2007.02 PHP と Javascript

わーくすてーしょんのあるくらし ( 168 ) 

2007-2 大橋克洋

< 2007.01 健全な精神と身体の維持 | 2007.03 気を練る >

○ 歩術あらたな発見

先月は(自称)歩術で、あらたに会得したことが2つあります。

一つは 「額あるいは胸を横から軽く手先で抑止されているかのように感じつつ、 それを軽く押しのけるよう想像しながら前進」するのです。 これにより以前から目指しつつ実現できなかった 「滑るように歩く」を実現できそうです。 おそらく中国武術で言われる「身体がひとつになって動く」ようになるため と思います。歩行速度もさらに少し上がってきたのと、 (まだ完全ではありませんが)滑るように歩けるようになったため、 どうしても抑制できなかった「前足がドスンと着いてしまう」ことも かなり解消されてきました。

二つめは 「電車の中で何もつかまらずに立つ」ですが、 1年以上やっていても突然の大きな揺れに、 どうしても一歩踏み出してしまうことがあります。 そこで「頭と足の裏との間に柔軟なスプリングが介在し、 いつも頭という重量物を支えている」と想像するのです。 これにより、不意の揺れにもかなり対応できることを見つけました。 今までは横揺れに対し横方向の動きで対応しようとしていたのですが、 スプリングによる上下方向の動きで対応した方が ずっと強いことを発見したのです (このためには全身の脱力と柔軟性が必要になりますので、 今まで何度も触れてきた站椿の訓練が必要です)。

横方向への対応を考えず上下動を意識することだけで、 自然に身体が微妙なバランスをとってくれるようです。 脳からの指令より敏速な「身体に分散した神経系」が対応してくれるからでしょう。 中国武術で言われる「天地人とはこれか」と思い当たりました。 天と地を支える(支えられる?)形で人が存在するということです。

三つめとまでは言えませんが、 電車の中で立つ時、足裏全体に重量を載せていましたが、 最近は土踏まずより前に主重量をかけるようにしています。 その方が足裏の感覚が鋭敏になり、敏速に対応できるような気がします。 ふくらはぎが かなり張りますが、これも鍛錬のひとつです。

このように「頭の中である状況を想像する」ことを、 中国武術では「意念」と言います。 「意念」は簡単には弟子に伝授しない「秘中の秘」 だったりするそうです。「さもありなん」と思います。 西洋スポーツでも取り入れられてきたイメージ・トレーニングですが、 あちらはどちらかというと「自分が勝ったことを想像する」ような、 ちょっと別次元のイメージが多いように理解していますが 違うでしょうか。

 

○ 「滑るように歩く」をめざして

このコラム昨年1月を読み返してみました。 「上手なフィギィア選手は滑る音からして違う。 ガシガシでなく、きわめてスムースな音」 「歩きにも言えるはず。 地球の重力と喧嘩せず流れるように歩くのが エネルギー効率も良い。ちょっとやってみた。 最初はよいが、次第に重力と喧嘩がでてきてしまう。 まだ身体が安定せず微妙なブレがあるため」とありました。

こうして1年前を振り返ってみると 「おー、今ではそれがほぼできているじゃないか」。 後足の沈み込みと、身体前面への抵抗感を意念することにより 実現できてきたようです。 毎日の「站椿」による足腰強化の成果は大きいと思います。 これにより腰が安定し 後足の沈み込みにも、前後左右のブレがほとんどなくなりました。 中国武術の動きを見ていると、 さほど平らとも思えない地面で、 本当に氷の上を滑るような動きがみられます。 来年にはあの域までたどりつきたいと思っています。

この「抵抗感を感ずる」という意念の効果をもうひとつ体験しました。 都医への通勤で地下鉄神保町から地上まであがる階段ですが、 通勤4年目になっても最後の数段がとてもきつかったのです。 「膝への大きな重力と粘り気に抵抗しつつ、 深海の底から上へ向かってあがってゆく」と意念しつつ階段を上ってみると 意外や意外、いつものキツさがほとんどありません。

