「アトピー手記」
(妹)28歳2014年4月21日
(妹)28歳2014年4月21日
私の脱皮体験記
~アトピー克服の素晴らしい体験を経て~
アトピーが本格的に発症してからの1ヶ月半。すさまじいかゆみと闘いながら、私は常に不安と隣り合わせにいました。しかし、なんとそれは、人体の神秘とも言うべき素晴らしい体験との出会いでもあったのです。言葉通り、私は一皮剥けました。まさに脱皮です。そして、全く新しい皮膚と共に、私自身も生まれ変わったのです!私は松本理論の証人です。この手記は、現在、私と同じようにアトピーで苦しんでおられる方、そして、松本漢方クリニックでの治療をためらっておられる方にとって、少しでも手助けになればと思い、書かせていただきます。
①発症するまで
私はそれまで、金属アレルギーではないかと思われる症状に悩まされてきました。物心ついた時からアクセサリーを付けるのが好きで、特に中学生の頃から金属の指輪やネックレス、ブレスレッドをしていました。もちろん、子供でも買えるような安物のアクセサリーです。ある時、中指と薬指の間の部分に異常なかゆみが発生し、ポツポツと湿疹ができました。今思えば、これは指輪をしていた部分だと思います。
かけば汁が出てくる状態になったため、近くの皮膚科を受診しました。よく考えればおかしい診断だと思うのですが、その皮膚科の先生に何の検査もされないまま水虫だと診断され、塗り薬を処方されました。この時出された塗り薬についてははっきり覚えていませんが、おそらくステロイドだったのだと思います。薬を塗り始めると次第に手のかゆみは治まり、見た目も一見綺麗になりました。
しかし、それからもアクセサリーを付けると、その付けた部分の皮膚にかゆみが発生するようになりました。ネックレスをすれば首に、ピアスをすれば耳に、ベルトのバングルでお腹に、といった具合です。これは、私の体で金属中の化学物質を取り除こうと免疫反応が起こり、アトピーが発症したのだと思います。しかし、当時の私はおしゃれをしたい気持ちが強く、金属は金属でもニッケルフリーのアクセサリーを探しては付けたりして、ジタバタ反抗していたのですが、やはり金属に反応してしまうようで、付けるたびに湿疹ができました。
こうして、中学から大学までの間にいくつかの皮膚科を受診し、その都度ステロイド軟膏をもらっては塗っていました。耳とお腹の湿疹は軟膏で治まりましたが、首の後ろにできた湿疹は根深く、治ったように見えてもまたかゆみがぶり返したりしていました。皮膚科でもらった軟膏をすべて使い切っても治りませんでしたが、私は真面目な患者ではなかったので薬を塗り忘れる日も多く、毎日続けて塗らないせいでなかなか治らないのかもしれない…と思っていました。治っていないまま、また皮膚科へ行くと先生に何か言われるかもしれない、と気にして、足繁く皮膚科に通うことはしませんでしたので、まだ良かったのかもしれません。
今思えばバカなことを考えていたものです。また、地元で通っていた皮膚科の先生に、いつまで経っても湿疹が治らないことに対し、私が、「金属アレルギーだと思うのですが、かゆみが治まりません」と言うと、「最近は金属付けてないのでしょ?なら金属アレルギーじゃないのじゃないの?」と言われ、それを診察してくれるのが医者じゃないのか?と不信感を募らせたことがありました。そんな医者のいる病院には行きたくなくなり、通院をやめました。
そんな中、就職をして数年経った2011年秋頃、首根っこのところに、触るとコロコロ動くような腫瘍ができ、半年でかなりの大きさになったので、総合病院の皮膚科を受診しました。日常生活に支障が出るほどの大きさであったため、2012年春に、手術して取り除くことになりました。結局、その腫瘍は、石灰化上皮種という良性の腫瘍だったのですが、その診察をしてもらっている時、主治医が、アトピーにより首にできた湿疹を見るや否や、「湿疹がありますので薬を出しておきますね」と言い、アンテベート軟膏という塗り薬を処方されました。後に、それがステロイドだと判明したのですが、時すでに遅く…。もらった薬をこれでもかというほど塗ってしまったのでした。こうして私は慢性的に医者の、そしてステロイドの餌食になっていたのでした。
②アトピー発症
さて、ようやく本題であるアトピーとの戦いをお話させてもらうのですが、その前にどのようにして発症したのか書いておきます。社会人生活も4年に入った頃、私は仕事で多大なストレスを抱えており、鬱々とした日々を送っていました。以前から首にあった湿疹は、それ以降も時々かゆみを起こしていましたが、前述したステロイドの影響もあり、かゆみが出てくると薬で抑え込んでいましたので、さほど日常生活に困る状態ではありませんでした。
ちょうどその年の秋、姉が体調を崩し、偶然にも大阪にある“松本漢方クリニック”なる医院をインターネットで見つけ、通い始めていました。今思えば、それは偶然ではなく、必然だったのだと思います。まさか自分が通うことになろうとは、その時には夢にも思っていませんでした。その頃の姉は何日も熱でうなされ、動悸もあり、地元の病院を何件かたらい回しにされていました。どの病院でも曖昧な診断であったため、私自身、とても憤りを感じていました。
そんな中、驚くべきことが起こりました。普段からとても心が優しく、繊細で、どちらかと言えば奥ゆかしい控えめな性格の姉が、突然、「すごい病院を見つけた!ここで治療を受けさせてほしい!」と母に訴え、次の日には大阪へと向かって行ったのです。我が姉ながら、この行動力にはアッパレです。松本漢方クリニックでの血液検査の結果、膠原病のシェーグレン症候群ということがわかり、現在も治療継続中です。最初の頃と比べると今は驚くほど回復しています。よろしければ姉の手記「シェーグレン症候群手記」もご一読ください。
