「アトピー及びリュウマチ治癒報告」58歳男性2004年4月22日
松本先生の漢方薬治療を3年間半受けて,アトピーとリュウマチがほぼ完治した報告をします.同じような病気で苦しんでいる人たちの少しでも参考になればと思い,書くことにしました.
私は9年以上前から顔の皮膚が荒れるアトピーに悩まされていました.罹っていた皮膚科の医者ははじめは軟膏を処方してくれていましたが,そのうち飲み薬もくれるようになりました.これらの薬によって顔の症状は改善され喜んで居りました.そのうち体重が増え始め顔がはれてまん丸になってきました.自分ではあまり気にしていなかったのですが,かかりつけの内科の医者にステロイド服用に特徴的な「ムーン・フェイス」ではないかと指摘され,知り合いの慈恵医大の皮膚科の医者を紹介してくれました.そこで今まで処方されていた薬を見せたところ相当強力なステロイドであることが分かりました.そのとき初めて知ったのですが,ステロイドは急にやめると反作用(リバウンド)が大きいのですぐには止められないとのことでした.それから当時の摂取量の2分の1,4分の1,8分の1と少しずつ,1年半ほどかけて減らしていきました.ところが不思議なことに減らしていってもアトピーは悪化せず,かわりにステロイドを絶った頃からリュウマチの症状が出てきたのです.体中の関節が痛く,好きだったゴルフは出来なくなり,階段も一段毎に両足を揃えて斜めに上り下りする始末です.手提げかばんは持てず,ペットボトルの栓さえ明けることさえ出来ませんでした.足は関節だけではなく裏も痛く,靴は大きめのやわらかいものを探しました.そのとき知ったのですがリュウマチで困っている人たちのための靴も開発されているのですね.起床時には全ての関節が固まったようになっており,指先からほぐし始め全身が自由に動くようになるまでに1~1時間半は要しました.
さてこのような症状に関して妻と話し合って出した結論はアトピーとリュウマチはステロイドを介して何らかの関係があるのではないかということでした.前記慈恵医大の医者にこの関係を尋ねると,関係があるかもしれないがいまのところ分からないとの答えが返ってきました.膠原病の研究所を持つ東京女子医大でも診察を受けましたが,言うに事欠いて「リュウマチを直す治療法が発見されればノーベル賞ものです.我々にできることは対処療法として軟膏などの痛み止めを出すことくらいです.アトピーとリュウマチの関係? そんなことはぜんぜん分かりません.」という返答でした.それからの半年は身体のあらゆる関節の痛みに耐えるだけの生活でした.ところがその間,妻がインターネットで何か助けになる情報はないかと探してくれていました.そして松本漢方クリニックに辿り着いたのです.
現在の松本漢方クリニックのホーム・ページがどのような内容になっているかよく知りませんが,3年半前は「日本広しといえどもアトピー,リュウマチを治せる医者は俺しかいない.」というような大法螺吹きともとられかねない表現がありました.しかしそのアトピー,リュウマチ理論を読んでいくうちにこれは本物かもしれないと思い直しました.家は東京ですが高槻まで行きました.リュウマチに苦しんでいる者にはあの急な階段は病気を治すための苦行を課せられているのだと諦めて一段ずつ昇りました.和式トイレの苦行にはさすがに耐え切れず駅前のデパートに駆け込んだこともあります.
ステロイドがアトピーの治療ではなく症状を抑えるだけの働きしか持たず,しかも悪いことに病根を身体全体の関節に押し込めることによってリュウマチを発症させると説明を受け,一般的な薬害の大きさをそれまで知らないわけではなかったのですが,改めて認識することになりました.松本先生はリュウマチが治まるとアトピーがもう一度出てくると説明され,その時を楽しみにしていました.それは1年半前,治療を開始してから2年目に起こりました.
松本先生の治療法は漢方だけではなく鍼灸を併用します.私は東京に住んでいてそう度々高槻には行けませんので,松本漢方クリニック内に居られる織田先生の治療を受けることができません.ところが幸いなことに織田先生の友達が東京で鍼灸医を開業されており,高槻に行ったときには織田先生,東京では羽根木鍼灸医の澤田先生に鍼灸の治療を受けました.自宅でやる灸も教えてもらいましたが,白状するとサボりがちでした.漢方風呂はしっかり入りました.約1時間入浴しますが,読書量が増えました.たまにはうとっとして本を湯の中に落としたこともありますが.
話を戻しますと,松本先生の説明どおりリュウマチが納まりアトピーが1年半前に出てきました.幸いなことに今度は顔ではなく腕と脚です.先生の指導は「痒ければ掻け」ですので掻かないでおくストレスが溜まらないように思います.この半年は漢方風呂はやめて煎じ薬だけでした.私は海外出張が多いのですが,煎じ薬をプルーンのように蜂蜜状にまで煮詰めて持っていきました.現地でお湯で薄めて用います.最近ではアトピーには顆粒状の飲み薬をもらっています.素人の感じではやはり煎じ薬の方がよく効くようです.
このようにして今あるアトピーの顆粒薬を飲み終えたらアトピーからの卒業かと思っています.足の裏と手指の関節にほんの少し違和感(リュウマチの症状)が残っていますがもはや悪化するとは思えませんので,近々「全快祝い」をしたいと思っています.
ここで松本先生の治療を通して思ったことを書いておきたいと思います.一つには日本の医学界が西洋医学だけではなく漢方をもっと研究して真の治療法を生み出すこと,次にこの研究の結果として漢方を保健薬として国が認める必要があることです.2週間ごとに数万円の出費はとても辛い.このため治療を続けられない人は沢山居られると思います.
最後になりましたが,松本先生,鍼灸の織田先生,澤田先生,2週間ごとに薬を送ってくださった看護婦さんたち,お名前は存じ上げませんが,血液検査のための採血をしてくださった先生,「ムーン・フェイス」を発見してくださったかかりつけの内科医,松本漢方クリニックのホーム・ページを発見してくれた妻に心から感謝します.
