わーくすてーしょんのあるくらし ( 360 )

大橋 克洋

katsuhiro.ohashi@gmail.com

2023.04 足もとに まとひ散り敷く 花むしろ

今年の開花は早く4月までは保たないと思っていましたが花寒の日が続き

4月に入ってやや葉桜ながらかろうじて花見はできそうです

○ 春のうた

ネットから拾った春のうた数首


○ 歩行距離と体重との関係

毎日の早朝散歩、歩き出しから調子の良い日と調子が上がらずコースをショートカットする日があります。「まあ体調なんてものは、そんなものさ」と思ってきたのですが、そこに何か因果関係があるのではと思うようになりました。そこで、ハタと思い当たったこと「もしや、体重と歩行距離には相関関係があるのでは」ということでした。

2012年から毎日の健康記録として体重・血圧・気温・歩行距離などを記録しています。そこで、体重と歩行距離に相関関係がないか調べてみました。調べた結果、決定的ではありませんが、ある程度は相関関係ありそうです。今年1月の体重は63キロ台だったのですが、この時期はかなり調子良くて7キロ以上歩くことが多く、体重65キロを越えると距離が延びないことが多くなります。そりゃあ、そうですよね。スポーツカーでも戦闘機でも重量をいかに落とすかがキモですからね。

あと関係ありそうなのが睡眠時間。当然ながら睡眠不足では快調に歩くことはできません。

睡眠時間はコントロール容易ですが、体重の方は思うようにいきません、、食事を抜けば確実に減量するのはわかっていますが、この歳になって何日もそれを続ければ身体の劣化に繋がります。ある程度太り気味の方が長生きするという説もありますが、私の希望は長生きではなく健康なまま終わることなので、、

○ 今月の歩術

4月に入ったとはいえ、まだ早朝の歩き始めはちょっと寒い。極寒期お世話になったフリースは お役御免ということで洗濯し、収納ケースに仕舞ったのですが、まだちょっと早かったかなと思う日も、、そんなことで肌寒い朝は厚手スポーツシャツにベスト。さらに寒い日はこの冬活躍した宇宙素材のパーカー、これなら風もほとんど通さず安心。ただこのパーカー薄手なのに断熱性が高いので、場合により下は T シャツだけにしておかないと、身体が暖まってから汗をかくことになります。

で、肝心の歩きの方ですが、今月もモデルウオークを意念し歩いています。本物のモデルウオークを見ると、骨盤がかなりローリングしているのですが、私の現在の歩きでローリングは気持ちだけ。最初の頃、着地する側の股関節を持ち上げる意念で歩いていたのですが、動画でモデルさんの歩きを見ていると、着地と反対側の股関節が下がるような歩きに見えます。どちらも骨盤のローリングという意味では同じですが。そこで後者の歩きをしてみたのですが、前者の方が前肢の股関節位置が高くなるので結果として歩幅が大きくウオーキングには向いていると思えます。

今月の歩行距離としては先月とあまり変わることなく、毎日4キロから7キロ、調子の良い時は8キロくらい。それにしても歩きが絶好調だった70代前半迄とくらべると、最近は日によって調子が変化します。これが歩きだしてみないとわからない。「今日は調子が良さそうだから、ちょっと距離を延ばしてみよう」とか「今日は調子が乗りそうもないのでショートカットしよう」とか、、

コースも昨年までは大崎駅から五反田・目黒あたりまで目黒川沿い、調子のよい時は大井町や品川宿を廻ってでしたが、最近はほとんど碑文谷の方を巡るコースが多くなっています。こちらの方が平坦だからということもあるのかな、目黒川コースと そう大きな差があるわけでもないのですが気持ち的に、、あとは習慣的なものでしょうね。

代わり映えしない内容ですが、経年的記録として書き残すことにします。

○ 定年後に必要な能力とは

「定年退職後に必要な能力は何だと思いますか?」という文章がありました。以下その抜粋です。

定年退職後というのは第2の人生ですが、同時に全てを喪失をしていく人生です。いくら人間関係を維持しようとしても友がいても、どこかで必ず死に別れます。配偶者も先だてば一人になります。健康を失い社会的な有用性もなくなり、社会のお荷物感、距離感が出てくるでしょう。

友や人間関係そのものに執着すれば必ず辛くなります。人間関係はほんの挨拶や立ち話できる相手がいればいい。お友達はヘルパーさんでもいいんです。嫌がられるかも知れませんが。

それより大切なのは一人暮らしになっても楽しめ、かつ、家事でもいいし趣味でもいいのですが、全てを喪失していく中でもそれが自分の孤独を忘れさせてくれるものがあることが大切です。そういうものがある人は、人生の幸福感度が高い人だと言えます。

物欲や人とのつながりと言った自分ではコントロールできない自分の外にあるものがなければ幸福になれず孤独に弱い人は、特に第2の人生には危険がいっぱいと思い、物欲や人との繋がりは適度にし、仮にそれがなくなっても幸福になれる心を育てることが必要なんですね。

そういう心を持つためには早くからそういう環境を得なければなりません。私はそれを持つために60歳で定年退職して、70歳手前の今も日々精進してます。


これを読むと、私はバッチリ問題ありませんね。孤独もほどほどなら問題ありませんし、生まれてこのかた退屈というものを味わったことがありません。余生を楽しく生きています。

環境音に適合できなくなった現代人

女性の一人客の利用が多いあるファストフード店で離乳食のサービスを始めたところ、SNS で賛否両論渦巻く結果になったそうです。「幼児を連れ外食できるようになったのは有り難い」など若いママさんの声とともに「店内が子供の声でうるさくなるのは嫌だ」「子連れは荷物が多いし、席が埋まり入れなくなるのは困る」「一人静かにお茶を飲めなくなる」など反対意見も多いよし。

