2013.09 教える・教わるは必要か

わーくすてーしょんのあるくらし ( 247)

2013-9 大橋 克洋

45年ぶりに再会した馬術部仲間と眺める熱海の花火

< 2013.08 進化しなければ滅んでしまう | 2013.10 歩いていればいつか到達する >

◯ すごい技を見るだけで覚えることの意味

先月触れた古武術家の甲野善紀氏。彼の書いたものからちょっと引用させて頂きます。

「カナダ極北地方に住むある先住民族には教える・教わる・学ぶ・習うという概念がまったくない。みんな自分で覚えたというそうです」「そして恐ろしいほど見とり能力が高く、テーブルメーキングをして見せた翌日そこにいた女性が真似してやったのを見ると、写真に撮っておいたのではないかと思うくらい正確に覚えていたそうです」「白人教師が何か教えても、絶対に教えてとは言わず、できてから見せに来る」。

オーストラリアの先住民アボリジニ、2,3日も一緒に車に乗っていると、ある程度運転ができるようになると云います。見とり能力が素晴らしく高い。

昔の日本の職人もちらっと見ただけで「そうか、ああやっているのか」と一発で覚えたものでした。「教えない」という世界では吸収力が非常に良くなり、ちょっとした一言や何気ない仕草を見て理解してしまう。現在のように「3つのうちに1つ正解がある」というような方式では、とても応用力や新たな発想は生まれないでしょう。

師匠の存在の意味は「こういうことが本当にあるんだ」「本当にできる人がいるんだ」と目の当たりにさせることが、最も意味あることだと思っています。

私もまったくその通りと思います。以前にも何度かここに書きましたが、電子カルテ開発で何ヶ月も解決できず悩んでいた問題が、ある天才的な人の作ったものを見て、すらすら解決してしまったとか、非常に優れた閃きを持つ人達と楽しい会話をして帰ってきた後、長いこと悩んでいた問題が解決し素晴らしい新たな発想を得た経験があります。

彼らの話の中から直接回答を得たわけではまったくありません。彼らとの会話の中から「気」をもらったと書いたような覚えがありますが、私が長いこと実現できずあきらめかかっていたものが実現され動いているのを目の当たりにして「おお、凄え、やればできるんだ」と実感したのが大きかったと思います。これに勇気を得ただけで、ずっとできなかったことがスラスラできてしまったということなのです。

◯ 45年ぶりに再会した馬術部仲間と

大学時代の馬術部の後輩達とはちょくちょく会うのですが、私がキャプテンだったの頃のメンバーはなかなか出てこないので会う機会がありませんでした。ところが突然「あの頃のメンバーで一泊旅行に行こうということになりました。大橋先生いらっしゃいませんか」との電話。それは迷うことなく速攻で参加表明。卒業以来会っていないメンバーもあるので、それはそれは楽しみに出かけました。

土曜の午後、熱海駅で降り旅館まで 2.6km ほど歩きました。いつもの歩きからすれば距離としては大したことはないのですが、一旦秋めいた気温になったのが再びの猛暑。すごい熱気の中、温泉地とあって当然の上り坂。なるべく日陰を選んで歩くものの夕方の日差しはジリジリと肌を焼きます。旅館に到着すると顔からは滝のような汗。

本当に久方ぶりに再会したメンバーは予想していたように髪が真っ白になったり、痩せてしまったり肥ったりと容貌は変わったものの、しばらく話をするうちお互い昔の面影が蘇り、話し方も性格もまったく変わっていないのを確認しました。たまたま当日は熱海の花火大会、別にその日を狙ったわけではなかったのですが、皆の都合の良い日で決めたらその日になったよし。部屋は海に面した絶好の場所「冷房の効いた涼しい部屋で、蚊に刺されることもなく、家に帰る必要もなく、目の前に大きく花火が見えるなんて最高だよね」と大満悦。花火の終わった後、布団の敷かれた部屋で車座になって呑みながら「あの時はああだったよね。こういうことがあったよね」と学生時代に戻り大いに盛り上がりました。気がつくと午前1時半。ようやくお開きにして床に就きました。

翌朝、このままで別れるのは勿体無いということで、用事のある2名を除き残りの6名で横浜中華街へ河岸を移しゆっくりと昼食会。名残を惜しみながら解散しました。いやあ、本当に楽しかったですねえ、、

