2009.07 「現状で困ってない」は困ったこと

わーくすてーしょんのあるくらし ( 197 )

2009-7 大橋克洋

「社会の変化に合わせ、医療にも IT を普通のものとして 取り入れるべき」と、医療界で強く主張してきました。ところが、なかなか皆さんの心に留りません。 手作業で何も困っていないからです。 そこへ「レセプトはオンラインでなければ 受け付けない」との強制命令。 あわてたり、いかったり、混乱を生ずることになります。 以前から そのような方向性のところは、 動揺も混乱もないのですが。

そんなことや、先月書いた電子カルテ NOA のオープン・ソース化に向けての自分の経験などから 「世の中の進歩のためには * 現状で困る * ことは必要なことなんだなあ」と悟った次第。 「必要は発明の母」と似たようなことですね。

< 2009.06 Seagaia meeting in OKINAWA あれこれ | 2009.08 何ごとにも 水やりと下草刈りが大切 >

○ 現代の日本人の考え方はちょっと「変」?

安心・安全のため「機能を集中化」したり、 「個々の機能や結果の完全性」を追求する。 もちろん、それで良いとは思いますが、 それだけにこだわるって、おかしくありません?

「自然界」は、常に「安心・安全」を追求してきました。 しかし、自然界がとる手段はその逆です。 基本的に「個々の機能はほどほどに」「機能や個体の分散を行い」 「完全性をめざして、適度な不完全を」行ってきました。 最終的に、その方が ずっと達成率が高いからでしょう。 昔の陸軍式に言えば「おおむね、よろし」のスタンスです。

安全のため、子供には「鉛筆削りのナイフを持たせない」 「木登りさせない」「棒倒しなんて危険なスポーツはとんでもない」。 それは逆でしょう。本当に自分の身を守れる、 安全な人生を送れる人間を作るためには 「擦り傷や、ちょっとした切り傷くらい経験しなければ、 身を守る能力がつかない」ことくらい、 どうして理解できないのでしょう。とっても不思議です。

昨年も書きましたが Google の考え方は 「信頼性の高いハードウエアを1台持つより、 信頼性はさほど高くなくてもハードを2台持つ方が、 全体の信頼性はずっと上がる」「不可能なことは適度に無視」など、 非常に賢いと思います。

自分が幸せな人生を送りたいなら「自分だけ、」は最悪、 「皆のため、」が、巡り巡って 大きな「自分への利益」として戻ってくることに、 どうして気がつかないのか。

  • 日本の教育がおかしくなったこと。それによって、

  • 自分のおつむをしっかり働かせないひとが多くなったこと

  • 賢い親(学歴や貧富は関係ありません)が少なくなったこと

  • そして、自社の利益だけを求め 「世の中がどうなろうと知ったことではない」 マスコミのなせる業

というところでしょうか。

○ 今月の iPhone

iPhone 3GS になって、 大きく変わったところは余り多くありません。 先月レポートしたことに尽きるようです。 ということで、一見、大きく変わったところはないのですが、 実際に使っているうちに使い心地というか、ユーザ体験というか、 微妙に、巧妙に進化していることがわかってきます。

まず、動画ですが、非常に巧妙です。 撮影しながら左右に移動して行っても、 グラグラ感、ユラユラ感少なく、とてもスムースで 心地よい映像を撮れます。 画面の明るさやフォーカスなども、 人間の意識しないところで微妙に調整されているのではないかと。 iPhone を使い込むうち、随所にこのような表にでない心遣いが 感じられるようになってきました。

今朝は、初めて「音声によるコントロール」を試してみました。 3GS になって、音声により電話をかけたり、iPod をコントロール できるようになったとの記事を読みました。 しかし私はマニュアルを読まない人なので(そもそも iPhone にマニュアルは付いてきません)、どうやるのかわかりません。 とにかく、下のボタンを「長押し」すると、 音声コントロールが立ち上がると記事にあったので、 やってみました。

「ほおー、なるほど」、音声コントロールが立ち上がり、 ブルーの画面に音声を表す波形が流れ始めました。 声を出すと、波形が変わります。「さて、どうやって 命令を出すのかな?」「おー、なるほど」、ブルーの背景に 「電話をかける」とか「プレイリスト(何かの曲)をかける」 とか、ガイダンスがうっすらと流れています。

「へえー、なるほどねえ、」いたく感心しました。 私もなるべくマニュアルなしで使える電子カルテを開発中ですが、 こういう、さりげないヘルプもあるんだなあと、、 古の京都における「おもてなしの心」を思わせる iPhone です。

○ iPhone で便利になったこと

3GS になったためではなく、OS が 3.0 になったためかと 思われますが、Safari がログインを必要とする Web site の ID とパスワードを記憶できるようになったため、 私にとってはとても便利になったことがあります。

