アトピー性皮膚炎 10〜19歳の患者さんの手記 その10目次
「アトピー手記」匿名希望17歳2014年6月6日
「アトピー手記」匿名希望13歳2011年6月28日
「アトピー手記」匿名希望10歳 2010年8月29日
「治療の結果報告、ならびに患者への更なるサポートのための対策提言(アトピー手記)」(お父様記述)匿名希望11歳2016年1月11日
「アトピー手記」匿名希望17歳2014年6月6日
「アトピー手記」匿名希望13歳2011年6月28日
「アトピー手記」匿名希望10歳 2010年8月29日
「治療の結果報告、ならびに患者への更なるサポートのための対策提言(アトピー手記)」(お父様記述)匿名希望11歳2016年1月11日
娘は、中学校入学すぐの5月に長かった髪を切りました。髪の毛が首にあたる刺激で痒がり、あっと言う間にアトピーが全身に広がりました。小学校3年生に肘内、膝裏、背中にアトピーを発症しました。この時は、ステロイドを使わない病院を探し、東京に通い1年弱で完治しました。その病院の薬は、黒い軟膏で下着や洋服に付いたら洗濯しても落ちず臭いもきつく、思春期の娘は、この治療を嫌がりました。ゆっくり考える余裕もないほど娘のアトピーの勢いが凄く、近所で人気の皮膚科を受診しました。落ち着くまで強いステロイドで抑え、徐々に弱くするとの事でした。ところが塗っても炎症は、落ち着かず8月には、高熱をだし、入院する事になってしまいました。高熱は、3週間続き、免疫力がなくなっている状態だったのだと思います。
母親の私は、以前、手湿疹からのステロイド皮膚症に苦しみ、インターネットから松本漢方クリニックを知り、壮絶なリバウンドを乗り越えてお世話になりました。ステロイドは、良くないと頭では、わかっていたのに、中学校生活に支障がでるのを不憫に思い間違った治療を選んでしまいました。やはり、松本漢方クリニックで治して頂くしかないと確信しました。
初診は、2010年12月の冬休みでした。(必ず治してあげるから)の先生の言葉に久しぶりに娘の笑顔を見ました。その後、最初の2年間は、全身の痒み⇒滲出液⇒乾燥⇒脱皮を繰り返し、夜も痒みで眠れず、毎日4~5時間漢方風呂に入り、大嫌いな漢方薬を飲み1日、1日過ぎるのを繰り返す日々でした。それでも、少しずつアトピーの範囲も小さくなり3年目は、お風呂も2時間位になり、夜も長く眠れる様になりましたが突然、物凄い痒みと滲出液が出て何だろうと先生に伝えた所、ヘルペスでした。何回も悩まされました。4年目になると、首、肘内、膝裏と限定され良くなりましたがじんましんに悩まされました。漢方風呂の回数も減り、5年目の今は、じんましんもなく、季節によっては、綺麗な時もありますがヘルペスにかかると悪くなりますが早めに薬を飲み対処しています。
家が埼玉県という事でお薬を送って頂きありがとうございます。完治の言葉がでるまでゆっくり、頑張りますので宜しくお願いします。
<2000年子供3才~2011年13才 アトピーの記録>
1997/10/20 誕生
1998/01月
3ヶ月検診の際湿疹著しく、病院受診、アトピー診断。
ミルクは飲ませていたがアトピー乳児用のミルクに切り替えるよう指示あり。(生後3ヶ月から6カ月の間はこのミルクを飲んでいました)
顎から首周り、胸、腹、腕に湿疹きつく、塗り薬処方あり。
アンダーム軟膏、アルメタ軟膏
湿疹はひかず、いくつか皮膚科を受診する。皮膚科のはしごです。
処方される塗り薬は結局一緒のもので医師も本人にあらわれている湿疹の症状を抑えるための対処方法として日常生活上の注意や薬の湿布方法、(症状見ながら段階的に使用する等)説明がありました。使顔していた軟膏を持参していたので新たにワセリンとリンデロン軟膏の処方を受けました。
くび~顎、肘内、ひざ表裏、足関節部
さらに近医に転医し、塗り薬は同じものを引き続き処方され湿布していました。
1998/5月 生後7カ月 近くの小児科にて血液検査実施。
igE 6.1 卵白2.27 ダニ・ハウスダスト0.52
ミルクには反応なく、アレルギー用ミルクから普通のミルクにもどりました。
