2016.03 ただ淡々と歩む

わーくすてーしょんのあるくらし ( 277 )

2016-3 大橋 克洋

プロアドベンチャー田中陽希さんが踏破していた日本アルプス

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◯ ただ淡々と歩む

グレートトラバース:日本百名山一筆書き踏破という番組を楽しみに見ています。屋久島の宮之浦岳から北海道・利尻島の利尻岳まで、徒歩とカヤックのみで百名山を一筆書きで7800キロ踏破するもの。さらに翌年はこの逆の経路で百名山を総移動距離8000キロ、合計二百名山を踏破。田中陽希さんというプロ・アドベンチャーによるもの。とても面白く拝見させてもらっています。

山岳地帯の危険をプロの知識と技術と根性で越えてゆくところもそうですが、山と山との間の一般道をただ淡々と歩くところにも大きな共感を覚えました。私は彼が歩いているのを見て「ただ淡々と」と思ったのですが、先日放映されたものを見ていたら彼自身苦しい登りの道で喘ぎながら「何も考えずに登る。ただ淡々と、」と言いながら登っていました。

私はハイキング程度の登りは何度か経験しましたが、本格的登山の経験はありません。しかし、他にも山岳を舞台にした映画などを見ていて、自分の歩術が山登りで、どの程度効果を発揮するか試してみたい気持ちは大いにあります。登りでものを言うのは、脚力より心肺能力です。普通の人よりは行けると思うのですが、実際にはどの程度なのかなと、、

平地ではありますが、一昨年2回に分けて踏破せざるを得なかった神奈川県平塚から自宅までの中原街道50.2キロを今年は一回で歩いてみたいものと思っています。人生もそうですが、やはりプログラミングでも何でも「ただ淡々と歩む」ことがキモだなあと、、

◯ 今月の歩術

昨年は生涯における最長距離35キロを達成しました。今年はフルマラソン距離42キロが目標、できれば一昨年2回に分けざるを得なかった平塚から自宅まで中原街道50キロを制覇したいと思っています。一昨年の中原街道挑戦で思い知ったのは、長距離制覇にはそれに備えた準備が必要ということでした。季節を選ぶことも必要、3月から4月にかけて、あるいは10月から11月にかけてあたりが良いでしょう。やや曇天で肌寒い位の陽気がベストと思います。それに備えたトレーニングも、いきなり長距離でなく、5キロくらいずつ距離を伸ばして行こうと思っています。

今年の第1弾、昨年の35キロより少し伸ばしたいと思います。歩きにモチベーションを与えるには何か目標が必要。飲兵衛仲間の弓倉先生の診療所までが18キロほどで往復36キロ、これを目標に歩きに出ました。目黒川遊歩道を中目黒まで、渋谷、原宿に向けては以前通っていたデザイン・スクールへの道。早朝のデザイン・スクール前を過ぎ、新宿駅の大ガード、大久保駅近くを過ぎ、神田川沿いの遊歩道へ。目黒川遊歩道に似ていますね。まだ桜は蕾が膨らんだところ。もう、2,3日で開花かな。神田川って、こんなところも流れているのか。下落合駅近くを過ぎ、椎名町駅。この辺りは単なる直線路ではないので iPhone の google map 頼りに経路を確かめながら。やがて大きな病院らしき建物の前に出る、日大医学部ってこんなところにあるのか。日大卒の弓倉先生、母校から歩いていける距離なんだな。やがて10分もせず弓倉医院前に到着。外装のリフォーム中なのか足場がかかり職人さんが作業をしている。弓倉医院の看板を入れ証拠の自撮写真。ここまで3時間半ほど。すぐそばを環七が走っているはずなので、復路は環七で帰る予定。医院前からすぐ広い道路に出たので、そこを左折。GPS を使い続けた iPhone はそろそろバッテリーがやばい。昨年暮れ35キロ歩いた時は最後まで保ったのに。バッテリーがそろそろヘタってきたらしい。これから長距離歩きには予備バッテリーが必要だな。バッテリーを気にしながらチラッと見る google map によると、どうも考えていた位置と違うような。弓倉医院のすぐそばで環七と青梅街道が交差しており、環七のつもりで青梅街道に入ったようだ。行く先で山手通(環六)と交差、環六を行くことにする(結果的にはこれで良かった。最後の方でかなりへばってきたので環七だと辛かったかも)。環六もこちらの方は舗道がやたら広くて快適ですね。歩くには絶好。ようやく左手に副都心の高層ビルが見えるようになり新宿脇に来たことを知る。グレート・トラバースの田中陽希さんの歩きをイメージし、最初からかなり歩度を上げて歩いてきたため、この辺りになるとかなり足が重くなってきた。大橋の辺りの階段の登り降りはきつそうなので、代官山手前から山手通旧道を選択。代官山の終わる辺りで今朝歩いてきた往路に合流、目黒川遊歩道を戻る。帰宅は午後2時を過ぎそうなので昼食は途中で済ませる予定。目黒不動の方へ斜めに行く道に、ちょっと気になる手打蕎麦があったのを思い出し、蕎麦を食べようと寄ると満員で外に4人ほど待ち行列。あきらめ目黒不動商店街に入ると、これも気になる海老民という蕎麦屋があった。蕎麦も置いてはいるが、どちらかというとお食事処。お銚子1本で疲れを癒やし、カツ丼をガッツリいく。流石にちょっと疲れが出ました。もっと疲れない歩きの工夫が必要だなと。それでも足の強張りはやや残ったものの、疲れ自体は夕方には消失。

