アトピー性皮膚炎手記 途中経過
<松本漢方クリニックで治療を受けるまでの経過>
5~6歳
細かなことは記憶していませんが、年間を通じて鼻がつまっており花粉の季節には1週間に2~3回は耳鼻科受診をしていました。アトピーに関しては、若干、膝窩に湿疹が出ていたぐらいだったと思います。耳鼻科にて内服薬をもらってはいたものの、抵抗感があり少量内服しては残りの殆どを親に隠れて捨てるということをしていました。とにかく鼻の症状が激しかった記憶が強く、外用薬は全く使っていなかったと思います。
~12歳
小学校低学年では、引き続き鼻炎の症状が継続しており授業に集中するのもままならない状態でした。また、鼻が詰まっていたため食事をしても味が分からないことが多かったです。学年があがるにつれて、鼻炎症状は軽快し卒業時には耳鼻科受診を全くしなくなるくらいまでになりました。一方で、アトピーの症状が徐々に強くなり、低学年時には酷くなった際に皮膚科受診していただけでしたが、高学年時には定期受診となっていました。湿疹の出現部位は、膝窩・前肘部・鼡径部から顔面・頚部・肩部に移行し、この頃になると週に1~2回ぐらいはアルメタ軟膏の使用を始めていました。抗アレルギー剤などの内服薬も処方はされていましたが、外用薬に比べて効果が実感できなかったためか、全く真面目には飲んでいませんでした。
~15歳
アトピーの症状は、顔面・頚部・頭部に集中して出ていました。乾燥に弱く、症状の波によっては苦痛になることもありましたが、体育授業は普通にこなしテニス部にも所属し、冬季にはスキーに何度も出掛けるなど活発な生活を送っていました。3年生になりクラブ活動などのスポーツを止め勉強詰めの生活に切り替わると、肌の乾燥が強まり弱くなったという印象はあったものの、徹夜勉強をしたからといって急激に症状が悪化することもなく、ステロイドのクラスが上がることもありませんでした。内服薬については、小学校高学年の時と同様に殆ど飲んでいませんでした。
16歳時
高校生活という環境の変化によって、アトピーの症状が一気に悪化しました。
私立の進学校に入学したため、睡眠時間が十分に取れない毎日が始まり、クラスメートとの競争という今までに意識することのなかった心理的なストレスが加わり、入学からわずか3ヶ月で約1ヶ月の入院生活を余儀なくされました。その際は、顔面・頚部に激しく発赤が出ただけでなく全身に症状が及びました。入院治療は、ステロイドの強度をあげましたが効果が出なかったため、一旦ステロイド中止としリバウンドを経過観察するというものでした。しかし、前額部全体・両耳のただれが酷く、結局はステロイドを使うという治療でした。内服薬については、色々と調節を試みたものの、眠気が出てしまい学生生活に支障が出てしまうため継続した服薬には至りませんでした。結局、そのような体では学生生活についていくことができず2年生の1学期をもって退学することとなりました。
~19歳
身体的にも精神的にも負担の少ない単位制の高校に編入したためか、みるみる症状は軽快していきました。一時期、強酸性水の治療も行いましたが目立った効果は得られず半年くらいで止めました。ステロイドの治療についても、入院時のリバウンドの恐怖があったため皮膚科から足が遠のき、母親の知人の紹介で週3回程度の針治療を受け始め、自然とステロイド離脱状態となっていました。針治療の効果は実感できなかったものの、症状コントロールはよく中学生の時のように活発な生活を送ることができていました。
~22歳
高校卒業後、就職してから症状悪化が始まりました。友達の紹介の皮膚科に通い始め、ステロイドとの付き合いが再開しました。体にはリンデロン級を薄めたものを、顔面にはプロトピックを使用していました。内服薬については、仕事が肉体労働だったためか選択が上手くいきポララミンを継続して使用していました。
~26歳
就職はしていたものの、医療職につきたい思いがあったため、1年間の浪人生活ののち3年制リハビリ養成校に入学。またしても高校時と同様に勉強詰めの生活となり、睡眠時間が3~4時間の臨床実習を4ヶ月こなす時期もあり、更に卒業論文、卒業試験、就職試験、国家試験など心身ともに強いストレスを受け症状はみるみる悪化しました。臨床実習が終了した就職活動の時期には、今まで使用してきたステロイドが全く効かない状態となっていました。通っていた皮膚科では何の手の施しようもない状況でしたが、私としては高校と同じように2度目の退学は許されるものではなく病気に負けたくない一心で、この時期を乗り越えました。
26~31歳
就職してからも、学生時代の代償が残っており顔面を中心とした症状は安定しませんでした。母の勧めにより高知にある有名な病院の受診をしましたが、健康食品が高額で生涯継続して治療することが困難であることと医師の高圧的な態度に疑問を覚えたため治療開始には至りませんでした。その状況に見かねた友達からの紹介で、通常のステロイド治療にビオチン内服を加えた治療を受けることになりました。外用薬は、体にマイザー級、顔面にはリンデロン・抗菌剤・ワセリンを調剤したものを、内服薬については半年間ほど色々と試した結果、ジルテック5mgに落ち着いて治療をしていました。この間の症状は、2~3週間単位で波を繰り返すという状態で、自分でステロイドの量と頻度を調節しながら社会生活を送るというのがやっとでした。自分自身で様々な書籍を読んで「脂の摂取を控える」「亜鉛を摂る」などの共通する項目は、積極的に実践しましたが好転することはありませんでした。
