私は、小学校の頃から、何年かに1度、手に無数の水泡が出来る事を繰り返し、その度に皮膚科に通院していました。処方されていた軟膏の名前は覚えていませんが、今思えば、ステロイドだったのでしょう。毎回、主婦湿疹や水虫という様に、同じ症状でも、病名は違いました。
昨年、2003年9月に、膝の骨にある腫瘍の摘出手術をし、人口骨を埋めました。それから半年後、その手術痕がジュクジュクと膿み始めました。気にはなりましたが、自分の骨でないためか、その部分はあまり感覚がなかったので、そのまま放っておきました。すると、膝の周りが強い痒みに襲われ、ふと見ると、ブツブツが出来ていました。すぐに皮膚科に行きました。皮膚科では、「人工骨が体に合っていないから、アレルギーを起こしている。」と言われ、「手術した先生と、相談した方がよい。」とのことで、今度は、整形外科へ行きました。
しかしながら、そこでは、「そんな症例は、全国で一例も無いからなぁ。違うと思うけど、取りたかったら、取ってあげるけど。骨半分を切り取らなあかんけど、どうする?」と簡単に言われました。「考えます。」と、暗い気持ちで、整形外科を後にしました。
それで、昔通っていた、実家近くの皮膚科に行く事にし、主人をおいて、四国まで帰りました。その皮膚科では、「原因は判りません。調べようがない。」と言われましたが、薬は、飲み薬も軟膏も処方されました。この時、「原因も判らないのに、何故薬が出るのか?」と疑問にも思わずに、頂いた薬を毎日のみ、軟膏も一生懸命塗りました。マイザー軟膏でした。5グラムを、毎日2本使用しました。塗ると、きれいになるからです。足りないと、電話すれば、軟膏は、30本送られてきました。
しかし、治ったと思い、薬を止めれば、またぶり返す。「このまま、一生塗り続けるのかな?」そう思った頃に、大家さんが、リウマチで松本漢方クリニックに通院している事をお聞きし、私もインターネットで調べて、松本漢方クリニックに行く事にしました。ですが、最初は、手記を読んで、「本当に、そんなに皆同じ様になって、治るの?」なんて思っていました。
そして、2004年5月9日に、初めていきました。何ともいえない漢方薬の臭いに圧倒されながら、診察室に呼ばれるのを待ちました。そして、私が考えてもいなかったアトピーだと聞かされ、驚きました。でもそれ以上に、手記を読んでいた為、「私も、もしかして、皆さんと同じ様になるのかな?でも、そんなに続けて長期間軟膏を使用していたわけではないし・・・。」などと、不安になりました。そしてこの日、眼科の検診をうけ、「ステロイド白内障」と診断されました。「まだ今は生活に支障がないので、様子を見ましょう。」との事。主人と、暗い気持ちで、松本漢方クリニックを後にしました。このとき処方されたのは、お風呂の漢方、煎じ薬、紫雲膏、消毒、エルタシン軟膏、抗生物質でした。熱が37.2度以上出たら、すぐに電話する様に言われました。
2日後・・・・体がだるい。熱は37.0度。手が痒い。掻くと、掌の皮がズルッと剥けた。神経がむきだしになった様な痛み。同様に、腕も、大半の皮が剥けた。
2週間後・・・手・腕の痒みが、ますます強くなる。空気にふれると痛いので、包帯でまくが、30分もすれば、強い痒みで、また包帯をはぎとり、掻く。次の瞬間、ガソリンをかけ、火をつけた様な、熱くて何ともいえない痛みが襲い、泣きながら包帯をまく。この作業を朝まで繰り返し、寝付くのは朝の6時頃でした。仕事がある為、7時半には起きるので、平均1時間~2時間の睡眠時間でした。でも不思議と、昼も痒みが勝ち、全く眠くなりませんでした。熱はずっとあったので、体はだるかったのですが・・・
3週間後・・・手の指がパンパンに腫れた。痛くて曲がらず、コップも、両手で、何とか支える程度。仕事が事務職の為、ボールペンを握る事が、非常に辛かった。腕も、身がむき出しになっている上に、まだ毎日掻くけれど、不思議と全く血が出ない。代わりにリンパ液が、体の中からシャワーの様にあふれだす。「私の血は、どこにあるのだろう?」
背中に、一日でブツブツが広がった。強烈な痒み。夜になると、震えがくるほどの痒みが、全身を貫く様な感じ。イライラし、泣きながら、夜中に家の中をウロウロした.一睡も出来ない日が、5日続いた。
