2016.04 花を見るなら五分咲き

わーくすてーしょんのあるくらし ( 278 )

2016-4 大橋 克洋

4月1日朝の散歩、目黒川沿いの桜は八分咲き

「花を見るなら五分咲き、酒を呑むならほろ酔い加減」という言葉があります。「菜根譚」にある言葉。このあたりに最高の趣がある。酔っ払うまで呑んではまったく興ざめ、満ち足りることを望むのではなく、そのちょっと手前が良いということですね。

「娘十八、番茶も出花」もちょっと似ているように見えますが、菜根譚で言いたいのは「何事も満ち足りるまで欲するのでなく、ほどほどのところで止めておくべき」ということ。私も歳を重ね、そのような境地になってきました。若い頃は、とびっきりの高性能車が欲しいとか、ゆったりした庭のある広い家に住みたいとか、色々ありましたが、、

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◯ 成功目前で一旦撤退する勇気

屋久島の宮之浦岳からスタート、日本百名山を自分の足とカヤックだけで一筆書きしながら北海道利尻岳まで歩く「グレート・トラバース日本百名山一筆書き」、最後の百座目の利尻岳登頂では大変感動的な場面がありました。北海道本島から利尻島までのカヤック、冷たい北海の強風で横転しカヤックに這い上がる(馬術競技でも今は落馬すると即失権ですが、私が学生の時代は落馬しても再騎乗し試合を続行します。落馬し再騎乗というのは精神的なものを含め非常に体力を削がれるものなのです)を何度か繰り返し強い海流に流され、日が沈んだ後ようやく利尻の港に到着した田中陽希さんの顔は珍しく涙でくしゃくしゃ「生きててよかったあ」のつぶやき。6ヶ月以上にわたる苦難をクリアしてきた彼にとっても、それだけ辛かったのだろうと思います。

そして翌朝、この旅最後の百名山「利尻岳」へ登頂。天候が悪く、物凄い強風の中の尾根歩きは本当に吹き飛ばされそう。頂上1キロ手前の避難小屋で風をよけ一休み。しばらく床に座ったままだった田中陽希さんの口から「今日は帰ります。風が怖いから」。この百名山踏破の旅において途中での撤退はこれが初めてではなかったかと。それまでの行程において、かなり疲労困憊していたり冷たい雨の中の強行軍も強い意志で乗り切ってきた彼でしたので、この撤退には大きな意外感がありました。6ヶ月7800キロの苦行の最後の1キロ、普通だと無理しても強行してしまいがちと思いますが、この「慎重さと大胆さ」こそが田中さんの旅を成功に導いた鍵と思いました。田中さんの「山は逃げないと昔からいいますから」という言葉も印象に残りました。しかし強風は翌日になっても吹き止まず、このまま数日経つと山は冠雪を迎え百名山踏破は不可能になってしまいます。地元で「明け方の数時間だけは風がやむ」という情報を入手、翌々日の夜明け前宿舎を出発。風の凪いだ僅かの時間を縫って、見ごと百座目の利尻岳登頂に成功したのでした。

今月6日、利尻岳に登っていたパーティーから仲間が低体温症に陥っているとの通報をうけ救助ヘリが2名を救助したが、1名は亡くなったというニュース。北大医学部の登山サークルの方でした。助かったメンバーの話では遭難時、山頂は強風でテントも張れない状態だったとか。この記事を読んで、田中陽希さんの勇気ある撤退を想い出したのでした。

◯ 今月の歩術

今年の目標の一つはフルマラソン距離42キロを歩くこと、そして二つ目が神奈川県平塚からの50キロ。2週間前36キロを達成したところですし、5月に向け次第に暑くなるので、その前に42キロをクリアして50キロに挑みたいということで、4月3日の日曜に42キロへ挑戦。前日の天気予報によればこの日は一日中曇天、歩きには絶好かなと、、

朝5時45分自宅出発、外に出ると霧雨が降っています。前日の天気予報では降水確率ゼロと言っていたんだからそのうち止むかなとは思ったのですが、安全のため自宅に引き返し雨天用ジャンパーとキャップに着替えました。結果的にはこれで正解、雨がようやく上がったのは三鷹到着の頃で、道中しっぽりと濡れました。

