「アトピー手記」
48歳2015年6月19日
48歳2015年6月19日
私は今から20年前に松本漢方クリニックに初めて来ました。28歳の時で、アトピーで他の病院を幾つか受診して、処方される薬は、全てステロイド。飲み薬とステロイド塗り薬で服用している間は痒みも止まり皮膚の状態も元に戻るのに、止めたらまた湿疹の出る箇所が広がり、とうとう顔、首以外は全身アトピーで、このままの治療でいいのか?と精神的にも、麻薬漬けになったような、ただ途方に暮れて絶望し外出することも家事をすることも嫌になり。当時結婚して子供はいなく2年目でした。
松本漢方クリニックを知ったきっかけは、同じハイツの二階に住む子供さんがいる主婦の方が、私のただれた手を見て、知り合いの子供さんが松本漢方クリニックでアトピーが良くなったと聞いたことあるからとさっそく聞いて教えてくれて。そして、正直に言いますが半信半疑で松本漢方クリニックの階段を一歩ずつ大丈夫なのかと思いながら重い足どりで訪れ入った瞬間、漢方の臭いに、診察室に入り白衣を着てない超個性的な過激イメージの先生。私の身体を見て、「何を飲まされステロイドを塗ってたのか!どのぐらいの期間飲んでた?全部薬を持って来い!」と言われ、「必ず治してやる!」と。
次の来院時に、今までの薬とサヨナラするためにも薬を全て先生に。そこから私のリバウンドとの闘いが始まった…。飲んだらすぐ治してくれる…。そう思っていた私は煎じ薬を飲んでから、益々ひどくなり赤くただれて汁が出て…。先生に「ひどくなってる!」と抗議したら、「嫌だったら元の病院でステロイド漬けになっとれ!」とも言われ涙がこぼれた…。お漬物になれなんだと。
夜も痒みで寝れてない疲れきった私に、きつい言葉だなーと。発狂しそうにもなったけどそれでも通い続けたのは何なんだろう…不思議。ステロイドを使用してたのは約3カ月。1年後には、リバウドを乗り越え徐々に皮膚が綺麗になり、そして身体は元に戻り2人の子供の母になれた。とても感謝しました。
その後、花粉症はあるもののアトピーにはならず、軽い喘息が出たりする時は松本漢方クリニックに来てすぐに喘息は治りました。
今、48歳となり再び、松本漢方クリニックに受診中です。私の親が歳をとり今年4月に認知症と診断。大学病院や総合病院で認知症の種類をハッキリわかる医師はいなく誤診ばかりで、製薬会社との結びつきもあり患者の状態が安定してても、規定通りに薬を増量していくこともあり。そんな治療は受けたくないと、私は名医を探し続け遠方まで連れて行きやっとピック病とレビーの複合型認知症と判明し病名がハッキリしたのは良かった。けどショッックも大きく。私は長年介護士をして認知症の患者の症例を見てきたからこそ、親の認知症の種類に疑問を持ち、病院を変えることが出来た。患者は何にも知らないから医師を信じて病院に飛び込む…。
でも私が以前、皮膚科を信用出来なかったことで、全ての医師を信用することをその時からしなくなった。自分で病気のことも勉強して確実な診察をしてくれる医者を見つけることが患者や患者の家族の役目だと。親の認知症の入り口がわかるまで1年かかり疲労と心労は強烈だったのか。免疫力低下でヘルペスになり、両脇の周り、胸、腕に赤い湿疹が痒みとピリッとする痛みがはしり。親のこともあるので、すぐ身近な皮膚科に行ったけど出されたのはステロイド。二度と使用したくない思いから、再び今、松本漢方クリニックに。
先生は、私の目を憶えていると言ってくれた。治してくれると言ってくれた。また、新たなアレルギーとの闘いです。「若い人に迷惑をかける高齢者は早く死んだらいいねん!」なんて先生、ひどいこと言うな~と帰りには強烈に怒りがこみあげた。けど私の身体を思ってのことなのか?とも思った。親が死んだら介護という苦しみが楽になるのかもしれない。でも私は、今まで真面目に働いて育ててくれて一生懸命、私のことを心配してくれた親です。だから今まで他人の介護を仕事で頑張って知識も素人よりは沢山学びました。だからこそ、あと何年かわからないけど、今までの親らしく、穏やかに、天寿を全う出来るよう努力してるのです。まだらに頭の状態が戻る時は、「頭を良くしてくれるために、遠くまで来てここまでやってくれる娘はいない…。」と親は病院の待合室で言ってくれた…。たとえ、私が新たなアレルギーと今闘い始めたけど、最後まで守りたい人はいるんです。それをわかってほしいと思います。
私も歳をとり、松本先生も歳をとり、高齢者なんか早く死んだらと言われたら、松本先生もいなくなるじゃないですか。松本先生を信じて、沢山の患者が待ってるんです。そんなこと言わないで。文章下手くそでごめんなさい。