「自分を見つめ直すきっかけとなったアトピー治療」
24歳2016年12月13日
24歳2016年12月13日
私が初めて松本漢方クリニックを訪れたのは2015年1月でした。当時、大学3年生の冬であり、就職活動を目前に控えていました。なぜその時期に受診したのかというと、理由は2つあります。1つ目は、以前まで使っていたリンデロンやロコイド、プロトピックといった薬に不信感を抱き、かつ痒みがひどくなってきており現在の治療に限界を感じていたこと。2つ目は、「就職活動は今年がだめでも来年やればいいよ。今はアトピーを治すことに集中してもいいんじゃない。」という母親の言葉があったこと。今になって思い返しても、ありがたいことを言ってもらったなと感じます。また、東京在住であるため、松本漢方クリニックまで通うことに関しても援助をしてもらいました。
私は大学1年の時に、たまたま履修していた授業で自己免疫の勉強をしていました。その知識をもとに松本先生のアトピーの論文を読み進めていくと、これは絶対に治ると確信をしました。初診時にこの話をすると、松本先生が握手をしてきてくれたことを今でも覚えています。松本先生の理論や治療方法を理解していくにつれて、目の前の視界が開けた気がしました。
また、初めて松本漢方クリニックを訪れたときに、待合室にまで広がる漢方の匂いが今でも忘れられません。今まで通っていた他の皮膚科とは違うな、という空気を感じました。患者さんたちも席に座って手記を読んでおり、本気で治したいという気迫を感じ、待合室で少し緊張した記憶があります。そんな中で松本先生は温かく迎えてくれました。これから先、どのくらい長い期間になるかもわからない中で、アトピー治療を始めようという決心がつきました。
日帰りで訪れていた初診の日の帰り道、駅のホームで電車を待っていると、顔から変な液体が出てくるのがわかりました。ティッシュペーパーで拭いてみると、変な臭いのする黄色い液体がありました。あれはリンパ液なのだと後でわかりましたが、なぜあのタイミングで出てきたのかについては疑問が残りました。今になって考えてみると、松本漢方クリニックの待合室でも感じた漢方の匂いが関係しているのではないか。つまり、あの短い時間で漢方に反応した自分の体、自分の免疫はすごいということを早い段階で実感することができました。
家に帰ってから漢方の煎じ薬を飲み、漢方風呂に入ってみると、翌日からすぐに症状が出始めました。顔や首の周り、肘や膝の裏側、太ももといった箇所に赤くぶつぶつとした水痘帯状ヘルペスが現れるようになりました。これらの箇所には今までステロイドを塗っており、抑えられていた免疫が一気に活動を始めたのだと考えられます。引っ掻いて水分が失われた顔や首の皮膚がつっぱってしまって、外に出て風に吹かれるだけでも痛く、少しむくんでしまった首を回すこともままならない状態がしばらく続きました。
また、目の周りも痒くなる症状が現れたのですが、理由としては、結膜炎で眼科を訪れた際に処方された点眼薬や軟膏の塗り薬にステロイドが含まれていた可能性が考えられます。松本先生の論文を読んでいた際にも感じたことですが、平気でステロイドを処方する医者に対する怒りと、それを受け入れてきた自分に対するやるせない思いがわいてきました。
その中でも1番辛かったことは、夜に眠れないことです。免疫が上がってからは全身が痒くなり、夜中に何度も起きてしまいます。そのたびに、漢方風呂に入る際に用意したしぼり汁をガーゼに浸して顔や首の周りに当てていき、傷口から菌の侵入を防ぐための黄色の軟膏と傷の修復を促す赤色の軟膏を塗っていきます。
引っ掻いてしまってむき出しになった皮膚を、自分の手で処置をしないといけないのですが、これには想像を絶する痛みが伴いました。漢方のしぼり汁を軽く当てるだけでも相当しみるのです。痛みを感じるごとに足がむず痒くなり、机を蹴り飛ばしてしまいたい衝動にかられました。こんな地獄のような日々がしばらく続きました。松本先生のやり方についていけば絶対に治るということを自分に言い聞かせなければ、痛みや辛さや不安で押しつぶされそうになることが何度かありました。そんなときには、他の患者さんの手記を読んで勇気をもらっていました。
アトピー治療を続けていく中で嬉しいことがありました。それは、ステロイド黒皮症によって黒ずんでしまった皮膚がきれいになったことです。ステロイド黒皮症は以前から疑っていました。ステロイドを使うたびに、その箇所が黒くなっていくのです。一生消えないものだと思っており、スポーツが好きな私にとっては、ユニフォームを着た際に脛の辺りに見えてしまう黒ずみにコンプレックスを抱いておりました。それがなくなったことで、以前よりも楽しんでスポーツができるようになったことも、松本先生には感謝しています。