弓倉医院まで片道18キロ、往復36キロでした。iPhone のバッテリーが心細く途中からネットを遮断したので正確な距離を記録できませんでしたが、直線に近い往路に対し復路はやや湾曲しており、実際には36キロを少し上回っているのではないかと思います。

◯ Picasa から Google Photos へ

この web site に貼り付ける写真の保存場所に Picasa を使ってきたのですが、Google が吸収合併した Picasa のサービスを Google photos の中に含めるようになったことは以前ここに書きました。そして最近ついに Picasa のサービスが終了となったので、今月は Photos の方から使うしかなくなりました。

今回使ってみて Photos の使い勝手は以前より良くなったものの、イマイチどうやったら良いかわからず試行錯誤した部分がありました。Picasa で「わーくすてーしょんのあるくらし」用に蓄積した写真アルバムがありますが、これは Photos の「コレクション」というジャンルの中に入っています。そこへの写真アップロードで、かなり試行錯誤してしまいました。単純に画面へドラッグ・アンド・ドロップで行けるかと思ったのですが、受け付けてくれません。編集用のペン・アイコンをクリックするとプラス・アイコンが出たので、これで行けるかと思ったのですが、これも駄目。いろいろとやってみて、やっと判りました。

「コレクション」の中には自分が作った色々なアルバムがあります。その中の「わーくすてーしょんのあるくらし」というアルバムの中で上記をやっていたのですが、そこから外へ出て色々なアルバムの表示されている「コレクション」のページに戻ると雲型アイコンがあるのに気が付きました。ここからアップロードでき、アップロード先のアルバムも選べるのでした。これって、選択したアルバム内にも雲型アイコンがあれば、これだけウロウロすることなく一発でアップロードできたはず。「Google さんのことだから、そのうち改良してくれるはず」と期待してます。Google さん、これ読んでくれると良いんだけれど、、

◯ 米国大統領選挙のゆくえ

米国大統領選挙の行方は日本にとっても大きな影響のあること。多くの人が感心を持っていることと思います「米国がくしゃみをすれば日本が風邪をひく」。その選挙もいよいよ大詰めを迎えつつあります。

「トンデモ発言」を繰り返すトランプ氏が現在のところ優勢のようですが、これは果たして米国にとって良いことなのでしょうか。彼の人気の原因はどうやら「現状に満足しない米国民が多く、とにかく現状を変えたい」と思っているためのようです。これはつい先年、日本国民が民主党政権を選んだ時と非常によく似ています。多くの人が望む「現在の政党とは異なる政党を」には「選ぶ政党が正しい方向性を持っているか」確信した上なら良いのですが、単に「現状を変えれば良い」というのは非常に危険というか、望んだこととまったく逆の結果をもたらす可能性があります。つまり「現状を変える」ということは「現状より良くなる」だけでなく「現状より悪くなる」も含まれることを考えないのでしょうか。

