「アトピー・ヘルペス手記」
48歳2015年5月31日
48歳2015年5月31日
■松本先生のところにたどり着くまで■
赤ちゃんの頃にアトピーだった、という話は聞いたことがあります。でも本人に自覚はなく、自分でアトピーのことを気にするようになったのは22歳の夏でした。最初はひじの内側、次に首。就職活動中だったこともあり、「暑い夏に慣れないスーツを着て歩き回らなければならなかったので、あせものようなものなのかな?」と気にしていなかったのですが、24歳ごろから、だんだんひどくなってゆきました。目の周りが真っ赤にはれてサングラスをして外出していたのは1995年の少し前だったと思います。阪神の震災にあった時も、当時塗っていたアロエのローションを持って出たほど、保湿には気をつかっていました。
何度か皮膚科にかかったこともあります。必ずステロイド系の薬を処方されましたが、よほどひどい時以外はつけないようにしていました。副作用がこわかったからです。かといって、それでは代わりにどうすればいいのかがわからず、玉子や牛乳を避け、酢の物や苦い物を意識して摂るようにするくらいしかできませんでした。今と違ってインターネットなどで情報を得ることもできず、不安でおびえた日々が続いていましたが、今振り返ると大きな出来事が2つありました。
1つは地震後の引っ越し先でのこと。その頃もアトピーがあったのですが、市販の保湿グッズなどでやりすごし我慢をしていました。ところが、口の左下にぽつんとおできのようなものができたのがきっかけで、首からデコルテにかけて、今までのアトピーとは異質な痛みを伴うかゆみと発疹が出て重症化。たまりかねて皮膚科を受診すると、「カポジ水痘様症で入院直前の状態」だと言われました。アトピーでかきむしった肌にヘルペスウイルスがつくと一気に広がり、熱が出て症状がひどくなるというもの。アトピーだとばかり思い込んでいたため、皮膚科を受診するタイミングが遅くなってしまったのです。そのため、また別の土地でアトピーがひどくなり、治りかけたと思った頃に両足に蕁麻疹が出た時には、怖くなってすぐにお医者さんへ走りました。ところがこのお医者さんで打たれたステロイドの注射でアナフィラキシーショックを起こし倒れてしまったのです。目覚めた私に、ベテランらしい看護婦さんが言いました。「先生はすぐに注射を打ちたがるけど、嫌だったら嫌と言わないといけないですよ」と。これがもう一つの大きな体験です。
■松本漢方クリニックを知ったきっかけ■
大阪に戻ることになった私は、以前から続けていた雑誌のライターの仕事を大阪でも始めました。取材先のみなさんは特に何もおっしゃらなかったのですが、アトピーが顔に出ると目立ってしまうんですよね。取材後、あるご家族から「あなたはアトピーなの?」と声をかけられました。学習塾を経営しているこのお宅のご主人によれば、そこに通う生徒さんでアトピーの子がいたのが、ある医院に通うことで見る見るうちに症状が改善したんだそうです。そこで、以前からアトピーだった奥さまも同じ医院に通うようになり、今は足に残っているくらいでずいぶん良くなったというお話でした。近いうちにその医院に行くついでがあるので、一緒に行かないか?というお誘いを受け、福岡で怖い思いを2度していた私はわらをもすがる思いで奥さまの後についていきました。これが松本先生との出会いです。
■初診2005年3月30日■IgE1241
事前に奥さまからどんな先生か、お話しを聞いていたので、診察室から聞こえてくる大きな声に驚くことはありませんでした。むしろ、診察室いっぱいに溢れかえっている患者さんの数にびっくり。同じアトピーに苦しむ人がこんなにいるんだな、と改めて思いました。ずらりと並んだ手記も大変読みごたえがあるものばかり。ただ診察自体は細かいものではなく、一通り方針の確認が済むと、先生が「絶対に治るからな!」と力強くおっしゃり、ふんわり温かく握手してくださいました。ここから始まる長い治療生活の途中、先生から「君はなんでうちに来たんや?」「なんでこうして辛抱強く通ってくれるんや?」と聞いてくださったことがありました。「紹介です」「初めて来た日、すごく久しぶりにぐっすり寝れたんです」と話すと、先生はちょっと驚いて、「眠くなるような薬は出してへんけどな」とおっしゃり、隣の看護婦さんは「きっと安心したのね」とおっしゃいました。本当にその通りだと思っています。
