2019.05 電子カルテ開発30年目

わーくすてーしょんのあるくらし ( 315 )

2019-5 大橋 克洋

おそらく日本で初めて(ということは世界で初めて?)の「電子カルテ」が私の診療所で稼働をはじめてから今月で丁度30年になります。今月から元号は「令和」となりましたが、私の開発した電子カルテが稼働をはじめたのは「平成」元年のことでした。

< 2019.04 元号「令和」に決まる | 2019.06 Seagaia meeting 2019>

◯ 今月の脳トレ

先月は、マシーンを更新したもののどうしても電子カルテNOAなどのサーバとなる MAMP システムがうまく起動しないトラブルについて書きました。これが動かないと電子カルテなど web アプリが動きません。診療を行わなくなったので、電子カルテが動かなくても当座困ることはないのですが、会計システムが動かないのは困ります。診療を辞めても期末の税務申告のため、日々の金銭の出入りを会計システムに記帳しているのです。

これで先月から格闘を続けてきました。電子カルテ改訂版のリリースにも支障があるので GW のうちに何とかサーバを動かそうと試行錯誤の繰り返し。OS や MAMP を再インストールしても駄目なので、やはり TimeMachine から復元する必要があります。

この TimeMachine からの復元というやつがまた一筋縄ではいきません。何度かやり直さないと途中でコケていたりします。やっと復元が始まったかと思っていると今度は「ストレージ容量が足りません」と言ってきます。新マシーン購入に当たり、これからは殆ど情報はクラウドに格納するようになるのでストレージは小さくて良いという考えから最低容量120GBのものにしたのが原因。試行錯誤の結果、一遍に全部復元するのではなく、一部ずつ復元を繰り返すことによりようやく旧マシーンの最終稼働状態に復元することができました。

そこで MAMP を稼働させてみると、何度やっても動かなかった Apache は動くようになったのですが、今度は MySQL が立ち上がりません。MAMP を再インストールしてみると、バンザイ、めでたく Apache, MAMP ともに立ち上がるようになりました。おそらく環境ファイルのパーミッションあたりが悪さをしていて、新規 MAMP のインストールにより、それが解消されたのかも知れないと想像しています (その後、古い Mac mini で MAMP を動かそうとしたところ、やはり MAMP や OS を再インストールしても上手く動かず、もしかしたらとマシーンの HD を一旦イニシャライズしてからMAMP や OS を再インストールしてみると、万歳うまく動きました。何か前から存在するファイルや環境が悪さをしていたようです)。

こうして目出度く以前の環境でマシーンが動くようになりました。結局トラブル開始から解決までに3週間以上かかってしまいました。先月このコラムの更新が極めて少なかったのはこのため。昔はよくコンピュータと格闘することがありましたが、久々の本格的格闘でした。コンピュータってやつはこうして粘りにねばれば必ず何とか解決できてしまうという成功体験が、ますます粘り強さを育ててくれます。以前はネットワーク周りでよくこういう格闘がありました。

年齢を重ねてもまだしばらく行けそうかな、、

◯ またもや Apple の不安材料

CNET Japan の記事によると、Apple が積極的な買収戦略を展開しつつあり、ここ半年ですでに20から25社を買収したそうです。現在の Apple には潤沢な資金があるため、このようにバンバン企業買収を行っているのでしょうが、私にとってこれは Apple 凋落の大きな不安材料としか写りません。Jobs なき後の Apple はなぜ自社開発に力を集中することなく、安易に手当たり次第企業買収を行うのでしょうか。これではどんどん Apple の血を薄め存在感をなくすことに繋がるしかありません。

Apple の大きな収入源だった iPhone のシェアも3位に落ちたという別の記事もありました。最近の iPhone は高価過ぎて簡単には手が出ない状況、販売数が落ちてくるのは当然のことと思います。あんなに Apple ファンだった私でさえ、iPhone XS が欲しいなと思いつつ使っているのはまだ iPhone 7plus、少なくとももう1年はこれで頑張らざるを得ないかなと思っています。安くてパフォーマンスの良かった Mac mini、かなり価格が上がったにもかかわらず最新機種を買っても期待したパフォーマンスのアップはありませんでした。

