1995.07 ネットワークにつながらないコンピュータなんて

以前からことあるごとに「コンピュータをスタンドアローンで使っていても、 その持てる能力のごく一部を使っているに過ぎない」と唱えてきましたが、 最近良い例えを思いつきました。

「ネットワーク化されないコンピュータは、乗用車を庭に据置して応接間か 物置としてしか使っていないようなもの」です。

○ 第一話

私のコンピュータ歴は1978年、この世にパーソナルコンピュータと名のつく ものが出現した頃に始まります。その2、3年前、ビジネス・ショーにSORDが小 さなキーボードと可愛いデイスプレイを出品しているのに目をとめ名刺を置い てきました。数日後SORDから営業さんの訪問があり「どんなシステムをご要望 ですか」というので、診療所や自宅の数カ所にハードデイスクのサーバのよう なものがあり、数カ所の端末で会計処理その他ができるようなシステムのアイ デア・スケッチを書いて渡しました。

その後、2度と訪問はありませんでした。それはそうですよね、当時そんな ことができるのは目玉の飛び出るようなメインフレームしかなかったでしょう から(それはそれとして、1979年には SORD のマシーンを購入する事になりま したが)。当時欲しかったシステムは、現在 NEXTSTEP で完璧に動いています。

これには後日談のようなものがあります。それから16年後、かっての SORD を創業された椎名堯慶さんとひょんなことからお知り合いになり、 私のガラクタだらけの書斎においでいただく機会を得ました。当時のアイ デア・スケッチがみつからなかったのは残念でしたが、当時愛用し真っ黒 に手垢のついた SORD M200 mark II のマニュアルに直筆でサインをして 頂きました。椎名さんもこのマニュアルは既に手元にないそうで、大変懐 しがっておられました。

○ 第二話

現在の私の診療所は、13階建マンションの1・2階にあり、住居は13階です。 1981年に等価交換方式でマンション会社に土地を売り、見合った場所をもら ったわけですが、建築にあたって1階から13階までコンピュータ用の配管を頼 みました。建設会社はパイプの太さをどこかのメーカーへ聞きに行ったそうで 「そのようなお客は是非紹介して欲しい」と言われたそうですが、おそらく来 たらあっけにとられたに違いありません。

私が使っていたのは Apple II でしたから。しかし当時から「コンピュータ というものは相互に繋いで使うもの」という考えが私にはありました。配管を 通しておいたのは大正解で、約3年後 Ethenet の Yellow cable を通して Sun-3 を2台相互接続するようになりました。

実はこれにも後日談のようなものがあります。「自宅に Ether net を引い て Sun workstation を使っている個人がいる」ということで、当時 ASCII 副社長の西さんが「是非見てみたい」と私の書斎においで頂いたことがあ ります。当時、西さんはまだ Micro Soft 社の副社長も兼任されていまし た。西さんは「今晩は寝れなくなっちゃうなあ」と感激して帰られたのを 記憶しています。

偶然にもネットワークのご縁で、私が是非お会いしたいと思っていた著名 な方々と面識を得られたのも面白いことです。

話を元へ戻しましょう。高級な乗用車を庭にデンと据置にして、クーラーを 効かせ、ハイテクのステレオやパワーウインドーに囲まれ、高級なシートに身 を沈めるのも、それはそれとしてなかなか満足感のあるものでしょう。しかし、 ボデイーはデコボコ、シートはボロボロでも、ゴトゴトと道路に乗り出せる車 であれば、庭に据置の高級乗用車の何倍もの仕事をこなしてくれるかも知れま せん。現在はインターネットに繋がるようになったので、乗用車よりも飛行機 に例えた方が良いのかも知れません。もうじき、宇宙船になるかも。

ネットワークそれも外部のネットワークに繋がったコンピュータは、まさに 時間と空間を越えることができます。日本のコンピュータ環境への啓蒙のため にも、機会あるごとに「どうしてネットワークに繋がないの? 」これからも素 朴な疑問を発することにしましょう。

先日ある理科系の大学の教職にある方と e-mail で連絡する機会がありまし た。不思議に思ったのは、その方の mail adress が internet ではなく、 Nifty なのです。

「ところで、そちらの大学は Internet には繋がっていないのでしょうか。 Internet で mail をやりとりできればその方が嬉しいです」と書きました。 頂いたご返事では、一応次年度予算ではネットワークの費用を請求すること になっているそうですが、「コチコチの教官はパソコン通信など馬鹿にして興 味を示しません。特殊な目的でもないと、彼らの立場ではどうしてもとは思わ ないようです。アプリなど学問ではないと言う方が多いです」とのことでした。 また「教員のお遊びと発言するヤカラもいます」とも有り、ご苦労が忍ばれる ものでした。

