わーくすてーしょんのあるくらし ( 359 )

大橋 克洋

katsuhiro.ohashi@gmail.com

2023.02 仕事は楽しくなくちゃ

最近、企業で取り組む面白い方向性。部下が失敗しても上司は叱ることなく、逆に失敗を奨励する。失敗することにより経験や教訓を得ることになるし、皆でシェアすればより失敗しにくい職場となる。失敗を恐れる必要がないので、創造性が高まり実力や自信もつく。また職場に愛犬を連れて仕事をしたり乳児を連れてくることも OK など。要するに職場は「効率第一、なかば嫌々の場」ではなく「楽しく生きがいを持てる場」とすること。

なーるほどね、でも、これって私が若い頃からの信条でもある。私は若い頃から「仕事は楽しくなきゃ」という思いを強くしてきました。コンピュータとの結びつきもそこから。建築家かデザイナーになりたかったのに、産婦人科開業医の長男に生まれたばっかりに仕方なく医者になりました。産婦人科入局後すぐ、突然父が病に倒れやむなく3年後大橋医院を継ぐことになったわけですが、そんな頃、思ったのが「それなら仕事場に面白いものを持ち込んでしまえ」ということで、世の中に現れたばかりのパーソナルコンピュータという実用的おモチャを診察室に持ち込んだのが始まりでした。

私の敬愛する天才的プログラマー加藤さんも同じかな。NTT 勤務時代、昼から出社「打ち合わせ」と称しテニスコートへ。夕方職場に帰ってくると女子職員達が「お疲れさま〜」と帰ってゆく。それから机に向かいプログラミング開始。夜通し集中したところで朝帰り。後に彼は NTT を退職しソフトウエア会社を立ち上げました。私もそのチームの合宿に参加させてもらったことがあります。いずれ劣らぬ素晴らしいプログラマー達がノートパソコンに集中る中、社長の加藤さんは何をしているかと思うと、自分のパソコンに入れた最新ゲームできゃあきゃあ遊んでいる。こんな加藤さんですが、NTT 時代、彼の独創的ソフトウエアを見に来た Apple CEO スティーブ・ジョブズはそのソフトに感激、加藤さんのソフトをスミソニアン博物館に永久保存してくれたそうです。

○ 今月の陽気

1月下旬はシベリアからダイレクトにやってきたという寒波が日本列島を襲い、東京でもかなり久しぶりに零下を記録しました。

その後の気温の緩みなどあってか、1月末にはスキー場の指定区域外を滑るいわゆるバックカントリーでの雪崩事故が各地で続けざまに発生しました。米国など外国のスキー客が多かったようですが、日本語の注意が理解できなかったのか無視したのか、、処女雪が広がり誰もいないバックカントリーでのスキーはさぞ楽しいことと思いますが、このような事故多発により今後取締りが強化されることになるのでしょう。

今月中旬、再び大陸から寒波がやってきて日本列島中部以北の広い範囲が雪雲で覆われるとの予報。東京も場合によっては大雪警報級になるかもという報道が繰り返されました。八王子あたりはある程度の積雪に見舞われましたが、23区にはさほどの降雪なし。最近は予報を上回る被害など出ると責め立てられるので、実際の予想より過大な警告を発する傾向にあるように思います。あまりこれが続くと「狼と少年」状態になるので、ほどほどに。最近は SNS などの普及で無責任な発言が多くなり、ちょっとしたことでも過大な叱責が渦巻く状況。また、これに悪乗りするマスコミが輪を拡大。これって何とかしないとマズイんでは、、

○ 今月の歩術

今年は1月が一番寒いのかと思っていましたが、2月になってもどうしてどうして北風の吹く寒い日が度々ありました。そうですよねえ、2月をなめてはいけない。

夜明け前の暗いうちから歩きに出る早朝散歩、少しずつ日の出時刻も早まりつつあります。下旬ともなると天気の良い日であれば6時になると空も明るくなりはじめました。

冬になると必ずお世話になっていたダウンジャケット、今冬一度も引っ張り出すことはありませんでした。温かいフリースジャケットと昨秋手に入れた断熱性の高い薄手パーカーのお陰。寒いのでフリースとパーカーのジッパーを首まで一杯に引き上げ歩き始めるのですが、1キロくらい歩くと熱がこもってきて首元のジッパーを少し下げます。外気温6度以上になると、帰り道にはフリースとパーカーのジッパーを半分以上下げ T シャツを外気に晒して歩くぐらい暑くなります。

スポーツシャツ姿の頃は首元が寒く薄いマフラーやネックウオーマーを試していましたが、フリースにしてからはスタンドカラーのジッパーで自由に体温調節でき快適。マスクも防寒効果があり、コロナが収まっても冬場の早朝散歩には必須アイテムに留まりそうです。

