「アトピー・ヘルペス手記」
67歳2014年12月15日
67歳2014年12月15日
1.はじめに
松本先生の治療を受け始めて、1年4ヶ月を迎えました。まだ完治にはしばらくかかりそうですが、何度ものリバウンドを繰り返しながら確実に治っていく方向に向いていることを感じるようになってきました。この間、人並み外れて心配性のため要らぬ心配をして先生に何度もお電話し「もっと論文を読んで勉強しなさい」としかられ思い直し続け、やっとここまできたという気持ちです。
2.私のアトピー歴
最初になったのは、もう10年以上前だと思います。50歳の頃から足のくるぶしの周辺に湿疹ができ掻いてひどくなると皮膚科にかかってステロイドの軟膏をもらって塗り、落ち着くとその薬を置いておいて、ひどい時だけぬるようなことを繰り返していました。人前に足を出すことは少ないのでふくらはぎから下はいつもかき傷の汚い足でしたが、ステロイドでだましだましかなりの日を過ごしました。3年前仕事を退職して、スカートをはいてちょっとおしゃれもしたいし、将来介護を受けるようになってこの足では困るので思いきってきちんと治そうと、2012年7月F市民病院皮膚科を受診しました。医師は「治りますよ。」と。マイザー軟膏とアレグラ錠をいただいて帰りました。
それから9ヶ月、言われたとおり軟膏と飲み薬を続けました。最初は少しよくなったかと思いましたが、すぐに元に戻るの繰り返し。9ヶ月を過ぎる頃から足の裏(足底)が厚く板のようになりそれが大きく割れて痛く、足の甲は腫れて靴が履けなく日常生活もできなくなっていました。医師は「角化症を起こしています」と、まるで新しい皮膚の病気が出たように。私の思いは「この治療を始めてなったのだからきっと薬の影響だろう」というくらいは素人でもわかりました。飲み薬の影響で気持ちも沈みがちのようになりました。納得できなかったので、また個人の皮膚科に行きました。「今まで病院の治療で概ね良いと思います。これ以上ならビタミンD誘導体のクリームとステロイドの1番強いのを出します。塗り薬ではこれ以上強いのはないですよ。これからはステロイドの飲み薬です。」と言われ、さすがの私も塗るのが怖くてさわりませんでした。
このときから1ヶ月以上は一度薬なしでどうなるか試そうと足に包帯を巻き、外出もしないで静かに過ごしました。先が見えず気持ちは沈んでいました。ある日たまたま我が家に元同僚が来て足のアトピーの話をすると、彼女のお母さんがリウマチで、彼女の二人の子どもさんのアトピーも松本漢方クリニックで完治されたことを聞きました。私自身は藁をもつかむ気持ちでした。「ステロイドをつかわない漢方で治療をされる。かゆいときは掻いたらよい。詳しくはホームページを」それだけ聞いただけで私の気持ちは松本漢方クリニックに飛んでいました。
3.治療開始
平成25年9月6日初めて松本漢方クリニック受診。ホームページの手記をたくさん読んで行ったので、松本院長先生のイメージができあがっていましたが、最初の診察は副院長先生でした。「ホームぺージのどこまで納得して来ましたか?」の質問に「なんのこと?」と思うほど松本理論には不勉強の中でした。「普通の病院と何かだいぶ違う」というのが最初の感じでしたが、松本先生が「誰が病気をなおすんや?あんたの免疫やろ?」にその意味が含まれていて免疫をあげ自立した気持ちで治療に向かわないといけないということだとわかりました。
それがわかるまでかなりの時間を要しました。初日は簡単に薬の説明と採血をしてもらいその日は帰りました。何となく物足りない気持ちでした。遠いので薬は郵送するからともらって帰ってきましたが、まだまだ不安があり次週も「心配なので」と受診。アレルギーの値は低いと聞いて帰る。それから煎じ薬を続けて他の方と同じようにリバウンドの症状が出始めた頃、11月のはじめ、足のむくんだところがだるく抜けるような痛みが出始める。電話をかけると「ヘルペスや!もっと早く言えばよいのに!」とベルクスロンをおくっていただく。翌日は熱が出てうつろな感じだった。ベルクスロンを飲んで熱は下がる。ヘルペスとの闘病記を書いておられる方の手記をたくさん読みましたが、私には関係ないと思っていました。しかしそのあたりから私とヘルペスとの長い闘いがはじまりました。
※みなさん、ご自分の症状以外の手記も読んで下さい。
11月はじめから26年1月までの3ヶ月間はヘルペスの痛さが我慢できず「もう止めます」と何度も電話をしました。動いているときよりもいすにすわって足を下げた状態やじっと立ってる時が一番いたく、食事の時には横にいすを置いて足を上げて行儀の悪いのを許してもらってました。月に一回の受診の日に電車での1時間あまりと駅で立って待つ時間の痛さには耐えられなくて足をさすったり向かいの席の方に断ってあげたりしていました。もちろんキッチンでの食事作りも2ヶ月くらいは夫にしてもらいました。こんな痛みの中、26年2月に次女が結婚するのでこのお正月は家族みんなでハワイに行こうと娘たちからの提案がありました。私は「無理だから」と言いましたが、「二度とないしホテルで寝ててもいいから」と不安いっぱいの中でしたが無理をおして、出発しました。
