2017.02 集中力の持続がポイント

わーくすてーしょんのあるくらし ( 288)

2017-2 大橋 克洋

2月も半ば近く日差しも何となく春めいてきました

先月から米国大統領にトランプ氏が就任。心配された通り就任早々、中東など7カ国の人々の入国禁止やメキシコ国境に壁の設置など、矢継ぎ早やに大統領令を発行。国内の反対デモだけでなく、世界各国で反対のブーイングの嵐。はてさて、彼の放った汚い言葉に影響され、米国のモラルがどんどん下がって行くのも気になります。アメリカが風邪をひくと日本にも影響しますからね。トランプ大統領によってこれから世界はどうなってしまうのでしょう。

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◯ 今月の歩術

今年の2月は北風ビュービュウの日が多く、体感温度の低い日が多かったように思います。もうひとつ感じたのは、立ち居の平衡感覚が落ちてきたこと。数年前の入院デビュー、内耳の炎症で片方の三半規管が機能不全となり、もともと平衡感覚が落ちてはいたのですが、下肢から躯体にかけての体感でそれを補ってきました。しかし、それを上回って時々フラフラすることがあります。

原因を考えてみました。ひとつは最近ハマっている TV や録画視聴で半日くらい座りっぱなしのことが多いこと。これによる平衡感覚の低下に加え、運動不足と加齢による筋力低下。これが平衡感覚の低下と体温低下を招いているのではないか。つまり筋肉の減少を示しているのではないかと。

早朝散歩、平日は週に2,3日それぞれ4キロ前後、日曜は必ず10キロ余り歩いてはいますが、寒さにより頻度は落ちているように思います。中国武術の練功、北派武術では筋肉量を増やすとスピードが落ちる。「威力は、筋肉による力ではなく、全身の力を合一させるタイミングとスピードを鍛えることにある」ということで、意識して筋力トレーニングをやめていたのですが、この筋肉量の低下は何とかしなければならないと思っています。おそらく筋肉量の低下に伴い、体温低下が生じているのでしょう。

悔しいことに、それに反し体重増加のあること。筋トレ・ダイエットを開始した時、まず食事を思い切り減らすことにより体重を落とし、その後少しずつ筋トレで落ちた脂肪を筋肉に替えてきましたが、再び筋肉の分が脂肪に置き換わっているのではないかと。こりゃ何とかせにゃいかん、、

◯ 今月の脳トレ

電子カルテ NOA の開発、もう何ヶ月もユーザさんからのリクエストやトラブル・レポートがないため、もう一つの大きな趣味である住宅設計に入れ込んできました。

先日、恒例の日本医師会医療情報システム協議会に出席してきました。最近はわくわくするような面白そうなテーマがまったくなくなってしまったのですが、それでも各地医師会の先生方の発表を聴いていて、少しは「気」をもらったようです。NOA 改良のアイデアが幾つか浮かび、翌日久しぶりに NOA の改良に取り組みました。

ソフトウエア開発は昔からそうなのですが、久しく離れていると勝手がまったくわからなくなってしまい、ちょっとしたことでも探検や発掘から始まります(「一流のアスリート達が1日でも練習をしないと、能力が落ちてしまう」というのも、別の意味で同じようなことなのでしょうね)。

「ソフトウエア開発は、いかに集中力を持続できるかにかかっている」ということに今更ながら気が付きました。そうか「年齡とともにこのような能力が落ちてくるということは、つまり集中力を持続できなくなるということなのか」と、、

この正月から2週間ほど取り組み久しぶりに建てた「割り箸建築」、これも結構細かい仕事でかなり根気の要るものですが、そこでもうひとつ思いついたのは「集中力の持続には、それがいかに面白いか、興味を惹かれるかにかかる」ということ。

なるほどねえ、70歳を過ぎ否応なしに筋肉や思考能力の低下傾向を感じざるを得ない昨今ですが、これを食い止めるには、できるだけ幅広く「興味を持つ」ことにより「楽しく生きる」それをもって「集中力の持続に務める」ということなんだなあと、、