私はスケジューラとして iCal ではなく、 Web アプリとして自作したものを Web サーバ上で動かし、 外出先からも MacBook や iPhone で利用しています。 iCal を使わないのは、私のように5台近くのマシーンで使っていると スケジュールの不整合が起こることがあるからです。

もうひとつ、自作スケジューラでは、 よく使うイベントや場所等を記憶しメニューとして選択できるので、 iCal より便利なのです。 ところが、当然ながらこのようなものをインターネット・サーバで 動かすには ID、パスワードを掛けておく必要があります。 このID や パスワードが長い文字列なので、 iPhone での入力はなかなか辛いものがあったのです。

ところが iPhone の Safari がそれを記憶し、 サクっとスケジュールを見られるようになって、 とても使い易くなりました。 会議の中で次回日程を決める段になって、 自分のスケジュールをチェックしようと思っても、 今までは「ウーン、」ということだったのです。

ところで今月号の表紙。花火のようですね。 よく見ると花火の実写でないことはすぐわかります。 iPhone アプリのひとつで SpawnLite。 有償の full version の方が良いかと思ったら、 この Lite の方がシンプルで奇麗。 次々と色鮮やかな光の流れが 画面をめくるめく世界。 指でなぞると海の中の小魚の群れのように、 指にそって渦がウワっと動きます。 とても「癒し系」のソフトのひとつです。

○ 今月の脳トレ

Web 版電子カルテ NOA を思い切って オープンソースにすることに決めました。現状の NOA は 改良を重ね、あくまで自分が使うには満足のいくものですが、 これからは誰でも迷わず使えるよう 細かいところに手を加えねばなりません。 精力的に NOA の調整に取り組んでいます。

世に先駆け「電子カルテ」開発を始め、 「20年以上にわたり蓄積してきたノウハウを、今後は 社会のため少しでも役立てられれば」という考えからで、 これでメシを食おう等という色気は 今さら まったくありませんが「自分の作ったものが 世の中に少しは役に立ち、誰か喜んでくれる人が居る」 という自己満足があれば最大の報酬でしょうか。

加山雄三が学生時代、バンドに入れ込んでいて、 演奏を聴いた小島正雄氏から「君は音楽が好きなんだろう。 それなら、それでメシを食うようにならない方が良いよ。 それでメシを食うようになると音楽への情熱が薄れてしまうからね」 と言われたそうです。 私もそのように思ってきました。 「本当に良いものを作るには、メシの種にしてはダメ」 「商売はどうしても妥協を生まざるを得ないし、 時間や事情に追われ、良いものを作るという自分の持っていた こだわりを捨てざるを得なくなる」。

オープンソースの話はまだ非公開ですが (Web にこうして書いていてそれはないだろ、)、 早くもいくつかのベンダーさんの興味を引いているようです。 GPL ライセンスに則ったオープンソースという条件を 了解の上であれば、それを元にビジネスを行って頂くのは どうぞ、 というスタンスです。

もう一つの目的として 「電子カルテは、ワープロに毛の生えたような基本部分と、 処方箋・医事計算・検査履歴管理など 色々な周辺ツールに分けて考えるべき」 「周辺ツール(有償・無償あってよい)は、世の中の皆でシェアすべき」 という考えを世の中の流れにしたい、という気持ちが強くあります。

このようなものが、どこかのベンダーさんから現れるのを 何年も待ちましたが、一向にその気配はありません。 「よーし、なら、自分で作って見せるっきゃないか」 という気持ちも大きいと思います。 長年努力し積み重ねてきたノウハウを 良いところだけパクられ、他人の手柄にされるのは イヤだなあと考えてきたのですが、 開き直って「パクられる、上等じゃねえか」「パクる以上は 本家を越えるような実装しろよ」というところでしょうか。

近々、オープンソースとして公開予定です。 現在その準備作業中ですので、しばし、お待ちください。

○ PostgreSQL に挑戦

以前、電子カルテ NOA のデータベースを OpenBase から PostgreSQL に移行すべきかと考え、 挑戦したことがありました。 しかし、どうしてもとっかかりがつかめず(というか、 使い易い管理ツールが見つからなかった)、めげてしまいました。 現在使っている MySQL は PHP との相性が非常に良く、 使い易い管理ツール phpMyAdmin などもあり 気に入っているのですが、 MySQL は Sun Microsystems に買収された後、 あろうことか Sun が Oracle に買収されてしまい、 やや先行き不安もあります。