4週間後・・・水泡はまだまだ出来るが、手の指の関節が曲がる様になった。膝はジュクジュクし、赤黒い。腕は、へルパスになっていた。お薬をもらい、飲むが、痛みは治まらず。
1ヶ月後・・・熱が下がり、少しからだが楽になった。しかし、痒みと痛みは変わらず。精神状態は最悪で、主人にやつ当りの毎日。
1ケ月十2週間後・・・背中のブツプツが、少し平らになった。夜の震える様な痒みは、まだ続いている。
1ヶ月十3週間後・・・膝から下が、腕同様、ズルッと剥けた。ぐるりと一周、皮がない為、歩くとつっぱり、ふくらはぎに激痛が走る。歩くのが、壁伝いにしか出来ない。すると、すぐに足の甲が、パンパンに腫れてきた。松本先生に、頻繁に電話した。「絶対治してあげるから。大丈夫やから。しっかりプロテインを飲む事!」と教えて頂き、一生懸命飲んだ。松本先生に、毎週会うのが楽しみだ。
2ケ月後・・・遂に、会社で。夕方、足がパンパンに腫れ、立てなくなった。主人の仕事が遅いため、親戚夫婦に迎えに来てもらい、マンションの家まで、抱えて送ってもらった。腕も手も痛いので、這ってトイレにも行けず、主人が帰ってくるまで、泣きながら待った。
この後1週間、仕事を休んだ。寝たきり状態。
2ケ月十2週間後・・・あれから、少しずつ腫れが引き、それと同時に、腕のジユクジユクが乾燥する様になった。腕の包帯を外した。足は腫れなくなった。
2ケ月十3週間後・・・どんどん治ってきた。今年は、とあきらめていた半袖が、着られる様になった。(まだ黒いあざの様になってはいますが、少しずつ、色も薄くなってきています。)手の包帯も外れた。まだ水泡は、毎日の様に繰り返し出るが、掻いても、皮が剥けなくなった。背中は元通りになり、汗をかいても、掻かなくなった。足の包帯も外れた。全体が赤黒いが、痛みがなくなり、掻いても、皮が破れない。体全身の痒みが、嘘の様に楽になった。
今はまだ、見た目はもと通りではないのですが、鏡でみないと、自分では忘れている程です。夜も、足の腫れがひいてきた頃から、普通に眠れる様になりました。今では、主人より先に寝る程。半信半疑で受けとめたアトピーですが、本当に、この2ヶ月は辛かった。でも松本先生の「治るから!」の、この言葉が、どうしても嘘とは思えなかったので、頑張りました。
来院初日には、家に帰ってすぐ、主人と一緒に、松本先生の理論を、声を出して少しずつ理解しながら読みました。また、毎日、他の患者さんの手記を読み、少しでも自分の症状に近い人はないか、探しました。
お風呂は、1時間、きっちり入りました。煎じ薬は飲みにくかったけど、少しすると慣れました。
感謝の言葉が絶えないのは、主人です。私は、毎日泣き喚き、暗い顔をし、家事も一切できない時、嫌な顔一つせずに、全てを引き受けてくれました。家事など、全く無縁の人だった主人が、です。仕事の帰りがいつも遅いのに(夜11時ぐらいです)、帰ってからご飯を作ってくれ、私をお風呂に入れてくれて、一時間後には包帯を巻いてもらいました。夜中も度々起きては、「大丈夫かぁ?痒い?掻こうかあ?」等と言って、寝ながら(笑)掻いてくれました。暗い顔にならない様に、常に、私に話かけてくれました。本当に感謝の言葉もありません。
これからアトピーと戦われる皆様、どうか家族の方、助けて上げて下さい。絶対に治ります。松本先生についていけば、必ず治してくれます。松本先生は、怒鳴る様な口調で言う事もありますが、不安なこと、分からない事を聞けば、100%答えてくれます。どうか、信じて頑張って下さい。私は、次は、スカートが履ける様にと、今はそれが目標です。
まだまだ完治までは遠いかもしれませんが、松本先生から完治の言葉を聞けるまで、頑張ります。先生、これからも宜しくお願いします。
埼玉県越谷市(旧住所:東京都江戸川区)
私は、現在28歳です。初めて松本漢方クリニックを訪れてから、約6年になります。
最初に、医者からアトピーと言われたのは、大学4年生の夏でした。高校生の頃から、皮膚炎の為、皮膚科への通院はしていましたが、「アトピーではありません。」と言われていました。
しかし、今から考えると、原因や、もらってるお薬からも、それまでの治療により悪化したものが、大学4年生の夏に、一気に噴出したのだと思います。それまでは、指や顔の一部に症状がでていたのですが、突然、腕や首などが腫れ出して、その範囲は見る見るうちに広がっていきました。
