わーくすてーしょんのあるくらし ( 390 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
わーくすてーしょんのあるくらし ( 390 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
日本産婦人科医会の広報担当幹事をしていたころ、毎月発刊する会報の編集に多忙のなか他にも色々な仕事が入ってくる。プライベートのコンピュータ仲間との活動、医療情報学会関連の活動などでも、原稿やプレゼンの準備など入ってくる。もちろん本業の産婦人科開業医という仕事もある。
そんななかで押しつぶされそうになっていた時、ふと閃きました。「そうか、押し寄せる仕事を一遍にやろうとするからいけないんだ」「将棋崩しのように、山と積まれたものを麓から少しずつ崩していこう」そう考えた途端スッと気分が楽になって、ストレスなく仕事を片付けていくことが出来るようになりました。
ものは考えようですね、ちょっと角度を変えてみると解決の糸口が見えてくるもの、、
その後、東京都医師会理事になった時も、それ以上多忙になりましたが、ストレスなく楽しく、生き甲斐をもって仕事に励むことができました。こういう状況では仕事は入ってくる端から速攻で片付けていくのがコツ。「仕事は忙しい人に頼め」とはよく言ったもので、のほほんと過ごしている人に仕事を頼んでも「今ちょっと忙しいから」とか言って、なかなか結果を返してくれない。
早朝散歩をしていると、後ろからサーっと音がして電動キックボードに立ち乗りした若い女性や男性が滑るように過ぎて行くのをよく見るようになりました。LUUP という電動キックボードや電動アシスト・サイクルがその市場を占めているようです。これらシェア・サイクル「疲れた時移動するのには便利かも」と思うものの、「いや、いや、80歳過ぎた人間が乗るのは傍迷惑」と思い眺めています。
ふと考えてみると、このシェア・サイクル、私が小学校低学年の頃だから戦後間も無く昭和20年初頭「飛べ飛べプッチャー」という題名の漫画だったと思うのですが、その舞台となる未来都市、空中には空飛ぶ自動車が行き交っており、街角のシェア乗り物が利用されていました。何とその漫画家(手塚治虫が有名になるより前でした)が想像したことが80年近く経て、ようやく実現したことになります 、、でも、まだ空は飛んでいない
ネットで調べてみたところ、題名はちょっと違って私が読んだのは「ふしぎの国のプッチャー」。1946年7月から講談社の「少年クラブ」に連載され、翌年3月、作者の横井福次郎が結核で死去(36歳で夭折)終了しています。この漫画、著作権がなくなっているためかネット上で無料で読めます。チラッと見たところ私の記憶どおりで懐かしい。この漫画は1948年に単行本として発行されています。1946〜1947年というと私はまだ4、5歳ですから、きっと読んだのは単行本になってからだったんでしょうね(手塚治虫も彼の漫画を参考にしていたそうです)。
それにしても彼の想像していた「乗り物をシェア」というアイデアが80年過ぎてようやく実現されるとは、、感慨深いものがあります
懐かしくなって、電子書籍で「ふしぎの国のプッチャー」を読んでみました。この年齢になると昔の記憶はかなり霞んでいるのが殆どですが、この漫画を80年近く経て読んでみると、現在記憶に残っているものとほとんど変わらなかったのには驚きました。小学校就学直前だったのに余程印象が強く、鮮明に記憶に刻まれたんでしょうね。
巻頭の登場人物紹介を見ると、何と後年の手塚治虫作「鉄腕アトム」の登場人物はこれの焼き直しみたいですね。しかしさらに読み進んでみると、鉄腕アトムの初期アイデアはプッチャーから膨らませたもののようですが、以後は手塚治虫の世界で描かれたようです。
さて「ふしぎの国のプッチャー」ですが、その中で描かれる公衆テレビ回線(現在のテレビ電話)、テレビが家庭に普及しており実況中継ニュースがリアルタイムで全国放映、光電管センサーによる自動ドア、電波コンロ(現在の電子レンジ)などが戦争直後の1946年に描かれていたのにはびっくり。
日本で NHK のテレビ放送が開始されたのはその10年後ですし、一般家庭に普及したのは さらに5年以上後でした。電子レンジの普及まで さらに10年以上かかっています。横井先生の未来予想力すごいですね。
でも、10万馬力の人造人間(ロボット)、透明外套(透明マント)などはいかにも SF 的というか、まだ実現されていません。電波銃は似たようなものが実験されているようですが、、
TikTok を見ていると最近、クマなど猛獣が幼児を襲おうとするところへ愛猫が飛び出し猫の勢いや猫パンチに恐れをなした猛獣が逃げ去る、という動画が頻繁にアップされています。最初は本物かと思っていたのですが、襲うのはクマやヒョウなど、襲われるのは幼児、追い払うのは猫や犬、と同じようなパターンが相次ぐので「あ、これはフェイク動画か」と