◯ Dog year

このコラムの2006年の裏表紙を飾ったことがあり、その他にも一度写真を載せたことがありますが、うちの愛犬ユイも今年11月で17才、老齢となり急に衰えてきました。末娘がもらってきた雑種、とても見目美しい犬に育ち散歩でも人目を引いていたのですが、、

10歳を過ぎるとテンカンや喘息発作などが現れるようになり薬剤の投与でそれらは治まっているものの、昨年あたりから足腰が弱ってきました。廊下の壁によりかかりながらようやく歩くという状態。先日も隣室でシャカシャカ音がするので、カーペットを掘り返しているのかなと思っていたらキャン・キャン。行ってみると、よろよろ歩いているうち家具の横木の上に倒れ込んだようで、横たわった腰のくびれの下に横木があります。普通なら何ということなく立てるはずですが、腰が弱っているのでいくら足を掻いても立ち上がれず悲鳴を上げた次第。

家内の喘息発作により15年ほど前カーペットをフローリングに改装したのですが、うちの愛犬が滑って歩けないということで昨年からタイル状で裏が粘着性のカーペットを全面に貼っています。お陰で家内はまた少し喘息気味。

四足の動物は前肢より後肢の方ががっしりしていて丈夫に思えるのですが、力が弱ってくるのは後肢からのようです。先日の馬術部の連中との話では馬も同じとか。ついこの間まで元気に家の中を走り回りソファの上に飛び乗っていたりしたのに、あっという間に私の年齡を追い越し老齢化してしまいました。末娘と家内が手厚い介護をしています。早くも老々介護が我が家でも、、私も今までにも増して後肢の鍛錬を続けなければ、、

・・・

、、と、そのように書いて1週間も経たぬうち、夜中にキャンキャンという声が聴こえました。家の中を徘徊していて、また起き上がれなくなったのかなと思いましたが、娘や家内が目に入れても痛くない愛犬、すぐに見に行ったに違いないと思いウトウト、、しかしそれから約1日は昼間もときどきそのような悲鳴をあげていました。数日前からほとんど寝たきりの状態、家内によると褥瘡ができないよう時々体位を変えてやるが、それでも痛くなるらしいとのこと。その後、微熱が続き寝たきりの状態で食事も殆ど食べなくなりました。私は悪性腫瘍の骨転移なども疑ったのですが、その後は痛がる元気もありませんでした。

毎日夕方になると娘と家内が車で獣医さんへ。毎日点滴をしてもらっているとのことで、聴いてみると静注でなく背中へ大量皮下注射とのこと(そう言えば私が医者になったばかり昭和42年頃は新生児の点滴もそうだったなあと想い出しました。略して大皮と呼んでいたっけ)。最後は意識も殆どない状態、寝たままで下血のような黒い下痢便。夜もカーペットの上で娘が添い寝をしていました。今朝早朝、短い叫び声のようなものを聴きました。家内が小さな叫び声を挙げたのかと思ったのですが、添い寝をしていた娘が愛犬の痙攣のような様子で家内を起こしたところ、2度ほど鳴き声を上げ息絶えたそうです。聞こえたのは最後の声でした。あの夜中のキャンキャンから1週間ほどのことでした。

生まれたばかりでもらわれてきて17年間、家の中で思い切り可愛がられ散歩も時々は車で海岸や公園に連れて行ってもらったり、末娘は動物病院に勤務するその道のプロ、最後も毎日手厚い介護を受けて亡くなりました。本当に幸せな一生だったと思います。きっとユイも娘や家内に感謝していることでしょう。私も動物好きではあるのですが、どういう訳かこの犬は私には余り懐いてくれず淡々としたお付き合いでした。それから数日、家内や娘の知人、親戚から愛犬への供花が幾つも届いたのには、ちょっとびっくり。

◯ ついに決まった東京オリンピック

石原慎太郎前都知事が東京オリンピック招致を唱えだした時、私でさえ最初 えっ?と思ったものでしたが、すぐ考え直し賛同したことはこのコラムにも書きました。世間の思惑も同様だったようで当時は民主党政権だったこともあり、オリンピック招致で手を挙げたものの結局 IOC での投票結果は残念な結果に終わりました。

