わーくすてーしょんのあるくらし ( 343 )

大橋 克洋

katsuhiro.ohashi@gmail.com

2021.09 時代はモノからコトへ

百日紅:サルスベリの花が綺麗でした

時代は物欲から体験へ

以下はある記事からの要約です。確かに、これは言えることですねえ。もともと私はモノにこだわることは余りありませんでしたが、機能・使い心地などには、かなりこだわる方でした。最近は、そのこだわりも若い頃ほどではなくなったように思います。

物質的欲求の時代は、モノが必要だった。30万円の性能のテレビ、300万円の性能の車。モノという画一的な基準にもとづいて、それを欲求していた。

 そして情報。新聞やテレビしか情報がなく、それが世の中のすべてだと思い込むことができた時代は終わり、インターネットにより誰もが自分が求める情報を手にすることが容易になった。誰かにとっては30万円のテレビは欲しいものでも、誰かにとっては5万円の中古テレビでいいし、そもそもテレビはいらない人もいる。テレビがなくても生活に困らないからだ。

 モノと情報が行き渡った今、モノをどうコトにするかに対して人は興味を抱くようになった。他人の基準ではなく、自分の基準で望んだ体験にお金を払う。

 分かりやすい例がAirbnb。ラグジュアリーホテルに泊まり高級料理を食べるため奮発するのではなく、オーナーや地域との交流が可能で、自分ならではの楽しみ方ができる。そしてレアな体験にお金を使う。極端な例だが、河川のゴミ拾いツアーにお金を出して参加する人も存在する時代だ。

 つまり、ビジネスにおける提供価値は、恐ろしいまでに多様化した。1万円の使い方は人それぞれになった。まったく同じことに、1万円を出す人もいれば、100万円出す人もいる。お金をもらってもお断り、そんな人も現れる。モノの時代には考えられなかった思考や行動となった。

モノよりコトを語って欲しいなあ

今月、Apple から恒例の新製品発表会があり、iPhone 13、iPad、 Apple watch などが発表されました。今年もコロナ対策として発表は Web で行われたのですが、それを見ていて思ったこと、、

現在の CEO:ティム・クックのプレゼンを見ていて、Apple の創業者 スティーブ・ジョブズのプレゼンと何か違うな〜というか物足らなく感じたのは何なんだろうと考え、その違いに思い当たりました。

ジョブズのプレゼンは、他のメーカーがよくやっていた機器の性能など技術的内容に踏み込むことはあまりせず、それより「この製品を使うと、こんな素晴らしいことができるんだぜ〜」「今度はこんな素晴らしいことを実現したんだ」という「体験」を語り、聴衆を夢見心地にさせてくれました。つまり「コト」を語ったのです。

しかし、現在のティム・クックのプレゼンでは「コト」の比重はやや減り、CPU の速さなど「モノ」を語る比重がやや増えています。これは、やはり Apple がジョブズの「創造性」や「先を見る力」を失ってしまったため、語るべき「コト」が余りないということなのかなあ、、

やはり Apple には「コト」を語って夢を見させて欲しいなあ、、それを裏打ちする高い技術はプレゼンではあえて余り語らず、Web site などで解りやすく説明するようにして。

パスタとマシュマロで塔をつくる

以下も記記事からの要約。私の昔からのやり方「走りながら考える」に通ずるもの。

 パスタとマシュマロを使って、制限時間内に高い塔をつくる実験だ。チャレンジしたチームは、建築士チーム、一流大学出身チームなどのほかに、子供チームがある。結果は、さすがに建築士チームが一番だったが、着目点はそこではない。一流大学チームより子供チームが勝ったことだ。

 子どもたちは、知識も経験もない。だからとにかく「やってみる」。やってみて塔が崩れたら、違うやり方にしてみる。それをひたすら繰り返す。結果として、建築士軍団に次ぐ、高い塔をつくった。

 一方で一流大学の学生はどうか。まず計画を立てた。どのようにすれば高い塔がつくれるか、それを考えることに時間を費やした。あれこれ議論をし、手を動かさない。残り時間が少なくなって手を動かし始めるが、最後に塔は崩壊してタイムオーバー。行動するというチャレンジの回数は、子どもチームと比較して、圧倒的に差があった。知識も経験もなく行動しかできない子供たちに惨敗したのだ。

