2006.12 このコラムもついに20周年

わーくすてーしょんのあるくらし ( 166 ) 

 

2006-12 大橋克洋

金沢 兼六園:冬にそなえ「雪吊り」された植栽

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12月に入り衣替えです。 11月まで都医通勤に着ていたワイシャツとスーツは、盛夏とまったく同じでした。 逆を言えば、真夏なのに秋と同じ服装だったということですね。 年寄りの冷や水という声も聞こえそうですが、 薄着でないと冬でも歩行後に汗をかいてしまいます。 まだしばらく、このままでも良さそうな天候ですが、 12月とともに冬スーツにすることにしました。

最近は筋トレというより、 中国武術の(自己流)トレーニングを行っています。 動画サイトYouTubeには中国武術の画像も沢山あることを発見しました。 iPod へ動画として落とし 練習の参考にできて便利です。 中国武術の基礎トレーニングと思われるものを見つけました。 肩の関節の力を抜き 左右の腕を縦横無尽、目にもとまらぬ早さで振り回すものです。 これは生まれて初めて見る動きでした。 最初はこのような武術もあるのかと思ったのですが、 よく考えるとこれは「通背拳」の基礎練巧法のようです、、 いや、「翻子拳」ですかね。 全身運動としても なかなかの優れもので、これをモディファイし愛用しています。

丁度1年前、このコラムで「惰性の動きは関節を痛める」と書きました。 今回の動きも非常に似た動きではあります。 1年前に肩を痛めたのは、惰性で振り出した腕を最後に止めようとしたからです。 今回の基礎練巧法では、振り出した腕は最後まで力を入れません。 鞭のように振り出すのです。 それでも利き腕でない左腕では、 まだ最後にうっかり力が入ってしまい痛めそうになることがあります。

一般に西洋スポーツは ピークの年齢を過ぎると若い者に太刀打ちできなくなりますが、 中国の武術家は年齢を重ねるほどに熟してくるようです。 中国武術でもある程度の筋力やスピードを必要としますが、 それよりも長年にわたるトレーニングによる「精神」と「肉体」 との協調性が大きくものを言う技術だからでしょう。 また西洋ほど筋力に頼らないため、年齢を重ねても かなりのスピードで身体を動かすことができます。

94才の老人の腕を押さえた屈強な若者が、 老人の腕のほんの僅かな動きで、 弾かれるように飛ばされる映像を見ました。 これひとつ見ただけでは「ウソだろう」「やらせでは?」と思える 信じられない映像なのですが、ネット上に 他にも同様の映像がいくつもあるところを見ると真実のようです。 どう見ても、そもそも物理的法則に則っていない現象に見えるのですが、 小さくゆっくりな動きに見えても一点にエネルギーを凝縮し 瞬時に発散するのだろうと思われます。

自己流トレーニングではその境地に達することはできないでしょうが、 中国式トレーニングを始めてから、生活の中での身体の動きが年寄りじみた動きから、 若い頃の自然な動きへ戻ってきたような気がします。 来年春には65才になりますが、 この分ですとまだまだ肉体改造ができそうです。 「今度はどのように変化してゆくのだろう?」という興味が尽きないところは、 ソフトウエア開発とまったく同じです。 ますます、中国武術にのめりこんできました。

○ 今月の歩法( 八卦掌的歩法 )

人間、生まれてこのかた ずっと毎日歩いている訳ですが、 意識して歩くようになってみると「歩き」もなかなか奥が深いものです。 私の歩きも日に日に変化(進歩?)しているわけですが、 最近の状況をレポートします。 先月は「医師と歩こう」で 20 km 歩いてきましたが、 昨年歩いた 20 km の頃から、また進化しているように思います。

一時ここで書いていた「腰で歩く」は歩法の大きなポイントですが、 腰で歩くこと自体はまったく意識しなくなりました。 自然な動作として組み込まれてしまったのでしょう。 現在の感覚は 「腰をちょっと沈める気持ちで、 前足は自然に前へゆっくり振出し爪先から着地する感じ。 後足のかかとはなるべく上げない」というものです。

八卦掌の歩法

「腰で歩く」から 「後足の大腿の支持力で歩く」という感覚へと変化しています。 いずれ、この感覚も意識しなくなるのでしょう。 考えてみると今年3月このコラムで、 「歩く站椿(タントウ)があっても良いのではないかと考え、 試してみた」と書きました。 ちょっと試した程度で終わってしまいましたが、 今から考えるとまさにあれが正解だったのです。 これは中国武術「八卦掌」の歩法に近いものです。 八卦掌では、まるで氷の上を滑るように歩きます。 まだそこまでは修行が至っていません。 八卦掌の基礎トレーニングは歩法にあり、 「最初は一定の基本に添って、ただただ ひたすら歩く」 これにより強くなるのだそうです。

