わーくすてーしょんのあるくらし ( 336)

大橋 克洋

2021.02 不苦者有智

2月10日 林試の森で早くも河津桜が咲いていました

◯ 不苦者有智 ふくはうち

通常、節分は2月3日ですが、2021年にあっては2月2日が節分にあたるそうです。これは124年ぶりのこと。地球が太陽を1周すると1年ですが、1周にかかる時間は厳密には365日と約6時間。わずかなズレを調整するため、うるう年があります。しかし、節分のもととなる立春の位置を通過する時間をみると、僅かにゆらぎがあり立春の日付が前後する。このため、今年は節分が2月2日になるのだそうです。

ところで「不苦者有智」は節分にちなむ「ふくはうち」と読めますが、「ちあれば くるしからず」が本当の意味するところ。これは禅の言葉で「どんな逆境にあっても、智慧があればそれを乗り切ることができる。だからこそ順境にあっても智慧を磨いておくことが大切である」ということを示しています。

コロナの時代にあって、心に留め置くべき言葉ですね。

◯ またもやマスコミによる撹乱

東京五輪まであと5ヶ月、コロナ禍の中で開催に精一杯努力しているところへ、組織委員会の森喜朗会長の失言。連日のように報道され責められ、やむなく辞任。私も森さんに関して余り好印象を持っていませんでしたが、こう連日、執拗に叩くのを見ていると本当に可哀相。弱くなった立場のものを寄ってたかって責める。これは完全な「いじめ」でしかない。

次期会長を誰にするかで、マスコミの煽る世論に抗しがたく選考委員会まで設置。選考委員の人選をめぐって、またマスコミはあーでもない、こーでもない。バッカじゃないの?

当初、選考委員の名前は伏せられていました。これについて早速「透明性がない」との大合唱。伏せた理由は「選考委員にマスコミが殺到し、選考が妨げられるため」とのこと。パパラッチに殺されたようなダイアナ妃までいかなくとも、本当に何とかならんのか。

コロナ禍の五輪の開催については議論のあるところですが、担当者としては開催の方向で力を尽くすという姿勢、私は評価します、例え結果として開催できなかったとしても。この大変な時、一刻の時間も失いたくない局面で、マスコミは森会長の発言の一部を切り取って執拗に責め、その文言のみが独り歩きして世界の顰蹙まで買う始末。時間の浪費。

森会長の発言の全文を読めば、その意図するところはマスコミの責める内容とは必ずしも一致しないことが判るのですが、「発言の一部だけ切り取り、あらかじめ設定したシナリオにあてはめ、執拗に責める」これはマスコミや野党の常套手段。世界を巻き込む大騒ぎにして要職から引きずり降ろし、東京五輪の足を引っ張って停滞させる。彼らがいかに低レベルかということですが、日本の世の中には「ちゃんと自分の頭で考えようとする人」は多くないので、これが燎原の火のように燃え広がる。本当に困ったものです。

1週間ほどすったもんだの末、新会長にスピードスケートで冬季五輪4回・自転車で夏季五輪3回出場の記録を持ち、参議院当選5回の橋本聖子氏に決定。就任早々の挨拶や対応も堂々・毅然としていて、とても好ましいものに感じました。しかし就任早々、マスコミはソチ五輪閉会式後パーティーで酔って高橋大輔選手に無理やりキスを強要したとして、セクハラだとかパワハラだとか早速叩きはじめた。五輪終了し開放感あふれる酒席のパーティーでのその行動、私などむしろ天然な無邪気さを感じる。学生時代の打ち上げの雰囲気を思い出させ楽しさだけ感じられるが、緩さのなくなった現代社会、おかしくない?

どうして世の中の人は「自分より下の人を引っ張り上げてあげようとせず、上にいる人を引きずり降ろそうとする」のでしょうか。もっとレベルを上げて欲しい。世界に冠たる「民度の高い日本」であって欲しい。

◯ 白血病から復活しつつある池江璃花子

白血病の闘病を終え、昨年8月競技に復活した池江璃花子、病気になる前の素晴らしい身体に比べ余りにもやせ細ってしまった姿には痛々しさを感じたものでした。その身体も次第に復活しつつあり、今月行われた「東京都オープン」は学生中心の大会でしたが、自分で作った50メートルバタフライの日本記録に迫る25秒77という記録。病気になる前の向かうところ敵なしを思わせる ぶっちぎりの優勝にはちょっとウルウルしてしまいました。