今から約2年3か月前(2009年8月下旬)50才になったばかりの時、首が痒くなり見てみると、蚊に刺された位に皮膚が赤くなっていました。
それで、家にあったステロイド入軟膏を塗ったら、翌日きれいに治っていました。それから2~3日して、また同じ症状が現れました。
でも、今度は軟膏を塗っても赤みは消えませんでした。その時点で、私は松本漢方クリニックに行こうと決めました。
その理由は二つあり、一つは、20数年前になるでしょうか、私の母と姉が松本先生に皮膚の炎症を治して頂いきました。
そしてもう一つ、今まで病院と縁がなかった私が、47~49才の間に、子宮筋腫の手術・虚血性大腸炎・腰椎椎間板ヘルニア・肝膿瘍と色んな病気が襲ってきたので、とにかく放置せず酷くなる前に治療したいと思ったからです。
初診の日(2009年9月1日)少し緊張しながら診察室に入りました。
でも、先生の方から気さくに話しかけて下さり緊張がほぐれました。
今までの病歴などを話す中で、一年前に病死した父の事も話しました。
私自身、その時点で、未だ心の整理がついておらず(現在も完全ではないですが…。)涙が溢れ出る状態でした。「父の死がストレスとなり原因の一つになっているだろう。」と、先生言われました。
この日は、採血と煎じ薬・塗り薬を頂いて帰りました。診察の終わりに先生から、「癌以外、治らない病気は無い。必ず治してあげるから。」と、握手して下さいました。
母や姉から聞いてはいましたが、精神的に少し弱っていた私にとっては、心の支えとなりました。発病までの道のりは個々違うので、治療期間には個人差があると説明を受けたものの、私程度の炎症であれば、2,3回の受診で終わるだろうと軽く考えていました。
それから二週間後、血液検査の結果から植物アレルギーは無く、ストレスの加減で白血球分類の好中球が高値を、リンパ球が低値を示していました。
そして、<アトピー性皮膚炎>と診断を受けました。この日から、煎じ薬が変わりました。
初診から一か月後には、首の小さかった赤みはリバウンドで首全体、耳の後ろ、胸元へと広がり痒みも伴っていました。この時点で、年内完治は無理だと悟りました。
それ以後は、痒みに強弱がある位であまり変化は見られないまま半年が過ぎ、さらに半年が経っていきました。母も姉も治して頂いていたので、先生に対する信頼は少しも揺らぎませんでした。
それでも正直、「完治するのに、これから未だどの位時間がかかるのだろうか。」という思いが頭を過ぎりました。
その頃からです。胸の赤みが淡くなり始め、首全体も、耳の後ろも、徐々に赤みが取れていき痒みも無くなり、大部分の肌は元に戻り、首に少し赤みが残るだけとなりました。
先生からも、「手記を書いてね。」と言われ、これでやっと治療が終わるのだと思いました。
でも、その喜びも束の間、首の後ろと左耳後ろに再びリバウンドが起こりました。今度はこれまでと違い、肌は濃い赤紫色を帯び、表面は硬くなり、しこりがあるような感じで、乾燥も酷くなり薬を塗る回数は増え、痒くて血が出るまで強く掻くこともしばしばでした。
知り合いからも「どうしたの?」と聞かれるくらいに目立っていました。
今年(2011年)に入り 1月に生まれて初めて一人旅をしました。そして5月にも。特に5月の旅行後、理由はわかりませんがとても心が軽くなりました。
以前、先生に「自分なりの、ストレス解消法を見つけたほうがいい。」と言って頂いたことがありました。今考えると、私にとって一人旅はストレス解消法の一つなのかも知れません。
偶然かもしれませんが、同時期位から皮膚の色、硬さ、痒みが和らいできたようでした。乾燥し強い痒みで、一日数回塗っていた軟膏も、塗るのを忘れる位に順調に回復していきました。
そして、2011年11月完治の日を迎えることができました。今は、心身共に解放された気分です。
これも、松本先生のお陰だと心から感謝いたしております。
診察時、先生はよく「病気を治すのは患者さん自身であり、医者は手助けしているだけだ。」と言われていました。
勿論それは、先生の絶対に治すとの自信と確信からのお言葉だったと思います。
これからも、ご健康に留意され、病める多くの患者さんをお助け下さい。
本当に有難うございました。
「アトピー手記」匿名希望49歳2011年9月13日
「アレルギーとの戦い」
平成20年12月7日初診
私がネットでこの松本漢方クリニックを探し当て、ホームページの先生の論文や患者さんたちの手記を読み、三日後には何のためらいもなく車のナビをセットし高槻まで車を走らせたのがちょうど2年9ヶ月前のことでした。
中学生の頃から温まると太ももや腕の内側、お腹、背中にと湿疹が広がって、掻いているうちに大きなみみず腫れの様になる事が時々ありました。その都度、内科を受診し抗ヒスタミン剤・抗アレルギー剤・ステロイド軟膏をもらっていました。又その頃から金属アレルギーにも悩まされました。下着やズボン・スカートの金具が直接素肌に触れるとそこから湿疹ができ痒くなるのです。特に夏、シルバーやメッキのアクセサリーや時計にもかぶれたりしました。二十歳くらいになると花粉症にも悩まされ、毎年2月から4月いっぱいまで耳鼻咽喉科 に通院することが恒例のようになっていました。そこでも抗ヒスタミン剤・抗アレルギー剤・点鼻薬・点眼を処方され、真面目に医師の言いつけを守っていました。ただ点鼻薬だけは、使用するほどに鼻の内側の皮膚が悪化したので途中使用しませんでした。約5年通院しましたが、薬を飲んでも楽にならないので結婚を機にスギ花粉の飛散の時期は防御を万全に徹する事にかえ(洗濯物は室内で乾燥させ飛散の多い時間帯は窓を開けない Etc.)薬は一切止めました。その後20年間花粉の飛散時期になるとくしゃみ、鼻水、目の痒みはあったものの、ここ数年「もしかして治ったのでは?」「今年は花粉の飛散が少ないのかな?」と思うほど、軽症のまま時期が過ぎてしまっていました。
ところが3年前の9月、数十年ぶりに腕・太ももにポツポツと蕁麻疹が出だしたのです。その頃の私は精神的に過度のストレスがあり、体調もよくなかったと思います。以前の様に内科を受診しましたが、やはり抗ヒスタミン剤・抗アレルギー剤・ステロイド軟膏を出され我慢できない時にだけ何度か内服薬とステロイドを塗りました。最悪です、やはり薬は何の意味もなく症状は治まるどころか、どんどん広がり首・太もも・両腕は肩から手首にかけて皮膚が真っ黒になりました。ステロイドは一時しのぎと解っていたのに「大きくミミズ腫れした蕁麻疹が治まってくれれば・・・。」その時はそんな気持ちでした。それから2ヶ月間薬を止め松本漢方クリニックを受診するまで、ネットでいろんな情報収集し病院を探したりしましたが、「ここなら健康な体に戻してもらえる」と思える所が見つからず途方に暮れていました。ミミズ腫れした患部を冷やしたりアトピーにいいといわれる水を塗布したりと、良くも悪くも無いまま過ごしていたのですが、12月に入ってすぐ両腕がパンパンに腫れて肘が曲がらない状態になりました。治療できる病院がわからない絶望的な日々でした。