そんな私が、松本漢方クリニックへ通院するきっかけとなったのは、親が、知り合いから、アトピーを治してくれる病院があるという話を聞いてきたことでした。これまでの経過を考えると、本当に治るかどうかはわからないが、だめでもともと、とにかく一度通院してみようと思い、松本漢方クリニックへ通院を始めました。
最初の頃は、一度ひどくなるという説明を受け、覚悟はしていましたが、やはり、現実に直面してみると、かなりのショックを受けました。顔や体が全体的が真っ赤に腫れあがり、鏡で自分の顔を見ることも出来ない状態でした。あまりに体中が痒くて眠ることも出来ず、服はすぐにリンパ液でぐちょぐちょになってしまいました。
最初の半年は家にこもり、外出は病院への通院だけという状態でした。大阪まで電車で通う勇気もなく、毎週のように病院へ車で通うというような生活でした。
本当に治るのかと不安になることもありましたが、とにかく治ると自分に言い聞かせて、毎日煎じたお薬を飲み、薬を入れたお風呂に入っていました。紹介していただいた方が、ひどかったのにきれいに治ったという話と、松本先生の「必ず治って、きれいになるから」という励ましにより、前向きにアトピーと向き合えたように思えます。
そして、腫上がった顔がだんだんとひいて、赤みが消え、白い肌が占める割合が増えてくると、鏡を見ることも楽しみになっていきました。今では、一見しただけでは、アトピーだということはわからないまでに治っています。
私は、松本漢方クリニックと出会えて、本当によかったと思います。そうでなければ、顔を前に向けて外を歩くことも出来ずにいたことでしょう。アトピーに正面から向きあえるようになれたのは、松本漢方クリニックの松本先生に出会い、そして家族に支えてもらえたからです。
これからアトピーの治療を始められる方は、とにかく前向きにがんばってもらいたいと思います。
「アトピー 白内障手記」匿名希望26歳2010年10月30日
私が松本漢方クリニックにかかるきっかけになったのは白内障になったからです。
中学からアトピーの治療としてステロイドを使い始めました。
背中に痒みがあったので、地元で有名な皮膚科に通院し、症状が軽くなったので、それからステロイドは使用せずに高校まで過ごしました。
その間、アトピーで悩んだ記憶はありません。高校を卒業し、大学に進学する為に一人暮らしを始めました。一人暮らしを始め、数ヶ月が経つ頃、また少しずつ痒みが出てきました。
その頃、ステロイドの恐ろしさ、麻薬性、その後に間違いなく襲ってくる肉体的・精神的苦しみを全く知らない私は、それから約5年間ステロイドの塗り薬、服用剤を使い続けました。医者の言う通りに治療しているのに、なぜ治らないのか。自分の本能で『このままではアトピーは治らない』と感じていたのに、なぜ別の手段を探そうとしなかったのか。皮膚だけでなく、眼の病気まで患った今では本当に悔やんでも悔やみ切れません。ステロイドを使い始め5年目の冬の事です。朝起きた時に既になっていたのか、徐々になのかは分かりませんが、左眼が霞んだ感覚になりました。目ヤニかゴミかと思い、水で流しましたが、霞みは取れず、どう考えてもおかしいと思い、翌日近所の眼科を受診しました。「白内障です。」白内障は『年配の方に多い眼病』といったような知識しか無かった私は、白内障について殆ど無知だったので、その時はショックを受けず、帰ってから母に「白内障なんだって。」とサラッと言った事を覚えています。思い返すと母には相当なショックだったはずです。
それでもセカンドオピニオンは大事だという事で、今度は地元で最も大きな総合病院の眼科を受診しました。診断結果はここでも白内障。
診察中、眼に向けられるライトが眩しくて眩しくて殆ど目を開ける事が出来なかったので、その時『白内障だろうな。』と感じていました。
家で白内障について調べていくにつれて、だんだん事の重大さに気付き、日に日に不安が襲いました。この頃アトピーの調子もとても悪く、そこへきて今度は白内障。八方塞がりの状況に心が完全に折れ『もうどうにでもなれ。』と思っていましたし、自暴自棄になっていました。
しかし母は私が白内障と診断された日から白内障について調べてくれていたようです。母は調べていくにつれ、一つの疑念が生まれたそうです。
