わーくすてーしょんのあるくらし ( 362 )

大橋 克洋

katsuhiro.ohashi@gmail.com

2023.06 本当に強い人は

○ 本当に強い人は

「本当に強い人」の芯は「とても優しい」のです。

世論が大きく戦争に傾くなか、対米戦争に強く反対してきた海軍の山本五十六、真珠湾攻撃でその先陣を切ることになりました。気持ちを切り替え軍人として誰にもまさる働きをして、米軍から危険視されブーゲンビル島上空で待伏せを受け戦死。軍人らしく勇敢な働きをしながら私生活ではとても優しい良き父であり夫であったことは、家族へ遺した手紙などから推察されます。

日本敗色濃いなか、太平洋の孤島「硫黄島」守備を任された陸軍の栗林忠道中将は周到な計画のもと硫黄島を蟻の巣のような地下通路をもつ要塞に。守備軍2万の95%が戦死、対する米軍は2万8千人以上の死傷者、攻める米軍の死傷者が大幅に上回った稀有な戦いとなった。戦死した栗林中将も家族にはとても優しく、その様子は家族へ宛てた手紙からもうかがえます。

海軍航空隊の菅野直大尉。重爆撃機は防備厳重で撃墜困難、敵機の直上から逆落としで操縦席を銃撃しつつ急降下する彼ならではの危険な戦術を編み出す。傷を縫うため軍医が麻酔しようとすると、菅野は「麻酔は要らん」と言い放ちグッと歯を食いしばり耐えたという。一見荒っぽく見えた菅野だが、石川啄木を愛し「戦争が終わったら大学研究所で静かな生活を送るのもいいかな」と語っていた文学青年。勇猛で破天荒な菅野大尉の戦死は、終戦14日前のことでした。

私の父も親分肌、軍医として南支那戦線を経験、生死の境を越え帰ってきた頼もしい父。いろいろなところで「長」とつく役職をこなす。話も面白く親族との席では座を盛り上げ、家族との夕食の席でも子供時代・大学時代・軍隊時代・などなど、いろいろな話をしてくれました。外部では誰にも負ける気配がない一方、家族にはとても優しかった。私も弟も父に怒られた経験皆無。

 「世の中を見渡すと本当に『強い』人は悪い事はしない。悪い事をするのは心に弱さを持った人真に怖いのは弱さを攻撃に変えた者なのだ」という文言を読みました。「強い犬は吠えない 」と言いますが、世の中には何かというと人にキャンキャン噛みつく輩がいます。会議などでこういう声の大きい人の独演会には誠に閉口しますが「弱い犬が吠えているんだ」と思うことにしました。しかし最近は白昼堂々と銀座の宝石店に押し入る強盗とか猟銃や刃物での殺傷事件が多発。いくら弱い犬でも噛まれれば大怪我することも、用心は必要ですね、、

○ 今月の歩術

今月に入り朝から雨の日がちょいちょいあり、早朝散歩も休止することが多かったのは、最近体力的劣化を感じている私にとって「やれやれ、今日は休めるぞ」の気分。

私は「腰で歩く」派なんですが、ある人の「背中で歩く」という文言に「ん?」と思って読んでみました。その主旨は「体重が前にかかることなく、背中を押されるように歩く」ということのようです。で、早速試してみました。私的には「背中を押される」はしっくり来ませんでしたが、躯体を水を容れたペットボトルに例え「ペットボトル表面がグニャッと曲がったりせず、歪まない状態を保って歩く」という表現に「なるほど」、、

中国武術の身体動作を学ぶうち「体をまっすぐ立てて腰の上に載せ、人差指の上に立てた棒のバランスをとりながら歩く感じ」という意念を得ていました。確かに「水(躯体)を容れた表皮(ペットボトル)が歪むことなく、ドンと腰の上に載った状態を保ち歩く」と言い換えた方が実感しやすい。

そんな意念で歩くうち、現在は「モデルウオーク(着地側の骨盤を押し下げ、もち上がった反対側骨盤で自由になった肢の膝を伸ばしたまま前方へ振り出す)」とともに「持ち上がった骨盤から続く背中の皮一枚に頭の重量を載せ歩く」という意念になっています。この歩きは身体に力みが入らず無理なく歩けるので、普段、家の中を歩くのにも使っています。

今まで「棒」に例えていた上体の芯を「背中の皮」に替えることにより、より効果的に「良い姿勢を保てる」ことを実感しています。この方が「脱力効果」とともに「重心をより後ろに保って歩ける」からです。同時に躯体上皮を「水の入ったペットボトル」と意念することも「脱力した上体をどっしり腰に載せて歩く」効果を保ちやすい。これにより歩く姿は、よりモデルウオークに近づいたように思います。