この歩法は、日本古来の能や歌舞伎などの動作と かなり共通性があるように思えます。 武士も素早い動作では、同じような歩き方をします。 静かに歩いているように見えますが、街中で試してみると 大股で急いで歩いている人に追いつき追い抜くことが比較的容易です (站椿で大腿と腰を鍛えてからでないと、なかなかこの歩きはできません)。 西洋式歩法の「アクセルとブレーキを交互にかけるギクシャク」 がないからでしょうね。 これを中国武術では「旱地行舟(陸地を舟が行く)」と表現するようです。

○ ゴア元副大統領、科学者へ訴える

CNET ニュースによると Al Gore 元副大統領が American Geophysical Union で、 聴衆として集まった科学者らを前に 「科学者は率先して人々に気候変動の危険性を訴える必要がある」 と語ったそうです。

同カンファレンスで発表された報告書によると、 (観測結果から)北極の永久氷床が 2040 年までにほとんど溶けてしまう可能性がある (以前は 2060 年と予測されていた)。 「避けようのない悲劇的な災害が発生して初めて改革の動きが始まる」 のが常となっている。 社会にこの問題を理解させ、天然資源の使い方を大幅に変えるなど その解決に向け行動させることは容易ではない。 あげくの果てに 「社会では物事をとらえる期間が一層短くなってきている」 「テレビが一般人の集中力の持続する時間を短くし」 「金融アナリストらは ますます短期間で見通しを立てるようになり」 「未来はあまり注目されなくなってきている」とゴア氏は語ったそうです。

「社会では物事をとらえる期間が一層短くなってきている」 という言葉は本当ですね。 最近開業する若い医師達に 「入ってもメリットがないので医師会には入らない」という人が増えています。 医師会には組織として行政と協力しつつ地域医療を推進したり、 互いに助け合ったりする役割があります。 医師会に入っていない医師達も、実際には医師会による恩恵を沢山受けています。 他の業界でも同じようなことが起こっているのだと思いますが、 このように「自分だけ良ければよい」ましてや 「自分ひとりでもやっていける」という考えは、 とても甘えた考えと思います。 近視眼的でもあるわけですね。

世の中の皆がそのような考えでやったなら、 自分にもどのように最悪なことが降り掛かってくるのか、 考えつきもしないのでしょう。 受験戦争の「つめこみ勉強」や「情報化」で「雑多な知識」は増えても、 昔の人のような「本当の知恵」「賢さ」や「教養」がどんどん失われているのだと思います。

ところでゴア氏の発言ですが、 ひとつ大事なところが抜けていると思います。 「科学者は率先して危険性を訴えるべき」と同時に、 「政治家もそれに呼応して危険を避けるべき」ということです。 「画竜点睛を欠く」というところでしょうかね。 ゴア氏の今回の発言が、その口火を切ることになると良いのですが、、

 

○ 受け皿を作らず器をくつがえす

小泉政権以来、最近の国の施策には「受け皿の有無も考えず、 強引に器の水を捨てる」方針が目につきます。

今朝の新聞記事によれば、 「教育再生会議」で座長が「塾の禁止」を繰り返し主張したそうです。 「公教育を再生させる代わりに塾禁止とする。 昔できたことがなぜ今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた」のだそうです。 基本的考えは間違っていないと思いますが、 それにはまず「教育現場の再生」を強力にやるべきであって、 それが実現した後に出てくる発言と思います。 教育現場の再生がしっかりできていれば、 塾も自然に淘汰されるはず(塾経営者にとっても、 身の振り方を考える余裕もあるでしょう)。

その前に塾禁止をしてしまえば、 受け皿のなくなった受験難民が増えることになりますし、 塾を生業としていた人達もいきなり難民になります。 小泉政権以来 施策による難民は、 急速に増加しているように思えます。 どう考えても「暖かな施策」とは思えませんし、 賢い人間が考えたこととも思えません。 空中ブランコのように、 危険な技はセイフティーネットを張ってからやるものです。

介護難民:介護施設に関する法令を突然変更することになったため、 多くの病院が介護を要する人達を受け入れられなくなります。 しかし、その受け皿は作られていません。

救急難民:奈良で救急を受け入れてくれる施設を探しているうち 手遅れになって亡くなった妊婦さんの話がありました。 「医療に完璧性を求めすぎること」 「結果が悪かった場合マスコミに徹底的に叩かれること(イジメ)」 さらには「警察が踏み込むという異常事態」 などにより、「救急施設と言えども容易には救急を受け入れにくい」 状況が急速に作られつつあります。