■2005年5月31日■IgE815
最初の検査結果で指摘されたのがスギに対するアレルギー反応。0.34以下であるべきものが、235もあるとのこと。しかし、このスギ花粉アレルギーは、2回目の検査で91.75になり、3回目の検査では46.40になり、その後も40前後を行ったり来たりしています。これくらいだと初診の時のようにアトピーが顔に出るということはありません。ただ、花粉の時期になると、やはりかゆみが増し、お肌がこふき芋みたいになるので、先生に「花粉の薬をお願いします」と申告しています。気休め程度にマスクもします。「マスクなんてしても一緒や」とやさぐれていた頃もありましたが、「それでもしないよりましやろ」と友人に諭されて以来、お守りのように持って出るようになりました。
■2005年9月12日■lgE483
花粉はスギだけでなく、イネ科にも反応します。3回目の血液検査の紙を見ると、イネ科の数値のところに先生がボールペンでマルをなさっています。ただ、数値は9.5でスギに比べると小さいものでした。さらに私の場合、秋口に、きんもくせいの香りがするとアトピーが悪化するのです。「きんもくせいの花粉にも反応するのか……」と思ってましたが、今考えると、これは季節が進み、急に寒くなって身体が冷えてしまったサインのようです。(根拠なし)
最初の3カ月で症状は大幅に改善し、私はすっかり松本先生の信者になっていました。しかし、松本先生の方針に甘えて、掻きたい放題にひっかいていましたので、肌がすっかり良くなるということはなく、元通りの肌に戻る日を夢見て通いつづけることにしました。また、通い続けた動機のひとつとして、症状が変化し続けた、ということも挙げられるかと思います。「良くなった」とは言えないけれど、「変わっていった」ということは言えます。
■2006年5月19日■IgE437
この10年で最も血液検査の結果が良かったのはこの頃です。IgE値437、スギは30.30、イネは3.20でした。この時の検査結果の紙には先生の山型折れ線グラフの絵があります。しかし、自分がこの山のどこにいるのか、まったく見当がつきませんでした。自分では「結構良くなった!」と思っていたので、先生からいつ「手記を書きなさい」と言われるかな~とわくわくしていたのですが、先生からそのお言葉が出ることはありませんでした。それもそのはず。私の免疫の戦いはまだ始まったばかりなのでした。
■2006年12月12日■lgE1156
松本先生とのお話しで、「掻きたいだけ掻いたらええ」と並んでほっとするのが「食べたいものを食べたらええ」というお言葉でした。みなさん手記に書かれていますが、松本先生の漢方風呂は本当に効き目があります。肌がかっかとしていたのが落ち着くし、キズの治りも早いし。がりがり掻いても、このお風呂に入っていれば、ひどくなった部分がめくれていき、皮膚自体が強くなってゆく感じがありました。難点は値段が高いこと。また、うちはお風呂の設備が古いため、お風呂が紫色に変色してしまいました。ひとり暮らしで掃除するのも大変なこともあり、10年のうち、熱心にお風呂療法ができたのは初期だけ。途中、先生から「塗り薬ばかりでなくお風呂も入ったほうが早いんやがな」と言われたこともあります。
今考えるとまったくその通りなのですが、治療と仕事を続けながら、変色する浴槽の掃除に取り組むのがしんどくて、すっかりさぼっていました。それでも、今だに、ひっかいたところからリンパ液が出てきたり、ただれたりするような症状が出た時は、足湯程度でもお風呂療法に取り組むようにしています。この漢方風呂という砦があるおかげで、掻きたいだけ掻き、食べたいものを食べ続けることができました。しかし、この日先生が指摘したのは、LDH、総コレステロール、中性脂肪、血糖の値。「太りすぎや」「甘いもの食べ過ぎ」。まさか松本先生に太りすぎを指摘されるとは!痩せなければ、4という思いとは裏腹に、少し太っている時のほうが肌の調子が良いのも困ったことでした
■2007年4月24日■lgE1102
