2011.09 Steve Jobs ついに Apple CEO をおりる

わーくすてーしょんのあるくらし ( 223)

2011-9 大橋 克洋

Apple 社を創設し世界を変えた Steve Jobs

< 2011.08 MacOSX 10.7 Lion がやってきた | 2011.10 Jobs 逝く >

◯ ついにその日がやってきてしまいました

PET や TANDY とともに世の中に最初のパーソナルコンピュータを送り出した Steve Jobs。あの時が私の初めてのコンピュータとの出会い。あれから35年ほど思いっきり 楽しませてもらいました。最初の製品 Apple ][ のユーザとしての感動。初めて世に現れた Macintosh に触れた感激。日本 NeXT ユーザ会代表幹事として Jobs 氏と直接握手を交わした想い出。

世の中の多くの人が知らなかった NeXT 時代、私の人生にとっても馬術部時代に次ぐハイな楽しい人生を謳歌させてもらいました。あの頃 NeXT 社の技術者達が培った感動的・先進的な技術が、そのまま現代の MacOSX として息づき、さらには iOS へと花開いています。

そして天と地がひっくり返ってもあり得ないと思っていた Apple 社への復帰。Jobs の復帰によせて、あの時に書いた予想がすべて的中したのはとても嬉しいことです。過去の荒削りだった角を丸め、先進技術の実用化に関する鋭さを増し、ついに世界のトップ企業に上り詰めたところで Apple の CEO を降板。これも Jobs の美学かも知れません。山も頂上まで登りつめれば、後は降り坂しか待っていませんからね。

◯ 人類で叡智を共有できる喜び

わが国の民度の大巾な低下を嘆くものですが、一方で生活における科学技術の普及には考えて見れば目を見張るものがあります。そのひとつが web 。

まだ世の中に web が普及する前のこと、web システムが発明された翌年の 1994 年、当時の web ブラウザの原型「モザイク」の NeXT 版をダウンロードしアクセスしてみました。知る人は少ないと思いますが、世界で初めての Web システムは NeXT の上で開発されました。いかに NeXT の開発環境が優れていたかということ。私もあの頃は NeXT で色々なソフトウエアを開発していました。電子カルテも NeXT によって初めて本当に使い物になるツールへと進化することができました。

地球の裏側フロリダ大学の web site などいろいろ眺めながら感激したのは、「このように素晴らしい情報を無償で世界に提供してくれる人達がいる。このような広い情報や知識を皆で利用するためには、知識を貰うだけでなく自分からも発信することこそが重要」と強く感じ、早速翌年の1月に自前で OceanWebSpace を立ち上げたという経緯があります。

NeXT 社を興した Steve Jobs

NeXT の OS: NeXTSTEP が現在の MacOSX の原型となった

上の写真の頃、私は NeXus:日本 NeXT ユーザ会の仲間とツアーを組んで西海岸で開催された NeXT expo へ行き、日本 NeXT ユーザ会代表幹事として Stever Jobs 氏に NeXus ロゴの入った T シャツを渡し握手をしてきました。彼は大きく見えますが、案外小柄で背は私よりちょっと高い位だったのが意外でした。Jobs のプレゼンを最前列で聞こうと朝一番で会場に並びましたが、この頃から彼のプレゼンはとても素晴らしいものでした。

あれから早16年、web 技術を使った電子カルテで仕事をする様になったのも画期的できごとですが、もっと身近なことでも生活の中の随所で便利になりました。こうしてコラムを書いていてもちょっと web で、あやふやなことを確認できたりします。ここのところ料理に挑戦していますが、時代が飛躍的に便利になったことを実感しました。30年ほど前にも暫く自分で食事を作ったことがあります。あの頃は中華料理の本を片手に作ったものですが、今は cookPad などのお料理サイトで飛躍的に便利になりました。冷蔵庫にある食材を元に cookPad で検索、これはという料理にトライ。ここでまた便利なのが iPad、ほー、iPad は台所の必需品ですね。iPad 片手にあるいは調理台の片隅に置いてレシピを参照できます。

このように iPad は今後思いがけないところで、なくてはならないものとして威力を発揮するのだと思います。どこかの航空会社ではパイロットが参照する分厚いマニュアルを iPad にしたとか、わかる、分かる、、