湿疹はかわらず出ていました。日々の症状から塗る薬を使用わけていました。
私が仕事復帰となったため託児所に預けていました。この頃から風邪をひき体調崩すことが多くなり小児科受診にて風邪薬とともにアレルギー反応を抑えるための飲み薬を処方されました。
セレスタミン、ポララミン、ムコダイン、ザジテン
風邪症状はおさまったりひどくなったりと繰り返し、湿疹も変わらず出ていたので引き続き塗り薬と飲み薬処方受け、ずっと服用していました。
7月 生後8カ月 風邪から気管支炎を発症し1週間入院。
9月 生後10カ月 肺炎発症し10日入院。
血液検査にてigE 21 アレルギー反応は卵白のみ
退院後、アレルギー皮膚湿疹がまた出はじめ、それからもずっと塗り薬、抗アレルギー内服薬はポララミンシロップとザジテンシロップの処方を受けて服用していました。
1999年 1歳
湿疹はくび、肘・ひざによく出ていました。
最初塗ってよく効いていた薬もこの頃からはだんだん効かなくなってきました。
幼児の柔らかい皮膚を感じたのはおしりだけでした。おしり以外あらゆるところに湿疹を生じておりそのつど薬を塗り、シロップ薬を飲ませていました。
小児科で近くに同じ大学系列の先生が幼児の皮膚科を開業されている紹介をうけ転医しました。
2歳になり風邪ひくたびに高槻の実家でみてもらっていました。たまたま行った高槻の小児科病院は偶然自宅近くで診てもらっていた先生方と同じ大学の先生でそのまま診ていただくことになりました。
この頃の処方は 内服薬 ポララミンシロップ、ザジテンシロップ、塗り薬は アクロマイシン、アルメタ、プロペト、そしてインタール吸入液をお風呂上がりに塗ってください、と毎回たくさん薬を処方されていました。
*医者に定期的に診てもらっていることに安心しすっかり頼りきっていたと思います。アトピーはいずれ大きくなっていくうちに体質も変わっていつの間にかなくなるものだと聞いていたのもあり、こんなものかとあきらめ特に治療内容に疑問をいだくこともありませんでした。病院で新しい薬が処方されてはこれでよくなるかも、と期待したものです。けれどそのうち、かわらない湿疹と子供の皮膚が硬くこわばってきているのを認めこれがいつまで続くのだろうと不安も感じてきつつありました。
2000年10月
3歳、親戚が高槻に漢方でアトピー治療してくれるところがある、と教えてくれました。体に悪いものでなく、これまでの西洋医学とは違うものだからどうせだから試してみようか、と思い松本先生のところにきました。
今のようにインターネットもなく口コミでの通院でしたが、病院には多くの患者さんが待合室にいらっしゃいました。診察受け説明受けて、そして「治してあげます。ただしこれだけたくさんの薬を飲み続け、塗り続けてきたのだからどれくらいかかるかわからない。けれどきっと治してあげます。」と当然のようにおっしゃっていただきました。またま届いたところだという幼児の治療経過写真をみせていただき涙がこぼれました。これから体に蓄積されてしまった薬の影響を取り除くのが皮膚にどのような症状を与えるものか、そして最後にこんなに柔らかそうなきれいな肌に治っていくのかと。
薬は家に帰ってすぐに煎じました。最初のうちはお茶と混ぜても構わない、
とりあえず体内に入っていけばいい、とのことでしたが変に薄めたり混ぜたりする必要もなくこちらの心配をよそに3歳の子でもちゃんと飲んでくれました。
最初の日はいつもの足関節部や手に赤みが生じてくるくらいでしたがさっそく2日目からすでに激しい湿疹を生じて異常なかゆみを生じていました。
先生から掻かせなさい、とのことでしたので好きなだけ掻かせました。
お風呂は2時間、せめて1時間とのことで一緒に頑張って入りました。
かゆみが生じるのには波があったようです。
日中はお昼御飯のあと、イベントで緊張があるとき、夜はおふろにはいったあとと寝る前は特に強いかゆみで掻きむしっていました。 体温が上昇した時にぶわーっとかゆみが出てきているようでした。