話が前後しますが、その年の5月、当時中学三年生の息子が、幼児期より喘息で入院を二度しアトピー性皮膚炎でステロイドも取り入れた治療をしていました。小学校高学年には喘息は落ち着きましたがアトピーの状態は悪化する一方で、薬も段階的に強い処方になり副作用の事を考えるとステロイドを使用し続けるのは危険な事だと、そして完治は出来ないと医者を信用できず、一切のステロイドと縁を切って医者にかからずリバウンドを覚悟し生活していました。今思うと危険で無謀な事だったと思います。でもその時は、ステロイドは絶対使いたくないし、どの病院に行けば完治させて貰えるのかがわからない悶々とした日々だったのです。初夏から夏にかけては何度も塩素を取り除いたシャワーをしたり、アトピーにいいといわれる水を買って何度も塗布したり、湯治に行ったり・・・ステロイド治療以外のいろんな事をしていました。学校も休みがちになり二学期は数えるほどの出席日数でした。そんな時期の体の異常でした。息子の辛さ痒さを無知でバカな母親に身を以て思い知る様、神様に勉強する機会を与えられたのだと思いました。私は特別何かの宗教を信仰していませんが、その時は本当にそう感じ、私がモルモットになって息子を必ず完治させねばと、必死でパソコンに向かい朝から夜中まで「必ず完治させてくれる先生」を探しました。そして「漢方科松本漢方クリニック」を見つけ出し、私達親子を治して健康な体に戻して下さるのはここしかないと直感的に感じました。もっと早い時期に探し当ててあげていればとバカな母親でごめんねって、十数年前にタイムスリップしたい気持ちでいっぱいでした。
初診の日息子は「もう病院は行かない」と、ホームページも閲覧するように言ったのですが、閲覧しなかったようです。私に振り回されるのにも疲れたのか、結局私一人で受診しました。今はもう退職されましたが、採血の時松本先生の奥様がアレルギーの説明を丁寧にして下さって、息子の話を聞いて「お母さんが治る様子を見て必ず息子さんも来たいと思わせないとね。」と、励まして下さいました。松本先生の「必ず治してあげる」と何度も握手して下さったこと、帰りの車中涙が止まらなかったのを今も鮮明に憶えています。
1週間分の薬をもらい家に帰ってすぐ煎じ、その夜漢方浴剤に入り、私と息子だけが夜も眠れないほどの痒みで私の1週間分の赤い薬を2人で、二日間で使い切り3日目に息子も松本漢方クリニックに受診する事になったのです。「漢方は効果が出るまで時間がかかる」と、何の根拠で思っていたのか、煎じ薬と漢方浴剤の凄さに二日目にして脱帽でした。先生は「本人は忘れていても体は正直やから、皮膚は絶対覚えているからね」と、その時は何の事を言われているのか解らず変な例えですが、問題のない答えを先に言われている気分でした。
この日からの生活は凄まじいものでした。リバウンドは覚悟していましたが、全身今までに体験した事のない激しい痒み、熟睡もできず、四六時中どこかを掻いている、掻く手がだるく、爪はかさぶたと血が混ざり、もちろん皮膚は血とリンパ液で、黄汁が服に付き乾いてパリパリになり、何とも言えない匂いと掻いた後のヒリヒリした肌が、歩いて風があたるだけで激痛が走りました。
治療を始めてすぐ、朝目覚めると目が明かないくらいの目ヤニが出ました。
(約25年前の花粉症の時の点眼薬にステロイドが入っていました)
2ヶ月後、膝から太ももにかけて肌が象の様に硬くてゴワゴワし正座もできないほどの浮腫が続きました。(ステロイド軟膏を塗った部位です)そこから皮膚が破れリンパ液が流れ、かさぶたができ、又裂け・・・と、私の抑えられていた免疫が目覚め免疫寛容を起こしどんどんIgEE抗体が使われていって私自身が戦っているのだと実感がありました。「がんばれ!私」辛い時は自分にエールを贈ったりしました。火傷をしてステロイドを塗った部位、時計でよくかぶれた部位、指輪をしていた指の部位、洋服の表示タグが接触した部位、ピアスで耳が被れた部位・・・本当に皮膚が覚えていたのです。かぶれてステロイド軟膏を塗った場所と一致しています。朝目覚めると布団やシーツは血が付きパジャマは掻きすぎて破れた事も度々でした。着替える時、パリパリになった皮膚を全身掻いて赤い薬を塗るのですが、その時、剥がれていく皮膚を寄せ集めたら大さじ1~2杯はありました。治療開始から6ヶ月くらいには湿疹も少し減りだしだいぶ落ち着いてきました。私の場合、ヘルペスとの戦いの方が長いかもしれません。ヒリヒリ、チクチクと痒さと痛さで掻き破いては薬を塗る、その繰り返しが今も続いています。
一年間は、毎日漢方浴剤に入ることが一日の一番の楽しみでとても待ち遠しかったのを覚えています。治療開始2年9ヶ月を過ぎた今では五日に一度ペースで漢方浴剤に入っていますが、あの頃の事を思うと義務の様な思いで入っています。それだけ良くなったってことですね。
今年の1月中旬頃、又蕁麻疹が出ました。以前の様に大きいものではなかったのですが、一つずつ爪を立てて皮膚を掻き破りました。皮膚を破る方が痒みはなくなりました。私は傷の痛みより痒い方が苦痛です。現在、両腕にヘルペスが出没中ですが、それ以外の部位は、以前の様な柔らかい肌に戻り傷痕が薄茶色で残っているのみで(蚊に咬まれた後の様な)、徐々に新しい綺麗な肌に生まれ変わってくれるのを待つだけです。
現在私は49歳、体は勿論ですが精神的な方が本当に辛かったです。でも「止めたい」とか、「本当に良くなるの?」などと思ったことは一度もなく、何度も読んだ(難しくて到底人には説明できません)松本先生の自然後天的免疫寛容の理論と証拠を、心が理解し信じて疑わなかったのです。治療に当たっては、リバウンドを乗り越える強い精神力と完治まで信じて諦めない忍耐力が必要です。そして何より家族の理解が心強く本当に有り難い思いでした。
息子のリバウンドは私以上に壮絶なもので、私のリバウンドの辛さより息子のリバウンドと戦っている姿を見る方が身を裂かれる思いで辛かったです。
近い将来息子も手記を書く日が必ず来ますが、これから先は、思春期で多感な時期に辛い体験をした分、何倍も健康で幸せになってくれることが私のアレルギーとの戦いの終結だと思っております。息子共々、後もう少し必ず完治するまでがんばり貫きます!!
