わーくすてーしょんのあるくらし ( 368 )

大橋 克洋

katsuhiro.ohashi@gmail.com

2024.01 青春とは心の持ち方

夜明け前、氏神様:三谷八幡に初詣

○ 青春とは生涯のある時期ではなく 心の持ち方を言う

私のカラオケで好きな曲のひとつは、森田公一とトップギャラン「青春時代」。好きなフレーズが幾つかあります、、と、ここで引用しようと 歌詞 をみたら、ほとんどすべてでした。今までも書いてきたように、私の人生のピークは大学の馬術部時代、青春を謳歌した最高の時期でした。

生涯にはその後も何度か盛り上がるピーキーな時期がありましたが、いろいろな意味で馬術部時代を越えるには至りません。「やはり青春っていいですね」ってことですが、それで終わるのも悔しいですよね。そこで心に響いたのが、上記タイトルとしたサムエル・ウルマン(米国の実業家・詩人)の言葉。彼は「心が老いた人は若くても輝きを失う。年齢を重ねても、心が若い人はとても若く健康的である」と述べています。

社会の荒波に直接さらされ、家族を養うなどの責任がベースにあるその後の人生とは違い、思いっきり弾けることのできた青春時代を越えることは実際にはできないのですが、今だって「心の持ちようで青春時代を味わうことは出来るんだぜ」ってこと、、

○ 元旦から能登地方を大きな地震が襲う

元旦のニューイヤー駅伝を観たあと午後4時過ぎ、書斎で録画番組を観ていると胸ポケットの iPhone がやたら頻繁に小さな音を立てる。家内から LINE で写真を何枚も送ってきたのかなと胸に手を当てると隣の居間でも家内の iPhone が頻繁に鳴っている。どうも地震警報のようだ。

と思ううち、やってきた。13階の我が家がゆーらゆーらと気持ちが悪いほどゆっくり大きく横揺れはじめた(なーるほど、これが長周期の揺れ。典型的なものを初めて経験)。この後、本格的揺れが来るかと身を固くしたが、そう長くは続かずやんだ。ちなみに東日本大震災の際は、東京でもかなり大きな揺れが長時間何度にもわたって経験された。TV 録画鑑賞をやめニュースに切り替えると、能登方面で大きな地震災害の報道。どの局も同じようなニュース。そのうち、出た! 女性アナウンサーが「津波警報」をけたたましく告げ始めた。

その後も余震が続き 3m ほどの津波警報が何度も出たが、幸いなことに東日本大震災のような大きな津波はやって来なかった。しかし日が暮れてから集落が真っ赤な炎に包まれ焼け落ちるニュース画像。朝から強い北風が吹き続けており、火はあっという間に延焼、店舗・住宅などほぼ200棟が消失。翌朝のニュースでは5階以上のビルが横倒しの映像も、、私が学生の頃の新潟地震で転倒した集合住宅を思い出しました。

元旦から地震・津波の上に火災まで、何とも気の毒な思いが胸に、、そう言えば、うちでも昨年の元旦は家内が散歩先で転倒、右膝を粉砕骨折して大変でした。

○ 羽田で重大な航空機事故

能登半島地震の翌日、1月2日の夕方、チャンネルを TV ニュースにまわすと、遠方に火災のような映像。何度も繰り返される映像では、暗闇に包まれた羽田滑走路上に右手から航空機の着陸灯が滑ってきたかと思うと目を射る明るさで爆発炎上、火炎に包まれ大きな噴煙の尾を引きながら左手へ消えて行きました。

最初は「羽田で航空機事故」の情報でしたが、そのうち「札幌を飛び立った日航機516便が羽田へ着陸。滑走路上の海上保安庁航空機と衝突・炎上」の情報。映像では日航機左エンジン火災。消防車が到着し消火剤をかけているが、主翼下の向こう側で何度も花火が弾けるような火炎と破裂音。そのうち、日航機の窓2つが明るくなり機内火災にいたると思われる。他の窓を見てもどこにも人影は見当たらない。旅客機なのに搭乗者がいないということはあるのだろうか。そのうち火災の窓から大分離れた前方の窓にも火の明かりが見え始める。外から消火剤を散布しても機内火災にはほとんど効果がない。

