2006.08 ロハスなくらし

わーくすてーしょんのあるくらし ( 162 )

2006-8 大橋克洋

先月訪れた「京橋」から見た大阪の夕暮れ

最近「ロハス」という言葉が聞かれるようになりました。

「ロハスって何だっけ、、」と、 「ロハスとは」をキーワードで web を引いてみました。沢山でてきます。ああ、そうか Lifestyle of health and sustainability の略で、以下のような説明でした。

「健康と持続可能な社会に配慮したライフスタイル」、1998年のアメリカでの研究から導き出された。日本には2002年に紹介され、使われ始めたようです。ロハスなライフスタイルとは、「安ければいい」「効率がよければいい」という従来の考えとは異なり、「自分や他人のカラダに悪い影響を与えないものか?」「地球環境にとってマイナスにならないものか?」をまず考え、それによって消費や行動を選択していくものです。そもそも、「健康」と「地球環境」は切り離せないもの。

なるほどね。ということは、最近の私の生活はロハスそのものじゃない。早寝早起き、起床後・就寝前にストレッチなどのトレーニング、食事は野菜や魚を主として簡素に、外ではなるべく交通機関やエスカレータなどに頼らず自分の足で歩く(昨夜も熱暑の夜でしたが、白金高輪から45分ほど歩いて帰りました)。

ロハスにはシンプルライルが伴うようです。シンプルライフは前々から私が憧れるところなのですが、なかなか実現が難しい。結局は物欲なんですかね。つまらない物と思っても、なかなか捨てられない。何とか努力してシンプルにしたいものです 、、、と、本当の「ロハスなくらし」に憧れる私です。

ロハスは健康志向の人達を相手にする商売を 考えついたことから出来た用語のようです。Wikipedia の記述を読むと、 「LOHAS はあくまでもマーケティングのために生まれたコンセプトであり、 売れるためにどうするか、という考えが強すぎるため、 健康や環境にどれだけ良いのかという科学的視点が欠如しているのではないか」 という意見や、「 LOHAS の商品は高すぎるのではないか」などの意見があります。LOHAS 自体は良いものでも、それを食い物にする企業が群がるがゆえに、 イメージが悪くなるのは嫌ですね。 そもそも私がめざす LOHAS は 「高価なものや特別なものを使わなくてもできるライフスタイル」ですから、、

同様に砂を噛む思いをするのが「ハッカー」という言葉です。 そもそもハッカーはコンピュータ・ソフトウエアの先駆者たちが、 仲間内の非常に優れた者を尊敬して呼んだ言葉ですが、 不勉強なマスコミが 「ネットワーク上で悪いことをする人間(本来これはクラッカー)を指す言葉」 として使ってしまったことから、 いつの間にかハッカーはネットワーク上で悪いことをする人間になってしまいました。先駆者の時代に本当の「ハッカー」らとともに過ごした私としては、 誇りあるハッカーという言葉がこうなってしまったのをとても苦々しく感じています。

○ 地球規模のワークシェアリング

「チリも積もれば山となる」式に、地球上の人々に少しずつ仕事を振って、大きな仕事を低いコストで片付けてしまおうという試みが始まろうとしています。これはまた、地球規模での「富の再配分」へもつながることでしょう。

Microft というところが、これからやろうとしていることだそうです。このネーミングもふざけてますね。MS 社への挑戦ということも込められた名前なのでしょう。 以下は CNET Japan の記事からの抜粋ですが、、

ページにおかれたバナーには、「下の画像に描かれている文字をそのまま入力欄にタイプしてください」「このアイテムをもっともよく示すキーワードを入力してください」といった指示が表示されます。そして、暇な時間に偶然このバナーを目にし、指示に従って作業したユーザーには報酬が与えられることになります(あるいは、日本人からすれば無に等しいほど細かな額でも、これから100ドルPCを使ってネットにアクセスしてくるような第三世界の子供たちにはないがしろにできない金額になるのかもしれません)。また、このMycroftが配信するバナーを掲載するサイト運営者にもいくらかの対価が支払われ、さらにテープ起こし、情報のカテゴリ分けやタグ付け、文書のデジタル化といったデータ処理の仕事をMycroftに頼んだクライアント企業では、ほかよりも安く、素早く作業を処理できるというメリットを得られる仕組みのようです。