これは日本で民主党政権が選択された直後に私が思ったこと「うわー、こりゃー日本の政治は酷いことになるぞ」、そして案の定その通りになり民主党は一期のみで自民党に戻ったわけです。米国でも同じことを考えている人が少ないわけではないようで、スーパーチューズデイにトランプ氏の優勢が決まると同時に Google 検索で「カナダへ移住」の検索が劇的に増え、カナダ政府の web site が荷重アクセスでダウンする騒ぎもあったとか。「こりゃー、米国も酷いことになるぞ」と隣国カナダへ移住を考える人が多いということは、トランプ氏の行わんとする政治をちゃんと予見する人も少なくないということなのでしょうが、どうしてそれが票に反映されないのか、私にはとても不思議なことです。

私が好きな大統領はケネディー大統領でした。もっとも脂ののり切ったところで暗殺されてしまい、大統領として望まれていた彼の兄弟たちも非業の死をとげ「悲運のケネディー家」を印象づけました。現在でもあのような大統領が望まれているのではないでしょうか。

◯ まき戻した時代をみる

手持ち無沙汰で何となく TV で見ていた乙羽信子主演の「若い人たち」という映画。ほんの一部しか見なかったのですが、印象に残ったのは、そこに描かれている時代風景。

銀座通りを象徴するネオンの輝き。ビルの屋上に輝く大きな地球儀や森永ミルクキャラメルのネオン。そういえば、これらは銀座の象徴の一つでした。主人公たちが帰宅してガラリと開ける一軒家の玄関のガラリ戸や、アパートのドア。どれも鍵がかかっていません。これって、いつ頃だろうと web で調べてみました。1954年、私が中学入学の年なんですね。「そうだよなあ、あの頃は都内でも昼間は玄関にいちいち鍵などかけていなかったよなあ」。街を走っている車で時代を特定できる場合も多いのですが、短時間しか見なかったので車種を特定できる映像はありませんでした。しかし、でかいアメ車が混じっていたのは時代を表すものでした。

主人公の勤める銀行の慰安旅行。浴衣を着た行員たちが芸者をあげて、手拍子を打ちながら唄を歌っている。あの頃、大橋医院の隣のとんかつ屋の2階では、夜になるといつも宴会が行われていて「月がでたでた〜月がでた、あんまり煙突が高い〜ので、さ〜ぞやお月さん煙た〜かろ、さのよいよい」と大声で炭坑節などを歌う声がよく聞こえてきたっけ。

病気の父親に買って帰った数個の梨、古新聞紙の紙袋に入っている。袋になっているだけ上等、単に古新聞紙にくるくると包むだけで「ハイ」とお客さんに渡していたことも多かったよなあと。太平洋戦争が終わってまだ9年。それでも日本はかなり復興してきていたんだなあと。振り返ってみると私が小学校低学年の頃1950年までは、自宅から小学校までの道には錆びたトタン板で囲ったバラックが多くみられました。今ではホームレスでも、もう少しましな所に住んでいたりします。

東京が焼け野原になるような徹底的敗戦に見舞われても、5年もすれば一応の状態に戻れるんだなと、日本人の生命力・パワーを感じました。私の家も家族4人が和室二間の生活から、更に洋間二間を増築して洋間の暮らしに移ったばかりでした。日本はまだまだ貧しかった時代、皆が戦後の復興で経済成長をめざしていた時代。とても懐かしく思うとともに、あの頃の質素な生活に一部でも戻りたいものだと思うのでした。

◯ 北の国から

倉本聰の「北の国から」がかなり有名だったことは知っていましたが、その当時も以後も見たことがありませんでした。最近その再放送があり、第1回から特別編の最終回まで通して見ることができました。なるほど、これは凄いドラマです。とても感動しました。

田中邦衛演ずる主人公黒板五郎の息子純は「男はつらいよ」の寅さんの甥っ子を勤めた吉岡秀隆、初回では小学校低学年でしたが、最終回では結婚寸前の年齢。このドラマは後半数年ごとの飛び飛びながら20年ほども続いたので、黒板五郎の息子純、娘蛍らの成長を目の当たりにしながら見ることができるのも見どころですが、後半のドラマでは極めて感動的な場面が続きます。舞台となった北海道富良野の厳しい大自然、その中で経済至上主義の日本に背を向け自然の恵みと自助努力で生きてゆく黒板五郎の姿。最初はそれに大きく反発していた純が成人し最後には父親の生き方に大きく共感する姿。純や蛍の経験する何度かの恋など。何度でも見直したいと思わせるのは「男はつらいよ」に通ずるもの。