少し前「隣の公園で遊ぶ子供達の声が騒がしい」との意見で公園を封鎖した地方自治体のニュースがありました。かつて我が家の前には区立小学校があり、運動会前になると賑やかな音楽とともに玉入れなどの競技の練習で盛り上がる可愛い子供達の声がしていました。これが或る時から無音の練習になり何故だろうと思ったのですが、近隣から「うるさい」との声で自粛することになったのだそうです。とても寂しい思いをしました。

診察室に入ってきた患者さんが「子供が待合室で騒いですみませんでした」と謝るので「そんなことありませんよ。私が開業した頃の産婦人科の待合室では子供達が走り回ってそれは賑やかだったもの。久しぶりに懐かしい声を聴きました」と応えたことがありました。電車の中で子供が泣き出すと、周囲に気を使わざるを得ない現代のお母さん。

以前、建築中の外科医院の周囲に反対ビラがベタベタと。内容を読むと「救急車の音でうるさくなるので建築反対」。何たるエゴ、自分は救急車のお世話にならないつもりか。こういう自分さえ良ければという輩にはとても腹が立つ。

窓に吊るした風鈴の音がうるさいとの文句など、私達世代には違和感しかない。なぜなら、子供の声も風鈴の音も鳥の声も虫の音も風の音も窓に叩きつける豪雨の音も、そして時には救急車や消防車のサイレンも、すべて環境音。それらを慈しむ鷹揚な心を欠いてしまった現代人、民度が落ちたなあと嘆く私、、

呑み屋横丁も ひとつの文化である

「ガイアの夜明け」で東京各地の横丁文化をとりあげていました。新宿の「思い出横丁」これってまだあったんですね。もう30年以上前でしょうか新宿駅周辺をうろうろしていて偶然みつけた横丁でした。渋谷の「のんべえ横丁」行きやすいところなのに行ったことがありませんね。有名な「恋文横丁」は行ってみたいと思いつつ無くなってしまいました。その他、諸々、、

私の地元、武蔵小山駅前の路地にも呑み屋のひしめく横丁がありました。しかし品川区による駅前再開発で全部取り壊しになりました。取り壊されると聞いて「このゴチャゴチャした呑み屋横丁も貴重な文化なのになあ」と思ったものです。跡地にタワマンが何棟か建つということで、立ち退きになった呑み屋横丁がそのビルに入ることを期待していましたが、儚い夢でした。新橋駅前では取り壊された呑み屋横丁が新設ビルにそのまま入っていますので、それを期待していましたが、武蔵小山の場合つくられたのは通りに面したテナントばかり。狭いテナントを数多く作り、高い家賃で数多く稼ごうという魂胆見え見え。文化も何もあったもんじゃありません。

このように既存の文化を潰し新たに作り直そうというなら、テナントの面積も少しゆったりと自由が丘のように洒落た店で新たな文化を築いて欲しかった。武蔵小山の再開発ではそのような将来を見据えた地域づくりはなく、短絡的な金儲けしか考えていないようです。とても残念。確かに街の姿は大きく様変わりし、以前の武蔵小山を想像することさえできなくなりました。

○ 大橋家のルーツ

ある会合で大橋さんという女医さんがいらっしゃいました。最近はスポーツ界その他で大橋姓もちょいちょい目につくようになりましたが、それでもなかなか同姓の方にお会いすることは少ないので、ちょっと話しかけてみました。

「私も大橋ですが、大橋っていう苗字少ないですよね」と言うと、「私はもともと岐阜なんです」とのこと。以前ネットで調べたところでは岐阜に大橋姓が多いようで、私も大橋のルーツは岐阜かなと思っていましたので「岐阜って大橋姓が多いですよね。大橋のルーツはやはり岐阜なんですかね」と言うと、「ええ、岐阜がルーツです。もともと武家だったようですよ」とのこと。「私も先祖は武士だと思っていたのですが、やはりそうですか。誰かの家来だったりしたんでしょうかね」と言うと「もともとは野武士だったようです」とのこと。へえ〜、そうなんだ。

で、わがご先祖は、何時どういう経緯で江戸に出てくることになったのかも知りたいなあ、、

という、だから何なのという話ですが、私にとっては長年の謎にちょっと近付けた思い、、

世界はこれからどうなるのだろう

これから色々と変わりそうな世界。ごく身近なところでは私の住む武蔵小山、駅前の再開発が進行中です。下町の面影を残す戦後の武蔵小山駅ならびに駅前の町並みがすべて取り壊され、駅前に新しく2棟のタワマンが建ちました。これから更に2棟のタワマンが建つ予定(3棟という噂もあります)、これから建つタワマンは武蔵小山商店街を跨いで建ち、武蔵小山商店街を内包するらしい。完成したところを見てみたいものですが、私の生きている間には無理かもなあ、、

さてここで世界に目を向けると不安材料が一杯。他国を侵略したり害する気満々のロシア・中国・北朝鮮などの独裁覇権国家たち。それらに関連して進行を止められない地球温暖化・気候変動。振興国家の農地拡大などに伴う森林・自然破壊の進行。人間によるコントロールの手に余るようになる可能性の高い AI の進化、、などなど

未来の世界は大変な状況になるのではないかと危惧されます。このような混沌の世界がある程度続いてガラガラポン。人類が無事なら、やがてそれらが初期化され、また落ち着いてくるのかも知れませんが、私の孫の世代の頃には大変な思いをするのではないかと心配しています。しかし私に残された寿命では、幸か不幸かその成り行きを見届けることはできません。たとえ100歳まで生きられたとしても、残された年数はたった19年。今から19年前のことを思い出してみても、つい昨日のよう、あっという間、、