その姉の勧めもあり、姉が処方されていた、黄色と赤色の漢方の塗り薬を私はこっそり自分の首に塗り始めました。その色鮮やかさに、最初は疑いもありましたが、姉は熱心に話してくれました。松本漢方クリニックがいかに正直な病院か、正真正銘の治療を行っている唯一の病院か、そして、アトピーの原因が化学物質であることや、絶え間なく体に入ってくる化学物質を外へ出そうとしてかゆみが起こること、漢方の力を借りて免疫力を上げることによってアトピーとの戦いを手助けしてくれることなどです。ステロイドがいかに恐ろしい薬か、ということや、ストレスによって自分の体内でステロイドホルモンを出すこともあるということも聞き、大変驚きました。
松本漢方クリニックのホームページにすべて書いてあるので、読むよう勧められたりもしましたが、私自身は、頭では理解しながらも、自分には無関係だろうとどこかで思っており、そこまで真剣にはなっていなかったように思います。先ほども言いましたが、まさか、姉が通っていた病院に私も通うなど、露にも思っていなかったのです。人生とはどこでどう転ぶのか、本当にわからないものです。だからこそ、一つ一つ、一人一人との出会いに意味があり、その出会いの意味を考え、理解し、大事にするべきだと学ばせてもらいました。
そんな半信半疑の中、黄色と赤色の軟膏を使い始めたのですが、しばらくすると、ボコボコしていた湿疹の表面が真っ平らに変化しました。皮膚はまだ薄く、弱々しい感じではありましたが、なんだか治ってきたような気がして、姉と一緒に喜んだことを覚えています。しかし、これはまだまだ序章に過ぎませんでした。2012年の秋から冬にかけて、かゆみがひどくなり、かいては汁が出てかいては汁が出て、会社の制服のシャツが汚れることも増えました。後でわかったことですが、これは漢方の軟膏のおかげで免疫がだんだん上がり、体がアトピーとの戦いに向けて準備を始めていたからでした。私の心とは裏腹に、体はアトピーとの戦いを決意したのでしょう。
そんな状態の中、2012年の年末に行った温泉旅行が戦いの引き金を引きました。日頃の疲れやストレスを解消するためにのんびり温泉に浸かろうと喜んで入ったつもりが、その効力を存分すぎるほど発揮して、私の免疫がぐんぐん上昇。首の後ろだけだったかゆみの範囲が首全体に広がり、熱をもって赤く腫れあがりました。温泉療法というものがあるぐらい、温泉は免疫を上げるのに効果的なのです。当然、旅を楽しむ余裕もなく、絶え間ないかゆみと熱を持った首回りを常にタオルで冷やしてやり過ごしました。旅行から戻ってもかゆみは一向に治まらず、2013年の年明けはかゆみを抱えてのスタートでした。そして、病状がひどくなると同時に発熱…。
こうして私は、松本漢方クリニックの門をたたくことを決意したのでした。いや、そうせざるを得ない状況だったのです。それほど私の症状は切羽詰まっていました。当然、会社になんて通える状態ではなく、年明けから休職。すさまじいかゆみと、自分のものとは思えないほど腫れあがった顔、動かせない首と肩…。とても人前に出ていける姿ではなかったのです。そんな私は早1ヶ月半後に職場復帰を果たします。そうです、松本漢方クリニックのおかげで、見違えるほど回復したのです。まさに奇跡です。
③いざ松本漢方クリニックへ
初めて松本漢方クリニックを受診したのは、2013年1月6日のことでした。年末から年明けにかけてのひどいかゆみに加え、前日からの38~39度の熱により肉体的にも精神的にもボロボロになっていました。最初は首回りだけだったかゆみは、その頃には背中→胸→顔へと広がり、患部には白いブツブツとした湿疹ができていました。顔と首はまるでくっついてしまったかのように重く、首を動かすことはできませんでした。自分のものとは思えないほど腫れあがった顔…。耳の先までかゆみがあり、かけばリンパ液の汁が出てくる状態。治まるどころか日に日に増していくかゆみ…。とてもショックを受けていました。このまま治らなかったらどうしよう…。不安ばかりが募っていきました。
とりあえずガーゼで患部を覆い、けがをした時などに巻く網目のゴムに無理やり頭と両腕を出す穴を作り、それを装着することでガーゼを押さえていました。大阪まで新幹線で行くというのに、当日は、上下ジャージにダウンを羽織っただけの出で立ち。当然メイクもできなければコンタクトを入れることもできず、とにかく着の身着のままで新幹線に乗り込んだのを覚えています。そんな姿で新幹線に乗ったのは生まれて初めてでした。姉の勧めもあり、着くまでは必死に先生のアトピーの理論を勉強し、自分なりにノートにまとめていました。今、自分に何が起こっているのか、そして治すにはどうすればいいのかを根本的に知ることが大切だと思ったからです。そして、疑問に思ったことや、先生に質問したいことなどもノートに書き込んでいました。
松本漢方クリニックに着くと、漢方特有の匂いと共に、先生の熱弁される声が部屋中に響き渡っていました。その独特な雰囲気に一瞬ピリっとした緊張が走りましたが、それよりも私は先生に会えるのをワクワクしながら待っていました。それは、先生の論文を読むうちに、先生のおもしろくて温かい人柄がわかり、また他の方の手記を何度も読むうちに、先生が情熱を持って一人一人と向き合っていることを知っていたからです。まず、看護士の先生に現状を聞いてもらい、それからしばらく経って診察室へ呼ばれました。姉と一緒に診察室へ入り、まずは姉が診てもらいました。初めてお会いした先生は、とても明4るく、豪快で、サバサバとした“大阪のおっちゃん”でした。大学時代を関西で過ごした私にとって、先生はユーモア抜群でノリが良く、とても馴染みやすかったです。まさに、イメージ通りの人でした。