○ 経年変化

81歳ともなれば当然いろいろあるわけですが、それでもこの年齢としてはダメージ少ない方かなと思います。今のところは、、

そうは言え細かい不具合は数多いのですが「この歳になりゃあ、そりゃああるよな。この位で済んでラッキー」と思っています。それらについては追々書くとして、最近特に支障を感じていることの一つが視力。

子供の頃から近視で眼鏡使用、乱視もあります。40代中半から老眼も始まりましたが、近視の利点は眼鏡をはずして裸眼にすればどんな細かい文字でも不自由なく読めること。しかしこれが70歳中半ころからでしょうか、眼鏡をはずし紙面を眼の直近にもってきても読みづらくなってきました。特に起きぬけの朝がひどい。

この年齢になれば当然のように起こってくる白内障ではないと思うのですが、経年変化により眼球のレンズに歪みが生じてきているのではないかなあという感じ。どうやっても、焦点が合いにくいのです。早朝散歩でも何か眼球に汚れがついたようで見えづらく煩わしい、、白っぽい感じはまったく受けないのだが、やはり白内障を疑うべきかな。数年前に眼科受診した際「もう白内障の兆候が出ても不思議ない歳ですが、その気配まったくありませんね」と言われ自信もっていたのですが、、

○ 経年変化(その2)

経年変化、いろいろあるわけですが、、最近ちょっと顕著になっていること、、

80歳になった頃からでしょうか、昼間やたら眠くなるのです。好きな建築関係やドラマの TV などを見ていても、無性に上瞼が重くなって気がつくと眠りに落ちており肝心のところを見逃している。早朝散歩から帰り TV を観ていると無性に眠くなり40分ほど昼寝するのですが、昼食後また睡魔に襲われ午前・午後と2度も昼寝する羽目になることもあります。

長時間座って TV を観ていると呼吸が浅くなっていることに気づきます、これも一因かなと。間食抑制でガムを噛んでいる間は睡魔も襲ってこない。「運転中の睡魔予防にはガムを噛むのがよい」と言われてきましたが、いまさらながら納得。

夜は20時半頃に就寝、夜明け前3時半頃に起床が定番になっています。若い頃から頑なに守ってきた睡眠8時間ですが、歳のせいで短くなりました。寝つきは良い方で  iPhone で音楽を流しながら眼を閉じますが、2曲目を聴いた記憶はほとんどなく眠りに落ちています。夜中0時から2時の間に1度トイレに起きることが多いですが、それ以外はほぼぐっすり。

それでもたまに眠れない時があります。そこで最近会得した方法は「別に眠れなくても良いじゃん」「眼を閉じ身体だけは眠った状態にして過ごせば良い」「全身の力を抜き寝床にゆだね、頭だけはしっかり起きておれ」と、、すると天邪鬼なもので、いつの間にか眠りについている。

若い頃 父が突然倒れ、大学病院で当直、自宅に帰っても大橋医院の当直、365日当直を何年か続けました。夜中に「先生、お産です」と電話で起こされ、パッと飛び起き分娩室へ、お産を済ませ寝床に戻るとバタンキュー秒速で爆睡。それで疲れも残らず、若かったですね。

一昔前までは「眠れない時は楽しいことを考えていれば良い」「眠れない時というのは必ずと言ってよいほど嫌な経験などネガティブなことを考えている」「楽しいことを考え続けようとしても、残念ながら途中で眠ってしまい考え続けることはできない」という技だったのですが、最近は前述の技を使っています。ちなみにこの「楽しいことを考える」技はゼロ戦の撃墜王:坂井三郎氏が連日の激しい空戦に明け暮れるなか部下達に伝授したもの。

そう思っていたら、、

これを書いて数日後「どんな兵士でも120秒以内に96%が寝落ちする方法」という記事をネットニュースで見つけました。


やはり、第二次大戦中のゼロ戦乗り同様、米軍兵士達にとっても「横になったらすぐ寝落ちし、グッスリ睡眠をとる」ことは、翌日の生死にかかわることなんですね。

それと同時に、この方法は私が最近会得した方法とほぼ同じ要領のもの私が独自に会得したと思っていた方法が、米軍でも採用されていたのには驚きました。

よく考えてみると「自分がずっと考えてきたことが、海の向こうで実現される」というのはよくあること、私にとっては既視感。例えば、私が早くから叫んでいた「SONY の携帯端末クリエに電話機能を載せてくれえ〜」なども、Steve Jobs が iPhone という形で実現し、感激したことなどありました。