山の上ホテル近くの急坂は川の浅瀬を歩くように脛前面への抵抗を感じつつ、 最後の都医会館6Fまでの階段は深海の意念でやってみると、 全行程を通していつもの辛さがずっと少なくなりました。 水飴のように粘った液体の中を歩くよう意念するので 歩きは少々ゆっくりになりますが 「ほー、同じ身体を使っても、意念の有無でこんなに違うものか」と、 また新たな発見です。人生は面白いですねえ、、

○ 私も脱帽

世の中かならず上には上がいるものです。 多少の寒さに強くなった私ですが、とても歯が立たない人がいます。 それは東京都医師会で同僚の A 理事です。 雪の降る中 写真のように何と半袖一枚です。 以前、スキー場をこの姿で滑って降りてきたところ、 つかつかと歩み寄ってきた人から 「私は医者だけどねー、君のその格好は絶対 身体に悪いよ」と言われたそうです。 「私も一応医者です」と言ったとか、言わなかったとか。

昭和30年代でしたか「わらう宗教」というのがありました。 スキンヘッドの布袋様のような身体で 真冬でもパンツ一枚に肩から笑う宗教のタスキをかけ、 「身体全部が顔と思えば寒さも平気」「笑うことで幸せになる。ワッハッハ、、」 と言いながら行脚していました。 私も JR 山手線で出会ったことがあります。

A 理事も丸顔にいつも笑顔を絶やさないところなど、 笑う宗教の教祖様と共通するところがあるかも知れません。 私など、その足下にもおよびません。 雪のちらつく中、この姿でバスを降りる彼の後を歩きながら、 「この雪じゃ濡れてしまう、、」と さすがに私もちょっと心配しました。

○ PHP と Javascript にちょっとはまる

先月は正月休みに久々のプログラミングを堪能した話を書きました。 それは尾を引き、先月はその後もプログラミング三昧となりました。 学習のため PHP と MySQL を使ってみているうち、 とうとうスケジュール管理の Web アプリを実用段階まで仕上げてしまいました。 今まで使ってきた WebObjects のものより、少し便利な機能を追加しました。

なるほど PHP というのは、なかなか簡便で使いやすいですね。 しかし実用的アプリを作ろうとすると、色々と難問は生じてきます。 PHP はサーバアプリですから、あくまでもサーバ側で処理をし、 その結果は画面再表示によって得ることができます。 このため、画面の色々な部分を操作してゆく場合、 再表示により予期せぬ部分が初期化されてしまうことがあるのです。

たとえば、あるリストから選択した項目を FORM 項目へ入力したいとします。 リスト中の項目にアンカーを埋め込み、それをクリックすると項目が FORM のどこかのフィールドへ入力されるようにします。 そのクリックで再表示が起動されますので submit ボタンを経由しません。 そうすると折角 FORM の中でチェックしていたラジオボタンやチェックボックス の状態が初期化されてしまうのです。

これで悩んだ末、 Javascript を学習することになりました。 こちらはクライアント側の処理になるため、 先ほどのリストから選択した項目をどこかのフィールドへ転記する操作など朝飯前です。必要な部分のみの書き換えで、画面全体の再表示は発生しません。 便利なことに、PHP と Javascript は混在できます。

ただ困ったことに、PHP の中に Javascript を書いても機能するのですが、 Javascript の中に PHP を書いても機能しないようです。 現在、ここでハタと困っています。まだ学習しはじめて1月足らずですので、 何か裏技があるに違いないと思い試行錯誤しているのですが、、

○ 中国武術によりプログラム能力も活性化

このように PHP や Javascript を勉強・実習はじめたのは、 Ajax を使ってみたいという気持ちもあってです。 1年ほど前 Ajax の本を買ってきて読んだのですが、 まだ体系だったものではなく色々なアーキテクチュアの寄せ集めであるため、 「今のパワーダウンした頭では無理かな」 と手着かずでいました。 ところが、正月プログラミングが発火点となって、 昔のようにガンガンにプログラミングできるようになってきたのです。