姉の診察が終わり、私の番になりました。今の症状を説明すると、先生が、「アトピーの原因は何か?」と聞かれました。新幹線の中で勉強した知識を披露しようと思い、アトピーの原因が化学物質であること、その化学物質を体外へ出そうとする働きによりかゆみが起こること、そして、アトピーの終着点が免疫寛容を起こし、化学物質と共存していくことだと答えると、良く勉強していると褒めてくださり、握手をしてくれました。その力強さにどれほど元気をもらったでしょう。これまでの不安は一気に吹き飛びました。先生が、「病気は漢方が治してくれるんじゃないんやで。免疫が戦って治してくれるんや。漢方はその免疫を上げる手助けをしているだけなんやで。」とおっしゃっていたのが印象的でした。
これまでの人生で、免疫に対して全く重要視していなかった私は、気軽にステロイドを体に塗り、風邪をひけば風邪薬を飲み、生理痛がひどいときは痛み止めを飲み…。そうすることで私は自分で自分の免疫を下げていたことを思い知りました。その前の年に、私はインフルエンザA型、B型を両方とも感染していました。ワンシーズンに二回も、です。これにはさすがに苦笑せざるをえなかったです。おそらく相当免疫力が下がっていたのだと思いますが、自分でもなぜこんなに体が弱くなったのか、とても疑問に思っていました。免疫力が高い状態であれば、ウィルスが入ってきても、粘り強く戦ってくれるでしょう。実は今年もインフルエンザを発症してしまったので、免疫が下がっているサインです。自分に休養を与える余裕を持ちたいものです。
そうして松本漢方クリニックでの初めての診察を終え、お風呂用の漢方とアトピー用の漢方に加えて、抗生物質と抗ヘルペス薬(ベルクスロン)を処方されました。この時、熱のだるさはあるものの、私はとても清々しい気持ちでいました。これから松本先生を信じて、そして必ず治ると信じてがんばっていこうと決意をしたからでした。
その帰り、姉がこんなことを言いました。「そういえば、先生がカポジって言っていたよ?」と。そうです。言われてみれば、先生は私の症状を見てそうおっしゃっていました。しかし、カポジという名前自体が初めて聞くものであったため、診察の時は、かぽじ???頭の中はまさにハテナ?状態でした。家に帰ってからインターネットで検索してみると、先生がおっしゃっていたのは、“カポジ水痘様発疹症”であることがわかりました。また、このカポジ水痘様発疹症はヘルペスウイルスによるものであり、アトピー性皮膚炎とヘルペスウイルスによる炎症の合併症であることなどが書いてありました。どうやら、高熱の原因はこのカポジのせいだったようです。
カポジとの戦いでは、病状以外のことでも、思いの外、辛い経験をしましたので後ほど詳しく述べたいと思いますが、まずはヘルペスウイルスについてお話したいと思います。ヘルペスとは幼いころからの付き合いでした。風邪をひき体調を崩すと必ず口唇ヘルペスが出現。中学生の頃には口唇ヘルペスの上にリップクリームを塗ってしまったことから、膨れた唇がさらにぶくぶくと膨れ、上唇のど真ん中を牛耳ったこともありました。その時は見られるのが恥ずかしかったため学校を休んでしまったという記憶があります。
それ以来、私の唇は今流行りの(?)タラコ唇です。良かったのか悪かったのか…。また、大学生の頃、バレーボール同好会に所属しており、練習中に右足の足首を捻る怪我をしてしまいました。高校生の頃から右足の足首や足の裏の筋が痛くなることがあったのですが、同じところを怪我してしまい、なぜか、その足首の痛みと連動して、ひざの内側の骨の部分に痛みが走るようになりました。今でも痛みがあり、特に、立ち仕事や足の疲労がひどい日には必ず痛みがあります。また、寝たときの体勢が悪く、朝から痛む時もあります。何度か治療しようと思い、近くの整形外科でレントゲンをとったこともありますが、骨にも筋にも特に異常はないとの結果でした。成分のわからない注射をひざに打たれたこともありますが、症状は改善されず…。これは、怪我に伴ってヘルペスが繁殖し、その影響で痛みがあるのだと思います。
しかし、上昇した免疫がヘルペスと闘ってくれてはいるのでしょうが、松本先生によると、神経節にひっそり身を隠したヘルペスには手が出せないため、ヘルペスを殺しきることはできないそうです。この先もこのヘルペスとはうまく共存していかなければならないようです。そういった意味でも、いかに免疫を下げないように毎日を過ごすか、が鍵となってきます。私のこのひざの痛みとも、もうしばらくお付き合いしなければならないでしょう。このように、私とヘルペスとの付き合いは長かったのですが、この度のカポジ水痘様発疹症だけは本当に参りました。その治療の様子を次にお話します。
④治療開始
松本漢方クリニックから帰ったその日からさっそく漢方治療開始です。前述したとおり、漢方が直接治してくれるわけではなく、漢方によって免疫をアップさせ、免疫がアトピーと戦ってくれるのです。“漢方なんて飲めない!”なんて思われる方もおられるかもしれませんが、私もその内の一人でした。まだアトピーが本格的に発症していない頃から、姉が毎日漢方を頑張って煮出し、飲んでいる姿を見ていましたが、私にはとても飲めないだろうな、と他人事のように思っていました。(姉は漢方を飲むことはまったく苦ではないらしく、まるでジュースのようにストローですすっていましたが…。)しかし、この状態になってしまっては四の五の言ってはいられません。免疫さんに頑張ってもらう意味でも、しっかり飲もうと決意しました。
