

わーくすてーしょんのあるくらし ( 287)

2017-1 大橋 克洋

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◯ このコラムも30周年

「わーくすてーしょんのあるくらし」は全国月刊誌「インフォメーション」から依頼を受け、毎月エッセイを書き始めてから今年で記念すべき30年目になりました。最初は雑誌が廃刊になるごと何誌かの雑誌へと渡り歩いてきましたが、途中からそれも途絶えたところで タイミング良く、世の中に Web が台頭。1995年からは自前の Web サーバ上に書くようになりました。

それまでは書いてから2ヶ月ほどのタイムラグを経て誌面になっていたのですが、Web ではリアルタイムに新鮮なものを公開できるという大きなメリットがあります。しかし編集局からの依頼ではなく自発的に書くということは、怠け者の私にとって長続きするものではありませんでした。そこから3年間ほどは非常にチャランポラン、途切れ途切れの発行となりました。1998年「これからは自分の尻を引っ叩いても毎月書こう」と一念発起。そこからは1月も欠かさず書き継いできました。「継続は力なり」と念じつつ。

最初は限られた技術者達のためのマシーン「ワークステーション」をタイトルに掲げたように、コンピュータに関する内容に限って書いてきたのですが、Web 上に自前で書くようになってからはコンピュータに関するものだけでなく、自分で後から読み返して「あー、この頃はこうだったな」と振り返られるような「日々の生活で感じたことを書きとどめる自分の備忘録」となっています。これも長続きできた理由のひとつかも知れません。

◯ 今月の歩術

昨年暮れ診療もあと2日で終了という朝、何となく悪寒。今流行しているノロのような下痢嘔吐もインフルエンザや感冒のような咳もはっきりした発熱もないのですが、とにかく悪寒と倦怠感。午前の診療は何とかこなしたものの、とにかく大儀で午後の予約診療は無しにして昼食後すぐ布団に潜り込みました。

何年に1回しか風邪もひかない私としては、極めて珍しいこと。翌日も悪寒・倦怠感はとれません。幸い土曜とあって診療は午前のみ。今年最後の診療を済ませ午後からは再び布団に潜り込みます。原因は何だろうと考えるのですが、自分の身体なのにはっきりした原因を特定できません。前日朝排尿時滲みる感じがしたのですが、残尿感も頻尿もありませんから膀胱炎ではなく尿道炎かなとも思いましたが、翌日夕方にはその症状も消えました。

いつまでも悪寒・倦怠感がとれないので腎盂炎だったりするとヤバイなと、控えていた抗生剤を2日目夕方から服用開始。腎臓のあたりを押さえても無症状ですが念のため。それが効いたのか自然治癒か、悪寒・倦怠感はようやく3日目の30日になって消失。結局、大晦日まで何をするでものなくだらだらと過ごすことに。いつも暮れ間際になって突貫工事だった年賀状の版画掘りも、今年は27日頃に投函できていたのは良かった。

折角の年末休み、暮れの間はとうとう歩きに出るどころではありませんでした。歩きに出たのは1月3日、何日も寝ていたりだったので近場を4キロほど。もっと足が萎えているかと思ったのですが、そうでもありません。これに意を強くして翌日は品川宿から目黒川を登り、目黒通り、円融寺通りと14キロ弱歩く。意外に足がしっかりしているのを感じました。昨年春、40キロから50キロを何度も歩いたことで、かなり足腰が鍛えられたのかも知れません。

◯ iMac の画面が突然ブラックアウト

書斎の27インチ iMac の画面が突然ブラックアウト。「ああ、スクリーン・セイバーが働いたんだな」と、画面を叩き起こそうとトラック・パッドを触ってもキーボードを叩いても画面は目覚めません。散々色々なことをやってみても駄目なので最後の手段、リブートしようと電源ボタンの長押しをするため電源ボタンに触れると「あれ?」画面が目覚めました。とりあえず「やれやれ」と思ったのも束の間、再び画面がブラックアウト。駄目な時は電源ボタンに触っても目覚めません。スクリーンセイバーが起動しない設定にしてみてもブラックアウトは発生します「こりゃー、スクリーンセイバーのせいではないな」。この症状は非常に鬱陶しいものです。スクリーンセイバーなら一定の時間キーやトラック・パッドなどに触れないと起動されるものですが、今回の症状は入力作業中にも頻繁に突如発生します。