あれから4年を経て東日本大震災などもあり自民党政権に変わり、ようやく世論も東京オリンピック招致に目を向けるようになり、ハラハラしながら見守る中とうとう東京オリンピック開催が決定しました。投票間際になって某隣国が騒ぎ立てた原発汚染水の問題なども安倍総理みずから IOC での凛とした説得、皇族の方などのスピーチも手伝い 2020 年東京での開催が決定しました。

私にとって東京オリンピックには特別な思い入れがあります。私が大学の馬術部、私の青春まっさかりの時でした。オリンピックの入場券は抽選でなかなか手に入りません。その頃まで障害馬術競技はオリンピック最終日のメインスタジアムで開催されるのが恒例でした。その券が国立競技場で売り出されることになり、早朝から部員たちと並びました(先日熱海で再開したメンバーです)。まだ真っ暗な午前3時か4時頃、武蔵小山駅前に駐車するタクシーの窓を叩くと仮眠の運転手「こんな朝早くどこへ行くんですか?」。幸い売り場では列の前の方に並ぶことができたのですが、そこからが長かった。師走も近い頃だったのでしょうか、夜も明けぬ早朝ただじっと並んでいるだけ、部員たちと身を縮め足踏みをしてもとにかく寒かった「恐らく一生のうちでこんなに寒い思いをすることはもうないだろう」と思ったものです。現在に至るまであれ以上寒い思いを経験していません。

一人一枚しか発券してくれないので、一枚買うとまた列の後尾に何度か並びました。そのように苦労して手に入れた券を OB に買ってもらったのですが、素人ダフ屋の割高の券を大喜びで買ってくれました。そうして稼いだ部費で立派な鞍や頭絡(手綱など)を購入することができました。私自身も売れ残った券で最終日メインスタジアムで大賞典障害馬術を観戦できました。一面グリーンの芝生に紅白の障害が並び、真紅の乗馬服や軍服に身を固めた選手たちが高い障害を優雅に越えてゆくさまは夢のように美しかった。それに続いて行われた閉会式も感動的でした。整然とした開会式とはうって変わり、くだけた様子で手を振り笑顔で入場してくる各国いろとりどりの選手たち、夜の照明に浮き上がる紙吹雪(が舞ったような気がするのですが)などなど。それは感動でした。

東京オリンピックで感動したことは幾つもありましたが、競技としては「東洋の魔女」と謳われた日本女子バレー・チームの優勝。TV で観戦していて優勝を決めた最後のボールには本当に涙が滲んできました(一生のうち涙がでたのはこの時と、若くして亡くなった親友の弔辞を読んだ時だけ)。そこに到るまでの日紡貝塚チーム、鬼の大松監督のもと艱難辛苦の練習がペアで思い浮かんだからです(今なら虐待と云われるんでしょうね)。その他、軽井沢の原野を走行する総合馬術競技も感動的でしたが、長くなるのでまたの機会に、、

そんなことで私にとって「東京オリンピック」またのお越しに、バンザイ三唱、、

それまで生きているかどうかなんて川柳も読みましたが、あと7年頑張りましょう。

◯ 意志のちから

このコラムの6月号で三浦雄一郎氏が、医師から「寝たきりになってもおかしくない状態」と云われた事故、骨盤の複雑骨折から超人的な努力でリハビリに励み、80歳で3度めのエベレスト登頂を果たすという偉業を遂げた話を書きました。

同じような話ですが、ベテランの山岳ガイドの方がお客と一緒に大滑落、やはり骨盤の複雑骨折。この方も主治医から「再起不能の可能性」を告げられたものの、リハビリに励み復活。人工骨頭が入っているので医師から「登山は薦められない」「登ることはできても、20年もつ人工骨頭が10年になってしまうかも知れない」と云われつつ、結局何度も山に挑んでいる様子を TV で観ました。とても穏やかそうな方ですが、意外とこのようなお顔で意志の強い方が居られるんだよなあと、、

そう云えばその反対の例を想い出しました。タレントが色々な職業に挑む番組、引越し業者編。ベテラン指導員から数日間の特訓を受け仕事に入るのですが、イケメン・タレント、重いタンスを運ぶ途中で「ちょっと置かせてください」を連発。指導員から激が飛びます「そんなんじゃあ、まったく仕事にならないよ」「君のは力が無いんじゃなくて自分に甘いんだよ」。