『ステロイドを使用した事よって白内障になったのではないか』
今考えると、よく気付いたなと思います。家族と話し合い、眼科に通院しながら、ステロイドを使用しない皮膚科を探すという事になりました。
結果的に私は白内障になった事により松本漢方クリニックに辿り着きました。
皮膚科なんて全国にたくさんあるのに、お世辞にも大きいとは言えない松本漢方クリニックにです。ステロイドを一切使用せず治療を進める医者が如何に少ないかを物語っています。普段パソコンを全く使わない母が松本漢方クリニックのHPにどう辿り着いたのか、どれ程時間が掛かったのかを考えると、本当に胸が熱くなります。
自暴自棄になってる私に諦めず医者を探してくれて、そしてその中でも松本漢方クリニックを探してくれて、お母さん本当にありがとう。その選択に私自身が助けられたと思っているし、心から心配してくれる母が勧めてくれた医者が松本漢方クリニックで本当に良かった。この様な経緯で私は松本漢方クリニックにかかる事になり、こうして私はステロイド離脱しながらアトピーの治療に努める事になりました。
アトピーの症状は他の患者さんの手記に書かれてる通りのリバウンドを体験しました。素晴らしいアトピーの手記がたくさんあるので、私は眼の症状について書きたいと思います。
左眼は少しずつ曇り、本を読む事も難しい状態になりました。
濁ってはいたものの、視力は0.8程度あったので、手術は日常生活に支障をきたす程度になってしまったらという事になりました。
ステロイド離脱の治療を進めて暫く経った頃には、白内障の症状は更に進み、右眼も白内障になりました。いよいよ日常生活にも支障をきたす様になり、白内障の手術を受ける決心をしました。遠近両用レンズを入れる手術で有名な眼科を受診しました。その医者に2つの診断をされました。
まず1つが、以前レーシックをしているので遠近両用レンズは入れれないという事。もう1つは『光彩炎』になっているという事。
そして光彩炎は酷くなると緑内障になってしまう危険性があるという説明をされました。光彩炎と診断されたこの時、痛み・眩しさなどの自覚症状は全くありませんでした。
「ステロイドは使いたくないのでステロイドを使わない治療をしたい。」と伝えると「光彩炎は絶対的にステロイドを使わないと治らない。」と物凄い剣幕で怒られました。そして本当に悲しく不安にさせられる一言を吐き捨てられました。
「光彩炎の治療に何年かかるか分からないし、治っても白内障の手術はうちでは出来ないから他でして貰いなさい。」過去にレーシックの手術歴、今現在光彩炎を患っている患者にリスクをおってまで自分の病院で手術したくなかったのでしょう。結局ここではステロイドの点眼薬を処方されましたが貰わずに帰りました。翌日、以前白内障と診断された総合病院の眼科を受診しました。
医者には前日光彩炎と診断された事を伝えずに診察して頂いたのですが、「光彩炎になっていますね。」と言われました。
光彩炎は光彩が上手く機能せず、眼に入る光の調節が出来ていないので眩しく感じる症状です。治療は勿論ここでもステロイド点眼のみ。
今考えればその頃がステロイド離脱をする上で本当に悩んだ時期です。
皮膚は新しく再生出来るけど、眼は一つだけ。皮膚は代えがきくから、とりあえず失明という最悪の事態を避ける為、眼が安定するまでステロイド点眼し、落ち着いたら点眼を止め、またステロイド離脱治療に専念するのがベストなのではないかと考えていました。ただステロイドを使用した事により白内障や光彩炎になったのに、その治療にまたステロイドを使うという事に物凄く大きな矛盾を感じていました。しかし失明するかもしれないという医者の一言が頭から離れず、恐怖に絶え切れなくなり、結局1週間程ステロイド点眼を1日3~4回してしまいました。勿論松本先生には烈火の如く怒られました。
しかしその1週間の点眼で驚くほどの変化が表れました。
少し視力が良くなったかと思うと、急に白内障の症状が悪化し、白濁化が物凄いスピードで進んだのです。松本先生からステロイドと白内障の因果関係について聞いていた私は、治療にステロイド点眼を使うという大きな矛盾と、この経験によってステロイド点眼を完全にやめるという決断に至りました。