熱で動けない私に代わって姉が私の分まで煮出してくれました。カポジによる発熱が治まるまでは当分姉か母が煮出してくれました。本当に感謝の言葉しかありません。そうして目の前に出された漢方は見るからにおいしくなさそうな色、そして何とも言えないニオイ…。対する私の作戦はこうです。“鼻を摘まんで流し込み、息をする暇もなくポカリスエットを飲む!!後味スッキリ作戦”です。(先生ごめんなさい!)最初は苦労した漢方も、この方法で難なく飲むことができました。むしろ、次第にその後味がおいしく感じられるようになりました。(あくまでも後味です。)この方法は効果抜群でしたので、漢方がどうしてもダメだ、という方はぜひ試してみてください。こうして、漢方と抗ヘルペス薬(ベルクスロン)、そして抗生物質の錠剤を飲み始めましたが、次の日も熱は38度台でした。そして以前にも増して激しいかゆみがあり、たまらなくなり松本先生に電話して不安に思っていることを聞きました。先生が教えてくださったことは下記のとおりです。
・かゆい時はかいて良い
・ベルクスロンは一日10錠までOK
・患部はタオルで冷やしてOK
・ヘルペスウイルス自体は悪いものではないから、リンパ液の汁は他の人に触れても大丈夫(だいたいの人がヘルペスウイルスを保有している)
・私が入ったお風呂の湯に他の人が入っても大丈夫
このように、これまで不透明であったことが鮮明となり、私は少し安心しました。特に、かゆいときはかいて良いと言われたことで随分気が楽になりました。また、漢方風呂も節約で姉と一緒に入れることがわかりました。その日からは、かゆくなったらおもいきりかき、その後タオルで冷やしました。患部には黄色と赤色の軟膏をぬり、その上からガーゼを当てていましたが、かゆみに任せてかきむしるので、ガーゼはぐちゃぐちゃになり、一日のうちに何度も薬をぬる→ガーゼをまく、の繰り返しでした。どんどん広がっていくかゆみに、私は不安と悲しみのあまり泣いてしまうこともしばしばありました。そういう時はいつも母と姉が“大丈夫よ!絶対に治るけぇね!”と励ましてくれました。どれほど心強かったでしょうか。そのおかげで正気を取り戻すことができたのでした。
寝ている時にもかゆみは容赦なくやってきて私を苦しめました。その日の日記には当時の沈痛な気持ちが次のように綴ってあります。“かゆくておもいきりかいたけど、丈夫な皮膚がないせいか痛みもあり、その痛がゆい状態というのがものすごく悔しくて、歯がゆくて、取り乱してしまう…。涙が勝手に出る…。強くならないと!!”年末からの異常なかゆみのせいで、首から背中にかけての皮膚はもうほとんど残っておらず、少しでもかくとリンパ液があふれ出る状態でした。そのリンパ液の何とも言えないにおいで何度も吐きそうになったほどでした。
下の写真はアトピー初期の様子です。横から見た首ですが、リンパ液がうっすら染み出している様子がわかると思います。次は首から背中にかけてです。異常なほどのかゆみで皮膚がはがれ、肌の色が変色しています。そして、こちらも背中です。正常な皮膚はほとんど残っていませんでした。背中の下の方にある白い湿疹のブツブツはカポジによるものだと思います。発熱の原因はこのためでした。そんな中、一つ嬉しい変化がありました。顎の腫れが引き、首が少し動かせるようになったのです。風船のように腫れていた顔は、顎の部分の古い皮膚がかさぶたになり、そのかさぶたがごそっと取れて新しい皮膚になりました。耳の先まであったかゆみも次第に減り、新しい皮膚に生まれ変わったのでした。これだけでどれほど心が救われたでしょうか。このアトピー治療に光が見え始めました。このまま続けていれば間違いなくアトピーを克服できる!という自信にも繋がったと思います。
そして、アトピー治療に欠かせなかったのが漢方風呂です。ゆっくりとお湯に浸かることで、かゆみから解放され、体だけではなく心にまで休息を与えてくれた貴重な時間でした。長く入るのが良いと聞いていたので、私と姉は退屈しないようにクロスワードパズルや、ロジック、漢字クイズの雑誌を持ち込み、交互にそれらをやっていました。冬の寒い時期でしたので、お湯がすぐにぬるくなり、そのたびに熱い湯を注ぎ足しながら、ほぼ毎日2~3時間は必ず入っていました。このおかげで良くなったと言っても過言ではないくらい、私にとって効果がありました。初めの頃は私の皮膚がお湯にプカプカ…!!多い時には、気づけばお風呂一面が皮!皮!皮!なんてこともありました。皮膚の再生を実感してびっくりしながらも、姉と二人で必死にたらいで皮膚を取り除いたことは良い思い出です。気持ち悪かっただろうに、姉は一つも文句も言わずに毎日お風呂に付き合ってくれました。
また、気休めかもしれませんが、アトピーになってからボディーソープを止めて無添加のベビーソープに変え、シャンプーとリンスも無添加のものに変えました。特にシャンプーは界面活性剤が入っているものが多く、皮膚への刺激が強いそうです。これまでは、ただ髪の指通りを良くしたいな、などと思っていただけで、皮膚への影響など考えたこともありませんでした。この度の病気で、化学物質とは何なのか?この世の中にどれだけの化学物質が潜んでいるか、を知る良い機会となったのでした。化学物質は空気中にももちろん存在し、いくらマスクをしても防げるものではありません。