林試の森南側を抜け、清水稲荷の商店街から目黒通りを突っ切りまっすぐ。ちょっと道を間違えたので軌道修正、世田谷観音前にでる。駒留陸橋をくぐって世田谷通りへ。上町から右へそれ、千歳船橋駅。小雨に濡れながらトイレはなかなか見つからないので、改札を入ってトイレを拝借。千歳船橋には学生の頃、清風会という馬場があってよく通ったなあと懐かしく思いながら通過。環八を横切り千歳烏山駅で京王線を横切り、甲州街道を横切る。昭和大学烏山病院はこんなところにあるんだ。中央道をくぐると、やがて地番は三鷹市、ようやく来たぞ。やがて緑の気持良い小川脇の遊歩道。これが玉川上水か。小川を右下に見ながら、枯れ葉の散り敷く木立の中の気持ちの良い遊歩道を行く。やがて井の頭公園の中へ導かれる「ちょっと三鷹の森ジブリ美術館の前を通っていこうか」。小雨の残る早朝というのに美術館の前には開館を待つ家族連れが列をなしている。飲み仲間の角田先生の診療所は、もうすぐ近く。角田医院前で午前9時半、距離20キロ。医院の写真を撮り、再びジブリ美術館から井の頭池へ。雨もあがったので、ジャンパーを脱ぎ薄いベストに着替える。

あとで地図を眺めると、この行程の大部分は世田谷区を斜めに横切る行程。やはり世田谷区って大きいんだなあ、、

復路は井の頭池に発する神田川に沿って帰る。朝10時前の肌寒い曇天というのに井の頭公園には結構の人出。満開の桜の下には沢山のブルーシートが敷かれ、番をとる人がポツンと座っている。今朝の雨が沢山たまったブルーシートも。噴水の拭きあげる池にはボートも何艘か浮かんでいる。ここからしばらく神田川沿いの遊歩道を帰る。遊歩道にはみごとな桜が満開。しばらくは遊歩道に人はおらず満開の桜をひとりじめの贅沢。やがて桜見物のひとがぽつりぽつりと増えてゆく。神田川を見下ろすと、大きな鯉が上流に向けゆっくり泳いでいる。グレーや肌色の鯉。緋鯉は見かけなかった。この鯉たち、眠っている時は下流に流されないようどうしているんだろうと、ふと考える。うつらうつらしながら上流に向け泳いでいるんだろうなと。神田川遊歩道にはいりしばらく、行程25キロあたりから結構足にきました。途中のベンチで2度ほど足を休める。永福町のあたりで車の喧騒が聴こえ、もうすぐ環七だなと思ったが地図を見るとそれは甲州街道の喧騒で、神田川は湾曲して甲州街道から遠ざかりやがて環七へ出る。環六から帰るつもりだったが、ショートカットして直線距離をとることに変更。環七をちょっと行ったところでやや左斜めに入り、下北沢商店街を通過。この辺りで昼食をと思いつつ、適当な店がみつからぬまま通過。代沢の辺りをこちゃこちゃ通過して三宿へ出る。ここからは何度も通った道、世田谷公園前から五本木で駒沢通りを横切り、目黒通りを横切って、朝きた道、清水稲荷から小山台小学校前、小山台高校前。日曜とあって人で賑わう武蔵小山商店街を避け裏道へ、小学校の同級生の倉田君と出会ってちょっと立ち話。流石に疲れたので、食事を攝らぬまま帰宅。

今回のウオーキングでは42キロを予定していましたが、環六でなく環七からショートカットしたため、40.9キロと、目標にはちょっと届かず。所要時間も7時間半と、いつもよりかなり遅いペースとなりました。しかし、とりあえず自分の長距離・長歩行時間記録を更新できました。

先月の歩きで復路に iPhone バッテリーがほぼ消失したのに懲り、復路は持参した予備バッテリーを接続。帰宅すると iPhone 本体・予備バッテリーともにほぼゼロに近い。もう少し大きな予備バッテリーが必要だな、、

今回、40キロを歩いてみて、30キロまでは比較的難なく歩けるようになりましたが、40キロとなるともう少し歩きこむ必要がある。となれば50キロ挑戦は早くても今秋かなと思います。その前に40キロ、45キロと攻めていく必要がある。しかし、長距離もこうして歩いて行くと少しずつ可能になってきます。要は耐久力・持久力をつけることですね。これからは「疲れない歩き方」を探求してゆくべきだな、長距離だとどうしても気が早ってしまうので、無理のない距離を歩きながら試みてみた方がよさそう。

長距離への思いの最初は「江戸以前の人達は日常的に(現代人の考える)長距離を歩いていたんだから、自分もそのようになりたい」ということでした。そういう意味ではかなり達成できてきたのではないかと。

◯ 今月の歩術(その2)

第2週の日曜は花曇りで絶好のウオーキング日和。前回の40キロから、さらに距離を延ばそうと、多摩川を遡り福生まで48キロか、可能なら羽村市の玉川上水取水場まで一気に50キロを達成しようと歩きに出ました。