眼にも絶対にステロイドは使わない決意は固まった。という事は治療については『何もしない』という事。しかし怖い。何もしないという事は凄く勇気がいって、また失明するかもしれないという言葉に怖くて怖くて寝れない日が続きました。部屋の電気を消し、小さな光を見ながら考える。昨日より見えていないじゃないか。光が滲みすぎじゃないか。もしかしたら明日起きたら失明しているんじゃないか等。
『ステロイドは使ってはいけない』という松本理論は間違いない。
理論は理解出来るし、完璧なのですが、松本漢方クリニックでもアトピーの治療と光彩炎の治療を同時に進める患者があまりにも少ない。
松本先生の話ではその患者さんもステロイド点眼はせずに元気に過ごしていらっしゃいますとの事。その時はどうにかその患者さんに電話をして色んな話を聞いてみたかったし、とにかく話をして不安を取り除きたかったです。
「現在眼の調子はどうなのか」「点眼を止めてどれくらい経つのか」
「点眼を急に止めて酷くはならないのか」など当時はもっと色々な不安があったと思います。光彩炎を含むブドウ膜炎の患者さんは松本先生に相談して、
その患者さんと電話で話す事が一番の安心材料になるはずです。話を戻します。
眼科には定期的に通院していましたが、ステロイド点眼は一切しませんでした。
先生が怪しむのでステロイド点眼薬の処方を貰っていましたが点眼薬は家で捨てていました。ステロイドなんて見るのも触るのも嫌でしたから。
何もしないことが本当に不安なので、眼科には1週間または2週間おきに受診し、「症状は安定しています。」という安心感を貰いに行っていた様なものです。
そういった状況が何ヶ月か続きました。
ステロイド点眼を止めた事による光彩炎の症状の変化ですが、痛み等はないのですが、とてつもなく眩しく感じる様になりました。朝カーテンを開けると天気は曇りなのに眩しくて眩しくて眼が開かず、涙が止まりません。
運転して通院するなんて事は不可能だったので、母に送って貰いながら通院しました。異常に眩しく感じた期間が2ヵ月程ありました。しかしその症状も次第に治まっていきました。その後、同じ眼科で毛様体炎にもなっていると言われましたが、光彩炎程の自覚症状も無かったので、それに対する治療も何もしませんでした。それよりもアトピーの痒みで寝ている間に顔を叩く癖があり、網膜薄利になった事の方が問題でした。しかしこれも早期に発見出来た為、大事には至らず完治しました。網膜が剥がれないように特殊な糸でグルグル巻きにする手術だったのですが、通常1時間半くらいで終わるそうなのですが、私は3時間位手術していました。本当に最悪な時間でもう一生経験したくありません。手術室から出て、待っていてくれた母の顔が今でも忘れられません。
家族に多大な心配をかけますのでアトピーの患者さん、松本先生から注意されているとは思いますが、絶対に顔を叩かないで下さい。
様々な眼の病気を患いましたが、今現在ステロイド点眼を完全にやめて2年が過ぎましたが、矯正視力は両目共に1.5以上ありますし、全く問題ありません。
ただ2度レンズに付着した白内障の濁りを取るレーザーをしましたが、多少レンズに付着している為、夜になると光が拡散する事により若干運転がしづらいという事だけです。しかし暗くなればドライバーは皆さん見にくいですし、昼間より速度を落とす事は当然の事です。考え方を少し変えれば不安も乗り越えれます。私がそうであるように。長々とこれまで私が書いてきた手記は私個人が悩み、考え、判断したものなので、皆さんに理解して頂けるかは分かりません。しかし眼の病気を患い、治療方針について悩んでいらっしゃる患者さんの一助になれば幸いです。
「アトピー ヘルペス手記」27歳女性2011年12月6日
生まれて、この27年間ずっとアトピー性皮膚炎と共に生きてきました。
初めは、町の診療所でステロイドや抗ヒスタミン剤の処方を受け、その後改善しない為、総合病院へ通院していました。
それでも良くなるどころか悪化の一途をたどり、高校生の頃、最後にはステロイド注をしようかと言われました。
そこで母がこれではいけないと思い、脱ステロイドの病院を探し友人の紹介で、松本漢方クリニックを知りました。
最初は劇的に良くなり、その後15年間のステロイドを使用し続けたリバウンドがやって来ました。それは、凄まじく地獄のような日々でした。
