アトピー性皮膚炎 40歳以上の患者さんの手記 その19目次
「アトピー手記」匿名希望52歳2014年2月9日
「アトピー手記」49歳男性2009年6月12日
「アトピー手記」匿名希望52歳2014年2月9日
「アトピー手記」49歳男性2009年6月12日
大変遅くなりましたが、やっと症状も落ち着いてきましたので、撮りためてきた写真をその当時の気持ちや記録とともに送らせて頂きます。
「病気や症状は全て正しい免疫反応である」「自分の免疫を高めて治すしかない」と言う先生の言葉は、しっかり私の胸に響き納得出来ましたので、私はアトピーを発症してから 1年半の間に大阪へは2~3回しか行きませんでした。大阪へ伺って先生の大きな声で励ましてもらいたいと思うことは何度もありましたが、やる事は一つ、と解っていましたから、煎じ薬やお薬が無くなりかけると電話でお願いして 静岡の自宅で治療を続けました。
H.Pで読むアトピーの手記は、私の折れそうな気持ちを支えてくれました。私が日々どのように変化していったのか、又変わらない日々がどれだけ続いたのか、出来るだけ詳しく正直に書いたつもりです。現在アトピー治療を頑張っていらっしゃる方の不安や焦りが少しでも解消され、励みになればと思います。
首の一部に痒みがあり、掻くと赤くなりました。少しぷつぷつした感じでした。大阪の姉に話すと、「アトピーだよ」と言われましたが、私自身はアトピーなどとは全く思ってもみませんでした。
娘が残した漢方を煎じて飲みはじめました。年末からお正月にかけては公私共に大変忙しく、頻繁にヘルペスによる頭痛に悩まされ、ベルクスロンを飲みながらしのいでいました。
2012年2月9日
この頃の痒みはさほどではありませんが、首の正面側はいつも赤く、カサカサでシワっぽくなっています。目の上や、目じりも赤くなって、掻くとシワシワになってお化粧をしてもわかるので、仕事に行くのが本当に嫌でした
2013年4月23日
4月に入った位から、首の真ん中にぽつんと丸く赤くなり、色がクッキリしていましたので、気持ちが悪かったです。これが消えないまま、5月、6月の本格的な症状まで続く事になります。今までは乾燥気味だったのですが、この赤い丸だけはじゅくじゅくしていました。
2013年5月2日
仕事中はスカーフを巻いていました。会社の冷蔵庫に置いてある黄色と赤の軟膏を、一日に何度も塗っていました。
2013年5月22日
掻くと赤くなるので我慢しようとしましたが、先生は掻いてもいいとおっしゃるし、私も出るものは全部出してしまわないと終わらないんだ、という気持ちで頑張りました。それにしてもピークはいつなのだろう?いつか絶対治るとはわかっていても、毎日が長くて・・・会社ではまわりに気を使わせないようにと明るく振舞っていましたが、鏡を見るたびに悲しくなって涙していました。
2013年6月1日
出始めてからは一度もきれいになる事はなく、ずーと出ていました。毎日のように松本漢方クリニックの手記を読んでいました。
2013年6月12日
この辺りから手記によく書いてある透明の浸出液のようなものが出てきて、一日に何度か首に巻いた大判のハンカチを取り替えなくてはなりませんでした。でもその変化が嬉しくて、もうすぐピークなのかな?と一喜一憂する日々でした。本当なら二月に一度くらいは大阪へ行き、血液検査をしてもらって抗体の状態を知りたかったのですが、交通費もかかるので、その分煎じ薬やベルクスロン錠、薬湯にかけたいと思い、電話で薬を送ってもらっていました。
2013年7月11日
H.Pでの先生の論文を何度も読みましたし、大阪の姉からの情報もあり、治療は納得して続けていましたが、この時期は本当に辛かったです。首は巻物をしても赤く糜爛のようになった部分を隠す事が出来なくなっていました。仕事上、お客様と接する事が多いのですが、顔や首を見てぎょっとされる事もあって事務所の裏で泣いていました。
2013年7月13日
ここからは書き残しておいたメモを転記します。夜中に足にものすごいこむら返りがきて飛び起きる・・・どこをどう伸ばしても違う場所がつってしまって、横になる事も出来ない。お風呂に足をつけて温めましたが、治まるのに1時間近くかかりました。これもヘルペスと手記にかいてありましたね。
口唇ヘルペスも出てきました。
2013年7月14日
ヘルペスもあって、痒いしぴりぴりする。赤い部分は盛り上がっています。今の自分がどんな状態にあるのか知りたくて、近くの病院でIgE抗体を調べてもらおうか迷いましたが、この首を見たら、違う治療法や薬を出されそうでやめました。
2013年7月28日
目の上が腫れているので、目を開けているのが大変です。煎じ薬の注文で松本先生に電話、先生の声を聞いたら涙が出て、会社からお昼休みにかけているという事も忘れて泣いてしまいました。顔が酷くて会社に行くのも精神的に限界です!