お風呂は最初の2ヶ月は毎日でした。仕事を終えて保育所に迎えに行き家に帰ってそこから用意して何とか1時間。今から思うと本当によくやったと思います。「どんぐりのおふろ」といっていました。4歳になったところでしたがちゃんとおふろの理由は話してやり、長く入っている理由も子供目線で話しました。またおふろの時間は飽きさせないように100円ショップでお風呂遊び用グッズやペットボトル等いろんなものを持ち込み遊ばせて入っていました。絵本もたくさん読みました。
お風呂の間は普通に気持ち良かったようです。お風呂上がりはふやけたところがだんだん痒くなってきて、そして掻きむしっていました。特に濃いお風呂用の絞り汁をつけたあとは皮膚表面が茶褐色の色に染まり、それが浸透していくとひどい痒みを生じさせるようで必死にそれを掻き落しているようでした。20分くらいは掻き続けていました。
落ち着いた後は消毒、ゲンタシン、紅い薬塗った後は就寝の時間でお布団に入るのですがそこでもまた最後のかゆみを生じていました。眠いは痒いは、そして朝は早いはで私もふらふらの状態でした。けれど初めて気付かされたステロイドの薬の怖さ、このひどい症状をつくってしまったのは母である自分であったためこれほど情けないことはなかったです。申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら足をさすってやりました。それなのに子供は「お母さん、ごめんね」と言うのです。
治療開始後~3カ月~
お風呂も毎日ではなくなり隔日となりました。
お風呂上がりは変わらず20分もの掻きむしりがありました。
手足関節のごわごわ皮膚の傷もまだひどい状態でした。
リバウンドは目をそむけてしまうくらい痛々しい状態でした。手の甲、膝、足の甲の部分に生じてしまったごわごわしてしまった硬い皮膚を非常に痒がり、かきむしっていたため傷となりいつも血がにじんでいました。皮膚がめくれて痛そうなのですが痛いと訴えることはありませんでした。今、本人に聞くと「掻き傷は痛かったけれどそれ以上に痒かった」とのこと。痛痒いような感じが続いていたようです。
子供の爪:指の爪の間にしょっちゅう掻き取った皮膚がつまって硬いかさぶたをかききったときは爪の間をきずつけてよく膿んでしまうことがありました。
漢方はじめて幼い本人の寝不足、体力の消耗をとても心配しました。(保育所にかよっていたのでお昼寝はありましたが。)けれど心配無用で結構けろりとしていました。
顔、特に目の周りが真っ赤にはれてかゆみは手足ほどではないようですが体液が滲んでいます。
体液の黄色い汁がでたのはこの顔の目の周辺部分だけでした。
治療開始後~6カ月~
冬場にかけて症状がきつくなったのもありお風呂もひどいときはなるべく入れるようにしました。
掻き傷・血のにじみはまだ残っていましたがずいぶん少なくなりました
治療開始後~10カ月~
8月、夏場には赤みや傷がみるみるきれいになっていました。
首も顔もきれいです。手足のきずはあまりめだたなくなっていましたが肘・ひざ・足関節の皮膚のごわごわ感は相変わらずです。
治療開始後~1年~
夏場きれいにみえていただけに冬からまた出だした症状は予想していたもののやはりつらかったです。
冬から春にかけて目の周辺は体液が滲むことまではありませんでしたが真っ赤でした。ひどい時にはお風呂にいれました。
そして、夏になりまた症状は軽減し冬場乾燥しだすとまた症状が出てくるという、その繰り返しを数年続けました。冬場の症状の程度は年々少しずつ軽減していきました。
生活や食べ物に特別なことはしませんでした。夏場は海にいきました。調子はとてもよかったようです。冬場温泉に行くこともありましたが痒みは一層ひどくなるようでした。
手足、肘と膝、膝裏のごわごわ皮膚は5年以上その状態が続きました。
皮膚上のかききずははじめてから1年くらいは血が滲むほどの掻き傷でしたが、その後は掻いても傷にならなくなりました。柔らかい肌をとりもどしたと思えるようになったのは2007年ごろからでしょうか。今では膝裏にその症状が少し残っているくらいで肘・膝のごわごわ皮膚は見られません。