群衆にアウトソースするからクラウドソーシングという名前なのだそうです。 面白いですねえ、これからはこんな世界がくるんですねえ、、

○ iMac 20 inch 印象記

受付の PowerBookG4 が老齢で突然オシャカになりました。 私が使っていた iMac(電気スタンド型)を受付へ譲り、 私のデスク用に intel iMac(プレート型)を AppleStore でオーダーしました。 iMac 到着と同時に「あれ? 書斎で使っている 20inch Cinema Display に比べ、画面が何か小さいような、、」と、 巻き尺を取り出して画面サイズを測ってみました。 ぴったり同じです。 Cinema Display の外枠が、それを大きく見せているようですね。

外来デスクに置くと、やはり存在感があります。 そして画面がとても広く美しいです。 今度は画面が広いので、電子カルテは私に近い左側に置くことにしました (机をはさみ患者さんと対面式。両者から見えるようコンピュータを配置)。 画面右側に開いているのは Web ブラウザー、ここで「Web処方箋」を使います。 「Web処方箋」の入口「ほっとライン」のポータルサイトが表示されていますが、 写真が遠くてわかりませんね。

とりあえず仕事場のフラッグシップが Intel になったので、 仕事用ツールを少しずつ universal binary にコンパイルし直しています。 広告には「iMac 2倍のスピード」とあるのですが、 残念ながら通常の利用では体感速度で 2倍ものスピードアップはないようです。 画像の表示は早いようですが。 一番大きな特徴は「画面が広い・明るい・美しい」でしょうね。 ともあれ、このような環境で診療できるのは、私にはとても嬉しいことです。

○ Apple 社のスプレッドシートに期待

最近の MacOSX 環境は大変充実してきて、 Windows 環境を指をくわえてながめる必要がほとんどなくなってきました。 Windows ユーザが MacOSX の画面をながめて、 「えっ、そんなことができるの! いいなあ、、」 とうらやましがることも多くなっています。

唯一不便を感じてきたのがスプレッドシート(表計算ソフト)です。 OS9 の頃にはあったのですが、満足できる機能には至りませんでした。 せめて元祖 VisiCalc のエミュレートしたものを、 誰か MacOSX へ載せてくれれば、それはそれで使えるのにとも思います。 いっそ「自分で簡単なものを作ってしまおうか」とさえ思ったこともあります。

そうは言っても、 Window ユーザは何も Excel を使う必要のないものまで Excel フォーマットで送ってきます。 これを読むため、実際には先月紹介した NeoOffice を使っています。 これは MS Office をかなり忠実に再現したもので、 それなりに使えているのですが MacOSX 上では かなり遅い(それでも Intel 版は少し早くなりました)上に、 MS 的なダサいデザイン(実際には Linux 的なのかな)が 最も気に入りません。 「こういう美しくないツールは使いたくない」というのが本音ですね。

Apple に関する「噂サイト」の情報によると、 来年あたり Apple 社からスプレッドシート が発表になる可能性が高そうです。 これこそ、まさに Apple に長年期待の最後に残ったものです。 Apple が出す以上、その機能や使い勝手にはかなり期待できるでしょう。 ネットワークを介した連携機能なども期待できそうです。 当然 Excel データとの互換性もはかれるはずですし、 とても待ち遠しいことです。

