2014.10 人生の節目となる瞬間

わーくすてーしょんのあるくらし ( 260)

2014-10 大橋 克洋

Seagaia meeting 2014:夜明けまもない早朝の宿舎から歩きにでる

<2014.09 世の流れとともに消え行くもの | 2014.11 母国語と外国語>

◯ 人生の節目となる瞬間は自分でそれとは分からない

この世にパーソナルコンピュータが誕生して間もない1978年の暮れ、渋谷の西武デパートで PET2001 というパーソナルコンピュータに目が止まったことが、私の人生の流れを大きく決めることになろうとは、、人生の所々にこのような大きな分岐点がありますが、そこに立った時それとは判らないものです。 これをきっかけに、人に先駆けコンピュータを扱いソフトウエアを書き始めて3年ほどしたある日、産婦人科の柳田洋一郎先生から突然電話を頂きました「産婦人科パソコン研究会を立ち上げるので是非参加して欲しい」とのこと。かなり前から産婦人科の世界ではITを使いこなすことで超有名な先生。まさか、その神様から直接電話を頂き、その後も極めて親しくさせて頂くことになろうとは、、 そうして、その後30年余にわたる産婦人科医会・医師会での多忙かつ非常にやり甲斐ある人生を歩むことになりました。 やがてパソコン研究会で顔見知りになった先生の推薦で日本産婦人科医会の広報委員から幹事に引っ張られ、後年、東京産婦人科医会副会長から東京都医師会理事へ、いずれも先輩の先生からの推挙によるものでした。都医理事として日本医師会会長選挙で全国を周ることになり、敬愛する唐澤日本医師会長誕生へのお手伝いができたことも幸いなことでした。 医師会関連の役職からすべて退いた後も「電子カルテの開発」をライフワーク・生き甲斐の一つとして現在へ続いています。西武デパートでの PET2001 との出会いがなくても、いずれコンピュータの世界には足を踏み入れたのでしょうが、あのタイミングでの出会いがその後の人生の進路を決定した可能性はあるかなと、、

◯ 今月の脳トレ

電子カルテ NOA の開発も一段落し、先月は散発的に寄せられるリクエストや問題の修正が主でした。こうなるといつものことで、何か物足らなくなってきます。そこで外見の手直しはひとまず置いて、内部構造のブラッシュアップにとりかかりつつあります。NEXTSTEP に始まるオブジェクト指向で開発されてきたものを、PHP と javascript へ移植し Web アプリとして進めてきました。最初はそれら言語の勉強がてら手探りで進めてきたこともあり、やっつけ仕事というか今見れば綺麗でないソースとなっています。

そこで、本来のオブジェクト指向によるプログラムへとブラッシュアップしたくなってきました。本格的に手をつけると大改装になってしまうので、部分的に少しずつ改装して行くつもり。オブジェクト指向では、「プログラムのカプセル化」と云って、あるまとまった機能の一塊を独立させ、外とは専用窓口を通してのみやりとりをします。カプセル内部が外から独立しているため、他の部分へ影響を与えることなく、いつでもカプセル内部を組み替えることができます。プログラム全体を見渡すのは大変でも、カプセル内だけであれば見通しも良い。思わぬバグ発生の危険も少ないということです。

「言うは易く行うは難し」なところはあるのですが、そのような方向で、ぼちぼちと手直しして行こうと思っています。まだまだ一部しか手を付けていませんが、そのような考えでメンテしているせいか、最近はユーザさんからのリクエストやバグ・レポートがあっても、かなりサクサク対応できるようになったのは嬉しいことです。

◯ 世界バレー女子2014 2次ラウンド

2次ラウンドで、クロアチア、ドイツに、いずれも延長フルセットまで粘るも敗退。さらにイタリアにストレート敗けということで、遂に3次ラウンド進出の望みは絶たれてしまいました。最後のストレート敗けを除けば、日本の敗退はいずれもフルセットまで粘っての敗けですので実力としてはかなり伯仲。ハイブリッド6の特徴を活かし次々と頼もしい選手を繰り出すことができたものの、「ここひとつ」という強さが感じられないのは残念でした。

