わーくすてーしょんのあるくらし ( 358 )

大橋 克洋

katsuhiro.ohashi@gmail.com

2022.12 月変わりいきなり真冬の寒さかな

朝もやに烟る林試の森公園

今年の十大ニュース

年末恒例の十大ニュースあくまで私的なものですが、今年は十に達しませんでした。それだけ世の中は波風少なかったということかな。そのかわり日本だけでなく世界中を暗く覆った「コロナ蔓延の継続」「ウクライナ侵攻」という重大事件が2022年全体を占めました。

  • 冬季五輪 北京大会

コロナ下の北京で習近平の威信をかけた五輪が開催されました。2月に書いたように、数々の涙を誘うアクシデントが発生した大会でもありました。

  • ロシアによるウクライナ侵攻(プーチンの戦争)

米国が事前から何度もアラートを出していたロシアによるウクライナ侵攻が北京五輪終了とともに始まりました。当初プーチンは「ウクライナ在住のロシア人を迫害するネオナチ一掃のための軍事作戦」と称して始めました。しかし、やり口は完全にナチスの電撃作戦に習ったもの、ナチスをはるかに上回る残虐極まりない戦争へと発展していきます。

  • 3年目に入るもコロナ感染おさまらず

2019年末中国武漢での集団発生からはじまったコロナ感染はあっという間に世界へ蔓延、今年になっても収まる気配を見せません。ゼロコロナ政策で国中に厳重な隔離政策を行ってきた中国、今月になって遂に中国国民も耐えかね「習近平退陣せよ」「共産党退陣」を叫ぶデモが各地で発生。危機を感じた習近平、やおら緩和策に舵を切るも、感染拡大は止まず。どうなる、、

  • 80歳になっちまった

完全に私的なものですが、56歳で倒れ10年間寝たきりだった父を見ていただけに、まさか自分がこの歳までとは考えもしませんでした。月日とともに、さすがに心身の経年劣化を感ずる今日この頃

  • 安倍元首相 凶弾にたおれる

選挙応援で街頭演説に立っていた安倍元首相を暴漢の自作銃が襲いました。考えると色々な面で運が悪かったなと思いますが、それも安倍さんの運命か。襲撃のきっかけとなった日本統一教会の問題が大きな脚光を浴び、そういう面では犯人は予想以上効果的に目的を達成しましたが、たまたまターゲットとなった安倍さんは私が「心から日本のことを思い全力を尽くしてくれる政治家」と高く評価していただけに本当に残念。

  • ミハイル・ゴルバチョフ逝く

ベルリンの壁崩壊による東西ドイツ統合に続き、遂にソ連崩壊。長く続いた米露冷戦の幕引きのきっかけを作ったのがゴルバチョフでした。見るからに穏やかでインテリジェンスの高そうなゴルバチョフ、私の好きな政治家でした。ウクライナ侵攻にも大きな懸念を示していたそうですが、老齢のため91歳で亡くなりました。

  • 韓国ハローウィンでの群集事故

韓国ソウルの観光地「梨泰院(イテウォン)」でハローウイン前日、狭い路地に密集し身動き取れなくなった若者達が群衆雪崩を起こし、日本人女性2名を含む158名もの圧死者を出しました(私も小学校の頃、新年の皇居参賀で発生した二重橋事件という群衆雪崩の現場を経験しましたが、当時の重大事件も現在では風化し忘れ去られています)。梨泰院の事件では、早くから幾つもかかってきた警告の電話に即時対応しなかった地元警察の責任が問われていますが、SNS には憤って政府や大統領を攻める声もたかまっているとか。セウォル号沈没事件への対応の悪さを批判され、結局退陣に追い込まれた韓国の朴大統領の例があります。こういうレスポンス、いかにも韓国らしい、、

こうしてみると昨今はニュースもグローバル。ウクライナ侵攻における戦争のあり方・報道、コロナ外出規制に伴うリモートワークやネットショッピング・宅配便の急速な拡大、SNS のもたらす広い影響、その他、色々な面でインターネットの発達が地球上の人々の生活に大きな変化をもたらしていることに気付かせてくれます。