余談ですが、上記システム協議会の前身で、会長を長いこと務められたことのある宮城県の安田先生が昨年暮れに逝去されたことを伺いました。懇親会で宮城県の先生に、亡くなられた原因を伺うと、88歳でハーレー・ダビッドソンに乗っておられ自損事故だったそうです。先生の娘さんも「父も本望だったと思います」とおっしゃっていたそうで、私もそう思います。ご冥福をお祈りします。これでこの会にも、創設当時からの先生はもういらっしゃらなくなったのかなあと、、

◯ SNS はインターネットの曙の頃からあった

インターネットが我が国で一般に普及したのは1994年でした。それを遡る10年ほど前から当時東工大におられた村井純先生を中心とする意欲的活動により、日本のインターネットの基礎技術が実際に運用され確立されてきました。幸運にも私はその辺縁に接することができ、水面下でインターネットの仕組みが実現されて行くのを身近に体験することができました。この辺りの経緯は、このコラムの最初の頃のページに色々と記録されています。

当時、東工大・慶応・早稲田その他の大学の通信関係の研究室や日本電気・東芝・富士通その他の企業の研究室を電話回線で接続した UNIX による JUNET というネットワークが立ち上がってきました。たまたま知り合ったコンピュータ仲間と JUNET に繋がせてもらおうと思ったのですが、残念ながら個人は接続できないということでした。当時のネットワークは UNIX システムがモデムを介して電話回線でバケツリレー式に電子メールなどのデータを転送する仕組みでした。夫々の施設が当時は高価だった通信料やハードディスクなどの資源を負担しており、それらを個人に開放することは難しかったのです。

そこで我々も JUNET と同じ仕組みをつくってしまおうということになりました。各個人のマシーンに UNIX や UNIXもどきの OS を載せ、モデムを介し電話回線で接続するネットワークを実現させました。ネットワークは私の提案で juice という名称になりました。しばらくはそれで電子メールのやりとりを行い満足していましたのですが、やはり JUNET のように海外とも接続したいと思うようになったのです。そこでメンバーの高橋先生が村井先生にお願いしたところ、あっさり「いいよ」という返事。juice を JUNET に繋がせてもらうことができました。そして海外からのメールが届いた時の感激は格別のものでした。

そうして我々 juice も JUNET の活動の恩恵を受けることができるようになりました。最初は電子メールの運用が主でしたが、そのうち news というシステムが現れました。これはニュースや話題を接続されたメンバー全員に送り、それに対し誰でも自由にコメントできる仕組みで、結果としては現在のメーリングリストと同じようなもの。これを読むのが楽しみで、UNIX 環境における色々な技術的話題を読んだり、アプリのやり取りをしたりしました(当時はソースを送ってもらい、自分でコンパイルし実行アプリとするものでした)。

年1回行われる jus:日本UNIXユーザ会 の例会で発言する顔を見て「ああAさんというのはあの人か」など初めて顔がわかるとともに、より親近感のわくものでした。というわけで、インターネットは実験段階から SNS が最も大きな魅力と威力を発揮していたのです。

◯ エンジニアはアーティストのようなもの

世界で初めてのパーソナルコンピュータ Apple II を創り、スティーブ・ジョブズとともに Apple 社を設立したスティーブ・ウオズニアックの自伝「アップルを創った怪物」(題名が余りよくありませんね)がとても面白く、一気に読んでしまいました。その中で彼が述べた印象的な言葉。

「エンジニアはアーティストのようなもの。アーティストが真価を発揮するのは独りで仕事をする時」彼はまた「委員会のように大勢で作ってもろくなものはできない」と言っています。彼が独りで作り上げた Apple II が長い期間 Apple 社の収益源となったにもかかわらず、大きな会社となった Apple 社経営陣は次の製品 Apple III では、ウオズニアックを外し他の技術者チームで新製品の開発に当たらせました。その結果 Apple III は発売後しばらくバグなどの問題多発でまともに動作せず、損失だけを残す失敗作に終わりました(あの頃私も Apple III を買おうと思ったのですが、高価で買えなかったのは幸いでした)。

あれからしばらくの間「素晴らしいソフトウエア」は、たった一人の天才的なエンジニアが極めて短期間に作ってしまったものがほとんどでした。最近はソフトウエアも更に高度で複雑になっているため、チームでやらざるを得ないのではないかと思いますが、それでも基本的にはその中のひとりが「全てを掌握し」「優れた美的感覚」「独創的なアイデア」をもって作らなければ、素晴らしいソフトウエアは産み出せないのではないかと思っています。