今回は phpPgAdmin という Web アプリの管理ツールを知り、再挑戦してみました。 PostgreSQL のソースをダウンロードして make。 ほう、MacOSX 環境でも、 何もエラーを吐かずサクサクとコンパイルしてくれます。 ここで問題が一点だけ。postgres のユーザを作るコマンドが MacOSX にはないようです。ここは深く追求せず 「システム環境設置」の GUI を立ち上げユーザ作成。 あとはまったく何の問題もなく PostgreSQL が出来上がってしまいました。

簡単な住所録の DB を作ってみました。 PHP、javascript、Ajax を使ったシステム構成です。 おー、半日程度で住所録の編集・閲覧・検索システムが postgres ベースで動くようになりました。 しかし、ここで難問です 「日本語化がどうしてもうまく行かない」。

MySQL は UTF-8 が標準。PHP javascript、何の 問題もなく使えています。しかし postgres は UTF-8 もサポートしているとあるのですが、 私の構築したシステムでは EUC 以外 受付けてくれません。 Web 上を検索しまくりました。 PHP 上でのコード変換などの手がありそうですが、 postgres 自体で UTF-8 を扱うのが 一番シンプルで問題も少なそうです。 しかし、どうやって UTF-8 を扱える postgres を構築できるのか、解決できていません。ふうー、、

○ NAS: Network Attached Storage

タイムマシーン用に使っていた HD が どうしてもメインマシーンから認識されなくなりました。 USB 接続の HD です。 別のマシーンに接続すると ちゃんと認識されるのですが、 どういうわけか元のマシーンでは認識されません。 フォーマットし直しても駄目です。

メインマシーンは電子カルテ・サーバが動いていることでもあり、 タイムマシーンが稼働しないと不安です。 仕方なく大容量の HD を買い増しすることにしました。 早速 Web で調べてみたのですが、結論として Buffalo で出している 2TB の HD に決めました。 これは USB 接続もできますが、NAS と RAID 機能を持ち、 イーサネットでネットワーク接続できるというおまけもつきました。

これをメインの HD として使い、 従来メインに使っていた HD をタイムマシーン用に 下げることにしました。 「常に新しい HD をメインに使い、 タイムマシーン用は古い HD で十分」という リサイクルの考えです。 近年 HD などの機器の性能アップと 価格ダウンは凄いですね。とても嬉しいことですが。

もう何年も前から NAS を入れたいと思ってきたのですが、 高価だったことと「古いマシーンにでかい HD を付ければ、 同じことじゃん」ということで、実現しませんでした。 はからずも今回実現したということです。 早速、メインの HD から NAS へデータの引っ越しです。 500GB 程度(一昔ならとてつもない容量)のファイル・コピー なのですが、夜8時頃コピーを始めて終了したのが 翌日の午前中でした。ネットワーク環境のどこかが悪かったのかな、、

○ 今月の勤トレ

毎年 この季節はそうなのですが、次第に暑さに向かう中、 身体の怠さがなかなかとれません。ようやく汗腺も開いて 汗もしっかりかくようになったので、 シャッキリしてくるかなと思っていたのですが、 今年は順応するのに いつもより日数を要しました。

ようやく倦怠感も少なくなってきた頃、 軽いギックリ腰にやられました。 全治に10日ほどかかったでしょうか。 朝トレで、かがんだ姿勢から強く上体を引き起こす いつもやっている運動。 軽くギクッという感じがあったのですが、 「何のこれしき」「運動の障害は運動でカバーしてしまえ」 ということで、さらに2度ほどやったのがいけなかったようです。 お医者さんともあるまじき行為?

その日はひどいことでした。いつものように午前の診療を済ませ 東京都医師会へ出勤。 商店街を駅へ向かって歩くうち、 神経に響く痛みがビンビン上がってきます。 もしかして、駅に着いたら「車椅子か担架で迎えにきてくれなんて?」。 それでもダマシだまし、行き帰りができました。 翌日は他の会合もあるので 歩く距離も長く 「さぼっちゃおうかな、、」との思いも。 「いやいや、できるところまでやってみよう」ということで、 腰に響く痛みをだましながら、マイペースで歩き通しました。 今度はこれが結構良かったようで、 むしろ帰宅後は少し良くなったようです。

てな、感じで約1週間、10日を経て全快となりました。 やはり齢なんですかね。いやいや、ぎっくり腰は40歳前にも 草むしりでやったことがあるぞ。まあ、気をつけながらということで。 今月は長い倦怠感とぎっくり腰のため、 トレーニングもやや軽く流し気味です。7月も20日を過ぎ、 ようやく倦怠感もとれはじめたので、 少しずつ元のペースに戻れればと思っています。