手足は冬場においても次第に症状が軽減していったのですが2003年以降冬~春になると、顔・頸にひどく症状が表れました。赤くはれて表面に黄色い体液が滲んでいました。(ちょうど血液検査でのIgE数値が高値になっていたころです。)ちょうど保育所の卒所式、小学校の入学式だったためかわいそうでした。
治療経過後6年以降はさほど症状が酷くなることもなく、冬~春のころに出てくる症状だけでした。
途中、腕の骨折やら何やらで通院することできず数カ月行けなかったこともありましたがそれでもまだよくなりきっていない状態であることはわかっていたので空くことはあっても通院はつづけました。
その間、市販薬等気をつけて服用させることはありませんでした。
治療開始後~10年~
今、本人は中学生です。
汗をかいた首や肘膝裏にかゆみを覚える程度ですが日常症状が出ていることはありません。冬から春にかけて出ていた目の周りの赤みはなくなりなぜかこの2年くらいは口の周りに出てカールおじさんみたいになってしまっていましたが2週間~3週間くらいでひいています。
過去に塗ったステロイドの量は症状の程度に比例し、塗ってきた体の部位リバウンドに表れてきた部位と同じところでした。顔の目の周り、首は乳児のころに湿疹がひどかった部位でこのころから塗り始め、そのうち手足に塗りました。漢方を始めてから今までの逆をたどっていくリバウンドの症状・部位を考えると終盤にきているのではないかと思います。
知らず知らずのうちに日常取り込んでしまっている物質に影響受けているのならその症状はこれからも続くのかもしれませんがそれはもう大きな苦のものではないと思います。
<最後に>
人の体には本来自分の体調の不良は自分で治そうとする自然治癒力があり、薬であまりにも歪んでしまったバランスをもとにもどしていってくれたのが漢方だったと思います。
体にウィルスがはいれば体は熱で退治しようとする、(その熱があまりに高くなれば体力消耗が著しくなり全体症状に影響を及ぼすのでそのときだけは解熱剤を使うのかもしれませんが)本人がさほどしんどい状態でなければウィルスに抵抗する自分の体の中の働きにまかす、というのが自然の形なのでしょう。
(とかく、働き人の私などはとりあえず熱を下げて会社に行く、といった行動を犯しがちで結局長引かせてしまうこともたびたびでした。今はそんな無茶もしませんが。)
いろいろなことを考えさせられましたし考えました。今では自分に処方される薬や診断される傷病名もインターネットで簡単に調べることができます。同じ傷病でも治療方法はそのひとつではないこと、自分でちゃんと理解し納得することが必要でその納得した方法を選べばよいのだと思います。
お世話になってから、かれこれ10年になります。
相変わらず診察室から聞こえてくる大声と「治したる!!」に微笑んでしまいます。
まちがいなく改善し、しかも丈夫に育っている子供の姿に、先生本当に感謝しています。
<本人の血液検査数値>
2000年10月 松本漢方クリニック治療開始
2000~2003年 開始後3年間は手足のリバウンドが相当ひどかった。
2003~2005年 冬~春 手足のかゆみ、特に顔の目の周辺・首に赤いはれが酷く生じて体液の黄色い汁が滲んでいた。
2006年以降 冬~春 肘膝裏の症状、顔の赤みも生じたが以前ほどではない。
<おまけです>
【下唇の水泡?】2002年春
ある日下唇に水泡のようなものができました。最初コメ粒くらいだったのがみるみる小豆大に膨れ、つつくと唾液のようなものが出るのですがまたしばらくすると膨れてきます。耳鼻科に通っていたのでついでにみてもらったところ唾液線のところに腋胞ができてしまっていてそこに唾液が溜まってふくれるのだといわれました。胞そのものを手術切開して取り除かなければ何回も繰り返し口元が変形してきます、とのことでした。
すぐに松本先生のところに行き、相談したところ、少しの間アトピーの薬はやめてこれを飲んでください、と別の漢方を処方いただきました。飲みだして2週間くらいでしょう、驚いたことにくせになって何度もふくれていた胞がなくなってしまっていました。耳鼻科に久しぶりに行きその先生の反応が忘れられません。ほとんどひいてしまっている症状にどうしたのか、と聞かれ、漢方を処方してもらったんです、と話しましたら「漢方・・漢方ですか・・。漢方で・・。」と非常に驚かれていました。