プーチン・金正恩・トランプの3人そっくりの子供達が仲良くしていたりする動画もよく見ますが、良くできてるなあと感心
上で述べた透明マントの動画も見ますが、本当に実現されていれば色々なところで大きなニュースになっているはず。特殊な条件下でしか実現されない機能か、フェイクだろうと思っています。
AI で簡単にフェイク動画を作れるようになったせいかと思うのですが、AI にしてもどうやって、ああうまい具合に作れるんだろう、と首を捻っています。
これらの動画、とてもよく出来ているので、よく観察し考察しないと騙されてしまう。これからは選挙など重大な局面にもフェイクが使われるはず。SNS の風評もそうですが、必ずウラを取らなければいけない。本当に油断ならぬ世の中になったなあと、、
今春レポートしたのは馬場馬術でしたが、今月はサムス准将杯の障碍馬術戦が馬事公苑であり、後輩達の活躍を観戦に行ってきました(この試合、我々の頃は医科だけでしたが現在は医歯薬学生)。私は学生時代から障碍イノチのヒトで障碍馬術の観戦はとても楽しみ。そして馬事公苑まで8キロの歩きも毎回楽しみの一つですが、何せ最近は持久力に不安あり1週間前から数日おきに8〜9キロ歩き体調調整を行ってきました(試合を控えたアスリート達にならって)。
当日は生憎一日中冷たい雨の予想、朝の気温も10度と今秋一番の冷え込みで服装に悩む。気温が予想より低いので薄手フリースの上に冬場の防風・断熱性に優れる愛用の薄手パーカーを着用。カーキ色のこのパーカー、防水性もありそうに見えるので雨の中 歩き始めたのですが、1キロほど歩くうち袖に雨が染み透って来るのがわかり、傘をさして歩くことになりました。最近は歩き始め2キロほどで5分ほどベンチ休憩を入れるのですが、この雨では濡れたベンチに座るわけにはいかない。4キロほどで軒先の雨の当たらない植え込みの縁を見つけ腰をおろしただけで何とか歩き通しました。
いつも角馬場で試合が行われるのですが、角馬場で別の試合があるとかで今回特別に屋内馬場が使われました。屋内馬場が借用できるのは極めて稀なこと。屋内でも気温が低いので、歩きで上がっていた体温も長く座っているうち冷え結構寒くなってきました。で、肝心の試合結果ですが、出場4名のうち2名は無失点だったものの、残る2名が馬の反抗3回と落馬で失権で惨敗。今年は2度の優勝があったのに残念。
復路も歩いて帰宅。幸い雨は降ったり止んだり。後半、やはりかなりヘロヘロに近くはありましたが、春の時よりはマシ。体調管理の効果あり。所要時間は往復とも2時間20分ほど。帰宅後も体調よろし、足の痛みなど全くないが、珍しく片足親指に豆を作ったのは濡れていたからか
今月最大のイベントは上記の馬事公苑往復でした。特に冷たい雨が本格的に降りベンチ休憩も許されない中の歩きは今後も印象に残るものでしょう。2016年の神奈川県平塚までの中原街道制覇にあたり、何度か事前トレーニングをしました。その中でも三鷹から井の頭公園を経て神田川沿いに下り環状6号を通って帰るコース、三鷹までの20キロ冷たい雨の中を歩いた印象的なものでした。あの時は家を出たところで空模様が怪しいのに気づいて家にとって返しレインウエアを羽織ったのが正解でした。途中から降り出した冷たい雨は三鷹ジブリの森美術館に着くまで降り続き、フードの下のキャップのツバから滴り落ちる雨滴が印象に残っています。
今月の調子も、それ程よいとも言えないものですが、早朝散歩は1日1キロから7キロくらいを体調を見ながら交互に繰り返し、1日平均5キロくらいを保って歩いています。歩き始めはかなり好調なこともあるのですが、次第に下肢倦怠感が強くなり始め、終盤は着地脚に弾力を込めて歩くというような具合。70代中盤くらいまでは、歩いていても好調・不調の違いはほとんどなく、ベンチ休憩など考えることもなくいくらでも歩けたのですが、80歳を過ぎるとその日により変化が大きい。
しかし考えてみると、以前はちょっとした登り坂でも「あそこを通るのはちょっと嫌かも」と思うようになっていた時期もありましたが、現在は余程急な登り坂や、長く続く登り坂などでなければ、何の抵抗感もなく通過するようになっています。脚力も多少はあるのでしょうが「上体をしっかり起こし」「腰で歩く」コツが身についたからでしょう。
今月は騙し騙し、ちょっとの頑張りを継ぎ足しながら、やや距離を延ばし月間歩行距離150キロになりました。絶好調だった10年前には比べるべくもありませんが、これでも今年最長距離
学生達の障碍飛越を動画におさめようと iPhone の動画撮影を行ったのですが、iPhone カメラの進化に感動。通常の写真撮影は頻繁に行っており、カメラの進化はよくわかっているつもりでしたが、動画はあまり使っていなかったので。
5倍の望遠を使えるというのを理由に iPhone16Pro を選択、風景撮影などで便利をしていますが、動画でも望遠が使えるのを今さらながら認識。後輩の障碍飛越を明るく明快に撮影できました。以前も馬事公苑で学生の飛越を動画で撮り YouTube にアップしたりしていましたが、あれはもう10年ほど前かな。手持ちの嵩張るカメラで撮っていたのですが、あの頃の映像より iPhone の映像の方が格段に美しい。へえ〜、と感動したのでした。
