「アトピー性皮膚炎手記(途中経過)」
47歳2015年12月24日
47歳2015年12月24日
はじめに
この手記は、今アトピー性皮膚炎で苦しんでいる人、どうやって治せば良いのか迷っている人、これから漢方治療を始めようとする人の役に立てばと思い、自分のこれまでの経緯を書き記したものです。残念ながら未だ治療途中ですが、きっと読む人の役に立つと思います。
松本漢方クリニックでの治療を開始したのは、6年前の2月です。そこから遡ること5年前にアトピー性皮膚炎を発症し、当時通院していた皮膚科で処方されたステロイド軟膏、痒み止めの飲み薬などで1年以上治療をしていました。しかし改善するどころか薬の量が増える一方で、更に症状も酷くなったため、「この治療は間違っている」と気づき、当時住んでいた近所の鍼灸院を訪ねました。そこでは脱ステロイドを勧められ、それに従うとともに、鍼治療も同時に実施しました。
すると、リバウンドが起こり、体中の皮膚が赤くなり、汁が吹き出し、剥け、体重が5~6kg程度落ちるという地獄のような日々が始まりました。その後、2ヶ月程度でそのリバウンドは収まり、体重も徐々に回復しながら、全身の赤みが取れていきました。そして乾燥肌程度の状態が1年程度続いた後、そのまま健康だった頃の状態に戻ったのです。
現代西洋医学の対症療法、特にステロイドの恐ろしさを、身を持って経験した私は、それから風邪をひいたりして処方された薬もネットで調べ、有害だと思ったものは破棄するようにしていました。それから2年間は、アトピー性皮膚炎を全く発症しませんでしたが、幼少の頃から度々発症していた喘息の症状だけは消えませんでした。(アトピーの脱ステロイド中は、喘息の症状は全く出ませんでした。これはlgE抗体がアトピーの方に使われていたからだと思います。)
私はその喘息を、発作時の吸入だけでやり過ごそうとしてきましたが(フルタイドというステロイド系粉末の治療剤はやりたくなかったのです)、吸入薬を使いすぎると心臓に負担がかかりますし、このままでは窒息死するのではないかと思うほどの重篤な状況も多々あり、仕方なく、フルタイドを適宜使用し、発作だけは防ぐような治療をしていました。
しかし脱ステロイドを経験してから3年目の夏、仕事や遊びで無理をしていたことから体調を崩し、肺炎を併発して緊急入院するごとになりました、喘息の症状もあったことから、3日間、毎日、寝る時間以外は点滴治療ということになりました。この時に使用された薬剤は不明ですが、ステロイド系の点滴をされたのは間違いないと思います。これが後々、自分の体の修復に大きな影響を与えることになります。この3日間の入院治療が終わってから、それまで3年間全く出ていなかった皮膚の痒みが、徐々に出るようになりました。背中や胸など、汗をよくかく部分が痒くなり、赤くなってきたのです。
自分はもうアトピー性皮膚炎は完治していたし、以前の状態に戻ることはないと信じていたのも束の間、その年の冬には恐れていた顔への症状まで出始めました。年明けにはさらに症状が酷くなり、(今思えばヘルペスウィルスによる症状かと思いますが)体の左半分の皮膚がただれ、体液が出て、今までで一番酷い症状が現れました。
近所の鍼灸院で鍼治療を続けましたが改善が見られず、思い悩んだ結果、総合病院として有名なS病院の皮膚科を受診しました。私が「ステロイドを使いたくない」と言ったので、ステロイドの軟膏は処方されず、抗生物質、痒み止めのヒスタミン系飲み薬や、ヒルドイドローションなどで対処することになり、その酷い状態を脱しました。そこで初めてIgEを測定してもらい、その意味を知りました。その時の数値は2,200でした。健康な人の上限の10倍の値ということだったので、大きな衝撃を受けた記憶があります。
会社に通える状態ではなかったので、1ヶ月間休職しました。この間、部屋の大掃除をしたり、換気を良くしたり、布団や枕なども新しくして、アレルゲンを減らす対応を実施したところ、最悪の状態から徐々に回復し、なんとか普通に生活できる状態になりました。半年程経過しても症状は小康状態で、「この状態ではダメだ」と感じ始めていたところに、主治医の先生からステロイド治療をすることを強く勧められるようになりました。そのため、これ以上この病院の世話になっても仕方ないと考え、別の病院を受診することにしました。大病院でしたが、人柄の良い先生でしたので、残念でした。