ところでお鍋でご飯が極めて簡単に炊ける方法をご存知? 知る人は知るんでしょうけど。お米180ml を研ぎ 200ml の水を足して鍋に入れ強火で沸騰させます。沸騰と同時に直ぐ火を消えない程度のごく弱火にして15分、さらに火を止め15分蒸らしたら杓文字でよくほぐしておきます。たったこれだけで炊飯器も使わず、ふっくらと美味しいご飯が炊けます。 やって見た経験では、沸騰させ過ぎると余熱で焦げてしまう、沸騰直前で弱めるとお米に芯が残る。お米を研いだ後ちょっと置いて水に馴染ませた方が良いなどあるようです。

◯ NOA Light

電子カルテ NOA を往診に持って行きたいというユーザさんの強い要望に応えんものと、NOA の軽量版に取り組んでいます。一番簡単なのは NOA はそのままでも MacBook Air などにサーバごと載せてしまえば、現状でそのまま使えます。追加すべきは母艦サーバとのデータ同期ツールのみ。ただ大きな問題点はセキュリティ。もしマシーンを紛失したり盗まれたら個人情報保護の責任を問われるということで、直ちにマスコミの餌食になりコテンパンに叩かれる。これは避けたいですよね。そんなわけで、マシーンを紛失しても被害の少ない方法を模索しています。

一方、いま注目のクラウド方式もあります。NOA は Web サーバで動いており、そのままクラウドとして動かす事ができます。しかしインターネット上を確実に暗号化・トンネル化し運用するには、現状で私の技術では確信がもてぬため構内 LAN 内に限定し運用しています。 そんなことで、マシーン上にデータをダウンロードし独立運用できるタイプに取り組んでいます。勿論マシーンを紛失してもデータを盗まれる可能性の少ない方式で。これは HTML5 の技術が生まれ、初めて可能になったこと。これがなかなか面白くてハマっており、このコラムの更新も滞っている状態。やってみると、なかなか悩ましい問題も現れてきて、実用に供するには結構時間が掛かるかも、、

オープンソースとあって、全くのボランティア活動ですが、自分にとってこんな面白いものは有りません。気に入ったスポーツのようなもの。数は少なくとも誰かの要望に応え役に立てるかも知れないと言うところがたまりません。それを大きく後押ししてくれるのが「あーして欲しい、こうならないか、ありがとう」と云うユーザさんの声。オリンピック選手が「成果を挙げられたのは、自分ひとりの力ではない。皆さんの応援のおかげ」という気持ちがよくわかりました。

◯ Web アプリのネットワークから独立した運用

Web アプリである電子カルテ NOA を往診用モバイル版への拡張、ほぼ懸案事項をクリアできました。データや色々なテーブル類を localStorage に落とすことによりネットワークから独立して運用できるよう改良がほぼ出来上がりました。しかしハタと考えると、このアプリは Web アプリ、当然のことながら通常はネットワーク上の Web サーバに接続して初めて動きます。MacBook などのノートパソコンなら、そこで Web サーバを動かせば良いのですが iPad で Web サーバは動かせません。iPad をネットワークに繋げないと使えないというのは何ともシャクです「どうせなら何としても iPad で独立して運用したい」という欲がでてきました。

「これは結構大変かも」と思ったのですが、これも HTML5 の機能で極めてあっさり実現してしまいました。ほんのちょっと勉強しただけで半信半疑やってみたら、あまりにも簡単に実現したのにはびっくり。これで往診に行く前に iPad へ必要なデータだけダウンロードしておけば、往診先ではネットワークを切った状態でも Web アプリである電子カルテ NOA を使えるようになりました。ふーん、やってみれば出来るもんだね、、 ということで、核となるところは数日の格闘の結果クリアしましたが、本当に実用に使えるようになるまでは、まだまだ細かい作り込みが必要です。ちょっと困るのは私自身は往診をしていないこと。この辺りはユーザさんの体験を聞きながら調整してゆくことが必要になります。

Mac の世界で昔から有名な FileMaker 使いの山本康仁先生から「iPad アプリは Apple に登録認可してもらう面倒があるが FileMaker アプリならその必要もない」と聞き、うらやましく思っていました。しかし javascript 使いの私には「iPad で Web アプリを独立運用」という手があったことが判りました、、