近頃は中国の大気汚染(PM2.5も含む)が日本へも飛来していることは周知の事実ですが、これらの被害を完全に受けないことは難しいと思います。私は今でも毎日マスクをして通勤しておりますが、それでも人体への影響は今後少なからずあるでしょう。また化学物質は食べ物にも多く含まれており、調味料を始め、冷凍食品やお菓子やジュース、パンにも平気で混在しています。色をつけて見た目を良くするための着色料や膨張剤、日持ちさせるための防腐剤など、挙げたらきりがないほどです。毎日ひっきりなしに入ってくるこれら化学物質を体内に入れないことは不可能なのです。だからこそ、アトピーの終着点はこれら化学物質と共存していくことなのです。とは言っても、体に悪いものは極力避けるべきだと思います。何を選択し、何を切り捨てるか。自分の身を守るのは自分でしかないのです。
こうして毎日漢方を飲み、漢方風呂に入ることによって少しずつ皮膚の再生が始まりました。しかし、激しいかゆみはまだまだ留まることを知りません。それどころか、かゆみは首、背中、胸に加えて左腕にもやってきました。なぜ左腕なのだろう?と疑問に思いながらも、かゆみに任せておもいっきりかいていました。特にひじから指にかけて、異常なほどのかゆみで、無心でかきむしりました。すると、かいた痕がボコボコと膨れ上がり、次第にパンパンに膨れ上がってしまいました。皮膚の表面はざらざらしており、ブツブツとした湿疹が細かくでき、痛がゆい状態でした。腫れあがった腕はリンパ液が溜まっているようでしたが、うまく体外へ放出できずに留まっているようでした。ここでおもしろい写真があります。姉と腕を並べた時の写真なのですが、私の腕がいかに腫れていたかが一目瞭然にわかると思います。10この腫れた左腕はかなり重く、腕を下に下げていると、重みで圧迫され痛くなるので、上げていなければいけないほどでした。
翌日になり、39度の発熱。背中にできたカポジ水痘様発疹症によるものでした。松本先生から、熱が39度を超えたときは点滴をする方法もある、と聞いていました。まさにその状況になってしまったので、もう一度先生に電話をしたところ、点滴をしなくても治るが、念のため抗ヘルペス剤と抗生物質を点滴してもらうよう指示を受けました。そこで困ったのは、点滴をしてもらう病院探しです。地元の皮膚科は信用できませんでしたし、小さな内科では手に負えないことはわかっていました。
そこで父の知り合いの医師を通じて、総合病院の皮膚科に紹介状をFAXしてもらったところ、すぐに来るよう連絡がありました。その病院とは、偶然にも約一年前に石灰化上皮種の摘出手術をしてもらった病院でした。母と姉に付き添われ車で30分以上かけて連れて行ってもらいましたが、到着してからもすぐは診てもらえなかったのでしばらく待ちました。ようやく診察してもらえることとなり、診察室へ入ると、様々なステロイド薬の見本が並んで置いてありました。ああ、こうしてたくさんの患者にステロイドを処方しているのだろうな、と考えるとしんどさが倍増したものです。私は高熱で意識朦朧としながらも、その皮膚科の医師に必死に現状を説明しました。
現在、大阪の病院を受診しており、ステロイドは使わず、漢方薬で免疫を上げることによってアトピーを治していること、大阪の病院の先生からカポジと診断され、熱を下げるために抗ヘルペス剤と抗生物質を近くの病院で点滴するよう言われたのでお願いしたい、ということです。“まずは患部を見せてください”と言われたので、背中と首のガーゼを外しました。もうほとんど皮膚がなく、吹きさらしになった患部があらわになりました。空気が触れるだけでもスースとして違和感を覚える状態です。患部を見て、医師も驚いていました。“確かにカポジですね”、と言い、“記録したいので写真を撮らせてください”、と写真を数枚撮られました。これまで何人もの患者さんを診てきたであろう皮膚科の医師が写真を残したいほど、私の状態は悲惨であった、ということです。
その後、治療法の説明になりました。点滴をするにあたって、入院をした方がいいと勧められました。一日だけ点滴をするよりは、連続してやる方が効果ある、とのことでした。私は、点滴をしてもらえるなら、言われたとおり入院をした方が良いかもしれない、と思い、その方向で.話を進めていました。しかし、医師の口から出たのは驚くべき言葉でした。“我々もカポジの治療にはステロイドは使用しません、カポジはヘルペスが原因ですから。でも、カポジが落ち着いて、アトピー治療をする段階になればステロイドを使用します”とはっきり言われたのです。
それだけは絶対に首を縦に振ることはできません。私は、“今、ステロイドを使用せず、漢方で免疫を上げて治そうとしているところなのでそれは困ります、なんとか入院している間は点滴だけをしてもらって、終われば退院させてもらえませんか?”と必死にお願いしました。しかし、それはできない、ステロイドを使わないという約束はできない、の一点張り。その時思いました。ここが松本先生の戦っている世界なのか…と。私は目の当たりにしたのです。ステロイドが体に悪影響を及ぼすことなど、この医師も必ずわかっているはずです。決して根本治療などではなく、免疫を落として一時的に症状が良くなったと錯覚させているだけであること。
しばらくしてまた症状がぶり返したらまたステロイドを与え、それを繰り返しながら患者をステロイド漬けにしているのです。全世界の医師たちはこの事実に気づいていながらも、製薬会社と強く結びついた医学界から追放されないよう、皆、口をつむっているのです。本当に卑怯者たちの集まりです。正しいことを教えるどころか、いつまでも患者を騙しながら、外面だけは良い顔をしている医者には閉口してしまいます。この世界で松本先生は一人で戦っているのです。どれだけ孤独でしょうか。どれだけ悔しい思いをされているでしょうか。私は自分が経験したからこそわかります。