一方で外国チームのエース達のところへトスが上がり撃ちだされたスパイクは、事前に察知しても確実に撃ちぬかれてしまう場面が多く見られました。それに引き換え日本から打ち出されたスパイクが決まるのは、相手の手先に当たった時だったり、空いたコートだったりで、相手のど真ん中を撃ちぬくパワーが見られるのは、迫田のバックアタックや、江畑・長岡・高田らが絶好調の時くらいのものでした。常々、日本にも「確実に相手を撃ちぬく速射砲が欲しい」と嘆いてきたゆえんです。1次ラウンドで「日本は硬軟合わせた巧妙なスパイクを」と書いたのですが、やはり鋭いスパイクは必須だなと。

江畑・長岡・中道・石田・迫田・高田の各選手

中盤以後、私のイチオシ迫田さおりのバックアタックが炸裂し得点を稼ぐ場面が見られたのは幸いでしたし、終盤では迫田の次に私の押す山口舞のクイックやブロックの決まる場面も多く見られました。山口はブロックのため跳び上がる相手の動きを瞬間的に見て、巧妙にその隙を狙って決めるなど、前々から私が望んでいた動きをやってくれました。また、なかなかコートに出してもらえなかった高田ありさが次第に調子を上げ、小気味良くスパイクを幾つも決めてエース級の活躍。そのような面ではちょっと嬉しかったかなと、、終盤、江畑の登板が少なかったのは調子が悪かったのでしょうか。真鍋監督、次々と調子のよい選手をコートに上げていたようなので。石井や大野あたりも、もう少し使ってもらえれば高田のように調子を上げてきた可能性もあったかなと、、

3次リーグ進出を絶たれ最終ドミニカ戦。高い位置からの強力なスパイクを放つドミニカに対し、ここでも山口、高田の活躍が目立ちましたが、何と言っても迫田の活躍が凄かった。何度も苦しい場面での迫田、得意の後ろから走りこみ跳躍し高い位置から撃ちこむ強力なバックアタックが、これでもかと炸裂。フルセットに持ち込み最後の勝利をおさめる。

「今度こそは金」と意気込んでいた日本チームでしたが、本当にお疲れ様でした。ほぼ出ずっぱりだったキャプテンの木村沙織、後半は軟打が多かったのもやむを得なかったところかも知れません。やはり初戦アゼルバイジャンにまさかの敗退を喫したのがまずかったなとは選手を含め誰もが思うことではないかと。次のオールジャパンに向けては、「絶大なパワー・スタミナ・器用さ」を持つ若い選手の発掘が必要。このように叫んでいればきっと神は授けてくれるでしょう、、

◯ Seagaia meeting 2014

昨年の京都での開催を最後に一応の幕を引いた Seagaia meeting でしたが、続行を希望する声も多く今年も開催されました。新たなネーミングの希望もあったのですが、結局 Seagaia meeting の名称を受け継ぎ、発足の地 宮崎 Seagaia で開催。いつもは前日の午後プログラマーズ・キャンプを行い前夜祭、その後2日にわたって開催されるのですが、今回は金曜夕方からの前夜祭に始まりました。いつもは5月開催なのでそういうことはなかったのですが、今年は10月開催ということで台風来襲の影響あり。

前夜祭の2次会で「日曜は台風直撃の可能性あり、帰りの便を日曜午後から朝に変更した」との情報が耳に入りました。もし日曜のセッションが大したことがないなら土曜夜の便にした方が安全と思い、吉原先生に日曜の予定を伺うと「土曜でほとんどの演題が収まってしまったので、予備日にしていた日曜の予定は無しにしましょう」とのこと。私の利用した ANA からは良心的に「台風の影響が考えられるので、早割の場合でも追加料金なしで便の変更可能」というメールが届いていたので、早速 iPhone で帰りの便を日曜午後から土曜夜に変更。これを聴いたメンバーの多くが日曜朝でなく土曜夜に便を変更したようですが、結果としてこれが吉。台風接近とともに日曜の宮崎発はすべて欠航となり、便を変更しなければ月曜の仕事に間に合わないところでした。宮崎からですと新幹線を使っても17時間。