今回、顔面に使用していたステロイド調剤を使い切り新しいケースを下ろし塗布したところ、今までになかったような鋭い切れ味を感じました。少しおかしいとは感じたものの3日続けて使用すると、全く効かなくなりコントロール不能の状況となりました。数日間仕事を休んだところ、職場の同僚に松本漢方クリニックを紹介してもらい、インターネットを閲覧し受診させてもらうこととなりました。
<松本漢方クリニックでの治療経過>
~3週目 【2010/03/26 IgE:1344 LD:316 リンパ球:19.9】
初めの1週間は、仕事を急に休めないことから穏やかな漢方を処方してもらいました。顔面の赤みが強く出てはいましたが体全体には症状は及んでいませんでした。2週目より、最も効きの強い漢方に変更してもらい仕事も長期休職に入りました。
漢方生薬の変更と同時に、一気に顔面はただれ始め全身までも赤くなっていきました。また数時間ごとに、体の一部が今までに体験したことのないような激しい痒みにおそわれました。掻いても良いとは教わっていましたが、その痒みに本気で掻いてしまうと取り返しのつかないことになりそうで、かといってアイシングして免疫を抑えることにも抵抗があったので、ただただ耐えるだけでした。結局、肌の症状は、両足の甲までただれてしまう状態で、手のひら・足の裏と漢方浴剤がよく絡まるからか頭部と陰部以外は何らかの症状がでました。ステロイドを殆ど塗っていなかった内腿に激しく湿疹が出たかと思うと、
一番多用していたはずの前額部は案外ただれが少なく感じ、ステロイドの塗布部位には余り関係なく症状が出ているような印象でした。規則性なく出現する症状には、次はどうなるのかと恐怖心でいっぱいでしたが、免疫系が素早く大量に効率よく異物を排除できる部位を選んでる、と納得するようにしました。
1日6時間の漢方浴以外の時間は、全身真っ赤で酒によっぱらったような火照った状態で、突如襲ってくる痒みに怯え、顔面のただれと大量の眼脂の不快感に耐えるという苦しい生活でした。睡眠も、身体症状だけでなく恐怖や不安などの精神的な緊張の影響が強かったのか、朝方にウトウトできるぐらいでした。なお3週目の終わりには、漢方浴剤で茶色になっていた肌は一皮剥けた状態となり、まだまだ症状は出ており入浴後には悪寒を伴うことはあったものの、今までにない柔らかい肌となりました。
~7週目 【2010/05/07 IgE:1802 LD:341 リンパ球:25.8】
相変わらず上記の急性期の状態は継続し、復職の目処も立たないことから苛々し始めた時期でした。このまま心身ともにアトピーの症状に翻弄され続けるのに良くないと考えるようになり、この状況に積極的に関わってくように決めました。
精神的には、6時間入浴の際には大量のリンパ球が異物に対し果敢に攻めている様子やステロイドに侵された肌の細胞がどんどんと入れ替わり癒されていく状態をイメージし、漢方生薬を飲む際にはリンパ球の栄養剤だと思って浴びせるように飲みました。また、経過に不安を感じた時には、松本先生の論文を何度も読み返して治るものだと確信し、通院時にはリウマチの患者さんの手記を読んで自身を励ますようにしました。身体的には、入浴後に暗くなってから1時間程度の散歩をとるようにしました。
こうした心身両面での変化が症状に良い影響を与えたのか、7週目より肌が奇跡的な回復を始めました。顔面のただれの面積が日に日に減少し、突然浸出液がでることもなくなり、眼脂の量も減り、全身の赤みも落ち着いていきました。
~13週目 【2010/06/11 IgE:1885 LD:218 リンパ球:29.9】
6月上旬になると、今までは通院と夜間に散歩をするぐらいしか外出が出来ませんでしたが、昼間も買い物に出掛けられる位にはなっていました。今までになかった深層部から吹き出物はあるものの痒みは殆どなくなり肌の状態は落ち着いていたので、余裕をもって7月からの復職を考えるようになっていました。
~26週目
7月より職場復帰する予定となっていましたが、14週目より顔面の痒みが増し胸部や腕に湿疹が激しく出始め、ゆるやかに2度目のリバウンドに入ったと思われたため職場復帰は延期となりました。夜間の散歩もできない状態となりましたが、初発のリバウンドに比べると両耳がただれはしましたが、顔面全体がただれることもなく不快感は少ないものでした。穏やかに症状が進行しだらだらと遷延するという感じのリバウンドでした。
~31週目 【2010/09/24 IgE:1913 LD:216 リンパ球:31.2】
27週目より、前回のリバウンドの時よりもかなり緩やかな感じでしたが回復が始まったように思います。直ぐに回復が進んでいるとは実感できませんでしたが、2週間もすると痒みが少なく湿疹の面積も少なくなっており確実に回復期に入っていると分かるようになりました。31週目にて、両耳に若干
のただれは残ってはいるものの、顔面・体全体ともに6月の上旬ごろよりも良い状態となり日常生活には全く支障のない状態となり安心して職場復帰できるまでになりました。
<6ヶ月間の感想>
今回、職場の同僚の紹介により、松本先生と出会うことができた私は本当に幸福です。
もし、私の人生に松本医学、そしてこの6ヶ月がなければ、この先どうなっていたのだろうかと恐怖に慄く思いです。実際に松本先生の治療を体験し勉強することができたのは、単に私の健康や人生のためになっただけでなく、家族や友達といった周囲の大切な人たち、そして私の後に続いていく子孫にとっても、何にも代えられない貴重な財産となった嬉しさでいっぱいです。