中国武術では「力でなく意で打て」。最近「気」の力や「意」の力が少し判ってきたような気がしますが、上の例がまさに「意」の力が有るか無いかの例ですね。今日も林試の森を散歩中、脳梗塞後のリハビリでしょうか、杖をつきたどたどしい足取りで坂道を上がってくる老人とすれ違いました、連休の昨日もここですれ違ったなと。自分が同じ状況になったとして根性入れてリハビリできるんだろうか。登山家お二人を振り返った時、同じような状況で自分はどの程度「意」の力があるんだろうかと考えてしまいました。

◯ 今月の歩術

今月は連休が2度もあるので「これは歩けるぞ嬉しいな」と思ったのですが、最初の連休は2日とも雨で歩きに出られませんでした。そして2度めの連休はバッチリ歩きに、、

最近の歩きで目標にしていること「前足をそっと着地、足音なく歩く」ですが、そう意識して外を歩いてみると意外とうまくいきません。車などが騒がしいところではわかりませんが、朝の静かな道に行くとドシンとかコツンとか着いてしまうのがわかります。

そこで色々と工夫してみています。「右足は静かに着地するのに、左足がコツンと着いてしまうのは右足の力が弱いから」と、右足でそっと支えるように左足を出してそっと置くよう心がけてみました。8km ほど歩くうちに左足の着地も大分音がしなくなってきましたが、今度は右足の着地がコツンと着くようです。支える側の足の力を歩きの中で鍛えることもそうですが、股関節を柔軟にネコ科の歩きを意識することも必要かななどと試行錯誤中、、

ついこの間まで T シャツ一枚でマンション玄関をでると、ムワッと暖かい空気に包まれたのですが、台風が去ったこともあって今朝は T シャツ一枚では肌寒いかなという陽気。連休の昨日は朝日が暑く街路樹や町並みの影を選んで歩きましたが、今朝は晴れてはいるもののやや雲があり空気が冷たいためもあって、朝日へ向かって歩くのも苦になりません。それでも予想していたように 2km を過ぎると身体も温まり 4km を過ぎると汗ばんできます。やはり T シャツ一枚で良かったなと。目黒川沿いの桜並木ではジョギングの人たちと何人もすれ違いました。年配の人の散歩姿もありましたが、どちらかと云うと女性の方が多いかな。

私が健康のため歩き始めるようになって、周りで何人かの人が歩きはじめるようになりました。まあ、私の影響かどうか判りませんが、もし少しでも良い影響を与えられていたとすれば、これも「小さな世直し運動」になったのかなと勝手に嬉しく思っています。

◯ 今月の歩術(実践編)

昨年はじめから毎朝、血圧の測定値などを自作の電子健康ノート NOALight に記録しています。昨日の朝は、何か非常に体調が良い。「これはきっと血圧は低くないな」と思って測定してみると、やはり 154 / 90 と高め。この反対に「何か今日は身体が重く調子がでないな」と思う時は血圧が低い(普通からみれば安定した血圧)。多少高めの血圧で行きたいところですが、血管などへの負担を考えるとやはり程々に抑えるべきと、なかなか悩ましいところです。日曜とあってこれから歩きに出るのですが、気温18度という好条件もあり「今日は久し振りに長距離に挑戦してみよう」という気になりました。7時半、自宅を出発。

大井町を通り過ぎ品川シーサイド駅を回って旧海岸通を上る、三田を過ぎたところで左折し札の辻から東京タワーに向かう三田の大通りへ、慶大正門へ左折、魚籃坂下から古川橋の方へ周って天現寺を過ぎ、恵比寿へ左折、駒沢通りを下り祐天寺を過ぎたところで左折、住宅街の細い道を抜け、目黒通りを横切っていつものコース、林試の森を抜け武蔵小山商店街から自宅へ、20kmを心もち上まわる行程でした。家内と娘は先週没した愛犬の納骨、自宅は留守ということで、11時になってようやく開いた蕎麦屋でビールと蕎麦で朝昼兼用、午前中からのビールはちょっと気が引けましたが、一息ついてのビールはやはり格別。

iPhone に記録された 20.4km の軌跡

しかし流石にビールが入っては、帰宅してすぐには電子カルテ開発にとりかかれません。20分ほど軽く昼寝をして、電子カルテ大改装中ユーザの方からの追加工事にとりかかりました。筋トレと脳トレは両輪の車。お陰で昨夜来の難問を一部クリア。