そして、安定の日々が訪れ油断した時、疲労などが重なリカポジ水痘様発疹症を発症してしまいました。
それはリバウンドに匹敵するほど辛く、1度発症すると半年は外出できないほど大変でした。
それを2年に1回繰り返しており、ヘルペスを抑える内服が手放せません。
そんな私も1年半前母になりましたが、出産後にもリバウンドが来るらしく、カポジと共に発症し育児もやっとの日々を過ごしています。
幸い、子供には皮膚トラブルはなくそれだけが唯一の救いです。
これからも、一生アトピーとカポジと付き合っていきます。
「喘息 鼻炎 ヘルペス アトピー手記」21歳男性2013年3月21日
2012年の9月まで1年間食品業でパートをしていて、それをやめた途端10月初旬に風邪をひき、咳が出たので、最寄りのかかりつけの医師に見てもらい、咳止めなど風邪薬を処方され飲んでいましたが、風邪は治ったのですが、咳だけがその後もずっと続くようになり、夜寝るときも胸のあたりが咳が出そうな予兆でヒィヒィなるので、これから大学受験も控えていたので、なんとか治そうと色々調べたところ、松本漢方クリニックのホームページを見つけました。小学校低学年時代からアレルギー性鼻炎、蓄膿症だと言われ、慢性的な鼻ずまり、花粉症などによる頭痛などで2週間に1回の頻度で長年ずっと耳鼻科に通院していて、「いつになっても治らない」「根本的に治す方法はないのか」とずっと思っていました。
その矢先、松本医学博士の論文を読んで、他の治療法を色々やっても意味がなかったけど、今度は治るかもしれないと思って11月に伺いました。
喘息の漢方煎薬を飲み続け、喉の免疫細胞をウイルスと戦わせることによって、徐々に咳が出なくなり、1月にはもう完治していました。
また、今までずっと悩まされてきた頭痛の原因がヘルペスであると分かり、ヘルペスの煎薬とベルクスロンの併用により、だいぶ良くなってきたと思います。
さらに、高校時代から背中に発疹が出ていたのもアトピーだということで、2月にはアトピーの煎薬を加えていきました。
一番の問題は鼻づまりでしたが、11月から粉薬、2月から煎薬に変更し、花粉の時期に対応していきました。2月から3,月にかけてはさすがにくしゃみがひどくなりましたが、今までかなりの期問、耳鼻科に通院し、その都度ステロイド吸入をしていたこと、その期間を考えると、一番治るのが遅いのだと思いました。早く治って欲しいと心から思っていますが、治るまで、なんとか医療費に充てるお金が潰えてしまわないように自分ができることを一生懸命頑張りたいと思います。
松本漢方クリニックでの治療を始めて、ちょうど1年が経ちました。
1年前、初めて病院に行った時の私はアトピーで顔から汁が出てとてもひどい状態でした。精神的にもとても弱っていて人に会いたくなくて、仕事も辞めて家で1日を過ごすという毎日を送っていました。そんな中、母がインターネットで松本漢方クリニックを見つけてくれたのです。独特の雰囲気の中、先生の診察が始まりました。先生は、顔中から汁が出て乾いてパリパリな私の顔を見て、「この子はベッピンさんやわ。すぐに元に戻したるから大丈夫」そう言って私と母に握手をしてくれました。とても温かい手でした。先生は紙に自分の電話番号を書いて「病院が休みの日に不安な時はここにかけておいで」と私にくれました。今でもお財布に入れて毎日持ち歩いています。私のお守りです。先生が自信満々に話すその態度や言葉がとても頼もしかったです。家に帰り、さっそくもらってきたお薬でお風呂に入りました。色も匂いも苦手で辛かったけど、仕事もせずお家にいたのでそれが私の仕事だと思い毎日、何度もお湯につかり苦しくなるまで顔をつけていました。すると顔中のかさぶたが自然にポロポロと取れていき、下から新しい皮膚が出てきます。赤い薬をつけると次第に浸出液が毛穴から出てきます。それが乾いてパリパリになり、かさぶたになり又、はがれていく・・・そんな繰り返しでした。でも確実に良くなっていく実感が自分の中にありました。そうこうしている内にお風呂の漢方はもうなくても大丈夫だと思い、消毒と飲み薬と赤い薬だけにしました。何とか外にも出れるくらい良くなってきて彼氏と普通に外食出来るのが、とても嬉しかったです。