2013年7月31日
免疫が上がってきているのか、偏頭痛がひどい。サービス業の為、土・日・祝日も仕事なのですが、今日はお休みさせてもらいました。アトピーは顔や胸、お腹にまで出てきています。絶対治るから、見た目を気にしなければいいのだ!って自分に言い聞かせているのですが、どんどん酷くなっていくので不安と焦りで気持ちが暗くなっていきます。私の抗体はどうのように変化しているのだろう?毎日毎日、酷くなる自分を見ていると、いつが山なのかわからないので、精神的に本当に辛いです。
2013年8月4日
事務は私一人なので、仕事は休めないと頑張ってきたのですが、あまりに症状がひどいので、社長から暫くみなさいと言っていただきました。もう人前に出なくていいんだと安心したせいか、今日は顔がパンパンに腫れて、目も開けていられなくなりました。お風呂上りにすぐ軟膏を塗らないと、こんな風に乾燥して痛いです
2013年8月7日
湿疹もどんどん範囲が広くなってきています。いつが山なのか?先が見えなくて不安になります。目が痛く、本もテレビも見たくないので、ただただ寝て、薬湯に浸かる生活をしています。
2013年8月8日
私のこんな様子を見ている家族も本当に辛いだろうと思います。家の中が暗くならないようにと思います。
夜はものすごい痒みで、顔や首、身体を掻きまくっています。消毒して、シャワーを浴びて、すぐに軟膏を塗らないと極度の乾燥で引きつれて、首が動かなくなるほどです。夜はほとんど眠れないので、日中は横になって煎じ薬を飲み、アトピーのケアをする毎日です。
2013年8月9日
目が腫れてシワシワです。
鼻のまわりにも出ています。
2013年8月15日
この辺りから、少しずつ良くなっていくような兆しが見え始めます。まだまだ赤いですが、自分では少し枯れたようになってきているように感じます。
2013年8月17日
鎖骨の下までびらんが広がっています胸の谷間やお腹にも湿疹があります全体的に赤くてぶつぶつはしていますが、腫れて熱をもっていた頃に比べると、肌の状態はだいぶ良いです
2013年8月27日
赤みもだいぶ薄くなってきました。
会社へも23日から出社しました。
2013年9月1日
だいぶ気持ちに余裕が出てきました
もう少しだ、がんばろう!
2013年10月13日
顔が元に戻ってきただけでも良かったです。首はまだまだ痒いけど、掻いても前ほど赤くならなくなりました。
2013年10月21日
ここから一気にきれいな肌になるかと思いましたが、なかなか一進一退です。
でも夏のあの頃を思えば、このくらいなんでもないですね。
2013年10月28日
蕁麻疹のような斑点が出ることもあります手記によると、終息に近づいているとの事・・・あとは普段から飲んでいるプロテインを増やして、代謝を良くし、肌が早く入れ替わるようにしたいです。
2014年1月23日
年が明けましたが、肌はまだ元の状態ではありませんアレだけの事があったのですから、そう簡単にはいかないでしょうが・・・
手触りはまだざらざらしています
2014年2月6日
私はこれまでアトピーは出たことがなく、ステロイドも使っていなかった(と思っていた)のですが、今回アトピーが出たことで、自分のこれまでの生活を振り返ってみました。
湿疹などは出ていませんでしたが、結婚した頃から鼻炎になり、耳鼻科に通っていました。目の痒みはとてもひどくて、かきむしって結膜炎になったりしたのでステロイドの目薬をもらっていました。昼間は鼻水が止まらず、反対に夜は鼻が詰まって呼吸が出来ないので、点鼻薬も使用していました。私は生真面目で融通が利かないし、嫌な事でも我慢したり無理をしたりする事が多く、
きっと自分の副腎から多量のステロイドを出していたのだろうと思います。
更年期をむかえ、女性ホルモンが減少してきたことも関係しているのでしょうか・・・発症から1年半近くたちましたんが、今回の事では多くの事を学ばせていただきました。いつもメールや電話で励ましてくれた姉には本当に感謝しています。
先生、スタッフの皆様、ありがとうございました。
これからも宜しくお願いします。
長い戦い
その当時,息子の肌荒れに悩んでいた私は,それまでのお決まりの皮膚科での治療には,疑問を持ちながら処方された薬を,ある期間塗っては治った気になりその繰り返しでやり過ごしていましたが、これ以上こんな治療では、一生同じ事の無駄な繰り返しで、若い体に与える影響も大きいと、素人なりに不安を感じてましたので、松本先生の漢方を用いた根本療法にやっと自分の求めていたものに巡り合えたと確信し、2008年3月初めて松本漢方クリニックの門をたたきました。
