2020.01 未来は現在の積み重ね

わーくすてーしょんのあるくらし ( 323)

2020-1 大橋 克洋

正月2日未明の氏神様「三谷八幡」

カメラの自動補正で空が明るく見えますが、実際はもっと暗かったです。

元旦は大勢の参拝で長時間並ばなければならなかったそうですが

流石にこの時間、人は誰もいませんでした。

<2019.12 武蔵小山ザ・モール オープン | 2020.02 徒然なるままに>

◯ 未来は現在の積み重ねから

これは考えてみれば当たり前のことですが、将来われわれがどういう状況にあるかは現在の行動の積み重ねの結果として現れるものです。

地球上の広大な面積の植物すなわちジャングルが切り開かれ、経済発展のため広大な畑になったり、放置されて地面の保水力が失われ2度と元に戻らない砂漠化したり。地球上に増えすぎた人類のため地球がどんどん食い荒らされ荒廃してゆく。人類は地球にとってがん細胞のようなものといえます。人類の多くが早くこれに気づいて対策を考えるべきなのですが、果たしてできるのでしょうか。その頃、私はこの世からフェードアウトしているはずですが、とても心配です(ジャングルの砂漠化といえば、昨年末からオーストラリアではこれまでにない酷暑もあり山火事で国土の広範囲が燃え続けており、推定12億5000万匹とも言われる野生動物が犠牲になっているそうです。人為的なものとは言えないのかも知れませんが、これだけ広い範囲焼け野原になると、その後の砂漠化は否めないかも知れません)。

未開のジャングルや人里離れた山奥に暮らす人々は、ジャングルや山野から動植物を獲って暮らしてきました。彼らはそれらを乱獲して根絶やしにするようなことは決してしません。食べ物に感謝しながら、必ず次の種が残るよう必要な分だけの狩猟・漁獲・農業を行ってきました。それは彼らの生活の知恵。ところが機械文明に暮らす人類は、自然への畏敬の念などまったく感ずることなく、欲望のおもむくまま後先を考えることなく自然を荒らしつくしています。「そのためにバチが当たる」などという考えはもうありません。

地球規模からずっと範囲を狭くし、自分のことについても同じ。将来自分がどうありたいか目標を定め、こつこつと現在を生きてゆく。これが大事だなあと新年に当たり思うこと。

◯ 今月の歩術

先月初め発症した痛風は自分史上もっとも長期間続き、散歩に出られるようになるまで3週間かかりました。年が明けても右足の腫れはまだ少し残っています。それでもようやく普通に靴を履いて歩けるようになったので、少しずつ散歩の距離を元に戻しています。

最初の4,5日は1日半キロほどしか歩けなかったのですが、その後毎日1キロずつ距離を伸ばし年明けには1日9キロを達成しました。しかし以前のような速度で歩くと無理がくるので、無理をせずゆっくり歩くようにしています。約1ヶ月も歩かないと身体の筋肉は完全に衰えてしまっており、これを戻してゆくのが大変そう。ちょっと休むと衰えが早いのも年齢が大きく影響しているのだと思います。

・・・

そして月半ば頃から1日平均7キロ程度歩けるようになってきました。昨年前半は月200キロ歩いていたのに、後半から歩行距離が月100から150キロ程度に落ちていました。しかし今月「この調子なら200キロは堅いな」と思っていたのですが、予想外に雨が多く早朝散歩できる日が減って200キロ達成は微妙になってきました。

◯ 楽しみだなあ2度目の東京五輪

今年の夏には待ちに待った東京オリンピックが開催されます。今から約10年前に当時の石原都知事が唐突に東京オリンピックの開催を提案、その実現を精力的に推し進めました。オリンピック大好きの私もそれを聞いた時「え、今の都の財政でそんな巨大プロジェクトは無理なんじゃ?」と思ったのですが、しばらくして「草食化した現代の若者に活気を与え、社会を活性化するには、頑張って東京で再びオリンピックを開くのも悪くないかも知れない」と思い直したものです。その経緯は2009年5月のこのコラムに書きました。

私にとって初回の東京オリンピックには特別の思い入れがあります。当時私は学生で、慈恵医大馬術部の部員たちと、深夜からこの上なく寒い思いをして国立競技場前に並び夜が明けるとともにオリンピックの入場券を購入、OB に高く買ってもらって部費稼ぎ。それで鞍や頭絡など高価な馬具を購入しました。いつも寄付をもらいにいくと文句たらたらのOBも、入手しにくいオリンピックの券とあって高くても快く買ってくれたものです。

当時、大障害馬術は閉会式直前のメインスタジアムで開催されるのが恒例で、大障害の券で閉会式を生で体験できたのは素晴らしい想い出。軽井沢で開催された総合馬術競技に部員たちと自家用車に分乗して赴き、泊りがけで観戦したのも楽しい感激的な想い出でした。

そしてまさか東京五輪を生涯で2度も見られる幸運。感激せずにいられましょうか。今年の五輪は、もう無理して現場へ行くようなことはせず TV で観戦の予定です。その頃までに TV 番組を予約録画することは不要となり、Web などで好きな番組をいつでも見返せるようになっているだろうと数年前に予想しましたが、実現はちょっと微妙なところですね。TV は必ずそのような方向に変化するはずと確信しているのですが、東京五輪までに実現するでしょうか。ぜひ実現して欲しい!!

