電子カルテによる外来診療

産科と婦人科,59:1657,1992. 第59巻,第11号                           電子カルテによる外来診療                           大橋克洋 大橋産科婦人科   当院で日常の外来診療に電子カルテを使いはじめて、3年を経過した。 開発を始めたのは5年程前で、当時は電子カルテという概念自体がなく、その コンセプトを創るところから作業は始まった。 「診療録の記載や診療費の計算をコンピュータで行ないたい」という のが動機で、具体的には、診療録記載と診療費計算にまつわる作業を能率化し たい、診療支援が欲しい、あらゆる記述・連絡作業をコンピュータ化したい、 ネットワークを介しスタッフ間の仕事を並行処理したいなどであった。 電子カルテは、従来からの診療録の機能をすべて含み、かつ扱いが容 易で、手書きでは到底不可能なことを実現するものでなければならない。  ○ 電子カルテの実用化に必要なこと  どんなに素早くタイプできる人間でも、忙しい診療中ワープロでカル テを書くには大変な集中力を要し、まったく実際的ではない。実用化には入力 簡素化のさまざまな工夫が必要で、これが達成できれば電子カルテ実用化の第 一段階はクリアしたといえる。また、紙のカルテに比べ画面のカルテはどうし ても閲覧しにくい。快適に閲覧できるためのさまざまな工夫も必要になる。 複数スタッフで仕事をすすめる医療のような仕事にネットワーク機能 は必須である。ネットワークによりコンピュータ導入のメリットは飛躍的に拡 大する。当院では Sun 2台、NeXT 1台、Macintosh 3台、PC-98 1台が Ethernet で接続されている(Fig.1)。Sun,NeXT は UNIX ワークステーション である。また電話回線で国内・海外のコンピュータとのネットワークを構成し、 電話回線を介して院内のコンピュータを使うこともできる。  ○ 電子カルテ実現にもっとも適したコンピュータは  誰にでも易しいユーザインタフェースと自由度を与えつつ全体を一つ のシステムとして機能させるには、パワフルなワークステーションを用いるの が最善である。パソコンは演算速度やネットワーク機能など力不足であり、大 型電算機ではまったく小回りが効かないからである。 Sun ワークステーション上に Lisp 言語で作成したものを3年間使っ てきたが、もっと誰にでも容易に使えるものをと今年から NeXT というワーク ステーションに移植作業を開始した。NeXTはApple コンピュータ社を創設した ステイーブ・ジョブスらにより開発されたワークステーションで、パワフルな  UNIX 機能に加え Macintosh の使いやすさを持った画期的コンピュータである。 標準で音声・画像などのマルチメデイア機能をそなえ、かつ強力なネッ トワーク機能を有する。またオブジェクト指向言語によりソフト開発は極めて 効率的にでき、医療システム構築に最適のコンピュータである。  ○ 電子カルテで何が出来るか  (診療記録の記述) ワープロと同様に診療録を記述できるが、入力を簡素化・高速化する ためのさまざまな機能がサポートされている。開発中のもの(Fig.2)は、スケッ チや超音波の画像・モニターの波形などを貼り付けることが出来る。動画や音 声も扱えるが、かなり巨大なファイルとなるのでまだ実際的ではない。 右側余白の矢印のついたメモは附箋で、後日削除することもできるし、 これをもとに検索できる便利なものである。診療科だけでなくドクターごとさ まざまに異なる要求に対応できるよう、電子カルテの書式は自由である。  (診療費の計算) レセプト専用機ではその入力データを他へ利用することは困難である。 電子カルテでは発想の転換を行ない、ドクターは診療録の記述に専念すればよ い。診察が終った時点で診療内容をもとに、診療費が一瞬のうちに算出される (図参照)。また、処置内容などはすべて内部辞書をもとに入力しているので、 病名コードなどの変換が必要な場合は変換テーブルを通して一括変換できる。  (診療データの共有) 検査室で台帳に記入された検査結果は、ネットワークを介してカルテ に投影される。同じデータを各部署でもっとも見慣れた形式で扱え、各部署間 で伝票のやりとりは一切いらない。すべてネットワーク上でリアルタイムに転 送される(開発中)。これはサーバ・クライアント方式で実現される。検査結 果は検査台帳サーバに問い合わせればよい。クライアント(利用者の使うソフ ト)はネットワーク上のどこからでもサーバのサービスを受けられるが、すべ てコンピュータが処理してくれるので利用者はその存在を意識する必要はない。  (処方と処方箋発行) 処方は一剤ずつ記載もできるが、能率的なのは約束処方を使い必要部 分を追加・削除する方法である。do 処方ならワンタッチですむ。当院は院外 処方なので、市販の処方箋と処方控用紙にプリントアウトするが、院内薬局の 場合はそこのワークステーションに処方箋を転送できる。  (来院履歴の時系列的な参照) 主訴や症状などを時系列的に眺められれば便利である。図上右の小さ なウインドーに来院年月日と主訴の要約がリストアップされ、必要な行をマウ スで選べば下にその頁が開く。このウインドーには、その患者について未解決 の問題点をリストアップすることもでき、的確な対応ができる。  (周産期管理) 最終月経や測定値などから妊娠週数を算出、測定値や排卵日による週 数補正も容易で、妊娠暦をプリントアウトできる。妊婦健診の計測値は標準曲 線上にプロットできるが、数値で見るより正常・異常の認識が容易で、妊婦の 理解も得やすい。  (紹介状の作成) 患者氏名・検査結果その他必要項目を電子カルテから自動的に拾い出 し、自分なりに決めた書式の紹介状にはめ込んでくれる。ワープロのように自 由に加筆・訂正でき、プリントアウトして署名するだけでよい。  (マルチメデイア電子メール) 電子メールも、文字・画像・音声を扱える(Fig.3)。図右下の唇のア イコンをクリックすると中央のパネルが現われ、Play ボタンを押せば音声が 流れてくる。Recordボタンで録音後、挿入ボタンを押せば唇アイコンが手紙に 貼り付けられる。宛名欄に記入し投函ボタンを押せば、自動的に配達される。  ○ 電子カルテを使って便利になったこと  ワンタッチで診療費計算できるのは大変便利である。カルテの記載も 紙のカルテよりずっと楽になった。記載事項は何でも検索でき、自動処理でき るので統計処理も大変能率的である。患者の問題点やいろいろなデータを時系 列的に見ながら、未解決の問題点に的確に対応できる。また検査の異常値や薬 剤使用禁己などを機械的にチェックできる(開発中)。 デスクワーク、すなわち紙とペンを使って行なう作業の殆んどがコン ピュータ化され、ネットワークを介して相互に転送されるので人手を介するよ り正確・能率的である。患者から電話があっても、自宅のコンピュータでカル テを見ながら対応できる。診療中に関連した医学情報や台帳を参照するなど、 データからデータへ関連付けた処理は電子カルテでなければできない。  ○ 電子カルテの問題点  従来の手書きカルテも使用しており、現在は二度手間というのが本当 のところである。しかし、診療中のカルテのこまめなプリントアウトができる ようになれば手書きは不要になる。電子カルテをプリントアウトし、紙のカル テに貼り付ければ診療録として法的には問題ない。診療日ごとに署名をしてお くと更によいであろう。 磁気記憶は故障などで突如消滅することがないとは言えない。深夜の 間に診療データをネットワー上の別のマシーンへ自動的にバックアップするよ うにしている。万一マシーンがダウンした場合、こちらを使うこともできる。 診療録には秘守義務、すなわちセキュリテイーの問題がある。使いや すいシステムとセキュリテイーとは相反する問題を含み、今後医療の電子化が 行なわれて行く上で長期にわり試行錯誤を重ねて行く問題であろう。  ○ 電子カルテの将来  今後コンピュータのインテリジェント化はめざましい速度で進み、素 人でも簡単に扱える道具となってくることは間違いない。診療中に、考えられ る疾患、検査法や処置、薬剤の配合禁己などについて示唆を与えたり、ミスを チェックするようなシステムを作ることは技術的に充分可能である。基本機能 が充実した時点で、そのような診療支援機能の拡張をしてゆきたい。 この電子カルテは本来当院のような小診療所だけでなく、大学病院の ような大きな施設での利用を想定し、UNIX ワークステーションなどに精通し たドクターチームで開発されてきた。開発段階においては試行錯誤の面が多く、 当院のような小規模での開発が最も効率的であったが、このシステムが本来の 威力を発揮するのは一人の人間で管理できない大きな施設である。将来このよ うなシステムの開発に是非参画したいというのが我々のささやかな夢である。  文献) 1)大橋克洋:UNIX による診療所統合情報システム,医療情報学 5:142,1985 2)大橋克洋:コンピュータによる周産期管理,産婦人科治療 54:699,1987 3)大橋克洋:UNIX による院内ならびに広域ネットワーク,周産期医学 18:1907,1988 4)大橋克洋,菅生紳一郎:電子カルテシステム,第9回医療情報学連合大会論文集,1989 5)森忠三,西尾利一:診療録の情報処理化,医療とコンピュータ,2:120,1989 6)古和久幸:病院内情報システムと電子カルテ,医療とコンピュータ,2:127,1989 7)巽憲一,牧野尚彦:従来のカルテを機械化したシステムカルテの試み ,医療とコンピュータ,2:133,1989 8)大橋克洋,菅生紳一郎:電子カルテによる外来診療,医療情報学 10:227,1990 9)大橋克洋:医療のOA化とコンピュータ利用のこれからについて ,産婦人科の世界 43:527,1991