 計画が一切不要とは言わない。むしろ必要なことだ。しかし、考え過ぎたり、準備し過ぎたり、リスクヘッジし過ぎたりすることは、チャレンジする機会を減らすだけ。完璧を求めることは、惨敗へのカウントダウン。「少し計画し、すぐに実行。失敗したら、違う方法で実行」。それが成功への近道となったのだ。

 価値が多様化し、テクノロジーが進化し続ける現代。今日の正解が明日の不正解かもしれない、成功失敗を思考し準備することがそもそも失敗になる。実行し続けることこそが、成功の近道。「実行スピード」と「実行回数」を上げる実行力こそが事業推進と事業の成長になる唯一の手法といって過言ではない。

引用元となった記事には、他にも興味深く示唆に富む内容がありました。

今月の歩術

8月末まで連日30度を越える暑さが続いたのに、9月に入るとぴったり1日から気温は30度を越えなくなりました。今年の9月は例年より涼しく、私の記録によれば例年の5月や10月に相当する気温、このまま続きそうです。午前4時過ぎには明るくなっていたのに、5時をまわるまでは真っ暗な空、5時頃になると明るくなってきます。これからもっと遅くなるのでしょう。寝室の扇風機もカバーをかけ、来年までお役御免。

10日頃の早朝散歩、植え込みから秋の虫のすだく声とともに、去りゆく夏を惜しむかのように「惜しいツクツク、、」と蝉の声。考えてみれば蝉の一生は7月頃に始まり9月頃まで僅か3ヶ月足らずの短いもの。その生涯十分に楽しめたでしょうか、無事伴侶を得て彼らの子孫を地中に遺せたでしょうか、、

8月の長雨でなまった歩力も少しずつ回復。まだ4,5キロに届かないこともありますが、久しぶりに10キロ行ける日もありました。しかし大腿部の疲労感のような感覚、実際には疲労ではなく筋力低下だと思うのですが、これが一向にとれません。70代前半までの「地平線の先までも、どこまでも歩けるぞ〜」「軽快なスポーツカーのような」感覚には戻れそうもありません。もっと持続的トレーニングを工夫すればいけるのかなあ〜

筋力といえば、この春頃から動きによっては左肘に痛みを感ずるようになり、懸垂運動ができていません。先月中頃から左股関節にギクッというような痛みが走るようになり「左肘のように長引くようだと、こりゃまずいぞ」と思っていたのですが、幸いこちらは3週間ほどで軽快しつつあります。股関節の痛みは椅子から立ち上がったり、左足を軸に急に動こうとしたりする時に発生しますが、それで一度慣らしてしまえば問題なくなるので、幸い早朝散歩には支障でていません。

コラムを読み返してみると、5年前に平塚まで中原街道50キロ制覇の後も同様の股関節痛があり4ヶ月も消えなかったとの記録がありました。今回もそんなに長いと嫌だなあ、股関節症なんかじゃないだろうなあとか、、

懸垂といえば、先日インスタグラムで池江璃花子さんが腰から10キロの重りを下げ懸垂運動をしている動画が投稿されていました。これに対し霊長類最強女子とうたわれたレスリングの吉田沙保里さんが「凄〜い、私には絶対できない」とコメントをつけ、皆から「嘘でしょ〜」と言われていました。璃花子さん、早くあの元のたくましい上半身に戻りたいんでしょうね、われわれも見たいです。

おっと、年寄の連想どこまでも続きそうなので、ここらでストップ。

9.11

9月11日は、あのNYの世界貿易センタービルやペンタゴンがテロ攻撃にあってから丁度20年目。早いですね、ついこの間のことのように思っていました。9.11に関する特集番組が幾つも放映されました。

どの番組を観ても、NYの惨劇により怯え慌てふためく米国市民の姿が映し出されていました。しかし、太平洋戦争当時、日本の主要都市の一般市民を狙った米軍の無差別絨毯爆撃。その炎の中を逃げ惑う女子供の恐怖を彼らは知らないはず。規模から言っても残虐性から言っても、まったくあんなものではありませんでした。そして、それを忘れてしまう日本人の人の良さ。これはもしかすると、誇るべきところなのかも知れませんが。

あの時、ブッシュ大統領がこれに報復すると言ってアフガニスタン戦争が始まった訳ですが、当時私が思ったことは「これらのテロは、そもそも中東の貧しい生活環境から来ているのだから、攻撃するのではなく、彼らの貧困を無くす方向で援助するべきではないか」「北風と太陽の話」と強く思ったものです。奇しくもブッシュ父大統領の始めた中東戦争が、その原因を作ったのは因縁というものでしょうか、、