苦言ついでにもう一つ。前から何度も書いてきたことですが、最近の Apple 製品はやたら機種が多すぎる。MacBook にしても iPhone や iPad にしても、何でこんな大した差もない機種がワサワサあるのか。Jobs が NeXT 社をたたんで Apple 社に帰り咲いた時、まずやったことは百花繚乱だった Apple 製品をばっさり切り捨て、一般ユーザ用2機種、上級ユーザ用2機種のたった4機種に絞ったことでした。知恵を絞りきった内容を少ない機種に盛り込むことこそ Apple の真骨頂と思うのですが、Jobs が逝った時に思った Apple の将来(創業者なきあとの凋落)が少しずつ現実になってくるのはとても辛いものです。

◯ 今月の歩術

今月も月200キロを目指し、毎朝5キロから7キロ歩いています。今年初め頃と比べると少し脚の筋力が回復したのか、毎日その位歩いてもそう苦にならなくなっています。上り坂も以前よりは少し疲労感が減ったかな。東京都医師会に通勤していた頃、上り坂もドントコイでしたが、診療を辞め運動量が減ったのと年齢的なものもあってか、最近は上り坂はちょっと苦痛に感じるようになっていました。

早朝散歩では歩行距離を記録するため NikeRunClub という iPhone アプリを使いつつ、iTunes で walking 用に設定したプレイリストで音楽を流しながら歩いています。そろそろ気温も上がり、Tシャツで散歩に出るようになると音楽を流す iPhone を胸ポケットから尻ポケットへ移さねばなりません。現在は胸ポケットでほとんど自分にしか聴こえない音量で音楽を流しているのですが、尻ポケットになると音量を上げる必要があります。そうなると、いかにも音楽を流してますという感じで歩くようになるのが嫌でイヤフォンを使うことになります。尻ポケットから長めのケーブルを垂らしながらイヤフォンを付けるのはちょっとウザいので、コードレスのイヤフォンを買うことにしました。

◯ キングダム

キングダムという映画がかなりの数の観客を集めヒットを収めています。大ヒットの劇画を元にした実写版で舞台は紀元前200年頃の中国、秦の始皇帝の少年時代の活躍を描くもの。最近中国の時代劇にハマっており、そのひとつに「ミー・ユエ 王朝を照らす月」というものがあります。ミー・ユエは公女として生まれますが、過酷な運命のもと度重なる苦難の中を智慧と根性で生き抜き、秦の始皇帝の高祖母・宣太后となる物語。

その他この時代のものも幾つか見ているので、本当の中国時代劇とどう違うのか、また評判通りの出来なのかを確かめたくて、久しぶりに映画館に足を運びました。日本の作品で出演者も長澤まさみはじめ日本の俳優達ですが、本場中国での撮影場面も多々あって、壮大な宮殿のセットや現代の日本では到底集めるのは不可能と思われる膨大な数の人馬の軍団など、それなりに力作ではありました。

しかし、本場中国時代劇を見慣れた立場から見ると、やはり日本の映画だなという感想。それは仕方ないんでしょうけどね。映画を観てからちょっと日が経ってしまい細かいことは忘れてしまったのですが、相手とのやりとりなど微妙に違いますし、現代の日本映画やドラマにありがちな必要以上にテンパって大声ばかり出すというような。そして中国ドラマに比べやはり人間ドラマがシンプルでアッサリしている。まさに中華料理と和食の違い、、

◯ 中国時代劇を観ていて感ずること

ケーブルテレビの中国時代劇を見始めたのは1年前くらいからでしょうか。最初はちょっと違ったテーストを味わってみようという程度の興味だったのですが、見ていくうちにどっぷりハマってしまいました。そこで色々感じたことがあるので書いてみたいと思います。現在、中国時代劇の連続ものを4本平行して観ていますが、4本も同時進行だと筋がこんがらがってくる。