◯ 今月の歩術

この春から毎日の通勤がなくなったので機会あれば歩くようにしています。かと言って積極的に散歩に出ると云う気にもならず、運動不足は否めません。昨年5月の入院後のフォローで数ヶ月毎に慈恵医大の神経内科を受診しています。行きは時間的に無理でしたが、帰りは絶好の機会と7.5 Km ほど歩いて帰宅。9月初旬の午後3時頃とあって盛夏の暑さ、西日の直射はとても堪りません。ビルの影になる側を選んで歩きました。

前半の行程では足の進みも思うようでなく「そろそろ運動不足が効いてきたかな」と思う按配でしたが、最後の1/3 では五反田駅の人混みに競争心を煽られたこともあり歩度が伸び始め、最終の桐ヶ谷の上り坂あたりは絶好調。真夏の暑さ、ゆっくり歩くつもりで100分をみていたのが90分で帰着。洗面所で手を洗い顔を上げると滝のような汗、ようやく今シーズンの目標だった良い汗をかけました。冷たいビールが美味しかったのは勿論のこと。

今回の歩きで意識したのは、骨盤を歩く方向へ気持ちヨーイング、骨盤をバラバラにして歩く感じ、前後の足底をべったり地面に着け地面の感覚を感じながら歩く(これは数年のトレーニングで、アキレス腱が伸びてこないと難しい)、そんなところでしょうか。ただ、これを強く意識して歩くと、翌日腸腰筋のあたりが激痛になることがあるので、ほどほどに意識しながら、、

以前、ベリーダンスの動きを取り上げたことがあります。韓国の人気歌手 KARA の腰の使い方にも通ずるところがあるように思いました。われわれの普段の歩きは、ロボットの腰のように動きが限定されています。めざす歩きはチータなど野生の猫科動物の歩き方と云うか、身体の使い方。これをあからさまにする事なく、意念して歩く。これが現在の目標とするところ。いずれにせよ「何事もすべての中心は腰にあり」。

◯ 思いは伝わったか

産経新聞朝刊の一面に「スポーツ庁創設へ」の文字が踊っていました。「スポーツ振興を国家戦略と位置付けることでスポーツ立国をめざす」とのこと。現在は文科省と厚労省にまたがる領域、これを一本化し推進できるようにする。実現は早くて平成25年と云うのが残念ですが、健全な日本への復興のため何とか早急に実現して欲しい。

「日本はスポーツ立国をめざすべき」は、このコラムで何度も叫んできたこと。国民の多くが身体を使うことにより、体力改善、それに伴う精神そして「脳力」の改善、礼儀やルール遵守の精神を身につける、生活における旺盛な前進気勢の促進、寝たきり老人の予防、ウツなど精神障害の減少などなど、現代日本の抱える多くの病巣をカットできる可能性が増えます。このように広い分野への影響の可能性について、多くの人に考えてもらいたいもの。

スポーツ庁創設の考えは、超党派の議員からも高まっていたとのこと。私もかつて厚生副大臣の武見議員に「日本はスポーツ立国をめざすべき」と直接お願いしたことがあります。残念ながら武見議員はその後の選挙で残れなかったので、今回の動きは多くのスポーツ系議員を中心に起った話なのでしょう。

可能・不可能は考えず、こう云うものが欲しいぞー、と願っていれば、必ず神は授けてくださるものですね、、

◯ 台風15号

東日本大震災のあった今年、台風の被害も少なくない年でした。つい先日、紀伊半島付近に大雨を降らせ川の氾濫や地崩れの大被害があったばかり。その被害による堰き止め湖が幾つもでき、この上大雨があれば土石流の心配も懸念されるところへ、またまた台風15号がやってきました。15号も各地で川の氾濫などで多くの被害をもららしましたが、東日本の震災や原発事故の経験から避難指示など、かなりテキパキ行われたようです。

ここのところの幾つかの台風、何度も身構えてきたものの東京を直撃することはありませんでした。 しかし今度の15号、最初は沖縄の手前でいったん巻乗り(馬術用語:地面に小さな輪を描くこと)をしたりして道草を食っていましたが、いったん進路を決めると次第に速度を上げ、関東めざしまっしぐら。午後から夕方にかけて東京直撃ということで「午後は、どうせ診療所をあけても誰も来ないだろう」とタカをくくっていたのですが、台風直撃の2、3時間前の雨風の中、2名も患者さんが来院されました「買い物のついで」とか、、