この感動の余韻が尾を引いて iBooks で倉本聰の書いたものを探してみました。その文章の中から大きく共鳴したものを幾つか、、

  • 戦前、僕らには超然とした神のような存在があった。神に見られて恥ずかしくないかどうか自らを規制していた。戦後、日本はこの神を捨て、法律がとって代わった。

    • 自然さえしっかり守っていれば、自然は人を守ってくれる。自然の利息で生きていける。しかし現代は利息で飽きたらず、元金にまで手を着け自然を破壊しつつある。

    • 定年になってからすごく生き生きしている人もいれば、すごく老けてしまう人がいる。それは五感を鍛えず労力を惜しむから。何歳になっても挑戦することは大切。

科学文明がどんなに進歩しても、これらの文言は正しいと思います。数百年の経験に裏打ちされた科学文明より、はるかに長い年月の試行錯誤を経て得られた人類の智慧ですから。

◯ 現代人の忘れてしまったもの

iBooks でみつけた「倉本聰の姿勢」という本を読んでいて、いろいろと共感するものや面白いものをみつけました。その中から、、

彼は40歳の頃、都会生活を捨て、北海道富良野の林道の奥に転居しました。そこで過ごした最初の夜、電気工事が終わらない新居の小屋に寝袋を持って独りで泊まったそうです。その夜は曇天で日が沈むと漆黒の闇。ロウソクを灯しても周囲がよく見えない。夜が明けるまで本当に不安な気持ちでまんじりともせず過ごしたそうです。

生活用品などはジープを運転して街まで買い物に行くが、家のそばの道に大きな岩が顔を出している。あまりにも大きく重機がなければどけるのは無理と思っていたが、近所の人に相談すると「やろうと思えば、やれるべさ」。まず先の尖ったスコップを用意し、岩の周囲を根気よく堀り岩をなるべく裸にする。次に丈夫な丸太を2本用意して、岩の横からこじる。一生懸命やれば1日3センチくらいは動くだろう「それを毎日やれば1ヶ月もすれば1メートルくらいは動くんでないかい?」。現代人は最初から諦めてしまうことも、根気よく時間をかければ「必ずできる」。現代人は「いつか」ではなく「すぐ」と考えるから、諦めてしまったり無駄な金を使ってしまう。

このエピソード、私にはとても納得のゆくもの。コンピュータのプログラミングがまさにそれ。「こんなこと不可能、できやしないさ、と思うような問題でも、藁の山から針を拾うような作業を根気よく積み重ねているうち、いつの日か必ずできてしまう」という経験を何度もしてきました。先日の36キロウオーキングも同じ、一直線にどこまでも続く道路を眺めながら淡々と歩くうち、遥か遠方に見えていた巨大なビルがすぐ横に見えるようになり、それもやがて遥か後方に見えなくなって行く。

◯ Bluetooth キーボードをリプレース

外来で使っていた Bluetooth 接続のキーボードが突然反応しなくなり「電池切れかな?」と新しい電池に入れ替えました。ところがいつまで待っても iMac に接続されません。「あれ?電池の挿入方向を間違えたかな」と方向を逆にしてみましたが、これだとキーボード右端のボタンを押しても小さなグリーンの確認ランプが灯りません。「やはり前ので良かったか」と電池の方向を元に戻してみるとグリーンのランプが灯ります。しかしいつまで待っても iMac に接続されない。

iMac 側の Bluetooth 機能不調も考えなければいけないと思い、他の iMac に接続を試みましたがやはりいつまで待っても接続せず。数カ月前に発売されたが買い控えていた Magic Keyboard を購入することにしました。AppleStore でポチった翌日、それが到着。今度のやつは単3電池を入れるのではなく、バッテリー内臓で Lightning ケーブルで充電します。到着したキーボードに Lightning ケーブルを繋ぐと、今までのようにシステム環境設定を使用せず自動的に接続されるんですね。これは便利。今度はちゃんと Bluetooth 接続できました。やはり iMac 側の問題ではなくキーボード側の機能不良だったことが確認できました。

今度の Magic Keyboard は単3電池を入れる筒状の部分がなくなり、かなり薄くなりました。キータッチは以前のものと余り変わりませんが、コンパクトでかなり気に入っています。気になるのはバッテリーがどのくらい保つのだろうかということ。特に数年使ってからのバッテリーの劣化。数年後にレポートすることになるのでしょう。お釈迦になったキーボード、まだとても綺麗なシルバーの外見をしているのに機能不全とは悔しい。

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家の北側、武蔵小山商店街に面した一角が取壊され高層マンションが建つようです

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です