○ WWDC ちょっと気になること

Apple 社の開発者会議 WWDC が今月 米国で開催されました。最後に残った PPC(PowerPC) マシーン PowerMac が、インテル CPU を積み Mac Pro のネーミングで発表されました。 今までのマシーンと外見は変わりませんが、 中を開けてみると精巧な次期戦闘機なみの凄さを感じさせるものへ グレードアップされました。 引き出し式の HD が4基も装備できるのはいいですね。 こいつは Mac Pro のロケットランチャーのようです。

また、次期 OS である Leopard の仕様の一部が発表されました。 次期 OS の「タイムマシーン」機能はいいですね。 常に自動バックアップ(おそらく差分の蓄積)が働いていて、 いつでも蓄積したファイルなどを昔の状態に戻せるという。

「Spaces」は、私にとって WindowShadeX とともになくてはならないツール Desktop Manager と同じようなもので、 4画面を切り替えて使えるようです。折角頑張ってくれた Desktop Manager にはちょっと気の毒ですが、OS の標準機能として取り込まれるようです。 WindowShadeX も、昔は MacOS の標準機能だったこともありますし、 また標準搭載してくれると良いのですが。 ただし、これらの素晴らしい機能を生み出してくれたソフトウエア・ハウスに 損害を与えることなく、むしろそれが有利に働くよう祈りつつ、、

さて、ここでちょっと気になるコメントをみつけました。 一昨年でしたか、膵臓がんを幸運にもクリアし短期で現役復帰した 「Steve Jobs 氏がちょっとやつれたのでは」というコメントです。 確かに昨年、一昨年の映像とくらべると、そのように見えないこともありません。 ただ、外人は一旦老け始めると急速に老けますので、 私としては そのような変化ではないのかなと楽観的に受け止めたいところです。

WWDC から帰った人に尋ねてみたところ、 遠目だったのでわからなかったが、今回はプレゼンを Jobs だけでなく、 担当者数人に分けて説明させたことが気になったとのことでした。 これは私もちょっと気になったところです。 WWDC開幕前の予想記事に、MS社のビル・ゲイツの引退宣言を受けて(?)、 今回のサプライズの極めつけは Jobs の引退宣言ではないかというのがありました。

今回のプレゼンがそのような前兆でなければよいのですが、、、 Jobs 氏には、まだまだしばらく元気で楽しいサプライズを 世に送り出して欲しいものです。

○ Apple 社と Microsoft 社のこれから

ビル・ゲイツが退いた後の MS 社はどういう方向に進むのでしょうか。 かつてジョブズがいなくなった頃の Apple 社のようになる?

万一そのようなことが起こったとしても、個人的には Apple 社がトップシェアをとるような事態は絶対に避けて欲しいところです。 ま、幸いにも、そんなことはまず起こりえないでしょうがね、、

大衆車が決してベストな車ではないように、 トップシェアの OS がベストということはあり得ません。 大衆車は MS 社にまかせ、 Apple には常にナンバー 2 あたりの位置につけていて欲しいのです。 シェアも最高でも、1/4 程度以下に抑えて欲しいですね。 トップシェアになれば、 どうしても大衆の意見に迎合せざるを得なくなり、 面白いものは生まれにくくなります。 これに対し、新しいユニークな機能はマイナーな人達の中から生まれるのです。

今の Apple 社とは比べものにならないほどマイナーだった NeXT 社で培われた素晴らしい技術が、 現在の MacOSX の技術の基礎をなしています。 このように洗練され整然とした技術は、 絶対にメジャーな会社からは生まれ得ないのです。 そこには、潤沢な資金を持って NeXT 社を創設した スティーブ・ジョブスという人間がいたことも、 非常な幸運であったとはいえるのでしょう。

デザイン系やミュージシャンなど、クリエイティブな人達に Apple 社製品の愛好者が多いとともに、 TV を見ていると素晴らしい先進的な研究をしている人達が 使っているマシーンが Mac であることが多いのを見て とても嬉しく思います。 Apple 社の製品は、クリエイティブで品格をもった人達に愛されるツールであり、 常にイノベーションを起こす先進的な震源地として、あり続けて欲しいのです。