仕事もしたくなり、ハローワークに通い今の職場に出会いました。アトピーがひどくなり何度も仕事を休んだり、辞めたりを繰り返していたのでとても不安だったけど、毎日元気に働いています。毎日同じ時間に起きて働きに出れる事、休みの日には友達と映画やショッピング、お茶をして盛り上がったり・・・。そんな普通の事が今、とても幸せなのです。あの辛い時期がなければ、こんなに幸せに思える自分はいなかったと思います。そんな時いつも家族や松本先生の顔を思い出して心の中で「ありがとう」と感謝するのです。友達に「どこのファンデーション使っているの?」と肌がきれいとほめられました。自分の肌にコンプレックスがあるので「まさか私の肌が他人にほめられるなんて」と変な気持ちだったけど、とても嬉しかったです。
今でも鏡を見ては毎日泣いていた自分を思い出すと何とも言えない不安に襲われます。毎日充実していてとても楽しいけどれど、その時の気持ちは忘れてはいけないのだと自分に言い聞かせてこれからも漢方の飲み薬は続けていくつもりです。
「アトピー手記-松本先生へ-」29歳女性2004年6月1日
私がアトピーという病気であると知るまでに、10年近くかかりました。最初に症状が出始めたときは、ニキビだと思い、そのうちに治ると思っていましたが、治ってもまた次から次へと出てきました。自分はニキビが出来やすい体質で、今はそういう時期だと、間違った考えで過ごしていました。
どうしてこんなに出来るんだろうと、食事も油っこいものは避け、洗顔などにも人一倍気をつけていてもダメで、悩み、もう諦めていた頃、母のお友達から、松本先生を紹介して頂きました。アトピーがとってもキレイに治って、「私の肌も診てもらったら。」と言われました。「アトピー?私はニキビなのに、どうして?」って感じで、戸惑いながらも、松本漢方クリニックを訪ねたのが、3年ほど前です。
最初に松本先生にお会いして、自分が今まで間違った治療をいた事に、すごくビックリしました。「何て自分は無知だったのか。花粉症でずっと悩んでいたのが、全ての病気の根源だったなんて。」またよく効く薬だと思って、続けて何年も使用していたのがステロイドで、もし松本先生を紹介してもらっていなかったら、これからもずっと治らなかったかもしれないと考えると、恐くなります。
最初は、漢方薬がとても苦くて、なかなか飲み辛かったのですが、だんだん良くなっていくのが分かるし、花粉の時期にも、あんなに辛かったのが、嘘のように楽になっていくのが、目に見えてわかりました。松本先生にも、いつも「キレイにしてあげる。」と言って頂いていたので、頑張れました。
まだ完全には治っていないので、頑張りたいと思っています。また、両親にも色々協力してもらったので、有り難かったです。
私は、小学生の低学年の頃から、ひどい花粉症に悩まされていました。その頃は、何も知らず、花粉症によく効くという病院に通い、ステロイドのきつい目薬を、1日何回も使い、飲み薬も、花粉症のシーズンはずっと飲み続けていました。
その頃は、太ももに、毎年のようにブツブツが出ていました。その後、あまり体に反応はなかったのですが、大阪に出てきてから、背中やおしりなどに、またブツブツが出来るようになり、皮膚科に通い始めました。またそこで、何も知らず、ステロイドのきつい塗り薬を、背中やおしりに塗っていました。ステロイドの入った薬を塗ると、次の日には、とってもきれいになり、安心していたのですが、ある日、ステロイドが体によくない事を聞き、私は驚きました。
2年前に、兄に子供が出来、アトピーということで、インターネットで調べ、松本漢方クリニックという有名な病院がある事を知り、通い始め、8ヶ月で完治した事を、兄から聞きました。「私も、この病院で治そう!」と決心したのです。
最初は、漢方薬を飲むのがとても辛く、不味いと思っていたのですが、これを飲めば治ると信じて、飲み続けてきました。漢方薬を飲み始めたときは、体の手と足と顔以外に、ブツブツがすごく出て、「エ~ッ、私の体はどうなるの?」と戸惑いましたが、漢方薬を飲み続けているうちに、徐々にブツブツも少なくなり、今では、「あと少しで、ブツブツも出なくなりそうだなぁ~。」という所まで来ました。
松本先生の「絶対、治してやるー!」という言葉を信じ、あと少し頑張ります!!