舞台は紀元前300年代、秦の始皇帝の曾祖母の時代から中国最後の清王朝までと幅広い。舞台の多くが紀元1000年より前のもの。紀元1000年でも日本では源氏物語の時代とあって、ほとんどの舞台がそれより前。その頃の日本といえば歴史もほとんど残っていない時代ですが、中国では既にずっと文化は進んでいます。そういう意味では、やはり中国は凄いなあと思いますが、一方で現代の中国政府のやっていることは秦の始皇帝の頃と何も変わっていないなあとも。文化大革命では焚書坑儒もやっていますし、役人の汚職の蔓延、ちょっとしたことでお上の意向にそぐわなければ首とか、一帯一路、その他いろいろ。

現代中国に抱く印象としてはそんな感じで、ルールなど無きが如くの面が多いように思っていましたが、中国時代劇を見ていると必ずと言ってよいほど「ルールに従ってまっとうな態度を貫く人物」が出てきます。ただそのような人はごく一握りで、その他大勢の役人や皇族などが汚職に手をそめたり 、陰謀渦巻き汚い手を使って他人を罠にはめたり。日本人から見ると結構いい加減に見える中国ですが、やはり現代中国においても人々は「まっとうで正義を貫く人物」に憧れているんですね。憧れてはいるが、自分がそうなるには危険や困難が多すぎるということなのかな、、

現代中国、Web での情報流通の一部を規制していますが、今度は天安門事件の記念日を前に Wikipedia へのアクセスもできなくしたそうです。対外的にはあくまで開けた文化的中国を演じていながら内部的にこのような統制を行っている中国、現在はトランプが仕掛けた関税問題や中国のIT企業ファーウェイ締め出しのニュースで持ち切りです。

◯ あの頃の自分

ZARD の曲「Forever you」の若い頃を振り返る歌詞を聴いていて思ったこと。あの頃の自分を振り返ってみました。青春初期の頃「自分はどんな方向に進みたいのか、進めば良いのかわからない」という言葉をよく聴きます。自分を振り返ってみると、自分の進みたい方向はいつもはっきり決まっていました。

小学生低学年の頃は「ロボットを作りたい」、手塚治虫の鉄腕アトムが出てきたのはそのちょっと後でした。父から「何か好きなものをずっと続けていけば必ず凄いものになる」と言われましたが、残念ながら「ロボットへの情熱が一番」の時代は長く続きませんでした。今になってみれば、本当にあれを続けていれば世界的にも名をなしていたかもと。

高校の頃は建築設計かデザインを仕事にしたいと強く思うようになりました。大学受験を控えた秋、父に「建築に進みたい」と申し出たのですが「まあ医者になって、建築は趣味でやれ」と言われました。内心「建築を趣味なんかでやれるわけない」と思いつつ、開業医の長男に生まれた身、反抗することなく素直に医科大学へ進んで医者になり大橋医院を継ぎました。医科大学に入ってもその情熱は消えることなく、しばらく趣味で住宅設計図を引いたりしていました。卒業してインターン時代には夜学でデザイン学校へ通学「こんな面白いことしていて良いんだろうか」と感じたくらいデザイン学校の授業はどれも楽しいものでした。デザインの授業での私の作品が、先生であった大智浩という有名なデザイナーの執筆したデザインの単行本に掲載されたこともありました。

そして現在、この年令になっても住宅設計の図面を引くのを楽しみにしています。「建築に進んでいれば、名をなしていたはずなのになあ」と本気で思っています。父の後を継いで医者になっても、日本産婦人科医会や東京都医師会その他それなりに仕事をしてきたつもりではありますが、やはり建築やデザイン関係で名をなしたかったなあと。嫌々継いだ生活の中の憂さ晴らしに始めたコンピュータでしたが、世に先駆け「電子カルテ」を開発し仕事に活用、医療におけるコンピュータの世界ではちょっと名を広めることはできたかなと。

自慢話になってしまいご免なさい、まあブログなんてものはそんなものと許してください。自分の子供達の進路は強制することなく、好きな道に進むに任せました。長男にも医者を勧めることはなかったのですが、受験間際になって「医学部受けようかな」と言うことで反対することもなく、5人の子供中1人だけ医者になりました。しかし私の頃のように義務感で父親の後を継ぐということはなく、地方へ行ってしまいました。

あの頃の自分に関しては、その他にも色々あります。また書いてみたいと思っています。

< 2019.04 元号「令和」に決まる | 2019.06 Seagaia meeting 2019>

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です