2012.04 古稀を越えて新しいフェーズへ

わーくすてーしょんのあるくらし (230)

2012-4 大橋 克洋

散歩コース 目黒川に満開の桜

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◯ ついに古稀を迎える

先月23日をもって古稀を迎えました。70歳と云えばかなり「老人」というイメージでしたが、実際なってみると「何だこんなものか」「今迄と余り変わらないじゃん」。しかし峠を越えれば当然のことで微妙に身体の劣化が進んで行くのだろうと思います。劣化を早めるか遅延させるか、あとは努力次第というところなのでしょう。

医者の不養生の典型、油断していたところ血圧上昇に気づき、先月から本格的に「歩き」を始めました。血圧の安定していた1年前とは食事も降圧剤も何も変わっていないのですが、強いて変わったところは、東京都医師会へ毎日の通勤がなくなったこと。都医への通勤は自分の意志と関係なく否応無しのものでそういう意味では楽だったのですが、今度は「自分の意志」で歩くところが「ちょっと」いや「かなり」違います。無精者の私の「尻を自分で引っぱたく」必要があるからです。先月は1日 5km から始め 8km 近くまで歩くようにしました。歩いてきた後の爽快感はなかなかのもの。毎日は無理でも隔日に近く実行。それですぐに著明な血圧降下はありませんが、よく歩いた翌日の血圧はやや下がっているようです。

考えてみると体脂肪も結構増えているような気がします。こちらもヤバイ。もちろん歩くことで体脂肪も減少するはずですが、まずは食生活。1年前までと食生活は何も変わっていないのですが、運動不足の間に澱が溜まるように体脂肪が蓄積したのだと思います。「身体が必要とする分を越え摂取している」ということ。「歩き」効果を待つ悠長さがないもので(つまりセッカチ)まず食生活を何とかしたい。

還暦通過にあたっては結構な変化と努力がありました。しかし古稀に際してはすんなり移行できそう。新しいフェーズ、未知の世界へ向かう楽しみをちょっと感じています。

◯ 消えゆくもの現れくるもの

先月は「消えゆくもの」について書くことが多かったようなので、「じゃあ、現れくるものは?」と考えてみました。私の関心あるものとしては何と言っても IT 関連。iPhone / iPad などは現れてくるものの典型でしょう。25年ほど前「わーくすてーしょんのあるくらし」の始まった頃、画期的にこの世を変える事柄が水面下で動き出すのをこの目で見て体験してきました。それがネットワークの曙、情報化時代の起爆剤となるものでした。iPhone / iPad もネットワークなしでは単なる電話機やお絵描きバッドですもんね。

それではこれから現れるものは?と考えてみましょう。まず近いうちに TV や雑誌が Web 上に統合されて行くはず。ひとつの媒体上で文字情報だけでなく動画など色々な形式の情報を渡り歩けるようになりつつあります。このエッセイを書き始めた頃「プリンター・スキャナー・FAXが一体化された周辺機器が現れるに違いない」と書いたのと同じようなこと。従来パソコンでやってきたことの殆どが、小画面ですむものは iPhone で、大きな画面を必要とするものは iPad で行われるようになるはず。私にとって iPad では出来ないことのひとつがプログラミングですが「作業自体はバックヤードのクラウド上でやればよいこと。iPad 上にプログラミング作業に耐えうる GUI さえ載ればよい」ということだと思います。海の向こうにはいつも私と同じことを考えている人がいるので、いずれ「iPad でプログラミング」も実現するはず。

次に気になるのはエネルギー問題。マスコミで話題に上がる太陽光や風力による発電に私は大きな期待をしていません。それより地熱や波力あるいは海流などの方が継続的かつ大きなエネルギーを得られるのではないかと。そして大容量で軽いバッテリーの出現に期待しています。さらに発想を転換すれば、そもそも自然界で生物はどうやってエネルギーを得ているのか。動くことのない植物は別として動物と同様のエネルギー発生の仕組みはできないものか。すなわち人間が食さないものでも食わせるとエネルギーを発生するような装置ができないものか、、それが食物連鎖に繋がるようであれば更に云うことなし