ソフトウエアのようなプロジェクトは「船頭多くして舟 山に登る」になることが多いのでは。たとえ長時間を費やしてできたとしても、エレガントなものはまず出来ない。マイクロソフトのソフトなどその典型だろうと思っています。「あそこには、かなり優れたエンジニアが大勢いるはずなのに、どうしてあんな使いにくいものしか出来ないんだろう。エレガントなものがひとつもないよね」と、、

◯ Drobo はとても便利

今から10年近く前、このコラムの2007年12月に Drobo という NAS の一種を紹介しました。複数の HD をセットして使う「ディスクアレイ」装置、不具合の HD が生じても稼働中のまま不具合ディスクを抜き新しいディスクを挿せばそのまま使えます。最初は少ない容量の HD から始め、後から大容量の HD を挿せば何も考えず容量追加できるという簡便性も素晴らしい。RAID などで必要な設定作業はすべて Drobo がやってくれます。

「ドロボー」のネーミングは、昔のコンピュータ「アタリ」が日本語の「当たり」から獲ったように泥棒のノリかと思いましたが、よく考えると Disk と Robot からの造語のようです。「ドロボー」ではなく「ディーロボ」なのかな。複数ディスクを自在に認識し動作するロボット機能を有した NAS と云えばよいでしょうか。

この Drobo を欲しいと思いつつ、当時価格もそう安くはなくそのままになっていました。先日ふと「Drobo ってまだあるんだろうか」と Amazonで検索してみると、あるではありませんか。幾つかタイプがありますが、適当な5ベイを有する Drobo 5N が8万円弱。安くはありませんが、10年前に比べれば手の届く価格になっています。HD の価格が下がったことも手に入れやすくなった大きな要因。あとから安くなる大容量 HD を追加したり、大容量へ差し替えられるので、初期投資少なくいずれ大容量を無理なく達成できるという優れもの。

考えた末やはり Drobo を入れることにしました。HD は含まないので別途 HD を2台購入(Drobo は HD 2台以上を必要とします)。3TB の HD がたったの9000円程度、HD もやたら安くなりました。

翌日の宅急便で Drobo 到着。いそいそと HD 2台挿入して立ち上げますが認識しない。いろいろとやってみても駄目。古い NAS から 1TB の HD を取り出し追加してみますが、これも認識しない。さらに翌日いろいろ試行錯誤。HD すべてを抜いて電源をいれると一番上のベイに赤い LED が灯るのですが、ここに HD を差してみると「おっ」HD が動いているような気配。しばらく待つとセッテングがうまく終了し、無事1台目の HD を認識して LED がグリーンに変わりました「やったぜ!」。2つ目のベイにもう1台の HD を挿入、ここからのセッティングにはちょっと時間がかかりましたが、無事これもグリーンに点灯、さらに古い 1TB の HD は差したとたんにグリーン点灯。ということで、最初はちょっと苦労しましたが、わかってしまえば極めて手間入らずでとても快適な装置です。

無事 Drobo が使えるようになったので、電子カルテ NOA のバックアップとして TimeMachine で使うことにしました。Drobo は MacOS の TimeMachine でも使えるとあるので、設定しようとしたのですが、設定画面が取扱説明書とはちょっと違っているようです。ここでもいろいろと試行錯誤、ようやく TimeMachine 設定に成功。この操作をしていたマシーンで見ると TimeMachine 設定に Drobo が現れるのですが、肝心の NOA サーバのマシーンでは Drobo が TimeMachine 設定用リストに表示されません。ここでも試行錯誤。結局 NOA サーバのマシーンを reboot することにより、めでたく表示され TimeMachine のバックアップ先として設定できるようになりました。

あれ?今までTimeMachine に使っていた NAS と併用できるんですね。最近、このように機能アップされたのかな。NOA サーバのバックアップはとても重要なので、従来の NAS と Drobo の両方に TimeMachine でバックアップすることにしました。両方の HD へ交互にバックアップするようです。これで随分安心になりました。

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「フェラーリ360モデナ・スパイダー」

毎朝このマンション前を通るといつも露天駐車していますが

こんな高価な車をいつも露駐なんて剛毅だなあ、、

フェラーリの前は しばらくマセラッティが停めてあった

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です