アフガニスタンでの20年にわたる戦争を経て、米国民の感想は「テロの脅威は減少したとは思えない。むしろ脅威は当時より増えたかも知れない」。テロに殺害された日本の中村医師の「アフガニスタンの人達を救うには、医療の提供や貧困の元をなくすこと」との考えによる活動こそ、米国がその能力と財力をもって行うべきことだったと思っています。そして、それは今からでも遅くない。

現在のアフガニスタンを見て歯に衣着せず思うところを言わせてもらえば、タリバンを含めどう見ても民度が高いとは思えない。彼らの貧困が改善され、教育を得られるようになれば、状況は確実に改善されるはず。

理想に近づいた携帯端末

今から20年ほど前、SONY の PDA :Personal Digital Assistant である CLIE を使い込むうち「これに電話機能さえ付いたらなあ」「SONY は携帯電話も出しているのになぜ実現させない?」との願いを、繰り返しこのコラムにも書いてきました。

それから数年後、Apple の Steve Jobs が iPhone を世に出し、まさに私の待ち望む「電話機能つき CLIE 」が、さらに理想的な形で実現されました。

CLIE よりさらに20年ほど前から、コンピュータやそのプログラミングにどっぷりハマり「将来コンピュータは胸ポケットに入るくらいの携帯端末で利用できるようになるはず」と確信してきました。現在の iPhone は既にその領域に入ったと言ってよいでしょう。さらに欲をいえばきりがありませんが、まさに私の叫んできた理想は叶えられたのです。

当初考えていたネットワーク上のサーバ・マシーンに情報を溜め込む方式は、クラウドというもっと柔軟な手法で叶えられ、高度な処理は端末ではなくネットワークの彼方のサーバ側で処理され、その結果は、あたかも手元の端末で処理したかのように速攻で手に入れることができるようになりました。端末側にも幾つかのセンサーや高性能カメラ、マイク、さらにはモバイル・スイカなどの情報機器が組み込まれ、20年前には夢物語だった高性能携帯端末が実現されています。

これから先、どんな進化をしてゆくのでしょうか。ある段階を越えると、「ターミネータ」その他 SF が描くような、怖いことにもなりそうですが、幸いなことにその頃私はもう居ません。人類がもっと賢く先を考えられるようなっていて「ターミネータの世界」が来ませんように、、

インターネットのあけぼの

今から40年近く前、大学や企業の研究機関でインターネットの元となるネットワークの研究・実験が始まっていました。当時、東工大におられた村井純先生がチーフとなり、JUNET という実験ネットワーク立ち上ました。これは色々な大学や企業の研究室のコンピュータを電話回線とモデムで繋ぎ、unix の uucp という機能を使い、タイマーでモデムを起動してメールなど電子データをバケツリレー式に転送するもの(このあたりの経緯は、このコラム1987年頃に詳しく書いてあります。米国ベル研究所で作られたOSである unix は、現在のLinuxの元となり、Apple のiOSの基盤となっています)。

JUNET は大学や企業の高価な資源を使っているため、われわれ個人が利用することはできませんし、メール運用に必要な sendmail という機能も unix のライセンスが必要でした。そこで、パーソナル・コンピュータ仲間が自分のコンピュータで sendmail と同様な機能をもつ postman というソフトを作り、自分たちのコンピュータを繋ぐ juice という組織を立ち上げました。

そして、村井先生に JUNET に接続したいと申し出ると、あっさり「いいよ」という返答で、めでたく juice は JUNET に接続されました。私のコンピュータに初めて米国からメールが届いた時の感激は忘れられません。

当時は電気通信法という法律の縛りがあり、一般電話回線を使ってこのような情報交換をすることは、いわばアンダーグラウンドの世界でした。しかし村井先生のグループの功績で、数年後に電気通信法は改正され、やがて一般社会の誰でもインターネットを利用できるようになったのです。

juice でメールが使えるようになってから、メールが一般社会で使われるようになるまでには10年近いアドバンテージがありました。しかし、われわれがバケツリレー式からさらに進化した専用回線による本格的インターネットを実現してから、インターネットが一般社会に普及するまでには、たった1年しかかからなかったのには驚きました。これは、電気通信法改正とホームページと呼ばれた Web の出現によるものと思います。