○ リーダーの資質

新幹線の中で読んだ雑誌に「リーダーの資質」について興味ある意見があり、 MacBook にメモしてきました。 リーダーには3つのタイプがあるそうです。

  1. 深沈厚重 なるは是れ第一等の資質

    1. 時流に染まることなく物事を深く考える重厚な性格

  2. 磊落豪雄 なるは是れ第二等の資質

    1. 勇気があり細かいことにこだわらない

  1. 聡明才弁 なるは是れ第三等の資質

    1. 才気活発、弁が立つ

「ライブドアその他、最近のリーダーの多くが(3)のタイプばかりで、 (1)(2)のような頼もしいリーダーが少なくなっている」とありました。

なるほどねえ、、しかし、私の尊敬する唐澤日医会長は、 まさに(1)のタイプなのです。さらに加えて「誰に対してもわけへだてなくソフトに接し、よく耳をかたむけ、ユーモアも兼ね備える」という、今ではどこを探してもこれだけの人格を持つ方はいないと感じてきました。これを読んで妙に納得です。 個人的には(2)のタイプも好きですねえ。 どちらかというと私は「走りながら考える」タイプで (1)にはちょっと自信ありませんが (2)には近づきたいと思います。

組織を構成するには、 (1)(2)(3)のタイプのメンバーを集めるのが理想的なのでしょう。 清水次郎長一家などが、そうかもね、、

○ 書きとどめよ、、

ガリレオ・ガリレイが宗教裁判にかけられ 地動説を撤回させられた後、 「今後2度と地動説を説いてはならぬ」という条件のもとに 命だけは助かったという話があります。 このような科学的なことをローマ法王庁というところが管理していたということも、 われわれにとって奇異なことですが、ローマ法王が 「この宗教裁判が間違っていた」ことを公に認めたのは、 つい近年のことなのだそうです。

ガリレオがその後「でも、地球は回る」とつぶやいたことは有名ですが、 その他に、彼は次のような言葉を残しているそうです 「書き留めよ。議論したことは、風の中に吹き飛ばしてはならない、、」。 うーむ、わかるな、、 私も「本当はこうなんだが、今の世の中では余り大きな声では言えない」 と思うことが、ままあります 、、と言いつつ、ここで書いてしまっていますが。

自分の本業である産婦人科に関して 「自分たちの種を残そうとするなら、 自分でセレクトしてはならない。 自然界から受ける未知の、また数多くの試練を乗り越えていかねばならない」 と思うのですが、現代の人間はそれを事前に避けようとしかしません。 これは急速に種を弱体化へ導き、 気がついた時には回復不可能になっていることでしょう。

○ 少子化を考える

大きな社会問題「少子化」も、原因は単純なことです。 要するに「生殖能力の低下」が顕著になってきているのです。 生殖能力は本能でもありますから 「仕事があるから子供を産めない」という考えが起こること自体が 生殖能力の低下の現れと思っています。 昔から「貧乏人の子沢山」という言葉があるように、 「生活が大変」と「子供の数」とは別のものなのです (避妊などのすべもなかったという背景があったにしても)。

さらにそれがどうして起こってきたかと考えてみると、 世の中が平和になりむやみに子供を増やす必要がなくなってきたからなのでしょう。 本当に「自然」とはうまくできています。 つまり「歩留まり」が良くなってきたので、 「生殖能力を制限」し始めたのだと思います。 戦争や天変地異などがあれば、きっとまた子供の数が増えるのでしょう。 こんなことを大っぴらに余り書くと、 私も宗教裁判にかけられそうです。 「でも、地球は回る」で、本当はそうだと考えています。

「産婦人科の減少」もまったく同じと思います。 これを大分前から予想してきました。 遠からぬうちに産科は希少価値になるでしょう 、、ということで、 私は日本という良い国に住み、 Web という良い道具を得て、こうして思うことを「書き留めて」います。