で、歩きのほうですが、今月は1日平均5キロほど歩くことができました。筋力低下を如実に感ずるこの頃ですが、無駄な力を使わない歩きが身についてきたので、体調の良い日は7キロ以上の距離やある程度の上り坂でもさほど苦労せず歩けています。

しばし忘れていたモデル・ウオークを試みています。以前 TikTok でみて試したところ具合が良かったのですが、要領を忘れてしまい YouTube で探し試みています。要領は「上半身をしっかり起こした姿勢で、着地する方の膝をまっすぐ伸ばして骨盤を支え、反対側の骨盤を浮かせ脚を前に出す」。前にだす側の骨盤を浮かせるので、歩幅も大きくなってスピードも上がる。後ろにを流すとともに上半身をすっと伸ばすので良い姿勢になる。これがモデル・ウオークの所以ですね。

○ わたしの割箸建築もちょっと SDGs

楽しみに観ている建築関係の番組で、廃屋になった古民家のリフォームなどを最近よくみます。廃屋となった古民家の取り壊しに際し、その古材を買い取って再販したり、古材を使ったリフォームを請け負う会社を番組で取り上げていました。寒冷地の古民家では深い積雪の重量に耐えるための梁として、太く曲がった松材などがよく使われています。現在では、このような材を手に入れることは極めて難しいでしょうから取り壊しで得られた古材は貴重な資源と思います。昔の職人の手になる精緻な建具なども、現在ではそのような技術を受け継ぐ職人がいなくなっていますからとても貴重。

これに習ったわけでもありませんが、最近は私も趣味の割箸建築作製にあたって、以前作った割箸建築を解体しその資材を再利用することが多くなっています。その理由は幾つかあります。1番目は作品が増えてくると、部屋の中に作品の置場がなくなってくること。2番目に資材とする割箸やアイスクリームの芯棒の在庫が乏しくなってきたこと。3番目に「拙い過去作品は残すに値しない」。今月も1軒建てましたが、柱や梁、床材の殆どは解体した資材をあてることで間に合いました。ただし、冷蔵庫や洗濯機、浴槽などは綺麗に取り外し再利用しています。このような細かい細工物は壊すには惜しいし再利用に耐えますので。

精魂込めて作った建築物を解体してしまうのは惜しいという気持ちも最初の頃は多少あったのですが、現在は、よりすぐった僅かの作品のみ残すというポリシーになっています。そういえば著名な陶芸家が折角の作品を気に入らないという理由で惜しげもなく地面に叩きつけ割っている映像を見たことがあります。瑕疵ある作品ではないので、多くの人からは有難たがられ高価で取引されるだろうに、と思ったことがありますが、今ではこの作家の気持もわかるような気がします。

拙かった過去作品も歴史的見地で残すという選択肢もあるのでしょうが、私の場合、先に述べた理由でそれは却下、、

立花隆による研究

私の尊敬する研究者、立花隆の特集番組を興味深く視聴しました。彼は癌を患い晩年「癌」「臨死体験」「生と死」などについて深く探求しました。その結果「癌の半分は自分そのもので半分エイリアン。エイリアンだけをやっつけるわけにはいかない。がん細胞は生命体の免疫機能など色々な仕組みを駆使して生き延び成長するので、どんなに闘っても必ず最後にはヒトが敗北する。ただ人生について勝利することはできる」「臨死体験については経験した人にとっては現実だが、他人にとっては結局判らない」「生物は必ず最後は死ぬ運命にある」という結論に至った。

私も有物論的に「死とはコンピュータの電源を切ったようなもの」「意識が突然なくなり無になるだけ。精神や霊魂も肉体同様に物理的なもので電源が切れれば無に帰する」と考えています。ただし「精神や思考などについては、このコラムのように文章その他としてある程度残すことができる」、つまりコンピュータの電源が切れても、ハードディスクなど外部媒体に保存したものは残るということですね。映画やドキュメンタリーのように映像として残せれば再現性は高いですね。

彼は癌について深く研究しても、自分の癌の治療についてはまったく追求しなかったそうです。そして亡くなったあと「収集した膨大な書籍は全て古書店に売り払い、自分の肉体はゴミとして捨ててもらって構わない。葬式も墓所も要らない」と言い遺し、自分の興味の対象の研究に没頭したそうです。今でも神保町あたりの古書店には立花氏の研究室にあった書籍の一部が並んでいることでしょう。

そして立花氏が残した言葉で印象的なものがありました。「竹藪の竹は一本一本独立しているように見えるが、地下茎で繋がっていて実際には竹全体が一つの植物となっている」「人類は単細胞から進化してきたが、さらに進歩が進めばのように地球上の人類の思考がネットワークで繋がれ、地球全体で思考するようになる」というもの。うーん、これは面白いですねえ、そうなればロシアとウクライナの戦争なども無くなるのかなあ、、