これも、まさに中国武術で「気」を練ることにより、 脳循環の大巾な改善と脳細胞の活性化によるものと思っています。 東京都医師会の理事を仰せつかり、 激務と脅かされて体重を絞ることにし 「筋トレ・ダイエット」を続けたところ、 肝機能障害がなおって以前のように酒もがんがん飲めるようになり、 高脂血症が解消されて思考能力が回復したのと同じようなことですね。

国は医療費削減のためメタボリックシンドローム撲滅ということで、 「特定健康診査・特定保健指導」という制度を 保険者へ義務付けようとしています。 健康診査の結果を元に保健指導を行うということですが、 これには非常なマンパワーを必要とします。 その挙げ句、実効はほとんど期待できないと思っています。 マンパワーが必要ということは、 現在以上に費用がかかることは間違いありません。 要するに「国の財布さえ傷まなければよい」という考えですね。 こうして国民に押し付け浮かせたお金はどこへ行くのでしょうか。 まさか、海外派兵や格好つけだけの海外援助じゃないでしょうね。 一部の企業へ大きなボーナスとして転がり込むことだけは確実でしょう。 個人情報保護法のように、、

このような意味からも、 私の提唱する「日本はスポーツ立国をめざせ」は、 国のために正しい方向と確信を強めています。

○ やはり WebObjects は凄い

WebObjects は PHP などよりはるか以前 NeXT 社が開発したもので、 最初からオブジェクト指向や DB との接合、GUI の作成など、 非常に高度で巧妙な仕組みをもった Web アプリケーション開発環境です。 この類いでは最も古い歴史をもつ優れものなのですが、 最近どうも Apple 社の WebObjects への情熱が下がってきたように 感じていました。 聞いた噂では WO の開発者が Apple 社を辞めてしまったようです。 私が PHP や Javascript に手を染めるようになったのは、 そんな事情もあってのことです。

しかし今回 PHP や Javascript を使ってみて、 やはり WO はダントツに凄いなと感じました。 前述の悩みも WO では何ということもなく解決できますし、 現状では他の追従をゆるさない部分が GUI の作成です。 NEXTSTEP の InterfaceBuilder の血を引いた開発環境があるので、 センスの良い複雑な操作を必要とする GUI をどんどん作ることができます。 根性入れれば PHP で同じものを作ることもできるでしょうが、 ソースがかなり複雑になり後のメンテナンスを考えると、 両者の優位差は圧倒的です。

Webアプリ作成ツールとして世の中に最初に登場し、 その後も進化を遂げてきたツールにもかかわらず、 NeXT がマイナーだったため、 余り世に知られず消えてゆきそうなのはとても残念です。 HyperCard の消滅に次ぐ無念さです。 両方とも いかにも Apple らしい洗練された素晴らしいソフトウエアなのにね、、 このような天才的な作品は 原作者がいなくなると消滅していかざるを得ないということなのでしょうか。 それとは逆に、大勢で寄ってたかって作られた作品は生き残るが、 時間が経つとともに「ぐちゃぐちゃ度」はさらに高まるのも、 この世界にありがちなことです。

○ MacBook バッテリーが死んだ

ある朝 MacBook を使おうとすると、 バッテリー容量がゼロになっています。 そう言えば、昨日 議事録をとっているうちバッテリーが減って 最後にゼロになったことを思い出しました。 そこで、電源アダプターを接続して半日ほど置きました。 当然充電されているはずと、 ノートを開いてみると「あれ?」バッテリーがまったく充電されていません。

再度、電源アダプターを接続してみると、 アダプターの LED が未充電のオレンジ色になるはずなのに 充電済みのグリーン。こいつ平然と嘘をついています。 バッテリーをはずしてみたり、reboot してみたりしても症状は変わらず。 Apple の Webサイトで、そのようなトラブルを検索してみました。 「バッテリーを認識しない」というトラブルが、まさにこの症状に一致します。 対策としては、 今までやってみたことの他に「PMUをリセット」というのがありました。 これもやってもみましたが駄目です。