最後になりましたが、松本先生には本当に感謝しております。ありがとうございます。
血液検査の推移
08/12 /8 09/8/24 09/12/26 10/5/31 10/8/23 11/8/5
IgE 166 174 185 165 148 85
リンパ球 5.8 14 20.3 18.4 17.4 20.8
単純ヘルペスIgG 102.9 105.3 92.4 66.6
「松本先生との出会い」44歳女性2004年8月3日
今現在の私は、顔面が真っ赤で、皮膚はがさつき、角質がポロポロと剥がれ落ちていて、浸出液も出ている状態です。痒みとヒリヒリ感で、ちょっと大変な毎日を過ごしています。
しかし、リウマチの痛みはほとんどなく、元気で、仕事と家事を私なりにこなし、休日といえば、息子の野球の応援でグランドを駆け巡っている、今日この頃です。忙し過ぎて疲れが溜まることはありますが、普通の生活が送れている事に感謝しております。子供の為に、お弁当を作ってやることが出来る、布団をベランダ一杯に干し、たくさんの洗濯物も干せる、こんな当たり前の事が出来る喜びを感じるようになったのです。
今までの病状を、簡単に書き記しておきます。
今から12年程前の早朝、突然、左足だったと思いますが・・・左足の甲が急に痛くなり、歩くことも出来ず、座っていても痛くて痛くてどうすることも出来なかったことを記憶しています。夫に近くの整形外科へ連れて行ってもらいました。レントゲンを撮っても異常なし、よく見ると、ほんの少し左足の甲が腫れている程度です。先生の診断では「ガイヒ性のリウマチ(はっきり覚えていませんが・・・?)」ではとの事で、多分、痛み止めの注射と内服薬を頂き、歩けないので松葉杖を借りて帰りました。
こんな強い痛みを経験する事は初めてで、寝てもいられず、ただただ我慢するしか方法がなかったのですが、注射が効いたのか、3日目には、「あの痛みは、何だったのだろう。」と首を傾げたくなるほど、治ってしまいました。それ故に、リウマチという病気に、それほど敏感にはなっていませんでした。
それから痛みが出現することなく、何年かが過ぎていきました。私生活では色んなことがありました。離婚、ひとり息子(3歳8ヶ月)を連れて、実家に帰る、専門学校に1年通う、婦人科系の病気になり、入院、等々・・・・・。
その後、特別養護老人ホームに勤めだしました。経済的な自立、子育て、仕事を覚える事に必死で、リウマチの病気のことなどほとんど忘れていました。それでも介護の仕事中に、2度、手首が痛くて食器も持てなかった事がありました。仕事を何とか続けていくことに頭が一杯で、病院に行くこともせず、痛みをこらえて仕事をしていたら、2日ほどで治まりました。リウマチのことを特に気にすることなく、仕事と家庭の両立に追われた日々を送っていました。
今から4年ほど前、両足の甲や指に、腫れと少しの痛みを覚えましたが、通院するほどの痛みでもなかったので、職場で湿布をもらうぐらいで過ごしていました。その間、徐々に「リウマチでは」との不安も出てきて、血液検査をしてもらいましたが、結果は(-)、それでも不安は消せないでいました。
というのも、老人ホームに勤務している関係上、看護師ではないので詳しい事は分かりませんが、リウマチは完治しない病気、激しい痛み、関節の変形、それだけが頭にありました。また実際、リウマチで肩、手、足の変形した方や寝たきりになったお年寄りを、おせわすることもあったのです。また仕事の関係で、リウマチ友の会主催の整形外科医の講演を聞いた事もありました。肩、手が変形した女性会員の方が、写真を撮っていた姿が目に焼きついて、「将来、自分もああなるのだろうか」と暗い気持ちになりました。何とか救われる方法はないものかと、講演に聞き入りましたが、何の目新しい話もなく、薬と副作用の説明が主で、どういった動きは控えた方がよいとか、栄養と休養を十分とる様にとかの内容で、得ることがなく、がっかりして帰ったのを覚えています。
内服薬で、とにかく進行を遅らせるより生きていく方法がないのなら、病院に行かなくてはと考え、近くのリウマチ科のある総合病院で診察を受けました。所見とレントゲンで、リウマチだと診断され、すぐにリウマチの薬2種類と胃薬をくれました。先生はまだ若く、話しやすい方のようでした。しかしその時、服用の仕方は教えてくれましたが、有効性や副作用については、何一つ教えてくれませんでした。当然血液検査も行い、1週間後に再受診するようにとの事で、帰りました。
覚悟はしていましたが、リウマチであると告げられたことのショックは大きかったです。横になり、落ち込んでいるわけにもいきません。子供が成人するまでは働いて、生活していかなくてはいけないという、大きな現実がぶら下がっています。くよくよ悩んでいる暇はなく、痛みよりも精神的に辛かったです。
投与されたリウマチ薬を3、4錠服用しましたが、私の体に合わないような違和感があり、残りは服用せず、1週間後に受診しました。その旨を先生に話した所、「すぐに止めて下さい。」とのこと。血液検査の結果は、リウマチの反応が(-)でした。代わりに、痛み止めと胃薬をもらいました。悪い先生じゃないけれど、信じられないなとの思いで、受診は止めました。
でもこのまま放って置けば、きっと進行していくであろうとの悪い予想があったので、近くの病院じゃなくてもいい、東京、大阪、どこでもいい、専門医を見つけようと考え、インターネット喫茶で調べました。リウマチ専門医、リウマチについて等、検索していて、何気なく見つけたのが、「本物のリウマチ専門医との出会い」という題名の患者さんの手記でした。これは読んで見なければという思いに駆られ、拝見させて頂きました。