◯ WRC モンテカルロ

楽しみな WRC:世界ラリー選手権、12月はオフなので2ヶ月ぶり開催で新シーズン開始。初戦はモンテカルロから始まります。トヨタのヴィッツが欧州名に合わせヤリスに改名、大幅に刷新され昨年暮れ発表されました。これに伴い発表された GRヤリスは WRC 参戦ベース・カーとしてホモロゲーションをとるべく、内容も WRC の実績を大幅に取り込んだ戦闘的なものとなっています。ホモロゲーションをとるには、連続した12ヶ月に2500台以上、車種全体で2万5000台以上生産される必要があります。

ホモロゲーションと言えば、昔、初代プリンス スカイラインGTに乗っていたことがあります。日本グランプリ出場をめざしホモロゲーションをとるべく100台のみ作られたもの、当時としてはとてつもないパワー・駆動系・レース用サスペンションなどを備えたものでした。現在の日産GTR の祖先です。このパワフルで精悍な車はとても気に入った車でした。

今回の GRヤリスは、軽くパワフルかつ扱いやすい走りを備え、新年度とともに WRC に投入されるかと期待したのですが、発売は今年夏以降になるようで、その後ホモロゲーションをとるため WRC 登場は来年からでしょうか。早く WRC でその勇姿を見たいなあ、、

本題のモンテカルロ。今年からトヨタ GAZOO RACING のメンバーは、タナック、ラトバラ、ミークから替わって、セバスチャン・オジェ、エルフィン・エバンス、カッレ・ロバンペラ。ロバンペラは WRC2 からWRCへのアップ。どれをとっても速い期待のメンバー。

DAY2 まではオジェとエバンスが抜きつ抜かれつのワンツーで攻め「うまくすればトヨタのワンツーで初戦を飾れるか」と思ったのですが最終日にどんでん返し。三番目につけていたヒュンダイのティエリー・ヌービルが僅差でオジェを上回り優勝。オジェ2位、エバンス3位となりました。WRC 初出場の19才ロバンペラもノー・ミスの走りで5位、6位ヒュンダイのセバスチャン・ローブを上回りました。そして勝田貴元がヤリスで7位。かつてトヨタに在籍していたエサペッカ・ラッピが Mスポーツ・フォードに乗り4位に入っています。

残念ながら優勝はヌービルにさらわれましたが、トヨタのオジェ、エバンス初めてのヤリスだというのに速かったですねえ。ロバンペラ、勝田も大いに楽しみ。私としては優勝はオイット・タナックかと思っていたのですが、タナックは2日目に高速で路肩を踏み外し盛大にもんどり打ってクラッシュ、幸い怪我はありませんでしたが車は大破してリタイア。昨年末にもヌービルが似たような盛大なクラッシュをしましたが、これも怪我なく済みました。最近の WRC カーの乗員防御力は凄いですね。タナックがリタイアにならなければ、ヌービル・タナック・オジェ・エバンスが入り乱れての凄い戦いになったはず。

◯ リニューアルされた慈恵医大外来棟

10年前、内耳炎症や脳梗塞まがいの症状で母校の慈恵医大へ2度入院して以来、年に数回慈恵医大でフォローを受けています。慈恵医大は数年ごとに建物の更新を行っており、私が在学あるいは勤務していた頃とはかなり様変わりしました。

学生の頃、よく使った大講堂や階段教室などのあった古い由緒ある本館が、ついに一旦壊され新しい近代的建物になって年明けとともに運用開始。道路をはさんで向かい側の旧外来棟から、暮れ正月の休みを利用した一斉引越しはさぞ大変だったろうと思います。

外来棟1階ロビーは空港ロビーなみの巨大空間となっていました。運用まもなくとあって要所要所に大勢のスタッフがついて案内をしています。再来受付機にカードを差し込もうとすると、うまく差し込めません。早速、案内嬢が飛んできて教えてくれました。今度はカードを差し込むのではなく決められた場所に平らに載せると磁気カードからID を読み取ってくれる仕組み。一見カード差込口にも見える箇所があるしカードを載せるのも判りにくい、「ユーザインタフェース的にちょっとな」と思えるところです。案内嬢は受付機から吐き出されたシートを渡してくれるとともに「4階受付へいらしてください」。へえー、今まで外来は1階と2階しかなかったのに今度は4階までもあるのかあ、、

エスカレータで4階へ。受付へシートを提出し神経内科ブース前の廊下で待つ。ここは消化器内科その他の診療科が混在。神経内科は脳神経内科と名称が変わり、その向かい側のブースは脳神経外科。私の甥が脳神経外科で勤務しているので、もしかすると顔を見られるかなと思ったのですが、今度は余裕のスペースを利用し来院者の動線と医療スタッフの動線が分かれているようで、以前のように来院者の待合スペースを医療スタッフが往き来する姿は余り見られなくなりました。私が昔設計に関わった慈恵の出張病院もこのような作りにしましたが、従来の外来棟は私の入学前後に造られたもので、まだそのような設計にはなっていませんでした。スペース的にもそのような余裕は難しかったかと思われます。

