1987.08 夏休みのワークステーション

わーくすてーしょんのあるくらし (8)

1987-08 大橋克洋

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産婦人科の開業医というものも因果な商売で、 まとまった休みをとることがなかなかできない。 いつ始まるかわからない「お産」を相手にしているので、 出掛けるにも常にポケットベルを携帯し、 イザとなればすぐに飛んで帰らねばならない。

それでも年に一回、留守を他の先生にお願いし 夏休みだけは少しまとめてとって家族サービスを行なうようにしている。 長い間家を空けるとなると、困るのが家に飼っている生き物である。 住まいはマンションの13階で、 規定により動物は飼えないことになっているので 主なものは植木類であるが、 これらは水をたっぷりやって閉め切った浴室にまとめて入れておけば 一週間位は放っておいても差し支えない。

残るのが「ワークステーション」で、 私のところではワークステーションを電話回線につないで以来、 電源を落としたことがない。 UX-300の方はもう2年以上、 SUN-3 の方も1年以上電源入れっぱなしで動いている。

旅行の間くらいは電源を落としても差し支えないのだが、 ネットワークのリンクを切ってしまうと 私の所を経由するネットが途切れてしまうし、 それに ocean(私のところの site name) はどうしたのかと 気をもむ site があったりしても悪いという気がして SUN だけは電源を落とさずに出掛けることにした。

○ ワークステーションには世話を焼く人が必要

一年分まとめて日焼けして帰ってみると、 SUN は一応稼働してはいたが log を見ると 交信がすべて fail している。

調べてみると、 最初は私の SUN の泣き所であるディスクスペース の少なさからくるファイルオーバーフローでまず落ち、 次に CTS の 2400bps モデムがキャリアを返さない 状況になっていることがわかった。

早速モデムは修理に出すことにしたが、 その間他とのリンクが切れてしまうので、 秋葉原で 1200bps の安い国産モデムを買って来た。 ついこの間まで 300bps のモデムでさえ5万円以上していたのに、 1200bps が2万円弱で買え、結構快適に使えそうである。

SUN にこのモデムをつないで、 早速隣のサイトを呼んでみたが、 回線が繋がりモデム同士メッセージを交換した直後に回線が切れてしまい、 何度やっても同じである。新しいモデムのこととて、 設定が悪いのかとマニュアルをひっくり返し、色々とやってみるが結果は同じ。 何のことはない、向こうも夏休みでしばらく留守にしており、 システムが死んでいたのだそうだ。

やはり UNIX ワークステーションも生き物を同じで、 いつも世話する人がいないとマットウに動くことはなかなか難しい。 われわれが使っているような廉価版に限ってかも知れないが。

○ 良いソフトウエアはフリーウエアから

他誌のことを書いて何だが、 まあこの業界誌はその辺は比較的おおらかなのでちょっと引用させてもらおう。 「bit」の8月号に GNU emacs の開発者である リチャード・ストールマン氏を囲んだ座談会が載っており 大変面白く読ませてもらった。

中でも大変共鳴したのは「ソフトウエアは常にフリーで 誰がコピーして使おうと全く自由だが、 特定の個人を助けるために私の時間をさくようなサービスについては それ相応のお金を頂く」という彼の考え方である。

ソフトの世界には相矛盾するものがあって、 良いソフトが普及するためにはソフトはフリーでなければならないが、 一方それではソフト開発をメシの種にしている人達は 干上がってしまうことになる。

しかし理想をいわせてもらえば、 ソフトはソフトコードを含めて、 誰でも自由にコピーして使えなければならない。 これによって色々な人のアイデア・技術を取り込んでソフトは改良され どんどん進化していくし、 大局的に見れば開発コスト・開発時間は大幅に減少し、 他人の作った優れたソースを読むことによって、 お互いの技術を飛躍的に高めることができる。

この素敵なアイデアを取り入れて始まったが、 肝心の所は暗いクローズドの結果に終わりそうなのが 某国家プロジェクトである。

○ 進歩をはばむクローズドの世界

実際 UNIX にはこのようなオープンな環境があったからこそ、 今までになかったユニークな特徴を発揮するところとなってきたのだが、 最近は ATT も UNIX を商売にしようとして、 開放的でフリーな世界から閉鎖的で縛られた世界へと変わりつつあるのは 大変嘆かわしいことである。

これに加え逆に最近 UNIX に関するバークレーの動きは 活発さを失っているようで、 いずれ他の OS に乗り換えなければならない日がくるのではないかと恐れている。

今までひいきにしていた日電にも最近あまり好ましくない動きがあり、 大変嘆かわしく思っている。 それは互換機対策のひとつとして PC-9800 シリーズの MS-DOS にガードプログラムを組み込み、 PC9801用のアプリケーションが 他のハードウエアでは動かないようにするというものである。 これでは折角 PC-9800 シリーズを核に築かれてきた 日本のアプリケーション文化が大きく停滞するであろう。 何のために MS-DOS を使うのか分からなくなる。

PC-9801は今や押しも押されもせぬ日本の標準機である。 プライドを持ってもっとおおらかに 日本のソフトの発達に貢献してもらいたいと思う。

逆の例であるが、「一太郎」のバージョン3ではプロテクトがはずれた。 ようやくハードディスク上でまともに「一太郎」を使えるようになり、 大変ありがたい。 今後はパーソナルコンピュータといえども、 HDを使うのが当たり前になるのは当然であるし、 このような進路変更は大いに歓迎したい。 以前書いたように、 まだ専用ワープロ機に勝るとは思わないが、 ニューバージョンになってから急に「一太郎」を使う機会が増えた。

もっともジャストシステムでは、 様子を見た上で違法コピーが多数行なわれるようであれば 再びプロテクトをかけざるを得ないと言っているそうであるが、 どうか皆さん良識に従って快適に使える環境を保持するようにしましょう。 再びプロテクトがかかるようであれば、もう「一太郎」は使うまい。

○ ハードウエアの互換性について

診療所では初代 PC-9801を使っており、 自宅には PC-9801Fがある。 最近 20Mの HD も大分安くなったので、モデムと一緒に一台購入した。 これを9801Fに繋げ、 Fに付いていた 10Mの HD (8インチドライブと一体型)を9801へ繋ごうと思ったのだが、 そうするとメディア変換に困ることに気がついた。

共通だった8インチがなくなり、9801と9801Fとで、 メディアの互換がとれなくなるのである。 シリアルラインでデータやりとりの方法はあるが、 普段は面倒でやりたくない。

考えてみると PC-9801 シリーズはディスクドライブ変遷の歴史でもあり、 8インチ2D、5インチ2DD、5インチ2HD、3.5インチ 2DD、 3.5インチ2HDと様々なものが使われている。 今後はHDが主になるであろうから、 すくなくともメインは一本化されるであろうが、 ソフトにつけハードにつけ、互換性は最優先で考えて欲しいところである。

5インチ2HDドライブの場合は自動的にフロッピーの種類を読んで、 2DDでも使えるのは大変ありがたい。 ついでに8インチから3.5インチまで あらゆるメディアを読めるドライブなんてものを どこかのサードパーティーで出してくれないものかしら。 その気になれば、できないことはないはずだから。

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