おかげで手術等大げさな処置なく治り、それから再発もありません。そして改めて、いま受けている治療に対しても確信をもって続けることができると思いました。
【風邪】
小児科に行くのが怖かったです。やむなく急病で通院することもありました。ちゃんと話して断っていても出される薬に必ず抗アレルギー剤、抗ヒスタミン剤がはいっていました。結局すぐに松本先生のところへ行って風邪薬は松本先生に処方してもらいました。(これがよく効きました。)
今もやむなく他院へ行ったときは「抗生剤は構いませんがそれ以外の症状の緩和や対処に処方される薬はいりません、」と断っています。
漢方はじめてから風邪といってもほんの数日くらいで何年もの間、学校を休むほどの症状にいたっていません。インフルエンザにも不思議なことに周囲で皆がかかっていたのに一人何ともなかったくらいです。
現在通院中ではあるが治療はほぼ終わりに近づいていると感じており、現時点での松本漢方クリニック通院の成果と課題を明確化したい。また現在松本漢方クリニックに通院しながら高度の忍耐を強いられている患者各位へ、松本治療に対する私なりの理解・感じ方を共有化し「松本漢方クリニック通院を続けていてもいいのだろうか」と皆様がお持ちであろう断続的なご心配に対して共感が得られればと願っている。
なお個人情報ではあるが、公平性の観点から妥当と思われるので患者である愚息の簡単なプロファイルも記載する。
(1)症状
アトピー性皮膚炎、鼻炎。そして松本漢方クリニック通院後に発症した気管支不調、喘息。
(2)発症時期
生後すぐ。
(3)松本漢方クリニック通院開始時期
生後1歳半(2006年)に通院開始。現時点まで約10年間中断することなく通院を継続。
(4)通院動機
幼少期からのアトピー性皮膚炎で複数の医院に通院していた父親(執筆者)が、西洋医学手法による治療の限界と根本治癒の不可能性を直感し、近所の漢方医である松本漢方クリニックに2004年から通院していた。自己都合と一本化したい父親からの薦めによるもの。
しかし生後当時は松本漢方クリニック通院の実績が不明であったため、すぐにかかることはせず。その代わりに義姉が通勤している中国人医師による漢方医院の漢方(ホチュウエッキトウ)を定期的に服用していた。
(5)通院方法
父親がほぼ2週間ごとに受診し、自らの受診時に息子の近況を報告し、漢方薬を受け取っていた。松本理論ではアレルギー諸症状は本人の免疫が治すものであり、体の構造を変化させるというプロセスの間は、アレルギー症状という嵐が去るのを待たなくてはいけない。その意味において治療に時間を要することを理解し、毎回本人が直接医師に面会することは不要と判断していた。
余談ではあるが、治療するのは免疫寛容という状態を体内に作ることであり、免疫寛容がアレルギーの諸症状から体を防いでいるのである。つまり本質的には「免疫が治す」という表現は間違っていると考えている。
もちろん要求があれば息子を面会させていたが、それで症状が改善するわけではないので特に意味は感じていなかった。その代わり血液検査の実施機会とわりきっていた。
(6)血液検査結果
血液検査は全部で6回。見た目の症状では2011年8月(6歳)がもっともひどかった。
グラフ(a)非特異的IgE結果
・症状で見た目もピークであった2011年8月度を脱してからは低位安定状態となっており、免疫寛容状態になっていることが読み取れる。
・ただし2015年の正月に帰省中喘息を発症して、夜間に地元の医院に緊急搬送したが、それが血液検査には表されていない。それ以前も同じ病状が一度あった。
グラフ(b)シングルアレルゲンの結果
・グラフ(a)の非特異的IgEの結果と同じような形状になっている。上述同様に喘息症状は表されていない。
・血液検査全6回を通じて結果が得られた共有のアレルゲンは、ヤケヒョウダニとハウスダストのみ。患者側からアレルゲンの特定を要求したことは1度だけあったが、これでは定点観測ができない。どのような基準で検査機関がアレルゲンを選択したか不明。