上記の経過は感情をはさむことなく書かせてもらいましたが、今までアトピーのために、高校中退し将来の夢を諦めたり、スポーツができなくなったり、思うように仕事に集中できなかったり、そして親との葛藤、他者からの中傷や軽蔑、医者らの侮辱を味わったりと、ここでは書ききれないほどの辛く苦しく悔しい思いばかりをしてきました。高校中退した頃は、将来を悲観し死ぬことばかりを考えていました。常にアトピーに翻弄され続けてきた人生でした。そして、これがなければ社会から脱落し存在を抹殺されると自分に言い訳し、
ステロイドに依存し続けてきた10年間でした。
しかし、松本先生との出会いで、今までの全てがひっくり返りました。
ステロイドを継続することの疑念、継続し続けた老後の不安、両親に対する恨み、子どもへのアレルギー遺伝に対する消極的な姿勢、自分の代で生命を絶つという先祖に対する不敬、アトピーの原因が明確に説明されないことによる自分は不健康という刷り込みと自尊心の低下。数え切れない負の感情、後悔だらけの過去と将来にわたる問題、これら全てが解決され明るい気持ちでいっぱいになりました。
この6ヶ月は、特に1度目のリバウンドが激しく、今までステロイドに安易に依存しきってきた私にとっては非常に苦しいものでした。ここまで耐えて更に前向きに治療を行ってこられたのは、松本医学が一切免疫を抑えなければ必ず免疫寛容を起こし治ると証明し確立された治療法であり、「絶対治すよ」「きれいになるから」と激励して下さった松本先生、そして激しいリバウンドを乗り越えそれを手記にして伝えて下さった先輩方のおかげに他なりません。本当に、松本先生、医院のスタッフの皆様、アトピーの先輩方に感謝しています。
10月1日より、職場復帰できることになりました。働ける嬉しさから頑張り過ぎないように、仕事、プライベートともに楽しんでいきたいと思います。
「アトピー手記」匿名希望32歳2013年10月12日
私は東京在中の32歳です。主に手の甲の痒みが原因で治療を開始しました。
1.治療を開始するまでの経緯
幼少時代は冬場に手の甲・指にひび割れができ、血が出る。夏は汗で首が痒くなる、といった症状だけがあり、学生時代も多少その症状は続いていたと思います。冬が終わると手は治るし、夏の首もシャワーを浴びれば落ち着くのであまり生活に大きな影響はありませんでした。
しかし2006年、26歳の冬、手の甲が赤くなりました。冬が終わっても治まらず、夜寝ている間に掻いてしまうので、皮膚がグジョグジョになってしまいました。
仕方なく皮膚科に行って「デルモゾールG軟膏」と「アナミドール軟膏」と飲み薬を処方されました(飲み薬は飲みませんでした)。何日か経って手の甲は、綺麗になっていきました。
その後、症状に問題もなく、2008年28歳冬に結婚をし、炊事で手を使うので不安でしたが、炊事の後にハンドクリームを塗る事で冬を越しました。
しかし、2010年の夏、首と鎖骨、右腕内側が赤くなり痒みがでました。
痒くて仕方ないので仕方なく同じ皮膚科に行くと、「汗が原因の湿疹」と言われました。
「アミナドール軟膏」と飲み薬を処方されました。(飲み薬はまた飲みませんでした)。さらに2011年冬、手の甲は赤くなり痒みがでました。以前の余っていた軟膏をたまに塗っていました。6月頃でしょうか、赤みと痒みは消えました。しかし10月頃から、やっぱり同じように赤みと痒みがでました。また同じ病院に行き、同じ軟膏と飲み薬を処方され、今回は飲み薬も何日分か飲んでしまいました。(飲み薬:アレクグラ錠・ベタセレミン錠)、さらに2012年4月には、顔も赤くなり、職場には、マスクをして顔を隠していました(約1週間の症状)。顔が痒くなったのは初めてだったので、これは体がおかしいな、と思いました。
2.治療開始
2012年6月、初診を受けました。治る、治ると松本先生がおっしゃってくださり、とても安心しました。早速、煎じ薬を飲み始めましたが、11月に少し手の甲がプツプツしだし、(赤みなし)痒みがでました。だんだんプツプツは赤くなり、12月には口の周りが痒くなり始め、さらには切れ目ができ、
口が開けないので食事が辛いこともありました。
2013年1月手の甲の赤み部分が広がり、2月ついにリバウンドがやってきました。顔が何だか痒いな、と思っていたら、だんだん赤くなり、腫れあがり、マスクで顔を顔して職場に行くも、瞼も腫れだしたので職場の人に心配されました。そして首と耳も赤く痒くなりました。さすがに次の週は会社をお休みしました。HPで先生の理論と、他の患者さんの手記を読みあさりました。
いつか治るんだから頑張って乗り切ろうと勇気をもらいました。休暇中のため漢方風呂も2時間弱毎日入れました。鏡を見ながら顔を掻きむしると面白いほどに皮膚がポロポロ取れました。
10日後、顔の腫れだけが引いたので、マスクで真っ赤な顔を隠し、職場に行きました。仕事中、痒みに襲われトイレで掻きに行ったりもしました。帰宅後は漢方風呂に入ったりしたので、主婦業は主人にも手伝ってもらいました。
最初に痒みが治まったのは耳でした。顔の痒みもそのうちマシになり、首・手は相変わらず痒く辛かったです。
6月になると、首の痒みも落ち着いてきました。嬉しかったです。7月には、先生と相談の上、アトピーを早く治すため、煎じ薬をレベルアップしてもらいました。すると、中指と薬指の間に切れ目ができました。食器・野菜の洗い物は、両手5本の指先だけを使ってやっていましたので時間がかかりました。