ここで思う事ですが、マスコミを先頭に世の中こぞって原発叩き。私の臍曲がり精神がうずきます「本当に原発は全廃すべきものか?」「いや、そんなことはないだろう」「資源に乏しい我が国にあって、世界的にも化石燃料枯渇に向かう中、エネルギーを効率よく生産する原発はなくてはならないもの」「電気・ガスや新幹線・航空機も大規模な危険をはらむ。人類はそれを上手に飼いならし、日本国民の誰もそこに大きな危険性を思うものはいない」「福島原発は老朽化した施設に思い至らないなど、その管理体制に大きな問題があった。建屋浸水・発電機停止などの被害に遭った女川原発では問題を生じていない」「福島原発の教訓を十分に活かし、安全性の確保にこそ日本国民一致して全力を注ぐべき」と強く思うものです。感情論だけに走るのは、大東亜戦争を後押ししたのと同じこと、、

◯ 今月の歩術

「歩術の研究」の最近の成果をまとめてみましょう。まず上体の力を十分抜き、しっかり腰の上に載せて歩く。これにより上体の姿勢が自然によくなり、目線も水平になります。腕を意図的に振ることはせず自然にまかせる。足は摺り足のように水平に抜き、音を立てぬよう水平にそっと着地。腰をやや沈めるような感じで、上下動を無くし着地の衝撃を最小限にします。腰を沈めることにより前肢がよく前にでるので、歩幅が広がり速度も上がります。

歩き始めの頃は腰の沈み込みより前進気勢の方が勝るのですが、むしろやや疲れがでる頃になるとうまく沈み込みができるようになります。沈み込みにより着地の衝撃がずっと少なくなるので、無駄な疲労を惹起することも少なくなるというわけですね。午後の診療を終え夕食までに帰着するようにしているため1時間半以内の歩きにとどめていますが、そろそろ足慣らしもできたことでもあり、午後の外来のない土曜日は 10km 以上歩いてみようかと思っています、、ところが、どういうわけか土曜になると雨が続いています。

林試の森:自宅から徒歩15分足らず「林業研究発祥の地」

隔日に歩き始めたことにより、下肢関節の錆びもとれ快調です。今年初め痛めた股関節も正常復帰。故障の原因は錆びついたまま無理に長距離歩いたためだったようです。足回りとエンジンの調整仕上がった軽量スポーツカー、エンジンは良く吹上がり、坂の登り下りも心地よく軽快なコーナリングという感じ。3月の革ジャン姿から、長袖シャツにベスト姿になりました。4月初めとあって空気はまだ肌寒く歩き出しは長袖ですが、2km を過ぎる頃からエンジンも温まりはじめ、帰路に向かう頃には肘まで腕をまくりベストのジッパーを開放しても背中には心地よい汗。7 km から 8 km とても気持ちよく歩いています。

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4月も半ばになると、何処も葉桜となりました。服装も半袖にベストへ。まだ肌寒い日が多く道行く人はダウンのコートなどで、半袖はちょっと気恥ずかしい気もしないではありません。しかし歩いて帰ってくる頃には、やや冷たい風も心地よく背中には汗。距離は 6km から 7km とやや減らしましたが、長めの登り坂や階段を好んで歩いています。極端な食事制限をしないので体重はなかなか減ってくれません。ようやく1ヶ月で 1kg ほど減りました。これでも歩いていると、体脂肪がやや減少したように感じます。血圧も少し降下してきました。降圧剤の量は変えていませんので運動と減量の効果があったようです。

◯ 歩きのお供 iPhone アプリ

「歩き」に便利なのが「Nike + GPS」という iPhone アプリ。以前はちょっと使いにくかったのですが改良され使い易くなりました。出発時にこいつをスタートさせておくと、1km ごとに音声でアナウンスしてくれます。本来ランニングのツールでしょうが、私はウオーキングに使っています。