私がアトピー性皮膚炎になったのは、小学6年生の秋頃であった。目の周りの皮膚がカサカサになり、痒くて、寝ている間に無意識のうちに掻いていたら、やがて赤く腫れていき、悪化していった。その時から家の近くの皮膚科に通うようになった。
私のアトピーも中学生くらいになると夏には状態が良いものの、冬には目の周りに症状が現れていた。ずつと通院していたのだが、私が高校生になった頃くらいだろうか。突然通っていた皮膚科が閉院することになってしまった。私はそこで松本漢方クリニックを紹介されたのである。
松本漢方クリニックは駅のすぐ近くにあり、高槻に住んでいなくても行きやすかった。お会いした松本先生に「僕が必ず治してあげます」と力強く言われたが、そのときはピンと来なかった。
松本漢方クリニックにはアトピーを治した患者さんの手記があった。手記には、以前医師に誤ってステロイド剤を処方され、薬を漢方に切り替えるため使うのをやめた結果、ステロイド剤により押さえられていたアトピーがリバウンドして、以前よりも悪化した形で皮膚に現れて、ひどい腫れやかゆみ、痛みにより夜も眠ることができなかった苦労が綴られていた。
私にもいつかそんな日が来るのだろうかと怖くなった。
しかし、松本漢方クリニックに来る前に通っていた皮膚科の先生がステロイド剤を使わなかったおかげで、私にはそんなリバウンドが起こることはなかった。
松本漢方クリニックにずっと通い、処方された漢方薬も飲み続けた。いつの間にか、指に少し湿疹がでるものの、以前冬にはいつも顔に出ていたアトピーが現れなくなっていた。血液検査の結果も次第に良いものになっていき、先生にも「以前は肌の色が黒かったのに今はスウェーデン人みたいに白くなった」と言ってもらって嬉しかった。
アトピーとはもう長いつきあいになる。自分でも気が付かない内に私の体質は漢方薬により徐々に変化していた。劇的な変化は無かったが、継続することにより良くなっていたのである。
最初に松本先生がおっしゃった「僕が治してあげます」という言葉は本当だったのだ。
前の皮膚科の先生が松本先生を紹介してくれて本当に良かった。松本先生にはとても感謝している。
「アトピー治療中間報告」匿名希望26歳2005年6月20日
私が初めて松本漢方クリニックに来院したのは、2002年の冬になります。それまでは、他の多くの方と同様に、アトピーについての知識もなく、皮膚科でもらう塗り薬、飲み薬を鵜呑みにしていました。期間は約10年。使用量は、大学生の頃に一時期減ったこともありましたが、就職をあと数ヶ月に控えたときに、ステロイドが効いてきていないことに恐怖を覚え、インターネットで松本漢方クリニックを見つけました。
初めに診察してもらい、薬をもらった後には診察は受けず、薬をもらっていたのみだったのですが、初めの2ヶ月が、他のみなさんが手記にも書いているような地獄を経験しました。親も途方に暮れ、心配していましたが、それでも必ず最後に終わりが訪れると信じ、入浴と煎じ薬を続けました。
就職を間近に控え、接客業であったため、入社式を前に、辞退も真剣に考えました。しかし、4月を迎える直前に、いっきに回復に向かい、無事入社する事でできました。
そして、その後約2年半は、痒みも少し残っていたものの、ステロイドを使うことも全くなく、松本漢方クリニックにも通院しない期間がありました。
しかし、2004年に転職をして、生活サイクルが変わったあたりから、また体に症状が出始めました。まさかと信じたくなかったですが、結局完治していない状態で、収まったと勘違いをしていた結果であったと思います。
約4ヶ月ほど休職するに至りましたが、再度松本先生にお世話になり、無事復職することができました。
まだ、治療の過程ではありますが、ここを訪れる方は、根気よく完治まで頑張っていただきたいと思います。