次に向かったのは知人が通っていたK大学の東洋医学総合研究所でした。そこでは漢方で有名な先生に診てもらえましたが、多忙なため2ヶ月に1回程度しか診察が受けられず、処方される漢方煎じ薬は、その時々で異なりました。ある煎じ薬が有効でなければ別のものに切り替えるということをされましたが、どれだけ効かない薬でも2ヶ月間はそのまま飲むしかなかったので、「タイムラグが大きい治療で何か無駄ばかりだな」と感じていました。その治療にも疑問を感じ、ネットでステロイドを使わない漢方中心の治療をする病院を探していたところ松本漢方クリニックのホームページを発見しました。
そこには現代医学の悪い部分、漢方薬の重要性が書かれてあり、“免疫を上げて病気は自分の免疫で治す”という松本先生の理論に感銘を受けました。「自分のアレルギー治療にはここしかない。是非とも受診したい」と思いましたが、住んでいた神奈川から大阪までは距離があり、躊躇していました。ところが、その当時2歳だった末娘にもアトピー性皮膚炎が出始め、自分ならともかく、娘には苦しい思いをさせたくないと強く思うようになり、遠距離ですが松本漢方クリニックを受診することにしました。今から6年前の寒い冬の2月のことでした。
奇抜でユーモアのある松本先生の診察は特異です。先生の理論をネット上で熟読してこなければ、多分、あの雰囲気に圧倒されて受診せずに帰ってしまうことでしょう。看護師さん達は真逆で、どなたも優しい雰囲気です。しかも親切で、とても信頼できる方ばかりです。自分が感動したことが一つあります。採血をしてくれた当時の看護師さんに、自分の過去数年間の非常に辛かったアトピー性皮膚炎との戦いの話をする中で、私はポロリと「もう死のうかと思ったこともあった」と言いました。すると、「そんなこと考えたらアカン!!何言っとる!!」と本気で叱ってくれ、「もう治るんだよ」と言われました。「え?治るってどういうことですか?」と聞くと、「ここで治療を始めたのだから、いずれは治るんだよ。今はまだ始まったばかりだけど」と。「だから、気持ちを前向きに切り替えて頑張って」と励ましてくれたのです。
それから6年間、漢方のお風呂、赤と黄色の塗り薬、煎じ薬で治療し、抗ヘルペスや喘息の薬を適宜処方してもらいました。また、風邪をひいた時には風邪専用の漢方煎じ薬を処方してもらいました(これが抜群に効きます)。前述の2歳の娘は、漢方のお風呂だけで数ヶ月後には症状が治まり、その後は日常生活に支障が出ることは一切無く、乾燥肌っぽくなった時には赤い塗り薬で対処しています。今は8歳になっており、多少はアトピーっぽい症状が出ることはありますが、全く問題ありません。西洋医学に頼ったステロイド治療を全くしなかったので、漢方で一瞬にして完治しました。
さて、肝心の自分の状態ですが、下のグラフの通り、IgEは2,200から20,000まで上昇し、そこから下降に向かいつつ、最近の検査ではまた一旦上昇しています。
アトピー性皮膚炎の患者さんの多くは自分も含めて、表面に見える症状(鏡に映る姿が気になってしまう)やlgEの数値に一喜一憂してしまいます。また、見た目の哀れさに何度もがっかりし、自信を失い、日々の活力も無くします。しかし、ここで起きている症状は、体が本来の姿に戻ろうとする自然治癒の過程です。そして、このアレルギー症状は自分が今まで行ってきた、不摂生、添加物だらけの食生活、風邪薬や鼻炎薬といった免疫を抑制する医薬品を使ってきたのが原因であり、誰のせいでもなく自分の責任なのです。「それらを理解し、覚悟し、この戦いに臨んでこそ、完治に向かえるのだ」と自分に言い聞かせることが重要です。
また、この耐え難き症状がいつ終わるのか、どんな過酷な状態になるのかは、誰にも分かりません。これが一番辛いところです。いつ終わるのかが分かるのであれば、どんなに辛くとも頑張れますが、先の見えないトンネルのようなこの戦いは、本当に辛いです。いつか必ず終わるのであろうが、今はそれがいつかは分からない。それをどうやって理解し、毎日の戦いに臨むのか、それがこの治療の一番重要な点ではないでしょうか。
IgEの数値が頂点を極め、それが下降していったときが、完治に向かうその時だろうけれども、上がったり下がったりを繰り返していくIgEの数値は先が読めません。実際、自分は現在、松本漢方クリニックにお世話になった6年前の数値、2,200の10倍の21,000、健康な人の100倍という数値まで上昇している状態です。しかし、なんとも不思議なことに、症状は6年前の時よりも軽いのです。現在もまだ、全身に赤みがあり、峠を越したかどうか分かりませんが、数年前の状態よりは遥かに楽です。
次回はIgEが下がり、症状も治まり、完治と言える状態になってから、この手記の続きを書きたいと思っています。それまでの間、松本先生と看護師の皆様、引き続きよろしくお願い致します。