○ メールや Web が爆発的に広がったわけ

現在、メールや Web は一般社会にとって無くてはならないものとなっています。これらが登場すると、一般社会に爆発的普及をみました。その理由は何だったのでしょう。最大の理由は「シンプルさ」と思います。

1)極めてシンプルな仕組み

メールも Web も、基本的に「たった一行の文字列を送るだけで相手に届く」という極めてシンプルな仕組みであること。

2)使い方がとてもシンプル

一般利用者にとっては、こちらの理由が大きい。

3)「ありとあらゆることができる」ようになった

メールも Web も、封筒部分はたった一行の文字列だけのシンプルな仕組みですが、進化を続けた結果、そこに格納する内容は動画などかなり大容量だったり、かなり複雑なものを届けることができるようになった。例えば、電子カルテはかなり複雑極まりないアプリですが、私の開発する電子カルテも進化の結果 Web 上で快適に動いています。

メールも Web も、基本はこのように極めてシンプルなお約束のもと、自由にデータ交換できる仕組みです。これは何を示すかというと「規約は世の中を縛るためにあるのではなく、世の中の自由を確保するためにある」のです。

つまり、あらゆるメールや Web で使うよう規定された約束を皆が守ることにより、そこでやりとりされたデータに関しては、内部的にいかように料理することも自由なのです。

ともすると、頭の固い人達が「規約は社会を縛るためにある」という考えに陥りがちなのは、注意を要すべきところです。

ふたたび FAX について考える

今まで「日本から FAX を無くしてくれえ〜」と何度も叫んできました。FAX を無くすことに熱心だった河野大臣、自民党総裁選で岸田候補に敗けたので、その動きはどうなるのか、とても気になります。

どうして日本では今だに FAX を無くせないのかについての記事がありました。前述した「日本のインターネット普及の父」と言われる村井純先生へのインタビューによると、「日本から FAX を無くすには、まずお役所から FAX をなくさなければいけないが、ここがネックとなっている」「それは日本人の優しさが障害になっているから」つまり「すべてをメールなどにしてしまった場合、メールを扱えない人を置き去りにしてしまう。つまりデジタル・デバイド。そのような人達のために FAX を残す必要があるという論理からきている」。

ここを「エイヤッと FAX 無し」に切り替えなければならないが、村井先生の提案では「メールを扱えない人達のために、大学生などによる『お助け隊を用意すればよい」そのようなスタッフがメールやパソコンを扱えない人のところに出向いて使い方などを丁寧に教えて周るという提案。ただ FAX 廃止だけでなく、併せてこのようなきめ細かいサポートを用意するところが日本的な優しさですね。私もこれはグッド・アイデアと思います。もちろん実行に移すと、色々クリアしなければならない問題も発生するとは思いますが、やはり日本はもっと効率化しなければならない。

今回のコロナ対応でも「医療機関からの報告が保健所へ FAX で送付する仕組み、それがドンと東京都に送られたので、それを入力処理するため担当部署はパンクしてしまった」とか「米国が失業給付金に600ドルを追加支給すると発表、翌日には補助金が銀行口座に振り込まれた。社会保障番号と前年の納税記録と銀行口座が紐付けされているため。日本でもマイナンバーと銀行口座が紐ついていればそれができる」。

日本も早急に FAX から mail や web へ移行をすべき、それでどれだけの無駄な経費や時間を排除できることか。

やはりブラウザーは Chrome かなあ

今までずっと Web ブラウザーとして Mac でも google Chrome を使ってきました。しかし Chrome は、やたらメモリー喰いだし、Mac では Safari を使うべきという意見を読んで、Safari を使うようにしてみました。しかし、幾つか問題発生。

最初の問題は、NHK オンデマンドを観ようとしたところ動画がエラーになってしまい、何度やっても同じで観ることができない。そこで Chrome でやってみると、何の問題もなく動画を表示できる。この問題については、恐らく解決方法があると思うのですが、もっと致命的と思われる問題が発生。

それは、この OceanWebSpace の編集。一応、今までの Chrome と同じように編集できると思っていたのですが、あれ? 何か変、、 打ち込んだ文字が変なところにくっついてきてしまうとか、どうやっても解決できない怪現象が発生。Google 提供のこの Web ページの編集に関し、google は色々巧妙な仕掛けをしているのだと思うのですが、そこに Safari は対応できていないのだと思います。