そうなると「TV 番組のすべては、Web で視聴できるようになるべき」「放映された番組は、何日たってからでも見返すことができる」なども、先に実現するのは日本でなく海外からかな、、

○ 今月の陽気

梅雨ということで、ちょいちょい雨天の日があるのですが、一方で途中に挟まる晴れた日には結構気温が上がったりします。東京が30度越えと言われた日でも、自宅の外気温計は35度近くを指すこともあり大分暑くなりはじめました。

月半ばともなると、やたら倦怠感が強い。早朝散歩もちょっと長めのつもりで歩きはじめたのに、激しい倦怠感でショートカットになり4キロ以内に納まることもしばしば。帰宅するとじっとりかいた脂汗の顔を洗ってさっぱりするのですが、まだ盛夏のように流れる汗ではない。この怠さが消えるまで、まだちょっとかかりそうだなあと、、

冷房を入れるのは、もうちょっと我慢し頑張るつもりですが、書斎に座っていても身の置き場がないほど怠いことも。早くダラダラ汗をかくようになってスッキリしたい。

・・・

そして夏至を過ぎ6月も終わりに近づく頃、ようやく散歩から帰るとびっしょり汗をかくようになり、身体の怠さもとれてきました。それにしても今年の怠さは今までにないもので、身の置きどころもないほどでした。年齢に伴う筋力の衰えなんですかねえ、、やだなあ、、

室温30度を超える日もしばしばとなり、空調を極めて弱く効かせるようになりました。しかし、就寝時の扇風機や空調のお世話にはまだならずに済んでいます。

スマートフォンの携帯方法に悩む

時計・タイマー・カメラ・電話・カレンダー・地図・辞書・翻訳機・ニュースリーダ・音楽・ラジオなどのほか、最近は Suica で現金不要の生活を送っています。そんなことで iPhone は常に肌身離さず携帯する必要がある。その携帯方法で試行錯誤を繰り返し、悩んできました。

私としては、一番便利なのが胸ポケット(俯いたりすると落下することがあるので注意)、次がズボンの尻ポケットや脇ポケット。しかし暑くなって T シャツ姿になると胸ポケットがない。そこでズボン尻ポケットになるのですが、他の収納物とバッティングしたり座った時に塩梅の悪いことあり。そうなるとズボン脇ポケットですが、これも似たような理由で快適とは言い難いこともある。夏場に快適な室内用ズボン、これには実用的ポケットがついてない。

そこで携帯グッズを色々試してきました。ズボンのベルトにつけるポシェット。一見具合よさそうに思えたのですが、ベリベリっと剥がす蓋がわずらわしい、ポシェット自体が嵩張ったり身にまとわりつく感がどうもイマイチ。やや物々しい感もある。

次が首からぶら下げるスマホ・ストラップ、こいつはシンプル・イズ・ベストと思ったのですが、身体を動かすたびに身のまわりでプラプラするのが煩わしい。

身体にフィットし邪魔にならない位置ならと、脇の下の拳銃ホルスター型を手に入れたのですが、本当に拳銃を身に着けているかのように見え、この姿で外には出られないなあ、、

そして先日みつけたのが、天才バガボン・パパの「腹巻き型」で、もっとスリムなやつ。シャツの下で身体にぴったりフィット、iPhone を身体の前後や脇、好きな位置に収納できます。ジョギングに出ても iPhone はピッタリ身体に密着、中で踊ったり落としたりする心配もありません。まだ使い込んでいませんが、これもシンプル・イズ・ベスト。現状では「コレは良いんではないかい?」

○ マイナンバーカードあれこれ

マイナンバーカードがらみの不具合が色々生じていることが明らかになり、担当の河野太郎大臣が国会で謝罪しました。行政でのデータ誤入力も少なくないようですが、利用者が本人口座を登録すべきところ家族口座を登録している例などもあるようです。コンビニで印鑑証明や住民票など得られるサービスがトラブって一定期間停止。こういうの困るなあ、、

カード発行を前に「カード記載の個人番号はセキュリティ上重要、厳重に取り扱うように」と政府は散々言っていたのに、いざ発行されてみると企業や団体などから税務絡みの書類にマイナンバーを記載するように言われます。手書きでオープン、関係者なら誰でも見れてしまう。ぜーんぜん意味ないじゃん、、そうなるだろうと最初から思ってはいたけれど、、

その意味ないセキュリティの一つ、スマートフォンのアプリでカード内容を閲覧しようとすると、いちいちマイナンバーカード本体のスキャンを求められる。スマホとカード両方が手元にないと使えない。こんなタコな仕様、いかにもお役人のやること。銀行アプリでさえ、顔認証と暗証番号で使えるってのに、、

