1999.07 「第3世代 WINE」いよいよ稼働

わーくすてーしょんのあるくらし (19)

1999-07 大橋克洋

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私のライフワークである電子カルテ開発がはじまって、第1世代 電子カルテ WINE が外来で稼働するようになったのは 1989年5月の ことでした。丁度それから10年目の今年、いよいよ第3世代 WINE を外来に投入し運用を開始しました。 「いよいよ」と書いたのは第3世代の開発には、思わぬ年月を要 することになったからです。今回はそのあたりについて書いてみま しょう。

これまでもご紹介したように、現在の動作環境は OPENSTEP とい う OS の上ですが、皆様がこの原稿を読まれる頃には、OPENSTEP は Apple 社から MacOS X Server という名前で装いも新たにリリー スされているはずです。私のところの WINE も、夏頃には G3 Mac の上で動いているでしょう。

○ おもわぬ難産に業を煮やす

第3世代 WINE は将来への拡張性や病院規模の運用にも十分耐え 得る頑丈なものを目標にしているため、今迄で最も開発に時間がか かりました。

第1世代 WINE も、電子カルテ開発を思い立ってから、構想を練っ たり試行錯誤を繰り返したりに 4年を経て実働するようになりまし た。この時は、まだ世の中に電子カルテという概念そのものがな かったため「無から有を生ずる」つまり、「電子カルテとはどんな ものか」というイメージを固めるのに産みの苦しみがあったためで した。しかし一旦構想が固まってからは早く、第1世代 WINE は、 ゴールデンウイークの数日の間にほぼ基本的な部分を作り上げてし まい、その半月後にはほぼ実用的な運用に入っていました(私の脳 ミソも少しは若かったこともあるかも知れません)。

しかし今度の WINE は開発を開始して2年を経ても、まだ現場で 使える段階には到達していませんでした。昨年の暮れも押しつまる 頃、「机の上で完全なものをめざしてやっていてもキリがない」と 考えるようになりました。「よし、来年の1月1日をもって、未完成 であろうと何だろうと無理やり現場投入だ」と踏みきることにした のです。

年が明けて外来診療の初日から、無理やり新しいバージョンに切 り替えました。見かけは第2世代 WINE と殆ど変わりませんが、エ ンジンはもっと強力になっていますし、プログラムも殆どサラから 書き起こしたものです。長年積み重ねたノウハウを基に、まったく 新しいエンジンとパーツで組み立てたというところです。

しかし、です。毎日の診療に使い、登録されたカルテの数が多く なるにつれて、やたらレスポンスが遅くなり始めました。第2世代 では本当にストレスなく動いていましたので、いくら外来が混んで きてもホイ、ホイさばくことができました。 ところが、ひどい時には一人のカルテを開くのに何と3分以上か かるようになってきたのです。「ウーっ」と思いながら我慢して 使っていましたが、3分というのは実際に仕事に使ってみると極め て長い時間です。到底耐え難いものがありました。

まさに額に青筋立てながら、平静をよそおって診療を続けなけれ ばなりません。とにかく画面が出るのを待っていては診療が間に合 わないので、新患の紙のカルテや保険証のコピーをとっておいて、 それを後で入力することにし、どんどん診療を進めなければなりま せんでした。

○ 道具の開発は現場投入が一番

購入したソフトであれば、散々業者へ文句をたれるところかも知 れませんが、自分の開発したものですから悪いのは自分以外の何者 でもありません。「必要は発明の母」と言いましょうか、毎日の仕 事でこのような思いをすると、「何とか早急に解決せにゃいかん」 と、いやでも開発に根性が入ることになります。 チューンアップするため大分格闘しましたが、それから10日後に はまさに劇的な改善を見ることができました(というより、それま でが余りにも遅すぎたのですが)。

遅くなった原因は「考えすぎ、凝りすぎ」でした。私が「シンプ ル・イズ・ベスト」をモットーにしているのも、このようなことへ の自戒なのですが、わかってはいても机上の構想では、どうしても 考えすぎ欲ばってしまいます。長い格闘の末、まったく発想の転 換をしたことにより画期的な改善がなされたのでした。

以前も書いたように、プログラムの開発というのは、このような ことがあるから「やめられない」とも言えます。まさにオーバー ヒート状態の頭を抱えて何日も苦悶した末、ある日ぱっとトンネル を抜けて良い空気、明るい景色が開けたような感じです。 「水を得た魚」状態で診療できるようになりました。 そこからは快調に開発が進んでいます。というか、この段階まで くれば小さなバグ取りや使い勝手の微調整が主になり、どちらかと いえば楽しい作業になります。

4月末頃には、ほぼ実用的に仕事に使えるようになりましたが、 これはまさに「無理やり現場投入の成果」であると思っています。 机上で、あーでもない、こーでもないといじっていたとしたら、現 在になってもまだ出来上がっていなかったのは間違いありません。 このようなことができるのも、私のように「自分が施設オー ナー」かつ「自分が開発者」で「自分がユーザ」だからこそできる 強みと言えましょう。