色々試行錯誤しても駄目なので困った時のお約束、Web で調べてみました。「iMac ブラックアウト」をキーにして検索してみると、おっ、ありました。で、その対策ですが「PRAM をクリア」「SMC: System Management Control をリセット」とか、果ては「Chrome の環境設定で『ハードウエアアクセラレーションが使用可能な場合は使用する』にチェックが入っていると、このような症状が起こることがある」とかいう情報があって、すべてやってみましたが、やはり画面が突然ブラック・アウトという困った症状は解消されません。OS の再インストールもやってみましたが駄目。うーむ、困ったなあ、、

◯ MacBook Pro ポチってしまった

書斎の iMac がいつブラックアウトするかわからないというのは非常に困りもの。うまくすれば電源ボタンで目覚めるのですが、駄目な時はいちいちリブートしなければなりません。これでは仕事にならないということで(それをまたとない言い訳として)、MacBook Pro を注文することにしました。手元には NeXT マシーンを思わせる黒い MacBook がまだ生き残っているのですが、流石に10年を過ぎたマシーンともなると画面は暗いし最新アプリは動かないしと、普段使いには色々と問題もあります。

今年の春頃までに久々に新しい iMac が登場するという噂もあり、iMac を更新するのははばかられます。修理に出すとしても、その間の代替機が必要。ということで Touch Bar つきの MacBook Pro をついにポチってしまいました。到着まで2週間ほど待たされるようですが、ちょっと楽しみ。

2週間足らずで届きました。私が選んだのはスペース・グレー。なるほど厚さは MacBook Air の厚い部分より全体的に薄いですね。脇に抱えてみると、冬の冷たさとともにエッジの鋭さを感じます。抱えたとき手に触れるエッジ部分はもう少しマイルドな方が良いと思うんだが。立ち上げると早速 iCloud の登録とともに指紋の登録。Touch bar の右端が電源ボタンになっており、ここで指紋を判定。指紋認識はスムースで使いやすい。Touch Bar については、まだアプリが対応していないものが多いので、有り難みを感ずるところまではいきません。

ポートがすべて Thunderbolt3 と称する USB-C 規格のものになったので、幾つかの変換アダプターを早速オーダーしました。これについては不満の声もあるようですが、私はほとんど気にしません。Jobs の製品ではしばしば経験してきたところで、殆どの場合、以前より快適な世界にステップ・アップするからです。

◯ いやあ、まいったね

大橋産婦人科は商店街に面しているので、たまにトイレを借りにみえる女性があります。大抵は「ありがとうございました」と礼を言って出て行かれますが、挨拶もせず二人連れで入ってきて知らん顔ででてゆくおばさん連も、、

先日の午後、入ってきて受付を通り過ぎていく大きなマスク姿の中年女性。受付「どうされました?」女性「トイレを貸してください」受付「どうぞ、どうぞ」。なかなか出てこないので受付が心配して「声を掛けましょうか」私「もう少し様子をみて」。30分ほどしてようやく出てきたので、受付「大丈夫ですか?」女性「便秘だったので」と礼を言うでもなく出ていきました。

しばらくして受付が「何か臭い」と言い出し、消臭スプレーを撒きながらトイレの方へ、中を見てびっくり「先生、凄いことになってます。来てください」。便座前の床に下痢便のようなものが撒き散らされ、トイレットペーパーがフォルダーから外され長い尾を引いて床に放り出されている。かと言って、それで床を拭いた形跡もまったくない。受付の怒ったこと怒ったこと。それから30分以上かけトイレの床を掃除し、便器・床・壁・ドアを消毒。いやあ大変でした。

そしてなんとその3日後、受付「先生またあのヒトです」。私「何故この間トイレをあんなに汚しっぱなしにしたの」女性「いえ、やってません」。話にもならず今回は丁重にお帰り頂きました。大きなマスクで顔を覆っているのでよくは判りませんが、どう考えても日本人の感性ではない。日本語は普通に話していたが ◯国人?