仕方なく on line の AppleStore で新しいバッテリーを注文しました。 しかし そもそも「バッテリーを認識しない」という本体側の問題だとすると、 バッテリーを新しくしても解消されない可能性が考えられます。 明後日は講演を頼まれています。まあ、電源アダプター接続しっぱなし なら使用可能なのですが、アダプターがちょっとでもはずれれば、 「シューン、、」とコンピュータは落ちてしまいます。困りました。

注文して24時間後、バッテリーが届きました。 恐る恐る新しいバッテリーに交換し、電源アダプターを繋いでみます。 「おっ、アダプターの LED にオレンジが灯った、、」、 もしかすると希望がもてるかも知れません。 結論として、これで OK でした。結局バッテリーの問題だったのです。 購入して1年足らず、このようなバッテリートラブルは初体験のものでした。 まあ、発火するトラブルよりずっとマシですが、、

単純なバッテリーなら、このように完全に認識されなくなることは ないはずと思うのですが、 何か判断機構が入っているんですかね。 なまじ、お利口だと、こういうトラブルが起こるという、、 機械でさえこうですから 人間様の体調不良では、 もっと難解なことがいくらでもあります。

○ 町屋ミーティング

医療情報交換規約 MML (Medical Markup Language) の新しい展開へ向け、 京都の町屋での集中ミーティングに参加してきました。 夏は暑く冬は寒い京都ですが、 今年は異常気候により余り寒くありませんでした。 皆でわいわいのミーティングも楽しみなことですが、 建築好きの私としては町屋もおおいに楽しみなことでした。 初めての町屋の印象は ほぼ予想通りのものでしたが、 「旗竿地」の奥にある狭い空間を、坪庭などの仕組みを使い 狭苦しさを感じさせない、さりげない空間利用、、まさに私好みのものでした。

吉原先生撮影の写真を使わせていただきました

ミーティングは写真のように、2階の座敷に並べた机を囲んで行われました。 それぞれに有能でユニークな方ばかりの参加とあって、 午後から夕方まで活発な意見が交わされました。 京大医療情報学部が借りている場所だけに、 無線LANが設置されインターネット・リーチャブルな快適空間でした。 CyberLab 合宿以来の楽しいミーティングでしたが、 もう2日ほどの日程で実作業まで踏み込めると、さらに面白かったんですがね。 Cyber合宿の時もそうでしたが、 このように有能で柔軟な発想の人達の中に居るだけで「気」をもらい、 グンと開発能力が高まるものです。 東京都医師会 HOTプロジェクトの次年度事業へ向けても、 有用な収穫を得ることができました。

ここでまとまった意見を元に、MML は次のステップへ向かうことになります。 かなり前向きで意欲的なものですので、 モノを実現するまでにはかなりのエネルギーと熱意が必要と思われます。 頑張りましょう、、

町屋の前で記念撮影後「がんこ寿司」の懇親会へと移動しました。

○ 日本医師会「医療情報システム協議会」

今年度の日医協は日本医師会館で、東京都医師会担当で開催されました。 17(土)が「日本における理想の EHR: Electronic Health Record はどうあるべきか」、18(日)午前は「日レセ(ORCA)をめぐって」、 「医師会事務局の情報化は進んでいるか」、 午後から「事例報告」と全部で4つのセッションです。

このようにシンプルな構成にしたのは 「なるべくフロアから意見を述べる時間が欲しい」との強い要望に応え、 フリーディスカッションの時間をたっぷり取るためです。 企画者としては 内容がダレることなく盛会で、 まあ成功の部類ではなかったかとホッとしています。 EHR に関して具体的イメージを理解したのは、 私も昨年のことです。 全国の多くの先生方が「EHRとはどんなものか」 「先進諸国で国家プロジェクトとしてこのようなものが強力に進めらていること」 をご存知ないと考え、それを理解してもらうことを主眼としましたが、 そのような意味では成功ではなかったかと思います。

