2014.12 さらさらと時は流れて

わーくすてーしょんのあるくらし ( 262)

2014-12 大橋 克洋

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◯ 今年も師走がやってきた

年齡とともに月日の移いは早くなります。盛夏と思っていたのに、さらさらと時は流れ今年も最終月となりました。年末の恒例、今年1年を振り返ってみましょう。あくまでも私的メモのようなものですが、、

1月のコラムを見ると、冬になってからの体重の増加について書かれています。夏に向け少しずつ体重は減少しましたが、一昨年ほど明らかな減少はありませんでした。そして秋に入ると少しずつ体重曲線は上向きとなっていますが、何とか大きな増加にならぬよう懸命に抑えています。長い時間の座業で身体を動かさないのに(動かさなかったから?)ギックリ腰になったこともありました。

2月になると、SONY が TV や PC から撤退。多くの人に愛された VAIO も別会社へと、どんどん面白くない会社へ凋落してゆくことを嘆いています。それに対し HONDA の F1 への復帰の期待も。これは来年以後になりますが、とても楽しみ。SOCHI 五輪もありましたね。

3月には、18年務めた東京産婦人科医会の役職を辞しました。これで、地元医師会や東京都医師会、日本産婦人科医会の仕事を含め30年にわたる公職から全て離れ、その虚脱状態による軽いウツはしばらく尾を引くことになります。一方でライフワークである電子カルテ開発の方は快調。Web アプリでドロー・ツールの実現を楽しみました。

4月、電子カルテ NOA のツール・エリアに iFrame を使う。1998年から愛用してきて、今は使わなくなったコンピュータや周辺機器を一括廃棄。沖縄へ家族旅行。

5月、平塚の海岸から自宅まで中原街道約50kmを2日間かけ徒歩で制覇。わが家にトイ・プードルの愛犬「まい」来たる。

6月、毎朝の早朝散歩、週に3回ほどは習慣となりました。歩度もかなり速くなる。電子カルテのリファクタリングに取り組む。購入する本の殆どが電子書籍となりました。

7月、電子カルテ NOA のサーバ不調で、サーバマシーン Mac mini をリプレース。

8月、きたる MacOS が iOS に近づくのに備え、書斎ではマウスに換えトラック・パッドを使用。Pinterest を知りハマる。今年の夏は例年になく凌ぎやすかった。

9月、iPhone 6 / iPhone 6 Plus 発売。iOS8 になりサード・パーティーの文字入力方法も使えるようになる。CATV 受信機をリプレースし HD に録画予約できるようになる。

10月、昨年で一旦幕を閉じた Seagaia meeting が心機一転 再開、発祥の地 宮崎で。馬術部合宿の想い出濃い秋田県角館を9年ぶりに訪問。新しい MacOS:YOSEMITE リリース。

11月、Google 翻訳の進歩に感激。

この中で今年の3大ニュースを挙げるなら、自分的には「医師会の仕事からのリタイア」「中原街道の踏破」「愛犬まい」ですかね。

◯ 原始林でのサバイバル

今年初め、日本の敗戦を信じずフィリピンのルパング島で29年間生き抜き闘いぬいた小野田寛郎元少尉が逝去されました。

先月書いた NAKED:裸の男女による21日間原始林の中でのサバイバル。最後までやり通した組、相互に険悪な雰囲気になってしまった組、途中でリタイアした組、色々ありました。ふと思ったのは「もし小野田さんが同じ環境でサバイバルしたらどうだっただろう」ということ。29年間もルパングの森の中に潜み生き抜いた小野田さん、身体は小さく細くてもサバイバルに関する豊富な経験と技術、精神力があるはず。かなり興味深いものになっただろうなと、、

◯ この頃 Tumblr がつまらなくなったのは

左側のメニューからリンクが張られている Tumblr:タンプラー という画像サイト。以前は良い画像が沢山あったのですが最近つまらなくなったなと思っていたら、昨年 Tumblr は Yahoo に売られたんですってね。な〜るほど、それで面白くなくなったのか、、

Tumblr もこれから商業主義へ舵を切ってゆく方針のようです。そこへ行くと同じ検索サイトから身を起こした Google は広告で大きな売上をあげながら、世の中の役に立つ良質なソフトウエアやサービスを無償で沢山提供するなど、社会に大きく貢献しています。私は Google の生き方が好きだな。

現在私が大いにハマっている Pinterest ですが、いずれ Tumblr のような運命が待っているのかも知れません。もしそのようになるなら Google に吸収されて欲しいな。YouTube は Google に吸収されて本当に良かったと思っています。

◯ 今月の歩術

今年の冬の入りはいつもより早いようで、12月に入ると日本海側は猛吹雪の報道。東京もかなり冷えてきました。早朝散歩に出る頻度が週3度ほどに落ちています。枕元の iPhone の目覚ましが鳴ったあと二度寝してしまい出発時刻を過ぎてしまうため。やはり布団を抜けにくいということもあるかな、、