私はこの医師に言いました。“ステロイドは根本治療ではありませんよね。私も何度も処方されましたが、治ることはありませんでした。漢方で免疫を上げてアトピーを治したいのです。”しかし、高熱で苦しんでいる私を目の前にして、医師は信じられないような言葉を放ちました。“皮膚科ではステロイドを使うのは当たり前。ステロイドを使っても治らないのは遺伝です。生まれつき皮膚をガードする力が弱いから、ステロイドとはずっと付き合っていくしかない。”と、こういう手段で患者たちはステロイド漬けにされていくのです。
治らないのは遺伝?そんなこと決してありません。アトピーの原因は化学物質なのです。このような辟易する話を、その医師はさも当たり前かのように流暢に話してきたのです。この言葉に一体これまで何人の患者たちが惑わされ、騙されてきたのでしょうか。今、この時にもステロイドにより免疫を下げられ、ステロイドの常用により黒ずんだ皮膚(ステロイド皮膚症)になっている患者たちが増えていると思うと…とても胸が痛みます。私たちは真実を知るべきなのです。
その医師の言葉を聞きながら、私は心身ともに疲れ果ててしまいました。それでなくても39度の熱があるのです。切羽詰まった状態の患者に対しても、この医師は偽りを並べ立て続けたのです。私の中で、もはや入院という選択肢はありませんでした。腹立たしさをなんとか抑えながら、“では入院は結構ですので、今日だけでも点滴をしてもらえませんか?”と必死に訴えました。本当は治療など受けず、もう帰りたかったのですが、状態が状態なだけにそのようなことを言われてまでも治療を乞わなければならない自分にも情けなさを感じていました。
それでも何度か渋られましたが、結局、点滴をしてもらえることになったのでした。診察室から出ると、それまで張り詰めていた緊張の糸が切れ、肩の力が一気に抜けるのを感じました。これが医療なのか?患者を苦しめることが、今の医学なのかと呆気にとられた気分でした。そうして、約束どおり、抗ヘルペス剤と抗生物質の点滴を受けてその日は帰宅しました。
次の日になっても熱は38度を超えた状態でした。左腕のかゆみはリンパ液が出たあとも治まらず、特に手首の部分にブツブツとした湿疹が増えていました。リンパ液が出たはずなのに、まだまだかゆみは治まらない。これからどうなっていくのだろう…という不安は見事に的中しました。その日、カポジによる湿疹が胸中に出来ていたのです。白いポツポツした出来物がびっしりと並んでいました。これには目を疑うしかありませんでした。場所が場所なだけに、ここでお見せできないのが残念なほどです。さらにそのカポジによる白い湿疹はいつの間にか左腕にも発症していました。手首にも小さな湿疹ができており、おかしいな、と思いながらも、昨日、病院で処方してもらった抗ヘルペス剤と抗生物質の錠剤を飲んでしのぎました。下の写真がその時のものです。これがカポジ水痘様発疹症です。左手の手首にも湿疹が集中している様子がわかると思います。
一つ、気づいたことがあります。高熱が出ている時にはかゆみは治まり、熱が下がると同時にかゆみがまた復活するということです。理由はわかりませんが、熱とかゆみは反比例していたように思いました。その日の午後、熱が39.7度まで上昇。しかし土曜日であったため病院が見つからず、様子を見ながら朝を迎えました。熱はやはり39.5度と高く、母が休日診療所へ連絡し、連れて行ってくれました。しかし、休日診療所では点滴の準備ができないと断られ、近くの国立病院へ行くよう指示されました。向かった国立病院は日曜日ということもあり薄暗く静かな雰囲気でしたが、1月という季節も手伝って待合室には診察を待っている患者たちが少なからずいました。問診票を記入してしばらく待っていると呼ばれました。もちろん、またここでも一から症状の説明です。面倒でも点滴を受けるためには仕方ありません。これまでのいきさつや、前々日に他の病院で点滴を受けたことを細かく話し、カポジで覆われた患部もさらけ出しました。この病院の当直医は皮膚科の専門ではなかったようで、前回のように高圧的に言われることはありませんでした。
しかし、専門ではない=治療の判断がしにくい、ということをも意味するのです。“その高熱はインフルエンザの可能性も捨てきれない”、と言われ、検査をさせられたのでした。もちろん結果は陰性。私や家族はインフルエンザではないことぐらいわかっていましたが、そこまでやらないとこの医師は納得してくれませんでした。ようやく点滴をしてもらえたのは何度も頼みこんだ後のことでした。それも“医者が患者の言いなりになって治療をすることはできない。この治療をして何かあったら責任を問われてしまう”と何度も言われました。その言い分もわからなくはなかったのですが、松本先生の指示は絶対に正しいと確信していたので、“大丈夫なのでお願いします”と必死にお願いしたのでした。この2度目の点滴が功を奏し、次の日には微熱程度に下がっていました。
この頃から左手首にできたカポジはその湿疹をぶくぶくと膨らませ、全体が一つに固まったかのように大きな水泡になりました。しかもその水泡は手首を一周していたのです。なぜ手首に??不思議に思っていたところ、姉が閃きました。“それ、腕時計していたところじゃない?”と。そうです、腕時計なのです。これまで私はお気に入りの時計を毎日していました。金属性の時計でしたが、なぜかその場所にだけは金属アレルギーの影響が出ていませんでした。金属の成分の問題なのかな?と勝手に思っていたのですが、やはりその影響を存分に受けていたようです。こんな時に顕著に現れるのだな…と妙に感心してしまったほどです。