「リウマチは、完治しない病気」「内服薬で進行を遅らせる方法しかない」と諦めていた私には、これは一体何だという、青天の霹靂以外の何ものでもありませんでした。松本漢方クリニックのホームページを開いて、松本先生の理論をただただ目で追い、読みました。専門用語もたくさんあり、素人の私には、全てを理解する事は到底出来ませんが、「リウマチは治る」と断言されている松本先生の言葉に、頭の中が混乱しながらも、大きな光のようなものに出会った気持ちになりました。「松本先生以外に診てもらう先生はいない」と確信したのです。
忘れもしません。平成15年2月16日(日)、寒い日に、ひとりで高槻市まで行きました。インターネットで皆様の手記を読んでいましたので、漢方の匂いのする医院、白衣を着ないで喫茶店のマスター風の松本先生・・・みんな書かれている通りだと思いながら、診察を受けました。
今までの症状を説明し、地方の病院で診てもらい、内服薬を処方されたが、3、4錠しか飲まなかったことを話すと、「あなたは、えらい!」「治してあげますよ!」とおっしゃり、私の手をとって握手をして下さいました。40年余り生きてきて、薬を飲まなかったことで「えらい!」と褒められたのは初めてで、「リウマチを治してくれる」と言って下さったので、嬉しいやら、恥ずかしいやら・・・とにかく嬉しかったです。松本先生に出会えたことに、私には運があるんだとしか思えませんでした。
先生、スタッフの方々のご指導を受け、漢方薬の服用、入浴、鍼灸治療と、初めてのことばかりでしたが、治療を開始しました。針治療では、織田先生との楽しいやり取りの中、恐くもなく、あっという間に、リラックスした時を送らせて頂きました。
治療を始めて1ヶ月、2ヶ月経っても、特に効果なく、アトピーが出現することもなく、過ぎていきました。ところが、2ヵ月半頃が経過したとき、ふと首、背部をはじめ、急に体が軽く、楽になったのです。信じられないという気持ちと、有難い気持ちで一杯になりました。それからは血液検査の結果も順調で、毎月数値は低下していき、今では、すっかり正常値になっています。
私の場合、アトピーがなかなか出てこず、平成15年9月頃、アレルギー性結膜炎になりました。眼の中・周囲が真っ赤になり、痒くて、アトピー症状が出現しました。治るのに3ヶ月程かかりましたが、きれいに治りました。そして平成16年6月末頃から、今も、顔面が真っ赤で、ひどいアトピーの症状です。
今では、ほとんどリウマチの痛みはありません。外見的には、アトピーが顔面に出ている為、周囲の人達に心配をかけ、申し訳ないくらいです。顔面がヒリヒリして、これも辛いものですが、体が楽になっているのがわかり、リウマチが治っていく過程なんだと思えば、乗り越えられます。松本先生の理論どおりだと思えるのです。
アトピー症状が出ている今は、治っていることが体で理解出来ますが、以前は、リウマチという病名を聞くだけで、暗い気持ちになっていました。他の患者さんの手記の中にも、痛さより精神的苦痛の大きさを書いていた方がいましたが、私もそうでした。でも今は、リウマチになったことが、仕事をしていく上でも、きっと私には必要だったんだと、徐々に思えるようになっています。
手記が遅くなり、申し訳ございません。私の手記も、皆様の手記と一緒にホームページに載り、リウマチで苦しんでおられる方の眼に留まり、間違った治療を中止して、松本漢方クリニックで受診されることを願っています。
リウマチ完治まで、あと少しの辛抱だと思っています。松本先生、スタッフの皆様、織田先生、大変お世話になっています。もうしばらくの間、宜しくお願いします。
松本先生に出会えたことに、感謝しております。有難うございます。
私は、約30年ぐらい前から、「しもやけ」になりました。「しもやけ」と言っても、普通じゃなくて、足はひどくなると歩行困難になるぐらいで、手もバンバンになり、もう1年のうち半分は悩まされていました。朝晩涼しくなってきたら、もう緊張していました。色々治療してきましたが、3年半くらい前からこちらにお世話になり、ゆっくりではありますがこの冬はおかげで耳と鼻のしもやけも今まで出一番軽く済みました。ひどい時は血も出ていました。あとは両手の節と両足かかとの痛みがとれてくれれば・・と思っていますが、この二つが中々頑固です。でも、今までの事を思えば大変楽になりました。最後まで頑張るつもりです。これからも宜しくお願い致します。
私は子供の頃から肌が弱く、冬になると手のひび割れ、夏は虫刺されの掻き痕が長く残るなどに悩まされていました。しかしながら、このような症状は市販の薬やクリームでなんとかしのいできました。
ところが、場当たり的対処法ではいかんともしがたい状況に陥ったのは6年程前2000年のことでした。私の仕事は営業職で、夏場も外回りをしなければなりません。左手にはいつも金属製ベルトの腕時計をしていました。その腕時計のベルトが接触している左手首にいつも汗をかいていたため、だんだん痒くなってきました。いつしか無意識のうちに爪で掻くようになり、キズができ、それが段々大きくなってきて、液が出るようにまでなってきました。そこで、市販の塗り薬をつけてみました。そうするとしばらくして液は出なくなり、症状は良化したように思えました。しかしいつまで経っても完治することはなく、一進一退の状況でした。その間、症状がやや悪化してくると市販の塗り薬をつけたりしていました。