「足音なく風のように歩く」をめざした歩きは、やはり身体への負担がかなり少ないようです。帰宅後珍しく腰から上のやや強張った感じがあったものの、下肢への負担はまったくなし。翌朝になると強張った感じも消えていました。

◯ 異なる環境を行ったり来たり

電子カルテ開発を思い立ったものの、世の中に電子カルテなるものがひとつも存在しなかった頃、ああでもないこうでもないと4年ほど試行錯誤しつつ悩みました。「無から有を生ずる」まさに産みの苦しみでした。そして「要するにワープロの中でカルテが書ければいいんじゃないか」と発想を転換。UNIX のテキストエディター Emacs の中に Lisp 言語で作成したのが初代電子カルテ WINE でした。テキストしか扱えなかった Emacs WINE を4年後にはマウスやウインドーなどを扱える NeXT マシーンへ移植。やがて NeXT 社が Apple 社へ買収され MacOSX になるとともに Cocoa 環境へ移植。さらに理想とする電子カルテ実現のため PHP と javascript 言語で Web アプリケーションへ移行したことは何度も書いてきました。

データベースとの接続を得意とする PHP 言語、ユーザインタフェースを得意とする javascript 言語ということで、2言語併用してきました。幸いなことに両者の言語仕様はよく似ており開発作業で両者を行ったり来たりしても余り混乱は生じないのですが、とは云っても異なる言語、微妙な相違はあります。どうもうまく動かないので目を皿にして探したら PHP の中で something.length と書いてしまったり(length は something の長さを返す javascript の構文。PHP では strlen(something) と書かねばなりません)、同様 PHP で var something と書いてしまったり( var 何たらというのは javascript で変数を宣言するお作法。PHP では単に $something でよい)。こんなヘボい構文エラーを未だちょいちょい起こしています。

そう云えば昔、同様の思いをしたことがあったなあと、、

大学卒業も近い頃、大衆車トヨタ・パブリカを買ってもらいました。空調も何もついていない空冷2気筒700cc のスタンダード車でしたが、ギアのみは特注でフロアシフト。一方、父のスカイライン 2000GT を時々借りることがありました。両方ともフロアシフトなのですが、シフト・パターンがまったく異なる。やっかいなことに片方の車では後進に入れる位置が、もう片方では前進第1速。運転席についた途端、頭をスイッチしないと飛んでもない事故を起こすことになります。エイヤッと発進したら勢い良く後ろに飛び出したとか。

あの頃は頭も若かったので幸い一度も間違わなかったが、最近のプログラミングではよくやるんだよなあ、、

◯ iPhone 5s / 5c

iPhone の新機種が20日から発売予定。今回は iPhone5s と iPhone5c の2機種に増えました。Jobs が Apple に復帰して最初に行ったことは雑多に咲き乱れていた350もの Apple 社製品群を Mac と iMac、MacBook と iBook というようにデスクトップ・ノートブックをそれぞれプロ用・初心者用に分けた4種類とシンプルな製品群にしたことでした。

この戦略が功を奏して Apple 社はめざましい回復を遂げましたが、Jobs が居なくなるとともに次第に Apple 社の製品群が増殖しつつあるのには危惧を感ずるところです。今度登場するカラフルな iPhone5c の中身は iPhone5 と同じだとか。筐体をプラスチックにすることにより大巾なコストダウンを実現したようですが、iPhone5s の機能を盛り込んだ1種類だけで良かったのではないかと、、

どんどん追い上げる他社へ対抗するためもあるのでしょうが、一種類だった iPad に iPad mini が追加された頃から思ってきたことでした(最近では iPad mini の存在価値もそれなりにあるかな、と考えも多少変わってきてはいますが)。

今回 Apple 社の方針により iPhone5s の事前予約は行わない方針とか。恐らく20日の発売初日にそれを手にすることは無理だろうなと、初代 iPhone から購入している近くの携帯ショップへ発売数日前に寄ってみました。事前予約は行わないが20日になれば予約を行うかも知れないので寄ってみてくださいとのこと。その方針で行くことにしました。