各ブース前には、診療科名・医師名・呼出予定の受診者番号などが電子表示されていますが、遠くから見ると文字が小さく見え難くどのブース前で待てばよいのか判りにくい。診療科ごとに色分けすると良いかなと思いました(後で見ると多少色分けになっていたのかも)。待つことしばし、ようやく順番が回ってきてブースに入り、主治医の先生に「今度は随分広くなりましたねえ」と言うと「私も今日が初めてなんですよ」とのこと。

やあー、母校の附属病院が他に誇れる近代的施設になったのには、ちょっぴり誇りたい気持ちと、それなりに運用上の苦労もあるのだろうなと、、

◯ 武漢に発した新型コロナウイルス肺炎

昨年12月に中国武漢の海鮮市場から発生した新型コロナウイルス肺炎が着々と感染者を増やし勢力を拡大、1月末には世界中に感染を広げました(武漢には生物兵器研究所が2つもあり、そこから漏洩したウイルスではないかとの指摘もあるそうです。どうなんでしょう)。中国政府は2003年の SARS での隠蔽政策の失敗に学んではいるようですが、それでも初期には隠蔽も行われ対応が後手後手となり、感染を世界に広げることとなりました。

折悪しく時期が中国の春節と重なり大量の中国人が世界へ旅行にでる季節。中国人の希望する旅行先トップは日本だそうです。中国政府は今月27日から海外旅行禁止のお触れを出しましたが、時既に遅くその数日前には日本へ大量の春節旅行者がやってきてしまっています。そして案の定、武漢から来た100名以上のバスツアー客から新型肺炎が発症。何とその後もそのバスツアーは続いているとか、どうなってるの? と思っていたら、そのバスの運転手が感染。こりゃあ対応まずいよね。

今月28日の時点で中国での新型肺炎感染者は4000名を超え、死者は100名を超えました。感染者・死者ともに時々刻々と増えていく様子は、遠からずパンデミックに迫る勢い。7月の東京五輪が本気で心配になってきました。それまでに収束するのか。予想したように死者の多くは70才以上の高齢者、肺炎は高齢者には命取りですからねえ。

私も子供の頃はしょっちゅう風邪をひいていましたが、医師になってから風邪は数年に一度くらいしか引きません。大橋医院をやっていた頃、職員にはインフルエンザ・ワクチンを接種しても自分は接種しませんでしたが一度もかかったことはありませんでした。しかし診療をやめて今年は3年目に入り患者さんと接することもなくなり、年齢的なものもあって免疫も確実に落ちているはずですから油断は大敵。これからは電車で外出するにはマスクするかな。まだ日本でみつかった感染者は5人ほど、ほとんど中国旅行者のようですが。

中国時代劇の似たような場面を思い出しました。(現代でいう)テロを目指す人間達がある都市の要所要所の井戸に病原菌をばらまきます。都市に住む住人たちが凄い勢いでバタバタと感染に倒れていく。都市の城門は閉ざされており、逃げられぬ住民たちは悲惨な状況というブラックな内容。まさに現在の武漢の状況を予言したものとなってしまいました。

実際に中国では歴代王朝の幾つかが、大規模感染の発生により倒れているそうです。中国では疫病の大規模流行を「大疫」と呼んでいましたが、古くは「周王朝」から大疫の記述があり、それが王朝の滅亡につながったと考えられるそうです。「明王朝」の末期にもペストや天然痘が大流行し1000万人の死者を出して各地で反乱が起こり、その混乱に乗じて満州民族の「清」が侵入し征服しました。ちなみに欧州で猛威を振るい大幅な人口減を招いた黒死病:ペストも、中国からシルクロードを経て伝わったものだそうです。

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30日になって、マスクを持っていない叔母に送ろうと、地元武蔵小山商店街に幾つもある大規模ドラッグストアに行ってみました。驚いたことに5つの店を回り、どの店もマスクや手指消毒用アルコールが綺麗に売り切れ。「中国人の買い占めがここまで来たの?」と尋ねてみると「色々です」とのこと。昨日はセブン・イレブンに何種類もあったよなとセブンに行ってみました。マスクの棚だけがこれも綺麗に空きになっています。一昨日あたりからテレビやネットでの熱烈な報道を見れば誰でもマスクを書いに走るよなあと。昔々のオイル・ショックに伴ったトイレットペーパー売り切れ騒ぎを思い出しました。皆ひとしきり買い占めに走って落着けば、来週あたりからは店頭に並ぶようになるかも、、

<2019.12 武蔵小山ザ・モール オープン | 2020.02 徒然なるままに>

武蔵小山駅前のタワーマンション建設

完成済み41Fタワマンの手前に2棟目を建設中

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です