ところが、半年ほどすると症状が良くなるどころか、どんどん悪くなってきました。左手首だけでなく、足など、全身に発疹が出てきてその部分が痒くなってきたのです。その部分を掻いているとそこがキズになり、全身がキズだらけになってきました。その時に妻が以前から指摘してきたことが現実になったことを思い知らされました。妻は、市販の塗り薬にはステロイドが入っているので、必ずその反動があるので使わない方が良いというものでした。私はそんなことはないだろうと思って、市販の塗り薬を使い続けていたのでした。妻の指摘が正しかったのです。このままではいけないと思い、すぐに電話帳で皮膚科を調べてみました。その時は高槻に住んでいたので、高槻市内の皮膚科を探しました。そこでたまたま目に入った松本漢方クリニックに電話をし、すぐに足を運びました。
その時の第一印象はやけに漢方薬のにおいがする変わった医院だなと思いました。そして松本先生にお会いして、更に強烈な印象を受けました(これについては説明の必要はないと思いますが・・・)。先生から治療方針などについて説明受けましたが、まずステロイドについては妻の話していたとおりでした。塗り薬や飲み薬などで、自分のアレルギー体質も改善してゆくという治療方針には、正直時間がかかりそうで面倒だなと思いました。とりあえず、全身の消毒と塗り薬、飲み薬で治療を開始しました。すると市販の薬では全く良化しなかった痒みやキズが段々治ってきました。治療を開始して数ヶ月ですっかり全身の痒みやキズは消えて、きれいな肌を取り戻しました。
最初の通院から1年半くらいして、症状が良くなったと思い、通院や薬の使用を止めてしまいました。その後も特に症状の著しい悪化はなかったものの、たまに夏場などに汗を掻いた箇所が痒くなり、掻いた結果キズになった箇所に以前に処方して頂いていた塗り薬(赤い薬)を塗って対処していました。
ところが、今年の冬に乾燥肌(肌が乾燥して痒くなる)対策として、足に馬油を塗っていたところ、膝裏にボツボツの発疹が出てきました。その度に赤い薬を塗っていました。しかしなかなか完治しないので、再び松本漢方クリニックに助けを求めました。
先生からは、今まで何をやっていたのか!と叱られましたが、その後はやさしく「必ず治してあげるから」と声を掛けて頂き、勇気付けられました。
今回の治療は赤い塗り薬の他に、漢方薬を煎じて飲む治療でした。漢方薬で自分の免疫力を高めてゆくという治療方針でした。
その後、先生から(ほぼ・・)指示されたとおり漢方薬を飲み続けました。その結果、9月の血液検査の数値も良くなり、その時以降煎じ薬から飲み薬に変わりました。
現在は特に症状は現れてはいませんが、血液検査結果からしますと、スギ花粉症はまだまだ大きく改善の余地はありそうです。
今後も治療を続け、先生の言われた完治を目指してがんばりたいと思います。
先生今後も何卒よろしくお願いいたします。
以上
「アトピーと花粉症」46歳女性2005年2月14日
京都府
私は、46歳です。松本漢方クリニックへ通院して、満3年になります。
幼い頃から、アトピー性皮膚炎で、常に、両肘、両膝の裏や、くびに湿疹がありました。特に季節の変わり目にはひどくなり、そうなると近くの内科へ行きステロイドの塗り薬を貰い、使っていました。又、10歳を過ぎた頃からは顔、特におでこや頭皮にも湿疹ができるようになり、以前にも増してステロイドの塗り薬を使うようになりました。
その結果、薬焼けというのか?首やおでこが他の部分と比べ、明らかに黒くなり、成長するに連れ恥ずかしく悲しい思いをしました。化粧をしても肌の色の違いは隠せませんでした。
アトピー性皮膚炎に良いと聞いた事は出来る限りやりましたが、どれもあまり成果はありませんでした。良い医者があると聞けば行きましたが、「完治する事はありません。良い状態で一生付き合っていくようにしましょう」と言われました。
私自身も、アトピーは一生治らないと思うようになりました。
しかし、年齢と共に湿疹の状態は軽くなって、何の治療もせず何年もが過ぎました。
ところが4年前の春、花粉症になりました。
その年は、まだ鼻炎の薬等で治まりましたが、翌年は1月位から鼻水、鼻づまり、目は痒く、微熱まで出てきて1日中ボーッとする毎日で、仕事にも集中できず困っていたところ、知人より松本漢方クリニックを教えてもらいました。
最初に先生は「必ず治してあげます」と、ハッキリおっしゃいました。
『漢方によるアトピー完治の理論と証拠』と読み、松本先生を信じ、漢方を飲み始めました。
1年間は、特別変化はありませんでした。
1年が過ぎた夏、突然両肘から指先までと下腹部に痒みと、赤い湿疹ができました。この湿疹は3~4ヶ月で消えました。
そして満2年の冬。脇腹、背中一面に痒みと赤い湿疹ができました。この時は同時に鼻もつまり、息苦しいのと痒みとで眠れない夜が何日かありました。鼻づまりは松本先生に薬を出してもらい、1週間ほどで楽になりました。この湿疹は2~3ヶ月で消えました。
そして夏。今度は胸、両足に痒みと赤い湿疹ができました。そして下腹部にも、去年ほどではなかったが赤い湿疹ができました。この湿疹も2~3ヶ月で消えました。
そして満3年の冬。今は両足の内側、二の腕に痒みと赤い湿疹がでています。でも何も心配はしていません。
いろいろな症状が出るたびに、松本先生に伝えれば「大丈夫。任せなさい」と力強い言葉と、的確な薬を出して下さるのですから。
今年の花粉症の症状は、どんな風になるのかな?と考えつつ痒い患部を掻きながら、完治する日を楽しみに漢方を飲んでいます。
松本先生、そしてスタッフのみなさん ありがとうございます。
完治する日を夢見て、まだまだ遠い道程だとおもいますが頑張ります。
「保湿剤と痒み止め」41歳男性2003年11月21日
病歴は高校生の頃に脇に小さな湿疹があって、時々リンデロンを塗っていました。スポーツは硬式野球を行っていて、症状は特に気をとめるほどでもありませんでした。
働き出して25歳を過ぎたあたりから、首・背中に赤い湿疹が出るようになり痒みを伴いだした。A皮膚科ではアレルギーだということで、塗り薬と就寝前の痒み止めを服用するになった。薬の名前は忘れましたが、それぞれにステロイドが入っていたかもしれません。