それからもかゆみは止まるところを知りませんでした。左手だけだったかゆみは右手にも広がり、湿疹もできました。一度どこかからかゆみが広がると、そこを発端に全身へ広がってしまうのです。首から始まったかゆみは背中→腕→お腹→手のひらへと進み、一通りかいて、かいて、ようやく終息するといった具合でした。首や背中からはたくさんリンパ液が溢れました。ぶくぶくと腫れていた左腕からもリンパ液が出てきたときには大変嬉しかったです。下の写真をご覧ください。ずっしりと重たかった左腕はようやく本来の姿を取り戻したのでした。
その頃、松本漢方クリニックでの第一回目の血液検査の結果が届きました。松本漢方クリニックでは、遠方の患者さんは通院が難しいため、二週間に一度、先生に電話をし、薬の注文をすることができます。血液検査の結果はその薬と一緒に自宅まで郵送していただけるので大変助かりました。送られた検査結果を見て驚いたのはヘルペス値の高さです。
・単純ヘルペス185.2(基準値2.0未満)
・水痘帯状ヘルペス125.9(基準値2.0未満)
・CRP定量3.47(基準値0.30以下)
これまで長く付かず離れずのお付き合いしてきたヘルペスですが、ここのところは愛されている状態になってしまっていたのです。一方的な愛とは困ったものです。炎症反応を示すCRPの値も高く、カポジになったのも納得の数字でした。次の血液検査までには少しでも数値が良くなっているようにがんばろう、と決意を新たにすることができました。
⑤皮膚の再生
二度目の点滴をして以来、熱は37度台を保つようになり、毎日2~3時間漢方風呂に入る生活に戻りました。それからはおもしろいように日に日に変化が現れました。カポジによる湿疹ができていた腕は全体的に皮がむけ、腕時計の位置にできた白い水泡も次第に皮がむけていきました。16かゆくなればおもいっきりかき、たくさんリンパ液を出し、漢方を飲み、漢方風呂に入る。全てはこの繰り返しです。首と背中はかゆみの根が深く、一進一退でした。かゆみで目覚めることも何度もあり、そのたびに薬を塗り、ガーゼをし直しました。お風呂の中でもかゆければかくと、弱々しい皮膚がボロボロとはがれ、突っ張ったような皮膚になりましたが、また次の日にはその上に弱い皮膚が覆いかぶさっている状態でした。そうして何度も皮の再生を繰り返し、少しずつ少しずつ、丈夫な皮膚へと生まれ変わっていくようでした。
アトピーにを発症してから、私は毎日写真を撮ることを日課にしていました。それが、松本漢方クリニックの約束事でもあったからです。大抵はお風呂上がりに、薬を塗る前に姉や母に撮ってもらいました。これにより、以前の状態と比べることができ、日々の小さな変化も感じることができました。そして、症状が良くなっていくのが目に見えてわかったので、モチベーションにつながりました。ここからは写真で経過を見ていただきたいと思います。論より証拠!百聞は一見に如かず!です。
まずは首から背中にかけてです。何度も何度も皮膚が生まれ変わることにより、少しずつ強い皮膚になっていきました。次はカポジで苦しんだ手です。手は症状が特にひどかったからか、皮膚が徐々にむけていき、最終的には両手とも新しい皮膚に生まれ変わりました。下の変移をご覧ください。見違えるほど回復していく様子がわかると思います。手の平の皮膚も手の甲の皮膚も両方剥けました。しかも両手ともです。生まれたての皮膚はとても繊細で、まるで赤ちゃんの時の肌に戻ったかのようにきめ細やかですべすべした手触りでした。苦難を乗り越えた先に、こんなご褒美があるとは思いもしていませんでしたので、本当に嬉しかったです。しかし赤ちゃんの肌だけあって、ちょっとした刺激にも弱く、重いものを持つのも耐えられないぐらいでした。
また、皮膚が良くなるにつれて、今度は背中や両手にピリピリとした痛みが走るようになっていました。手がしびれたような、ほんのちょっと、電流が走っているような感覚なのですが、一日中そのような状態なのでとても落ち着かず、イライラすることが増えました。まだまだ全身にかゆみがあり、かいたあとでこのピリピリとした痛みがやってきました。この頃のかゆみは足にも侵攻し、なんと足の指の一番先まできっちりかゆくなりました。まさか、足の皮膚もむけるのか?と戦々恐々としておりましたが、それはなかったので胸をなでおろした次第です。また、微熱があり体がだるく、倦怠感に襲われることも少なからずありました。
そんな中、松本漢方クリニックでの二回目の診察の日がやってきました。最初の発症から1ヶ月後の2月1日のことです。前回はスッピンで新幹線に飛び乗り、必死に向かいましたが、今度は違います。久しぶりにメイクをして出発しました。再会した松本先生はやはりパワフルで、お話するだけでたくさんエネルギーをもらいました。先生が、「あれ、妹さん、こんな顔やったん?」と驚かれていましたが、前回はアンパンマンでしたので無理もありません。とても楽しくお話させてもらい、回復している旨を伝えるととても喜んでくださいました。電流のようにピリピリ走る痛みや、倦怠感について相談すると、それはヘルペスとの戦いだと教えて下さいました。免疫をもっと高めるように、新しい漢方になりました。これがまたまず…いや、独特のお味で。漢方が変わると最初は飲みにくいものです。ポカリ作戦は最後まで続きました。(先生ごめんなさい!)