帰着してから履歴を見ると、歩いた距離・速度とともに、地図上に歩いた軌跡がプロットされ 1km ごとに数字が打たれます。上は品川宿を巡り 8km 歩いた記録。履歴は消さない限り残るので、以前の履歴と比較でき嬉しいです。「1km を 10分で通過」を目指してきましたが、信号などなければ比較的楽に 10分を切るようになってきました。ただ、このアプリは GPS をばりばりに使うためバッテリー喰いです。10km 以上歩く時は予備バッテリーを持っていないと不安かも。

◯ 異常気象

先月末にも雨をともなう強風がありましたが、今月2日にはそれをさらに上まわり「台風並みの強風と雨をともなう低気圧」の予報がニュースで繰り返されました。この様子では午後には電車が停まることが予想され、遠方から通勤する職員を昼で早退させました。声高に叫ばれる時に限って案外そうでもないこともあるのですが、最近の天気予報はかなり正確。午後2時頃から風が出始め次第に風雨が強くなってきました。午後の診療に来院された方は1人のみ。午後4時過ぎにはかなり強風になってきたので、診療を早めに切り上げました。震災による帰宅困難者などの経験から企業も職員の早退を促していたようですが、多くの交通機関が停止し、うちも早退させて正解でした。午後6時から7時にかけてもっとも風が強く、13F の自宅にいると時々風が吹き付けるに従って建物の揺れるのを感じました。

このような「台風並みの低気圧」というのも今迄なかったこと。これが人工的なものの影響かどうか解りませんが、これからどんどん地球環境は異常気象へと向かっていきそうな雰囲気。自然は盛んに「人類への警鐘」を鳴らしているように思われます。しかし、もっと火傷をしないと人類は本気にならないんだろうなと、、

◯ Stay foolish, stay hungry

スタンフォード大学における Steve Jobs の演説の最後を締めくくる Stay foolish, stay hungry という言葉。これはまさに私が人生において貫いてきた「いわゆるお利口さんにはなりたくない」「いつも何か他人のやらないことを目指したい」という気持ち。日曜夕方の TV 「DASH 村」と「before and after」を楽しみに見ています。先日の「DASH 村」を見ていて思ったこと。良い大人達がヘドロの臭いそうな東京湾の裏びれた入江を這いまわり、生き物の生息できる環境を再生しようと数年がかりで試行錯誤し一喜一憂。あるいは道産子に手作りの馬車を引かせて日本縦断を目指すなど、何とも馬鹿馬鹿しいことをやっています。

私はこれをとても興味深く楽しみに観ているのですが、考えてみると最近どこのチャンネルをひねっても出てくる「芸のないお笑い芸人」の馬鹿馬鹿しさとはまったく質が違うなあと。DASH 村の馬鹿馬鹿しさこそが Jobs の云う Stay foolish に通ずるものでしょう。生産性に繋がるこのような馬鹿馬鹿しさに対し、時間の消費に過ぎないお笑い芸人のものには何ともコメントし難し、、

思い出せば、大学馬術部の頃の試合を離れた色々な遊び心、NeXus:日本 NeXT ユーザ会の頃ノリノリでやった馬鹿なこと、foolish の典型でした。いつかまた、やってやろう、、