日医標準レセプトソフト(いわゆるORCA)も、 最近急速に導入率が上向きになりつつあり、 本年1月には昨年1月の2倍にせまる導入数となってきました。 そのようなこともあり、ORCA セッションもかなり盛り上がりました。 同時に、政府の進める「レセプト電送」や 「特定健康診査・特定保健指導」について、 医療のさらなる地盤沈下への危機感も大きかったようです。

座長席から撮影した会場風景。参加者は全国から400名以上

事務局セッションは ORCA セッションと同時進行だったので、 私は聞けなかったのですが、こちらもかなりの盛り上がりだったそうです。

最後の「事例報告」は、ほとんどが「地域医療連携システム」 についての発表でした。 宮崎・熊本地区の dolphin system に代表される 「共有サーバを中心に、医療記録の共有」というような考えで、 今では皆が同じような方向性で 進めているんだなということがわかりました。 私としては MedXML や 日本医療ネットワーク協会の仲間達と、 さらにその先「異なるシステム同士の相互乗入れ」や、 そのために必要な data mapping、super directory、 あるいは SaaS: Software as a Service などについて取り組むべきとの意を強くしました。

○ いま、そこににある危機

テレビの特報番組で、 「深夜の長距離バス」の危険性を取り上げていました。 バス会社運営の規制緩和により、長距離バスの運行が過当競争になって 極端に安い運賃で運行せざるを得なくなり、労働条件の過酷さにより 事故発生率が優位差で高くなっているそうです。

父母と長男・次男・三男が運転手をつとめる会社。 21才長男の運転する夜行バスが 長野県のスキー場から大阪まで12時間かけてスキー客を運び、 午前6時頃大阪で高速道路を降り 終着点まであと10kmというところで中央分離帯に激突。 添乗の三男が死亡、乗客も死傷という悲惨な事故を取り上げていました。 低運賃で顧客を獲得せざるを得ず、 睡眠不足で とんぼ返りの運行を繰り返していたそうです。

「あれ? そんなのどこかにあったような、、」 そう、それはまさに産科医療の姿でもあります。 私自身は そのような中で、もう大分前に毎晩お産で起こされる生活から 撤退せざるを得なくなりましたが、 私が医局にいた頃から夜中の間 難産とつきあった当直明け、 看護師さん達は明るく「お疲れさまー」と帰宅できますが、 ドクターは寝ぼけた頭で引き続き 朝の外来診療に入るのが普通でした。

それがわれわれ医師の自尊心でもありましたが(武士は食わねど高楊枝)、 現在は産科医の減少により ますます過密ダイヤとなり、 産科医は深夜長距離バスを上回る責任とストレスの中で現在も闘っています。 看護師さんは同情されても、 医師の労働条件に同情されることは余りありません。

なぜ医療は、そのような構造になっているのか? それは世界に比べても、GNP で比べても、極めて低い医療費のせいなのです。 それでも医師の賃金が一般給与所得者より多少良かったりするのは、 労働基準監督局が見たら目玉が飛び出すような 過密労働によるものです。

医師の労働の対価を企業なみに払ったら、 数ヶ月もせず医療機関は倒産してしまいます。 大家にとって「こんな安い家賃ではやっていけない」と 思うような家賃でも、店子にとっては「こんな高い家賃ではかなわない」 というようなものですね。 それでも 産科医の激減傾向により、最近多少は社会の目が向いてくれるようになったようです。

万にひとつ結果が悪ければ「医師に過失があったに違いない」と訴えられ、 マスコミによる寄ってたかって袋だたきのイジメ、 さらには警察が踏み込んでくる事態に陥っています。 産科医にとって、中世の暗黒時代「魔女裁判」を彷彿とさせるものです。 産科医が激減するのは自明の理です。 これは医療全体にも及びつつあります。 医療の崩壊はマスコミと行政が火付け役となり、社会により進められつつあるのです。 ツケを払うのも また社会ではあります、、覆水盆に戻らず、、

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雪にまかれた餌に集まったハト

日本画の題材としても面白そうですね