現在外来で使っているマシーンは、今となってはもうかなりメモ リーも少なく CPU も遅いマシーンですので、第2世代 WINE の軽快 さにはイマイチ劣るのですが、5月のゴールデンウイーク明けの混 雑した外来も何なくさばくことができました。

○ 診療録の変換に MML を使う

第3世代 WINE が実用になってきたころ、第1世代 WINE で蓄積 した診療録を新しいシステムへ読み込むことにしました。 電子カルテのデータを異なる施設間でやりとりするための規格と して MML(Medical Markup Language) というものがあります。医療 情報学会の分科会のひとつである「電子カルテ研究会」が提案する ものです。

私は当初からこのプロジェクトに関っていることもあり、データ の変換にはこの MML を使うことにしました。MML は Web のホーム ページなどを記述する言語 HTML の兄弟分ですので、見かけは似た ようなものです。 まず第1世代 WINE からデータをすべて MML 形式で吐き出し、そ れを第3世代 WINE で吸い上げました。現在の MML 規格では装備さ れていない部分があり、独自の拡張をしたところが少しありまし たが、ほぼ問題なくこれでコンバートすることができました。

これで自信をつけたので、今後カルテの保存用データは MML に 落として CD-R などの永久記憶媒体にバックアップするようにしよ うかと考えています。そうすれば将来、第4世代、第5世代 WINEで まったく異なるフォーマットを扱うようになっても簡単に読み書き できます。 第2世代 WINE のデータもあるのですが、こちらは少し複雑な データの持ち方をしているので、まだ MML への変換プログラムを 書いていません。

○ 誰でも使えるにはしっかりしたサポートが必要

これまでの WINE は、あくまでも私自身の道具として開発してき たものですが、第3世代は多くの方々に医療の現場で役立てていた だける「誰でも実用に使える電子カルテ」を目標に2年ほど前から 開発を進めてきました。

そのためにはしっかりしたサポートが不可欠です。自分の力で格 闘してでもモノにしようとするパワーユーザならともかく、普通の ユーザにとっては、問題が起きた時にすぐサポートが得られるよう でないと、まったく実用にはなりません。 ということで、第3世代 WINE は商品版とすることになりまし た。WINE project の最初の頃から別々にではありますが共同研究 をしてきた小児科の高橋究先生と、今度は本格的な共同開発になり ます。

サポートと販売については、大手臨床検査センター BML の系列 会社である(株)メリッツが担当することになりました。病院勤務の 高橋先生が「病院バージョン」、私が「診療所バージョン」という ような形で進んでいますが、エンジン部分やパーツは共通です。い わば外観や使い勝手で選べるということです。

ただ、自分で使うのであればともかく、ヒトさまに使って頂く には、いろいろと細かく手を入れなければなりません。自分で使う 場合は無意識のうちにヤバイ操作はしないものですが、他人が使う 場合は開発者の思いもしなかった操作をして、システムが正常に 動かなかったりするものです。

○ MacOS X Server への期待

前述のように、電子カルテ WINE も今年の夏頃には MacOS X Serverと MacG3 マシーン上で動いているはずです。そちらですと 格段にパワフルで早くなるはずなので、とても期待しています。 MacOS X Server と MacOS 8.5 をボタン一発で切り替えて使える のも、何より嬉しいことです。私の今迄の OPENSTEP ではまずシス テムが落ちるということは殆ど経験しない安定した OS ですので、 これを土台にした MacOS X Server もかなり安定した OS であるこ とは間違いありません。

ユーザインタフェースは極力 Mac に近づけてありますが、やは りちょっと違うところもあり、Mac ユーザは最初少し異質なものを 感ずるでしょう。私は Mac が登場する前の Apple II 時代からの Apple ユーザです。初代 Mac を使い Apple から NeXT が 分家 するとともに NeXT ユーザに徹して、再び Mac へ戻ってきたという ことで、どちらも慣れ親しんだものです。

たびたび書いてきたように OPENSTEP は Mac を直系の親として 生まれ進化した、とても使い勝手のよい快適な OS でした。MacOS X Server は更に進化して便利になった機能がいくつもあるようで す。しかし現在の Mac ユーザに迎合して先祖返りしてしまった Look and Feelの一部にはちょっと寂しいものがあります。 Mac がどちらかと言うと「コンパクトで可愛い」画面なのに対 し、NeXT のそれはまさに「ハイグレード」なセンスを漂わせた質 の高いものでした。いずれ Mac もさらに進化して、昔の NeXT に 追いつき追い越すことを願いましょう。

MacOS X Server は文字通り、サーバマシーンとして使うことを 想定しています(そういうことにしておいた方が、ある程度技術を 持ったユーザが対象になるのでサポートが楽だ、ということなのだ ろうと思っています。実際には一般ユーザのマシーンとしても十 分快適な使い勝手を備えています)。 これに対し、この秋リリース予定とされる MacOS X は一般ユー ザ向けのものです(実際のリリース時期は、きっと来年にずれ込む のでしょうが)。どうぞ、期待してください。Jobs のいる限り、か なり画期的なものがでてくるであろうことは間違いありません。

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