○ 遊びこそ最も効率の良い学習

どうして「遊び」がいけないんでしょうね。「遊びこそ最も効率の良い学習 である」ことがどうして解らないんでしょうね。子供たちは勿論、ここに出て くるように大人たちからも「遊び」を取りあげてしまう日本の文化の将来は暗 澹たるものがあります。

普通、「遊びながら居眠り」をしたり「あー、やだなあ、早く家に帰りたい なあ」と思うことはないでしょう(睡眠不足だったり、体調が悪いなどは別)。 遊ぶときこそ、人間の集中力はもっとも効率よく働いているはずですし、吸収 力も抜群です。

良い研究成果を得ようとするなら、遊びの精神こそ大切と私は思っています。 現在標準となりつつあるマウスやウインドーなどの GUI を用いたマン・マシ ーン・インタフェースは、XEROX のパロアルト研究所で研究・開発されたもの で、コンピュータの使い勝手を画期的に高めました。このような優れたアイデ アの集積は「遊びのこころ」が無ければ絶対に出てこないものと思っています。

しかし、その成果は XEROX 社の直接の利益に繋がらなかったのは確かで、 「自分の直接の利益につながらないものは、すべてくだらない遊びでしかない」 という定義の仕方は確かにあるでしょう。でも、私は XEROX 社が世界の人類 のために貢献した成果を大変高く評価しており、世の中ももっと声を大にして 評価すべきです。

もうひとつ遊びの功罪について触れて見たいと思います。私の本業は産科医 ですが、最近の日本人は十数年前と比べ、とてもモロくなっているように感じ ます。病気やストレスに対する耐久性がもの凄く落ちていると思うのです。 私が子供の頃は終戦直後で(あー、年がばれちゃうな)、東京でも空地が沢山 ありました。学校から帰ると塾に行くわけでもなく、空地で近所のガキ大将た ちと廃材で家を建てたり、焼け跡の土台にたまった雨水の池に手製の船を浮か べたり、戦争ごっこをしたりで、日が暮れるまで走り回ったものです。

そのような子供たちはありあわせのもので遊ぶために自然と応用力がつきま すし、木から落ちたり手を切ったりして自然の防御能力もつきます。これがと ても重要だと思うのです。

○ 田舎の子と都会の子

私の先輩が面白い例を挙げてくれました。「うちの子供たちが遊んでいてな あ、片方がズルイズルイと叫んでいるんだ。何をしているかと見ると水鉄砲で 水のかけっこをしているんだが、都会育ちの兄貴の方は普通にバケツから水を 補給しているのに、田舎そだちの弟は水鉄砲にゴムホースをつないで連発式に してしまっているんだ。遊ぶ環境って大事なんだなあと思ったよ」ということ でした。

もうひとつの例です。私は学生時代は馬術部で、もっぱら馬一筋にやってき たのですが、数年ぶりで医歯薬学生馬術連盟の理事に出てみると、理事会では 「安全第一」が物凄く強調されるのに奇異の感じを受けました。 聞いてみると納得できる理由があって、ここ数年、馬術競技会で死亡事故が 2例ほどあったのだそうです。落馬事故だそうですが、それも派手な落馬では なくズリ落ちるような形で、お尻からストンと落ちただけなのに頭蓋底骨折を 起こして亡くなったのだそうです。

私の感覚では信じられませんでした。学生時代「落馬も馬術のうち」と言わ れ、障碍前で馬がストンと止まって、人間だけ派手に宙を飛んで障碍の向こう 側に落ちてしまったり、馬がロデオのように暴れて気がついたら目の前に馬の 顔が逆さに見えて落ちていたなんてことは日常茶飯事でしたが、それで大怪我 をするなんてことは考えてもいませんでしたし、勿論ありませんでした。上級 生になった頃には落馬しても一回転して、ちゃんと足で立ち、乗馬服を汚した ことさえありませんでした。

栄養的なこともあって骨もモロくなっているのかも知れませんが、主な原因 は子供の頃の日常生活でのトレーニングが欠如しているため、反射的に起こる べき受け身が発生しないのだと思います。

そういう自分の子供が転ぶのを見て、愕然としたことがあります。多摩川の 河原で遊ばせていたのですが、転ぶとき当然前にでるはずの手がでずに顔面着 陸をしてしまうのを見てしまいました。「なあるほど、倒れるときには自然に 手がでるものと思っていたが、あれも学習によるものだったんだ」と、おかし なところで感心してしまったものです。

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