また、興味深い事例を1つ紹介します。免疫が上がることで全身が痒くなることは先ほども述べましたが、それではどうやって掻いているのでしょうか。ほとんどの場合は手の指を使っていると思います。1番ひどかった時期に私は手の指の間が痛くなりました。これは何の痛みなのかと考えた末に出てきた答えは筋肉痛でした。そう、全身を掻きむしったことで指が筋肉痛を起こしたのです。もちろんこんな経験は生まれて初めてでした。アトピー治療に真剣に向き合ったからこそ得られた経験だと考えています。
気になることが1つあります。それは、ヘルペスとの闘いで用いるアシクロビルが保険適用外であることです。そのため、どうしても治療費が高額になってしまいます。本当に治したい人が、治すための薬を必要としているのに、保険適用外なのはおかしいと思います。
さて、ここで私のIgEの値の変化を見てみましょう。生後間もない頃は、ひどくなった時だけステロイドを使っていたということもあり、低い数値になっています。しかし、いきなり4500という値になった時期があります。この時期は、父親の仕事の都合で台湾に住んでおりました。漢方の煎じ茶を飲んでおり、ステロイドは使っていないとのことでした。そのためにこの数値になったのではないかと考えています。中学校に上がる頃から、リンデロンを白色ワセリンで3倍に薄めたものを塗るようになりました。
前述したように私はスポーツが好きで、スポーツで汗を流すたびに汗疹で痒くなるからです。数値はどんどん下がっていきました。そして、松本漢方クリニックに通い始めた2015年1月からは、一気に数値が上昇しました。それでも、多少の増減はあるものの、概ね右肩下がりになっているのがわかります。これは、松本先生の理論が正しいということの証明でもあります。免疫寛容になるのを、じっと我慢しながら待っています。
前述したように、当時は就職活動も同時に行っていたのですが、ワイシャツのボタンをとめるのが難しくなるほど首がむくんでしまったことには驚きました。また、恥ずかしい話ではありますが、ヘルペスとの闘いからくる倦怠感やピリピリとした痛みに耐えきれず、企業説明会への参加を断念せざるを得ない状況が何度かありました。
そういった中で、1番近くで支えてくれた両親や親戚、話を聞いてくれた友人や相談にのってくださった大学の先生方など、自分の周りにはこんなにもたくさんの支えがあることに気付くことができ、同時に感謝の気持ちも持つことができました。そういったことを全てふまえた上で、アトピー治療という極限の状況の中で自分を見つめ直す良い機会にもなりました。縁あって現在勤務している会社にも就職が決まりました。ストレス社会の松本漢方クリニック初診4中で働くことはアトピーである私としましても大変なことではありますが、かけがえのないことを教えてくれたアトピー治療を続けて本当に良かったと思っています。
以下に載せるのは、松本漢方クリニックでの治療を始めてから約3週間が経過した頃、おそらく1番辛い時期に手帳に残した記録であります。思い返しますと、こんなに辛い経験は初めてで、もしかしたらこの気持ちを誰かに伝えたかったのかもしれません。それを伝えるとしたら、これから松本漢方クリニックを訪れるであろう患者さんなのではないかと考えました。乱雑な文章であることを先にお詫びしておきます。しかし、同時にこれが本音でもあります。
2015年2月15日深夜
現在の自分の状態を、松本先生の理論や数々の手記と照らし合わせることで、そこにあったはずの絶望が、見えない希望に変わる。良くなっている段階のひとつだと思えることで、またひとつ、耐える原動力となるだろう。この闘いはまさに、忍耐力の具現化である。
松本漢方クリニックの門戸を叩いた時点で既に闘いの火蓋は切って落とされた。そこに待ち受けるのは、終わりの見えない孤独な闘い。つまり、相手は1人しかいない。自分自身との闘いなのだ。周りの人間は一切関係がなく、何を言われようと気にしなくて良い。そもそも周りの人間とは同じ土俵に立っていないのだから。
しかし、ひとつだけ忘れてはいけないのが、親の存在だ。苦しみを分かち合うことができない分、同じ土俵には立っていないかもしれないが、そこに近付こうと、共に闘おうとしてくれていることに変わりはない。そういった意味では親は、松本先生以外で自分の苦しみを分かってくれる人。つまり、自分は1人ではないと気付かせてくれる大事な存在なのだ。ただ、このように考えてしまうと、意識の外で自然と甘えが生じてくるかもしれない。辛ければ辛いと、痛ければ痛いと言っても良い。しかし、1番苦しい時には弱音を吐いてはいけない。そこは自分の中で静かに耐えるだけ。かけがえのない存在に気付くとともに、やはり最後は自分との闘いなのだと悟った。
最後に、まだアトピーは完治しておらず、途中経過の報告となってしまいますが、時には厳しい言葉もかけ、本気で向かい合ってくださる松本先生をはじめスタッフの皆様、ありがとうございます。また、この手記を読まれた方に勇気を与えることができるのであれば、こんなにうれしいことはありません。