お風呂の体・髪洗いも、手袋・くしを使いました。それも9月に入ると、切れ目が少し修復され、手の甲も少し赤みが消えました。
10月現在、完治を目指して、毎日煎じ薬を飲んでいます。飲み続けて1年4ヶ月、痒みが最も辛かった期間約5ヶ月です。
今の夢は、思い切って手洗いができること、野菜を洗うこと、食器を洗うこと、髪の毛を洗うこと、などです。
松本先生、これからもよろしくお願いいたします。
35歳、女性。10歳くらいから、アトピーと診断された。フルコートの塗布から始まり、ロコイドをワセリンで希釈したものを15年間塗りつづけた。合わせて、あらゆる抗ヒスタミン剤や抗アレルギー剤を飲んだ。その内、全身の肌は、ゴワゴワで赤黒く、ステロイドを塗っても治まらなくなった。アレルギーの勉強をし、「こんなに長期間ステロイドを塗ったら、ダメだ。」と思い、やめた。
リパウンドで、毎日積もる位皮膚が剥がれ落ちた。痒くて痒くて、絶えず掻いていた。体のバランスが崩れたようになり、のどがひどく乾き、体重が1ヶ月で5キロも減った。リバウンドでこんな症状になるとは知らず、悪い病気かと思い、胃カメラを飲んだ。
それから、あらゆる健康食品や、化粧品を使った。しかし、リバウンドが落ち着いても、皮膚はガサガサ、痒い、赤黒い。お化粧もできない。アトピーの治療は確立しておらず、大量なるステロイドの使用、免疫抑制剤の使用で、実験的なもので医療不信になっていた。
子供ができ、2人ともアトピーの重症、私の皮膚もいっこうに治らず、精神的に限界だった。
覚悟を決め、松本漢方クリニックに通院する。漢方薬の入浴剤・煎じ薬の内服、消毒、紫雲膏、抗生剤の治療が始まった。
半年位から、リバウンドがかなり強く、今までに体験した事のないくらいの壮絶な痒み。その後、身の置き所のない倦怠感、違和感。ほとんど、身の回りのこと,育児ができなくなった。微熱と皮膚の崩壊で、夏でも寒く、長袖で過ごした。足が浮腫み、プロテインを飲んだ。精神的にもたず、何度か松本先生に電話をし、励まして頂いた。あまりの倦怠感で、煎じ薬は飲めなくなった。
4年目、かなりきれいな肌になった。今、ガサガサしている場所はない。汗をかくと、痒い時がある程度。子供同様、元気になり、季節により体調を崩すことがなくなった。
リバウンドが出ている時は、いつまで続くのか分からず、辛くて辛くてたまらなかったが、なんとか乗り越えて、いままで25年からは考えられない位、正常な肌になった。痒みの世界から開放された。
「アトピー手記」匿名希望33歳2004年4月22日
私が始めて松本漢方クリニックのドアをたたいたのは、高校3年生の秋でした。受験のストレスからなのか分かりませんが、頭はボコボコで汁っぽくなり、顔は真っ赤で、足の付け根や関節などは紫色っぽく、とても痒かった事を覚えています。(IgE抗体 3860 )
短大も卒業し、OLになって2年、色々忙しくなってきた頃、自分の中では治ったと思い、勝手に止めてしまいました。
結婚後半年して、アトピーが手と顔に出てきました。手は真っ赤に腫れ上がり、痛痒く、深く切れて、汁と血だらけでした。再度、来院。(IgE抗体 2295 )治っていないが、一人目を出産し、自分の事を忘れて子育てに夢中になり、二人目を出産した時には、全身、頭から手足の指まで、えらい事になってしまいました。目は二重から一重、しかも腫れ上がっていました。「今度こそは、治るまで、絶対に続けよう。」と心に誓いました。(この時、子供2歳・0歳)
毎日漢方風呂に入るのは、一苦労でした。子供が一緒に長く入るのを嫌がるので、下の子が寝たら、上の子をビデオやおもちゃで遊ばせ、1時間くらいしてから3人で入る(下の子を、無理に起こして)という具合でした。半年後、上の子が年少さんで、幼稚園に行きだすと、風呂を待たせて、私が先に入っている間に、何時も寝てしまい、無理やり起こして入れる毎日が続いていました。
主人は、子供が寝てから帰ってきて、起きる前には仕事に行く生活の為、日曜日しか手伝ってもらえず、私も子供達もストレスが溜まりました。一日中、子供に怒っていました。全身が痒いし、汗をかくと痛いし、その為夜は一睡も出来ないまま朝になる事がほとんどでした。本当に頭の中から手足の指先まで、全身が汁で覆われている感じでした。知り合いに挨拶しても、「どちらさんでした?」といつも聞かれ、ショックでした。夏は一日中クーラーの中、冬は寒い中も、Tシャツに短パンでした。もう体中がカッカして仕方がなかったです。(IgE抗体 13410 )
最近になって、子供が(6歳・4歳)「お母さん、今日は5回くらいしか怒ってないなあ~。」と言うようになり、段々回数が減ってきています。「今日は、一回も怒ってないなあ~。」とか「今日は、一回しか怒ってないなあ~。」と言われて、一日中、イライラして怒っていた事に気付かされました。「お母さん、早く治ってほしいなあ~。」という気持ちが、この言葉に込められていたのです。子供の気持ちに気付く余裕もなかった自分を、反省しました。
今は(IgE抗体 8930 )、とても心に余裕が出てきて、子供に怒る事もほとんどなくなりました。「お母さん、今まで怒ってばっかりやったけど、最近、怒らなくなったなあ~。」という言葉に、今まで一緒に頑張って来てくれた家族に、感謝の気持ちで、涙が出ました。
まだまだ完治までは時間がかかりますが、今度は、絶対に完治して、通わなくてもよい日が来るまで、頑張ります。