しばらくするうち天井部分にも炎がまわり骨組みが見え始めた。搭乗者の安否が気遣われたが、やがて「乗員・乗客379人は全員無事に脱出」の情報「良かった」。ニュース映像は暗闇、遠方で脱出の様子は全くわからなかった。しかし、能登の被災地へ救援物資を運ぶ予定だった海保機は乗員5名死亡、機長のみ脱出し重症とのこと。

この状況だと、恐らく何らかの錯誤で滑走路へ侵入した海保機へ着陸してきた日航機が衝突したのだろうと思いましたが、後にその通りだったことが判明しました。

○ 航空機事故で考えること

ケーブルテレビで放映される世界の航空機事故調査の番組を以前から興味深く観てきました。航空機における火災は致命的で、飛行中に発生すれば多くの場合 乗員・乗客全員助からない恐ろしいものです。海外でも滑走路上火災はありましたが、少なからぬ死者を出しています。乗務員の注意をきかず自分勝手に荷物を取り出す乗客が避難の流れを遅延させ、その為の逃げ遅れ・死亡が発生しています。今回の機内映像を見ると乗務員は一生懸命乗客に呼びかけ、乗客の多くがパニックになることなくそれに従って全員無事脱出できたようです。

機内映像では「早く出してください」「何で開けてくれないの」と叫ぶ子供の声。事故調査番組で理解したことは、このような場合、脱出前に幾つかの安全確認の手順をクリアしてからでなければ乗員は脱出口を開けることはできないので、多少のタイムラグはやむを得ないのです。

この乗務員・乗客の行動による全員脱出は、世界の人々からミラクルと称賛されているとか。日本人の中にもパニックになったり身勝手な行動に出る人がいないわけではないと思いますが、多くは沈着冷静(少なくともそう見える)な行動をとるのは誇ってよいでしょう。災害慣れした(?)日本の民度を表すもの。

まだ原因の詳細は判明していませんが、一人助かった海保機の機長とその家族には強い同情の念を抱きます。仲間5名死亡の中で機長でありながら生き残ってしまったこと、SNS の時代 雨あられと降ってくるであろう遠慮呵責ない非難の嵐に晒され続けなければならないこと。事情はどうあれ、とても気の毒に思います。

ここで航空機事故調査委員会と別に警察が原因究明に乗り出したとのニュース。このタイミングでこれはどうかと思うなあ、、航空機事故調査の番組を見ていても、あくまで「事故の原因を特定し、今後同様の事故が2度と発生しない方策を考え提言すること」が調査委員会の目的。フランスの例では警察が権限を振るったため、委員会に正直にあるがまま答えていた証人である乗務員が、それ以後まったく口を閉ざしてしまい原因究明が進まなくなった例がありました。警察の目的はあくまで「犯人探し」昨今のマスコミや SNS もそうですが、これって良くないよなあ、、「2度と同様の事故を起こさないようにするには、どうしたら良いか」に的を絞るべき。もし失敗があったとしても、本人は十分それを自覚しているだろうし、仲間を死なせてしまったという自戒の念、世間からの風当たりという懲罰を受けているのだから。

○ 今月の歩術

脚力がかなり回復し調子の良い時は7キロまで距離を延ばせていたのに、 白内障手術後2週間の安静が必要だったことなどから、またガクンと足腰が弱体化してしまい距離が延びません。若い頃はかなり運動をさぼっても目に見える筋力低下はありませんでしたが、この年齢になるとちょっと休んだだけで目に見えて筋力は低下します。常に泳いでないと沈んじゃうみたいな、、

距離の延びない理由には、今月の早朝かなり気温の低い日が多かったことも それに輪をかけています。北海道はもちろん九州まで雪が降っていても、東京だけはまだ積雪はありません。地震災害にあった能登半島は連日のように強い風雪に襲われ、本当に気の毒です。寒い中、上下水道などインフラの断たれた中での避難生活本当に辛いですよね。