昨年末に比べるとだいぶ肉のついてきた上体ですが、往年の姿に戻るにはまだまだ時間がかかりそう。それにしても、この身体に戻すには図り知れぬ忍耐と努力があったはず。この調子なら今年の東京五輪出場へと欲がでそうですが、本人はあくまでもその次の五輪をめざすそうです。冷静沈着なその心、大したものですね。運動能力だけでなく、人間としても尊敬すべきものを感じました。

◯ 青春の頃の生きる拠りどころ

青春の頃の生きるよりどころなく、悩む若者の歌を聴いていて思ったこと。自分の青春を振り返ってみると、拠りどころとなる人物が自分にはありました。

ひとりは私の父。父は私とは違い親分肌、体型からしてそうでしたが、いろいろなところで頼りにされ「長」とつく役割を引き受けました。慶応産婦人科の医局長、町会長、PTA会長、最後は医師会長。地元荏原医師会館建設とともに、看護学校設立・臨床検査センター設立・医師協同組合設立、当時の医師会三本の柱と称する事業を残しました。

人付き合い良く話好き、親戚の集まりではよく面白い話をしていましたし、夕飯の食卓でも自分の子供の頃の話や戦地での話など(私にはこれができなかったのが、もっとも残念で悔やまれるところ)。開業間もなく30歳を過ぎ太平洋戦争の召集に応召、軍医の見習士官として中国戦線に赴き、終戦後は香港で捕虜生活を送った後、無事復員してきました。一方で性格は温和で母を可愛がり、夫婦喧嘩は一度も見たことがありません。私も弟も父から軽い注意はあったかも知れませんが、怒られたことはありません。

普段は温和でも戦地で生死の境を経験してきただけあって、とても腹の座った人でした。母を含め家族4人でよくドライブに出かけました。私達兄弟がまだ小学生だった頃、真っ暗な山道で車が故障してしまったことがあります。人や車もほとんど通らない暗い山道とあって、とても不安でしたが、父は微塵もそんな風には見えず泰然としていました。この時「父は偉いなあ、自分もこんな父親になれるだろうか」と思ったものです。お陰で私も内心はともかく、見かけだけはそのように振る舞える父親となりました。

もうひとりはゼロ戦の撃墜王「坂井三郎」。私が中学・高校の頃、戦後十年代は戦記物の本が溢れており、よく読みふけりました。高校の頃、通学途中にあった品川駅京浜デパートの本屋で手にとったのが「坂井三郎空戦録」。戦闘機乗りは負けず嫌いで喧嘩っ早い性格ということですが、坂井氏の自伝を読むと、敵機に勝ち生き残るための日夜たゆまぬ鍛錬や努力・知力の向上、愛する部下を大事にする思いなどなど、人間的にとても尊敬できる人柄であることがひしひしと伝わりました。大学受験では「坂井三郎空戦録」を上着内ポケットにバイブルとして忍ばせたものです。

父や坂井氏に共通するのは、いざとなった時は「鬼神もこれを避ける気迫」を持ちながら、普段は「人間愛に満ちた穏やかさ」を併せ持つところ。武術の達人もそうですが、本当に強い人というのは、そうなのだと思います。

◯ 寒空に風呂の使えない生活

ある日、突然風呂が点火しなくなりました。もうじき築40年のこのマンション、一度風呂釜を交換したと思いますが、一ヶ月ほど前にも点火しなくなり壁面のコントローラを交換。「この機種はもう大分古いので、今度故障すると新しい風呂釜に交換しないと無理かも」と言われたのですが、その時が予想より早くきてしまいました。

業者さんに見に来てもらい風呂釜交換が必要とのことですが、工事まで十日ほど待たねばならないとのこと。家内と仕事から疲れて帰った娘は、寒い夜間に銭湯まで行くのは無理とのことで、愛犬用に買ってあった簡易シャワーでしのいでいたようですが、私は家内に背中を押され昼間のうち銭湯へ。

周囲の銭湯は次々と消滅していますが、家から500メートルほどの距離にある清水湯という温泉が有名。番台で「銭湯は20年以上ぶりぐらい、すっかり忘れてしまっている」ことを伝えると、番台のお姉さん笑ってました。洗い場は8割ほどの入りで混んでいる。

銭湯には当然シャンプーや石鹸が常備されていると思っていたらどこにもない。タオルしか持参しなかったので、仕方なくそれでさっと身体を洗い入浴。黒い湯は沸かし湯だろうが温泉だけあって肌がつるつる気持ち良い。ジェットバスの前にいたガタイの良いおっさんがどいた途端、どっと横からジェットの流れ「すげぇ〜」危うく押し流されそうになり、思わず隣の人に「凄い勢いですねえ」。着替えて帰ろうと下足箱から靴を取り出すと、後ろでチャリンという音「この百円、お客さんのじゃありません?」。靴を入れる時挿入した百円は、鍵を開けると返ってくるのか。「そうすると脱衣所の脱衣箱も同じ仕掛け?」と尋ねると同じだそう「お客さん、取らなかったんですか?」。気付かず取らなかったけど脱衣所に戻るのも面倒「誰かに寄付するよ」と言って玄関をでました。