皆さんも辛い日々がたくさんあると思いますが、頑張ってよかったと思える日がきっと来ます。それまで頑張って下さい。私も、まだまだ頑張っていきます。
「アトピー 手記」匿名希望35歳2012年6月2日
私が最初に治療を始めたのは約15年前。
子供の頃からのアトピーが酷くなった時でした。
何年かは治療を続けていたのですが、良くなって来た時に一旦、治療を止めました。それから約10年して、またアトピーが酷くなってきました。そしてまた受診し治療を再開しました。治療を止めていた10年の間にステロイドを使っていたため、再度 治療を開始した時はステロイドを抜くために顔が真っ赤になり汁が出て顔もパンパンに腫れ上がりました…毎日 顔を見るのが辛くマスクをして仕事にも行っていました。
こんなことがいつまで続くのだろうと思いながらも治療を続けていると、3ヶ月くらい経った時からだんだん症状がよくなり始めました。
しかしその時はよくなったり悪くなったりの繰り返しでした。
それでも、よくなりたいという思いで飲み薬や塗り薬を続けました。
2度目の治療開始から4年。先日の血液検査の結果から「ピークは越えました」と言っていただきました。まだ、首が痒く、季節の変わり目には不安定になったりしますが、あのつらい状態を越えられたので、これからも治療を頑張れそうな気がします。
「アトピー手記」H K 32歳2006年7月22日
私は、幼い時からアトピー性皮膚炎に悩まされ、評判の良い皮膚科に行っては、塗り薬をもらい塗り続けていました。
20歳頃より、今まで肘・膝の裏・耳の裏ぐらいしか出ていなかったアトピーが、顔・耳・背・手・腕全体と広がっていきました。近隣の皮膚科に行き、強度のステロイド軟膏をもらい塗っていました。塗って3日程で皮膚がとてもきれいになったのに驚きましたが、その当時きれいになるのがうれしくて塗り続けていました。しかし、その薬が効かなくなり、そんな時、松本先生のことを知り、すがる思いで訪れました。早速、煎じ薬を飲むと、身体全体がかゆくなり、漢方風呂に入ると、手や足先まで温かくなり気持ちが良いものの、身体がかゆくかきむしりながら入っていました。風呂から出てくると、かきむしった所が血だらけで、特に多くステロイド軟膏を塗った首の皮膚がボロボロと剥がれ落ちていきました。夜は、血だらけの所が痛く、首はかゆくてたまらず、眠れなくて仕方ありませんでした。首の皮膚は、2~3日ごとにボロボロと皮膚が剥がれ落ちるので、包帯を巻き過ごしていました。
これが数ヶ月続きました。皮膚のはがれ落ちがおさまった頃、首の皮膚が黒ずんでいきました。手・腕も黒ずみを帯び、漢方風呂に入ると少しずつですが黒ずみが減っていきました。膝の裏の黒ずみがほとんどなくなり、かゆみもなくなりました。
昨年の花粉時期には、生まれて初めて喘息になりました。夜、咳が止まらず眠れない日々が続いた時、松本先生の所にとんで行きました。煎じ薬を渡され、1ヶ月程飲むと、咳が全くなくなりとても楽になりました。それ以降、喘息は出ていません。
私は、結婚などで松本先生の所へいかない期間が続きましたが、今はまた以前のようなきついかゆみはないものの、手や腕・背中の黒ずみが残っているので、完治まで頑張って行こうと思っております。
「アトピー手記」匿名希望37歳2005年1月27日
初めてここを訪れたのは、2年近く前になります。その頃は、身体や顔に症状が出ていて、痒くて掻いたところの傷が塞がらず、リンパ液でベトベトな状態でした。
元々花粉症などもあり、シーズン毎にステロイド系の薬を使用していたのも症状が少しずつ悪くなった原因なのかもしれないと思い、ステロイド系の薬を
使わない病院を探していたところ、インターネットの検索で松本漢方クリニックを知りました。
通い始めて数ヶ月間は、逆に症状は酷くなりました。
好転反応と呼ばれるものだと思って、ひたすら我慢の日々でした。ここでやめて他の病院へ行っても、ステロイド剤を出される治療では根本解決にならないと思ったからです。
取り敢えず1年頑張ろうと思っていました。
そして一旦悪くなった症状は、次はすこしずつ回復してくるように思えました。体調などの影響もあるかと思いますが、悪くなったり良くなったりを繰り返しながら、私の場合は大体1年半くらいでほぼ大丈夫と思えるようになりました。
お風呂の用意や、煎じ薬など、毎日根気が必要なことと思いますが、『大丈夫治るから』と自分に言い聞かせながら続ける事が大事だと思います。
松本先生に感謝しています。
花粉症も治るといいなぁと思う今日この頃です。
- 皮膚科に行くまで
私は幼い頃、喘息があったそうですが、水泳を始めた頃にこれは治ったそうです。小学校の1年まで自然の豊かな滋賀県で過ごしていて、喘息以外は特に悪いところは無く、健康だと信じていました。小学校2年で広島へ引越しをしました。広島の家はすぐ近くをバイパスが通っていて、空気が非常に悪くしばらくしてアレルギー性鼻炎と診断されるようになりました。近くの耳鼻科へ通うようになったのですが、治療法は鼻に器具を突っ込んで2,3分間、何かを吸い込むような治療でした。治療後たいして変化が無かったのを考えると、ステロイドはあまり入っていなかったのかもしれません。数年間通いましたが、通っても通わなくても大して変わらないので、サボり始め、最終的には行かなくなり、しかも良くなってしまいました。思えば鼻の症状が皮膚へ出てくるようになって、鼻の症状が良くなってしまったのでしょう。小学校時代も痒くなる事は度々でしたが、皮膚科へ行ったことはなく、今思えばアトピーの湿疹が出ていても気にせずに放ったらかしにしていました。しかし中学校2年生の時に、初めて目の周囲にひどく出始めました。それでも数ヶ月放ったらかしにしていたのですが、ついに親に連れられて皮膚科へ行ってしまったのです。