顔に出ていたアトピーが引いた後、私のアトピーは歴史をさかのぼるように悪くなったり良くなったりを繰り返してゆきました。眉間がひどくなった時は「なんでこんなところが」と思ったのですが、よくよく振り返って考えてみるとそこは地震の時に家具が倒れてきて切った場所だったのです。一通りアトピの歴史をたどった後は、これまでアトピーが出ていなかった場所がかゆくなりました。例えば、ひじの裏や首など、何度もアトピーが出て、皮膚も薄くなっていたようなところではなく、ひじやひざなど、皮膚の厚い、丈夫そうなところにアトピーが出るようになったのです。今は太ももや二の腕にぽつぽつとしたおできのようなものや地肌のかゆみがあります。地肌はただれてはおらず、乾燥しています。アトピー初期にはこんなところがかゆくなるなんて思ってもみませんでした。
■2007年9月28日■IgE1343
「これまでのアトピーとは違う」という感覚と、以前福岡で診断された「カポジ水痘様症」の記憶が相まって、松本先生にヘルペスの相談を持ち掛けるようになりました。初めてのヘルペスの検査結果は単純ヘルペスが128、水痘帯状ヘルペスが13.7でした。
■2008年8月20日■IgE1163
裏から表へ、というアトピーの変遷と合わせて気になったのが、上から下へ、という症状の移り変わりでした。つまり、最初の頃こそ顔はもちろん、首やひじの内側など、上半身の症状がひどかったのですが、治療を続けるうちに腰から下に様々な症状が現れて当惑しました。思い起こせば、最初に松本漢方クリニックに私を連れて行ってくれた奥さまも「後は足なの」とおっしゃっていらしたし、手記で「症状が上から下へ移っていく」と書いていたかたもいらっしゃいました。このような他のかたの体験は「自分だけじゃないんだ」という大きな心の支えになったように思います。血液検査の結果については、ヤケヒョウヒダニとハウスダストの項目が要チェックだと言われました。ダニの数値は49.10、ハウスダストは4520。
■2009年9月18日■IgE2477
平成20年2月に自転車で転倒し、左肘の骨にひびが入りました。ひどい転び方をしたため、右肘、両膝も腫れていました。風邪を引いても近所のお医者さんへは行かず、松本先生に電話する私も、この時はさすがに整形外科へ。ロルカム錠、ダーゼン、ムコスタ錠、セルタッチを処方されましたが、この頃はまだ漢方風呂に入っていたし、お風呂の後は、骨折した腕に漢方薬を朝晩塗る必要があるためギブスはしたくないと説明しました。整形外科の先生も「安静にして、なるべく動かさないように。週に一度はレントゲンで骨がずれたりしていないかチェックすること」という条件でギブスなしの治療に同意してくださいました。治療の途中で松本先生に電話をして、骨折にいい(?)という謎の漢方を送っていただきました。40歳代の骨折はダメージが大きく、身体の可動域が極端に小さくなってしまいました。運動量も減ったので、ますます太る結果を招いたのも残念なことでした。
■2010年8月11日■IgE5840
この頃から気にしていた、というか困っていたのが、両足のむくみと痛みでした。電車のシートの高さが悪いのか、私が太っているのが悪いのか、座っているうちに足がマヒするというか、むずむずして座っていられないほどでした。
■2011年9月27日■IgE10920
アトピーは主に両腕、両足にはびこっていました。アトピーというのかヘルペスというか……じゅくじゅくした感じではなく、にきびみたいな感じで、神経がびりびりしていました。朝起きたらひっかいてシャワーしてお薬を塗る。夜も服を脱いだらひっかいてシャワーしてお薬を塗る。にきびみたいになっているところは黄色のお薬、かさかさ中心のところは赤いお薬。かきこわして血が出ているところはエルタシン。全体に粉っぽくなってきたら花粉のお薬。そして口の周りにヘルペスが出たら、全身に広がる前にヘルペスのお薬を飲むようにしていました。口の周りに出なくても「むずむず」って来たらすぐに松本先生にヘルペスの薬を出してほしいとお願いしました。長いお休みの前にはすぐ飲めるように処方もしていただきました。