東京は午後6時頃がピーク、各地の映像に比べ雨はほどほどだったのですが、風は強く久しぶりに13F の私の住まいは風が吹き付けるごとに微かな地震のように揺れました。午後7時を過ぎると風もピークを過ぎ雨もさほどではなくなってきたのですが、真っ暗な中スピーカーで叫ぶ声が続きます。すぐ近くの平塚橋の交番かパトカーあたりのスピーカーのようです。さては中原街道の平塚橋交差点で大事故発生かと、窓越しに覗きますがそれらしきものは見えません。うちの近辺には高いビルが幾つも建ち、平塚橋交差点の左右はまったく見えなくなったので、交通事故現場はビルの陰かなと思っていました。

翌日知ったのですが、目の前の平塚小学校跡の大きなヒマラヤ杉が強風で道路に倒れ込んだのだそうです。そちら側はカーテンを閉めていたので気づきませんでした。テレビで渋谷道玄坂に倒れ込んだ街路樹の映像を流していましたが、あれと同じですね。ということは、今回の台風、各地でかなりの倒木を作ったのだろうなと。都内各所の電車が運行を停止し、3月11日以来の大勢の帰宅困難者を出したようです。多少は災害慣れしたとはいうものの、この辺で止めにして欲しいもの。

◯ 考えてみればいつも大災害で始まる私にとって大変針の年

ふと思い当たったのですが、私が十年以上心血を注いで仕事をした日本産婦人科医会(当時の名称は日本母性保護医協会)の幹事をやめた年は阪神淡路大震災ではじまり、地下鉄サリン事件・オーム事件で大荒れに荒れました。そして日本産婦人科医会に次いで情熱を注いだ東京都医師会の理事をやめることになった今年は、阪神淡路を大きく上回る東日本大震災で始まりました。何か因果関係でもあるのかなあなどと、、

さらにそれらを上回る長い年月務めた東京産婦人科医会、いくら何でももうじき退くことになるはずですが、どうぞその年は荒れないでくれよーなど、ふと考えたのでした。日本産婦人科医会は、坂本会長から「君もそろそろ歳だから後進に道を譲って(50歳をまだ少し過ぎたばかりでした)」と、東京都医師会は会長選挙に敗れ会長とともに理事辞退と、両方とも自分の意志で辞めたわけではなかったので、今度は自分の意志で辞めれば大丈夫かな、などとも。

まあ、これらに因果関係があろうはずもないでしょうが、人間の人生が「宇宙の大きなエネルギーのうねり」のようなものに影響されることはあるのかもね。今年3月震災の直前「今年は何か起こるかも知れない」という心の中の漠然としたざわめきをこのコラムに書いたのは、そのエネルギーを感知したということでしょうか、、

◯ とうとう始まった道路拡張

私の住むマンションの南側は都道26号線。終戦直後から「いずれこの道路は拡張される予定」と父からも聞いていました。しかし、それからもう60年。「まあ私の生きている間は大丈夫」と思っていたのですが、思いがけず拡張が始まることになりました。その件でマンション管理組合と都の職員との話し合いがもたれ、約2年経た今月拡張の準備で道路側数メートルを都へ譲り渡すことになり、植栽設備やゴミ置き場などの取り壊しが始まりました。

取り壊し前

取り壊し開始

取り壊し終了

ひとまず拡張予定地域の構築物を取り壊して更地にし、実際に道路が拡張されるのは数年後になるそうです。アスファルト打ちの更地になった所には、無断駐車などができないよう白いパイプの囲いが幾つもできています。

今まではガレージ前に2台駐車できたのですが、そのスペースも公道になってしまいます。困るのは十数年ごとに行われるマンションの大規模補修。資材や車の駐車スペースで苦労することになりそうです。

◯ 区立平塚小学校跡の工事

今月は 1F 部分の柱のコンクリート打ちが始まっています。今月の台風15号で倒れた大きなヒマラヤ杉は、写真右下隅の方にあったのですが、、

< 2011.08 MacOSX 10.7 Lion がやってきた | 2011.10 Jobs 逝く >

Apple 社を創設した頃の2人のスティーブ

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です