- 一般の皮膚科での処置
初めて皮膚科でチューブの薬(今思えばステロイドでした)と痒み止めとして飲み薬(恐らく抗アレルギー剤)をもらいました。それを塗り始めて1週間もすると跡形も無くきれいになりました。その時は全くステロイドがどんなに害のある薬か気づきませんでした。いや、気づくはずが無いのです。医者が患者の病状を悪化させる処方をするなどはじめから思っているのならば、そもそも医者へ行きません。実際にすぐにきれいになってしまった結果を見てしまえばその当時は「直してもらった。良かった。」で済んでしまったのです。実際に10年単位の期間でみればどんなに悪化したか分かるのですが、すぐに結果を求めすぎる現代の人の考え方自体からしても、今の皮膚科の処置(治療とは口が裂けても言えません)の方が受け入れやすいのは納得できます。慢性病でも即効性を求める弊害が、今の医者の作った病気、アトピー性皮膚炎に顕現してしまっていると思います。
それからほとんど出なくなり、高校時代は手の指に目だって出て皮膚科へ行った程度で、中学、高校時代までは恐らく1、2本しか使わなかったと思います。その後、大学時代に東京で一人暮らしをしていた時に、2度ほど酷くなりましたが、これもステロイドをつけてすぐに隠れてしまいました。
就職しても始めの2、3年は目だって出ることは無く、ほぼ治ったと思っていました。本格的にひどくなってきたのは、異動で西宮へ行った頃からでした。仕事のストレスもあったのでしょうが、それまでは出ても顔に少しくらいだったのが、体全体に拡がってきました。西宮1年目もあまり良くなくて今までよりステロイドを塗る頻度も量も増えました。その頃から毎年春になると悪くなり始めました。2年目の春になるとますますひどくなり、頭や耳や尻など今まで全く兆候もなかった部分にもひどく出るようになりました。アレルギー専門と銘打った医者へ行ってみましたが、「こんなひどくなるまで放っておいて」と怒られ、「まず薬を塗って症状を抑えて、徐々に弱い薬にしていく」と方針を伝えられました。また「アトピーは体質なので、一生治らない。一生付き合っていくしかない」と宣告されました。それまで、面倒くさがりやだったので、限界までステロイドを塗らずにいたのですが、それまではそんなにアトピーがひどいものとは知らず、非常に軽く考えていました。一生治らないという宣告にショックを受け、ほんの2、3年前まで、ほとんど症状が出ていなかったのは何故なのか疑問を持ちました。そして突然発症して、一生治らない重病と同じとは私には信じられなかったのです。
それでも、一応従ってみることにしました。ステロイドを塗って段々症状はおさまってきました。それでも以前のように全くきれいになることはありませんでした。ある日、その医者が「非常に順調ですね。順調とは思いませんか」と言ってきました。私は自分の望んでいるものと医者の目指すものはまったく別だったと知りました。この医者には半年強通いました。本格的に毎日のようにステロイドを塗る生活を送ったのは、2年弱でしょうか。
それから、アトピーは本当に完治する方法は無いのか、なぜここ数年急にひどくなったのかをインターネットで真剣に調べ始め、ついに松本漢方クリニックのホームページに行き着いたのです。
- 松本漢方クリニックでの治療
まずホームページでアトピーを治す理論を読みました。その理論が一々納得できるものばかりだったのです。環境の悪いところでひどくなっていったアトピー。アレルギー性鼻炎が良くなった頃から悪くなってきた皮膚炎。何よりも現実に年々、ステロイドを沢山塗った後ひどくなっていくという現実。全てが先生の理論が正しいことを私の経験が裏付けていました。どうせ辞めるならと初めて松本漢方クリニックへ行く前の2,3日だけステロイドを辞めて、会社を早退して松本漢方クリニックで診てもらいました。2,3日ステロイドを塗らなかっただけでも顕著にリバウンドが体中に出始めていました。理論と治療法と手記の一部を既に読んでいたので、診察もスムーズでした。元気な先生から元気な言葉をもらい、勇気づけられました。
早速道具を買ってきて治療を始めました。巾着みたいなものと言われましたが、女性用のストッキングの片足分を切って入浴剤の成分を出すのに使いました。(いい年した男がストッキングを買うのは恥ずかしかったですが)成分を出すときは水を入れて入れる温度にした後に足で何度も踏んで成分を出しました。
治療を始めて、ぐんぐん悪くなっていきました。私にも手記の他の方々の例外ではなくステロイドのリバウンドが襲ってきたのです。漢方風呂に入って出るときには、風呂の中は自分の皮膚で真っ白になりました。不思議なことに子供のころ見覚えのある湿疹が浮き出てきました。気にしていなかったけれど、これもアトピーの湿疹だったのかと驚いたこともありました。(子供の頃、何年も放ったらかしにしていた湿疹が数箇所ありました)風呂に入っている間は気持ちよかったのですが、それ以外の日常生活はひどいものでした。何よりも辛いのは、痒すぎて寝ることが出来ず、朝方に疲れ果てて少しうとうとして、会社へ行く生活でした。一人暮らしだったので、時間のかかる治療準備をはじめ、全て自分ひとりで行わないといけないのも苦痛でした。治療中心の好きな時間に寝ることが出来る土日を待ち望む日々でした。辛いときにはホームページの手記に随分と勇気づけられました。顔はパンパンに赤くはれました。元の顔にいつ戻れるのか暗い気持ちになりました。しかし、ステロイドを塗った量も期間もたいした長さでなく、ステロイド漬け寸前で松本漢方クリニックで治療できたおかげで、1ヶ月~2ヶ月で症状のピークが過ぎ、それからはどんどん良くなっていきました。周囲の人々も驚いていました。治療中の不思議な点としては、私は酒が好きで良く友人達と痛飲することがあるのですが、酒を飲むとなぜか悪い部分が赤く浮き出てくるように感じています。ひとつの目安として酒を飲んだ時に鏡を見ています。