朝6時前に自宅出発、中原街道を下り丸子橋へ。ここから多摩川をさかのぼる。河原はどこも少年野球の真っ盛り。土手の上は桜が満開で、河原にいくつもテントを張ってお花見をやっているところもありました。桜の見どころもこれが最後でしょう、盛大な花吹雪の下を行くのは良いもの。多摩川には何箇所か堰が設けられ大きな水音。こんな堰があっては最近多摩川に戻ってきたという鮎も川を遡れないのではないかと思ったら、堰の脇に魚が遡れるよう階段状になった所がありました。ちゃんと配慮しているんだなあと。府中を過ぎる頃から河原に「マムシに注意」の立て札が目に入るようになる「へえー、こんな所にマムシが生息しているんだ。結構広い範囲なんだな」と(帰宅してその話をしたら家内から、林試の森にも、ちょっと前までマムシ注意の札があったとのこと)。やっとこさの思いで府中まで来ても、まだ道のりは半分ほど。さらに遡ると長年の間に水に侵食された岩の間を多摩川が流れる景色「長瀞などではこういう景色あるが、こんなところにもあるんだ」。今回は脚を疲労させぬよう気をつけて歩いたので、前回や前々回のように膝裏側の腱の痛みを発生することは防げましたが、流石に30キロを過ぎると脚に疲労の影が。土手の階段を見つけては腰掛け一休み。やっと福生市に入り嬉しいなと思ったのですが、福生市広い。目的地までの6キロが長かった。普段なら6キロくらいどうということもないのですが、40キロ近く歩いてくると思うように歩度を上げられない。食事をしながら一服と思うものの、これはという店がみつからず目的地の福生クリニック到着。47.7キロ、9時間5分。

もうちょっと足を伸ばし隣の羽村市にある玉川上水取水場まで50キロを想定していたのですが、福生で終了。ということで目標距離にはちょっと足りませんでしたが、今年の目標のひとつフルマラソン距離42キロは完全にクリア。福生駅前で朝昼晩食を兼ねた食事をとって電車で帰宅。帰りはたったの1時間17分。やはり電車は早いなあ、、

帰宅してみると、首の後ろが真っ赤に日焼け。へえー、花曇りで日はまったく出なかったのに9時間も歩いていると紫外線は結構受けるんだ。

今回の歩きで掴んだもの。長距離では脚が疲れてきたらちょっと腰掛けて一休みすること。これによりまたしばらく調子をあげて歩けるようになる。考えてみれば昔は、道中の所々にお休み所があって、お茶を飲み団子を食べて一休みしたようですが、これは昔の人の生活の知恵でしょう。「長距離歩行には時々一休みを入れる」これが長距離歩行を可能にする要点のひとつということを学びました。ま、考えてみれば常識で、これまではひたすらシャカリキに歩きすぎたということ。

前回の教訓で今回はノートブック用予備バッテリーを持参。途中で2度充電しても余裕でしたが、ちょっと重かったかな、、

◯ 携帯ショップでの身分証明っておかしくない?

福生駅前には適当な食事処がなく、居酒屋「山ノ内農場」に入りビールで一息つきながら食事をしていると携帯電話が鳴りました。

愛犬を連れた娘と神奈川県の方に行っていた家内から「娘が海岸で犬と走り回っていた後、iPhone を落としたことに気がついた。その iPhone を呼んでみたが、電源を切られているようなので盗られたらしい。一応警察に遺失物届けはしたが、この iPhone を解約したいので、帰りに SoftBank に寄って解約して欲しい。名義人でないと駄目とのこと(この iPhone は以前私が使っていたものを譲ったので、私の名義になっている)」。

帰宅途中、自宅近くの SoftBank に寄り解約しようとすると、身分を証明するものが必要とのことで自宅に帰り免許証を持って引き返す。店員「これは身分証明になりません」私「えっ、何故?」。私は昨春に運転免許証を返上し、顔写真つきで見た目も免許証とほとんど変わらない運転経歴証明をもらいました。SoftBank はこれでは駄目だというのです「社内規定で期限切れのものは身分証明にはならない」という理由なのだそうですが、運転経歴証明の日付はあくまで運転ができなくなった期日であって、身分証明としては終身のものであるはず。そんな馬鹿なと言ってもラチが開かないので、では何を持ってくればよいのか尋ねると健康保険証だと。「顔写真もない保険証は他人のものを持ってきても判らないじゃないか」と云うと「お客様のおっしゃることはわかりますが、社内規定がそうなっていますので」。ここで押し問答しても馬鹿らしいので、再び自宅にとってかえし健康保険証を持参。店員はそれを一瞥しただけで無事解約終了。

翌日この話をうちの職員にすると「私なんか顔写真つきの住民基本台帳カードを持参したのに、携帯の身分証明として認めてくれませんでした」。これも非常におかしいですよね。行政が身分を証明するものとして顔写真までつけて発行しているものを認めないとは。

この話を Facebook に載せたら「携帯電話は悪用されることが多いので、行政指導が厳しい。そのためではないか」という意見を頂きました。もしそうだとすると、行政の発行した運転経歴証明や住民基本台帳カードなどを身分証明として認めないのは何故?