○ 今月の陽気

11月末日は南風の影響でこの時期にしてはかなり暖かく、早朝散歩の外気温は17度。帰宅すると背中の汗が冷えて寒くなり、肌着を着替えるほどでした。

ところが1日明けて12月に入ると、大陸からの寒気が関東上空を覆い急激に気温が下がるとの予報。覚悟していましたが、ちょっとタイミングがずれたのか、早朝散歩時は外気温12度。しかし1日中どんよりと沈んだ天気で気温は昼に向かうに従い下がり、もっとも気温の上がる午後3時、外気温は10度に下降していました。

そして12月も中旬、今年の冬は急激に寒気がやってきました。早朝の気温も2度に下がる日もあります。それでも東京は良い方で、日本海側は九州から北海道まで大陸からやってきた寒気に包まれて大量の降雪量を記録し、ニュースでは地吹雪でホワイトアウトする様子が各地から届けられました。

中旬を過ぎても東京の陽気はそんなもの。朝の最低気温は2度から4度くらい、最高気温は10度前後。いつもなら暮れになると強い北風が吹きすさび、ダウンジャケットで完全武装しながら玄関の松飾りを取り付けるのですが、今年はそんなこともなく穏やかに暮れていきます。

○ 今月の歩術

今年の冬は急速に寒気に包まれ、早朝散歩に出るにもそれ相応の覚悟が必要。6時前に家を出ることが多いので、外はまだ真っ暗。それでももう外を歩く人影は珍しくありません。2キロほど歩くうち、ようやく空は東の方から白んできます。夜明け前の暗い林試の森、林間を透かし目を凝らすとすでに太極拳グループの動く姿。へえー、この寒い早朝、もうやってるんだ、一体何時から始めているんだろうか。練功時間も2時間くらいにはなりそうだな、、

70代なかばまで耐寒性能を誇っていたのですが、ここ3年ほど前からは普通にめっきり寒さを感ずるようになってきました。早朝の外気温2度を示す朝の装備は次のようなもの。Tシャツの上に普段着のフリース・ジャケット、その上に先月も紹介した薄手のパーカー。今まで愛用してきたニット帽も具合悪くはないのですが、北風がニットを通し寒さを感ずるようになりました。モンベルのカタログで探すとニット帽と同形状のフリース帽があったので注文。被ってみると期待通りの性能でバッチリ。これならとても暖かく、風も完全にシャットアウトしてくれます。室内ではじっとしているので寒い日はモンベルの寒冷地用ズボンを履くこともあるのですが、外出時はまだ従来からのチノパンで通しています。上半身の防寒がしっかりしていれば体幹を暖かく保てるので、下半身はまだ従来通りで大丈夫そう。

で、歩行距離については1日5キロから7キロくらい。それでも今月は家内の病院通いに早い時刻から付き合うことも多かったので早朝散歩を省略する日も多く、日平均は4キロにちょっと欠けるかな。今月の総歩行距離は100キロを切るかと思っていたのですが、後半巻き返し何とか130キロちょっとになりました。

技術革新、20年前と比べてみれば

20年前から飛躍的に進んだ技術革新はいくらでもありますが、20年前のコラムを読み返し当時の私の予想・願いが現在では思った通りに叶ってしまったなと、今更ながらちょっと感激。20年前の12月のコラムに、こんなことを書いていました。

先日も Windows のノートブックを使っている企業の人が言っていました「今やこれが完全に自分の外部脳、これをなくすとえらいことになる」。私の場合も本当にその通り、しかし私のノートブックに載っているのはあくまでも情報のコピー。オリジナルはネットワーク上のファイルサーバに置き、万一ノートブックをなくしてもパニックにはならないようにしています。 将来はこれがもっと徹底し「情報のすべてはネットワークの彼方のファイルサーバ上にあり、手元の極めて身軽な携帯端末からそれを読み書きすることになる」と思います。

現在ではそれが完全に実現されています。文章・写真・図面などほとんどのものを google drive に格納、デスクトップ・コンピュータだけでなく、出先でも身につけた iPhone で参照できます。今では普通にやっていることも、過去から見れば神業、、当時、私が「ネットワーク上のファイルサーバ」と呼んでいたものは、現在では「クラウド」と呼びますね。今ではノートブックを持ち歩くこともなく、胸ポケットの iPhone でほぼ事足りています。凄い進化ですね、感激