さらにもう一つ。Google drive で spread sheet 使用上の小さな問題。いつも使っている表を Safari で編集しようとすると「あれ?文字を入力できない」。幾らキーを叩いても数値がマス目に入りません。試行錯誤をかさねた結果、マス目を選択後カーソルをそこに固定すると、初めてマス目に文字カーソルが現れることに気が付きました。Chrome ではマス目を選択しただけで入力可になるのですが、Safari では明示的にカーソルをそこで固定してやらねばならない。Tab キーでマス目を移動しながら入力する時など効率が落ちる。こんなものかと思えば、まあ何とか我慢できる範囲ではありますが、、やはり google 提供のサービスは Chrome を使うべきということか。

これらの問題いずれ解消されることを願っていますが、それまでは少なくとも最初の2つを扱うには Safari でなく Chrome を使うようせざるを得ないかと、、頑張って Safari に義理立てるつもりだったのですが、やはりまどろっこしくて Chrome に戻ってしまいました。

女性プログラマーが少ないわけ

これは私も昔から不思議に思い、首をひねっていたこと。これについて興味深い意見を読みました。Perl を開発したラリー・ウォールの提唱する「プログラマの三大美徳」それは「怠慢・短気・傲慢」だそうです。うーん、美徳とは言い難いですがね。つまり「プログラマに向いている人は、面倒くさがりで短気で傲慢だ」ということ。以下は、その要約。

ここで言う怠け者は、何の気力もなく生活保護を受けて朝から酒を飲む類のダメ人間を指しているのではない。「面倒くさがりで単純作業が死ぬほど嫌だから、そんなことはコンピュータにやらせてしまえ」という怠慢を愛し、「コンピュータの処理が遅いのは、とても耐えられない」短気で、「お前ら、ここまで丁寧に書いてやらなければわからんだろ」とマニュアルやドキュメントを書く傲慢な態度。

この3つを備えたプログラマがいれば、今まで手作業でやっていた地獄のような単純作業から開放され、ソフトがアップデートされ、ドキュメントが整備される。

これはまさに私がドップリ、プログラミングにハマってきた理由です。「目先のことを何とかもっと簡単・迅速に処理したい」という思いで、実際には「寝食を忘れ、徹夜までしてプログラムを書く」ことを特に若い頃はやっていました。電子カルテでは、他人様に快適に使ってもらいたい一心で、マニュアルやドキュメントを書きました(傲慢な心はなかったと自分では思ってますが)。楽をするためだけには、滅法悪知恵が働くのです。

このように「楽をしたいから」という理由なのに「額に青筋たて寝食を忘れ徹夜までして打ち込む」ことには何の面倒も感じないのが、この類の人種の一見矛盾するところ。人間、自分の思いを達成するためなら面倒も面倒とは感じないもの。

で、最後に本題の「なぜ女性プログラマーは少ないのか」。つまり、女性は怠慢だったり短気だったりすることが比較的少ない。会社で「こういう作業毎日やってね」と面白くもない単純作業を指示した場合、綺麗に遂行してくれるのは女性に多い。大学でも成績優秀者には女性が多い。私は成績もほどほど、しかしプログラミングなら誰にも負けない。

余談ですが、由緒正しいプログラマーの面白い習性のひとつが「新しい環境に入ったら、まずやるのは自分の環境作り」。例えると、新しい作業場に入ったら、本来の仕事はさておき、まず自分の座席を居心地良く整えたり、道具を自分好みに使いやすく整えたりすることに精を出す。時間をかけ心ゆくまで自分好みの環境が整ったところで、初めて本来の仕事にとりかかる。このようなこだわりや脱線は女性に余りない習性

ウッへー、企業の IT システム「あるある話」

みずほ銀行の ATM が頻回にクラッシュして利用者に多大な迷惑を与え、監督官庁からお叱りを受けました。何でこんなことが起こるのか、システムを請負うベンダーが余程タコなのかと思っていましたが、タコなのは「みずほ」だったようです。以下は ある記事 からの要約。

そもそもは2002年、富士・勧銀・興銀の統合が発端。勧銀は富士通製メインフレーム、興銀は日立製システム、富士は日本IBM製TOPを使っていた。通常は、データをどれか一つのシステムに移行する「片寄せ」をとるが、みずほは合併後も「同じ担当の役員が3人もいる」と揶揄されるくらい旧3行が対等、悪く言えばバラバラで、各ベンダーとの取引を温存した。