慣れない銭湯、翌日はもっと大失敗。湯から上がり間違って隣の脱衣箱を開けてしまいました。当然異なる箱の鍵はあかないはずと思うのですが、何の抵抗もなく開いてしまったのです。見たことのないジーパンがあるのを見て間違いに気づきました。刺した鍵を抜くには、もう一度箱を閉め百円入れねばなりません。で、百円入れると鍵は抜けるのですが百円は脱衣箱に食われたまま、自分の脱衣箱に鍵を刺しても入れる百円がないため鍵を開けられないという無限地獄。はて、どうしたもんだろう。脱衣所を出て行く人がいれば、番台に伝えてもらおうと思うのですが、待ってもなかなか出て行く人がいません。タオル一枚もったまま裸で立ち尽くすうち、壁のインタホンに気が付きました。それでやっと衣類を取り出すことができ、やれやれ。とんだお粗末でした。

清水湯は人気で遠方から来る人もいるようで朝イチでも満員に近い。それで二箇所ほど他の銭湯に行き、比較的空いていて気持ちのよい銭湯を見つけました。この寒い季節にあっても、湯上がりの身体はポカポカほてって帰宅すると湯疲れでヘロヘロ。

◯ 今月の歩術

2月初めの早朝散歩、朝6時前はまだ暗かったのに月末になると明るくなりはじめました。まだ北風の吹く寒い朝もありますが、気温は同じでも何か以前より和らいだような感じが、、やはり春が近づいてきたんだなと。防寒性の高いダウンジャケットを着ていたのですが、下旬ともなればそれでは暑くなりフリースジャケットに換えました。

今月は28日までしかないので月間歩行距離200キロはちょっと難しいかなと思っていたのですが、1日平均8キロ以上歩けていて余裕で200キロ達成できそうです。従来は1日5キロだったり頑張っても7キロくらいだったのですが、距離を延ばすのを習慣にすると7キロではもの足らず8キロから10キロと歩いてしまいます。

とは言え、75歳以前のようにガンガンに歩けているわけではなく、歩きだして2キロもすると足に力が入らず目もかすみ浮遊状態。年齢のせい・マスクによる呼吸の妨げなどから脳血流が悪くなるためだろうと思っています。年齢による眼瞼下垂がこれに輪をかけます。このような状態でありながら、毎日の習慣は恐ろしいもので、3,4キロを過ぎるとあとは惰性で8キロ以上歩けてしまっています。

◯ 今月のコロナ

1月7日から1都3県や中部・阪神・九州などの一部地区限定で発出された緊急事態宣言が1ヶ月延長になりましたが、感染者数の減少により政府はまだ鎮静状況に気の許せない1都3県を除いた地区の緊急事態宣言を前倒し今月一杯で解除の方針のようです。これに対し、中川日医会長や政府の感染対策委員からは危惧の意見が強く出されていますが、政府は耳を傾けず押し切るようです。東京も1日の感染者数300人台にはなってきたものの、医療機関の逼迫度はまだ収まらず、それより危惧されるのは感染者数の減少速度が遅くなりつつあり、いわゆる「下げ止まり」「人心の緩み」が感じられること。

日本政府の終始煮えきらぬ姿勢や経済回復ばかりを焦っての中途半端な決定は、結局「またリバウンドを起こし、中途半端な対応」という悪循環を招くことが予想されます。最近、世界ではより感染力の強い変異株で従来の株が席巻されつつあり、この状況が遅かれ早かれ日本でも起こることはほぼ間違いないと思われます。このような状況や過去の状況を分析すれば、多少の出血覚悟で断固とした処置を素早く行わなければ、結果として大量出血の悲惨な状況を招くことは間違いありません。

ポーカーなどでもそうですが、あらかじめ引き際を心に決めた上で大胆な手を打つべきでしょう。太平洋戦争当初、そのようなことを頭に置いていた山本元帥が志なかばで戦死、日本は引きどころを失ってしまいました。地球上が大火事になっている中で、幸いにもまだ大火事の手前にある日本、勇気ある決断をする指導者はいないものか。

今月寒い日が多かったせいか、林試の森の河津桜 下旬になってもまだ咲いています

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です