冬至も過ぎたので、これからは少しずつ夜明けも早くなるはず。気温が5度を下回るまでは長袖の先を少し袖まくりしダウンのベスト姿でも大丈夫と思っていましたが、冷たい風が吹かなければ気温0度くらいまではこのままいけそうです。しかし5度がひとつの区切り。これを下回ると手の爪が冷たくなり、歩きながら何度も手を握りなおす必要があります。袖まくりのベスト姿でも、無風で天気の良い日の帰路には背中がやや汗ばんできます。

身体をすべて覆ってしまうと、体温を上げる必要がなくなるので体温がやや下がるはず。なるべく体温を高めに保とうと普段でも袖まくりしていますが、お産をやっていた頃のように肘までの袖まくりはチョットきつくなってきました。慣れも有るでしょうが、加齢のためでしょう。発がん性を下げるため、また身体の活動性を保つためにも、なるべく体温は高めに保ちたいものです。

産婦人科の医局では「産科医はいつも戦場の心構え。いつお産が始まっても良いよう常に腕まくりで臨戦態勢」と教わり、お産を取り扱わなくなっても続けています。お産では血液や羊水などを浴びるので袖まくりが必要ですが、緊急のお産には袖をまくっている時間も惜しいのです。航空自衛隊のスクランブル要員や消防隊員も同じでしょうね。

肝心の歩きの方に大きな変化はありませんが、寒さもあって散歩の最後まで歩度は速めをキープしています。

◯ 古き良きものが消えてゆく

昨日の休日は久し振りに品川宿の方へ足を向けました。先日 TV でやっていた品川宿の履物屋「まるや」と居酒屋「金時」を目視で確認のため。この下駄屋というか履物屋さんは旧東海道時代には旅人のための草鞋などを売っていたそうです。下駄は鼻緒と台を夫々に選びその場で鼻緒をすげてもらえる今どき珍しい店だそうです。最近は下駄などを売っている店もほとんど見かけなくなりました。居酒屋「金時」の店構えを確認後、いつも気になっていた和菓子屋さんに入ってみました。品川宿では和菓子屋さんを3軒ほど見かけましたが、朝の8時頃というのにいずれも開いています。

店に入ると小柄なお婆さんが出てきました。串団子とおはぎを注文し「私の住んでいる武蔵小山商店街には和菓子屋さんが一つもなくなってしまってねえ」と云うと、「そうなんですよ。私のところも元々土地を持っているからやってこられたようなもので、今どきはご夫婦で見えても和菓子一つしか買ってもらえなかったりで、まったくやっていけないんですよ。お客さんのように幾つも買ってもらえる人は少なくなって。もうじきこの店も畳まざるを得ません」とのことでした。

若い女の子はケーキには目を輝かせても、和菓子なんて見向きもしないんでしょうね。このようにして古くから細々と生き残ってきた日本らしい良きものが、どんどん絶滅してゆきます。一旦消滅すれば、まず復活は難しいでしょう。これで良いんでしょうか、、

◯ ドローンによる空撮元年

一方で新しく生まれてくるものもあります。2014年を振り返ると、発達普及をはじめたドローンによる空中撮影の写真をいろいろなところで見かけるようになった年と云えます。ドローンによる空撮写真を集めた dronestagram というサイトも現れました。Amazon が米国でドローンによる宅配をはじめる準備をしているというニュースもありました。一方で飛行場の近くで航空機とのニアミス問題その他で、ドローンを飛ばせることに規制もかかりそうな雰囲気ともなっています。

40年ほど前、神奈川県秦野の見晴らしのよい丘の上に別荘を持っていたことがありました。後ろに大山を見上げ、前には遠く江ノ島や東名高速を見下ろす場所、周りは畑などで高く遮るものがありません。ここでラジコン・ヘリを飛ばしたいなあと強く思ったものでした。ヘリに小型カメラをつけて空撮をしたいというのが動機でした。デジカメはまだ出現していませんでしたが、プラスチック製使い捨てカメラなどがありました。しかし当時のラジコン・ヘリ操縦は今のように容易ではなかったこともあり実現しませんでした。

今のドローンには iPhone で操縦でき、室内で飛ばせることもできる小型で手軽なものや、同様に iPhone で操縦でき床の上を自由に動き回るドローンなどもありますが、今となっては食指もあまり動きません。

◯ 今月の脳トレ

電子カルテ NOA の開発、ここのところユーザさんからのリクエストやバグ・レポートもなく静まり返っています。皆さんのところで NOA 安定稼働しているようですね。日常診療に使いながら、ちょっとでも面倒な作業を簡略化しようと心がけているのですが、こちらの方もほとんど制覇してアイデアも枯渇、そろそろ手持ち無沙汰感がありました、、そこで、ふとあるアイデアを思いつきました。