山本康人先生の講演

そういうこともあり、今回の演題は土曜1日にコンパクトに収められました。最初の演題、大松@デュアルカナムさんの「ウエアラブルデバイス利用とクラウドサービス / オフラインクラウド構築について」は私としては一番興味のあるテーマで、Apple Watch に先駆けてリリースされたモトローラの腕時計型デバイスやグーグル・グラスなどが供覧されました。しかし、その最も面白い話の間、私は帰りの便の変更が iOS のパスポート・アプリにうまく載せられず iPad や iPhone 相手に格闘していて上の空だったのが残念でした。

もうひとつ興味深かったのは山本先生@都立広尾病院の「DataCube その後、電子カルテの二次利用」。内容は、富士通や IBM などが力任せにやっていることを凌駕する凄いことですが、山本先生ひとりの力でやっているのにはいつも感嘆させられます。私も「これからの電子カルテはインテリジェントであるべき」と思ってきましたが、まさにこれを実現しようというもの。彼とは今から15年ほど前の NeXT ユーザ会で知り合った仲。六本木で「ハッカーズ・バー」を開設しているという中尾@ドクターズモバイル株式会社取締役の話もちょっと興味を惹かれるところがありました。

◯ 今月の歩術

Seagaia meeting 前夜祭の居酒屋「かかし」の場所は Google map で見ると宿舎のコテージ・ヒムカから6km 弱。これならいつもの軽い散歩の距離とあって、小塚先生や鈴木君より一足先に出発。コテージ正面の自動車道を向こう側に渡り、iPhone 片手に進む。少し行くと人家もまばらになり畑のなかをまっしぐら。途中で気が付きましたが、あたりは街灯もかなりの距離をおいてポツンとあるだけの一面の畑が続く。空は曇天で日のあるうち宮崎市街に到着しないと、真っ暗になる可能性も。行程1時間のところ、余裕をみて1時間半前に出発してよかった。もう30分後だとやばかったなと。目的の居酒屋には30分前に到着し、しばらく独りで待つことになりました。東京に比べ気温も湿度もやや高く、汗びっしょり。

翌日の土曜早朝、ひとり部屋を抜けだして歩きに出ました。Seagaia の宿舎コテージ・ヒムカ裏の松林の中の遊歩道を歩くのをいつも楽しみにしています。6時とあって東京ならもうかなり明るくなっているのですが、こちらはまだ夜明けの薄暗い空。今月の表紙はその時に撮影したものです。このリゾート地も何度か経営者が変わったものの、昔と比べると寂れた感じが否めないのは残念です。その中にあって、コテージには無料の無線LANが備えられたり、裏の遊歩道もよく整備されているなど、経営努力のあとが見られます。時期的なものもあるのかも知れませんが、コテージ・ヒムカの宿泊者は少なそうで、ひとごとながら「これでは元がとれないだろうなあ」と心配になりました。

松林の中をどこまでもつづく遊歩道

松林の中の遊歩道には、松林の向こう側の波打ち際から潮騒の音とともに、私の好きな秋の虫の音。東京では聴くことのない鈴虫の綺麗な音がそこここに聴こえました。シェラトン・ホテルまで 3Km ちょっとを往復しようかとも思ったのですが、以前海岸に出てみたことを想い出し、途中から防波堤を兼ねた自動車道の下の抜け穴をくぐって海岸へ。一面灰色の海岸の向こうには台風の前兆の波が打ち寄せています。波打ち際を歩こうかとも思ったのですが、いやいや待てよ、早朝の誰もいない広い海岸で波にさらわれてもまずいぞと、堤防寄りの1段高い所を 2km 近く歩く。いつもの早朝散歩に比べ距離としては大したことはありませんでしたが、1時間弱の気持ち良い散歩でした。海岸沿いの道は砂と小石の混じった地面で、私が歩きたかった不整地です。最近会得した「踝から下に力を入れない歩き」では、平坦でないこのような地面も足に無理な負担をかけることなく、スピードを落とさず歩けることを確認できました。