落馬などで失権の様子もあり YouTube にあげるのはためらわれたので、最近皆んなが使うようになった動画共有サイトを使ってみました。無料版とあって広告がウザいですが、ちょっと試行錯誤あったもののうまく共有できたようです。
動画共有サイトの利用も最初は Mac 上で行おうとしていました。メールから共有サイトを開きダウンロードするのは Mac 上でやっていましたから
で、動画を共有サイトに上げようとしますが、なかなかスンナリいかない。そのうち、その動画共有サイト専用アプリがあるのを知り、iPhone 版アプリをダウンロード。これで結構スイスイとアップロードを済ませることができました。
最近では何をやるにも本当に macOS より iOS で十分になってきましたね、確定申告でも、動画アップでも。やはり Apple は大分前から Mac はさておき iPhone や iPad に主力を置いてきているんでしょうね。
若い人達がコンピュータを持たずとも、スマートフォンさえあれば事足りるというのも理解できます。
先月書いた「人の行動はほぼ自動操縦だった」と同じことを明治大学の言語学者:堀田秀吾先生が書いておられました。以下その要約です。
一般に「習慣化は難しいもの」「続かないのは自分の意志が弱いから」と考えられているが、実際には違う。私たちの行動は、意志ではなく主に「環境に合わせた最善と思われる妥協」により決まります。例えば喫煙者の場合、このご時世、禁煙とされる場所でタバコは吸いません。しかし人気のないビルの隙間のような「ここなら大丈夫そう」と思える場所を見つけると吸いたくなります。でも、自転車が停められていたり花壇が設置されていて「ここは無理そう」と思えば喫煙しないでしょう。このように「人間の行動は環境に大きく左右され、どれほど意志が弱い人でも行動に繋がる環境さえ整えられれば自動的に行動を始められる」ということになります。
専門的には「馴化」といい、これは同じパターンの行動を繰り返すことで、最初は面倒に感じていたことであっても、脳のエネルギー消費を抑え当たり前のこととして継続できるようになる現象を指します。努力や根性が必要な行動は、そもそも習慣とは言えないのです。脳には「変化を嫌い、現状維持を好む」特性が備わっています。これが「習慣化は難しい」と思わせる要因でもありますが、見方を変えれば「脳が現状維持を好むからこそ、一度習慣化できれば当たり前のこととして、その行動を難なく継続できる」とも言えます。つまり「自然とそうしたくなる」「そうせざるを得なくなる」環境を整えることがポイントです。
大分前に書いたことがありますが、屈んだりすることがとても面倒に感ずるようになりました。そこで私のヘソまがり精神から「面倒なことを積極的にやってみよう」と、部屋の隅の紙屑などを見つけると立ち上がって即ゴミ箱へ入れる行動を続けてみました。すると屈むことが少しも面倒でなくなりました。これは習慣づけとともに足腰の筋力が鍛えられたことにもあると思います。
今年も「秋」と言えるのは先月前半2週間くらいしかありませんでした。地球温暖化により秋と春は痕跡程度になり、冬から夏へ、夏から冬へと一足飛び。日本の大きな特徴のひとつだった「四季の移り変わり」がなくなりつつあるのは、とても寂しい。
今月は早朝気温13度くらいで始まり、中旬を過ぎる頃から10度を切る朝が多くなってきました。室温も20度を切り今までなら暖房を入れるところですが、諸物価高騰の電気代を考え今月一杯は自室に暖房を入れず、フリースに薄手のパーカーや暖かいベストの重ね着で過ごしています。以前は暖房を入れていても足元が寒く、足暖機などとっかえ引っ換え試していました。現在書斎で愛用のミズノ製 薄いキルティングのスリッパ、とても暖かく悩みは解消。
寝具も、冬はフリースの薄い毛布に厚手毛布を重ね敷毛布とともに愛用してきました。見かけは薄いのに暖か。それで満足していたのですが、書斎のカーペット上の昼寝に使用のスリーピング・バッグ(もう40年以上使っているんじゃないかな)、これで寒くない。で、就寝時もこれ使ってみたら暖かいんじゃないかと、、モンベルの細長い封筒型スリーピング・バッグを見つけました。ジッパーを開くと四角い布団状になり、掛け布団に使ってみることにしました。薄くとても軽いので最初は心許ない気もしますが、フリース毛布の上にこれを重ね寝ています。全部重ねると熱がこもって暑くなるので、肩の部分は薄いフリース毛布だけで寝ていますが少しも寒くない(ちなみに薄手フリース毛布は首や肩にそっと寄り添ってくれ、首の部分から寒い空気が入ってくるのをしっかり防いでくれる)。
高校の頃は親友と冬の寒さに薄着を競ったり、70代までは冬の早朝散歩でもギリギリになるまで肘まで袖捲りしたスポーツシャツにダウンのベストで頑張ったりしていましたが、80歳を過ぎると寒さに抗うことなく必要最小限の保温を心がけるようになりました。