○ 自分の年齢

そういうことで、年齢相応ということもあるのですが、 ある雑誌のエッセイにこんなことが書いてありました。 書いた方は40歳を少しすぎたばかりの女性です。

だいたい私は27歳くらいの気分で日々暮らしている。 現役20代の人には図々しいと思われるだろうが、 20代半ば以降の人はみな同意してくれると思う。 「まだ若いのだ、」と思っているわけではなくて、 だいたいその年齢のころに、価値観や嗜好の幅が決まってしまい、 その後大きな変化がないから「歳をとったことを忘れている」のである。

確かにそれは言えますね。いや、私の場合、 実年齢は常に意識しているのですが、 それとは別に気分は「私の人生ピークの頃」 「大学の馬術部時代」、 考えてみれば20歳を過ぎた頃の気分です。 加山雄三の「若大将」の時代ですね。 普段は着るものもウエスタン調のチェック柄、 T シャツにジーンズ、チノパン。 今時の中高年、爺婆くさい格好しない人も多くなりました。 なに? その好みが爺婆くさいって?

ところで「 チノ・パンツって何?」と、検索してみました。 なーるほど「スペイン語で中国人を示す Chino」 から来ているのだそうです。インドに駐留したイギリス陸軍のカーキ生地の軍服が起源で、 その後 米国陸軍にも採用され、フィリッピンでの米国・スペイン戦争の後、 中国農民がこれを来ていたからとか。

「あの頃に戻りたいな、」とは別に思いません。 なぜって、今でもあの頃の気分ですから、、

「コクーン」という映画がありました。 昔地球にやってきてサナギの状態のまま 海の底に眠っている仲間たちを救出するため、 人知れずやってきた宇宙人と、 老人ホームの老人達との交流の話でした。 あそこに出てきた、青年の気分のままの元気のよい老人達が好きです。

○ 今月の歩術

7月も残り少なくなってきましたが、 ようやく倦怠感も、ぎっくり腰の後遺症もまったく消失しました。 朝トレでは、あのぎっくり腰の原因となった運動も、 ばっちり再開しています。何で ああなったのか、 恐らく前日の疲労などがあって 腰椎周囲の支持組織が弛んでいるところへ、 たまたまタイミングよく良い角度で力が加わって、 ぎくっと行ったのではないかと思います。

「歩き」の方も、猫足と言うのがわかり易いでしょうか、 なるべく足をドスンと地面に付けない歩き方が、 ようやく少しできるようになってきました。 実感できるのが、坂道や階段の下りです。 上体に衝撃を与えず、 滑らかに降りることができるようになりました。 「電車の中で掴まらずに立つ」も、 これまでは電車の動揺を膝をやや曲げる気持ちで 吸収してきました。最近は膝ではなく、 股関節を含む骨盤周囲の柔軟性で吸収するトレーニングに 換えています。二本足の棒の上に骨盤が乗り、 その上に頭や上体を支えた一本の脊柱が乗る。 電車の動揺は膝でなく、 骨盤周囲の柔軟な動きで吸収するという感じです。 まだどうしても骨盤周囲を固くしてしまいがちですが、 無意識に骨盤が動揺を吸収する域まで高めたいと考えています。

中国武術の「力を用いず、意を用いる」は、 私の好きな言葉です。 数年毎日のトレーニング(これを功夫:ゴンフーと言います。 カンフーの語源)の成果が伴って 最近はこの意味が実感としてわかってきたところです。 西洋のスポーツでは、ボクシングでもレスリングでも、 歳をとったものは若者には敵いません。しかし、中国武術や 日本の武道などでは、老人と言っても決してあなどれません。 力はなくても技術が格段に優れているからで、 これは一朝にして成るものではないからです(熟練工のようなもの)。 成果のひとつには、脳から身体末梢へ指示系統の直結化があります。 老化による変化は、思考する速度が遅くなるのであって、 神経伝達速度は変わらないからでしょう。

もうひとつ「なーるほど」と思うことが 本に書いてありました。 「日本武術や中国武術が欧米の格闘技と違う点は、 高度な技術や理論のなかに文化的・学問的体系を持ち、 これがあってはじめて武術、武芸と呼べ、人間形成の道としての存在意義を持つ」 「欧米では軍事力としての即戦力・ゲーム性のみを追求し、 格闘技を芸術へと昇華させられなかった」。これは茶道などでも言えますね。 「芸術の多くは先人の模倣、形の習得から入る。 これを中国武術は一人で行う套路として、日本武術は二人が相対する組形として 完成させた」。

「しかし、最近は中国武術も、エンターテイメントとして 見せるためのものへ変化しつつあり、 礼儀や形、長年の鍛錬を大切にする古来からの地味な武術は 消え去りつつある」。日本でもそうです。とても残念。

< 2009.06 Seagaia meeting in OKINAWA あれこれ | 2009.08 何ごとにも 水やりと下草刈りが大切 >

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です