食前の薬、ヘルペスの薬のペットボトルをたくさんトランクにつめ、機内用にはヘルペスの薬はゼリー状にして出発しました。やはり7時間の飛行機の中は足の痛みに苦しみました。CAさんに空いてる席の横はないかと聞いてみましたが無理でした。深夜の飛行機で一人「あーっいたー」と。長い7時間でした。現地では、みんなが観光に出る半分くらいの外出をしました。でも滝までの1時間くらいのハイキングは大丈夫でした。ゆっくり休み華やかなワイキキのまちでゆっくりできたのか体の調子は少しずつ楽になりました。帰りの飛行機は9時間でしたが痛みもなく快適に帰ってきました。
26年2月
次女の結婚式に首の周りや手首あたりがまだ赤く、娘たちから何とかならないかと言われ心配しましたが当日頃には赤みはかなりおさまってきていました。大きな事を二つ終え、不安の中でやったことが一つ終えるごとに体調がよくなるように思えるようになりました。
26年3月
午後こたつで横になって起きると頭痛と動悸が強く、血圧を測ってみると200mmhg以上にあがっていました。先生に電話して翌日に薬を送っていただきましたが、上がったり下がったりの日が続いたので、毎日測りながら様子を見ていました。皮膚の状態は少しずつよくなってきましたが、血圧が上がったり動悸がしたり歩いているときはあまり感じないのに車に乗るとふらふらする感じがしたり・・・先生が言われているヘルペスと免疫の闘いでおきた神経症状なのだと思いながらも日々の生活は不調な日が多くありました。
26年4月
息子の転勤が仙台に決まり旅行ついでに行くことにしました。血圧計を鞄に入れて血圧の薬ももって出かけました。観光はしましたが、疲れやすく乗り物に乗るとぐっすり寝ながらの旅でした。夫との二人旅でないとできないと思いながら。その頃足の状態は腫れもひき治るのかなと思うまでになっていましたが、その旅の帰り、ふくらはぎが腫れ皮膚の表面がぴりぴりしだし、また何度目かのリバウンドが始まりました。皮膚がそうなると血圧や動悸やめまいが少し落ち着くように思いました。
26年6月
まためまいが始まりこの頃が日常生活に一番支障が来ていました。スーパーで買い物の途中に立ってるのがしんどくて車に休みに行くこともありました。ボランティアに行っているところで研修旅行があり、大丈夫だろうと行きましたが、ふらふらしてバスの中で休憩していることもありました。旅は家族のように気をつかわない人と行くようにしないといけない頃でした。
26年10月
これまでの足の傷の患部はメインが左足で特に内側は堅い塊のような物が何カ所かあり、掻いても掻いてもできてきていました。ステロイドによって壊された遺伝子を作り替えているらしいです。10月はじめより今まで症状のなかった右足がひどく腫れ、靴も靴下もはけないくらいになりました。これまでにいろんなことを経験していたため、あまり心配もしないで、掻いては漿しょう液えきでじゅくじゅくになるのを繰り返していました。今はほとんど腫れもひきもう少しかなと思います。
<現在の状態>
一番ひどかった左足の傷は膝の上と足の裏(土踏まず)にかゆみが残っているくらいで、掻くことは少なくなりました。皮膚の色は赤黒いので昨日受診の際少し強い煎じ薬に種類を変えられました。右足はまだ少しかき傷がありますが、傷が浅く掻いた年月も短いので、右の方が早く治るのではと思っています。抗ヘルペス剤を毎日6錠飲んでいます。ヘルペスのぴりぴりじゅくじゅくする感覚はほとんどなくなりましたが、夕方になると足底部のかゆみがあるところがぴりぴりすることがあります。
<心配したこと、不安に思ったこと>
○若い方と違いこの年齢になるといろんなことを考えてしまいます。一番の心配はしばらく動かないことで運動機能が落ちないかとか、この治療が終わっても体力が落ちて今までできていたことができなくならないかとか、先々の不安を持っていました。暖かくして寝ている日も以前からしていたウォーキングは続けていました。
○最初の頃、この治療をきちんと理解していなかった頃は、我が家から松本漢方クリニックまで3時間かかるし緊急事態の時に近くの病院でどう説明をすればよいのか、普通の治療を受けてもよいのかそのことも不安でたまらないときがありました。リバウンドの度にほんとに治るんだろうかと気持ちが落ち込んだことも何度もありました。まだまだ松本先生の論文は理解できていませんが今の自分の状態はこの辺かなということがわかるようになってきた今では不安もほとんどなく静かに暮らせるようになってきました。
また、受診の度にお世話になる鍼灸師の先生の「一喜一憂しないで」とか免疫のわかりやすいお話にどれだけ心の不安を取っていただいたかわかりません。ありがとうございました。来年の夏にはサンダルを履いて足を出して歩けることを夢見てもう少しがんばります。
松本先生、デリケートな先生の気持ちを傷つけるような電話をしたこともありました。どうぞお許し下さい。ほんとにありがとうございます。