症状は忘れた頃に湿疹が出ることの繰り返しで、8年位続きました。
33歳に宇治市から三田市に転居したことに伴い、A皮膚科からB皮膚科に変わり、アレルギーと診断のもと塗り薬と痒み止めを服用しました。これらの薬には高い確率でステロイドが入っており、服用期間は2年位続きました。湿疹が顔・尻・脚に出だし症状が悪化したため、B皮膚科からC皮膚科に転院しました。そこでは、はっきりアトピーであることとステロイド服用の悪害を知らされ、掻き傷の塗り薬と保湿剤さらに就寝前の痒み止めを使用してきました。保湿剤は夏・冬用に分かれており、常時携帯して塗っていた。海水浴に行って体の湿疹が消えたこともありましたが、38歳位から季節の変わり目に顔が赤くなりだし、飲酒後や忙しい仕事時に痒みが激しくなりだす。家では、アルカリ水を飲み、衛生水を体にかけたりいろいろ試みましたが、根本的な改善のないまま皮膚を乾燥させないための保湿剤を塗り続けてきました。しかし、完全治癒を願って厄年にあたる2003年8月、親戚の紹介により松本漢方クリニックに受診することとしました。
8/1初診で1週間分の漢方煎じ茶と薬湯、さらに赤い軟膏薬をもらう。症状に変わりなく、4~5日は通常とおり出社していました。
8/7全身に湿疹がでて掻きだし、8/10掻き傷からのリンパ液の滲みだしが多くなり、首から胸がケロイド状になり、微熱を伴った。また、耳中にも湿疹ができてジュクジュクした状態が続き、会社は8/11から休みだした。風呂上りは生薬を顔・首・胸にパックし、1週間で5kgの体重減となった。自宅で寝たままの状態だったので、症状を記した書面を持って妻に松本漢方クリニックに行ってもらい、先生の指示で「1日10杯のプロテインを飲むこと」を実行して、悶絶する苦しみは1週間ほどでピークを越えることができた。これが厄年だと自分に言い聞かせるも、全身の強い痒みは8/25位まで続いた。薬湯は夜・朝に入り、昼は自宅から30分のところに塩分を含む温泉に9月末まで通い続けた。9月中旬には湿疹がほとんど消え、掻いても傷になりにくくなった。
10月初旬に出社(片道電車で2時間通勤)したが、痒みのため途中下車してトイレに駆け込んで、著しい発汗と痒みが治まるのに40分ほど要し、会社にたどり着いてもほとんど仕事にならない状態であった。実際に会社に復帰したのは10月後半であったが、脚の浮腫みが5日続き、脚を引きずっての出社であった。
今から振り返ると、あの悶絶する苦しみは二度と味わいたくないという気持ちであり、そのためにはもう絶対にステロイドは使うまいぞという決意であります。本当に苦しいときに松本先生の自宅連絡先を教えていただいて、どんなに心の支えとなったことか。また、家族の協力も大変ありがたかった。特に、妻には煎じ薬の用意から日中あるいは夜中にかかわらず痒いときに背中を掻き、塗り薬(赤色軟膏)を塗ってもらい、熟睡できない日々を私共々過ごしてきました。
松本先生が「リバウンドの激しい人ほど早く直るよ」の言葉から、私がこの領域に入るかどうか分かりませんが、先生の「完治」を目指してがんばっていきたいと思います。
私が始めてアトピーといわれたのは、松本漢方クリニックを受診する3年前です。それまで、皮膚科にかかった事もアレルギーを起こした事もなかったのに、急になったのです。症状は、顔の一部と耳の皮膚が荒れたようになったのと、頭皮がボロボロめくれ、フケがひどくなった状態のように落ちるというものでした。最初は、近くの医者で、半年程塗り薬をもらっていましたが、ましにはなるものの治りませんでした。
半年後、症状がひどくなり、医者を変えました。そこで2年半程、塗り薬と飲み薬をもらっていましたが、治りませんでした。一旦症状はましになるものの、完全には治らず、春・秋に症状が出て、その症状も、段々ひどくなるようでした。飲み薬は、2年半の間で、トータルとしては半年ほど飲んだと思います。
ひどくなる症状に悩んでいた時に、会社の同僚に、松本漢方クリニックの事を教えてもらいました。松本漢方クリニックを受診したのは、平成12年11月10日です。説明を受け、頂いた冊子、手記を読んで、納得の上、漢方治療を始めることにしました。自分の中では、ステロイドをそれほど使った気がなかったのと、症状が出てはいるものの、それほどひどい状態ではなかった事から、「リバウンドは、たいした事はない」という気楽な気分でした。しかし、今まで医師に薬の説明を求めた事もなかったので、知らなかっただけで、飲み薬にもステロイドが使われていたようです。又知らずに飲んでいた痛み止めや、風邪薬の市販薬にも入っていたのでしょう、リバウンドは強烈に出ました。
煎じ薬を飲み始めて3日後から、出ていた症状が悪化。首から上の一部と耳の皮膚がボロボロ状、頭皮がめくれ、ボロボロ落ちる。かゆみと耳たぶから体液が流れ、耳に入ったり、首筋に伝ったりで、夜眠れなくなりました。
翌月の12月5日には、急激に症状が出て、休む用意もできないまま、会社を休職となりました。顔から足の甲まで全身に症状が出て、パンパンに腫れあがった感じで真っ赤、熱も出ました。「36.8度から37.2度の間は、大丈夫」と先生もおっしゃっておられましたが、12月中頃には38.5度が2日続きました。その日は大量に水分を取っていたにも関わらず、尿がほとんど出ませんでした。「熱が37.2度を超えたら、電話をするように」と先生に言われていたので、朝電話で報告、「頂いていた薬を飲むように」との指示を受けました。