◯ 小野田元少尉の言葉から「人は何に頼るべきか」

NHK オンデマンドで 2005 年に放映された小野田寛郎元少尉の特集を興味深く観ました。上海での商事会社時代・陸軍中野学校時代・ルパング島時代・帰国し日本で過ごした時代・ブラジル時代。30年振りに羽田に降り立ちインタビュー、久しぶりの会話に口角泡の小野田さん、あれから更に30年経過してしまったのですね。帰国後半年ほどで何故ブラジルへ移住してしまったのか、その理由を初めて知りました。帰国後全国の人達から届けられた見舞金や政府からの慰労金などをすべて靖国神社へ寄付したところ「軍国主義の象徴」のように云われたとか。「慰労金や見舞金を貰うなら戦争で亡くなった人達のはず、自分は元気に生きて帰ったのだから働けば良い」と考えていたのに、このような はしたない言葉を浴びせられ、ほとほと嫌気がさしたのだそうです。きっと他にも色々あったのでしょう。そして友人から借金をしてブラジル辺地に成田空港より広い敷地を購入。これを何年もかかって牧場へと開拓し努力の末に成功。やや余裕の出てきたところで数年前の金属バット父親撲殺事件に触発され、日本の未来を担う子供達を正しい方向へ導くよう、時々日本へ帰っては自然塾で微力を尽くすことになったそうです。

花は桜木、人は武士

「人生、神に頼ってどうにもなるものではない。自力で努力するしかない」「しかし神仏への感謝はする」という言葉も良いですねえ。私もそのように生きてきました。そういう意味で私は禅宗の考え方「他へ頼らず自力で努力」が好きです。小野田さんの考え方や生き方には非常に共感するところが多くとても面白い番組でした。Web で小野田さんの情報を漁っていると、小野田さんによる従軍慰安婦問題への反論をみつけました。「その実態は決して国や軍による強制・奴隷的なものではなく、貧乏だった日本・中国・朝鮮の状況や戦争という異常事態の中からの流れであった。それを知る人間や証拠がなくなりつつある今、何故このような話として広まるのか疑問だが、自分にはそれを証言する義務がある」とのことでした。

非常に反骨精神旺盛・進取の気性に富みながら、一旦決めた自分の道は信念をもって守る。ジャングルに30年という長期間潜みながら自分の任務である諜報と敵の攪乱を継続。ジャングルの中でも常に頭を働かせより良い方法を習得して行く。そして状況が変われば過去を引きずることなく転身して新しい環境になじむ。本当に頭の良い人だなと思いました。同時にご本人の言葉にもありましたが身体が丈夫なのでしょうね、ブラジルの牧場で働く姿も取材当時82才でありながら軽い身のこなし歩き方、どう見ても60歳を上回る人の身のこなしには見えませんでした。「身も心も健康」な本当に尊敬できる方と思いました。

◯ 日本人はなぜ戦争へと向かったのか

NHK オンデマンドで「日本人はなぜ戦争へ向かったのか」を観て思ったこと。この番組は「外交敗戦」「陸軍暴走のメカニズム」「マスコミにより作られた国民の熱狂」「リーダーたちの迷走」「果てしなき戦線拡大」の5部作。ここで語られることは「政府が首尾一貫した考えを持たなかったこと」「陸軍中央が、現地を統括できなくなっていたこと」「国益と販売数の拡大により戦争をあおった大きな流れに、マスコミ自身も舵取り不能になったこと」「太平洋戦争開戦前、首相官邸に国民から寄せられた多数の開戦要求の手紙」など。

衝撃的事実は、開戦を決定した陸軍・海軍・政府のトップのいずれもが「米国と日本の工業力には数十倍の差があり戦争をすれば絶対に勝算はない」「米国との戦争は何としても避けるべき」と考えていたことでした。しかしいずれも譲らぬ論議の中で、決定すべき事項を何度も先送りする間に事態は想定外の悪い方向へ推移し、ついに開戦に踏み切るしか選択肢がなくなったということでした(現在の政治を見ているようです)。色々な立場からの意見を、自らの判断と信念で毅然と従わせる指導者があれば戦争は回避できたのでしょう。

そして今更ながら「世論の怖さ」を思い知らされました。国民は「戦争を始めた国がけしからん、軍部がけしからん」と言いますが、熱心に戦争をけしかけた一端は多くの国民だったのです。これは現代でもよくある話。当時新聞記者だった90歳の方の意見「一旦世論が形成され流れ出したら、誰も止めることはできない。戦争防止に大切なことは米国・ロシア・中国その他の国々が何を考えどう動いているか主観を交えず世の中に伝えること」。