NOA の周辺ツールのひとつとして保険証のスキャン画像を取り込むツールがあるのですが、取り込んだ画像を見ながら別の入力画面へ保険データの入力をしていました。しかし画像取込ツールと保険情報入力画面が別々のパネルなので、ちょっと隔絶感があります。それなら、画像取込ツールから保険情報を直接入力できれば便利ではないかと、、

早速その実現に嬉々として取り組みました。ほとんどの作業が既にあるパーツの組み合わせで出来るので、さほど苦労することもなく達成。そのほか、ちょっとした不具合をついでにみつけ修正などで時を過ごしています。

◯ Pagani Automobili

ディスカバリー・チャンネルで、イタリアの Pagani Automobili という自動車メーカーを特集していました。アルゼンチン出身で、ランボルギーニに在籍したこともあるデザイナーのオラチオ・パガーニが創設。1999年のジュネーブ・モーターショウで ゾンダ C12を発表、卓越したカーボン成形技術をもって独特の流麗な車体と圧倒的な性能、そして非常に高価な価格で発表と同時に有名になったそうです。古い歴史を持つブガッティーと同じような方向性、物凄いお金持ちのためにオーダー・メイドに近い形で超高級車を作っているようです。現在は Zonda:ゾンダの後継車となる Huayra:ウエイラを開発中。

私が感激したのは、社長パガーニのこだわり。工場内は、お菓子工場やオートクチュールの工場でもこれほど綺麗ではないだろうと思われるスベスベした白一色の内装。チリひとつないであろう美しく広々とした工場で、車が手作業で作られています。パガーニは、ビス1本の材質からデザイン、車の動力性能・安全性、すべてにおいて最高のもの・美しいものをめざし、納期などは眼中にないようです。

革の内装を請け負う会社、突然パガーニが訪ねてきて「ハンドバッグに使う柔らかいレザーでシートを作って欲しい」とのこと。「そのような革でシートの耐久性を持たせることは不可能」と答えたところが、どうしても作って欲しいとの強い情熱に負け苦労して試行錯誤の結果、要請に値するものを納品できるようになったとか。プロの人間でも不可能と思われることを無理やりやらせ実現してしまうところなど、Apple のスティーブ・ジョブスによく似ていますが、納得のゆくものが出来上がるまでは出荷しないという姿勢その他、ジョブスにさらに輪をかけたような完全主義者、こだわりの人物のようです。

最高時速370km、高速での浮上がり防止のウイングは美しくないということで、前後に飛行機のフラップのようなものをつけ自動的に浮き上がりを防いだり空力学的ブレーキになるものを発明、さらには濡れた路面で急ハンドルを切っても自動的に体勢を整える機能などこだわりの装備。日本にも代理店があるようですが、恐らくその価格はとてもじゃないが手の出ないものであろうことは想像にかたくありません。しかし、このようなコンセプトを含め、見ているだけでとても楽しいです。電子カルテ NOA にも、ちょっぴりでもよいから、このこだわりを反映させたいなあと、、

◯ 今年の年賀状はなんとか期日に間に合った

年賀状は毎年の干支にちなんだ版画にしていますが、いつもなかなか図柄のアイデアが浮かばずギリギリの大晦日にポストへ投函なんてことも珍しくありません。来年の干支は羊とあって、秋ごろから Pinterest で羊の写真を集めてきました。郵便局のPRでは、年賀状は25日までに投函してほしいとのこと。その3日前に何とかアイデアが浮かび版画の作成にかかりました。そして何とか25日にポストへ投函。

年賀状の版画を彫り始めたのは、小学5年生の図工の時間。中学1年の時も図工で年賀状の木版制作がありました。そんなことで版画にハマり毎年の年賀状を版画で制作するようになりました。高校から大学に掛けての頃は最も脂の乗った時期で、精巧な木版や今見ても惚れ惚れするような図柄を制作できたのですが、開業後10年ほどして前の家内を脳腫瘍で失うなど家の中で色々と大変なことがあり、ずっと中断していました。毎年必ず版画の年賀状を出していたのに、年賀状を頂いても返すこともなく、かなりヒンシュクをかったのではないかと思います。

それから大分経って東京都医師会の理事になると、色々偉い方々から年賀状を頂くようになり、これは返さない訳にはいかないだろうと再開したのですが、30年近いブランクは大きく昔のように素晴らしい版画はなかなか彫れません。今年もシンプルな絵柄にしましたが、その版画の下手くそなこと。やはり「使わないと錆びる」。しょっちゅうデッサンなどをやっていた20歳頃の技は今では見る影もありません。ヒジョ〜に情けなし、、

< 2014.11 母国語と外国語 | 2015.01 芸術の命には限りがない >

目黒川の中目黒付近:夜になるとブルーのLEDで盛大に飾られる

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です