--- 私が「やりたい」と叫んでいたことの殆どが現在は当たり前にできるようになっています「可能か不可能かなど考えてはいけません」「何としてもこれがやりたいぞー」と叫ぶことです。神はかならず授けてくださるでしょう ^ ^)

日本に蔓延る「挫折不足」の大問題

新年の箱根駅伝4連覇を達成した青山学院大学陸上競技部の原晋監督の述べる内容に大変共感しました。私もかねてから全く同様の危惧を抱いてきたので、その内容を多少私の意訳を含めご紹介します、、

現代日本の社会は失敗をさせない風潮にあります。挑戦をさせない。させるとしても周りが万全の体制を整え失敗を最小限にとどめる。つまり、リスクヘッジばかりの人生を歩ませているということです。「可愛い子には旅をさせよ」と言いますが、この「旅」とは「未知のリスクある領域でもあえて挑戦させる」という意味です。しかし現代の「旅」は、行き先もルートも移動手段もすべて備わった「安全快適なパックツアー」でしかありません。しかし現実の社会には、エゴや差別・不条理が渦巻いており「努力しても報われない」ことは当たり前のように起こります。人生とは「挫折があっても新たな工夫と挑戦でその逆境を跳ね返しつつ、自分の思いを実現していくこと」に他なりません。

「挫折」とは、自分で目標を立て必死に努力したけれど「外的要因」に打ちのめされ、それを達成できなかった経験と私は考えます。頑張っても頑張っても、どうにもならないことに打ちのめされる。つまり挫折とは「相当な努力」と「自分ではコントロールできない外圧」その結果「未達成」の3つの要素がそろった逆境の経験です。それに対し「失敗」とは、現状に甘んじ行動を起こさない、あるいは何も考えず前と同じことをして結果が出ないことを指します。表面的には挫折も失敗も「上手くいかなかった」ということですが、人生においてその意味は大きく異なります。

自分としては真剣に考えた上での行動であったにもかかわらず、受け入れられず夢破れることもあるでしょう。それが挫折です。挫折は苦しいものですが、また新たなルールを作る機会でもあり、それが次の成功へつながるかも知れないという意味において、挫折と失敗は違うのです。一度でも挫折を経験した人間は強い。挫折という逆境は自分の弱さと対峙することであり、自分の弱さを認識した人間は、それを乗り越える術がないか、じっくり考え行動するようになります。たとえ解決しないことがあっても、一度その難題に向き合った経験は、思考の血肉となり、次のステージへ押し上げてくれる力となります。挫折とは、強い精神、折れないマインドを作るためのストレッチと考えて欲しいのです。

私はこのような現代日本の風潮を換えなければならないと真剣に考えます。挑戦する人間が多く現れなければ、これからの日本は決して良くならないでしょう。

私がおもうこと

上記の原監督の意見を読んで、私なりに思うこと、、

現代日本は何につけ「余りにも完璧を求め過ぎることが多い」と思います。何か事故や事件があった時でも、マスコミの責めかたは一昔前と違い重箱の隅をつつくように細かい。一昔前は世の中結構アバウトでしたので、豪快な生き方をする人も少なくなかったものです。ところが現代では、そういう意味では小者ばかり。昔の陸軍には「概ねよろし」という言葉があったそうです。「細かいことは置いて、大体のところできていれば宜しいことにする」ということのようですが、このような寛容さも時には必要かと。

現代は言ってみれば、綿密に用意されたスタティックな道を外れぬよう安全に歩くようなもの。ちょっとでも外れればマスコミはじめ皆から叩かれる。そうではなく、しっかり自分の頭で判断しダイナミックに自由に自律行動できるようにすべき、、

子供たちに「木登り」「鉛筆削りのナイフを持たせること」など、現代では許されません。確かにそのようなもので怪我をするリスクは大いにあります。しかし、子供たちはそのような経験を経て、次からは用心して行動することを覚えます。ところが現代では、子供たちから危険なものを全て遠ざけてしまった結果、危険の予知・防止など防衛能力を持たず大怪我をすることになります。子供同士の小競り合いなども排除された結果、虐められた時の気持ちや痛みなどの経験を持たぬがゆえ、考えられないような執拗で酷い虐めを相手に与えることも起こります。