お産難民:お産をできる産科施設が、この1年間で急速に消滅しつつあります。 最も良い状況である東京都内でも、 「周産期センター(お産の救急を引き受ける中心となるセンター)」だったのに、 お産を扱えなくなった施設が出てきてしまいました。 今まで考えられなかったことです。 その原因は救急難民と似たようなものですが、 国の施策とともに、心ないマスコミが追い込んだものでもあります。

私の本業である医療だけでも、まだまだありますから、 他の業界の事例を考えれば、 わが国にとって かなりの危機と言えるでしょう。 「覆水、盆に戻らず」という言葉が、昔からあります、、

○ 加賀百万石、金沢の街を歩く

今年2月に初めて金沢を訪れたのですが、 前田藩が築いた文化が脈々と続いていることが うかがわれ、是非もう一度訪ねたいと思っていました。 このたび 石川県医師会より講演依頼があり、 再び金沢を訪れることができました。

石川県には大学同級で産婦人科の瀬川先生も居ます。 前の晩は県医師会の小森会長と瀬川先生と、 3人で楽しくお酒を酌み交わすことができました。 両先生の 細やかなお心づかい、本当にありがとうございました。 翌日の講演は午後2時からでしたので、 駅前のANAホテルを朝9時半に出発し、 小森先生の診療所の横を通り、昨夜の茶屋街の蛍屋、八の福を写真に納めました。

ひがし茶屋街は京都の祇園のような風情で、 石畳の道の両側に郭造りの家並みが続きます。 曇った寒空の下、観光客が何人も訪れていました。 次に、兼六園、金沢城址、にぎやかな片町の商店街を歩き、 金沢駅へ帰着。

さすがに兼六園には観光客が大勢訪れていました。 天候が良ければもう少しゆっくりと見て歩いたのでしょうが、 小雨の降り始める寒い天候だったので、庭内をさっと一巡しました。 9月に訪れた広島の縮景園も奇麗でしたが、より広く、さらに整った印象を受けました。 紅葉は余り見られませんでしたが、 雪の季節や花の季節は、また良いのでしょうね。兼六園の茶店で「あんころ餅」が食べたかったのですが、あまりにも寒くて ゆっくり店に座る気にもなれず通り過ぎてしまい、後でちょっと後悔、、

片町の「香林坊」という名前は聞いたことがあります。 何か建築物でもあるのかと思っていたのですが、 帰ってから Wikipedia で調べてみると、 香林坊というお坊さんがそこで目薬を売るようになった土地だそうです。 片町は金沢市の繁華街、日曜とあって人通りも賑やか、 若い女の子の姿が多く目につきました。今は日本全国どこも 彼女達のファッションは同じですね。 寒さに逆らい(他人のことは言えないか)、 ジャンパーにショートパンツ姿などが今の流行のようです。

金沢駅構内の店で ヒレカツ定食と生ビールで一息ついた後、 返す刀で駅の反対側の石川県医師会館まで 30分ほど歩きました。 全部で 10km 近い距離を歩いたことになります。 途中から小雨の降る寒い曇天、最初の30分ほどは 背広の前から入ってくる冷気で 腹の調子がおかしくならなければ良いが、と思ったりもしました。 エンジンがかかってからはさほどでもなく、コートなしで歩き通しました。 しかし出発前に水を沢山飲んだ訳でもないのに、何と5回も小用へ。 身体から絞り出すようによく出ました。 やはり寒かったということでしょうね。 さすがに脱水気味だったようで、翌朝起床時にはかなり喉が渇いていました。 なーるほど、汗をかく夏場だけでなく、極寒の時も脱水には注意が必要なんですね。

○ 治政を考える

今回は金沢市の中心部を歩き、 金沢の文化の一端を楽しむことができました。 私も京都の次に 金沢にはまってしまいそうです。 戦時中 空襲に会わなかったのも、 金沢の文化がしっかり保たれている理由のひとつだそうです。

それにしても このような文化を何百年もの間、育ててきた前田藩の治政を考えると、 最近の政治家の行ってきたことで、何を評価できるのでしょうか。 後から考えれば何かしらあるのでしょうが、治政ならびに知性において、 前田藩をおさめた人々には かなり劣ると考えざるを得ません。

ヨーロッパの多くの国々がそうであるように、 古き良き伝統や景色、街並みなどは何とか維持したいものですね。 東京、特に私の住む地域から、そのようなものがどんどん消え去ってしまいました。

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大晦日の自宅から眺める夕日と富士山