、、と facebook でも書いたら、早速幾つかコメントを頂きました。ひとつは「認知症の可能性もある」とのこと。なるほど、その角度からも見る必要がありますね。もうひとつは外国の方から「日本人にも悪い人はあるでしょ」とのコメント。そうですね、最近の日本人の感性も怪しくなっているし、、

◯ WRC 復活のトヨタ:初戦モンテカルロで準優勝

2016 年まで圧倒的な強さで連覇していたフォルクスワーゲン・チームの撤退に代わり、2017 年からトヨタのガズーレーシング・チームが新たに WRC に参戦。当面は車の熟成に時間を要し最初から好成績は難しいだろうと考えていたのですが、初日からハンニネンの乗るヤリスが3位(しかしその後ブレーキングの遅れからコース脇の立木に激突してクラッシュ、ハンニネンはデイリタイアを喫し大きく順位を下げました)。

それまで後方にいたラトバラ、次第に追い上げ最終日には2位。その裏には今回絶好調だったヒュンダイのヌービルが、パンクなどのトラブルで後退するという幸運もありました。それにしても「大きなトラブルなく完走」を目指していたトヨタにとって、初戦から2位という大きなボーナスがつきました。

上の写真は最終的に2位が決定して喜ぶヤリ・マティー・ラトバラ(右)とコドライバー。他の選手のトラブルによる幸運もあったものの、トヨタ・ヤリスに乗った二人のドライバー、ハンニネンとラトバラどちらも良い走りをしたところを見ると、心配していたヤリスの仕上がりもなかなかのもののようです。

フォルクスワーゲンからフォード・チームへ移籍したオジェ、やはり王者の貫禄で危なげなく優勝となりました。ワーゲンの残るひとりミケルセンは今回 WRC2 からの出走となりましたが、それでも抜群の速さで WRC に割って入っていました。個人的にはラトバラに比べ走りが安定し最近めきめきと能力を上げているミケルセンにトヨタ・チームに入ってもらいたかったのですが、、

ラリー・モンテカルロと言えば、印象深いのは雪深いモンテカルロ・コースでのミニ・クーパーの活躍。あれは私が大学時代でした。現在でもその子孫はダカール・ラリーなどで活躍しています。現在のミニは上からギュッと押しつぶされたような姿になっていますが、私は昔の箱型のミニのスタイルがとても好きです。

◯ 長寿を誇ったプリンター

自宅の書斎で使っていたブラザーのレーザプリンターの紙詰まりを取り除き、再度プリントしようとしたところ動きません。液晶表示部分に何やらデタラメな文字列が並んでいます。電源を切ってみたりと何度も再起動してみましたが、液晶表示のエラーは治らず、プリンターは動きません。基盤あたりがイカれてしまったものと思われます。

この LBP は15年もの長きにわたり使ってきたもの。当時は荏原医師会の副会長をしていた頃で医師会に LBP を導入、同じ機種を自分も購入したように思います。腰が抜けそうに重かったのが当時の印象でした。そのように重くてデカいプリンターでしたが、15年もの間、黙々と働いてくれました。外来のプリンターはほぼ3年ごとに故障でリプレースを繰り返してきましたが、書斎のプリンターの使用頻度はそれほどでもないので、長い寿命を保ったということもあるのでしょう。

自宅にはコピー機がなく以前から不便してきましたので、今度は外来と同じような複合機にすることにしました。FAX なしの安いものということでアマゾンで1万円ほどのものを注文。昔から考えるとめっちゃ安くなりましたね。今回代替わりした15年前のプリンターは当時8万円強。1988年4月のこのコラムを読むと「100万円以上していた LBP もようやく50万円以下になったので キャノンのレーザーショットを入れた」とあります。そして1989年に購入した Apple のLaserWriter II NTX-J は80万位したように思います(使わなくなった医療機器を売り、余裕のできた資金で購入したもの)。現在、これが1万円では元が取れるのだろうかと、他人ごとながら心配になりますが、買う側としてはとても有り難いこと。外来で使っているプリンターの下位機種。10年以上の実績から、今回も信頼のおけるブラザーを選択しました。

翌日早速プリンターが届きセットアップ。イーサネットを差し込もうとしたところ、イーサの差込口がない。よくよく取説を見ると、ネットワーク機能なしの機種を選んでしまったようです。まあ、USB で iMac に直結すればいいか。ということでネットワーク接続はできませんが、自宅でスキャナーもコピーも使えこれで便利になります。

、、と書いたのですが、プリンター設定で「ネットワークでこのプリンタを共有」にチェックを入れると、ネットワーク上の他のマシーンからも使えるようになりました。

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正月の荏原神社

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です