来年秋から健康保険証はすべてマイナンバーカードに登録され、紙の保険証は使えなくなると政府は言っています。これ絶対無理でしょ、、実際に始まってみれば色々不具合が起こって「紙の保険証の使用もしばらく認める」となるに決まってる。基本的にカードに保険証を兼ねさせることに私は大賛成ですが、現在の政府のやり方で現場がスムースに回るはずがない。

私もいち早く保険証をカードに登録しましたが、私が受診する病院では各フロアーの受付で月初の保険証確認にカードは使えず1階の会計受付まで行かねばならない。安価ではない読取装置を各フロアーに設置するわけにはいかないからでしょう。ということで、まだ一度もカード保険証を使ったことはありません。最近、この病院ではスマホの受付アプリが使えるようになり、月初の保険証確認は不要。アプリ側で、あらかじめ登録された保険証確認ができるようになったからでしょう。あらかじめ登録したクレジットカードから引き落とされるので、長いこと会計で待つこともなくなりました。アプリはこのように賢く便利でなくてはね、、

○ Steve Jobs が大事にした永続性

ネットで以下のような文書を読みました。

Apple の創業者 故 Steve Jobs はソニーのウオークマンのような素晴らしい製品と同様、陶器や版画のような日本のアートを愛し「一人の職人が生涯をかけてモノを作り上げる」という考え方に魅了されていました。それらには永続性というものがあったからです。彼がビジネスリーダとしてやりたかったことは、そういう永続性を製品に取り入れること。彼は和食や日本のアート・職人の技が大好きでした。その一つ一つが、彼が選び取った人生を形作る重要な要素となっていったのです。

これを読んで思ったこと「Apple 製品は性質上その寿命は数年しかないが、それでも Jobs の製品には永続性の匂いがぷんぷんしたよなあ」と。どういうことかと言うと、、私が40数年の間に使ってきたコンピュータは50台以上になります。その中でも Windows マシーンなどは寿命が切れれば躊躇なく捨てていましたが、Jobs の作ったマシーンは捨てがたく、永久保存のつもりで残したマシーンが何台もありました。Apple ][、初代Macintosh、NeXT Cube などなど。それらの、美しくシンプルなデザイン、手触り、質感などから。特に NeXT には Jobs のこだわりが100%注ぎ込まれ、これ以上ないほどシンプルに削ぎ落とされたデザイン、マットブラックに塗られたジュラルミンの頑丈でスマートな筐体。そして外からは見えない内部基盤のデザインなど。金に糸目をつけず作られた NeXT は、どこを見ても「芸術品」でしたし、搭載された OS である NeXTstep やアプリ類、その機能やデザインもいずれ劣らぬ芸術品でした。

Jobs 在りし頃、新製品の発表会はいつもドキドキ胸踊るものでしたが、Jobs 亡き後 Apple 製品で目新しいものは Apple Watch と今月発表された Apple Vision pro くらい。胸躍る思いをすることはほぼなくなりました。「世の中を変えたい」「今まで見たことのないユーザ体験を」日本の陶器や版画のように「手元に置き、ためつすがめつ眺め楽しめる製品を」という Jobs の思いまで Apple に残すことは、誠に残念ながら難しかったということですね、、

○ そこで、思いついたこと、、

「Apple 製品と永続性」について、思いついたアイデアがあります。

現在の Apple 製品の中でも例えば Mac mini のデザインなどは究極のものと言えるでしょう、、なら、今後登場する Mac mini は「筐体はそのままに、基盤など中身だけ入れ替える」方針にしてはどうかということ。

そうすれば「過去の筐体を捨てる手間やコストは省けるし、過去の基盤なども Apple で引き取り、廃棄するなり再生して使えるものは再生するなど、今流行の SDGs にも通ずる」「製品コストも下がる」というウイン・ウイン効果。もちろん、Mac mini の、より革新的グッド・デザインが浮かんだ場合は、筐体含めリプレースするということで、、

実現には「在来の筐体をそのまま使いつつ、内部を誰でも簡単に交換できる構造設計」が必要になると思いますし、それでも「自分で中身を入れ替えるなんて無理」と思う人には従来通り筐体を含む完成形としての選択肢も残す必要があるでしょう。今思いついたのは Mac mini のガワを共有するだけ、筐体の寿命を延ばすだけのアイデアでまだ余りメリットはない。誰かこれをもっと広げ、もっと製品の永続性を延ばすアイデアを考えて頂けると嬉しい、、