今月は6時前に家を出ることが多く外はまだ真っ暗。帰路につく頃ようやく空が白み始めたり、散歩を2キロほどにショートカットするため帰着してもまだ暗かったり。服装は普段着ているフリースのジャケットに断熱性の高いパーカーを羽織り、キャップを被っています。4,5年前から寒い季節は耳まで覆うニットのキャップを使ってきましたが、寒風吹きすさぶ日 ニットでは風を通してしまいます。いろいろ試した結果、mont-bell のフリース製キャップをみつけ、昨年からこれを愛用しており、バッチリです。上半身完全装備でも下は普通のチノパンだったのですが、流石に80歳を過ぎてからは裏地に起毛した温かいズボンを着用しています。

○ ついに Google も、、

Google に18年勤務した社員が「Google は変わってしまった」と嘆く長文を投稿し話題になっているそうです。その要点について紹介すると、、

2005 年にサスマン氏が入社し10年ほど、Google には社員を何より大事にする文化があったそうです。すなわち「一般の会社ではプロジェクトの優先順位が下がると、そのプロジェクトを縮小あるいは中止しプロジェクトから人を解雇、優先順位の高い新しいプロジェクトに新しい人材を大量に雇用することが行われます」しかし従来 Google ではこのような傾向は見られず、各社員を新プロジェクトに取り組ませるため多大な労力が費やされたそうです。多くの職務で活躍できる優秀な人材を見つけるため Google は数ヶ月に及ぶ面接を実施、その努力に見合うと確信した人材だけを雇用。そのため優先順位が変わっても解雇されることなく、才能を新しい方向で活用し続けることが試みられていた。

ところが新型コロナのパンデミックにより事態は急変。かつては「無限といえる豊かさを活用した文化」だったものが、普通の会社と変わらない「限られた資源の文化」を活用する文化へと変容したのです。これは「経営幹部が他企業同様、財務効率を第一に考え始めた」ということ。豪華な社食を減らしたり、出張予算を制限したり、社内パーティーやイベントを減らしたり、社内託児所をなくしたり、かつてこれらは Google で当たり前のように存在した福利厚生の一部でした。しかし本当に問題なのは「採用や昇進のプロセスが変わったこと」だといいます。採用プロセスは手間隙かけるものから簡易的なものに変わり、昇進プロセスは「自分自身との競争」から「同僚との競争」に変化、新規プロジェクトの発生により、大規模な組織再編成と従業員のレイオフの実施、Google も普通の会社と変わらない体制に移行しつつあるそうです。

最後にサスマン氏は「ここで重要なのは初期の Google に学ぶべきということ。従業員が真に評価されていると感じるとき、心理的安定性、高い士気、生産性、創造性が生まれます。初期の従業員たちはイノベーションを起こす手段として『早く失敗することを奨励しあっていた。しかし失敗すればレイオフを意味する環境では、もはやそれは容易ではない。もしあなたが会社を作るなら『何より従業員を大切にすることに挑戦してください」と述べました。

Google の変化で思うこと

「あちゃー、Google も遂に劣化するときが来たか」というのが私の思い。

上に述べられた初期 Google での社内文化は、Apple はじめ高いイノベーションをもたらした IT 企業に良くみられたもの。私のポリシー「仕事は楽しくなくちゃ」もここから来ています。本田宗一郎健在な頃のホンダでもアイデア・コンテストが行われ、製品とは直接関係ない奇妙奇天烈なものが実演される運動会のようなものがありました。ああいうのは必要だと思うなあ、、

Jobs 亡きあとの Apple から かつてのワクワクする魅力が失われていき、質の高いイノベーションを続ける Google に期待を寄せてきました。しかし「盛者必衰」の理はいつの世も変わらず、栄えた大企業もいずれは経年劣化を起こすもの。特に規模が大きくなるほどに確実に起こる。復活後の活気溢れた Apple も Jobs が集めた少数精鋭のスタッフによるもの、やはり企業規模はボスが全スタッフを把握できる範囲にとどまっているのが良いのではないかなあ、、

しかし Google 特有の「社会貢献の精神、イノベーション、その他」が失われていくとなると困ったなあ、、このコラムを公開している Web site の存続も怪しくなるかも、、私がこの世からフェイドアウトしても残ることを期待し、終焉の地として選んだのだが、、

1月11日:富士山を臨む夕焼け