松本先生にかかる前にカポジ水痘様症をやったところは今、色素が沈着して、全体的にどす黒く、発疹のところはむらになっています。普段はまったくかゆくないのですが、たまに首がかゆくなると、ここが一番再発しないように気を遣います。見た目も悪く、人目を引くのが嫌なので、夏場もスカーフが手放せません。大先生は「いつか必ず良くなる」とおっしゃいますし、若先生も「ときぐすり」だとおっしゃいます。生きているうちに良くなってほしいものです。
■2012年10月5日■IgE24100
これだけ長く治療していただいているのに、私の体はへっぽこで、数値は過去最高(最低?)を記録。松本先生は「君の体は正直やなあ」とおっしゃいましたが、私には何のことやら分からずがっくり。病状に大きな進展が見られず、またこの頃父が亡くなって法事の一切を取り仕切らなければならなかったため、松本先生のところに通うのが難しくなっていました。いつも電話ばかりですみませんでした。「年に1回の定点観測」と考えていた血液検査も、行く気力がわきませんでした。話しはずれますが、アトピーが発症して以来、身に付けるものはできるだけ天然素材のものにしています。KAPITAL、45R、ネストローブが好きですが、漢方を塗るようになってから、油の匂いがしみついてしまうので、価格の安いユニクロ、無印良品、サマンサモスモスを多用して、くさくなったら潔く処分することにしていました。インターネットで検索すると、こうした洋服を着る人は肌の弱い人と重なるところがあるようです。サマンサモスモスが好きな人のブログで紹介されていたのがきっかけで、当時話題になり始めていた「冷え取り」に挑戦することにしました。(2013年~)これは絹の5本指靴下、綿の5本指靴下、絹の先丸靴下、綿の先丸靴下と重ね履きするというもので、足指の股や爪から何かよくわからないけど悪いものが出ていくようでした。
また、阪神百貨店の6階にあったリラクシアをうろうろしていてオシャレなせんねん灸に遭遇。(2014年~)最初は火を使うお灸を足のあちこちに試していましたが、火を使わないお灸は背中や足の裏にも使えるのですっかりはまってしまいました。出張先のホテルで出会ったルルドのマッサージクッションも寝る前の日課に。もちろん、これらのベースには朝晩の漢方塗り塗り&ヘルペス警戒生活がありました。そうこうするうちに、両腕両足がびりびりして皮膚が張り裂けそう…腰が痛い…腎臓の裏が痛い…様々な困りごとが全快とは言えないけれど、次第にましになってゆくのを感じていました。そして2014年の冬。今まで寒くてたまらなかった冬なのに、寒いには寒いけど、時に「冷たい風が心地よい」と感じる瞬間がちらっと!本当にちらっと感じて「検査に行こう」と決心がつきました。
■「手記を書け!」2015年2月3日■lgE8425
普通は状態が悪い時にお医者さんに行くものですが、今回はあえて状態が良い時を狙って松本先生のところに行きました。結果はIgE8425。まだまだ首にはカポジ水痘様症の後遺症、両腕両足を中心に全身なんとなくかゆさや不快感があり、時々リボンのような帯状庖疹が現れます。仕事柄、夜中にパソコンに向かう時間が長く、あけがたに「一度深い眠りを得たと感じられるまでは起きなくて良い」と布団をかぶり夕方6時まで寝てしまうこともたびたび。きちんとした社会人とは言えない現状です。
でも、松本先生が「手記を書け!」とおっしゃったということは、きっと山形折れ線グラフのピークは過ぎたということなのでしょう。途中、おしりの筋肉がすっかり落ちてしまって、座っているのもつらく、朝夕薬を塗っていると鼻血が出て、かゆみがおさまる前に全身がだるくてつらい、といった時期もありましたが、手記に同じような患者さんの症状があり、元気づけられました。私のつたない手記が少しでも何かの役に立つのならと思い、駆け足でまとめています。これからも気づいたことがあれば、随時書き足していきたいと思います。最初に伺った時から10年が経ち、最近は若先生も登場し、大先生に直接見ていただけない日も。松本先生にはいつまでもお元気でいていただき、私たちに勇気と元気を与え続けていただきたいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。