考えてみると、これが良い方向に向かうのか、その逆か。上記 SNS による弊害のようなものが拡大されることはないのか、ちょっと心配。皆の思考が繋がった時、論理的・倫理的に正しいものに向かうような仕組みが必要ですね。衆愚政治のようになるのだけは御免蒙りたいもの。

気になる今月の様子

まず1つ目は今年で4年目に入ったコロナ事情。昨年暮れあたりから再び感染者数が増加し第8波を迎えました。波ごとに感染者数が増え高い波形になっていますが、重症率が下降してきているのは幸いです。第8波も2月に入るとほぼ落ち着き、政府も非常事態宣言を解除、マスク装着も各自の判断ということになってきました。海外では昨年下旬あたりからマスクをしない人の方が多く、大人数のイベントなども平気で行われるようになっていますが、日本ではまだ8割以上がマスクという状況ではないでしょうか。

もっとも日本ではコロナ蔓延の何年も前から、夏でもマスク姿が特に若い女性に多かったように思います。開業していた頃、大橋医院にも夏でもマスクという職員がいました。あれは花粉症だけでなく化粧代わりもあったのかな、、

免疫力が滅法弱くアレルギー体質でワクチン接種できない家内にコロナを持ち込むのが怖いので、私は当分マスク装着になると思います。2020年以来停止している飲兵衛会もそろそろ開始しようという声が上がりそうです。ほぼ皆出席で通した私ですが、しばらくは出席辞退ということになるのかな、、

2つ目はウクライナ状況。冬季ということもあり戦況は膠着状態に近いのかも知れませんが、東部ドネツク州あたりをロシアは何としても獲りたいということで、囚人兵を始めとする甚大な戦死者を伴う人海戦術で猛攻を重ねています。戦況改善に必要ということで、NATO 各国間で悩んだすえ戦車の提供に踏み切りました。実際に投入されるにはまだ2ヶ月ほどはかかるのでしょうか。発電施設などインフラへの執拗なミサイル攻撃でウクライナでは停電や断水などが続き、極寒のなか家を破壊されたウクライナ国民の悲惨な毎日は気の毒で仕方がありません。太平洋戦争中の日本国民も似たような状況でしたが、極寒が伴わなかったのは幸いでした。

ウクライナと現代日本との受取り方のズレ

ウクライナから日本に避難してきた人達が戸惑っていること。日本人はとても親切にしてくれるが、我々が「勝利」しか求めないと言うと、日本人は怪訝な顔をして「ん? 平和じゃないの?」と言う。「もちろん平和が欲しいんだけど、勝利しなければウクライナには平和は来ない」と言っても、なかなか日本人には判ってもらえない。以前から日本で暮らしてきたウクライナ人が彼らに説明したのは「日本人にとって勝利という言葉は強すぎるみたい。戦うとか敵を殺すという言葉に繋がるので」

ウクライナの歴史にはソ連に支配された悲惨な記憶が深く刻まれています。第2次大戦前、ソ連のスターリンは穀倉地帯ウクライナから穀物の強制徴発を行っていた。ある凶作の年、スターリンはウクライナ農民から残り僅かな食料や種まきに必要な種子まで強制収奪、大規模な飢餓によりウクライナでは330万人もの飢餓者が発生。そして現代、ブチャでの虐殺はじめ、プーチンはあらゆる残虐な方法でウクライナを攻め立てている。この戦いにもし勝利できなければ、その後のウクライナの生活がどうなるかは目に見え「勝利しないなら死んだほうがまし」と考えるウクライナ人は多い。

戦争中に生まれた私には、このウクライナ国民の気持ちがよく判ります。現代の日本人は「こんな悲惨な戦争を続けて死者を増やすなら、とっとと降参すべき」と考える人も多いようですが「現代の日本は本当に平和ボケなんだなあ」と思います。戦争の悲惨さもさることながら、このように無慈悲な権威主義の国の支配下に暮らす耐え難い生活にはまったく思い至らないのでしょう。島国の日本は幸いなことに外敵に襲われたことは殆どなく、平和な考えに傾くのはやむを得ないところもあるとは思いますが、日本以外の多くの国はそうではありません。決して油断すべきではないのです。

日本に勝利し占領したのが米国だったのは幸いでしたが、もしあの時ソ連に占領されていたら日本人は悲惨な生活を送ったことは間違いありません。実際もうちょっとのところで北海道がソ連の占領下になる可能性もあったのです(ソ連の捕虜になり、終戦後にもかかわらず極寒のシベリアに何年も抑留され過酷な強制労働で命を削った方々の話も、現代の日本人はもっと知っておくべきでしょう)。

太平洋戦争を経験した人であれば、現在のウクライナ人の気持ちに心から共感し寄り添えるところが多いと思いますが、戦争経験のある世代は私から上ですから、もう日本から消えつつあります。ということで、「平和を保つには、常に油断せず、備えを怠ってはならない」ということを、何度でもここに書き残しておこうと思っています。

林試の森公園:いつも染井吉野より1ヶ月早く咲く河津桜