ヘルペスが出て、太腿部分に痛みがひどく、歩くのはもちろん、イスに座って食事をするにも、痛みの為に座った姿勢を続けていられませんでした。早々に、ソファーで、斜めの姿勢になりに戻りました。指示のあった薬を飲んで、1週間くらいで、痛みは楽になり、2週間くらいで引きました。体液が全身からにじみ出て、パジャマが濡れ、日に何度も着替えなければなりません。肌にふれる布団は、夏用のガーゼの薄いものにしましたが、上掛けもシーツも、毎日変えなければなりませんでした。又皮膚がつぶれているせいか、体温調節ができず、冬だというのに、寒さは全く感じず、反対に熱があるせいもあってか、常に火照っている状態です。薄手のパジャマ1枚で過ごしていました。体液がひどく、横になると、耳たぶ等からの体液が流れて、耳の中に入ることや、布団の中に熱がこもって熱いこともあって、夜もほとんど布団では眠れませんでした。2時間位、体を横にする程度で、後は、こたつとソファーで、体を斜めにした状態で、一日中過ごしました。「体液の出ている間は、プロテインを摂るように」と先生から指示があったので、朝晩2回、牛乳にプロテインの粉末を溶かして飲んでいました。12月末まで、熱は、だいたい37.2度ありました。そのせいか、異常に喉が乾き、ジュースを始め、水分を大量に摂っていました。
漢方のお風呂に入ると、とても楽なのですが、前の消毒、後の塗り薬が、全身なので、体力が落ちている身には、負担でもありました。入浴を1時間するのは、体力的にも無理で、長くて30分、短いと15分ぐらい、その日の状態に応じて、入浴時間は変えていました。足首や膝も腫れ上がり、足を曲げられず、足の甲も腫れていて、通院の時も靴を履けませんでした。症状の出ていなかった手のひら、足の裏の皮も、パリパリになって、全面はがれました。はがれるときに、ひび割れのようになって、指の関節の所など痛くて、動かせませんでした。
1月になると、熱が36.8度位になり、体液が出るのも少し治まってきました。ただ最初から症状の出ていた耳は相変わらずで、寝る状態も変わらずでした。体液が出るのが治まってきた頃から、皮膚がむけ始め、私が移動すると、フローリングが真っ白になるほど、皮膚が落ちました。家族が掃除機を持って、ついて歩くような状況でした。顔も腫れあがって真っ赤で、人相がわからないところに、皮がむけ、うろこ状で、自分で鏡をみるとぞっとするので、なるべく鏡は見ないようにしていました。
12月中頃から、手が震えるようになり、ペンを持って字を書く事も出来ず、おはしを持っても震えてましたが、1月中頃には、震えも治まってきました。1月末頃には、熱も平熱の36.2度にもどり、体は一気に楽になりました。
2月に入ると、皮膚が落ちるのもおさまってきて、顔の症状も引いてきました。鏡を見るのが苦にならなくなり、気分が明るくなりました。症状が治まるのと入れ替わりに、髪がごっそり抜け始めました。束になって毎日抜け落ち、ほとんどない状態になりましたが、顔の症状が引いていたのと、先生から「抜けた人もいるけれど、生えてくる」と聞いていたのとで、周りが気にしてくれるほど、私は落ち込みませんでした。
症状のきつかった12月、1月は、生理も止まっていましたが、2月には戻りました。
3月の末から、かつらをつけて復職しました。
髪は、7月にはちゃんと生えて、かつらなしで生活できるようになりました。復職したときは、肌の色は黒ずんでいましたが、皮膚の状態はよくて、全身リニューアルで、つやつやでした。色も段々に元にもどりました。夏頃まで、漢方のお風呂に入っていましたが、その後は、煎じの飲み薬だけになりました。
一番ひどかった4ヶ月について、当時のメモを元に書いてみました。他の方の手記を読んで、同じ症状だと安心はするものの、不安になり、気分が落ち込みます。ささいな事で電話をしても、通院の時と変わらず、「大丈夫、絶対治してあげるから。」と励ましてくださる先生にささえられていたなあ、と実感しています。又看護婦さんも、私がどんなひどい状態でも変わらず、明るく親切に応対してくださるので、「こんなひどい顔を見せて、申し訳ない。」と落ち込んでいる身には、救いでした。ありがとうございます。
まだ完治とはいかないのですが、後は、先生の指示どおりに、ぼちぼちかなと思っております。
私は、他の方の手記を読んで、「一緒だ、こんな風になるのか、こうして治っていくのか。」と安心しました。この短い手記でも、少しでもお役にたてばと思います。
私は51歳で、リラクゼーションサロンでオイルマッサージの仕事をしていました。
今は、喫茶店で働いています。
49歳の秋にストレスから手が痛みだし初めはかゆみが出だし、徐々に指に何箇所もひび割れし膿が出て辛い日々を送っていました。
松本漢方クリニックにかかる様になり1ヶ月位でよくなり出したのでその後段々医院にいかなくなりました。
22年3月から4月まで仕事が忙しく、オイルマッサージを一日中していました。
中途半端な状態で置いていたからか、またかゆみと痛みそして、指はひび割れて、痛くて痛くてサボテンをグーッと掴んでいるような状態でした。
色々な病院に行きましたが、全く良くなる事がなく、又松本漢方クリニックにお世話になることになりました。
ヘルペスと診断されました。ストレスと疲労が重なったみたいです。
免疫力が低下しているとの事、兎に角手が異常な痒み、痛み、腫れで、辛く日々泣いていました。
段々酷くなる一方で仕事に行く事も出来なくなりました。
漢方を飲みながら、薬草風呂にも毎日5時間入るように言われ・・・でもいくら頑張っても2時間から3時間が限界でした。
それでも、この辛い日々から抜け出したい一身で、漢方と松本先生にお世話になりながら、日々がんばり、今ではこんなに綺麗になりました。
本当に、松本先生に知り合えてよかったです。ありがとうございました。
また、何かあったときは、よろしくお願い致します。