こうして、毎日の漢方の煎じ薬と、漢方風呂、そして赤と黄色の軟膏、ヘルペスをやっつけるベルクスロンを続けることで、みるみるうちに症状は良くなっていき、ついに職場復帰と相成ったのでした。アトピー発症から1ヶ月半後のことでした。
⑥輝ける未来へ
職場復帰以降も漢方の煎じ薬は約半年間続け、9月の診察をもって松本漢方クリニックでの治療は終了しました。ストレスフルだった職場も、復帰以降すぐに部署を異動することができ、それからはストレスを溜めないことを心がけています。ストレスはどんな病気も悪化させてしまうほど、侮れないものです。一人で溜めこまず、どこかでうまく発散させながら自分の体調を管理していきたいものです。そして何より、かゆい時は遠慮せずにかくことが一番大事なことだと思います。かくことによって、不要なものを体外へ出すことができ、皮膚の再生につながったからです。今でもたまにかゆみ起こることもありますが、気にせずかくようにしています。また、あの時の状態になったらどうしよう、なんて不安は感じていません。むしろ、またあの時の状態になってしまったら、また同じように松本漢方クリニックで治療しよう!と思っています。もう何も恐れることはありません。一度克服したのですから。また、同じことをすればいいだけなのです。もしその時が来ましたら、またよろしくお願いします。
アトピーを克服して、1年が経った今年、私は仕事を辞め、中学生の頃からの夢だった海外留学をする予定です。こうして新たな一歩を踏み出せるのも、アトピーを克服できたおかげなのです。今は夢と希望で満ち溢れています。もちろん、困難や苦難、挫折を感じることも多々あるでしょう。しかし、アトピーを克服できた、という紛れもない事実が、揺るぎない自信へと導いてくれています。絶対に治す!という強い信念があれば、何事も出来ないことはない、と証明したのですから。この手記をご覧になってくださった方もおわかりになったと思います。もしあのまま間違った治療をしていたら…と考えるとゾッとします。インターネットで松本漢方クリニックを掘り出してくれた姉のおかげです。
⑦最後に
松本先生、ご無沙汰しております。手記がこんなにも遅くなってしまい、大変申し訳ございませんでした。日々の生活に追われるうちに時間があっという間に過ぎてしまい、あれからもう1年が経ちました。私はどんなに遅くなっても、必ず手記を書こうと思っていました。アトピーになって以降、松本漢方クリニックのホームページに度々訪れては、アトピーの方の手記を読みあさり、私自身、とても助けられたからです。同じ苦しみを味わっている人がいる、一緒に戦っている人がいる、自分は一人ではないんだ、と。どんなに勇気づけられたかわかりません。だからこそ、自分が克服した暁には、必ず、手記を書こうと決意していました。
しかし、実際にパソコンを目の前にし、自分に何が起こったのか、を思い返すと、自然と涙がこぼれるのです。苦しかったこと、辛かったことが走馬灯のように思い出され、重たい気持ちになり、最初のうちはとても文章にすることができませんでした。ようやく書きだせたのは今年に入ってからでした。松本先生には本当にお待たせしてしまいましたが、拙いながらも思いのたけを綴ることができ、今はとても満足しています。こんなに素晴らしい経験をしたのですから、独り占めしていてはダメですよね!ぜひ、たくさんの方に読んでいただければと思います。最後になりましたが、これまで私を支えてくださった全ての方に感謝しています。パワフルで、元気で、明るく、厳しく、ダンディでおちゃめな松本先生。本当にお世話になりました。一人で戦っていらっしゃること、よくわかっています。でも、先生は一人ではありません。松本先生を信頼し、松本理論を実践している私たちがいるからです。応援しています。これからもがんばってください。
そしてご子息の松本先生にも大変お世話になりました。ますますのご活躍を祈念しております。また、松本漢方クリニックのスタッフの皆様、本当にありがとうございました。そして、一番忘れてならないのが家族の存在です。私が苦しんでいるとき、父も母も姉も、一緒に泣いてくれました。痛みを分かち合ってくれました。漢方を煮てくれ、薬を塗ってくれ、ガーゼを巻いてくれ、言いだしたらきりがないくらい、家族には支えられました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
アクセサリーによって引き起こされたアトピーでしたが、もうアクセサリーで着飾る必要なんてありません。これからは私自身が輝くのですから