ここで思ったのは現在どのマスコミもそして殆どの人が異口同音に唱える「原発絶対反対」。原発の危険性については私もまったく同様に感じています。しかし冷静に考えた時、資源に乏しく、財政逼迫、労働人口が急激に減少傾向にある我が国にあって、原子力発電は、欠くべからざる・理にかなったエネルギー源と思います。福島の原発事故や甚大な被害を身をもって経験した日本だからこそ、慎重に最大限の安全を確保しつつ原発を運用できる最も良いチャンスのはず。何度も書きますが、ガス、航空機、新幹線など、一旦事故が発生すれば大規模で悲惨な事態をまねくものは沢山ありますが、我々はこれらを上手に飼い馴らし利用しています。「アツモノに懲りてナマスを吹く」のでなく、この機会を最大限に利用し日本は前へ進むべきと強く思うものです。もしここで多くの世論に押され全ての原発を廃止してしまったなら、電力不足の持続により国力はますます落ちるでしょうし、もし復活しようとしても「覆水盆に戻らず」、長い歳月と莫大な国費を必要とするでしょう。

今の日本の社会では、このようなことを発言すれば何処からか沢山の石が飛んで来ます。マスコミをはじめ世論の大勢が原発反対に向かう中「待てよ、本当にそうか?」と疑義を唱える人のいかに少ないことか。前述の老新聞記者の言葉通りであれば、マスコミは全面的な原発反対をするのではなく、賛成の可能性も検証すべきと思います。そして国民はマスコミや他人の云う事を鵜呑みにするのではなく「待てよ、本当にそうか?」と自分の頭で考えることです。しかし毎日の診療の中で感ずることですが、マニュアル人間になってしまい、まず自分の頭で考える習慣をなくしてしまった現代人にとって、本能的に感じとったり自分で考えたりすることがとても難しいことなのかも知れません。この現在の状況こそ、太平洋戦争開戦前夜やナチス勃興の時とまったく同じではないかと感じています。

◯ 人類の脳はなぜ大きくなったか

今朝目覚め布団の中でぼんやり考えていて思いついたこと。昨夜見ていた自動車衝突実験の動画、横から衝突されサイド・ウインドーのエアーバッグに強く頭を打ち付けるダミーの姿を見ていたからかな。あるいは階段の手すり上を軽々と走ったり、高所から飛鳥のように飛び降りるマウンテン・バイクを見ていたからかな。いやいや、ルパング島のジャングルから略帽をかぶって出て来た小野田さんの野性的な眼を思い出したからですね。常に生命の危険にさらされたあの時の小野田さんの眼は野生の眼。

それから連想して「人間は戦闘時どんな姿勢が一番適しているのだろうか」。近代では F1 レーサーのように足を前方に投げ出し仰向けスタイルが多い、しかし生物の源流に戻れば四つん這いの姿勢が良いはず。でも、その姿勢を長く続けるのは苦しそうだな、やはり F1 スタイルで頭を後ろに預けられた方が楽かな、、

というような、とりとめもないことを寝ぼけ頭で次々と連想していて、ふと思いつきました。「そうか、猿に近い原始の頃、人類の頭部はさして重くなく四つん這いでも苦しくなかったが、頭部の重量が増えるにつれ苦しくなった」「というより、直立歩行するようになって頭部を頚の筋肉で支える必要が減るとともに、脳の重量が増えていったに違いない」という考えに至りました。すでに誰かが言っているのでしょうが「忘れないようメモ、メモ」ということで、早速 iPhone の Siri を叩き起こしメモさせました。連想した内容は走馬灯のように消えてゆきますからね、、

◯ 区立平塚小学校跡の工事

今月はこんな感じ、高さはこんなところで止まってくれるはずだが、、

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桜満開を控え洗足池畔にならぶ屋台の灯り

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です