これがうまくいくようなら、iPhone、iPad、Macbook、iMac  など他の製品にも同じ手法をとれるかも、、

Apple には他社がやっていないこのように斬新な手法をぜひ手掛けてもらい「地球に優しい Apple」をさらに進めて欲しいと願います。いかが? Apple さん、、

フォルクスワーゲンのビートル

製品の永続性といえば、思い出すのはフォルクスワーゲンのビートル、いわゆるカブト虫。ビートルは1938年誕生時から生産終了2003年まで、基本的デザインをほとんど変えずに保ちました。長期間使い続けた愛車が故障しても、ワーゲンは何年前の部品でも提供することができ、1台の車をずっと乗り続けることができました。

私の印象では、少なくとも1960年代のビートルの外壁は薄い鋼板で手入れが悪いと痛み、大学時代の友人の車は床に穴があき雨が降ると長靴を履いて運転するとのことでした。1970年代、私の弟のビートルを借りて乗ったことがあります。街なかでは背中にバタバタと空冷エンジン独特の音を響かせながら走りましたが、東名高速に乗るとアラ不思議、とても安定したクルージング「こんな自転車のように細いタイア(ちょっとオーバーな表現ですが、そう感じた)を履きながら、さすがアウトバーンで育まれた車」と感心したものでした。

ポルシェ博士の設計したこの車のシェイプは大好き。シトロエンの2CVとともに、一度は愛車にしてみたい車でした。SDGsを叫ぶなら、このような製品たちを参考にすべきですね。

Steve Jobs がビートルを持ったことがあったかどうかは知りませんが、ポルシェを愛車にしていたことはあったようです。

ネーションズリーグ:女子バレー

来年開催のパリ・オリンピックの前哨戦ともなるネーションズリーグが、5月末から男女それぞれに始まっています。試合は各国16チームが第1ラウンドから第3ラウンドを経てファイナルラウンドの決勝まで各国を転戦、総当たりで行われます。

女子バレーは古賀紗理那、林琴奈、井上愛里沙などの頼もしいアウトサイドヒッター、山田二千華、入澤まい、荒木彩花などのミドルブロッカー、セッター関奈々巳たちの活躍が素晴らしかった。期待された石川真佑は体調不良ということで欠場していましたが、第2ラウンドから復活、期待通りの活躍がみられました。

第1ラウンドは名古屋で開催され、ドミニカ、クロアチア、ブルガリアと対戦。いずれも危なげなく快調な勝利を占めヨシヨシと思っていたのですが、最後に中国と対戦、1セットも穫ることなく3セット獲られて完敗しました。私の感想としてはそれまでの3戦に比べ、中国戦ではブロックや強打を決められ、それまでの日本チームの良さを発揮できず終わりました。古賀キャプテンが強力なスパイクを顔面に受け、一時は心配される場面もありましたが、しばし時間をおいて復活、安心させられました。以前、古賀は試合中に脚をくじいて以後休場となり、日本は最も強力なアタッカーを失うという非常に残念な事故がありましたので。

中国戦での敗因には日本チームの精神的なものがあったのではないかなあ、と思いました。日本はどのメンバーをとっても頼もしく高い技術を持っているのに、中国の迫力に敗けてしまったのではないかなあと。らしくないポロリ敗けも見られました。

○ ネーションズリーグ:男子バレー

今まで、女子バレーは危なげなく頼もしい姿を見せてきましたが、男子バレーはもう一息、残念という印象でした。ところが今年の男子は危なげなく強力、凄い。途中で壁に当たっている女子にくらべ、男子は破竹の進撃で今のところ当たるところ敗けなし。

金メダルを何度も取得実績のあるブラジルに勝利したのには、誰もが感激したことと思います。見ていると、ブラジルのスパイクは極めて強力、打たれるとまず止めるのは難しい。しかし、日本はサーブでそれを抑止したり、合間に巧みに打ち込むなど、フルセットの結果、僅差で勝利しました。

オポジットの西田有志、宮浦健人、アウトサイドヒッターの石川祐希、高橋籃、ミドルブロッカーの山内晶大、小野寺太志、高橋健太郎、セッターの関田誠大、リベロの山本智大。石川・高橋藍・西田ら強力なアタッカーが飛鳥のように舞い上がり痛快なアタックを放つ姿も素晴らしいですが、山内・小野寺・高橋健太郎ら長身のミドルブロッカーが高い位置から敵のコートに打ち下ろすスパイクには胸のすく思いがします。

また石川や高橋藍によるバックアタックを打つと見せながらボールを遠方にトス、それを受け西田が強力なスパイクを打ち込むという「フェイクセット」は日本ならではの忍者のような技。身長や筋力で差をつけられやすい日本はこのような巧妙な技も開発していくべきでしょうね。