◯ 久しぶりの角館

大学時代の馬術部1年先輩の中川さんと、馬術教官三浦七郎先生の墓参のため秋田県角館へ1泊旅行をしてきました。50年前に合宿で足繁く通った角館、当時は11時間もかかりましたが、今は新幹線で3時間。昔は夜行で上野を発ち、中程の福島あたりで列車が停車すると深夜にカーン・カーンと音が響く。列車の車輪をハンマーで叩いて点検する音。やがて夜が明け、田んぼが目の前を流れ去っていきます。カン・カン・カン・カンという踏切の音。旅情をそそるものがありましたが、新幹線でそんなものは無くなってしまいました。

私が大学1年の夏、初めて角館へ行った時、東北本線は蒸気機関車でしたが、その冬に行った時はもう蒸気ではなくなっていました。三浦教官から「正月にミニ合宿をやるから暮れから来い」と云われ師走の上野を発つ。列車はぎゅうぎゅう詰めで座ることもできず、立ったまま11時間。そんなものかと思っていました。若かったなあと、、

1960年頃 雪の降りしきる中、主婦たちが押して歩いていた箱ソリ

今見ると劇画「子連れ狼」の押していた箱車にも似ていますね

三浦教官の家に4人で合宿、2階から角館駅通りを見下ろすと雪の降りしきる中、大きな肩掛けで頭を覆った主婦たちが箱ソリ(木製の箱のついた手押しソリ)に買い物などを載せ行き交っていました。考えてみると箱ソリを見たのはこの時だけ。蒸気機関車とともに角館の生活から無くなってしまったようです。近くの映画館からエンドレスで流れるのは、当時流行っていた井上ひろしの「雨に咲く花」。素朴な感じの秋田美人もよく見かけましたっけ。雪国らしくよく雪が降り積もりましたが、最近は当時ほどは積もらないようです。

すっかり観光地となった角館

初めての夏合宿を一緒に過ごした角館高校国体チームのマネージャーをしていた田口博君と50年ぶりに会えるのも楽しみ。3人で夕食をともにしました。あれから54年を経て田口君も71才だそうですが、ちっとも変わっておらず元気そう。現在は秋田県馬術連盟の副会長をしているそうで、われわれが帰京した翌日長崎国体へ発つそうです。忙しい中2日間も付き合って頂き、彼の持参した昔の資料などを見ながら昔話に花を咲かせました。

宿舎前で田口君と別れた後「もうちょっと呑んで行きたいね」と、鮎の焼き物を出す近くの居酒屋へ。思いがけず居酒屋主人と居合わせた老夫婦のお客は30年前に亡くなった三浦教官をよく知っており、東京から墓参に来たと知って大喜びで歓待してくれました。見知らぬお客とのこういう出会いが、居酒屋の良いところなんでしょうね。

◯ 今月の歩術:角館版

合宿で過ごした想い出の場所を2日にわたり中川さんと歩いて周りました。翌朝まだ夜明け間もないうす暗い時間、ひとりホテルを抜けだし歩きにでました。中川さんと登る予定の角館城跡まで下歩きしてこようと、誰もいない武家屋敷の大通りを抜け登り口へ。城山への登りは結構きつく、余程途中で引き返そうかと思ったものの「いやいや、城山の上から桧木内川を見渡せるところまでは行かないと」と、2度ほど小休止を入れながら見晴らしのきく東屋にたどり着きました。学生時代来たのは更に上の城跡ですが、朝はここで引き返す。

角館城跡から見下ろす桧木内川:春には桜のトンネルとなる

中川さんと朝食を済ませ、二人で再び城山まで。今度は東屋を過ぎ頂上の城跡へ。50年前はもっと見晴らしがよかったのですが、かなり山の木が成長し桧木内川を見下ろせる場所は限られています。後で田口君にきくと、当時は囲炉裏にくべる薪にするため小枝の伐採などが行われていて眺望も良かったが、それもなくなり雑木も伸び放題なのだそうです。なるほど、昔の生活環境の方が自然環境にとって良かったという例ですね。