47キロ歩いて疲れきっているはずだったのですが、自宅とショップの間を速歩で2度も往復してしまいました。「憤り」は「やる気エンジンに焚べる最上のエネルギー」。

◯ 日本古来の建築の知恵

今月中旬、夜9時頃自宅にいると、いきなり下から突き上げるような揺れ「これは、やばいかも」と思ううち横揺れ、愛犬トイプードルは娘の膝の上で目を丸くしていました。幸い揺れは大したこともなくやみました。翌朝、新聞を見ると熊本で地震の大災害。発生時刻を見ると昨夜東京であった小さな地震の30分後でした。

熊本の地震は極めて多数の余震を伴い時間を追って被害が拡大するという、今迄見なかったパターン。しかも発生当初の大きな地震は前震で、その翌日のものが本震と発表されました。熊本城の石垣も一部崩壊し、天守閣の瓦が大量に剥がれました。しかし、ここに日本古来の建築の知恵があるのだそうです。

日本古来の建築の発想として「地震時には瓦は振るい落とされ身軽になり、建屋の倒壊を防ぐ」のだそうです。地震発生時、熊本城天守閣から上がった煙や埃はこれを表すもの。昔ながらの日本家屋の瓦は、葺き土の接着力だけで屋根の上に置かれています。葺き土や瓦は重いので相対的に家屋全体が重くなる。日本は地震や台風の多い国、そこで屋根を重くすることにより小さな揺れや台風に屋根が吹き飛ばされない工夫がされている。しかし大きな揺れの場合、重量は家屋にとってネックとなる。そこで「大きな揺れでは固定していない瓦が滑り落ち、瞬時に屋根を軽くして倒壊を防ぐ」という巧妙な仕組みなのだそうです。

日本古来の建築の知恵は「地震に抵抗するのではなく、地震の力を受け流して最小限の被害、または修繕復興のしやすいように作る」。石灯籠などのパーツが接着されておらず地震で倒れるとバラバラになるのも、地震による被害を最小限にするための工夫だとか。

このコラム 2014.04 に書いた「わざと壊れやすい仕組み」も同じ。台風や高潮を受ける宿命をもった厳島神社は、床板などを水に打たれてはずれやすい構造にして屋根の構造体を守っている。修復することを前提に建てられた建物。

先人たちはこのようにして地震や台風から家を守ってきたのに、阪神大震災以降「瓦が落ちてくるのは危険」という考えから、瓦を固定した家屋が多くなったそうです。やはり先人の知恵、歴史を知ることはとても大切ですね。

◯ 診療所の BGM 音源また代替わり

診療所の BGM 音源に iPod を使っている話を以前書きました。2012年1月、iPhone サイズでダイアル型コントローラのついた初代 iPod を音源に使い始めましたが1ヶ月もたたずにダウンし、スティック・タイプの iPod shuffle を使うようになりました。しかしその1年後にこれもダウンし、四角い金属クリップ・タイプの iPod nano を使ってきました。

これも3年後の最近、すぐに音がでなくなる症状を起こすようになりました。バッテリーが短時間で消耗してしまうためのようです。このタイプの iPod はイヤフォン・ジャックを差す口で充電するので電源をつなぎながらイヤフォン・ジャックを使うことができません。

古いせいもあるのかも知れませんがどの iPod も予想外に寿命が短く、私のコンピュータ歴においてこのようにすぐ潰れるものに遭遇したことがないのでちょっと意外でした。

そこでこれも使わなくなったスティック・タイプの iPod shuffle を使おうとしたのですが、どうしてもジャックの仕様が合わずアンプから音が出ません。試しに自分の iPhone6 をつなげてみると大丈夫。そこで使わなくなった iPhone5 を音源に使うことにしました。iPhone に記憶されている iTunes の音源以外のデータを全て削除し診療所のアンプに接続。

イヤフォン・ジャックが微妙で、ちょっと触ったりして接触が瞬断されるとアンプの電源も落ちてしまうという問題はあるものの、これでいってみることにしました。余りお利口なアンプも困りもの。

< 2016.03 ただ淡々と歩む | 2016.05 やる気があれば進歩もある >

福生へ向かう多摩川べりの見事な桜並木

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です