○ こどもは元気に遊ぶことこそが大切

大阪「星子幼稚園」の園児は淀川市民マラソンに大人と一緒に5年連続参加、何人かは制限時間の8時間以内に42kmのフルマラソンをゴールまで走りきるそうです。 園長の鉄村和夫先生は「ゴールをめざしなさいとは絶対に言わない。行けるところまで行って、5km ごと飲み物やお菓子のある所で一休みし、続けて走るのかやめるのか子供に決めさています」とのこと。子供に 42km の距離感覚はつかめていない。ただ「長い」と感じるくらい。

どちらかというと退屈なランニングを長い時間つづけられるかどうかが問題だそうで、走りながら「あの飛行機はどこへ行くんだろう」「あのマンションは何階建て?」などとおしゃべりしたり、ゆっくり走って適宜に休みをとれば、大人以上に長い距離を走れるのだそうです。そのための基礎トレーニングとして、幼稚園では毎日ランニングを欠かさないそうです。

産科医として感じてきたことは、生まれたばかりの赤ちゃんをふくめ幼い子供達は、とてもモロイところがあるのは事実ですが、意外と「強靭」で「したたか」なところもあるものなのです。草原のなかで産み落とされ、直ちに肉食動物の攻撃から逃げなければ種族を保存できない状況の中で、自然と備わってきたものなのでしょう。

園長先生は「なんでもない場所で転ぶ園児の姿をみて」これを思い立ったそうです。「幼児期に一番大切なのは遊び。人間の基本的な部分はこの時期の遊びで形成されます。園児達はおしなべて忍耐力と協調性があります」とのこと。

まったく同感ですねえ!! 幼稚園だけでなく、子供には絶対に身体を存分に使った「遊び」が大切と思います。ビデオゲームなどは遊びに入りません。「遊び」とは自分の身体を張ったものでなければ、本当の判断力や応用力、知恵が発達しません。極論をいえば「子供の頃に座学は不要、どんどん遊ばせること。座学は自発的にやるようになったらサポートすればよい」と考えています。十分な「遊び」で身体ができてくれば、根性も知恵も常識も備わってきて、やる気の座学はどんどん進むはずです。

「自分本意のことしか考えられない人達」や「うつ」が増える世の中、絶対に「日本はスポーツ立国にすべき」と思います。

○ マニュアルは役に立たない、自分で考えるしかない

サッカーや野球にはまったく興味ない私としては、ジーコ監督がオシム監督になっても「興味ないな、まあ勝手にやれば、、」と考えていました。しかしTVのドキュメンタリーでオシム監督にまつわる話を聞いて、かなり入れ込みそうです(いや、サッカーにではなく、オシム監督に)。

入れ込みそうな理由は、ユーゴスラビアに生まれ、祖国がボスニア・ヘルツェゴビナ紛争という極めて厳しい状況におかれた経験をもつオシム監督の人生観によるものです。「勝利して得ることよりも、敗北により得ることの方が大きいこともある」と彼は言っています。何となくわかるような気が、、

「考えるサッカー、自分に合ったサッカー」「答えを教えず、自分で考えさせる」「マニュアルは役に立たない。アイデアやインテリジェンスが重要」「サッカーに2度と同じ状況はでてこない。そのつど自分で考えるしかない」。「マニュアル人間化」が顕著になりつつある現代の日本人へ大きな危惧を抱く私としては、オシム監督が日本人へ強い影響を与えてくれればと思います。

私は女子バレーの大ファンです。今、2006年 WGP 戦が行われています。柳本ジャパンの選手達が、アテネ・オリンピックの頃よりさらに精鋭となり、どのメンバーも素晴らしく成長しているのを見て、とても嬉しく思っています。「バレーに同じ状況はでてこない。そのつど自分で(瞬間的に)考えるしかない」と感じてきましたが、彼女達はまさにそれをやってのけています。

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