このため、みずほは旧3行の複数の異なるシステムを生き残らせ、ゲートウエイで中継する方針とした。勧銀システムの一部には’71年の第一銀行と日本勧業銀行の合併時に作られたとみられる部分が残り、’80年代に使われていたプログラム言語 COBOL で書かれている。夜間に沢山のデータをまとめて処理する「バッチ処理」という古いシステムも残っていた。

これらが原因で2度の大きな障害が発生、金融庁の業務改善命令により、約4000億円と8年の歳月をかけ新システム MINORI を開発。ところが、これは「新築」ではなく、既存建屋への「増築」だったと思われる。その理由は、今だに COBOL が残る。恐らく COBOLを「失くさなかった」のではなく「扱える人が既におらず、失くせなかった」のではないか。勧銀時代からの古い重要プログラムやデータが、 MINORI 内部で生きていると考えられる。全面改修したはずの MINORI は、普通預金関連は 日本 IBM、その上で走るソフトは富士通。他行との接続システムは、機器を日立と富士通、ソフトをNTTデータが作るという、各業務システムを異なるベンダーが分割し開発というカオス。今やシステムの全容を知る者は、みずほにもベンダーにも居ない。みずほのシステムは、もはや根本的再構築が不可能な状態と思われる。

「2025年の崖」という言葉があるそうです。この年までに、’80年代に開発されたシステムの根幹を知る人が現役を離れ、あるいは故人となり、ブラックボックス化する。みずほの例は、その最大にして最悪の例と言えるのだそうです。

そりゃあ、うまくいかないはずだわ、、グチャグチャで手の付けられない泥沼状態が手に取るようにわかります。電子カルテ開発で、私はこういう時「エイヤッ」と何度か新規に白紙から書き直し綺麗にしてきましたが、銀行のような巨大システムではそのコンセンサスも得られず、大鉈を振り下ろす勇気と根性を持つ人もいないんでしょうね。私の経験によれば、こういう継ぎ接ぎシステムを解体してみると、ゴミ屋敷のように「まったく使っていない要らないゴミが出てくるは、出てくるは」のはず。

日本人はどこから来たか

NHK スペシャルの5回に分かれた上記タイトル番組をNHK オンデマンドで大変興深く鑑賞しました。

日本人の祖先は、まずシベリア方面からサハリンなどを経由し渡来したそうです。当時、地球は氷河期で海面が数百メートルも下降していたため、大陸から北海道まで陸続きだったのだそうです。津軽海峡は深いため陸は繋がっていなかったが、極めて気温が低かったため本州まで氷上を歩いて渡れたそうです。彼らはシベリアの極寒の地で、獣の骨から作った針と獣の腱を使い獣の皮を縫い合わせた服を作る知恵を得ていました。そのような針が日本の遺跡からも発見されるとか。

次にやってきたのが東南アジアなどからの南方民族。氷河期、現在のマレーシア・インドネシアからフィリピンに至る全域がひとつの大陸:ズンダーランドを形成していました。やがて温暖化によりズンダーランドは海に水没していき、棲家を追われた彼らが海洋民族として丸木舟などで海に乗り出し、オーストラリアなど四方へ拡散。その一群が黒潮に乗って九州に到達。その証拠のひとつは、丸木舟を作るため独特の形をした磨製石器のノミ。インドネシアから九州に至る各地の遺跡から同様のものが発掘されるそうです。

更には、中国から稲を携え渡ってきた渡来人。現在でも中国の東シナ海に面した地域には、竹竿で作った筏のような船で沖にでて漁をしながら、畑で耕作している半農半漁の人達がいるそうです。彼らにインタビューしたところ、現在でも「黒潮に乗り台風などに流され九州にたどりついたという仲間が、俺の知っているだけでも5人くらい居るよ」とのこと。当時の遺跡からは、米を炊くための素焼きの壺や、それを載せ煮炊きするための、ピーナッツの殻のような形をした素焼きの土器などが発掘されたそうです。これを使って船上で煮炊きしながら航海したわけですね、凄いなあ、、

私の祖先は、どこから来たのか。最近、中国にとても興味が湧くことから、そちらが源流だろうか(中国共産党は大嫌いだが)。私の母方の祖父や叔父達は、どう見ても西欧人の血が入る顔立ち、祖母は否定していたが九州人なので十分あり得ると思っている。残念ながら私の容貌にはまったく反映されていないが、考え方などに西欧系の影響があるかも。いずれにせよ、日本人はこれら色々な民族の混血になっているはず、、

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