私は大学時代馬術部でした。現代の障害競技を数年ぶりに観戦して驚いたのは出場選手がヘルメットと防弾ジャケットのようなものを着けていること。聴くと「落馬での安全のため」。たまたま選手が落馬するところを目にして、またびっくり。我々の頃のように大障害に頭から突っ込んでガラガラっと壊すような派手な落馬ではなく、障害前で急停止した馬からズルズルと滑り降りるようにお尻からストンと落ち、すぐ起き上がるかと思いきや横たわったままで皆が駆け寄る。我々の時代は落馬してもすぐ飛び乗って試合を続行しましたが、現在は落馬したら(安全のため)即 失権。終戦直後の先輩には人馬転倒しても、跨ったまま馬に一鞭くれ起き上がらせ試合続行したというツワ者もありました。考えるに、我々の時代は小学校から帰るとランドセルを家に放りだし、近所の空き地で日が暮れるまで悪ガキをしていた時代。現代は学校から帰っても塾や稽古に明け暮れ、子供同士で取っ組み合いしたり、転んだり落ちたりの経験がない。したがって現代の若者は本来あるべき身体能力がまったく未発達。転倒しても本能的に手が前に出ることなく、顔面着陸という信じがたい事態も。もちろんアスリートはじめ例外はあります。そんなことで我々から見れば大したことのない落馬でも危険、怖いとなる。彼らの指導者に言ったことは「防具をつけても怪我はする。怪我しないためには受け身を身につけるべき。受け身が自然にできれば防具など邪魔でしかない」。

昔は命の危険にさらされる機会は幾らでもありました。それが良いという訳ではありませんが、そのような経験と学びを経て人々は自衛能力や人と人との慈しみを身に着けました。しかし現代はどうでしょう。余りにも安全な世の中であるがゆえ、いわゆる平和ボケが蔓延しています。どんなに安全を求めていても、重大な危険というのは思いがけぬ時、突発的に襲うものです。良い例が東日本大震災ですが、危険に対する予知や自衛能力を失った現代人がどれだけ為すことなく犠牲になったことか。プーチンによるウクライナ侵攻で、日本人も少しは平和ボケから覚めてくれるとよいのですが、、

○ 私がおもうこと(その2)

大晦日の番組で立花隆の特集をやっていました。彼のことを知ったのは、彼が田中角栄首相について詳細に調べた結果、ロッキード事件として知られる大事件となり、現役の首相が逮捕という事態に発展したことからでした。当時は、よくあるジャーナリストが政治家を暴いた事件と思っていましたが、今から考えると立花氏の意図はそこにあったのではなく、彼の単なる好奇心がたまたま田中角栄の軌跡にあっただけということなのでしょう。

彼は多岐にわたる事象に興味を持ち、一旦興味を持つと徹底的な調査を行い、専門家も舌を巻くほどの知識を得てしまうのが常ということでした。私も彼の書いたインターネットに関する本などを大変面白く読んだことがあります。晩年は自分が罹患している癌や死について深く探求しました。しかし自分の罹患した癌の治療などについて追求することは決してなく、あくまで客観的に癌とは何かについて深く知識を得ようとしたそうです。その結果「癌とは生物そのもの。半分はエイリアンかも知れないが、残りの半分はその生物そのものなので、癌と戦っても決して勝利することはない。しかし人生については勝利することが可能」という結論に達しました。

そして昨年の4月、最後はどんな検査も延命処置も受諾せず、自然のまま死を迎えることを選びました。家族に言い残したことは「長年に渡る膨大な蔵書はすべて古本屋に売り払うこと。自分の遺体はゴミとして捨てて欲しい。戒名も墓もいらない」。

私も立花氏のこの死生観に共鳴するものです。私が考える死とは「コンピュータの電源が切れるようなもの。ある日、ブチッと電源が切れ、あとは真っ暗。すべて無になるだけ」。霊魂や死後の世界があるとは全く思いませんが、その人の遺した足跡だけは後世に残る可能性があるということ。長寿を望むなら、世の中に良い想い出や業績として残るよう努力すべきですね。

今生で、やりたいこと・やれることは全てやり切っているので、いつ終わりが来ても別にあわてることもない、もがくこともない。素直に「ああ、来たか、、」と思うだけ。陽気のよい春頃だと良いんだけどなあ、、

早朝散歩:碑文谷 円融寺