・・・

さて20日、予約後「で、いつごろ手に入りそうですか?」と尋ねると「1,2週間くらいかかると思います」。そして1週間目の夕刻「お客様の iPhone が入荷しました」との電話に速攻でショップへ。前回は携帯の登録サーバがダウンし、店での手続きに結構待たされたのですが、今回はあっさりと登録終了し手渡ししてもらえました。ブラックがないので、それに近いスペース・グレーを頼んだのですが「ちなみにシャンパン・ゴールドはなかなか入らないんでしょうね」と聴いてみると「ええ、そうなんですよう」という返事でした。

さて iPhone5s の印象ですが、指紋認証は前評判通り非常に正確に動作します。10年ほど前、富士通から発売された指紋認証の携帯を買おうかなとも思ったのですが「待てよ」と、「ちょいちょい認証不能なんてことがあると、返って面倒かも」と思い、他メーカーのメガ・ピクセル携帯にしたことは以前このコラムに書きました。しかし流石 Apple 製品、素晴らしいほど正確に認証してくれます。5s のもう一つの大きな特徴はカメラ・メーカーもびっくりのカメラの性能のようですが、ほとんど普通の撮り方しかしない私にはまだその御利益にあずかっていません。

◯ iPhone5s の指紋認証に思う

で、思ったのですが「これだけ簡便・正確に個人認証ができるなら、これを他の機器やシステムでの認証にも使えると便利だなあ」と、、例えば、電子カルテでは個人情報バリバリに扱うのでログイン操作は欠かせませんが、iPhone で個人認証が通ればそのまま電子カルテを使えるようになると非常に便利。

おそらく世界中で同じことを考えている人は沢山いるでしょうから、そのうち誰かが実現するはず。iPhone での認証を、他の認証システムへ簡単かつ安全に受け渡すシステムができると嬉しいんだがなあ、、さて、何処の誰が最初に実現するんでしょうね。

その場合 iPhone での認証結果を他のコンピュータなどへ受け渡しする方法として Bluetooth など無線を使えるのが一番便利ですが、もしセキュリティ上の問題があるようなら iPhone への接続アダプターを介する形でも許しますけどね、、

夢を語れば必ずいつか実現する、、

◯ iOS7 到来

発売日に iPhone5s を手にすることは無理だろうなと、その前の18日に iOS7 がリリースされるということで朝一番にアップグレードを掛けました。世界中から一斉にアップグレードがかかるということで Apple のサーバに猛烈な負荷がかかるはず。アップグレード作業はすんなり行かないことを覚悟していました。案の定アップグレード作業の途中で何度もスタックしましたが、めげずにやっていると4,5回でうまく接続しました。ほおー、一旦ダウンロードの波を掴んでしまうとそこからは掴んだままなんですね。ダウンロード終了しインストール前の確認作業に入るところでまたサーバとの接続に何度かリトライを必要としましたが、どうやらうまくアップグレードに成功。

事前の報道でフラットでカラフルになったデスクトップのデザインが良さそうに思っていたのですが、何だかチャチい感じ。安物の千代紙みたいだなあ。画面下端からせり上がってくるコントロールセンターもユーザ・インタフェースとしては良いですが、フラット・デザインはチープな感じ。それでも次第に馴れていくんでしょうね、、

ジョニイ・アイブ主導のデザイン・コンセプトとあって期待していたのですが、そういう意味ではちょっとがっかり。しかし、これは将来の新しいデザインへ飛び立つための助走のようなものなんでしょうね。飛び上がる前に一旦身をかがめるような、、

iPhone の OS アップグレードがうまく行ったので、今度は iPad もと思ったら全然だめ。起きだした皆がアップグレード始めたんでしょうね。しかし以前の経験では皆が出勤しはじめる9時前頃には大分空いてくるはず。9時前にもう一度やってみると、一発でダウンロードを始めました。よし、よし、、

< 2013.08 進化しなければ滅んでしまう | 2013.10 歩いていればいつか到達する >

自宅の眼下 スクエア荏原の広場を使って初めて行われた秋祭り

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です