その人が,今までどれだけの期間ステロイド系の薬を使用し,体に蓄積されたかによって多少のリバウンドはさけては通れない事は、先生からの説明もあり理解はしたつもりでしたが、その先に想像以上のリバウンドに供う症状に、苦戦苦闘の日々が待ち受けてる事を知るよしもなかった。
元々、息子の治療で通い始めたのですが、時を同じくして主人もその年の1月頃より両足のすねに出た湿疹が消える事なく茶褐色状に残ったままだったので、先生に診て頂き息子と一緒に治療をスタートしました。
生薬の飲み薬・赤い軟膏・沐浴剤との混合治療でした。3月、4月、5月と息子の方は、特に変化もなく心配したリバウンドもこれといってわかりませんでした。
一方,主人の方は,以外にも段々予想以上のリバンド症状が現れました。4月の時点では、湿疹がかさぶた状になり治癒の目安かな? なんて軽い気持ちで見てましたが,そのかさぶたが剥げたり,またかさぶたになったりとなかなか治りそうで治らないという感じでした。
5月連休が終わると今度は、ジワジワと体液が皮膚を通して染み出てきました。元々、足に出来た湿疹の部分から染み出てくる体液が,どんどん広がりをみせてそれに供って皮膚も赤く変色し、首筋・両腕の関節部分・お腹のあたりから背中・お尻へと、次から次へと場所を変化させて行く様子はとても恐ろしく感じました。それにも増して、主人の気持ちの落ち込みには、私もどう声を掛けたらいいのか「何でこんなになるんや」思わず主人の口から出た言葉に何も言えず、この治療を進めた自分が責められてる様で辛かった。でも、私なんかより本人が一番辛く悲しいはず、少しでも気持ちを軽くしてあげられるには、どうしたらいいのか悩みました。主人の落胆ぶりは大きく、このまま治療を続ける事が出来るかと大変悩みました。このリバウンドの時期を乗り越えたら、その先に道が開けて来る事はわかってはいても、この状態がいつ終わるとも知れない不安の方が大きく、松本先生には申し訳ないと思いながらも、治療の方向性を変えた方がいいのかと思い悩みました。
主人の明るい笑顔を早く取り戻したい一心でつとめて明るくは振舞っていましたが、内心私の心は複雑でした。ところが偶然にも,主人の職場に松本先生の事を知ってらっしゃる同僚の方がいて、その人の話を聞いて気持ちがちょっとづつ前向きに慣れた様で、その当りから主人の表情にも明るさが感じられる様になりました。
6月に入ると,更に激しさを増し,お腹の回りにはヘルぺス湿疹・タンパクの数値も基準値を下回り、むくみも症じて特に足首から下は酷く腫れあがりました。これは,タンパク補強のプロティンを処方して頂き失われたタンパクをプロティンで補いながらの日々が続きました。この時期が,一番のピークで大変辛い日々でした。7月に入ると体液も徐々に少なくなり今度は、肌がカサカサの乾燥状態で皮がポロポロと剥れ落ちる感じで“まるで脱皮みたいやな~”とちょっとは冗談が言えるくらいに,主人の気持ちも和らいで来ました。真っ赤になってた肌も少しづつ変化し再生してきてるという感じで現在に至ってます。
定期的な血液検査の数値データを元に、まだ治療続行中ですが確実に完治に近づいてると感じられます。
息子の方も,2008年11月頃よりリバウンド症状がジワジワと現われ主人とはまた違った症状で、首から顔・頭の中にかけてカサついた感じでした。ただひたすらに、生薬を飲んで軟こうの塗り薬と沐浴それだけをしっかり頑張って来ました。先生の言葉を信じて、主人の経過を見て来てるので時間の予想は、付かないけれども必ず完治するものと頑張ってます。
この頃では、だいぶ肌の状態も綺麗になってきています。若いだけに、外見を気にする年頃よくぞここまで耐えてくれたとエールを送りたい気持ちです。
この度の治療を通して,リバウンドに供う精神的な苦痛は本人は元より、家族の協力なしでは乗り越えられません。そして、自分の受けてる治療方針をしっかり受け止め、それを信じてあきらめない事です。
沢山の情報が有り触れてる昨今、何が正しくて何がおかしいのか素人ながらも情報のアンテナだけは、しっかりキャッチしたいものです。人間本来が持っている自然治癒力を信じて安易に薬にたよる医療はやめるべきと思います。
最後に、時代の流れと供に私たちの生活も便利になり、食生活から環境に至るまでが大きく変化し、近代文明が生んだアレルギー性疾患との長い戦いの幕開けとなりどれくらいの月日が経ったでしょうか? 現在お悩みの方、お決まりの治療では完治は望めないと思います。私の教訓から,長い戦いの終止符は、現代医療への警告かも知れません。