(7)成果
前項の血液検査の結果の通り、抗体を表すIgEの数字も低位安定しており、免疫寛容の状態になっている可能性(松本医師談)に同意する。なお外見的な症状の認識という肌感覚とほぼ一致している。ただし、2015年正月に発症した喘息はなぜかこの結果に表されていない。
(8)課題と対策
これまでに発見した課題は多いが、特にここで挙げたい点は次の2つである。1つ目は医学的専門知識を有しない私には課題に対する対策を考えられないが、論点を整理した上で松本漢方クリニックに対する依頼という形に昇華させている。2つめはおこがましくも、一般企業に勤める小職が対策を提案させていただく。
松本治療では患者は、免疫組織が抗原に対して寛容状態になるまでアレルギー症状という「嵐」が去るのを待たなくてはいけない。その嵐の間、患者を支えてくれるものは①自分の信念②家族の支援だけである。対策として漢方風呂や塗り薬が念仏のように繰り返されているが、その対策だけでは嵐には大して効果がなく、ほとんどの患者がそのジレンマに苦しんでいるのではなかろうか。
特にステロイド治療が発達し、苦しい症状から容易に開放される現代においては、患者は極度の孤独感を強いられる。気晴らしにネット検索してみても、松本漢方クリニックに批判的な表現が目に付き不安感は増長するばかりである。松本漢方クリニックが患者に「ステロイドを使わない」と宣言し、それが患者にとって幸福であると世に示すのであれば、「嵐」を緩和するための新たな対策を講じることが患者の気持ちをサポートし、ならびに松本理論や医院の経営を安定化させるものであると考える。ぜひ新たなアレルギー症状緩和方法を提案していただきたい。
なお、患者をサポートする策③として、電話による松本医師への相談が現行実施されているが、話を聞いてもらうことによって嵐が収まるわけではないので、私はついぞ電話はしていない。ゆえに③は手法としてカウントしていない。
②待ち時間の長さ
私がよく受診する土日は遠方からの患者もあって、待合室に自分が座る場所もないほど混みあう。電話による診察も平行して実施されているので、診察の進行状況も悪い。ようやく自分の診察の順番が回ってきても、受診中に電話がひっきりなしなので、診察室に座ってもなおも待たされることになる。また電話と直接診察の両方で忙殺されている松本医師は血の気が上っているので、患者が自分に与えられたごくわずかな短い時間で医師との会話を生産的なものにするには非常に高度なテクニックな要求される。わずかばかりの医師からの指導といつもどおりの漢方薬という小さい成果を得るだけであるが、松本漢方クリニック診察への往復時間を合わせて近くに住む私でも半日ほどの時間を割かなければいけない。一般企業に勤める私の目からは信じられないほどのムリムダモレが毎回生じているのが現状である。
患者のタイムマネジメント、医院の業務としてのクオリティの向上、医院と患者との関係改善、そして松本理論で救える患者の一層の拡大と松本漢方クリニックの経営の安定化対策として、受診に訪れた患者に対する診察と電話診察の分離を提案したい。これまでのクオリティを下げずに受診内容の特化と棲み分けを実施するだけである。たとえば奇数週の月、水、金、日の午前中は電話のみ、そして午後は直接受診のみと患者層を集中させる。不公平が生じないように、偶数週は逆にする。電話してくる患者は電話の待ち時間はあるものの、通話がつながった後でも待たされる(=先生が直接受診に要する)時間を削減することができる。一方直接受診の患者は、待合室においても診察室に入ってからにおいても松本医師が電話対応で取られる時間を削減できる。医院の業務もそれぞれに集中した体制を敷くことができ、効率化が図られるのではなかろうか。ぜひご検討いただきたい。
(9)最後に
現在おかげさまで免疫寛容とうかがえる状態に達し、血液検査結果も低位安定となっている。松本治療は感覚的に終盤局面に差し掛かっていると思われるが、何を以って治療完了とするのかが不明である。医師からの終了宣言の基準を教えていただきたい。
以上