そのまま治療を続けることが出来ていたらもっと早く良くなったのでしょうが、既にロシア留学を決めており、半年間の治療後、先生も「ここまで良くなったら留学中は大丈夫」という言葉をもらい、ロシア留学を予定通り行いました。留学中は全く治療をしませんでしたが、しばらくは良くもならなかった代わりに悪くもなりませんでした。しかし、ロシアの春、5月位から急激に悪くなってきました。再び寝ることもできないくらい痒くなり、症状も悪化しましたが、しばらくしてそれでも症状が軽くなってきました。その時自分自身でもおそらく後天的免疫寛容が既に自分にもこれ以前に起こっているのだと思いました。1年の留学後に日本で再び松本漢方クリニックで治療を再開しました。帰国直後のIgE抗体の値ですが、体自体は留学前よりもはるかにひどいにも関わらず、非常にきれいになっていた留学前の値(約1,000)よりも半分(約500)に下がっていました。この値も実際の自分の体の見た目の皮膚の状態を表すものではないことを知りました。
それからさらに半年、出来る限りまじめに治療を続けて、ようやく先生から手記を書くように言われました。帰国直後の体はまたひどい状態に戻りかけていたのですが、おかげさまでまたきれいな状態になりました。が、IgE抗体の値は帰国直後とほとんど同じでした。先生も私の体に後天的免疫寛容が起こったことを認めたということだと推察します。「もう直ったから来なくても良い」と先生から言われるまで可能な限り治療をして二度とアトピーが出ない体にするつもりです。どうもありがとうございました。
- 問題点
本当に先生には感謝していますが、問題と感じる点がないわけではありません。恐らく先生ご自身が感じていらっしゃることと思いますが、書き出してみます。
- ステロイドは保険が利くのに、完治させることのできる先生の漢方(薬の一部、風呂)は保険が利かず、治療費が高くなり、一定の収入がないと治療が出来ない。
- 先生が唯一アトピーを治せる人なので、遠方に住む人は治療を受けづらい。
- IgEの値の検査は体温を測るように手軽に出来ないため、数値で自分の症状が測りづらい。
以上の3点が主なものだと感じます。
①については、国が認めないことには前に進まないので(ステロイド皮膚科の排除を含めて)先生が検討していらっしゃるアメリカでの論文発表を是非実現してみていただきたいと思います。仮にアメリカで認められてもすぐ日本で認められるかは分かりませんが、とにかく声を挙げ続けることが重要と思います。
②については、治療法をそろそろ他へ伝授することも検討されるのも今後①を前に進める味方を増やす意味でも価値のあることではないかと考えます。
③については、もし手軽に計測できるようになれば、ひょっとするとこれまでの治療歴(ステロイド歴)などから完治する目安がより分かるようになるかもしれません。
それでは、完治するまで真面目に治療を続けます。色々とありがとうございました。あとしばらくよろしくお願いします。
「アトピー手記(中間報告)」H.Y.30歳2006年4月12日
私がアトピーになったのは、赤ちゃんの頃でした。原因が食べ物ではなくハウスダストだったため、さほど大変な事もなく、湿疹が出れば薬を塗って治すという事を大人になるまで繰り返し、私はアトピーとは一生付き合っていくものだと思っていました。
それでもやはりどうにかして治してやりたいと思っていた母は、民間療法や自然食品、水など、アトピーに良いと聞けばそれを取り寄せ私に試していましたが、どれも効果はいまいちで、長続きもしませんでした。
小学校の頃スーパーで「アトピーなの?大人になったら大変ね。お化粧できないわね。」と言われ、その時は、なぜだろう?と思っていましたが、化粧をする頃になって分かりました。化粧水をつけると肌が痛い、赤くなる・・・なかなか自分の肌にあう化粧品が見つかりませんでした。又、仕事上(保育士をしています)プールに入ったり、外に出たり、水仕事、ストレスなどでアトピーは徐々に悪化してきました。これはいけないと思い、市内の色々な病院を回りましたが、どこで出される薬もステロイド、それも徐々に強い薬になっていき、これではいけない、ステロイドをやめたい、アトピーを治したいと思っている頃に、松本漢方クリニックの話を知人から聞きました。
それから神にもすがる思いでネットを開いてみました。
論文を読み、その長さと理論の難しさに目が点になりましたが、何度も読み返し行ってみようと思いました。
仕事の落ち着いた2月末、新幹線に飛び乗り大阪へ行きました。
松本漢方クリニックに着くと、平日なのにすごい人と、薬のにおいにウッときました。待っている間に手記を読み、周りの人を見ながら“みんな大変なんだなぁ”と思いました。松本先生に会うと「ヘェ、広島から来たんかい。遠かったなぁ、絶対に治してやるからな。」と握手をしてくれました。特に診察(体を)する訳でもなく、松本先生のすさまじいマシンガン・トークに私は圧倒されてしまい、その日の診察はおわりました。