桧木内川堤の桜並木:ここを馬を連ね手綱とる手に花吹雪は最高の気分だった

その後、桧木内川堤の長く立派な桜並木を歩き武家屋敷へ。50年前とまったく異なるのは角館が完全に観光の町となっていること。通り沿いに新しく建つ家も武家屋敷の外見に似せ黒いそれなりの外観になっているのを多く見かけました。武家屋敷で最も古いと云われる藁葺き屋根の「石黒家」を見学すると、昔懐かしい「箱ソリ」も展示されていました。東北武士らしい質実剛健を感じさせる建屋や調度ですが、家老など高級武士の屋敷に展示された陶器や漆器など古びてくすんではいますが、当時のあでやかな様子が偲ばれました。

この日だけで城山を2往復し 15km ちょっとは歩いたのではないかと。連休とあって、昼間の武家屋敷は観光客も多かったですが、われわれと同様の年齢層が多かった。周りからやたら中国語が聴こえてきましたが、中国本土でなく台湾系の観光客だそうです。こんなところまで来るなんて、中国本土の観光客より日本通なんでしょうね。

◯ Apple の新 OS 「YOSEMITE」をインストール

先月の iPhone6 / iPhone 6 plus の発表に次いで、今朝また新しい製品というか新バージョンの発表がありました。新しくなったのは iPad / iPad mini / iMac / Mac mini そして新しい MacOS である YOSEMITE。iPad については1年前に購入した iPad mini で充分満足していますし、iMac も同様。Mac mini は今回のバージョンアップを薄々予想しながら、このコラムにも書いたやむを得ぬ事情で、すでに数ヶ月前に新しいものを購入してしまいました。

ということで、YOSEMITE を早速ダウンロード。発表の記事を早朝に見て速攻でダウンロードしようとしたところ、日本ではまだ準備が整っていなかったのかダウンロードできず。朝8時ころになって再度やってみると、今度はうまくいきました。AppleStore からダウンロードしてインストール。最近は OS のアップグレードの手順も、非常にシンプルになった印象があります。以前は途中で何度か聴かれることがあり対応しなければならなかったのですが、今度はインストールを仕掛けたまま席をはずしてもしばらくして戻ってみるとインストールは終了しログイン・パネルが出ています。随分らくちんになりましたね。

iOS に合わせ、今回からアイコンを始めとした GUI がフラット化されました。しばらくすれば慣れるんでしょうが、やはり以前よりチープな感じ。ファインダーに表示されるフォルダーなどの色も、灰色がかったブルーからややどぎついブルーになりましたが、これは明らかに以前の方がセンスが良かったように思います。これらの色使いは結構ブーイングが来そうで、いずれもっとセンスの良いものに改善されるんでしょうね。その前にこれに慣れてしまうかも知れませんが。

ウインドウ左上の「閉じる」「最小化」「最大化」ボタンも x - + の表示がなくなり、信号機のように赤、黄、緑の丸のみ。これは以前の方が初心者に優しかったなと思いつつ「もしかして」とマウスを近づけてみると、ちゃんと x - + の印が浮かび上がってきました、なるほど。しかし、いずれにせよJobs が居たら、こんなダサイ某 MS 社 OS のような色使いは絶対させなかったはず。デザイン担当のジョナサン・アイブには期待していたんだが、、

好意的に解釈すれば、アイブも納得していたわけではないが、Jobs のように現場を無理やりねじ伏せるわけにはいかなかったのかもね。

<2014.09 世の流れとともに消え行くもの | 2014.11 母国語と外国語>

Seagaia へ向かう飛行機から望む鎌倉・江ノ島方面

もう少し行くと富士山も下方によく見えました

数日前噴火したばかりの御嶽山は雲間に隠れ見えず

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です