それからステロイドを捨て、漢方治療が始まりました。
ステロイドを止めた副作用からか、顔は赤く腫れ、首からは汁が出て、胸・腹部・背中に湿疹と痒み、微熱が続き、夜中は痒くて痛くて、冬なのにアイスノンで体を冷やしながら寝ました。その為か、その冬は風邪→インフルエンザにもなりました・・・。服も綿の物、体をしめつけない物を選んで着ないと痒く、薬風呂に入っている時は良いのですが、出ると乾燥からかすごく痒くなり皮膚は剥け、赤い薬が手放せなくなりました。
又仕事を休む訳にもいかず、3~4ヶ月続いたこの時期が、今思い出しても大変つらい時期だった様に思います。が、落ち着いてきて少し良くなると、治療を少しサボるようになりました。(これが私のいけない所なのです)
そして半年後くらいに松本漢方クリニックに行くと、松本先生に「治す気があるんか!」と叱られ、それまで仕事が忙しいなどの理由のせいにしていましたが、心を入れ替えてきちんと治していこうと決意しました。
それから、少ないけれど年4回(春夏秋冬)以上は絶対松本漢方クリニックに足を運ぼう、他の日はTELで薬を注文し、薬を飲み続けよう・・・そうして2年間頑張ってきました。
今はアトピーも花粉の飛ぶ2~5月まではよく出ますが、夏や秋はアトピーの痒みも忘れるくらいほとんど出なくなり、この夏は海にも行きました。が、この冬風邪をこじらせてか?気管支炎喘息になってしまい、風邪をひかなければならない軽いものなので風邪をひかない様に気をつけていこうと思うのですが、まだアトピーが完全に治るまでは時間がかかりそうです。
でも、この楽観的な性格でマイペースに頑張って続けて行きたいと思います。
決して真面目な患者ではありませんが(どちらかというと劣等性!?)、これからも頑張りますので、松本先生見捨てないで下さいね。
「アトピーの途中経過」35歳・33歳・4歳男性2004年11月8日
松本漢方クリニックに行ったのは、息子のアトピーがあったのが始まりだった。生後3週間くらいから、乳児湿疹と言われ、それから「アトピーですね。」と言われるまで、時間はかからなかったと思う。私が小さいころからアトピーがあったので、息子にもあると言われて「やっぱりな。」という気持ちと、治してあげたいという思いが強くあった。
6ヶ月頃から、血液検査もして、ミルクもアレルギー用のミルクに換え、離乳食も除去食をしてというように、小児科の先生に言われたように一通りやってきた。だが、なかなかよくならず、ぬり薬(ステロイドと保湿剤の混ざったもの)を塗っては、毎日一喜一憂していた。赤ちゃんの頃は、顔によく出ていたため、周りの赤ちゃんと比べては、早くきれいにしてあげたいという思いが、ますます強くなっていた気がする。
あっちこっちの病院に連れて行ったが、結局どこも似たような治療で、「このままステロイドを塗り続けてもいいものか?」という気持ちと、「塗らないとかゆがるし、ましにはならない。」という思いとがあった。とにかく、アトピーに対して、また初めての子育てとで、かなり神経質になっていて、子育てを楽しむ余裕はあまりなかった気がする。自己流で薬を塗らないようにしていても、長続きはせず、不安とあせりがあった。
平成15年12月の末に、最後の頼みのつもりで、松本漢方クリニックに行った。松本先生は、「絶対、治してあげるから。」と、力強く言ってくれた。今までそんな先生はいなかったので、がんばろうという気になった。ただ、インターネットの手記を読んでから行ったので、とにかく「最初は、たくさんアトピーが出てきて、大変だろうな。」という気はあった。それから、我が家の(私と息子)の漢方治療が始まった。
消毒は、最初は嫌がり、泣いたりもした。また、アトピーがよく出ているときはしみるみたいで、押さえつけて消毒をした。始めた時期が冬だったので、お風呂の1時間は難しかったが、思ったよりは長く入ってくれた。煎じ薬の飲み薬も慣れなくて、飲んでは、はちみつをなめさせたりして、何とか飲ませた。
治療から3ヶ月くらいまでが、とにかく体によく出ていた。幸いにも、じゅくじゅくしたのが出なくてましだったが、かゆくて、夜も何回か起きて、寝ていても掻いていた。
春になり、季節の変わり目もまだ出ていたが、漢方治療をする前と比べたら、だいぶ肌の調子がよさそうだった。
そして夏になり、治療から8ヶ月目、今年の夏は暑くて、汗をかいたときは、かゆがったりもしたが、思ったほどではなく、プールも、保育所でお友達と一緒に楽しく入れたみたいだった。
そして現在、秋になり、今まさに乾燥してきた季節だ。息子は、どちらかというと、冬によくアトピーが出てくるほうだと思うので、これからも治療は続けていきたい。
息子のことばかり書いたが、主人も花粉症があるため、4月くらいから治療をしている。こちらも調子はよさそうだ。風邪もよくひいたが、だいぶ体の調子もよさそうである。もともと肌も弱いほうなので、漢方風呂も合っているみたいだ。
私のほうは、アトピーとは長いつきあいだが、どこかで一生つきあわなくてはいけないものだと思っていた気がする。だから、ステロイドはよくないとわかっていても、塗ってはましになるのを見て、安心していた気がする。
今、家族で治療をしてみて思ったことは、アトピーに対して振り回されていた自分がいないことが、嬉しい。このまま、もう少し治療をして、松本先生から、「もう、終わっていいよ。」と言ってもらえるまで、がんばりたい。